2018年2月26日月曜日

池田恵理子さん講演

「慰安婦」問題はなぜ、タブーにされたのか
~メディアと教育への政治介入の果てに


池田恵理子■アクティブ・ミュージアム「女たちの戦争と平和資料館」wam館長
植村裁判札幌訴訟第10回口頭弁論後の報告集会(2月16日夜、札幌エルプラザ)で行われた講演の要旨を掲載します。
池田恵理子さんのプロフィルは、文末にあります。


私は仲間たちと2005年から、東京の西早稲田で「慰安婦」の証言と資料を集めた小さな資料館・wamを運営してきたが、このところ、「慰安婦」問題の解決が益々難しくなってきた…と感じている。「慰安婦」支援団体では毎月第3水曜日、新宿駅西口でアピール行動を行っているが、ビラを受け取ってくれる人は少なく、関心も薄い。「慰安婦」問題は2015年末の「日韓合意」でもう解決したと思っている人が多く、「あなたたち、朝鮮人?」などと反韓感情をぶつけてくる人もいる。ところが韓国の世論では「日韓合意」への批判は強まるばかりで、問題は一層ねじれてきた。
日本では右派によるバッシングで中学校の歴史教科書から「慰安婦」の記述が消えていき、学校で「慰安婦」問題を教えることが困難になっている。メディアは「慰安婦」問題をタブー視して自粛し、ネットには「慰安婦」否定の出鱈目なフェイク情報が溢れている。右派は、「慰安婦」問題は国内では勝利したので、主戦場は海外に移した…と息巻いているほどだ。
2年前、日本を含むアジア8カ国の民間団体が、「日本軍『慰安婦』の声」をユネスコの世界記憶遺産に登録申請したが、右派と日本政府による猛烈な妨害と圧力で保留になっている。日本での申請の中心にいるwamは、高橋史朗、櫻井よしこらに産経新聞や週刊新潮などで猛烈なバッシングを受け続け、「朝日赤報隊」を名乗る者から2度も爆破予告の脅迫状まで送りつけられた。
このように、今の日本は「記憶の暗殺者」たちによって、非常に危ういところに来てしまったのだ。ジャーナリストの故むのたけじさんは、「今の日本は、戦争に突入する前の日本とあまりに似ている」と言っていた。ファシズム政権は、報道と教育を抑えて国民をマインドコントロールする。ナチスドイツでも大日本帝国でも同様だった。今の日本にも、それが当てはまるように思えてならない。

政治家介入によるNHK番組改ざんーー放送史に残る重大な事件 
「慰安婦」報道がめっきり減ってきたのは、1990年代後半からだった。NHKのディレクターだった私は、「慰安婦」番組を95年、96年で7本作ったが、97年以降は1本も企画が通らなくなった。
1991年、韓国の金学順さんが「慰安婦」にされたと名乗り出た後、次々とアジア各国の被害女性が名乗り出てから、世界人権会議(ウイーン会議)、北京の世界女性会議、国連人権委員会などで、日本軍「慰安婦」制度は重大な戦時性暴力であり人権侵害で、戦争犯罪であるとされた。被害女性たちは、日本政府に謝罪と賠償を求めて民事裁判を起こした。しかし、これら10件の裁判では8件で事実認定はされたが、「条約や協定で解決済み」とか、時効、国家無答責などを理由に全て敗訴となった。
敗訴判決に意気消沈する被害女性たちを見て、加害国・日本の女たちは「慰安婦」制度を裁く「女性国際戦犯法廷」を提案した。被害事実を明らかにし、責任者を処罰する民衆法廷である。これは各国の被害女性や支援団体、世界の法律家たちとの共同作業で準備され、2000年12月に東京で開廷した。世界の新聞・テレビ95社約200人が取材に訪れ、昭和天皇を含む責任者有罪の判決を大きく報じたが、国内の報道は極めて消極的だった。NHKの「ETV2001」は、主催団体も各国起訴状や判決も出さず、日本軍兵士の証言はカット、被害女性の証言もわずかで、法廷を批判する右派の歴史家が登場し、コメンテーターの発言は乱暴な編集で支離滅裂…という異様な番組を放送した。主催団体と松井やより代表は、NHKに説明と謝罪を求めて提訴した。
この裁判が東京高裁で審理中の2005年、番組デスクだったNHK職員の内部告発で、放送直前に安倍晋三官房副長官(当時)らの介入で番組が改ざんされたことが暴かれた。高裁判決(07年)は、NHK側が政治家たちの意を忖度して編集したとして、200万円の賠償を命じた。最高裁では原告敗訴になったが、番組への政治介入がここまで仔細に明らかになることは滅多にない。放送史に残る重大な事件となった。
私はこれで合点がいった。1997年からの「慰安婦」報道の空白は、政治家による介入や圧力がNHK上層部にあったからだと推測できたのだ。ところが現在の日本では、露骨な政治介入やメディアへの圧力は、報道全般に見られるようになっている。自主規制や忖度は当たり前…という忌々しい状況である。

「空白の15年」の始まりーー1997年、右派が教科書攻撃開始
「慰安婦」報道が途絶えた1997年とは、どんな年だったのか。河野官房長官の談話(93年)、村山富市首相談話(95年)を経て、中学の歴史教科書の全て(7社)に「慰安婦」が記述された年だった。危機感を募らせた右派の政治家や文化人は、「慰安婦は戦場の売春婦」「強制連行の証拠はない」として法的責任を認めず、「新しい歴史教科書を作る会」「日本の前途と歴史教育を考える若手議員の会」(安倍晋三事務局長)を結成、教科書会社への猛攻撃を始めた。今の閣僚の大半が所属する右翼団体「日本会議」もこの年に結成された。
教科書会社の社員には、自宅や子どもが通う学校の写真を送りつけられて脅された。やがて教科書の「慰安婦」記述は3社に減り、2社になり、12年度版ではゼロになった。公立の資料館や博物館が「慰安婦」や南京大虐殺などを取り上げると右翼から攻撃を受け、展示の撤去や後退が増えていった。メディアへの規制も強まり、「慰安婦」はニュースでは取り上げても、ドキュメンタリーや調査報道は激減した。「慰安婦」報道の「空白の15年」が始まったのだ。
wamは開館当時から右翼の嫌がらせや脅迫を受けてきたが、当初は一部の“跳ね上がり”行為のようだった。ところが、産経新聞などのメディアを通して櫻井よしこらがwamを公然と批判するようになると、ターゲットとして集中的に攻撃を受けるようになった。

明白な歴史的事実すら確認しようとしない政府
では、それほどまでに彼らが「慰安婦」問題を否定したいのは何故なのか。
日本軍は占領したアジア全域に慰安所を設置したが、この報道は禁じられた。敗戦直前には、各部隊に慰安所関連文書の焼却が命じられた。「慰安婦」制度が戦争犯罪として裁かれる恐れがあったことと、日本軍には「恥ずかしい制度」だという意識があったからだろう。
安倍首相を筆頭とする現代の「慰安婦」否定派は、「慰安婦」は民間業者が連れ歩いたのだから、日本政府に法的責任はないと言う。彼らもまた、アジア太平洋戦争はアジア解放の聖戦であり、「皇軍」には相応しくないから否定したいのだと思われる。しかし、日本軍が慰安所を設置・管理していたという証拠や証言は多数、収集されている。私たちは2014年、慰安所への軍の関与や強制連行の証拠となる2000点以上の資料を集め、内閣府に提出した。内閣府からはその2年後、「処分する」と連絡があったので引き取ったが、政府は明白な歴史的事実すら確認しようとしない。

 あきらめてはいけないーー戦時性暴力根絶のために
「慰安婦」問題は初期の段階で被害女性に誠実に対応していたら、とっくに解決できた問題である。被害者が日本政府に求めたのは、加害事実の認定、公的な謝罪と賠償、そして次世代への継承だった。しかし日本政府は被害者に向き合うことなく、「慰安婦」問題を抹殺しようとするばかりだったため、この四半世紀の間に膨大な証言や資料が集められた。日本以外の国々ではこれらが常識になっているが、日本人だけが政府の妨害によって正確な情報を知らされないでいる。
去年11月、ソウルでユネスコ関係の会議があった時、元国連人権高等弁務官のナビ・ピレイさんに一人の日本人が質問をした。「いつまで経っても日本政府を変えることができず、絶望的な気持ちになる」。彼女はこう答えた。「諦めてはいけない。国家が自国の加害を認めるまでには時間がかかる。英国がケニアでの人権侵害を認めて謝罪・賠償するまでに60年、オーストラリアがアボリジニに謝罪するには200年かかった」。
今も世界の紛争地で戦時性暴力は多発している。過去の性奴隷制が戦争犯罪として罰せられなければ、戦時性暴力の根絶は不可能だ。「慰安婦」問題の解決には、日本の政治と社会を変えていかなければならないが、この闘いは時間がかかっても続けていくしかない。だから、植村隆さんの裁判は絶対に勝ってほしいし、勝たねばならないのだと思う。


いけだ・えりこ
1950年東京生まれ。早稲田大学政経学部卒業後、1973年よりNHKディレクターとして「おはようジャーナル」「ETV特集」「NHK特集」などで、女性、教育、人権、エイズ、などの番組を制作。「慰安婦」問題については1991年~96年に8本の番組を放送した。2010年に定年退職。現在はアクティブ・ミュージアム「女たちの戦争と平和資料館」(wam)館長。
「慰安婦」関連の市民活動として、1997年に女性映像集団・ビデオ塾を立ち上げ、「慰安婦」被害者や元日本兵の証言記録を撮り始める。「山西省・明らかにする会」の事務局メンバーとなり、中国の性暴力被害者の裁判支援と調査活動に参加。98年からVAWW-NETジャパンの運営委員として2000年の女性国際戦犯法廷の実行委員となる。2003年からアクティブ・ミュージアム「女たちの戦争と平和資料館」(wam)の建設委員長を経て、05年の開館から運営委員長、2010年9月からは現職。
最近の共著に『暴かれた真実 NHK番組改ざん事件』(2010年)、『日本軍「慰安婦」問題 すべての疑問に答えます。』(2013年)、『NHKが危ない!』(2014年)など。
ビデオ作品としては、『アジアの「慰安婦」証言シリーズ』、『沈黙の歴史をやぶって~女性国際戦犯法廷の記録』(2001)、『大娘たちの戦争は終わらない~中国・山西省・黄土の村の性暴力』(2004)、『私たちはあきらめない~女性国際戦犯法廷から10年』(2011)など。

2018年2月24日土曜日

朝日すべて勝訴確定


2月8日に東京高裁であった「朝日・ゲレンデール訴訟」の判決について、原告側が期限の22日までに上告しなかったため、原告の敗訴、朝日新聞社の勝訴が確定した。これで、朝日新聞の慰安婦報道をめぐって3つのグループが起こした集団訴訟(計4件)はすべて、原告敗訴、朝日勝訴で決着したことになる。
3訴訟の提訴日、原告人数、判決月と裁判長は次の通り。×敗訴、○勝訴、→◎確定
▼「朝日新聞を糺す国民会議」の訴訟(※注)
2015年1月26日提訴、2万5000人
2016年7月、東京地裁(脇博人裁判長)原告×、朝日○
2017年9月、東京高裁(村田渉裁判長)原告×、朝日○、→◎
▼「朝日新聞を正す会」の訴訟
2015年2月9日提訴、482人
2016年9月、東京地裁(北沢純一裁判長)原告×、朝日○
2017年3月、東京高裁(野山宏裁判長)原告×、朝日○
2017年10月、最高裁上告棄却 →◎
2017年11月、甲府地裁(峯敏之裁判長)原告×、朝日○、→◎
▼「朝日・グレンデール訴訟」
2015年2月18日提訴、2557人
2017年4月、東京地裁(佐久間健吉裁判長)原告×、朝日○
2018年2月、東京高裁(阿部潤裁判長)原告×、朝日○、→◎

※注=「朝日新聞を糺す国民会議」の原告弁護団長高池勝彦氏は、植村裁判札幌訴訟の被告櫻井よしこ氏の代理人弁護士をつとめている。
また、原告らが問題にした慰安婦報道には植村隆氏の記事も含まれるが、植村氏は被告ではなく、裁判にはかかわっていない。
集団訴訟についての解説と関連記事は「植村裁判資料室」に収録

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「朝日新聞の誤報のせいで…」は明確に退けられた
能川元一氏のコメント <2月24日14:08発信ツイッター> こちら
杉山新駐米大使がアメリカ各地でなにを言うのか、メディアはしっかりと監視すべき。もしまたしても「朝日新聞が…」と発言したら、「それ、裁判所で否定されたのでは?」と指摘しなければならない。これまでさんざん右派メディアが主張し、日本政府までのっかってきた「朝日新聞の誤報のせいで…」が裁判所から明確に退けられたのだから。一体どちらが「フェイクニュース」だったのか、司法の場で決着がついた。

2018年2月17日土曜日

速報!札幌証人尋問

道新元ソウル特派員が証言

「捏造」や「事実ねじ曲げ」は言いがかりに過ぎぬ

「櫻井、西岡両氏の責任は重大」と批判

札幌訴訟の第10回口頭弁論が2月16日午後、札幌地裁で開かれ、原告側証人の喜多義憲氏に対する尋問があった。

喜多氏は北海道新聞の元ソウル特派員で、植村氏が「元慰安婦名乗り出」の記事を書いた3日後に、元日本軍慰安婦金学順さんに単独インタビューして実名で報じた。
喜多氏は法廷に提出した陳述書で、自身の取材体験と慰安婦問題をめぐる当時の韓国の状況を詳しく説明し、植村氏の記事について「捏造した」とか「事実を故意にねじまげた」などと断じるのは、思想的バイアス(偏見)のかかった言いがかりに過ぎない、と被告側に疑問を投げかけた。また、櫻井よしこ氏の言動については、理不尽な糾弾をつづけた結果、ネット右翼らによって中世の魔女狩りのような攻撃が植村氏と家族に加えられた、その責任は重大だ、と批判した。

この陳述書について、植村弁護団、櫻井氏側弁護団の順で2時間にわたって尋問が行われた。
はじめに植村側から秀嶋ゆかり、伊藤絢子両弁護士による主尋問があった。陳述書に書かれている金学順さん取材の経緯と記事内容について、その趣旨を確認する質問が中心となった。宣誓を終えて証言台の前の椅子に座った喜多氏は終始、静かな口調で淡々と答えた。尋問は予定通り30分で終わった。
喜多氏は最後に質問に答える形で「植村さんと同じ時期に金学順さんのことを同じように書き、片や捏造といわれ、私は不問に付されている。こういう状況に、私はちがうよと言いたかった」「尋問が近づいて、つい最近、現場に戻って記憶を呼び起こそうと、韓国に行ってきたが、金学順さんが私に、ちゃんとほんとうのことを言うんだよ、と言っているような気がした」と語った。

続いて、櫻井氏側弁護団の反対尋問が、新潮社、ダイヤモンド社、ワック、櫻井氏の各代理人弁護士の順に行われた。
合計1時間半の反対尋問でもっとも時間がかかったのは新潮社だった。同社の代理人弁護士はこれまでの口頭弁論ではほとんど発言していなかったが、この日の尋問は延々50分にも及んだ。喜多氏の取材の経緯や様子、記事の微細な部分にこだわる質問が多かった。証言の信用性を揺るがせようという計算が見え隠れした。重要な人名の取り違えもあった。そのため、温厚な喜多氏が語気を強めて答えたり、弁護団から異議が飛び出たりする場面がたびたびあった。
また、ワックの代理人は、喜多氏とは関係のない「吉田清治証言」について質問をし、植村弁護団に質問を封じられていた。元日本軍慰安婦を侮蔑する差別表現もあった。「挺身隊」の意味やとらえ方が日本と韓国では違っていることについても、「日本では虎なのに韓国ではライオンという」などと珍妙な比喩を繰り返し、傍聴席の怒りと失笑を買っていた。結果、被告側弁護団のねらいとは逆に、喜多氏の新聞記者魂と植村弁護団の巧みな援護が際立つことになり、胸のすくような反対尋問となった。

証人尋問は札幌、東京両訴訟を通じて初めて。開廷前、傍聴希望者が長い列を作った。東京からかけつけた人の姿も目立った。地裁1階の待合室から外廊下にまで続いた列は110人。定員71に対して1・5倍の倍率となった。壮観だったのは原告側弁護団席。東京訴訟の弁護士6人を加え34人が4列にびっしりと並んで着席した。被告弁護団は7人。その主任格である高池勝彦弁護士は反対尋問で一度も発言しなかった。

開廷は午後1時32分、閉廷は同3時40分だった。
次回は3月23日に開かれ、植村隆、櫻井よしこ両氏の本人尋問が終日行われる。
裁判後の報告集会で植村弁護団の平澤卓人弁護士は、「きょうの尋問の重要な意味は、金学順さんが自分を挺身隊だと言っていたことを、喜多さんからはっきりと引き出せたことだ。櫻井氏らの「捏造」決めつけの根拠ははっきりと否定された」と語った。
集会ではこの後、植村隆さんのあいさつと池田恵理子さんの講演「「慰安婦」問題はなぜ、タブーにされたのか」があった。会場は、札幌エルプラザ4階大集会室、参加者は120人だった。

 尋問のやりとり詳報と、集会報告、講演要旨は後日掲載します

写真上左=この日の札幌地裁、上右=報告集会には120人が参加した
写真下左から=平澤卓人弁護士、池田恵理子さん、植村隆さん


















植村さんの尋問感想

金学順さんの勇気を伝えた記者の勇気ある証言

裁判報告集会で、植村隆さんは証人尋問の様子を報告し、次のように感想を語った。

喜多さんの証人尋問を、文字通り手に汗握って聞いていました。
「なぜあなたは裁判で証言しようと思ったのか」と聴かれた喜多さんは、こう答えました。
「ほとんど同じ時期に同じ記事を書き、植村さんはねつ造記者と言われている。そうではない、と言いたいためだ」
植村はねつ造記者ではない。その言葉が裁判長に伝わっていました。

この二つの記事のコピーを見て下さい。僕の記事は小さいコピーだけど、喜多さんの記事は大きい。今日の法廷で喜多さんは、自分の記事の方が価値が高いと述べましたが、その通りです。
私が取材した(1991年8月)10日、本人(金学順さん)はまだ名乗り出る気持ちはなく、私は会えなかった。でも韓国挺身隊問題協議会の共同代表、尹貞玉氏の調査結果と、テープの証言の内容が一致していた。これは意に反して連れていかれたということで書いたわけです。4日後に金学順さんは記者会見しましたが、喜多さんはその前に単独インタビューしました。それがコピーの大きさにつながっているのです。
photo by 南 真臣

一番大事なのは、名乗り出た金学順さんの勇気です。その証言を聞いて、たくさんの元慰安婦の人達が被害体験を話し始めた、そして慰安婦問題が始まっていくのです。当時韓国では、慰安婦だった被害者にもかかわらず、そのことをしゃべれなかった。喜多さんはそんな時に、金学順さんのカミングアウトを報じたのです。

喜多さんは今回の証言の前に韓国へ調査に行かれましたが、勇気をもってあの時名乗り出た金学順さんに「あんたもしゃべらなければだめだ」と言われた気がしたそうです。法廷での証言は本当に堂々としていました。
喜多さんの勇気ある証言を聞き、裁判所に向かう時に見上げた青空のような心境です。3月23日は、いよいよ本人尋問です。櫻井さんも来ます。私の証言をつぶそうと激しく来ると思います。ますます準備して負けないようにしたい。
今日はありがとうございます。闘いはこれからも続きます。お力をお貸しください。

2018年2月16日金曜日

本日!札幌証人尋問

札幌訴訟第10回口頭弁論はきょう16日(金)にあります。
今回は、植村裁判では初めての証人尋問が行われます。証言台に立つのは原告側証人の喜多義憲氏です。喜多氏は1987年から92年まで北海道新聞の特派員としてソウルに駐在しました。植村氏が「慰安婦」についての記事を書いた91年8月当時、植村氏と同じように慰安婦問題の取材にあたり、初めて名乗り出た元慰安婦の金学順さんに最初の単独インタビューをしました。
札幌訴訟で裁判所が申請を認めた本人以外の証人は、原告側の喜多氏だけです。
開廷は午後1時30分、閉廷は午後3時30分の予定です。
傍聴券の発行は抽選となり、混雑が予想されます。抽選は午後1時ですが、早めに来場してください。
■きょう、池田恵理子さん講演
裁判の後の報告集会は、午後6時30分からJR札幌駅北口のエルプラザ4階大集会室で開催します。弁護団と植村氏の報告の後、池田恵理子さんの講演「慰安婦問題はなぜタブーにされたか」があります。
池田さんは元NHKディレクター、現在は「女たちの戦争と平和資料館」館長です。池田さんは、昨年12月に発刊された論考集「『慰安婦』問題と未来の責任」の第10章「慰安婦問題を未来に引き継ぐーー国際女性戦犯法廷が提起したもの」を執筆し、過去の戦争の歴史の抹殺・偽造を許さず、記録と記憶を継承することの重要さを訴えています。講演内容と重なる部分がありますが、その論考の結語部分から一部を転載します。

▽国際的には、「慰安婦」制度は性奴隷制であり、女性への人権侵害で重大な戦争犯罪だという認識が定着しているが、日本政府はいまだにこれを認めず、被害者や国際社会からの批判を無視している。日本のメディアの多くは「慰安婦」問題をタブー視して取り上げないか、民族差別とナショナリズムを煽る政治問題にしてしまう傾向にある。比較的「慰安婦」報道に力を入れてきた『朝日新聞』は、2014年8月に過去の「慰安婦」報道での誤報を公表してから右派による猛烈なバッシングを受け、その後の論調には“ぶれ”が目立つようになった。
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▽このような状況の背景には、「慰安婦」報道の“空白の15年”がある。この15年間、「慰安婦」被害の実態を知る機会を奪われた日本人は、加害の当事国の国民でありながら、その多くが「慰安婦」問題をよく知らないのだ。性暴力の根絶をめざす国際社会と女性運動、人権運動とのギャップはいっそう深まっていく。
▽安倍首相は1993年に国会議員になって以来、先の大戦を「アジア解放の正しい戦争」とし、憲法改正をライフワークと公言して「普通に戦争ができる国づくり」に邁進してきた。2006年からの第2次安倍内閣では「『慰安婦』の強制の証拠はない」と主張。これには国際社会から批判の声が高まり、翌2007年には米国下院、カナダ、オランダ、欧州議会などが日本政府に「慰安婦」問題の早期解決を求める決議を採択した。しかし、2012年からの第2次安倍内閣でも同様の発言を繰り返し、なんとか「河野談話」を否定しようとした。
▽敗戦から70年以上たった日本は、特定秘密保護法、集団的自衛権の行使容認、沖縄・辺野古の新基地建設、原発再稼働、安保法制、そして共謀罪法の成立…といった、日本の民主主義、平和主義、立憲主義を危うくする政権に翻弄されている。
▽私たちは、「女性国際戦犯法廷」が到達した地点を再確認して日本の戦争責任・戦後責任に向き合い、日本政府への働き替えを強めるしかない。政府はただちに第3次「慰安婦」調査を開始して被害と加害の事実を認定し、被害女性が求める公式謝罪と賠償を実現させるべきである。そして次世代にこの記憶と記録を引き継ぎ、再発防止に努めなければならない。
▽日本政府も歴修正主義者たちも、被害女性の寿命が尽きてしまえば「慰安婦」問題は消えていくと考えているだろうが、そうはいかない。日本政府が真の解決に踏み出すまで、被害女性の子や孫の世代が彼女たちの痛みと思いを受け継いでいくのだ。これは、中国やフィリピン、台湾などの次世代の動きからも明らかである。
▽過去の戦争の歴史を抹殺・偽造することは、新たな戦争を始める第一歩だと言われている。私たちに課された課題は重く、大きい。しかし、日本に生まれた私たちは「慰安婦」問題の解決なしには、アジア諸国の人びとと信頼関係を結べない。「慰安婦」を否定し歴史を偽造しようとする“記憶の暗殺者たち”との闘いが、戦争へ向かおうとするファシズム政権との闘いになってきた今、アジア世界の人びととの連帯を力に、この政治状況を変えていくしかないのである。


2018年2月11日日曜日

二審も朝日勝訴判決

慰安婦報道をめぐって朝日新聞社が訴えを起こされた3つの集団訴訟のうち、東京高裁での審理が残されていたいわゆる「朝日・グレンデール訴訟」の控訴審判決が2月8日にあり、原告の控訴は棄却された。この結果、朝日新聞社に対する集団訴訟は、1、2審ともすべて原告敗訴、朝日新聞勝訴となった。3つの訴訟のうち2つは、すでに上告棄却もしくは上告断念により判決が確定している。
原告側は、いずれの訴訟でも、朝日新聞の慰安婦報道は「誤報」だとし、人格権や、知る権利、日本と日本人の名誉が傷つけられた、などと主張した。また、朝日新聞の報道が国際的に大きな影響を与えたかどうか、も争点となった。しかし、朝日新聞の記事が名誉棄損にはならず、海外での影響にも因果関係はない、と司法が繰り返し判断した。原告側の主張はことごとく否定された。
訴えを起こした団体・個人はみな、従軍慰安婦が存在した事実を否定しようとする「歴史修正主義」勢力と密接な関係を持っている。とくに「朝日新聞を糺す国民会議」弁護団の高池勝彦氏は、植村裁判では櫻井よしこ氏の弁護人をつとめている。これらの集団訴訟は植村裁判とは直接の関係はなく、植村氏の記事は争点にもなっていない。しかし、慰安婦報道を巡る名誉棄損訴訟であり、「歴史修正主義」人脈が背景に見え隠れしている点は共通している。ほぼ同じ時期に進められてきた植村裁判にとって、これらの司法判断は大きな意味を持つ。
※3つの訴訟の概要・経過は当ブログ「朝日新聞社への提訴」にもあります

朝日新聞2月9日付記事(解説を含む)を以下に引用します
<引用開始>
慰安婦報道巡る名誉毀訴訟
二審も本社勝訴判決 東京高裁
朝日新聞の慰安婦に関する報道で誤った事実が世界に広まり名誉を傷つけられたなどとして、国内外に住む62人が朝日新聞社に謝罪広告の掲載などを求めた訴訟の控訴審判決が8日、東京高裁であった。阿部潤裁判長は請求を棄却した一審・東京地裁判決を支持し、原告側の控訴を棄却した。
訴えの対象とされたのは、慰安婦強制連行したとする吉田清治氏の証言に関する記事など。米国グレンデール市近郊に住む原告らは「同市などに慰安婦像が設置され、嫌がらせを受けるなど、市民生活での損害を受けた」として、1人当たり100万円の損害賠償も求めていた。
高裁判決はまず、一審判決を踏襲し、「記事の対象は旧日本軍や政府で、原告らではない」として名誉毀損(きそん)の成立を否定した。
原告側は、記事により「日本人が20万人以上の朝鮮人女性を強制連行し、性奴隷として酷使したという風評」を米国の多くの人が信じたため、被害を受けたとも訴えていた。
高裁判決はこの点について、「記事が、この風聞を形成した主要な役割を果たしたと認めるには十分ではない」と指摘。さらに、「読者の受け止めは個人の考えや思想信条が大きく影響する」などと述べ、被害と記事の因果関係を否定した。
一審の原告は2557人だったが、このうち62人が控訴していた。朝日新聞の慰安婦報道を巡っては、他に二つのグループも訴訟を起こしていたが、いずれも請求を棄却する判決が確定している。
原告側は判決後に会見し、代理人弁護士は「大変残念だ。上告するか検討する」と話した。
<朝日新聞社広報部の話> 弊社の主張が全面的に認められたと考えています。

■国際的影響、「主な役割」否定
今回の裁判の争点の一つは、朝日新聞の慰安婦報道が国際的に影響を及ぼしたかどうかだった。「主要な役割を果たしたと認めるには十分ではない」と高裁判決は認定した。
朝日新聞社が委嘱した第三者委員会は2014年12月の報告書で「国際社会に対してあまり影響がなかった」「大きな影響を及ぼした証拠も決定的ではない」とする委員の意見を紹介。韓国への影響については見解が分かれ、「韓国の慰安婦問題批判を過激化させた」「韓国メディアに大きな影響を及ぼしたとはいえない」と両論を併記した。
16年2月の国連女子差別撤廃委員会で外務省の杉山晋輔外務審議官(当時)は、慰安婦を狩り出したと述べた吉田氏について「虚偽の事実を捏造(ねつぞう)して発表した」と説明。「朝日新聞により事実であるかのように大きく報道され、日本、韓国の世論のみならず国際社会にも大きな影響を与えた」と述べた。これに対し朝日新聞社は「根拠を示さない発言で、遺憾だ」と外務省に申し入れた。
今回の訴訟で原告側は、杉山氏の発言を証拠として提出。8日の東京高裁判決では「朝日報道が慰安婦問題に関する国際社会の認識に影響を与えたとする見解がある」とした昨年4月の東京地裁判決を引用しつつ、吉田氏の証言(吉田証言)について「国際世論にどう影響を及ぼしたかについては原告らと異なる見方がある」と述べた。
原告側はまた、慰安婦問題を報じた朝日新聞の記事が、1996年に国連人権委員会特別報告者クマラスワミ氏が提出した「クマラスワミ報告」に影響を与えたとも主張。この報告は慰安婦問題について、法的責任を認め被害者に補償するよう日本政府に勧告していた。
高裁判決は一審判決を踏まえ、「クマラスワミ報告は吉田証言を唯一の根拠としておらず、元慰安婦からの聞き取り調査をも根拠としている」と指摘。慰安婦問題をめぐり日本政府に謝罪を求めた07年の米下院決議についても、「説明資料に吉田氏の著書は用いられていない」とした。
さらに、朝日新聞の報道が韓国に影響したとの原告側の主張に対しては、高裁判決は「韓国では46年ごろから慰安婦についての報道がされていた」と認定した。

慰安婦問題を巡る本社報道の経緯
朝日新聞は2014年8月5、6日、慰安婦問題をめぐる自社報道の検証特集を掲載。「女性を狩り出した」などの吉田清治氏の証言(吉田証言)は「虚偽だった」として記事を取り消すなどした。「慰安婦」と「挺身(ていしん)隊」を混同した記事があったとも述べた。
朝日新聞社が委嘱した第三者委員会は14年12月の報告書で、吉田証言の報道について「研究者に疑問を提起された1992年以降も、取り扱いを減らす消極的対応に終始した」と指摘。朝日新聞社は「吉田証言記事などの誤りを長年放置したことを改めておわびします」と紙面で謝罪した。
その際、「原点に立ち戻り、慰安婦問題の証言や国内外の研究成果などを丹念に当たります」と約束したのを受け、朝日新聞は14年暮れから、慰安婦問題を考える一連の特集記事を掲載してきた。日本軍で慰安所が設けられた経緯を軍や警察の公文書で検証し、慰安婦碑・像の設置をめぐる米国の論争を特集。韓国で慰安と「挺身隊」が混同された経緯をたどり、韓国人元慰安婦の足跡を証言や資料で追った。植民地支配下の朝鮮半島での慰安婦の動員や、戦犯裁判における性暴力の扱いについても、裁判資料や研究者の解説をもとに詳しく紹介した。

■朝日新聞の慰安婦報道をめぐる訴訟に対する裁判所の判断

【原告】 《2015年1月提訴》一審は国会議員や大学教員ら2万5722人、二審56人
【原告側主張】 「朝日新聞の虚報記事で日本及び日本国民の国際的評価は低下、国民的人格権・名誉権は著しく毀損された」
東京地裁判決】 《原告の請求を棄却》「記事は旧日本軍や政府に対する報道や論評。原告に対する名誉毀損には当たらない」「報道機関に対して真実の報道を求める権利があるとか、報道機関が訂正義務を負うと解することはできない」
東京高裁判決】 《原告の控訴を棄却》「記事は旧日本軍や政府を批判する内容。原告の名誉を侵害したとはいえない」「知る権利を根拠に誤った報道の訂正を求める権利を有するとは解されない」《原告が上告せず確定》
【原告】 《15年2月提訴》東京地裁の一審は482人、二審238人、上告28人。甲府地裁でも16年8月、ほぼ同内容で150人が提訴
【原告側主張】 「吉田証言に疑義が生じていたのに、朝日は報道内容の正確性を検証する義務を怠り、読者や国民の『知る権利』を侵害した」
東京地裁判決】 《原告の請求を棄却》「新聞社の報道内容は、表現の自由の保障のもと、新聞社の自律的判断にゆだねられている」「一般国民の知る権利の侵害を理由にした損害賠償請求は、たやすく認められない」《甲府地裁も原告の請求を棄却、原告が控訴せず確定》
東京高裁判決】 《原告の控訴を棄却》「記事への疑義を検証し報道することは倫理規範となり得るが、これを怠ると違法行為というには無理がある」《原告は上告したが最高裁が退け、確定》
【原告】 《15年2月提訴》一審は在米日本人ら国内外の2557人、二審62人
【原告側主張】 「朝日の誤報や、訂正義務を尽くさないことで、誤った事実が世界に広まり、国連勧告や慰安婦碑・像として定着、多くの日本人が名誉を侵害された」
東京地裁判決】 《原告の請求を棄却》「記事の対象は旧日本軍や政府で、原告ら特定個人ではない。原告ら個々人の国際社会から受ける社会的評価が低下したとの評価は困難」「原告が受けた嫌がらせなどの被害を記事掲載の結果とは評価できない」
東京高裁判決】 《原告の控訴を棄却》「報道内容は当時の日本軍や政府に関するもの。原告の名誉が毀損されたとは認められない」「記事が(慰安婦)20万人・強制連行・性奴隷説の風聞形成に主要な役割を果たしたと認めるには十分ではない」「記事と在米原告らの被害との間の因果関係を認めることはできない」

<引用終わり>



2018年2月8日木曜日

東京11回集会報告

東京訴訟第11回口頭弁論後の報告集会は、1月31日午後4時30分から国会議事堂近くの参議院議員会館で開かれた。出席者は約100人。会場の101会議室には補助椅子も用意され、ほぼ満席となった。
はじめに弁護団報告が3人の弁護士によって行われた。穂積剛弁護士はこの日の弁論について、神原元弁護士は今後の日程と展開の見通しを、大賀浩一弁護士は札幌訴訟の経過と証人・本人尋問の予定について、それぞれ報告と解説をした。続いて、福島瑞穂参議院議員があいさつした。
メーンの講演は東京新聞の望月衣塑子記者が「記者への攻撃と報道の自由」と題して60分行った。望月氏は、検察取材のエピソードや最近の官邸取材にかかわる自身へのバッシングなどをリアルに語った。官邸会見の再現場面では女流講釈師ふうの口調になり、官房長官のセリフの声色も飛び出した。
集会の最後に植村氏が、近況とことしの抱負、決意を熱く語った。
大賀浩一、福島瑞穂、望月衣塑子、植村隆各氏の発言要旨は次の通り(発言順)

大賀浩一弁護士(札幌弁護団)
いよいよ天王山の証人・本人尋問へ
▽札幌訴訟は、移送問題でもめ、東京訴訟よりも1年遅れて始まったが、争点整理がハイペースで進んだため、東京訴訟より先に証人・本人尋問が行われることとなった。2月16日には喜多義憲さんという、植村さんの記事の直後に、北海道新聞で金学順さんの単独インタビュー記事を書いた元記者の証人尋問が行われ、3月23日には、植村さんと櫻井さんの本人尋問と、いよいよ天王山を迎える。通常の民事事件ならその場で結審することが多いが、本件ではその後に双方から最終準備書面を出して、2か月くらい後に結審となるだろう。裁判所は法廷が「夏休み」となる期間をはさんで判決文を書き、早ければ9月にも判決が出るのではないか、という見通しを持っている。
▽証人尋問の人選では、かなりの攻防があった。まず、昨年9月8日の弁論期日で、2月16日の尋問期日が事実上決まった。われわれ原告側は、喜多さんのほかに吉方べきさん(ソウル在住の言語学者)と北星学園大の田村信一学長を証人申請し、被告側は西岡力さんと秦郁彦さんを申請してきた。西岡さんの証人申請に当たっては、実に29ページもの陳述書を出してきた。ところが裁判所は、学者の主張は陳述書を読めばわかるから証人尋問の必要はない、という理由で却下し、田村さんの陳述書に対しては、被告側が反対尋問権を放棄するのなら証人尋問の必要はないということで、証人尋問は喜多さん1人だけとなった。被告側の証人申請は2人とも却下、つまり、櫻井さんは自分の書いたものが真実であるか、少なくとも真実と信じたことにつき相当の理由があるということを、自分で証明しなさい、ということだ。
▽これまでのところ、訴訟は順調に進んでいると思うが、かつて櫻井さんが薬害エイズ事件で安部英氏から名誉毀損で訴えられたとき、最終的には「真実相当性」で勝っているから、まだまだ予断は許されないと思う。

■福島瑞穂(社民党参議院議員)
歴史捏造を許さないみなさんとともに
裁判が札幌と東京で行われ、慰安婦バッシングや歴史捏造を許さない、とみなさんが駆けつけていることに敬意を表します。「否定と肯定」は予告編しか見ていないが、歴史にきちんと向き合うということが日本では必要だし、そのようなこと言った人や記者が叩かれる日本をかえていきたい。性暴力を告発した人が叩かれるという構図も同じだ。たたかっている人たちを応援して、真実は何かを共有したい。一緒にがんばりましょう。

■望月衣塑子(東京新聞記者)
植村裁判は、歴史修正主義に立ち向かう動きの象徴
▽きょうは裁判を傍聴した。弁護士の巧みな攻めのやりとりがあって裁判は楽勝かと思ったが、いまの報告で、裁判長は「捏造」を「論評だ」という判決を出したことがあると知った。これはあなどれない、と思った。西岡氏が確信犯的に「捏造」決めつけをしたこともわかった。安倍政権下、歴史修正主義の流れを受けると、西岡氏のような「論評」がまかり通るのかな、とも思う。しかし、植村さんは明るい。私も楽しそうですね、とよく言われる。おたがい、悲痛にやるんじゃないところは共通している。

<望月記者はこの後、首都圏支局と社会部、経済部で取材した事件のエピソードや教訓を語った。主な事件は、日歯連の政治献金事件、検事の暴力団組長との裏取引(さいたま地検熊谷支部)、陸山会事件、武器輸出問題、前川前文科次官へのバッシング報道、準強姦容疑記者をめぐる疑惑、記者クラブ制度の弊害、官房長官会見質問への圧力と脅迫など。最近の安倍政権によるメディア支配の現状については、「メディアの役割は権力を監視することだが、越えてはいけない一線を超えた新聞社があり、権力の道具になっている新聞社もある」と指摘した。詳細は略>

▽慰安婦は戦時性暴力だ、戦争のあるところに慰安婦があった。戦争をしないことが女性の人権を重視することにつながる。歴史をふりかえっても、カントの平和論やパリ不戦条約など、平和を追求するには軍備がないことが必要だといっている。ところがいま、改憲や加憲で交戦権否認や戦力不保持を無力化していこうという動きがある。日本のメディアは再び戦争を許すのだろうか。
▽憲法九条をマッカーサーに提唱したといわれる人物、幣原喜重郎さんの言葉をぜひ伝えたい。「正気の沙汰とは何か。武装宣言が正気の沙汰か。それこそ狂気の沙汰だという結論は考え抜いた結果出ている。世界はいま一人の狂人を必要としている。自ら買って出て狂人とならない限り世界は軍拡競争の蟻地獄から抜け出すことはできまい。これは素晴しい狂人である。世界史の扉を開く狂人である。その歴史的使命を日本が果たすのだ」と。戦争を知らない世代にどうやって伝えていけるか。これをメディアは問いかけ続けなければならない、と思う。
▽北星学園大バッシングを記録した「市民はかく闘った」を読んで、私は元気になった。市民や弁護士が結集して、バッシングと闘った。歴史修正主義の流れをくい止めようという流れが結集した。萎縮することなく、立ち向かっている、という動きを植村裁判は象徴していると思った。


■植村隆 
文春バッシングから4年。ことしは「一陽来復」を合言葉にしたい
▽日本のジャーナリズムについて重い気持ちになっていたが、望月さんの話を聞いて、希望が見えてきた。きょうは若い人も聞きに来ている。望月さんの後にどんどん続けば日本は変わっていく。望月さんを孤立させず、私は望月スピリットを学んで、がんばりたい。
▽4年前の1月30日、私を捏造記者と決めつけた週刊文春2014年2月6日号が出た日だ。「”慰安婦捏造”朝日新聞記者がお嬢様女子大教授に」という見出しでレッテル貼りをされた。バッシングの中心が西岡力さん、それに櫻井よしこさんが便乗して、植村は捏造記者だと言いふらした。当時私は、函館支局長だった。真冬の空の色はどんよりしていた。私の心も暗くどんよりして、これからどうなるのかという心境だった。
▽朝日新聞が検証記事で「植村の記事は捏造ではない」と書いた後、この2人は、「朝日よ、被害者ぶるのはおやめなさい」という対談で「社会の怒りを惹起しているのは朝日や植村氏の姿勢ではないでしょうか」と言い放った。これでますますバッシングが燃えさかり、北星学園あてに「娘を殺す」と手紙が来た。しかし、たくさんの人が応援してくれて、私はこの2人を訴え、裁判が始まった。
▽1990年代後半に始まった慰安婦問題のバックラッシュによって、慰安婦の記述は教科書からほとんど消えた。主導したのは、当時若手議員だった安倍首相らだ。ところが2016年、慰安婦の記述がある教科書を使っている灘中学校に抗議や問い合わせがあった。この教科書には河野談話が載っているが、一部要約だけで、軍や官憲による強制連行を示す資料はないとする政府見解も付け加えられている。その程度の記述なのに、攻撃が加えられる時代になった。同年秋には「朝日赤報隊」を名乗って、「女たちの戦争と平和資料館」に爆破を予告する脅迫状が送られた。歴史に向き合い反省する動きへの攻撃はやまない。記憶へのテロリズムだ、と私は思う。
▽お正月に早稲田界隈を歩いた時、穴八幡神社や隣のお寺の境内の大きな看板に「一陽来復」という文字があった。この言葉を私は、裁判がいよいよヤマ場にさしかかる今年の合言葉にしたい。冬が去り春が来る、そして悪いことが続いた後に物事がよい方向に向かう。力をお貸しください。 

2018年2月2日金曜日

東京第11回傍聴記

捏造だ、の決めつけには「真実性」も「相当性」もない
被告西岡氏は、植村氏を「捏造記者」と仕立てた確信犯だ!

東京訴訟の第11回口頭弁論が、1月31日午後3時30分から、東京地裁で開かれた。今回も傍聴券交付の抽選はなかったが、3時すぎから103号法廷前の廊下には傍聴者の長い列ができた。
定刻に開廷。弁護団は植村氏を囲むようにして中山武敏弁護団長ほか11人が着席、札幌弁護団の大賀浩一弁護士も後列に座った。被告側はいつものように、喜田村洋一弁護士と若い男性弁護士のふたりだけ。法廷正面には、原克也裁判長の左右に女性、男性裁判官が座り、前回と変わらない。定員が90人ほどの傍聴席はほぼ満席となった。

最初に提出書面の確認が行われた。提出されたのは植村弁護団の第10準備書面。穂積剛弁護士がすぐに立ち上がって、その要旨を読み上げた。穂積弁護士の陳述は第2回(2015年6月29日)以来、2年半ぶりだ。自信と信念にあふれた力強い弁論が法廷に響いた。
植村弁護団は第1回弁論以来、西岡氏の「捏造決めつけ」にはまったく根拠がないことを繰り返し主張してきたが、第10準備書面はその主張をあらためて整理し、西岡氏の「悪質性」追及の決定打となる内容だ。具体的には、西岡氏による「名誉棄損」表現のうち、「捏造」という字句を明記している部分16カ所について、
①西岡氏が「捏造だ」と決めつける根拠ななにか
②西岡氏のその根拠は正しいのかどうか
③西岡氏が「捏造だ」と信じる理由はあるのかどうか
を詳細に検討している(法廷と書面では①前提事実②真実性③相当性の検討、という)。

A4判で30枚を超える書面は、西岡氏を厳しく糾弾し、こう結論づけている。
「被告西岡が捏造だとする根拠はすべて真実ではなく、また誤信したというレベルでもない。被告西岡は確信犯として、植村氏を捏造記者に仕立てあげようとしたとしか思われない。本書面の検討によって、その悪質性が浮き彫りになったというべきである」
この書面が対象とした記事の掲載媒体は、❶草思社「増補新版よくわかる慰安婦問題」、❷インターネット(「いわゆる従軍慰安婦について歴史の真実から再考するサイト」、❸雑誌「正論」2014年10月号、❹雑誌「中央公論」2014年10月号、❺「週刊文春」2014年2月6日号、同8月14・21日号だ。
この日の弁論で穂積弁護士は、❸の「正論」の記述に絞って、次のように論述した。

西岡氏は、植村記者の記事について、2点捏造があるとしている。
まず第1点。「女子挺身隊の名で」という表現について、「本人が語っていない経歴を勝手に作って書いた。これこそが捏造だ」としている。西岡氏は、植村記者が取材した金学順さんのテープや記者会見で、「挺身隊の名で」とは述べていない、とも主張している。しかし、テープ(のその後の所在)は原告側も確認していない。西岡氏はどうやって確認したのか。金さんが「挺身隊」と言っていない、という証拠などもない。金さんの記者会見の記事では、韓国の東亜日報や中央日報も「挺身隊慰安婦」「私は挺身隊だった」と書いている。金さん自身が挺身隊と言っていたという可能性が高い。西岡氏は自著「よくわかる慰安婦問題」で、「韓国では挺身隊は慰安婦のことだと誤解されていた」とも書いている。金さんが自分のことを「挺身隊」と述べたとしてもおかしくない。それなのに、西岡氏はなぜ、金さんが「挺身隊」とは言わなかったということを断言できるのか。支離滅裂だ。
2点目。金さんは「そこに行けば金儲けができる、と言われた」とされている。西岡氏は植村記者のこの記事について「義父を登場させず、地区の仕事をしている人という正体不明の人を出してきた」と指摘し、「キーセンとして売られたという事実を隠した」と主張している。しかし金さんに聞き取りをした団体の記録によると、このとき金さんは「里長に勧められた」と語っている。また金さんの弁護団の記録では「区長に説得された」とある。植村記者は、金さんがこのように言及したことを表現したのにすぎない。西岡氏は、「地区の仕事をしている人」という表現は植村記者の「創作だ」と断定しているが、断定するからにはその根拠が求められる。ところが西岡氏は、根拠を示していない。周辺取材もない。西岡氏が「創作」と信じる相当の理由がない。
事実は、西岡氏が主張することと正反対なのであり、西岡氏は確信犯なのではないか。「捏造」とう指摘が妥当しないことを知っていて、「捏造記者」扱いしていたとしか思えない。
※この「弁論要旨」原文は別記事(下)に収録
※「第10準備書面」の全文PDFはこちら

穂積弁護士の熱弁は10分間にわたった。この間、正面の裁判官全員が書面に目を落としているのとは対照的に、被告側の喜田村弁護士はメモすらも取らずにじっと座っていたのが印象的だった。
このあと、今後の進行日程について意見が交わされ、植村氏側弁護団と裁判長の間でやりとりがあった。次回(第12回)期日は4月25日と決まったが、証人尋問も含めた次々回については、植村氏側は9月以降の開催を求めた。その理由として、「西岡氏が札幌訴訟の証人尋問に関して提出した書面についても法廷できちんと議論すべきだ」と主張した。これに対して、裁判長は7月開催を提案し、被告側も同調したが、結論は出なかった。閉廷は午後3時48分だった。

口頭弁論終了後、報告集会が国会そばの参議院議員会館で午後4時半から開かれた。参加者は約100人。弁護団報告(順に穂積剛、神原元、大賀浩一弁護士)と福島瑞穂参院議員のあいさつの後、東京新聞の望月衣塑子記者が「記者への攻撃と報道の自由」と題して講演し、最後に植村氏が近況と今年の抱負、決意を語った。
※集会の詳報は作成中です。しばらくお待ちください

▼写真
上段=報告集会で講演する望月記者と、報告する植村氏
中段=集会場(参議院議員会館の会議室)
下段=左から、穂積弁護士、神原弁護士、大賀弁護士、福島瑞穂参議院議員




第10準備書面要旨

東京訴訟第11回口頭弁論(1月31日)で原告弁護団が提出し、穂積剛弁護士が陳述した第10準備書面の「弁論要旨」を収録します。書式は一部変更しています。
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1 はじめに

本日陳述した原告第10準備書面の要旨は、以下のとおりである。

2 本書面の趣旨

最高裁判例によれば、「事実の摘示」とは「証拠等をもってその存否を決することが可能な他人に関する特定の事項」であり、「意見・論評」とは「証拠等による証明になじまない物事の価値、善悪、優劣についての批評や論議など」とされている。「事実でないことを事実のように作り上げること」を意味する「捏造」が、どちらであるかは明らかであって、文脈上明白に比喩などの趣旨で用いられているのでない限り、「捏造」とは事実の摘示である。もっとも本書面では念を入れて、万が一「捏造」が意見・論評だと解される場合においても、その意見・論評の「前提としている事実」自体に真実性・相当性が看取できず、やはり免責事由に該当しないことを明らかとした。ここではその代表例として、雑誌『正論』2014年10月号の「隠蔽と誤魔化しでしかない慰安婦報道『検証』」(甲5)について検討してみる。

3 原告が創作した「女子挺身隊」

前提としている事実
この著述で被告西岡は、慰安婦とされた金学順に関する原告の新聞記事について、主として2点で「捏造」だと指摘している。そのうち一つについて被告西岡は、次のように書いている。

: 「初めて名乗り出た元慰安婦の女性の経歴について『「女子挺身隊」の名で戦場に連行され、日本軍人相手に売春行為を強いられた』と書いたのだ。本人が語っていない経歴を勝手に作って記事に書く、これこそ捏造ではないか。」(80頁)

これは、《㋐本人が語っていない「女子挺身隊」という経歴を原告が勝手に作って書いた》

との「前提事実」をもとに、原告の記事を「捏造」と指摘したものである。

真実性の検討
それではこの「前提事実」について、その真実性を検討する。しかしこれは、極めて簡単な話である。被告西岡はこの『正論』記事で、「植村記者が入手した証言テープ」や「その後の記者会見」で、金学順が「『女子挺身隊の名で戦場に連行され』とは述べていない」、と書いている。
しかし、原告ですら持っていない金学順の「証言テープ」を、被告西岡はどうやって確認したというのか、これは本件訴訟で証拠提出もされていない。金学順が証言テープで「女子挺身隊」と言っていない、と断言できる根拠などどこにもない。
それどころか記者会見を報じる新聞記事では、金学順自身の発言として

「挺身隊慰安婦として苦痛を受けた私が、こうやってちゃんと生きている」
「挺身隊自体を認めない日本政府を相手に告訴したい」(甲20・東亜日報)
「私は挺身隊だった」(甲21・中央日報)
「女子挺身隊問題に日本が国として責任を取ろうとしないので恥ずかしさを忍んで」(甲25・北海道新聞)

などと報道されている。これらを見ればむしろ金学順自身が、「女子挺身隊」と言っていたとしか思われない。すなわち真実性の立証はない。

相当性の検討
しかも被告西岡は、自分の著作である『増補新版よくわかる慰安婦問題』
(甲3)で、「韓国では、当時は『挺身隊』というと、慰安婦のことだと誤解されていた」と書いている。韓国社会全体が慰安婦のことを「挺身隊」だと認識していたのなら、記者会見で金学順が自分のことを「挺身隊だった」と述べたとしても、何もおかしくない。どうして金学順一人だけが、 慰安婦と「挺身隊」との区別を明確に意識していて、記者会見で「挺身隊」とは絶対に言わなかったと断言できるというのか。
被告西岡の主張はこの点だけでも支離滅裂であり、相当性も存在し得ないことを露呈させている。


4 原告が創作した「地区の仕事をしている人」

前提としている事実
原告の2番目の記事には、「『そこへ行けば金もうけができる』。こんな話を、地区の仕事をしている人に言われました。仕事の中身はいいませんでした」との金学順の証言がある。被告西岡はこれについても「捏造」だと指摘する。

: 「植村記者は義父を登場させると実の母にキーセンとして売られたという事実が明らかになるので、正体不明の『地区の仕事をしている人』を出してきて、その人物にだまされたと書いたとしか思えない。これも捏造だ。」(81頁

すなわちこれは、

《㋑キーセンとして売られた事実を隠すために架空の人物に騙されて慰安婦にされたと原告が書いた》

との「前提事実」をもとに、原告の記事を「捏造」と述べたものである。

真実性の検討
この原告の記事は、弁護団と市民団体の聴き取り調査に原告が同行取材して書かれたもので、その後に弁護団が訴状を作成した。被告西岡は、弁護団作成の訴状にこの「地区の仕事をしている人」が書かれていないこと、 当時の新聞記事にもそうした人物の記載がないことを根拠としている。
しかしこのときの調査記録には、

「私が十七歳のとき、町内の里長が来て、『ある所に行けば金儲けができるから』と、しきりに勧められました」(甲14・市民団体の記録)
「原告らの住む町内の区長から、『そこへ行けば金儲けができる』と説得され」(甲15・弁護団の記録)

と明記されてある。つまりここでも事実は、金学順本人が「町内の里長」「町内の区長」と述べていて、原告がこれを「地区の仕事をしている人」と表現したに過ぎない。原告が架空の人物をでっち上げた事実が「真実」であるどころか、実際には金学順が確かにこの人物に言及していた。

相当性の検討
では相当性はどうか。確かにこうした市民団体や弁護団の聴取記録については、この著述を書いた2014年9月の時点で被告西岡は知らなかったかも知れない。しかしその場合でも、「地区の仕事をしている人」が架空の人物であり、これが原告の創作だと断定するためには、少なくとも金学順本人がこうした人物を否定していたなど、確実が根拠が求められるべきである。
ところが被告西岡は、この人物が原告の創作だといえる具体的根拠を、 この訴訟になってなお一つとして示すことができない。のみならず、そのような人物の存在について周辺取材を行った形跡も何ら見られない。それなのに原告の創作だと勝手に決めつけていた。これでは被告西岡に、この
「地区に仕事をしている人」が原告の創作だと信じるについて、相当の理由などあったはずがない。

5 露見してきた事実
以上のように、この『正論』の著述で原告の新聞記事を「捏造」だと決めつけたその「前提としている事実」について、その真実性も相当性も存在していないことが明らかとなった。というよりも、事実はいずれも被告西岡の主張の正反対であった。

すなわちこのことは、被告西岡が実際には確信犯であったことを端的に示している。被告西岡は、「捏造」との自分の指摘が実際には原告に妥当しないことを知っていて、慰安婦問題を報道した原告を攻撃するために、原告を捏造記者扱いしたものとしか思われない。
このように「捏造」に関してこれを意見・論評と仮定して検討してみた結果、明らかとなったのは被告西岡の著しい悪質性であった。御庁におかれては、こうした被告西岡の悪質性についても十分考慮して本件の判断を下されたい。

以上