2016年4月22日金曜日

記者会見での主張

植村さんは、閉廷後に開かれた記者会見で、櫻井よしこ氏がこれまでに書いた記事や取材態度について「3つの問題点」をあげて批判し、法廷での意見陳述を補強しました。以下に、記者会見で配布された資料を収録します(記号、数字表記は読みやすく書き直してあります)。




















【櫻井よしこ氏の3つの問題点】


①訴状に書かれていないことを付け加え「人身売買」と主張

◆産経新聞2014年3月3日朝刊1面コラム【櫻井よしこ 美しき勁き国へ】
元従軍慰安婦の金学順さんが、「東京地裁に訴えを起こし、訴状で、14歳で継父に40円で売られ、3年後、17歳のとき再び継父に売られたなどと書いている。」と書く。
◆「WiLL」2014年4月号「朝日は日本の進路を誤らせる」
「訴状には、14歳のとき、継父によって40円で売られたこと、3年後、17歳のとき、再び継父によって北支の鉄壁鎮という所に連れて行かれて慰安婦にさせられた経緯などが書かれている。」という記述。

  →訴状には、「14歳のとき、継父によって40円で売られた」とは書かれていない。「金泰元という人の養女となり、14歳からキーセン学校に3年間通ったが、1939年、17歳(数え)の春、「そこへ行けば金儲けができる」と説得され、金学順の同僚で一歳年上の女性(エミ子といった)と共に養父に連れられて中国へ渡った。(略)「鉄壁鎮」へは夜着いた。小さな部落だった。養父とはそこで別れた」と書かれている。

②「女子挺身隊」が慰安婦を指す言葉として、日本のメディアでも広く使われていたことは当時の記事を調べれば分かるのに、植村氏が「担造」した、と主張

◆前述の産経新聞2014年3月3日朝刊1面コラム
「植村氏は彼女が人身売買の犠牲者であるという重要な点を報じず、慰安婦とは無関係の「女子挺身隊」と慰安婦が同じであるかのように報じた。」
◆前述の「WILL」 2014年4月号
「植村氏は、彼女が継父によって人身売買されたという重要な点を報じなかっただけでなく、慰安婦とは何の関係もない「女子挺身隊」と結びっけて報じた。jと書く。

  →「慰安婦」を「女子挺身隊」と呼ぶ表現は、柵井氏がニュースキャスターを務めていた日本テレビの別番組でも使われていた。1982年3月1日の各紙のテレビ欄に記述。
  →植村の手記『真実』(pp.222~223「慰安婦問題を報じた主な記事のうち「挺身隊」という言葉が出てくる部分」)参照

③植村氏に一度も直接取材せず、「握造」と決めつけ、教員としての適格性を否定し、雇い主の大学を批判

◆「週刊新潮」2014年10月23日号
 「23年間、握造報道の訂正も説明もせず頬被りを続ける元記者を教壇に立たせ学生に教えさせることが、一体、大学教育のあるべき姿なのか。」
◆「週刊文春」2014年10月23日号 「模井よしこ×西岡力」対談記事
 「社会の怒りを掻き立て、暴力的言辞を惹起しているものがあるとすれば、それは朝日や植村氏の姿勢ではないでしょうか。」