2018年9月28日金曜日

植村隆氏「ご挨拶」

「憲法を守る、週刊金曜日を守る! これが私の新しいスローガンです」。植村隆さんが「週刊金曜日」発行人就任の決意と抱負を、記者会見で語りました(9月28日、日本記者クラブで)。植村さんが会見の冒頭に読み上げた「ご挨拶」の全文を紹介します。

ご挨拶

みなさま、9月26日に『週刊金曜日』発行人兼(株)金曜日社長に就任しました植村隆です。1982年に朝日新聞に入社し、32年間、記者をしました。2014年に『朝日新聞』を早期退職した後、16年3月から韓国カトリック大学の客員教授をしております。これからは、韓国の大学教員と『週刊金曜日』の責任者を兼ねることになります。日韓間をLCC(格安航空会社)便で行き来しながらの二重生活となります。

北村肇前発行人兼社長から、9月6日に「後任を引き受けて欲しい」と頼まれました。しかし、それは「平穏な社長業」ではありませんでした。リスクを伴う仕事だというのです。誌面にも、こう書いてありました。「いま『週刊金曜日』は経営的に極めて重大な事態を迎えております。このままでは廃刊の危機もありうる」。社員の賃金引き下げが決まり、経費削減・身を削りながら、再建を目指すというのです。『週刊金曜日』は1993年の創刊以来、人権や平和、言論の自由を守るために、果敢にペンを執ってきました。私はそのぶれない方針に共感を抱いていました。「リベラルなジャーナリズムの灯火(ともしび)を消してはならない」という思いと正義感から、後任を引き受けることにしました。私は「社員の中で一番低い給与にして欲しい」とお願いしました。

私自身、『週刊金曜日』の報道に勇気をもらい、闘い続けることができるようになった人間です。私は1991年、『朝日新聞』大阪本社版に韓国人元「慰安婦」に関する記事を書きました。この記事をめぐり、右派メディアを舞台に元東京基督教大学教授の西岡力氏や国家基本問題研究所理事長の櫻井よしこ氏から「捏造」という誹謗中傷を繰り返し受け、2014年から、激しい「バッシング」を浴びました。そして、私の人生が狂いました。就職が決まっていた女子大への抗議が相次ぎ、結局、転職を断念せざるを得なくなりました。娘を「殺す」という脅迫状まで届きました。

絶望的な状況の中、この「植村バッシング」を最初に詳しく伝えてくれたのが『週刊金曜日』です。「元『朝日』記者の社会的抹殺を狙うテロを許すな」(2014年9月19日号)でした。そして、その後も数々の記事が掲載されました。2016年3月11日号では、伊田浩之編集記者がこう報じました。「植村氏が『捏造記者ではない』ことは本誌が具体的な証拠で論証してきた」。実際、その後の法廷でも、西岡氏や櫻井氏が私を「捏造」としていた根拠をデッチあげていたことが明らかになってきています。本日発売の9月28日号は、それについて詳しく報じています。西岡氏や櫻井氏は、私をスケープゴートにして「慰安婦」問題を否定しようとしたのです。証拠面からも、私が「捏造」記者ではないことが、はっきりと証明されました。「植村バッシング」の背景には、排外主義の広まり、ヘイトスピーチの蔓延があると思います。私のようなことが二度と起きない世の中を作りたいと思っています。

いま日本では、憲法改悪に向けた動きが本格化しつつあります。本誌編集長の小林和子は「私たちは、市民のみなさんといっしょに9条を守り、憲法をとりもどすためにたたかう覚悟です」と訴えています。私は社長として、この方針に強く共鳴し、支えていこうと思っています。

『週刊金曜日』に救われた私が今度は、経営危機に直面した『週刊金曜日』の再生の先頭に立つことになりました。言論人としての私の新たな人生の始まりです。「憲法を守る!『週刊金曜日』を守る!」というのが、私の新スローガンです。みなさま、『週刊金曜日』を応援してください。どうぞよろしくお願いします。
2018年9月28日
『週刊金曜日』発行人兼(株)金曜日社長  植村隆





2018年9月27日木曜日

西岡氏に批判広がる

update:2018/9/27 18:00
本人尋問で重要な証拠の改変や誤りを認めた被告西岡力氏への批判がネット上で広がっている。きっかけは、週刊金曜日が26日に「週刊金曜日オンライン」で公開した記事。「西岡力氏が自らの捏造認める」との見出しで、本人尋問の重要なポイントを報じている。この記事はすぐにYahoo!ニュースに転載され、さらにツイッターで拡散が始まった。ツイッターには、本人尋問を終えて東京地裁を出る西岡氏の姿をとらえた写真も貼りつけられていて、「西岡劇場」の様相を呈している。


『朝日』元記者・植村隆裁判で西岡力氏が自らの「捏造」認める | 週刊金曜日オンライン


以下は9月26日午後3時現在の#西岡力についてのタイムラインからの抜粋である。このほかに、中島岳志、平野啓一郎氏らの本文なしリツイートも多数ある。
※抜粋にあたっては、ツイート本文の一部を削ったものもある。
https://twitter.com/search?q=%EF%BC%83%E8%A5%BF%E5%B2%A1%E5%8A%9B&src=typd

望月衣塑子
めちゃくちゃである。何の学術的裏付け、根拠もないまま植村氏を批判。結果、植村氏や家族や大学は誹謗中傷、脅迫に晒され続けた。その罪はあまりにも重い
佐藤 
この裁判記事によれば西岡力はほとんど捏造じゃないか。自分が捏造しておいて他者を捏造呼ばわりするのは学者として人として失格だろう。恐らくは櫻井よしこもそうだろう。植村隆は捏造などするような人間ではない。西岡と櫻井は、記者会見を開いて謝罪すべきだ。
masa
慰安婦問題を少しかじったら誰もが知ってる名前だろう。そして、裁判で捏造を認めた、この人物は北朝鮮拉致被害者の「救う会」の会長でもある。では「家族会」は?一緒に多くの集会を開いているだろうから、YouTubeででも確認するとよいかもしれない。
西岡氏はまた、元「慰安婦」の証言集は読んでおりながら、「挺身隊」名目で「慰安婦」にさせられた韓国人女性の証言は「覚えていない」とし、自らの主張と異なる最新の調査・研究結果も読んでいないと答えた。
#ヤフコメ が酷いですね。 #ネトウヨ さん達、いい加減にして欲しいです。
#西岡力 本当に学者なのか?恥を知れ嘘つき野郎
Hiroshi Takahashi
櫻井よしこさんも自分がウソ吐いたのを白状したし、西岡力さんも自分がウソ吐いたの白状したし、阿比留瑠比さんも自分の矛盾をアウェーの植村隆さんに突っ込まれて白旗上げたし、これだけウソ吐きのウソがばれてるのに、ウソを信じたい人たちは目を覚まさないんだよなー。
佐藤 ‏ 
植村隆はぼくの昔の同僚だが、捏造などするような人間では決してない。人間である以上細かいミスはあるだろうが、優秀なジャーナリストであることは間違いない。捏造は、櫻井や西岡である。お仲間の杉田や小川のレベル、人間性を見てもよくわかる。
渡辺輝人
酷いな。歴史修正主義って、日本語だと、修正なんて生易しいものじゃなくて、歴史の意図的改ざんなんだよね。
櫻井よし子に続いて右派の連中、ボロボロやんかw。
シャレにならんな。→『朝日』元記者・植村隆裁判で西岡力氏が自らの「捏造」認める
西岡力。櫻井よしこといい阿比留瑠比といい、嘘をつきまくって結局白旗。汚辱にまみれたカルトの不誠実な人生。
西岡力も櫻井よしこも、実に軽々しく「捏造」という非難を他者に浴びせてきたから、自分たちのミスを「捏造」呼ばわりされても自業自得なんだよね。
嘘吐きはウヨの始まり
植村隆裁判で、事実に基づいた緻密な追求によって櫻井よしこに続いて西岡力も白旗を揚げざるを得ない状況に追い込まれた。いわゆる右派論客こそ捏造だらけであることが、この裁判を通じて明らかにされた。
「慰安婦」問題否定派の旗手である麗澤大学客員教授の西岡力、捏造だったって。
■森達也(映画監督・作家) 
ここまでの展開はさすがに予想できなかった。思想信条は違っても尊敬できる人であってほしいのに、下劣すぎる本質がどんどん顕わになる。
<西岡氏が、いくつかの重要部分について「間違い」を認めた> って、間違いじゃなくて<嘘をついた>だよね。 櫻井よしこやネトウヨはどうするんだろう。
なんか、最近YuTubeでも歴史改ざんやヘイトまき散らす(自称)保守系ネット番組が相次いで締め出されたり、新潮の雑誌が休刊に追い込まれたり、櫻井よし子や今回の西岡力が裁判で自ら捏造デマ流してたこと認めたり、潮目が変わって来た感じ。日本の自浄作用に期待します。
結局「捏造」してるのは朝日叩いてる連中なんですよね。 小川榮太郎とか櫻井よしことか西岡力とか そしてコイツラは未だに「保守論壇誌」だの「産経新聞」だので朝日叩きのお仕事継続中
「慰安婦問題」を否定する人々の拠り所とされてきた西岡力氏の言論。西岡氏は、元朝日新聞記者の植村隆氏の書いた慰安婦記事は捏造だ〜と言い続けてきた。しかし実際は逆で、西岡氏の方が自らの言論に都合よく事実を捏造していたことを東京地裁で認めた。
これホントだったら大変なことだと思うんだけど。植村さんを叩いている人達は西岡さんに事実確認したほうがよくない?
人を嘘つき呼ばわりしていた奴が本当に嘘つきだった。これで事の理非が分からなければ、病膏肓に入るとしか。
西岡力って、確か「救う会」の会長で、アベのブレーンだよな。まさに、アベ政権に「巣食う会」になりましたとさwww
櫻井よしこに続いて西岡力もー。 安倍首相を取り巻く右派論客のウソが次々に暴かれている。平然とウソをつき、他人を容赦なく攻撃し排斥する。安倍首相にも通じる。
司会は櫻井よし子。救う会会長は西岡力。植村裁判で実質的に「捏造」を認めた2人が、拉致被害者の運動に深く関わっているのは偶然でもなんでもないことは、普通に考えればわかることなのに、誰もそのことを口にできないし書けないもんなー
おいおい。 西岡氏は、植村氏の記事に対し「名乗り出た女性は親に身売りされて慰安婦になったと訴状に書き、韓国紙の取材にもそう答えている。捏造記事と言っても過言ではありません」とコメント。 しかし尋問で問われると、「記憶違いだった」と間違いを認めた。
櫻井よしこも西岡力も裁判でデマを認めて、いま沖縄知事選でデマが飛び交っていると問題になっているけど与党候補からはデマで困っているという声は出ていないということ。
慰安婦=プロの娼婦説の引き金を引いた西岡力が、発端となった記事の捏造を認めたのか。大きな一歩になるな。 そもそも慰安所にはプロも、騙された人も強制連行された人もいたのだろう。だからといって移動の自由がない戦地の慰安所に収容していいわけがないのだ。
この男が横田夫妻を操り、拉致問題を10年間拗らせた張本人。廃刊になった新潮45の常識外に偏った常連寄稿者の一人でもある。
「慰安婦」問題否定派の旗手である西岡力氏。彼の論考や発言は、櫻井よしこ氏をはじめ、右派言説の論理的支柱となり、影響を与え続けてきた。その西岡氏が95日に東京地裁で尋問に答えた内容は、彼らに失望と嘆息を与えるかもしれない。西岡氏が、いくつかの重要部分について「間違い」を認めたからだ
朝日新聞の慰安婦問題、結局は捏造ではなくて、捏造だと言ってた西岡力氏が、否定の根拠を捏造(記憶違い)だと裁判で認めた訳だ。 朝日を責めてた人達、これからどうするんだろ? 謝罪するのかな?
しかし、安倍応援団、ひどいね。百田尚樹に青山繁晴、櫻井よしこに西岡力。小川榮太郎に山口敬之、竹田恒泰。よくもこれだけのメンバーを集められるもんだ。
元朝日新聞記者・植村隆さんの、元「慰安婦」記事を「捏造」と週刊誌に書いた西岡力の記事こそが【捏造】であったことを本人が認めた。仕方なく認めた
「金曜日」の記事を読んで思うのは、西岡力氏の学者・研究者・言論人としてのモラル崩壊ぶりである。自説を補強するため、新聞記事のありもしない一節をでっち上げるなど、あってはならないこと、人並みの良心さえあればとても考えられないことである。
toriiyoshiki
朝日新聞の従軍慰安婦についての記事を「捏造」だと非難してきた御本人が、自らの論拠が事実上の「捏造」だったことを認めるに至ったお粗末の顛末。これは裁判記録として残るから、もう言い抜けはできまい。
『植村氏が起こした民事裁判で、西岡力氏は今年95日、植村氏を批判する根拠としていた元「慰安婦」の訴状と韓国紙の記事について、そのいずれも引用を誤っていたうえ、自らが記事を改竄していたことを認めた。植村氏の記事が「捏造だ」という主張はもはや根拠を失っている。』 西岡、謝れ!
2014年当時、西岡力に私もすっかり騙されていた
 「名乗り出た女性は親に身売りされて慰安婦になったと訴状に書き、韓国紙の取材にもそう答えている。」→嘘でした
 「私は40円で売られて、キーセンの修業を何年かして、その後、日本の軍隊のあるところに行きました」→加筆捏造でした
こんな記事までチェックしてるのに、西岡力と櫻井よしこの嘘がバレたことに対するコメントはまだですか?
西岡力氏が救う会の会長だからな。拉致問題は解決しないよね。させるつもりもないのだろう。
「慰安婦」問題否定派の旗手・麗澤大学教授の西岡力氏。氏の論考は櫻井よしこ氏をはじめ、右派言説の論理的支柱となってきたが、その西岡氏が『朝日』元記者・植村隆裁判の尋問で、自らの「捏造」を認めた。 ――植村氏の記事を「捏造」呼ばわりした西岡氏が「捏造」していた。
西岡力が自らの捏造(従軍慰安婦は日本軍の強制ではなく親に売られたという嘘)を認める。嘘ネタで慰安婦を誹謗した櫻井よしこ、百田。慰安婦に謝れ。
レイプジャーナリスト、捏造記者、ウヨクエンタメ作家、お追従評論家…安倍晋三のまわりはいかがわしい人物だらけ。
「「私は40円で売られて、キーセンの修業を何年かして、その後、日本の軍隊のあるところに行きました」という、元の記事にない文章を書き加えていることを指摘されると、「間違いです」と小声で認めた」…お粗末。
【「慰安婦」問題否定派の旗手である麗澤大学客員教授の西岡力氏。彼の論考や発言は、国家基本問題研究所理事長の櫻井よしこ氏をはじめ、右派言説の論理的支柱となり、影響を与え続けてきた。(略)西岡氏が、いくつかの重要部分について「間違い」を認めた】 自称愛国者達の精神的支柱が崩壊
慰安婦問題をめぐっては、さきに櫻井よしこ、最近では西岡力。いずれも裁判で敗訴、ねつ造告白。船橋市西図書館は、歴史修正主義の本を、とにかく処分してほしい。差別や偏見まるだしで、公営図書館の歴史書として置くわけにはゆくまいと思われる。
この 西岡力 (拉致被害者救う会会長)とか、杉田水脈(新しい歴史教科書をつくる会理事) を擁護した 藤田信勝(新しい歴史教科書をつくる会副会長) とか、全員歴史歪曲派であることに注目しよう
西岡力氏が自らの「捏造」認める」櫻井よし子と同じ、偽証罪の懲役を恐れたんだよね。今の社会なら、デマ屋として今までどおり生きていけるからなあ。
「『慰安婦』なんて捏造ダー」系の皆さんが、とても困ったことになってしまった。捏造と主張してきた西岡力が自らの捏造を認めてしまったのだから。とは言え、そういう人達がこれで考え方を変えるとも思えないが
ダブルスタンダードがダメなのは当たり前、嘘や捏造偽造がダメなのも当たり前、西岡力さんのように自分の主張を有利にするために文章を書き換えるのもダメなのは当たり前、人間を生産性がないなどと切り捨てるのがいけないのも当たり前。意見が違った相手でも思いやりを持つのも当たり前。
「捏造」を主張していた側が「捏造」してたという、ありがちな展開。けど、今後もこれが「事実」として叫ばれ続けるんだろうね
西岡力や櫻井よし子や阿比留瑠比などが捏造と主張している内容はそれ自体が捏造。「この人はウソつき」というウソ。だまされた人々は怒りの矛先を不誠実な連中に向けるべきだろう。
西岡力はあの八木秀次と同じ麗澤大学なのか。知らなかった。
こんな連中が関与すべき話では無い。繊細な問題だしナショナリズムを背景に解決できる問題でも無い。イデオロギー的に中立な両国の学者が時間をかけ解決すべきだ。
アホくさ。。でも、「捏造」を認めただけ、自称文芸評論家の小川榮太郎よりはマシだよね。
こういう結末。当然ですね。
捏造を認めたということは、詐欺師であることを認めたわけである。全面的な謝罪の上で、筆を折るべきだろう。
櫻井よしこや西岡力が故意に「親が売った」というデマを吐き被害者を貶めバカウヨがSNS上で蔓延させた。今もそのデマを根拠に被害者攻撃は続いている。安倍晋三や駐米大使もそのデマと同類の発言をしている。コイツラにきっちり責任をとらせろ
【「私は40円で売られて,キーセンの修業を何年かして,その後,日本の軍隊のあるところに行きました」という元の記事にない文章を書き加えていることを指摘されると,「間違いです」と小声で認めた。】 元の物に無い文を勝手に作るのは、「間違い」ではなく、「捏造」
あの二人はなにか勘違いしたとか筆が滑ったとかであんなこと描いてるわけじゃない。あれは二人の世界観そのものなんだから。櫻井よしこや西岡力があれだけ法廷でド詰めされても「捏造記者」呼ばわりを謝罪もせず撤回もしてないのを見ればわかるじゃん。
この 西岡力 って奴のデマに、脊髄反射で共感したのが 櫻井よしこ らであり、加害に加担した罪は大きい。西岡氏は大学教授を辞し、櫻井よしこは物書きとして筆を折るべきだ。
■もぎたてのいとうじん
なんだか、とてもいい加減だね。となると、この人の一部始終、信頼に値しない…と考えるべきじゃないかな。

以下略

2018年9月26日水曜日

植村隆氏、金曜日の社長に就任

update 2018/9/28 9:30am
植村隆さんが、株式会社金曜日の社長に就任しました。同社は「週刊金曜日」を発行する総合出版社です。9月26日に開いた同社株主総会・取締役会で植村さんが代表取締役に選任されました。植村さんは「週刊金曜日」の発行人も兼ねます。
リベラル系の雑誌の退潮著しい出版界ですが、植村さんのジャーナリストとしての豊富な知識・経験と鋭い報道感覚、持ち前の正義感とで、日本の言論空間に新しい風が巻き起こるよう、期待し、応援したいと思います。
以下、週刊金曜日オンラインの記事を転載します。

『週刊金曜日』を発行する株式会社金曜日(東京・千代田区)の新社長に9月26日、元『朝日新聞』記者で現在、韓国カトリック大学客員教授の植村隆(60歳)が就任した。北村肇社長(66歳)は同日、任期満了で退任した。定時株主総会と取締役会で決定した。

植村隆氏は、「慰安婦」に関する記事を捏造したと西岡力氏(前東京基督教大学教授)らから批判され、特に2014年1月末、『週刊文春』が〈“慰安婦捏造”朝日新聞記者がお嬢様女子大教授に〉という記事で、西岡氏のコメントを掲載したことから、激しいバッシングを受けた。

しかし、その後、植村氏が起こした民事裁判で、西岡氏は今年9月5日、植村氏を批判する根拠としていた元「慰安婦」の訴状と韓国紙の記事について、そのいずれも引用を誤っていたうえ、自らが記事を改竄していたことを認めた。植村氏の記事が「捏造だ」という主張はもはや根拠を失っている。


櫻井よしこ氏の植村氏を批判する根拠も、西岡氏とほぼ同じなため、櫻井氏の批判も根拠を失った。植村氏が櫻井氏を名誉毀損で訴えた札幌地裁での判決は11月9日に言い渡される。





2018年9月14日金曜日

文春元記者の大敗走

update:2018/9/15 10:45

あぶり出された「植村バッシング」の

構図と背景

【東京訴訟 証人尋問 続報3】  竹中明洋氏 尋問 


元記者、「捏造攻撃」加担の詳細語らず



週刊文春で植村バッシングを煽る記事を書いた元記者、竹中明洋氏に対する証人尋問は、原告植村隆氏と被告西岡力氏の本人尋問に先立って行われた(第13回口頭弁論、9月5日東京地裁)。

植村弁護団はこの日の尋問で、記事の意図と取材の経緯、記事がもたらした影響、被害とその責任について、具体的に明らかにするように強く迫った。竹中氏は取材の意図については「デスクの指示に従って取材した」と答え、被害をもたらした責任については「脅迫などを煽ってはいない。大学に向けて抗議が起こることは予見もしなかった」と述べ、責任を否定した。その一方で、詳細については語ることを避け、「覚えていません」「記憶がありません」などと逃げの姿勢に終始した。
植村弁護団の持ち時間は25分だった。時間の制約と竹中氏の逃げの答弁によって、尋問は真相解明の入り口にさしかかったところで終わった。しかし、重要な事実関係を語ろうとしない証人の不誠実さと無責任な態度は法廷で際立つ結果となった。植村氏と家族の人権、名誉、プライバシーを踏みにじっていまも平然とする記者の取材姿勢もはっきりと浮かび上がった。

竹中氏は白いシャツ姿の軽装で出廷し証言台に立った。「良心に従って真実を述べ、何事も隠さず偽りを述べないことを誓います」と型通りの宣誓文を読み上げて、午前10時30分すぎ、尋問は始まった。
最初に被告側代理人の藤原大輔弁護士が25分間、主尋問をした。竹中氏はすでに取材の経緯や所感を綴った陳述書を法廷に提出していた(3月20日付)。主尋問はその書面をなぞる形で進行した。
主尋問で竹中氏は、
▽取材は週刊文春編集部デスクの指示で行った。西岡力氏には会って取材した。植村氏には取材を申し入れたが、朝日新聞の広報を通してといわれた。広報には質問書を送り回答を得た。▽2つの大学には質問メールを送ったが、その内容に問題はない。植村氏の職を奪い社会から抹殺しようとしたことはない。あくまでも記者として指示に従い、適正な取材をした。▽脅迫行為は断じてあってはならないと思う
などと語った。

竹中氏のよどみない口調は、植村弁護団の反対尋問になって一転、あいまいな部分が多いものになった。担当したのは吉村功志弁護士。朝日新聞記者から転じた気鋭の法曹である。吉村弁護士は、陳述書で書かれていることの矛盾点や、たったいま竹中氏が滔々と述べた答弁の詳細に次々と迫った。以下、尋問の流れを整理して、主なやりとりを再現する。(いずれも要約。一部、順の入れ替えがある)

「朝日関係者」の談話は作り話
竹中氏は週刊文春2014年2月6日号で、「朝日新聞関係者」の談話として「本人は『ライフワークである日韓関係や慰安婦問題に取り組みたい』と言っているようです」と書いている。ところが、竹中氏は陳述書の中で、談話の主を「別のメディア記者」と書いた。そもそも、植村氏は記事が出た直後から、「そのようなことは言っていない、当時は慰安婦問題とは距離を置いていた」と強く否定し続けている。そうすると、竹中氏は談話をもっともらしいものに仕立てるために「朝日新聞関係者」と書いたが、植村氏の追及を免れるために、陳述書では「別のメディア記者」と書いたのではないか。吉村弁護士は、尋問の冒頭にこの点を追及した。

吉村弁護士 記事と陳述書では矛盾してますね。
竹中証人 取材源に関わる部分なので詳しくは説明できないが、別のメディアの記者というのは、広い意味で朝日新聞に関係している人で、陳述書の通りだ。
吉村弁護士 朝日新聞関係者と書いたのは誤りではないか。          
竹中証人 朝日新聞に関係されている方だ。関係しているという意味は広い意味で関係しているという意味だ。
吉村弁護士 朝日新聞関係者というのは朝日新聞の社員とかそこで働いている契約社員とかをいうのではないのか。
竹中証人 必ずしも社員であるという場合だけではないというふうに思う。
吉村弁護士 朝日新聞の関係者であるならば、朝日新聞に関係のある別のメディアの記者と書くべきではないか。
竹中証人 ただ、その方は、繰り返しになって恐縮だが、朝日新聞に関係のある方でもありますし。
吉村弁護士 関係者というのはどういう関係か。
竹中証人 それは取材源の秘匿にかかわる部分なので詳しくは申し上げられない。
吉村弁護士 朝日新聞の記者ではない、朝日新聞で働いている人でもないということですね。
竹中証人 いま現在は朝日新聞記者ではありません、取材した当時、朝日新聞の記者ではありません。

冒頭から不意打ちを食らわされたような気分だったのだろう。竹中氏の答えは理解不能領域で行きつ戻りつしている。竹中氏はこのあとにつづく尋問で、防御姿勢を強め、殻を固くしていった。
竹中氏は2014年2月と8月、週刊文春で植村氏の実名をあげて「捏造」記者と決めつけ、神戸松蔭女子学院大学の教授就任予定(2月の記事)と札幌の北星学園大学で非常勤講師をつとめていること(8月)を、大学の実名をあげて書いた。
この結果、両大学に抗議やいやがらせの電話やメールが殺到し、植村氏はふたつの大学での職を失うこととなった。「捏造」記者との表現は、2月の記事中、西岡力氏の談話で用いられた。

取材の経緯と脅迫状まがいの質問状
2014年当時、週刊文春は嫌韓、反朝日キャンペーンを連発し、部数を伸ばしていた。当時の編集長は新谷学氏。文春のスクープは「文春砲」の異名でもてはやされ、新谷氏は「週刊文春編集長の仕事術」というドヤ本をダイヤモンド社から発行している。その中では同誌の取材体制も得意げに明かされているが、毎週木曜日に開くプラン会議に出席する記者には、5本の記事プラン提出がノルマとして課せられていたという。竹中氏は正社員でなく特派記者と呼ばれる契約社員だった。だからスクープ競争の激しい週刊誌業界の最前線にあって、スクープには人一倍の執念を燃やしていたのではないか。ところが、2つの記事とも、自分のプランではないという。

吉村弁護士 記者には5本のノルマがあったそうですね
竹中証人 おっしゃる通りです
吉村弁護士 陳述書では、デスクに指示を受けて取材を開始した、とあるが、あなたのプランではないのか。
竹中証人 そのような事実はない。
吉村弁護士 このプランをデスクはどうやってみつけたのか。
竹中証人 わからない。デスクが自分でネタをみつける場合もあるので、なんとも申し上げようがない。
吉村弁護士 デスクから指示があったということか。
竹中証人 おっしゃる通りだ。
吉村弁護士 秦郁彦氏や西岡力氏に会ったのもデスクの指示か。
竹中証人 デスクの指示だったか私が思いついたのか、記憶が定かではない。

竹中氏はこの取材の過程で、神戸松蔭女子学院大学に植村氏の教授採用予定があるかどうかを質問している(2014年1月27日)。そのメール文面には、「この記事をめぐっては現在までにさまざまな研究者やメディアによって重大な誤り、あるいは意図的な捏造があり、日本の国際的イメージを大きく傷つけたとの指摘がかさねて提起されています。貴大学は採用にあたってそのようなな事情を考慮されたのでしょうか」とある。

吉村弁護士 質問状を出す前にあなたは大学に電話して、「植村さんが教授になるのは本当か、捏造記事を書いた人ですよ」と言ってますね。
竹中証人 記憶にない。
吉村弁護士 この記事が出て、神戸松蔭には抗議があって、植村さんの採用は取り消された。抗議があったことは知ってるか。
竹中証人 伝聞で聞いた。
吉村弁護士 どういう伝聞か。
竹中証人 覚えていない。

竹中氏は朝日新聞社にもファックスで質問を送った。陳述書によると、質問は3点あり、①植村氏の神戸松蔭女子学院大学の教授に就任予定の有無、②植村氏の記事が誤りだとする指摘への見解、③前主筆・若宮啓文氏の「吉田証言」関連記述についての見解、を求めている。ファックスで送ったのは1月28日午前中、朝日新聞社から回答があったのは同日午後、とも書いている。
このうち②の内容は次のようなものだった。
<植村氏の署名入りの1991年8月11日付の記事について、これまでに西岡力氏や秦郁彦氏から、事実関係に誤りがあるとの指摘がなされているほか、2013年5月15日付け読売新聞4面の「Q&A従軍慰安婦問題とは」と題する記事には、「朝日新聞が『日本軍が慰安所の設置や、従軍慰安婦の募集を監督、統制していた』と報じたことがきっかけで、政治問題化した。特に『主として朝鮮人女性を挺身隊の名で強制連行した』と事実関係を誤って報じた部分があり、韓国の反発をあおった」とあるが、これら指摘に対する見解を聞かせてほしい>

吉村弁護士 朝日新聞社から回答がありましたね。
竹中証人 詳細は覚えていない。
吉村弁護士 (②の回答を読み上げて)このような回答でしたね。
竹中証人 正確な記憶がないのでなんともお答えのしようがない。
吉村弁護士 あなたはこの回答をあえて紙面に載せていませんね。
竹中証人 あえて、ではなく、結果として載せていない。

脅迫状まがいの質問状は、8月に北星学園大学にも送りつけられた。その文面には、「植村氏をめぐっては、慰安婦問題の記事をめぐって重大な誤りがあったとの指摘がなされていますが、大学教員としての適性に問題ないとお考えでしょうか」とある。

吉村弁護士 あなたが植村さんには大学教員の適性がないと考えたからですね。
竹中証人 たしかに適性という言葉を使っているが、私が植村さんに適性がないなんていうことを思ったことはない。
吉村弁護士 じゃあ、どうして訊いたのか。
竹中証人 ほかに表現を知らなかったからだ。(傍聴席に笑いとざわめきが起きる)
吉村弁護士 疑問を感じたから訊いたんでしょう。
竹中証人 ですから、ここに書いてあるように指摘されていると。
吉村弁護士 だれが、適性がないと指摘しているのか。
竹中証人 巷間、一般的にです。
吉村弁護士 ネットで見たのか。
竹中証人 ネットであるのか記事であるのかわからない。そのような言い方をされていたので、どこにどう書いてあったのかは覚えていないが。
吉村弁護士 あなたが取材した西岡さん、秦さんに言われたのか。
竹中証人 うーん、誰と言われても、それは記憶していない。
吉村弁護士 少なくとも疑問は持っていたわけですよね。
竹中証人 私は識者である西岡さんが書いたものをそのまま記事にしただけだ。そのような先入観を持っていたわけではない。
吉村弁護士 そうですか。あなたは、週刊文春の8月の記事の地の文で「今ではこの記事には捏造と言えるほどの重大な誤りがあることが明らかになっている」と書いている。
竹中証人 言えるほどの、と書いていて、断定はしていない。(傍聴席、笑い声)
吉村弁護士 あなたは同じ記事の文末で、「韓国人留学生に対して自らの捏造記事を用いて再び“誤った日本の姿”を刷り込んでいたとしたら、とんでもない売国行為だ」と書いている
竹中証人 いたとしたら、と仮定の話として書いている。断定はしていません。
           
記事による影響、被害と責任
西岡氏の「捏造」決めつけ攻撃は、2014年当時、たくさんの雑誌、新聞を舞台に繰り広げられたが、最も影響力を持った媒体は週刊文春だった。事実、週刊文春の発行日に符合するかのように、植村バッシングは勢いを増していた。しかし、竹中氏はそのような事実に正面から向き合う説明はしなかった。

吉村弁護士 この記事が出た後、松陰には次々と抗議が殺到したんですが、ご存じない。
竹中証人 伝聞では聞いた。
吉村弁護士 植村を辞めさせろという抗議ですよ。
竹中証人 くわしくは存じ上げない。
吉村弁護士 文春には反響が来たんですか。
竹中証人 来たかどうかも存じ上げない。
吉村弁護士 あなたは、2月の記事で神戸松蔭に抗議が殺到したことを知っていた。8月に同じような記事を書くとき、同じように北星にも抗議が殺到することを予見していましたね。
竹中証人 同じようなことが起きるとは思いません。
吉村弁護士 期待していましたね。
竹中証人 とんでもない。そんなことを期待していたことはない。

週刊文春は、2月の記事の1カ月後にも朝日新聞の慰安婦報道を批判する特集記事を掲載している(3月13日号)。その中で、植村氏が神戸松蔭の採用を取り消されたことを報じ、同時に文春側が朝日新聞社から受けた回答を16行にわたって掲載している。「91年8月11日付朝刊記事を書いた当時、韓国では『女子挺身隊』と『従軍慰安婦』が同義語として使われていました」という内容だ。朝日新聞社は2月6日号用の竹中氏の取材に対しても、同趣旨の回答をしている。この朝日の回答が2月の記事に載っていれば、「捏造ではない」とする朝日新聞社の見解が神戸松蔭にもきちんと伝わっていたのではないか、と植村氏は憤っている。
竹中氏はこの3月の特集には関わらず、記事も書いていない。読んでもいないという。自分の記事によって起きたことを書いている記事、しかも自分が所属する雑誌の記事を読んでいないということがあるのだろうか。あまりにも不自然である。植村弁護団の穂積剛弁護士は、吉村弁護士の尋問が終わったあと、補充質問を行った。

穂積弁護士 あなたはこの記事を読んでいないとおっしゃいましたね。ただ、この記事が出た当時、編集長やデスク、同僚から、植村の神戸松蔭への就職はなくなったらしいぞ、というような話は聞いたことがありますか。
竹中証人 えーと、聞いたことがあったか、なかったか、記憶は正直ありません。
穂積弁護士 自分の書いた記事の反響だから、聞いてたら覚えているのではないか。
竹中証人 あのー、ほんと、私たちの仕事は毎日毎日取材してるもんですから、覚えておりません。
穂積弁護士 神戸松蔭のほうに反響があったことは伝聞で聞いたと先ほどおっしゃったがどのようなことを聞いたか。具体的に言ってください。
竹中証人 神戸松蔭の先生になる予定だったのが、なれなくなったという感じです。
穂積弁護士 その理由については、どういうふうにか。
竹中証人 そこまではよく覚えていない。
穂積弁護士 自動的に採用がなくなるわけがないから、たぶん抗議か何かがあってなくなったんだろうと。
竹中証人 たぶん、そうなんだろうなあと思ったかどうか、ちょっとそこまでは、詳細に記憶しておりません。

裁判官も質問を追加
吉村、穂積両弁護士による反対尋問は、予定通り25分で終わった。この後、尋問を経ても明確な答えが得られなかったポイントを、裁判官と裁判長が問い質した。主なやりとり。

小久保裁判官 西岡さんと秦さんの取材についてデスクからはどういう指示があったのか。
竹中証人 よく覚えていない。
小久保裁判官 慰安婦問題で以前に書いたり取材したことはあったか。
竹中証人 記憶の限りでは、ない。
小久保裁判官 慰安婦問題のようにいろいろな考えや意見がある問題で、だれにコメントを求めるかは、相談して決めるのか。
竹中証人 することもあり、なかったり、とケースバイケースだ。この場合は記憶が定かではない。
原裁判長 朝日新聞社への質問②の、記事には誤りがあるとの指摘は、媒体あるいはものといってよいのか、具体的になんなのか、今の時点で特定できますか。
竹中証人 記憶が定かではない。
原裁判長 文面だったり記事だと思うが、それえは読んでいたんですか。
竹中証人 質問するときには読んでいた。
原裁判長 西岡さんの本は取材するさいに読んでいましたか。
竹中証人 はい、取材する前か後かに読んでいた。
原裁判長 その本はなんですか。
竹中証人 4年前のことなので覚えていない。
原裁判長 甲3号証から6号証は、西岡さんが書いたもので、原告から(名誉毀損だと)指摘されているものですが、これらは読んだことはありますね。
竹中証人 えーと、4号証はサイトの記事ですね、記憶がない、いや読んだか、あとは読んだか読んでないかわかりません。
原裁判長 そうすると、読んだか読んでないかわからない、ということですね。
竹中証人 そうです。
原裁判長 わかりました。終わります。

裁判官の質問は約15分。この間、竹中氏の緊張はピークに達していたようだ。ここでも理解不能の答えが目立った。質問で深入りされるのを防ぐためにとぼけているのか、ほんとうに記憶がないのか。たぶん、その両方だろう。
原裁判長の最後の質問は、証人尋問に臨むにあたって竹中氏が重要な書面をきちんと読み込んだかどうかを問うもののようにも聞こえた。そして、竹中氏は予想に反して、まったく読んでいないことを白状した。

その竹中氏は、その後、週刊文春を去り、フリーのジャーナリストとして沖縄をめぐるヘイトスピーチ行動に加わり、沖縄紙批判などの記事を書いている。現在は沖縄県知事選の保守候補の選対に入り込んでいるという。
植村バッシングに加担した週刊誌記者がじつは、歴史修正勢力と深くつながっていたということである。植村バッシングの構図と背景を、竹中氏は法廷と沖縄で自ら、さらけ出すことになった。
このような記者を重用し、「朝日・植村バッシング」を先導かつ扇動した文藝春秋の責任も厳しく問われるべきだ。

※植村陳述書の「第9、週刊文春の取材姿勢の問題点」はこの記事に続いています。

【参考】 竹中氏の沖縄での近況を伝える情報
<リテラ> 
<ツイッター>
<週刊金曜日>
2018年9月14日号「沖縄県知事選最新ルポ」

週刊文春の取材姿勢

元文春記者 竹中明洋氏

この記者の取材・記事は、名誉毀損を超えた不法行為であり、ジャーナリズムの範囲を逸脱した扇動である!

植村さんは9月5日にあった第13回口頭弁論で陳述書を提出した。その第9項で、「週刊文春の取材姿勢の問題点」と題して、竹中明洋氏の取材の仕方と記事の書き方は、単なる名誉毀損を超えた不法行為ではないか、ジャーナリズムの範囲を逸脱した扇動ともいうべきものだと思う、と強い憤りを抑えつつ、批判しています。証人尋問でさらけ出された竹中氏の悪意、卑怯、不法ぶりは、この陳述書によっても明らかにされています。以下に、この項、全文を掲載します。

9 週刊文春の取材姿勢の問題点


私は、私に対する「バッシング」を引き起こした「週刊文春」の取材姿勢は、ジャーナリズムの方法として問題があり、単なる「名誉毀損」を超えた不法行為ではないかと思っています。この点について説明します。
 
前記のとおり、私へのバッシングのきっかけになったのは、2014年2月6日号の「週刊文春」の記事ですが、この記事を書いたのは、当時、「週刊文春」の記者だった竹中明洋氏です。
竹中氏が私に取材を申し込んできたのは、2014年1月26日の日曜日でした。支局にかかってきた電話が私の携帯に転送されたのです。私は「広報を通して欲しい」と頼みました。竹中氏は翌朝、当時私が勤務していた朝日新聞函館支局の前にやってきて、インターフォン越しに取材を申し込みましたが、私は前日と同じように答えました。朝日新聞は記事の内容などについて、外部から取材があった場合は、書いた記者本人でなく、広報部が窓口として対応することになっています。このルールは、朝日新聞の記事について取材する週刊誌などのメディアには、周知されているはずでした。私は、支局前でトラブルが起きても困ると考え、当時の上司である札幌の報道センター長に連絡しました。「とにかく事務所の外に出ろ」という指示を受けたので、タクシーで支局を離れました。その時に支局のドアの前に来て、私に声をかけたのは、竹中氏一人でした。竹中氏には、記事で「逃げた」と書かれました。私も記者ですから、待ち伏せすることはあります。しかし、「広報を通して」と答えた取材対象者について、「逃げた」とは書きません。扇情的な記事を狙っていたのでしょう。こうした手法で、読者の憎悪を引き出すやり方は、決して許せません。

竹中氏は、1月27日に、神戸松蔭に、私の就職などについて以下のような質問状をメールで送っています。「この記事をめぐっては現在までにさまざまな研究者やメディアによって重大な誤り、あるいは意図的な捏造があり、日本の国際イメージを大きく損なったとの指摘が重ねて提起されています。貴大学は採用にあたってこのような事情を考慮されたのでしょうか」。私はのちにこの質問状を神戸松蔭から見せてもらい、憤りを感じました。これを見た瞬間、この記者と闘わなければと思いました。取材対象者に対する脅しのような内容で、私の名誉を毀損する内容だからです。これを受け取った大学側は追い詰められたのではないでしょうか。想像するだけで、怒りを禁じえません。
1月30日にこの記事が載った「週刊文春」2月6日号が発売されました。竹中氏は、朝日新聞の広報部に取材をしておきながら、私の記事についての朝日側の説明を全く掲載せず、極めて一方的で、アンフェアな記事でした。しかも、私が大学で慰安婦問題に取り組みたいと言っているという内容もありました。当時の私は慰安婦問題から距離を置いており、そんなことを言った覚えはありません。作り話でした。この記事が出た後、神戸松蔭には、就任取り消しなどを要求するメールが1週間で250本送られてきたというのです。ファックスや電話での抗議も多数ありました。私は大学の当局者に呼び出され、2月5日に面談をしたのですが、大学側は「捏造記者でない」という私の説明は聞いてくれませんでした。
「文春の記事を見た人たちから『なぜ捏造記者を雇用するのか』などという抗議が多数来ている。記事(植村の)内容の真偽とは関係なく、このままでは学生募集などにも影響が出る。松蔭のイメージが悪化する」などと言われました。大学当局者はおびえきっていて、話は平行線でした。外部からの攻撃だけでなく、週刊文春という大手雑誌の威嚇的な質問もまた大学当局に大きな影響を与えたのだと思います。

後でわかったのですが、1月27日に函館支局には、ジャーナリストの大高未貴氏も来ていたというのです。大高氏は2月3日のインターネットのテレビ番組「チャンネル桜」に登場し、私のことを「元祖従軍慰安婦捏造記者」と中傷しました。その中で彼女は、こう言いました。「インターホン越しにあの、取材申し込みしても、朝日新聞の広報を通してくれの一点張り。で、朝日新聞本社の広報を通しても、え、今回は忙しくて、取材お受けできませんといって、必死に植村記者の、を、かばって、取材させない訳なんですね」。さらに、こうも言っています。「ある週刊誌の記者と一緒に行ってたんですけれども」。大高氏はこの番組で、竹中氏と一緒に行っていたことを明らかにしているのです。しかし、私が、インターフォンで話したのは竹中氏のみです。私は大高氏とは会ってもいません。来ていたことも知りませんでした。ネットで、大高氏は自分でインターフォン越しに話したように語っていますが、これは竹中氏から聞いた話だと思われます。竹中氏はネットで流されることを承知の上で、大高氏に自分の取材情報を伝えたことになります。こうしたネットと連動するような取材のやり方は、犯罪的だと思います。「捏造記者」というレッテルがネットに流れれば、すさまじい植村バッシングがおきることは容易に想像できたはずです。
これは一種の「未必の故意」ではないでしょうか。この「チャンネル桜」のサイトには「外患罪で死刑にしろ」「ノイローゼにさせ本物の基地外にしよう」などの誹謗中傷の書き込みが相次ぎました。私は週刊誌記事とネットの両方で個人攻撃を受けたのです。

神戸松蔭の代理人からの情報によると、「週刊文春」から、同年3月3日に神戸松蔭に私の着任について、「白紙になったのか」との問い合わせがあったとのことです。大学側の事務局長が「着任しない」と伝えたそうです。「週刊文春」は3月13日号でも私の問題を書いています。私が着任しないことを聞いた後で、この記事に朝日新聞の「91年8月11日付朝刊記事を書いた当時、韓国では広い意味で『女子挺身隊』と『従軍慰安婦』が同義語として使われていました」などとする朝日新聞側の私の記事についての説明を16行も書いています。本来なら、2月6日号の記事に朝日側の説明として書くべき内容でした。「週刊文春」のやり方はひどいものです。初報(2月6日号)で朝日を言い分を載せず、私の就職がだめになってから、その後の報道(3月13日号)で、いかにも朝日の言い分も載せましたという書きぶりは、卑怯です。

さらに竹中氏は、私が非常勤講師をしている北星学園大学へも質問状を送っています。2014年8月1日に送られた質問状では「植村氏をめぐっては、慰安婦問題の記事をめぐって重大な誤りがあったとの指摘がなされていますが、大学教員としての適性には問題ないとお考えでしょうか」とありました。神戸松蔭に送ったものと似た内容です。やはり大学を怯えさせるような内容です。そして、竹中氏は「週刊文春」2014年8月14日・21日号「慰安婦火付け役 朝日新聞記者はお嬢様大学クビで北の大地へ」という記事を執筆しました。この記事の最後には「韓国人留学生に対し、自らの捏造記事を用いて再び“誤った日本の姿”を刷り込んでいたとしたら、とんでもない売国行為だ」とありました。仮定の話をしておきながら売国行為と書いて、読者の憎悪を扇動するような書き方です。実際にこの記事が出た後、8月30日付の消印で、私のことを「売国奴」と名指しする匿名のハガキが送られてきました。そこには「出て行けこの学校から 出て行け日本から」とありました。裏面には「日本人は植村隆を決して許さない」とありました。
そもそも、2月6日号の記事がきっかけで、神戸松蔭に激しいバッシングが起きて私が教授に採用されなかったことを知りながら、その半年後に同じような記事を北星について書いているわけです。当然、同じようなバッシングが北星にも起きて非常勤講師の職を失いうることは十分に予見できたはずです。しかし、竹中氏は同じことを繰り返しています。そこには植村の仕事を失わせ、経済的にも精神的にも追い詰めようという強い悪意が感じられます。まともな言論活動ではありません、言論によるテロ行為だと思います。この竹中氏の8月14日・21日号の記事の結果、北星学園にもさらに激しい抗議や嫌がらせが殺到し、私や家族は、さらに大きな人権侵害を受けることになりました。以上のような竹中氏の取材のやり方、記事の書き方は、ジャーナリズムの範囲を逸脱した、扇動とも言うべきものだと思います。

こうした植村バッシングの引き金になった記事を竹中氏に書かせた「週刊文春」編集部、そして、それを発行する文藝春秋社には大きな責任があると思います。