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2021年1月9日土曜日

櫻井氏らの誇大宣伝

「捏造が認定された」「完全な勝訴」は一方的、勝手な解釈による“勝利”宣言だ

 月刊「WiLL」 櫻井よしこ、阿比留瑠比対談に反論する 

櫻井よしこ氏が月刊「WiLL」の最新号(2021年2月新春号)で阿比留瑠比氏(産経新聞論説委員)と対談し、植村裁判札幌訴訟で判決が確定したことについて、「完全な勝訴」「捏造が認定」などと一方的な解釈で勝利宣言をしている。

この対談は、同誌の巻頭の大特集「元朝日新聞植村記者『慰安婦捏造』に最高裁の鉄槌!」(p30~78)のトップ記事(p30~p43)。櫻井氏は、「彼女(金学順)の言った事実を書かないで、『女子挺身隊の名で連行され』たと、彼女の言っていないことを書いた。都合の悪いことを隠して都合のよいことを書き加える――これは『捏造』以外の何物でもありません」と、これまでの主張をより一層強い口調で語り、阿比留氏は「ついに真実(ファクト)が捏造(フェイク)に勝利した」と応じている。このような記述も含め、この対談記事には、誇大な表現や事実の歪曲、不当な人格攻撃などが少なくない。裁判で明らかになった櫻井氏の誤りに全くふれていないことも公平性と誠実さを欠く。以下に、対談記事の問題点を対談形式で検証する。

なお、同誌特集では東京訴訟の被告西岡力氏も登場し、門田隆将氏(作家)と対談(p44~55)している。両氏は「朝日は日本国民に訂正・謝罪せよ」と息巻き、西岡氏はこれまでの主張を繰り返している。この対談は東京訴訟の勝訴確定を前提としたものであり、両氏の発言には看過できない問題点が多数ある。しかし、最高裁の判断 はまだ下されていないので、当ブログでは、問題点の検証と指摘は判決確定後に明らかにする。

=以下、文中の人名は、元慰安婦被害者も含めすべて敬称を略します

■誇大な表現と事実の歪曲

Q この対談記事はひどい。意図的な歪曲、悪意に満ちた誹謗中傷があふれている。

R ほんとに、ひどい。その一言に尽きる。読んでいて呆れるばかりだった。

Q 年末に読んで感じた怒りは、年が明けてもおさまらない。

R 14ページにわたる長い記事だが、全体を通じて誇大な表現と事実の歪曲が目立つ。その極みが完全勝訴と捏造認定という表現だ。

Q 対談の冒頭からして「完全勝訴おめでとうございます」だからね。

R たしかに、櫻井の勝訴、植村の敗訴は、最高裁の決定で確定した。地裁、高裁、最高裁すべてで、植村の請求は退けられた。しかし、櫻井は完全勝訴したわけではない。裁判所は植村の記事が捏造であるとは認定していない。裁判所が認めたのは、「継父によって人身売買され慰安婦にさせられた」とする櫻井の記述を「真実と認めるのは困難である」 ということと、にもかかわらず植村記事が捏造だと櫻井が信じたことにはそれなりの理由があるから櫻井は免責されるということだ。櫻井の取材の杜撰さも明らかになって、阿比留の勤務先である産経新聞と、今回の特集を載せた雑誌「WiLL」にそれぞれ訂正を出している。それなのに、まるで完全な勝訴であるかのように喜んでいる。

Q 裁判所は、櫻井が植村の記事を捏造と決めつけるにはそれなりの理由があった、と認定し、櫻井が植村の名誉を毀損した責任を免じた、ということなのだ。

R だから、櫻井勝訴は外形的事実に過ぎない。判決の内容や裁判の経過をきちんと検証すれば、完全勝訴と浮かれることはできないはずだ。

Q 櫻井の勝訴をスポーツに例えれば、柔道やレスリングのような格闘技でレフェリーのあやしげな判定、誤審に助けられて僅差で逃げ切ったようなものだ。まっとうな選手なら、そんな勝ち方をしても、ガッツポーズをしたり胸を張って大言壮語したりなどはしない。

R 記事の見出しに「慰安婦捏造に最高裁が鉄槌!」とか「ついに真実が捏造に勝利した」などとある。櫻井と阿比留だけでなく、編集者もいっしょになってお祭り騒ぎをしている。

Q 阿比留は「司法が朝日の捏造を認定した意義は大きい」と言っている(p31、下段)

R これは違う、と声を大にして繰り返して言いたい。判決のどこにも「朝日の記事は捏造だった」などと認めた記述はない。櫻井が植村の記事を捏造と記述したことについて「真実と信じた相当性がある」と認め、櫻井を免責したにすぎない。阿比留のような、誤った、しかも誇張した解釈が拡散されることは許せない。

Q この記事が出る前に安倍晋三が同じようなデマをフェイスブック で流していた。

R 「植村記者と朝日新聞の捏造が事実として確定したという事ですね」というコメントのことだね

Q 植村がすぐに内容証明郵便で強く抗議したら、安倍はこっそりコメントを削除した。前首相の大失態であり、みっともない。安倍の議員事務所はこの件での取材を受けず、削除を認めるコメントを出していない。ところが阿比留は、記事の中で「面倒な人たちに絡まれるのを嫌ってか、安倍前首相はフェイスブックのコメントを取り下げました」(p37、上段)と負け惜しみを言うなかで、コメントを削除したことを安倍本人の代わりに認める格好になっている。

R 安倍のデマ発信はうまくいかなかった、そこで安倍親衛隊の櫻井と阿比留が親分の失敗をカバーするために、この記事でフォローしているということなんだろうね。

■櫻井は加害者、植村は被害者

Q 表紙と記事大見出しにある「晴らされた濡れ衣 」にも驚いた。

R そもそも、捏造という濡れ衣を着せられたのは植村であって、だからこそ植村は名誉毀損で訴え、濡れ衣、汚名を晴らそうとした。植村は被害者、櫻井は加害者なのだ。ところが櫻井は名誉棄損で訴えられたことが濡れ衣だと言わんばかり。これはおかしい。櫻井は被害者ではなく、加害者なのだから。主客転倒、本末転倒もはなはだしい。

Q 櫻井は、裁判で争点となったことを持ち出して、事実とは違っていることを平気で言っている。たとえば、「植村氏の記事は、それまで一人も実在の人物として特定されていなかった朝鮮人女性の被害者を世に知らしめるものです」(p33、上段)という発言。これも誤りだ。朝鮮人女性の元慰安婦として実名が伝えられた人は、1970年代には沖縄在住の裵奉奇、80年代にはタイ在住の盧寿福がいる。

R 金学順は、韓国在住の韓国人元慰安婦としてはじめて名乗り出て記者会見し、韓国社会に大きなインパクトを与えた。しかし、その前に一人も朝鮮人女性が名乗り出ていなかったと断言するのは誤りだ。金学順の名乗り出だけを過剰に評価することによって植村の記事を狙い撃ちにしようという櫻井のフレームアップだ。

Q 裁判では、植村の記事の前文にある「女子挺身隊の名で戦場に連行され」との表現も重大な争点となった。これについて櫻井は「植村氏は金さんが日本国の法令に基づいて連れて行かれたのではないと知っていながら、戦場に連行されたと書いたのです。しかも金さんはテープで「だまされて慰安婦になった」と語っていたと植村氏は認めています」と言っている(p34、下段)これも誤りというかミスリードだ。植村は記事本文で「女性の話によると、中国東北部で生まれ、十七歳の時、だまされて慰安婦にされた」と書いている。植村は金学順がテープで語った通りに記事に書いているのに、櫻井が「彼女の言った事実を書かないで」と言うのは、悪質なミスリードだ。

R この「女子挺身隊の名で戦場に連行され」は、櫻井がいちばんこだわっていることで、植村の記事を捏造だと決めつけるための重要な根拠としている。だから、櫻井はしつこく何度も繰り返すのだろう。櫻井は、昨年12月21日に自身のネット番組、言論テレビ「櫻LIVE」でも同じことを語っている(注1)。その番組のフリップには「1.法廷尋問調書「事実でないと知りつつ書いた」」とある。しかし、法廷尋問調書のどこにも「事実でないと知りつつ書いた」などという植村氏の発言はない。裁判所の公式な文書に記述があるかのように偽る悪質なミスリード。櫻井お得意のだましのテクニックだ。

■阿比留記者の脱線転覆

Q 憶測や噂をもとに、ふたりで揃って植村を口汚く揶揄しているのも許せない。

R ひどい人格攻撃がある。自称ジャーナリスト、産経新聞論説委員、という肩書で話すことだろうか。

Q 櫻井が「そもそも植村氏はなぜ捏造記事を書いてしまったのか」と阿比留に問いかけると、阿比留は「本人のみぞ知る、ということを前提に話しますと…」「あくまで憶測ですが」と逃げを打った上で、「日本軍の罪を暴く記事を書けば朝日新聞の論調に合ってスクープの価値が上がり、社内で評価される――そんな安易な発想で捏造に手を染めてしまったのではないか。つまり、スター記者になりたかったのかもしれません」と言っている(p40、下段)

R もうひとつ指摘しておこう。阿比留は、2017年衆院選の時、日本記者クラブが主催した党首討論会での一件を持ち出している。「安倍前首相が朝日新聞に対して「(獣医学部新設の審査に一点の曇りもないと証言する)八田達夫・国家戦略特区諮問会議議員の報道はしていない」と指摘しました。すると朝日新聞の坪井ゆづる記者は「しています」と返答。安倍前首相が「本当に胸を張って報道しているということができますか?」と質しても、「できます」の一点張り。会場では呆れ交じりの笑いが漏れていました。」と語っている(p37、中段)。これも事実に反する。坪井記者は「社説余滴」というコラムで、安倍とのやりとりを詳しく書き、安倍のいいがかりともいえる発言を批判し、「首相こそ、胸を張れますか」と反論している(注2)。この一件、植村裁判には関係のないことだが、阿比留は自ら脱線して転覆している。

Q 的外れの批判もある。阿比留は金学順の名乗り出の取材のいきさつについて、「そもそも、植村氏は金氏に会って話を聞いたわけではありません。韓国の反日団体「韓国挺身隊問題対策協議会(挺対協)」にテープを聞かされ、それを記事にしたのです。この程度の取材で記事を書くとは、記者の常識に照らしても到底理解できません」(p34、上段)と言っている。

R これにも驚くしかない。植村にとって1991年8月の記事の主眼は、挺対協の聞き取り調査に元慰安婦が応じた事実を初報として報じることだったし、直接取材はできず、名前も伏せることが取材の条件だった。そのような制約の多い状況で、植村は証言テープをきちんと聞いて書いた。それまでに挺対協事務局サイドの取材も十分に行っていた。さらにその後、金学順に直接会い、続報として12月にインタビュー記事を出している。だから、「この程度の取材で」という批判は的外れもはなはだしい。

Q あまり知られていないことだが、阿比留はこれまでに2人の国会議員に名誉毀損で訴えられ、2回とも敗訴している。最初は辻元清美議員に対する名誉棄損(2011年、産経新聞紙面)、次は小西洋之議員への名誉毀損(2015年、フェイスブック)で、それぞれ賠償支払い(80万円、110万円)を命じる判決が確定している。どちらも、阿比留が書いたことは事実ではなく、そう信じた理由も認められず、本人への取材もなかった、と裁判所は認定している。

R それでも懲りずにいまも記者稼業を続けている。業界の常識に照らしても、勤務先の産経新聞がいまだに看板記者として遇していることが到底理解できない。

Q いっぽうの櫻井も、同じように植村と支援者を侮辱している。「裁判を傍聴した方なら植村氏の主張が支離滅裂だということが理解できるはずです。しかし、いまだに植村氏の支援者たちは「植村さんは絶対に正しい。櫻井なんかに負けるはずがない」と本気で信じているふしがある」と語っている(p35、下段)。支離滅裂とは、ひどすぎる。裁判で自分の記事の誤りを認めざるを得なくなったのは、櫻井のほうだ。昭和平成ギャグで言えば、「おまいう」だ(注3)

R 根拠も示さずに、過剰な表現で印象操作をする。これがジャーナリストを自称する人の発言だろうか。私は札幌地裁で13回、札幌高裁で3回の口頭弁論をすべて傍聴したが、植村の支離滅裂な主張を耳にしたことは一度もない。櫻井が何と言おうと植村は捏造をしていないし、裁判所も「植村が捏造記事を書いた」とは一度も認定していない。疑う余地はいまでもまったくない。植村の主張は一貫している。植村の主張のどこが支離滅裂なのか、根拠を示して具体的に説明すべきだ。

Q 櫻井は、植村が裁判に訴えたことについても、難クセをつけている。「植村氏は週刊金曜日の社長を務めています。せっかく自分のメディアを持っているのなら、言論で勝負を挑んでいただきたかった。議論を重ねて真実を追求することは私たち言論人の特権であると同時に、社会への責任です。言論人が司法に正義を決めてもらうのは情けない」(p36、上段)「植村氏側が札幌を希望した理由の一つに、植村氏はそれほど豊かでないから旅費を賄うのが大変だ、というのもあった、と私は聞かされました。しかし、植村氏は東京や韓国を飛び回って講演や集会を開いています」(p38、中段)

R 法廷ではなく言論の場で、というのは櫻井の口グセだ。植村が東京だけでなく札幌でも提訴したのは、脅迫や抗議などのバッシングが集中したのは札幌だったからで、提訴を後押ししたのは支援に立ち上がっていた札幌の多くの市民と弁護士たちだった。法廷闘争は邪道だと櫻井は言うが、植村が受けた物心両面の深刻な被害に目をつぶる、無責任で冷たい言い草だ。植村が週刊金曜日の社長になったのは、裁判の途中の2018年秋であり、櫻井の指摘は順序が逆だ。週刊金曜日は植村バッシングと植村裁判をずっと報じ続けている。その報道姿勢は植村が社長になる前から変わっていない。そもそも週刊金曜日は植村の私有物ではなく、リベラルなメディアとして社会にとっても貴重な公器だ。

■自分の誤りをひた隠す櫻井

Q この裁判では、櫻井の取材内容や取材態度も大きな争点になり、その結果、櫻井の取材の杜撰さが明々白々になっている。ところが櫻井は、「植村氏の記事を批判するにあたって、本人に直接取材する必要はありません。署名入りの記事を書き、もしくは実名で論評する以上、それが世に出た時点でいかなる評価も批判も一身に受ける――それが言論人の覚悟というものです」と開き直っている(p38、上段)。たしかに、表現がまともな論評の範囲内であれば、本人の直接取材は必ずしも必要ではないだろう。しかし、「捏造」という究極の表現で決めつけるには、本人に会って、あるいは電話やメールで「捏造」の意図があったかどうかについての言い分を聞き、疑問をぶつけて確認をする、という作業が絶対に必要だ。

R 櫻井は、取材執筆の基本のキ、イロハのイをけろっと否定している。裁判所が櫻井の「相当な理由」を認めて免責したので、強気に転じたのだろう。「真実相当性」という免罪符さえあればこわいものはない、と言わんばかりだ。この対談の発言ぶりにはそんな姿勢が感じられる。植村は一審判決後に、こんな安直な取材が許される風潮が広まりかねない、恐ろしい、と言っていたが、その通りだ。

Q 裁判では櫻井のウソも暴かれた。櫻井は、金学順が日本政府を訴えた裁判の訴状に「書かれていないこと」をひとつの論拠として、植村記事を捏造と決めつけていた。金学順が「14歳で継父に40円で売られた」というくだりだ。札幌地裁の第1回口頭弁論で、植村は櫻井の記述の誤りを指摘し、訂正を求めた。結果、櫻井は誤りを認め、件の月刊WiLLと産経新聞紙上で訂正記事を出している。

R この対談記事では、そのことはひとことも語られていない。また、福島瑞穂議員が語っていない発言を櫻井がでっち上げたという有名なウソ事件も、この裁判の尋問で明かされたが、同じようにノータッチだ(注4)

Q その一方で、櫻井と阿比留は植村裁判とは何の関係もないことを繰り返し持ち出している。「黒幕の正体」という小見出しの後に、吉見義明・元中央大教授と高木健一弁護士のことが語られていたり、「朝日新聞と国益」の後には、朝日新聞記者だった北畠清泰、松井やよりのことを長々と話題にしている。ネタ元は元朝日記者がワック社から出した「崩壊 朝日新聞」という本だという。

R 北畠、松井は故人であり、発言の真偽や真意を本人に確認することができない。それなのに人格や名誉にかかわることを一方的な引用だけで紹介するのはアンフェア、無責任にすぎる。

Q 阿比留は、対談の最後に「ついに真実(ファクト)が捏造(フェイク)に勝利した。今回の判決は、大きな反撃の一歩となるでしょう」と言っている(p43、下段)。アンフェアで無責任な対談のしめくくりに相応しい迷言だ。

構成・文責=北風三太郎(フリーライター)  顔写真=記事p32、p33より転写

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注1 このネット番組の対談についての櫻井コメントと対談内容

https://www.genron.tv/ch/sRkurR-live/Rrchives/live?id=767

≪櫻井よしこの対談後記≫ 今夜の言論テレビは私の足かけ6年にわたる裁判のお話です。2015年2月に朝日新聞の元記者、植村隆さんに名誉棄損で訴えられました。植村氏の書いた慰安婦報道は捏造であると私が報じたことに対する損害賠償請求でした。植村氏は慰安婦の「金学順」さんが強制連行されたわけではなく、女子挺身隊とは無関係だったと知っていながら、記事では女子挺身隊の名で連行されたと書いたことが法廷の尋問で明らかになりました。金学順さんを強制連行された女性というふうに事実と異なる書き方をしたのですから、これは捏造です。裁判所は地裁も高裁も最高裁もすべてこの点を認めて、裁判は私の完全勝利に終わりました。私の主任代理人の林いづみ弁護士、私と同じように植村氏に訴えられている西岡力氏、ジャーナリストの門田隆将氏らと6年間の裁判を論じました。その議論は自ずと朝日新聞の責任にも及びました。朝日は本当に酷い新聞です。皆それぞれの思いが強いために熱い議論になりました。
≪対談で話された論点≫ 1.林主任弁護士による裁判全体総括 2.初公開!植村法廷陳述調書のやり取り 3.なぜテープを聞いただけで記事を書いたか 4.本当に悪いのは植村上司の北畠清泰記者 5.週刊金曜日は取材もせずに記事を書くのか 6.朝日新聞は目的のために記事を捏造する 7.朝日では“角度”をつけないと記事でない 8.裁判は左翼政治運動の道具 9.慰安婦問題の真実を世界に広げる10.櫻井よしこの「闘争宣言」

注2 坪井記者の「社説余滴」 https://digital.asahi.com/articles/DA3S13188475.html

注3 「おまいう」は「お前が言うか」の意。同意のギャグとして「そんなバナナ」(そんなバカな、の訛り)、「冗談はよしこさん」(冗談はよして、の意)がある。

注4 櫻井のウソ 1996年に横浜市教育委員会が主催した講演会で、櫻井は慰安婦問題について、「福島瑞穂弁護士に、慰安婦問題は、秦郁彦さんの本を読んでもっと勉強しなさいと言った。福島さんは考えとくわ、と言った」と語った。しかし実際にはこのような会話はなく、事実無根の大ウソだったことが後に判明した。櫻井は福島氏に電話で謝罪し、福島は雑誌でその経緯を明らかにした。札幌訴訟の本人尋問(第11回口頭弁論、2018年3月23日)で植村弁護団は、「なかったことを講演で話した。この会話は事実ではないですね」と質した。櫻井は「福島さんには2、3回謝罪しました。反省しています」と、あらためて事実を認めた。

 

2020年2月10日月曜日

櫻井免責のトリック


櫻井コラムを「事実摘示」ではなく「論評」だと判断。金学順さんの証言を「脚色と誇張が介在する」と疑問視。日本軍の強制関与は「消極的事実」ではあるが三段論法で「核となる事実」ではないと断言。「単なる慰安婦」名乗り出報道は「価値が半減」とも断言! ――控訴審判決、櫻井免責の強引な理屈を検証する


札幌控訴審の今回の判決は、「強制連行」や「慰安婦」の定義を捻じ曲げているうえ、櫻井氏のずさんな「取材」を不問にするため強引な理屈で「真実相当性」を認めています。判決文には「慰安婦」にされた女性への蔑視をあらわにしたような表現もあって裁判官の人権感覚も疑われるほどです。以下、判決文に沿って検討します。

■櫻井コラムは「事実の摘示ではない」?
判決は、「義母の訴訟を支援する目的と言われても弁明できない」、「意図的な虚偽報道だと言われても仕方がない」と書いていた櫻井氏のコラムの記述を「事実と断定しているのではなく、論評である」と判断しています。(判決文p10~12)
しかし、こうした櫻井コラムの読者が、植村さんは「義母の訴訟を支援する目的」で「意図的な虚偽報道」をした、と思い込まされたからこそ「植村バッシング」は始まったのではないでしょうか。櫻井コラムの内容が「事実ではない」と読者が思っていたというなら、なぜ植村さんやその家族、北星学園大学に「殺す」「爆破する」という脅迫が殺到したのでしょうか。櫻井氏も単なる論評としてではなく「事実のつもり」で書いたからこそ「植村氏に教壇に立つ資格はない」とまで攻撃したのではないでしょうか。
櫻井氏の論拠は①ハンギョレ新聞記事 ②金学順さんの訴状 ③月刊『宝石』の臼杵敬子論文の3点でした。しかし①のハンギョレ新聞の元記者と③の臼杵敬子さんはともに「慰安婦の被害を伝えようとしたのに、櫻井氏は内容を曲解して逆に使われた」と陳述書で批判しています。②の金学順さんの訴状には、そもそも櫻井氏が書いたような記述がなかったことが訴訟で明らかになって訂正に追い込まれています(産経新聞と雑誌WiLL)。
判決はこうした経緯にいっさい触れることなく、櫻井氏が書いた内容が真実ではなくても真実と信じたことに相当の事情があったという「真実相当性」を認めています(p13~18)。

慰安婦被害は「脚色・誇張」?
判決は金学順さんの供述について、こう総括しています。
「植村は、金学順氏が日本軍人により強制的に慰安婦にされたと読み取るのが自然であると主張する。しかし、上記の各資料は、金学順氏の述べる出来事が一致しておらず、脚色・誇張が介在している事が疑われる(p14)

1991年8月に韓国で初めて「慰安婦」として名乗り出た金学順さんは、殺到する取材陣に翻弄されながら半世紀以上も前の辛い体験を思い起こしていたのです。記憶違いもあれば、言いよどんだ部分もあるでしょう。ようやく口を開いた被害者の語りに対して、この裁判官はまず「脚色・誇張が介在している」と疑っているのです。「名乗り出た性犯罪の被害者へのセカンドレイプ」は、最近も伊藤詩織さん事件などで問題になっています。これが2020年の日本の裁判所の人権感覚なのでしょうか。

「日本軍人の強制」は「消極的事実」?
 判決は、金学順さんが「慰安婦」にされた経緯について以下のように認定しています。

「検番の義父あるいは養父に連れられ、真の事情を説明されないまま、平壌から中国又は満州の日本軍人あるいは中国人のところへ行き、着いたときには日本軍人の慰安婦にならざるを得ない立場に立たされていた
日本軍人による強制の要素は、金学順氏を慰安婦にしようとしていた義父あるいは養父から金学順氏を奪ったという点にとどまっている。」
「日本軍が金学順氏をその居住地から連行して慰安婦にしたという意味で、日本軍が強制的に金学順氏を慰安婦にしたのではなく、金学順氏を慰安婦にすることにより日本軍人から金銭を得ようとした検番の継父にだまされて慰安婦になったと読み取ることが可能である」(p14) 
だから、櫻井氏が「上記の通り信じたことについては、相当性が認められる」としているのです。

金学順さんが一貫して述べていたのは、「私は日本軍に武力で奪われた」という点です。養父あるは義父に連れられて中国に行ったにしても、「慰安婦にならざるを得なくなった」のは「日本軍人に武力で奪われた」からなのです。そうでなければ金学順さんは名乗り出ることもなかったし、日本政府を相手取って訴訟を起こすはずもなかったでしょう。

驚いたことに、判決は「日本軍人が金学順さんを奪った」と認めています
この点は櫻井氏が決して認めてこなかった点です。
「日本軍人が金学順さんを武力で奪った」という事実は、①のハンギョレ新聞、②の訴状、③の臼杵論文とも明記されています。しかし、櫻井氏は「慰安婦は人身売買の犠牲者」と繰り返すだけで「日本軍人が金学順さんを奪った」という点は認めてこなかったのです。①②③を論拠にしながら、「日本軍の関与」に関する記述はいっさい無視していたのが櫻井氏だったのです。

「日本軍人が金学順さんを奪った」と認定するならば、金学順さんが語っていた通りに記事を書いた植村さんの訴えが認められるはずです。それなのに、どうして結論が逆になっているのでしょうか? 
金学順さんが「日本軍人に奪われた」という事実と「日本軍人に強制的に慰安婦にさせられた」こととを切り離すため、判決は奇妙な三段論法を持ち出します。

①「義父あるいは養父」は金学順さんを最初から慰安婦にするつもりだった
②だから、金学順さんは中国に着いた時点で「慰安婦にならざるを得ない立場だった」
③だから、日本軍人が金学順さんを奪っても「消極的事実」であって「核となる事実」ではない。

つまり、どのみち「慰安婦」にされる立場の女性だったのだから「日本軍人に奪われた」ことは記事の中核にすべき価値はない、という見解です。義父または養父が「最初から金学順さんを慰安婦にするつもりだった」のだから、日本軍が軍刀で脅して連行しようが、密室にカギをかけて監禁してレイプしようが、それは「核となる事実」ではない、と判決は断言しているのです。

この三段論法には、安倍政権が進めてきた「慰安婦は強制連行ではない」という歴史の書き換え、櫻井氏や西岡力氏の「慰安婦=人身売買の被害者説」のトリックが凝縮されています。
まず、「強制連行」の定義を、安倍首相の国会答弁にならって「その居住地から連行して慰安婦にすること」と非常に狭く限定します。そして、日本軍が金学順さんを「奪って」いることは認めても、先に強引に狭く限定した定義をひいて「日本軍による強制連行ではない」と決めつけているのです。
「消極的」と言おうが、「居住地」であろうが戦地であろうが、泣き叫ぶ少女を無理やり「奪って」、軍のトラックに載せて監禁してレイプしていたのは日本軍人だった、と判決は認定していることになります。これは普通の言葉で「強制連行」であり、普通の裁判では「監禁罪」や「レイプ」という犯罪ではないでしょうか。

養父が「最初から慰安婦にしようとしていた」という点も、それを裏付ける記事も資料も存在していないのです。櫻井氏もそうした証拠を提出していません。金学順さんに歌や踊りなどの芸妓(キーセン)としての教育を受けさせたことは確かです。しかし、「慰安婦にしようとしていた」と断定する根拠はどこにあるのでしょうか。当時の芸妓(キーセン)は誇り高い花形職業だった、と金学順さんは繰り返しています。この判決は「芸妓(キーセン)=売春婦」という間違った思い込み、偏見に基づいているのです。 

■「単なる慰安婦」は報道価値が半減?
「慰安婦」問題の報道価値についても、判決は驚くべき判断を下しています。
植村記事に先立って朝日新聞が「吉田証言」を掲載していたことを指摘して、「その一人がやっと具体的に名乗り出たというのであれば日本の戦争責任に関わる報道として価値が高い反面、単なる慰安婦が名乗り出たにすぎないというのであれば、報道価値が半減する」と断言します。

「単なる慰安婦」とは、どういう人を指すのでしょうか? 「日本の戦争責任と関わる報道」でない「単なる慰安婦」報道とは、どんな記事でしょうか? 日本人であれ、韓国人であれ、オランダ人であれ、慰安婦とは、軍隊によって組織的に監禁、監視されてレイプされ続けた被害者のことです。
判決は、「単なる慰安婦」と「女子挺身隊の名のもとに戦場に連行された慰安婦」との報道価値を区別して、植村記事がその報道価値を誇張するために「女子挺身隊の名のもとに」という前書きを使ったかのように書いています。
しかし、どんな呼び方であれ、どの国籍であれ、声を上げる被害者がいれば、それを記事にするのがジャーナリズムです。それを91年8月に実践したのが植村記事でした。
それとは対照的に、櫻井よしこ氏は、慰安婦の方の話を一人として聞かず、植村さん含めて当事者への取材を一切していないのです。それは「慰安婦」にされた人たちの実態を伝えることが「ジャーナリスト」櫻井氏の目的ではなかったからでしょう。日本政府や日本人が「被害者」であることを強調して戦争被害者に対する責任逃れを正当化するために、植村記事を「ねつ造」と言い張ってきたのです。その稚拙でずさんな手口が次々に明らかにされてきたのが植村訴訟の法廷です。

text by 水野孝昭(神田外語大教授、東京訴訟支援チーム、元朝日新聞記者)

2020年2月9日日曜日

判決書に蔑視記述!


判決書の中の「単なる慰安婦」という記述は、「悪意と蔑視のかたまり」だ。「人権の砦」である裁判所が、辛い体験の証言を「単なる」と認めている!

札幌控訴審判決はSNSでも波紋を広げています。
判決書の15ページ16行目に、「単なる慰安婦が名乗り出たにすぎないというのであれば、報道価値が半減する」と書かれています。「挺身隊」という語を用いた植村氏の記事は「強制連行」と結びつけたものだ、との櫻井氏の主張を検討する部分の記述で、直前には「日本の戦争責任に関わる報道として価値が高い反面」とあります。
「単なる慰安婦」とは、なんなのでしょうか。文脈からいって、「強制とは関係がない」ということを「単なる」というのでしょうか。職業や地位、身分を「単なる」と表現すること自体、ふつうの市民感覚ではあり得ません。単なる新聞記者、単なる裁判官、単なる歌手、単なる政治家など聞いたこともありません。「募ると募集はちがう」という答弁が国会でまかり通るほどに日本語は壊されていますが、これはアベ話法に負けず劣らず、酷いのではないか!

ツイッターで声を上げたのは、新聞労連委員長の南彰さんです。南さんは6日の札幌控訴審判決を法廷で傍聴し、報告集会でも支援の挨拶をしていました。
南さんは、判決記述の「単なる慰安婦」は「悪意と蔑視のかたまり」だと次のように批判しています。
▽まさか判決文で…。6日の高裁判決。《#単なる慰安婦が名乗り出たにすぎないというのであれば、報道価値が半減する》(冨田一彦裁判長、目代真理、宮崎純一郎両裁判官)。「人権の砦」である裁判所が、辛い体験の証言を「単なる」と認めているようでは、性被害者が救われるはずがない。
▽悪意のかたまり。蔑視のかたまりだと思います。判決文で勝負している3人の裁判官の合議で堂々と出しているわけですから。
▽植村裁判の一連の判決は、①慰安婦の証言を報じる側には重い責任を負わせ、②その証言報道を「捏造」などと貶める側の誤読・曲解・取材不足は大幅に免責する――という構図だ。このような司法判断を放置していたら、今後の性被害告発や#meetoo!報道にも影響が出てくるのではないだろうか。
以下に、タイムラインの一部をスクリーンショット(画面撮影)で紹介します。
※収録は9日午後3時

2020年2月8日土曜日

判決批判の道新社説

北海道新聞の社説(2月8日)が、櫻井氏よしこ氏を再び免責した札幌控訴審判決に疑問を投げかけています。
櫻井氏の杜撰な取材手法は控訴審の大きな争点でした。ところが判決は「本人への取材や確認を必ずしも必要としない」としました。この点について社説は、「気がかり」だといい、「捏造の有無においては、本人の認識が大切な要素だ」「取材の申し込みもしなかった記事が、取材を尽くしたといえるか疑問が残る」と批判しています。
全体に抑えた調子の社説ですが、ここではズバリと切り込んでいます。また、文末の結語では「可能な限り取材や調査を尽くすのが筋だ。とりわけ報道機関には高い意識が求められる。常に省察したい」とも述べています。「報道機関」を「ジャーナリスト櫻井よしこ氏」に置き換えて読めば、判決批判=櫻井批判であることがわかりますね。

慰安婦報道判決 取材尽くす責任は重い

■北海道新聞社説 2月8日、道新WEBより引用

従軍慰安婦報道を巡り、雑誌などの批判記事で名誉を傷つけられたとして、元朝日新聞記者が、出版社やジャーナリストに損害賠償などを求めた訴訟で、原告敗訴の判決が札幌高裁で言い渡された。
気がかりなのは、批判記事の内容をジャーナリストが真実であると信じた「相当性」について、「資料などから十分に推認できる場合は、本人への取材や確認を必ずしも必要としない」とした点だ。
記事は、内容によっては、書かれる人物の社会的評価を低下させる可能性があるものだ。
それゆえに、公共性や報じる目的としての公益性のほか、記事の内容の真実性または真実と信じるに足る相当の理由が求められる。
インターネットの普及で、誰もが手軽に情報を発信し、記事の提供や意見の表明を行うことが可能となった。その結果、人格権が侵害されるリスクも高まっている。
記事や情報の発信にあたっては、その内容を丁寧に調べ、取材や確認を尽くすという基本動作を改めて肝に銘じる機会としたい。
裁判は、元朝日新聞記者の植村隆氏が、真実を隠して捏造(ねつぞう)記事を報じたと断定されたとして、ジャーナリストの桜井よしこ氏と出版社3社に損害賠償と謝罪広告掲載などを求めて提訴した。
一審の札幌地裁判決は、社会的評価の低下を認め、批判記事の一部については真実性を認めなかったが、桜井氏が批判記事の内容を真実と信じるに足る相当性はあったとして植村氏の請求を退けた。
一審判断を支持した控訴審の判決で、注目したいのは真実相当性で重要となる取材の尽くし方だ。
札幌高裁は「推論の基礎となる資料が十分にあったため、本人への直接の取材が不可欠だったとはいえない」と判断。
 「桜井氏は(植村氏)本人に取材しておらず、植村氏が捏造したと信じたことに相当な理由があるとは認められない」とする植村氏側の主張を退けた。
捏造の有無においては、本人の認識が大切な要素だ。取材の申し込みもしなかった記事が、取材を尽くしたといえるか疑問が残る。
一方で、名誉侵害に対する責任を追及するあまり、言論の自由が損なわれることも望ましくない。
論評や批判は健全な言論空間を構成する上で重要だ。民主主義の根幹をなすものと言っていい。
そこには責任も伴う。可能な限り取材や調査を尽くすのが筋だ。とりわけ報道機関には高い意識が求められる。常に省察したい。



2020年2月7日金曜日

控訴審判決(抄録)


櫻井氏の責任を不問にする理由はほんとうにあるのだろうか? 免責の根拠となる「真実相当性」を札幌高裁はどう判断したのだろうか?  判決文をいくら読んでも、すっきりした答えは得られない。
札幌控訴審の判決文の[事実及び理由]の構成は次のようになっている。p数字は掲載ページ

第1 控訴の趣旨 p1
第2 事案の概要 p2~p9
第3 当裁判所の判断 p9~p19
1 まえがきと補正
2 控訴人植村の主張に対する判断
(1)事実の摘示、(2)真実相当性(p12-18)、(3)意見ないし論評の域、(4)事実の公共性、(5)目的の公益性、(6)その他、(7)まとめ
第4 結論 p19~20

このうち、最も大きな争点となった「真実相当性」についての裁判所の判断部分は、第3の2の(2)。項目としては最も長文ではあるが、控訴審での植村氏の追加主張や新たに提出した証拠への検討は一切加えておらず、一審判決の認定の再検討にとどまっていることがわかる。当該部分を原文のまま以下に収録する。


()被控訴人櫻井が摘示された事実又は意見ないし論評の前提とされた事実が真実であると信じたことについて相当の理由がないとの主張について

ア 控訴人植村は,被控訴人櫻井が,「控訴人植村が,金学順氏が継父によって人身売買され慰安婦にさせられた経緯を知りながら,敢えてこれを報じなかった」と信じたこと,「控訴人植村が,敢えて慰安婦とは何の関係もない女子挺身隊とを結び付け,金学順氏が女子挺身隊の名で日本軍によって戦場に強制連行され,日本軍人相手に売春行為を強いられた朝鮮人従 軍慰安婦であると報じた」と信じたこと,「控訴人植村が事実と異なる本件記事Aを敢えて執筆した」と信じたことについて,いずれも相当の理由は認められないと主張する。            

イ 被控訴人櫻井は,本件各論文を執筆するに当たり,資料として,平成3年8月15日付けハンギョレ新聞,平成3年訴訟の訴状及び臼杵論文を参照した(原判決第3の2(1)ケ(ウ))。そして、金学順氏が慰安婦になった経緯について,上記ハンギョレ新聞は,金学順氏の共同記者会見の内容として,「生活が苦しくなった母親によって14歳の時に平壌にあったキーセンの検番に売られていった。3年間の検番生活を終えた金さんが初めての就職だと思って,検番の義父に連れられていった所が(中略)華北のチョルベキジンの日本軍300名余りがいる小部隊の前だった。私を連れて行った義父も当時,日本軍人にカネももらえず武力で私をそのまま奪われたようでした。」と報じており(原判決第3の21)ウ(エ)),平成3年訴訟の訴状には,原告の一人である金学順氏について言及した部分として,「そこへ行けば金儲けができると説得され(中略)養父に連れられで中国へ渡った。(中略)「鉄壁鎮」へは夜着いた。小さな部落だった。養父とはそこで別れた。金学順らは中国人の家に将校に案内され,部屋に入れられ鍵を掛けられた。そのとき初めて「しまった」と思った。」との記載があり(同エ(ア)),臼杵論文には,「17歳のとき,養父は稼ぎに行くぞと,私の同僚のエミ子を連れて汽車に乗ったのです。着いたところは満州のどこかの駅でした。サーベルを下げた日本人将校二人と三人の部下が待っていて,・・・(後略)」との記載がある(同カ)。上記ハンギョレ新聞は,金学順氏か慰安婦であったとして名乗り出た直後に自身の体験を率直かつ具体的に述べ,これを報道したもの,平成3年訴訟の訴状は,訴訟代理人弁護士が金学順氏に対し事情聴取をして作成したもの,臼杵論文は,臼杵敬子が金学順氏に面談して作成したものと考えられ,それぞれ一定の信用性があるということができる。これらの記載の内容を総合考慮すると,被控訴人横井が,これらの資料から,金学順氏が女子挺身勤労令の規定する女子挺身隊として日本軍に強制連行されて慰安婦になったのではなく,金学順氏を慰安婦にすることにより,日本軍人から金銭を得ようとした検番の継父にだまされて慰安婦になったと信じたことについて相当な理由が認められる。
 この点について,控訴人植村は,上記の各資料からは,金学順氏が日本軍人により強制的に慰安婦にさせられたと読み取るのが自然であると主張する。しかし,上記の各資料は,金学順氏の述べる出来事が一致しておらず,脚色・誇張が介在していることが疑われるが,検番の義父あるいは養父に連れられ,真の事情を説明されないまま,平壌から中国又は満州の日本軍人あるいは中国人のところに行き,着いたときには,日本軍人の慰安婦にならざるを得ない立場に立たされていたという趣旨ではおおむね共通しており,上記ハンギョレ新聞・臼杵論文からうかがえる日本軍人による強制の要素は,金学順氏を慰安婦にしようとしていた義父あるいは養父から金学順氏を奪ったという点にとどまっている。そうであれば,核となる事実として,日本軍が金学順氏をその居住地から連行して慰安婦にしたという意味で,日本軍が強制的に金学順氏を慰安婦にしたのではなく、金学順氏を慰安婦にすることにより日本軍人から金銭を得ようとした検番の継父にだまされて慰安婦になったと読み取ること,すなわち,いわば日本軍の関与に関わる消極的事実を読み取ることが可能である。被控訴人櫻井が上記の各資料に基づき上記のとおり信じたことについては,相当性が認められるというべきである。

ウ 平成3年当時に「女子挺身隊」又は「挺身隊」の語は,慰安婦の意味で用いられる場合と,女子挺身勤労令の規定する女子挺身隊の意味で用いられる場合があったというべきであり,一義的に慰安婦の意味に用いられていたとは認められない。また,「女子挺身隊」又は「挺身隊」の語について,女子挺身勤労令の規定する女子挺身隊の意味で用いることが特別なことであったとも認められない。
 そして,本件記事Aが日本国内の読者に向けた報道であることに加え,本件記事Aが掲載された朝日新聞は,昭和57年以降,吉田を強制連行の指揮に当たった動員部長と紹介して朝鮮人女性を狩り出し,女子挺身隊の名で戦場に送り出したとの吉田の供述を繰り返し掲載していたし,他の報道機関も朝鮮人女性を女子挺身隊として強制的に徴用していたと報じていた。その一人がやっと具体的に名乗り出たというのであれば(それまでに具体的に確認できた者があったとは認められない[弁論の全趣旨]。),日本の戦争責任に関わる報道として価値が高い反面,単なる慰安婦が名乗り出たにすぎないというのであれば,報道価値が半減する。「体験をひた隠しにしてきた彼女らの重い口が,戦後半世紀近くたって,やつと開き始めた。」との記述等に照らすと,本件記事Aについて,一般読者の普通の注意と読み方を基準として解釈すれば,「女子挺身隊」として強制的に徴用された慰安婦が具体的に名乗り出たと読むことは相当である。
 そうすると,被控訴人櫻井が,本件記事Aにおける「女子挺身隊」の語を女子挺身勤労令の規定する女子挺身隊の意味に解し,女子挺身勤労令の規定する女子挺身隊の名や慰安婦にされたとは述べていなかった金学順氏について,控訴人植村が女子挺身勤労令の規定する女子挺身隊と慰安婦とを関連付けたと信じたことには相当性が認められるというべきである。
この点について,控訴人植村は,韓国では,「女子挺身隊」又は「挺身隊」の語は,慰安婦の意味で用いられることが一般であることや,日本国内でも慰安婦の意味で用いられていたことを理由に,本件記事Aが関係のない女子挺身隊と慰安婦とを結び付けるものではないと主張するが,上記判断を左右しない。

エ 本件記事Aにおける金学順氏の述べた内容は,控訴人植村がテープに録音された金学順氏の話を元に記載されたものである。本件記事Aには,「女性の話によると,中国東北部で生まれ,17歳の時,だまされて慰安婦にされた」との記載があり,この記載からすれば,控訴人植村が聞いた録音テープにおいて,金学順氏がだまされて慰安婦にされた旨を語っていたことが推認される。これに加えて,本件記事Aの数日後に行われた金学順氏の記者会見の内容を報じる平成3年8月15日付けハンギョレ新聞に「検番の義父」に連れられて日本軍の小部隊に行き,慰安婦にさせられた旨の記載があることからすれば,被控訴人櫻井が,金学順氏が検番の継父にだまされて慰安婦にさせられたと信じたこと,さらに,控訴人植村が金学順氏が話した内容と異なる内容(金学順氏が女子挺身隊の名で日本軍に連行されたとの内容)の本件記事Aを執筆したと信じたことについては相当性が認められる。
 控訴人植村は,本件記事Aには「検番の継父」との記載がないことから,被控訴人櫻井が,金学順氏が検番の継父にだまされて慰安婦にさせられたと信じたことには相当性が認められないと主張するが,上記ハンギョレ新聞の報道も併せて読めば,被控訴人櫻井が上記のとおり信じたことの相当性は左右されないというべきである。

オ 控訴人植村は,金学順氏が日本軍人による強制連行の被害を供述していたこと,平成3年当時,金学順氏が白本軍人によって強制連行された旨の報道が多数なされていたこと,被控訴人櫻井自身も平成4年当時,金学順氏が日本軍に強制連行されたとの認識を有し,その旨のコラムを掲載したり,テレビ番組で発言したりしていたとして,これらの事情を前提にすると,被控訴人櫻井は,金学順氏に聴き取りをするなどの取材をするべきであったと主張する。また,控訴人植村の主観的事情,すなわち,事実と異なることを知りながら記事を執筆したという点については,控訴人植村本人に取材すべきであったと主張する。
 しかし,金学順氏は,自ら体験した過去の事実(慰安婦となった経緯)について,櫻井論文執筆時点に比べ,より記憶が鮮明であったというべき過去の時点において,多数の供述を残している。すなわち,金学順氏は,平成3年8月14日の共同記者会見の当初から,検番の継父にだまされて連れて行かれた先で慰安婦にさせられた旨を繰り返し述べており,このことは,同月15日付けのハンギョレ新聞や平成3年訴訟の訴状からも明らかである。これらから,前記イのとおり,日本軍の関与に関わる消極的事実を読み取ることが可能である。これらの資料の閲読に加えて,更に平成3年当時の金学順氏が述べた慰安婦にさせられた経緯について,改めて取材や調査をすべきであったとはいえない。また,控訴人植村の主観的事情(記事執筆時点での認識)について,これまでに判示したところによれば、被控訴人櫻井は,本件記事Aについて,一般読者の普通の注意と読み方を基準として解釈(具体的には,本件記事Aの「女子挺身隊の名で連行された」との部分について,金学順氏が第二次世界大戦下における女子挺身勤労令で規定された「女子挺身隊」として戦場に強制的に動員されたと解釈)した上,多数の公刊物等の資料に基づき,合理的に推論できる事実関係(具体的には,金学順氏が挺対協の聞き取りにおける録音で「検番の継父」にだまされて慰安婦にさせられたと語っており,原告がその録音を聞いて金学順氏が慰安婦にさせられた経緯を知ったこと)に照らして,判断の上,櫻井論文に記載したということができる。前者(記事の趣旨)について,執筆者である控訴人植村本人に確認することを相当性の条件とすることは,記事が客観的な存在になっていることを考慮すると,相当ではない。一般読者の普通の注意と読み方を基準として解釈すれば十分というべきである。後者(記事執筆時点での事実認識)について,本件においては,推論の基礎となる資料が十分あると評価できるから、事実確認のため,控訴人植村本人への取材を経なければ,相当性が認められないとはいぇない。また,実際上,控訴人植村本人に対する取材について,被控訴人櫻井と同様に本件記事Aの問題点を指摘していた西岡に対し,控訴人植村が回答していなかったことからすれば,被控訴人櫻井において,別途取材の申込みをすべきであったとはいえない。
 したがって、この点に関する控訴人植村の主張は認められない。

2020年2月2日日曜日

裁判官に最後の訴え

すべて裁判官は、その良心に従ひ独立してその職権を行ひ、この憲法及び法律のみに拘束される(憲法第76条3項)


植村氏は控訴審の口頭弁論で毎回、意見陳述を行いました。その内容は、新たに提出した証拠や意見書の意味を説明し、さらに自身の受けた物心両面での損害の大きさを訴えた上で、櫻井氏の誤った言説と杜撰な取材に「真実相当性」を認めた一審判決を批判するものでした。その陳述は、正面の一段高い席に座って法廷を見下ろしている冨田一彦裁判長ら3人の裁判官に向けられた訴えでした。植村氏は毎回、陳述の締めくくりに同じように、こう言っています。「これまでの証拠や新しい証拠を検討していただき、歴史の検証に耐えうる公正な判決を出していただきたい」。裁判官はこの願いに真摯に答える責務を負っています。「すべて裁判官は、その良心に従ひ独立してその職権を行ひ、この憲法及び法律にのみ拘束される。」(憲法第76条3項)。この条文を心に刻みつつ、判決に向き合おうと思う。

※以下は、3回の意見陳述の中段から結語に至る部分の原文再録です。日付表記は2019年当時。「昨年」とある日付は「2018年」を指します(下線部)。

■第1回口頭弁論                                         
私は、1991年8月の記事で、慰安婦としての被害を訴えた金学順さんの思いを伝えただけです。櫻井さんには、言論の自由があります。しかし、私の記事を「捏造」と断罪するからには、確かな取材と確かな証拠集めが必要です。櫻井さんは、そのいずれも怠っています。朝日新聞や私への取材もありませんでした。そして、事実に基づかない形で、私を誹謗中傷していることが、札幌地裁の審理を通じて明らかになりました。

WiLL』2014年4月号の記事がその典型です。金さんの訴状に書いていない「継父によって40円で売られた」とか「継父によって・・・慰安婦にさせられた」という話で、あたかも金さんが人身売買で慰安婦にされたかのように書き、私に対し、「継父によって人身売買されたという重要な点を報じなかった」「真実を隠して捏造記事を報じた」として、「捏造」記者のレッテルを貼りました。「捏造」の根拠とした『月刊宝石』や『ハンギョレ新聞』の引用でも都合のいい部分だけを抜き出し、金さんが日本軍に強制連行されたという結論の部分は無視していました。
しかし、櫻井さんは、私の指摘を無視できず、札幌地裁の尋問で訴状の引用の間違いを認めました。そして、『WiLL』と産経新聞で訂正を出すまでに追い込まれました。

北海道新聞のソウル特派員だった喜多義憲さんは1991年、私の記事が出た4日後、私と同じように「挺身隊」という言葉を使って、私とほぼ同じ内容の記事を書きました。喜多さん自身が直接、金学順さんに取材した結果、私と同じような記事を書いた、ということは、私の記事が「捏造」ではない、という何よりの証拠ではないでしょうか。その喜多さんは、昨年2月に札幌地裁で証人として、出廷し、櫻井さんが私だけを「捏造」したと決め付けた言説について、「言い掛かり」との認識を示しました。そして、喜多さんは、こう証言しました。
「植村さんと僕はほとんど同じ時期に同じような記事を書いておりました。それで、片方は捏造したと言われ、私は捏造記者と非難する人から見れば不問に付されているような、そういう気持ちで、やっぱりそういう状況を見れば、違うよと言うのが人間であり、ジャーナリストであるという思いが強くいたしました」

記事を書いた当時、喜多さんは私と面識はありませんでした。しかも、喜多さんは私の記事を読んでもいなかったといいます。私はライバル紙の記者から、「無罪」の判決を受けたのです。ジャーナリズムの世界では、それは大きな「無罪」証明でした。

しかし、昨年11月の札幌地裁判決では、櫻井さんの間違いの訂正や、喜多さんの証言は、全く採用されず、私は敗訴しました。判決は、唯一の証人だった喜多さんの証言を全く無視していたのです。判決では櫻井さんの人身売買説を真実であるとは認定しませんでした。しかし、櫻井さんが、私の記事を「捏造」だと信じたことには、相当の理由があると判断し、櫻井さんを免責したのです。この理屈でいけば、裏づけ取材をしなくても「捏造」と思い込むだけで、「捏造」と断じることが許され、名誉毀損には問えないことになります。あまりに公正さを欠く、歴史に残る不当判決だと思います。
札幌高等裁判所におかれては、これまでの証拠や新しい証拠を検討していただき、歴史の検証に耐えうる公正な判決を出していただきたいと願っております。
(2019年4月25日)
                          
■第2回口頭弁論
私は札幌高裁の審理と判断に希望をつないでいます。証拠と事実に基づいて判断していただけるという裁判に対する信頼を失っていないからです。
札幌高裁には、櫻井よしこさんに関する新証拠を提出しました。『週刊時事』という雑誌の1992年7月18日号です。ここに、櫻井さんは日本軍慰安婦に関する文章を書いていました。前の年の1991年12月、金学順さんら3人の韓国人元慰安婦が日本政府に謝罪と補償を求めて東京地裁に提訴したことについて、取り上げていました。
 「東京地方裁判所には、元従軍慰安婦だったという韓国人女性らが、補償を求めて訴えを起こした。強制的に旧日本軍に徴用されたという彼女らの生々しい訴えは、人間としても同性としても、心からの同情なしには聞けないものだ」。

櫻井さんは金学順さんらについて「強制的に旧日本軍に徴用された」と書いていたのです。徴用とは国家権力による強制的な動員を意味します。まさに、強制連行のことです。櫻井さんは、雑誌が出た1992年当時は、金学順さんら3人の元慰安婦の主張を、「強制的に旧日本軍に徴用された」と認識していたのです。
櫻井さんは2014年以来、金学順さんについて「人身売買されて慰安婦になった。植村はそれを隠して強制連行と書いた」という趣旨の主張をし、1991年8月の私の記事を「捏造」だと繰り返し断定しましたが、実際は櫻井さん自身が、「強制連行」と同義の表現を使っていたのです。それも私の記事の出た約11カ月後、『週刊時事』に書いていたのです。自分自身が、強制連行と書いていたのに、それを隠して、私を攻撃するとは、ジャーナリストとして、あまりにアンフェアです。それは、公正な言論ではありません。これは新証拠として、札幌高等裁判所に提出すべきだと考えました。一審の裁判長が知らなかった事実なのです。

櫻井さんには、言論の自由があります。しかし、私の記事を「捏造」と断罪するからには、確かな取材と確かな証拠集めが必要です。今回、元毎日新聞記者の山田寿彦さんの陳述書を提出しました。山田さんは2000年11月の「旧石器発掘ねつ造」スクープの取材班のキャップでした。その陳述書では、はっきりとこう書いています。捏造が「故意」を含むことから、断定して書くには、捏造をした「蓋然性の高い客観的事実」の取材に加え、当事者の認識の確認が不可欠だったと。山田さんらは、石器を埋める自作自演の決定的な瞬間をビデオ撮影で押さえた後、「取材の常道」として、本人の言い分を聞く取材もしています。

櫻井さんは私の記事を「捏造」と断定する直接的な証拠を何一つ示せていないのに、私に一切取材せず、金学順さんら元慰安婦に誰一人会いもせず、韓国挺身隊問題対策協議会にも、私の義母にも取材していません。今回、意見書を提出した憲法学者の志田陽子先生は、「捏造」をしたかどうかの核心部分は本人への直接取材が求められると指摘し、それをしていない櫻井さんは「真実相当性」が証明できていないと断じています。
私は櫻井さんから「標的」にされたのだと思います。当時、「挺身隊」という言葉を使ったのは、私だけではありません。北海道新聞の喜多さんを始め、金学順さんについて報じた読売新聞や東亜日報など日韓の記者達も書いています。金学順さん自身が、挺身隊だと言い、強制的に連行されたことを語っているのです。当時の産経新聞や読売新聞も「強制連行」という表現を使っています。しかし、私だけが「標的」にされ、すさまじいバッシングに巻き込まれました。
私は捏造記者ではありません。

この「植村捏造バッシング」は、私だけをバッシングしているのではありません。歴史に向き合おう、真実を伝えようというジャーナリズムの原点をバッシングしているのではないかと考えています。真実を伝えた記者が、「標的」になるような時代を、一刻も早く終わらせて欲しい。私の被害を司法の場で救済していただきたいと思います。札幌高裁におかれては、これまでの証拠や新しい証拠を検討していただき、歴史の検証に耐えうる公正な判決を出していただきたいと願っております。
(2019年7月2日)

■第3回口頭弁論
櫻井さんが「植村捏造バッシング」を始めて5年が過ぎました。私は、法廷の中だけでなく、様々な言論活動で、「捏造記者」でないことを訴えてきました。『週刊金曜日』に呼ばれ、発行人になったのも、私が「捏造記者」ではないということが、一部の言論の世界では理解されている証拠だと思います。『週刊金曜日』に通うために首都圏に小さな部屋を構えました。しかし、表札に名前を書くことができません。怖くて、表札に名前を出せないのです。バッシングの激しい時期には、私の自宅の様子や電話番号などがインターネットにさらされました。当時、出張先の神戸の駅で、見知らぬ大きな男からいきなり、「植村隆か。売国奴」と言われて、震え上がったことがあります。いまだに殺害予告の恐怖は続いているのです。

私は、1991年8月の記事で、慰安婦としての被害を訴えた金学順さんの思いを伝えただけです。櫻井さんには、言論の自由があります。しかし、私の記事を「捏造」と断罪するからには、確かな取材と確かな証拠集めが必要です。櫻井さんは、そのいずれも怠っています。朝日新聞や私への取材もありませんでした。そして、事実に基づかない形で、私を誹謗中傷していることが、札幌地裁の審理を通じて明らかになりました。
WiLL』2014年4月号の記事がその典型です。金さんの訴状に書いていない「継父によって40円で売られた」とか「継父によって・・・慰安婦にさせられた」という話で、あたかも金さんが人身売買で慰安婦にされたかのように書き、私に対し、「継父によって人身売買されたという重要な点を報じなかった」「真実を隠して捏造記事を報じた」として、「捏造」記者のレッテルを貼りました。「捏造」の根拠とした『月刊宝石』や『ハンギョレ新聞』の引用でも都合のいい部分だけを抜き出し、金さんが日本軍に強制連行されたという結論の部分は無視していました。しかし、櫻井さんは、私の指摘を無視できず、札幌地裁の尋問で訴状の引用の間違いを認めました。そして、『WiLL』と産経新聞で訂正を出すまでに追い込まれました。
北海道新聞のソウル特派員だった喜多義憲さんは1991年、私の記事が出た4日後、私と同じように「挺身隊」という言葉を使って、私とほぼ同じ内容の記事を書きました。喜多さん自身が直接、金学順さんに取材した結果、私と同じような記事を書いた、ということは、私の記事が「捏造」ではない、という何よりの証拠ではないでしょうか。その喜多さんは、昨年2月に札幌地裁で証人として、出廷し、櫻井さんが私だけを「捏造」したと決め付けた言説について、「言い掛かり」との認識を示しました。そして、喜多さんは、こう証言しました。
「植村さんと僕はほとんど同じ時期に同じような記事を書いておりました。それで、片方は捏造したと言われ、私は捏造記者と非難する人から見れば不問に付されているような、そういう気持ちで、やっぱりそういう状況を見れば、違うよと言うのが人間であり、ジャーナリストであるという思いが強くいたしました」

記事を書いた当時、喜多さんは私と面識はありませんでした。しかも、喜多さんは私の記事を読んでもいなかったといいます。私はライバル紙の記者から、「無罪」の判決を受けたのです。ジャーナリズムの世界では、それは大きな「無罪」証明でした。

しかし、昨年11月の札幌地裁判決では、櫻井さんの間違いの訂正や、喜多さんの証言は、全く採用されず、私は敗訴しました。判決は、唯一の証人だった喜多さんの証言を全く無視していたのです。判決では櫻井さんの人身売買説を真実であるとは認定しませんでした。しかし、櫻井さんが、私の記事を「捏造」だと信じたことには、相当の理由があると判断し、櫻井さんを免責したのです。この理屈でいけば、裏づけ取材をしなくても「捏造」と思い込むだけで、「捏造」と断じることが許され、名誉毀損には問えないことになります。あまりに公正さを欠く、歴史に残る不当判決だと思います。
札幌高等裁判所におかれては、これまでの証拠や新しい証拠を検討していただき、歴史の検証に耐えうる公正な判決を出していただきたいと願っております。
(2019年10月10日)

2020年1月31日金曜日

櫻井逆転敗訴の過去

 札幌控訴審判決 ぎりぎり直前情報!      

■逆転勝利への確実な手がかり!
札幌訴訟の控訴審判決が近づいています。植村氏の逆転勝利は、あるのか。希望と不安が交錯する日々が続いています。しかし、私たちには、逆転勝利の確実な手がかりがあります。不確かな予断や無責任な予測は厳に戒めるべきですが、判決を目前にして、その手がかりを確認しておきたいと思います。

植村弁護団が控訴審の法廷で明らかにしたことを、裁判所がきちんと理解し認めれば、一審判決は覆らざるを得ないのです。逆に言うと、裁判所がきちんと理解せず、認めなければ、判決は覆りません。
一審判決が櫻井氏に「真実相当性」を認める根拠とした3点セット(ハンギョレ新聞記事、金学順さんの訴状、月刊「宝石」記事)については、誤った引用や重要な見落としがあることが明らかになっています。櫻井氏の取材にはきちんとした裏付けのないこともはっきりしました。櫻井氏が、植村氏や金学順さん、挺対協関係者など重要な当事者に取材申し込みすらしていないことは、一審段階で明らかになっています。それだけではありません。最近の名誉毀損訴訟では、十分な裏付けのない取材には「真実相当性」の高いハードルを課していること、櫻井氏の言説の変転をたどると矛盾やウソが目立つこと、そして新たに掘り起こして提出した証拠によって植村氏の記事の正確さが証明されたこと。
いずれも櫻井氏の「真実相当性」を否定し、これまでの植村弁護団の主張を担保し、逆転勝訴への強力な手がかり、材料となるものです。
ですから、裁判所が予断を持たずに、これらをきちんと検討すれば、櫻井氏の「真実相当性」が否定されることは、難しいことではない、と思えます。

■民事訴訟の逆転率は34%!
一般に控訴審での逆転は容易ではない、という見方はだれしも認めることです。しかし、最高裁のデータによれば、控訴審で原判決が破棄される割合は民事34%、刑事10%となっています(平成30年度司法統計=※注1)。意外にも、民事訴訟のほうがひっくり返ることが多いのです。
じっさいに櫻井氏もかつて控訴審で逆転敗訴を経験しています。「薬害エイズ」の報道をめぐって、安部英医師(当時帝京大副学長)に名誉棄損で訴えられた裁判で、2003年2月26日、東京高裁は地裁判決を取り消し、櫻井氏に400万円の慰謝料支払いを命じているのです。

この訴訟の経過を調べてみたところ、植村バッシングの構図とあまりにもよく似ていることに驚かされました(※注2)
櫻井氏は1994年から7年間、「薬害エイズ」事件を引き起こした最大の責任者は安部医師だと決めつけ、「医師の心を売り渡した」「命を蔑ろにした」などと人格攻撃を繰り返しました(※注3)。
安部医師は当時、血友病治療の第一人者であり、投与によるエイズ感染を防ぐ新薬の国内での治験を統括する立場にいました。櫻井氏の誹謗中傷の根拠は、「治験を調整した」という安倍医師の発言でした。櫻井氏はこのひとことを曲解し、安部医師は開発が遅れていた製薬メーカーの便宜を図り、製薬業界全体の治験スケジュールを遅らせたため、その間に従来薬を使わざるを得なかった血友病患者に約1500人のエイズ感染者が多発し、死者も出た、と攻撃をつづけました。「挺身隊の名で」と書いた植村氏の記事を捏造だと決めつけ誹謗中傷した論法と同じです。
櫻井氏を名誉毀損で訴えた訴訟は1996年に始まり、2005年に最高裁判決で終結しました。判決は二転三転しました。星取表記ふうになぞると、安部医師 ●→◎→●、櫻井氏  ◎→●→○、となります。◎は完勝、○は勝利、●は完敗です。

■櫻井氏の取材を完全否定した控訴審判決!
この裁判では「真実性」と「真実相当性」の判断が反対方向に揺れ、その結果、判決も激しくぶれたのでした。
ここで注目すべきは、控訴審の判決です。控訴審判決は、櫻井氏の取材経過を13項目にわたって綿密に検証し、結論として「真実性」と「真実相当性」を完全に否定しています。とくに、櫻井氏の取材のきっかけとなった著書(広河隆一氏ほか)や伝聞情報、他の裁判の準備書面、匿名情報提供者などの取材ソースについては、一刀両断で排除する姿勢を示しています。また、重要な取材対象に取材拒否をされたことについては、「十分な取材ができないために、事実関係の究明ができず、取材内容の真実性について幾ばくでも合理的な疑問が残るのであれば、それを前提とする記述にとどめるべきであるから、もとより取材の拒否が相当性判断を緩和させるなどの理由になるものではない」とも述べています。
この控訴審判決は、櫻井氏が上告により最高裁に持ち込まれ、2005年6月に「破棄」判決が出されました。ですから、控訴審の判断を過大に評価することは避けなければなりません。ただ、櫻井氏の取材結果の危うさを見抜いた裁判官がいたことは確かな事実です。櫻井氏の安倍医師バッシングは植村バッシングに酷似しています。ですから、同じような判決が出される可能性は決してないわけではない、と思えてきます。

■裁判官の心証に委ねられる現実?
この訴訟の判決文は、一審、二審、上告審のすべてをインターネットで閲読することができます。
判決文から裁判の経過と争点、真実相当性の成否、櫻井氏の取材への評価などをまとめた一覧対照表は、「植村裁判資料室」に収録してあります(※注4)。その中でも、<BOX4、「真実相当性」についての地裁と高裁の判断>は、必読の書類だと思います。裁判では180度正反対のどんでん返しが容易に起こり得ること、そしてそれは必ずしも明確な証拠によるものではなく、裁判官の裁量あるいは心証によるものである、ということが、重い衝撃とともに、伝わってきます。


※注1 民事訴訟データ→PDF 刑事データ訴訟→PDF
※注2 東京地裁判決→PDF 東京高裁判決→PDF 最高裁判決→PDF
※注3 安部医師の側に立って書かれた著作は少ないが、『「薬害エイズ」事件の真実――誤った責任追及の構図』(現代人文社、2008年刊)は、弁護団の弘中惇一郎、喜田村洋一氏ほかの執筆によるもので、とくに「治験調整」を中心に事件の経過を詳述し、安倍医師はむしろエイズ感染被害の拡大を防いだ功労者である、と論じている。同書には元ミドリ十字社員の岡本和夫氏の論稿も付録CDとして収録されている。岡本氏は櫻井氏の取材姿勢とジャーナリストの資質を疑問視し、安倍医師のインタビュー記事には意図的な改ざん、削除と巧妙な誘導があると批判している。
いっぽう、櫻井氏は精力的に出版している。この問題で最初に出した『エイズ犯罪 血友病患者の悲劇』(中央公論新社、1994年刊)は櫻井氏のデビュー作で、翌年の大宅壮一賞を受けた。ほかに、『薬害エイズ 終わらない悲劇』(ダイヤモンド社、99年刊)、『安部先生、患者の命を蔑ろにしましたね』(中央公論新社、同年刊)、『薬害エイズ「無罪判決」、どうしてですか?』(中央公論新社、2001年刊)がある。出世作も含めすべて絶版品切れだが、古書マーケットや図書館では手に入る。
※注4 植村裁判資料室→こちら


写真上段=櫻井氏の著作、下段=弘中弁護士らの著作




text by H.N 
この記事の文責は個人(H.N)にあります。支える会、弁護団の考えを代表するものではありません


2020年1月17日金曜日

植村さん最後の訴え


札幌控訴審の判決が近づいてきました。
植村さんは昨年10月10日、札幌高裁での結審にあたって、法廷で最後の訴えをしました。
その最終意見陳述から、この裁判の核心について述べている部分を以下に掲載します。

■櫻井さんを勝たせた札幌地裁判決は、間違っています。
櫻井さんが捏造の根拠として示した訴状、ハンギョレ新聞、月刊『宝石』の3点では、私の記事を「捏造」とか「捏造の疑い」とは絶対に書けません。
「捏造」は誤報と違い、間違いであると知りながら意図的にでっち上げることです。
「捏造」と断定するためには、私が間違いと知っていたかどうか、植村の認識が問われるのに、この訴状、ハンギョレ新聞、月刊『宝石』の3点セットには、私の認識を示す記述が一切ないからです。

■櫻井さんが、私の記事を「捏造」と断罪するからには、確かな取材と確かな証拠が必要でした。
しかし、櫻井さんは私の記事を「捏造」と断定する直接的な証拠を何一つ示せていません。
そのうえ、私に一切取材せず、金学順さんら元慰安婦に誰一人会いもせず、「韓国挺身隊問題対策協議会」にも、私の義母にも取材していません。
櫻井さんには「真実性」はおろか、「真実相当性がある」と言えるファクトが、ひとつもないのです。しかし、一審では「真実相当性」があるとして、櫻井さんを免責してしまいました。極めて異常な判断でした。

■この判決が高裁でも維持されれば、ファクトに基づいて伝えるジャーナリズムの根幹が崩れてしまいます。
ろくに取材もせずに、事実に反し「捏造」と決め付けることが自由にできるようになります。
第二、第三の「植村捏造バッシング」を生みかねない、悪しき判例になってしまいます。
その先にあるのは「報道の自由」が弾圧されるファシズムの時代ではないでしょうか。

■私は捏造記者ではありません。裁判所は人権を守る司法機関であると信じております。

  

※植村さんの最終意見陳述の全文はこの記事にあります こちら

2019年11月7日木曜日

韓国紙2記者の証言

 京郷新聞と東亜日報 

「女子挺身隊」と「慰安婦」とが混用されたことは事実ですし、むしろ自然なことだった(韓記者)

私も挺身隊という言葉は従軍慰安婦の意味だと思って使っていました(李記者)


植村氏の記事の「女子挺身隊の名で戦場に連行され」との記述を韓国紙の記者たちはどう受け止めているか。金学順さんの記者会見(1991年8月14日)を取材した記者、韓恵進さん(京郷新聞)と李英伊さん(東亜日報)は、弁護団の求めに応じて陳述書を提出した。

韓恵進さんが書いた記事の見出しは「挺身隊として連行された金学順ハルモニ 涙の暴露」だった。韓さんは陳述書で、金学順さんが何回も「挺身隊」と語っていたこと、妓生のことは金さんがすすんで話したのではなく質問に答えて話したこと、当時は「挺身隊」と「慰安婦」とが混用(混同して使用)されていたこと、などを明らかにしている。
韓さんは1984年から京郷新聞記者、98年に記者を辞め、外資系企業を経て、2015~17年、札幌の韓国総領事館で総領事を務めた。

李英伊さんは、記事で金学順さんの発言を「挺身隊慰安婦として苦痛を受けた」「挺身隊自体を認めない日本政府」などと書いた。陳述書で李さんは、カギカッコで括った発言は取材相手が言ったとおりに書くものだと、明言している。
李さんは1988年から2005年まで東亜日報記者をした。96年から1年間、慶応大に語学留学、2000~03年に東京特派員を務め、現在医師。 

韓さんの陳述書は東京、札幌両訴訟の控訴審に、李さんの陳述書は同一審に提出された。陳述書は2通とも日本語で書かれた。その全文を以下に紹介する。


■韓恵進さん元京郷新聞記者の陳述書

1 私は、1984年から98年まで韓国の京郷新聞で新聞記者をしておりました。新聞記者を辞めてからは、外資系企業に就職し、その後、政府で働くようになりました。2015年から2017年までは、駐札幌韓国総領事として北海道に赴任しました。したがいまして、日本語はそれなりに話したり書いたりすることができます。私は、今回の裁判で問題になっている植村隆さんの記事について、1991年当時は知りませんでした。私が知ったのは植村さんの裁判が始まった後です。

2 私は、199114日、ソウル市内で金学順さんが行った記者会見を京郷新聞記者として取材し、記事を書きましたので、そのときのことも含めて慰安婦問題について、以下のとおり、陳述いたします。一言ことわっておきたいのですが、この陳述書は元外交官としてではなくて、元ジャーナリストとしての経験や意見に基づいて陳述しいることをご理解頂きたいと思います。

3 まず、199114日、私が金学順さんを取材したときのことを述べたいと思います。後で述べるとおり、韓国では、当時、「女子挺身隊」や「挺身隊」という言葉が「従軍慰安婦」「慰安婦」と同じ意味で使われていましたので、金学順さんは記者会見で「私は挺身隊だったと言っていました。また、金学順さんは、会見で「挺身隊」という言葉を何回も使っていました。

4 また、私は、その記者会見の記事のなかで、金学さんが平壌妓生検番に通った話を書いています。この検番の話は金学順さんが自らすすんで話したわけではなく、記者の質問に答えたのだったと思います。妓生は売春婦ではありませんが、貧乏な家の人が多く、あまり他人に自慢する話ではないのに、勇気を持って正直に話してくれており、金学順さんの話は信頼できると思ったので、あえて書いたのだと思います。妓生の経歴と慰安婦にされたこととの間にはなんら関係がありません。

5 韓国において、慰安婦問題は、金学順さんが記者会見する以前にも、主婦向けの雑誌などで匿名の手記や海外からのルポルタージュとして取り上げられることが時々ありましたが、多くのメディアから本格的に注目されるようになったのは、やはり金学順さんが実名で記者会見をしてからだと思います。女性問題に対する関心がいまほど高くはなかったのです。

6 また、当時は、「女子挺身隊」や「挺身隊」という言葉と「従軍慰安婦」「慰安婦」という言葉が混用されていました。慰安婦問題とそ被害者を発掘していた市民団体の名前も「挺身隊問題対策協議会」でした。それに対して、勤労女子挺身隊の被害者の側から、そのような言葉の使い方は、自分たちが「慰安婦」だったと誤解されることになりかねないから呼び方を変えた方がよいとの声があがるなどしたこともあって、徐々に「慰安婦」という言葉が浸透していったと覚えています。

7 そして、最初は「従軍慰安婦」という呼び方が主流でしたが、従軍記者などとは違って、慰安婦の場合には自発的な参加ではなくて強制的に連行されたのだから、「従軍」の表現は不適切だという声が大きくなり、「日本軍慰安婦」という言葉が使われるようになりました。

8 さらに、慰安婦<comfort woman>と言う暖昧な表現よりは、「戦時の性奴隷」という表現の方が明確だと指摘されました。特にアメリカのヒラリークリントン国務長官が<sex slave>の言葉を公式的に使ったことによって、この性奴隷の表現が広く使われてきました。しかし、慰安婦の被害者の中には、性奴隷という表現に心的な負担を感じる方もいらっしゃるので、両方の言葉が状況によって混用されることになったと思います。

9 日本帝国主義による植民地統治から解放されて40年も経ってから、慰安婦問題は金学順さんの記者会見以降、社会に広く問題として捉えられるようになり、それから20年のうちに社会の認識が高くなり、さらに議論が活発になって、言葉遺いも「女子挺身隊」「従軍慰安婦」「日本軍慰安婦「戦時の性奴隷」の順序で定着されていったと思います。

10 以上のとおりですので、1991年当時、韓国と日本のジャーナリストの中で「女子挺身隊」と「慰安婦」とが混用されたことは事実ですし、むしろ自然なことだったと確信しています。

11 植村さんが書いた記事のリード部分にある「『女子挺身隊』の名で戦場に連行され、日本軍人相手に売春行為を強いられた『朝鮮人従軍慰安婦』」という表現が問題とされているそうですが、なんらおかしな表現ではないと思います。私が当時書いた京郷新聞の記事の見出しにも、「挺身隊として連行された金学順ハルモニ  涙の暴露」という同じ表現があります。
2019年9月15日 

■李英伊さん元東亜日報記者の陳述書

1 私は、現在医師をしていますが、1988年から2005年まで韓国の東亜日報で新聞記者をしていました。1996年から年間慶応大学に語学留学した後、2000年から2003年まで特派員として東京に住んでいましたので、日本語はだいたいわかります。199114日、元従軍慰安婦の金学順さんがソウル市内で初めて記者会見したとき、私はその会見場で金学順さんを実際に取材しましたので、そのときの様子をお話しします

2 私が書いた新聞記事(甲20) を読むと、まず行目に金学順さんが話したカギ括弧中の台詞として「挺身隊慰安婦として苦痛を受けた私がこうやってちゃんと生きているのに、日本は従軍慰安婦を連行した事実がないと言い、韓国政府は知らないなどとは話になりません」と書いています。また、終わりの方では、カギ括弧の中の台詞として「挺身隊自体を認めない日本を相手に告訴したい心境」「韓国政府が一日も早く挺身隊問題を明らかにして日本政府の公式謝罪と賠償を受けるべきだと書いでいます。

3 カギ括弧の中は、紙幅の関係から一部を省略することはあっても取材した相手が言ったとおりに書くものですから、取材対象者が言っていないとを書くことは基本的にはあり得ないことです。ですら、当時、金学順さんが記者会見で「挺身隊」という言葉を使ったのは間違いないことです。

4 当時の韓国では、挺身隊と慰安婦は同じ意味の言葉として使われていましたから、挺身隊と書かれた記事を読んだ場合に勤労挺身隊のことだと思う人は少なかったと思います。私も挺身隊という言葉は従軍慰安婦の意味だと思って使っていました

5 すでに述べたどおり、私の記事では、金学順さんの台詞として「挺身隊」 という言葉が回出てきますが、一番最初だけ「挺身隊慰安婦」という書き方をしています。これがどうしてなのか自分でもよく覚えていないのですが、ニつの可能性が考えられます。

6 の可能性は、デスクが書き直しだ可能性です。当時、私は生活部で女性問題を担当していましたが入社年目の若い記者でしたので、取材を終えて本社に戻ってから、この重要な記事の内容や書き方についてデスクや先輩記者3、4人と議論したことを覚えています。その議論のなかで、私が「挺身隊」とだけ書いていた文章を先輩のデスクが正確を期して「挺身隊慰安婦」と書き直した可能性があります。また挺身隊のくだりの後に従軍慰安婦という言葉が出てきますので、前後の文毒のつながりをよくするためにデスクが書き直したのかもしれません。

7 もうーつの可能性は、金学順さん自身が記者会見で実際に「挺身隊慰安婦」と話したので、私がその通りに書いた可能性です。

8 どちらにしろ、記者会見で金学順さんが使ったのは「挺身隊として苦痛を受けた私もしくは「挺身隊慰安婦として苦痛を受けた私という言い方であつて、「慰安婦として苦痛を受けた私という言い方ではありませんでした。

9 また金学さんは記者会見で、16歳になったばかりの私を強制に連れて行ったと語っていました。このときのKBSニュー久映像をYouTubeで見ましたが、私も映っでいます。顔は見えませんが赤い服を着て金学順さんの隣の席に座っているのが私です取材しながら涙がこぼれたことを覚えています。
2017年11月13日