2016年9月29日木曜日

「真実」の反響つづく

【続報その2】植村隆さんの手記韓国語翻訳版『真実 私は捏造記者ではない』の刊行について、韓国の大手サイト「NAVER」で確認した限りでは、11社が報道しています。そのうち、「朝鮮日報」と「ハンギョレ」は日本語版でも伝えています。
以下は「朝鮮日報」と「ハンギョレ」の日本語版記事です。

■朝鮮日報  <記事URLはこちら
 元朝日新聞記者・植村隆氏、日本の慰安婦報道を懸念
「私の名誉毀損(きそん)の問題ではない。慰安婦のおばあさんたちの名誉の問題だ」

朝日新聞の記者だった植村隆氏(58)は「慰安婦問題を否定する日本の歴史修正主義勢力の執拗(しつよう)な攻撃や言いがかりにより、日本でも言論の自由に圧力を感じ、慰安婦問題を積極的に報道しないなどの雰囲気が広がっている」と懸念した。これは、植村氏が26日、『真実 私は「捏造(ねつぞう)記者」ではない』韓国語版の出版懇談会で語った言葉だ。同氏は今年3月から韓国カトリック大学に客員教授として在職している。
植村氏は1991年に元従軍慰安婦として初めて公に証言した故・金学順(キム・ハクスン)さんの記事を韓国メディアより先に報道した。同氏は2014年に朝日新聞を退職、北星学園大学の非常勤講師になった(※注)。しかし、日本の極右勢力は「慰安婦問題を捏造し、日本の名誉を失墜させた捏造記者」と執拗に攻撃、大学側に解雇を要求するなどの圧力を加えただけでなく、「娘を殺害する」と脅迫までした。<※注 北星非常勤講師は朝日在職中の2012年からつとめていた>
植村氏は昨年、自身を「捏造記者」と非難した週刊誌「週刊文春」などを相手取り、名誉毀損に当たるとして訴訟を起こした。日本の人権弁護士約270人が同氏のために弁護人団を構成した。同氏は「先日、韓国映画『弁護人』を見た。多くの弁護士が弁護に立つ最後のシーンは、私が直面している状況と少し似ていると思った。とても感動的で、つらいことがあるたびに何度も見てしまう」と述べた。植村氏はこの日の懇談会で、日本語のイントネーションが少し残っているとは言え流ちょうな韓国語で質問に答えた。朝日新聞在職時の1987年にソウルで語学研修をして韓国語を学び、96-99年にはソウル特派員を務めた。
昨年12月の韓日政府慰安婦問題合意について、植村氏は「日本政府は『お金だけ払えばすべて終わりだ』と考えるのではなく、『歴史の真実を回避することなく、むしろこれを歴史の教訓として直視していきたい』と明言した93年の河野談話の精神を継承するという意志を示すことが重要だ。慰安婦問題は終わりではなく、たった今始まったばかりだ」と言った。自身の今後については「韓日の若者に慰安婦問題などを教えながら、韓日友好関係を形成する架け橋のような役割をしたい」と語った。
金性鉉(キム・ソンヒョン)記者


■ハンギョレ  <記事URLはこちら
「右翼に対する反論と闘争の記録」の韓国語版を出版
「私を捏造記者と攻撃する彼らが捏造だ」
「娘を殺すという脅迫に最も憤りを覚えた」裁判所が賠償命令

25年前の1991年8月、日本軍慰安婦被害者ハルモニ(おばあさん)の金学順(キムハクスン)さんの証言を実名で報道し、この問題を初めて公論化し、国際的な問題として登場させた植村隆元「朝日新聞」記者(58・写真)が、韓国で著書を出した。26日、ソウル鍾路(チョンノ)区紫霞門路の青い歴史アカデミーで開かれた韓国語版『私は捏造記者ではない』(キル・ユンヒョン訳、青い歴史出版・原題『真実、私は「捏造記者」ではない』)の出版記念記者懇談会で彼はこのように語った。
「私は捏造していない。西岡力氏などの主張は、歴史修正主義勢力の言いがかりに過ぎない。 しかし、それがインターネット上で広がって私に対する憎悪が拡散された。これに対する闘争として、西岡氏らを対する名誉毀損訴訟を進めている」
今年3月からカトリック大学の招聘教授として来韓している彼は、金学順さんの後に続いた日本軍慰安婦被害者ハルモニたちの実名証言という「歴史的事件」の「序章」となる記事を書いたという自負心を堂々と披瀝した。
植村教授は自分の著書を「植村攻撃の記録とそれに対する反証など闘争の記録」であると共に、「これまで私と韓国との関わりを綴った自叙伝」でもあると強調した。
25年前の記事が原因で、日本国内の右翼から攻撃を受けてきた植村教授は特に、ここ2年半の間、「厳しい試練」を経験した。2014年1月末、日本の大手週刊誌「週刊文春」が慰安婦問題を否定する勢力のイデオローグとして活動してきた西岡力・東京基督教大学教授の発言を引用し、大学教授の採用が確定していた植村さんの(慰安婦関連)記事に「捏造記事」というレッテルを貼ると共に、「誤った記事で、韓日関係だけでなく、日本の国際的イメージを悪化させた責任は重大だ」として、「朝日新聞」まで攻撃したからだ。「週刊文春」が「『慰安婦捏造』朝日新聞記者がお嬢様女子大の教授に」という題名の悪意的な記事を掲載してから、「植村を(神戸松蔭女子学院大学から)追い出す」ことを求める抗議メールや「殺害」まで公言する右翼勢力の威嚇と脅迫が殺到した。そのために、彼は、朝日新聞社を退社してから、公開採用過程を経て、2014年4月から赴任すること条件に雇用契約書まで書いたにもかかわらず、神戸松蔭女子学院大学の敷地を踏む前に「退出」された。
19歳の彼の娘は当時、インターネット上で「こいつの父親のせいで、どれだけ日本人が苦労したことか。自殺するまで追い込むしかない」との暴言と共に、「必ず殺す 何年かかっても殺す。 どこへ逃げても、殺す。 絶対に殺す」という度重なる「殺害予告」まで受け、恐怖におののかなければならなかった。懇談会で植村教授は「これに最も憤りを覚える」としながら、「娘の問題で本当につらかった」と打ち明けた。
彼は自分の記事を捏造だと主張する「彼ら」が、(自分を)攻撃する理由は「極めて簡単だ」と話した。25年前のあの記事が、日本軍慰安婦を「挺身隊」の名前で連れて行ったとしたことや強制連行だったと言及したこと、金学順さんが妓生として働いた経歴を取り上げなかったというのが、すべてだ。
植村教授は、当時の記事で「『女子挺身隊』という名前で戦場に連行され、日本軍人を相手に売春行為を強要された」という表現を使った。当時、韓国と日本では一般的に「女子挺身隊」という言葉が「慰安婦」という意味で使われており、(この問題を初めて提起した「韓国挺身隊問題対策協議会」の名称がそうであるように)、日本の学界やマスコミでも「挺身隊」をそのような文脈で使用していたと、植村教授は指摘する。
強制連行についても、彼は「強制連行」という表現を使ったことはなく、むしろ当時、強制連行という表現を使ったのは、「産経新聞」だった事実を明らかにした。14歳で妓生見番に売られ、3年間にわたり妓生になるための教育を受けている間に拉致されたことを金さんが打ち明けなかった事実を書いていないのが何の問題であり、さらに、たとえ妓生だとしても、それが慰安婦問題と直接的な相関関係があるのかと、彼は反論した。
「あまりにも些細なことを口実に本質を歪曲するのが彼らの手法の一つ」として、彼は「彼らが付けた捏造というレッテルこそ捏造」だと指摘した。「私が捏造記者であるなら、なぜニューヨーク・タイムズ紙が私の問題を大きく報道し、国連の『表現の自由担当者』が私にインタビューし、ハンギョレと東亜日報が記事化し、カトリック大学が私を教授として招聘したのだろうか」と反問した。「彼は『彼ら』が私を攻撃するのは、私個人を殺すためではない」と話した。「自由言論を圧迫し、(従軍慰安婦問題など歴史問題について)沈黙させることが本当の目的だ。そのような点で、彼らはある程度成功を収めている。『朝日』さえもそのような問題を以前のように大きく取り上げない。記者たちも以前に比べて、それらの問題に対する関心が薄れた。また、そのような記事を書くと植村のようになると思って萎縮している」。
彼は、それでも、「日本で多くの市民や弁護士、学者、ジャーナリストたちが『植村攻撃』は言論の自由に対する弾圧として、応援して」おり、韓国でも支援活動が行われ、招聘教授として呼んでくれるなど、右翼の攻撃に対する抗議と反撃が広がっているとし、「状況が好転している」と話した。 
西岡力氏と「週刊文春」、そして彼の記事を「捏造」と主張し続けてきた著名なジャーナリストの桜井よしこ氏に対して提起した名誉毀損訴訟は、1年半ないし2年後に最終結論が出る見込みだが、いい結果が期待されている。今年8月初めには、(娘の顔写真をさらして誹謗中傷した)中年男性に、裁判所が「未成年者に対する悪質な人格攻撃」として、原告側の請求通り170万円(約1800万ウォン)の支払いを命じる判決を下した。依然として韓国とは雰囲気がずいぶん異なるが、日本でも状況は変わっていると彼は話した。
「過去の過ちから逃げずに、歴史の教訓として長い間記憶することで、同じ間違いを繰り返してはならないという『河野談話』の精神を継承すること、それが最も重要である」として、植村教授は、裁判の勝利を信じると話した。
「これからも私は日本と韓国の若い世代が真の友好関係を結ぶことができるように、架け橋の役割を果たしたい。ジャーナリストとして『慰安婦問題』も一層積極的に対処していくつもりだ」
ハン・スンドン先任記者 

東亜日報系列のケーブルテレビ「チャンネルA」では、動画を配信しています。
URLはこちら

2016年9月27日火曜日

「真実」韓国の反響


【続報】植村隆さんの手記「真実」(岩波書店)の韓国語版(※1)発行を発表する記者懇談会が9月26日、ソウル市のプルンヨクサアカデミーで行われました。

植村さんの手記は韓国でも大きな関心を集め、記者懇談会には聯合ニュースや東亜日報、朝鮮日報、韓国日報、ハンギョレ、京郷新聞などマスコミ各社が12社も訪れました。聯合ニュース、東亜日報、韓国日報、ハンギョレ、京郷新聞、ソウル経済、朝鮮日報(※2)、国民日報、京畿新聞の記事がネットで紹介されています。また、テレビ局SBSのサイトにも記事が紹介されているほか、チャンネルAが動画を配信しています。韓国のマスコミの反響の大きさがうかがえます。

聯合ニュースは、「植村は本で、捏造との主張に反論し、自分と家族に襲い掛かった試練を淡々と記録する」と書きます(※3)。また、「私が捏造記者なら苦しみながらもやっとの思いで証言した慰安婦ハルモ二たち(の行為)を無にすることになる」(ハンギョレ)という発言や、「本には私を支えてくれる(日本の)市民団体や平和を求める多くの人々が登場する。ここから希望が見出せるはずだ」(東亜日報)などと語ったことも紹介されています。

そして、各紙が共通して最後に書いているのが、植村さんの以下の発言です。
「これからも日本と韓国の若い世代が友好関係を結べるよう架け橋の役割を果たしたい」(聯合ニュース)。


※1 韓国語版「私は捏造記者ではない」は韓国の出版社「プルンヨクサ(青い歴史)」より発行。定価15,000ウオン、日本円で約1,370円。
※2 朝鮮日報(日本語版)の記事 URLはこちら
※3 聯合ニュースのサイト(韓国語) URLはこちら


写真(プルンヨクサ提供ほか)=上から、記者懇談会場、集まった記者たち、説明する植村さん、メディアの取材 <クリックすると拡大されます>


2016年9月24日土曜日

植村隆のソウル通信第5回

韓国語版の手記、発行されました!

みなさまにお知らせです。
私の手記「真実」(岩波書店)の韓国語版が、出版されました。

題名は「私は捏造記者ではない」。
韓国の出版社「プルンヨクサ(青い歴史)」が発行しました。定価は15,000ウオン(日本円で、約1370円)。発行日は10月9日。292ページで、原著よりひと回り大きく、重いです。資料も原著より多く、索引まであります。便利です。


韓国の大手書店である教保文庫は、ネットでも販売しています。こちら
「送料無料・10パーセント引きなど」と、宣伝しています。

刊行を記念して、26日にソウルにある「プルンヨクサ アカデミー」で、記者懇談会という名の会見が行われます。その招待状を添付しました。出版社が作ってくれたものです。「ご招待します」と韓国語で書かれ、本の写真と私のポーズ写真がデザインされています。

ポーズ写真は2015年5月、米プリンストン大学で講演した後、プリンストンの街で撮影したものです。「植村裁判を支える市民の会」が編集した「週刊金曜日」抜き刷り版の表紙にも使われたおなじみの写真です。私の隣には、故アインシュタイン博士のポスターが映っているのですが、韓国語版では、私の部分だけを使っています。
これは、私のお気に入り写真の一つです。植村バッシングへの反転攻勢の意欲が表情にもみなぎっていると思います。

チラシには、こう書いてあります。
「この本は植村へのバッシングの記録であり、それに対する反証などを盛り込んだ闘いの記録である。『慰安婦』報道の後、『捏造記者』という汚名を着せられ、様々な誹謗中傷に苦しんできた著者の淡々とした回想は、『日本軍慰安婦問題に関する韓日政府間の12・28合意』以後も論争が途切れない現状に、たくさんの示唆点を投げかけている」

さて、この「9・26会見」を前に、この出版をめぐる経緯などについて、少し書いておきたいと思います。

翻訳者は「ハンギョレ」東京特派員のキルさん

日本で、この手記「真実」が岩波書店から発行されたのは今年2月26日でした。それから7カ月後に韓国語バージョンが発行されたことになります。

韓国入りしてから、友人に紹介されて、ひげの歴史学者として知られる韓洪九(ハン・ホング)聖公会大学教授に出会いました。私の問題にも関心を持ってくれていたハン先生は、私の手記出版のために、「プルンヨクサ」とつないでくれました。

それとは、別に2つの韓国の出版社も岩波書店に翻訳を申し込んでくれました。結局、計3社の競合となりましたが、私は、プルンヨクサを選びました。それは、プルンヨクサが翻訳者に韓国のリベラルな新聞「ハンギョレ」の吉倫亨(キル・ユンヒョン)東京特派員の名前を挙げていたからです。私が指定したわけではありません、全くの偶然でした。

それを知った時、思わずこころの中で、「ラッキー」とつぶやきました。私にとっては、彼が翻訳してくれるのがベストだと思ったのです。

キル特派員は、植村バッシングが激しいさなかの2014年12月に札幌に取材に来て、私にインタビューしてくれました。それだけでなく、「負けるな北星!の会」のメンバーにも密着し、深い取材をしていました。韓国紙の東京特派員で、最も植村バッシングに詳しい記者だと思います。

彼とは、2013年9月末に初めて東京で会いました。週刊文春が2014年1月末、私を「慰安婦捏造記者」とレッテル貼りし、激しい植村バッシングが起きたのですが、その前からの知り合いなのです。

韓国語版の中に、キル特派員の「訳者のあとがき」があります。その中で、私との出会いのことや、その後の、植村バッシングのことについて、詳しく書いてくれています。

私は、ソウル在住の元慰安婦の女性が証言をし始めたことを1991年8月に書きました。その記事で、慰安婦の意味で女子挺身隊という言葉を使ったことで、「捏造記者」と攻撃されています。
韓国では、私の取材当時、慰安婦のことを挺身隊と呼んでいました。このため、韓国では私が「捏造記者」でないことは、すぐに分かってもらえます。しかし、それだけに、なぜ私がこれほどまでにバッシングされているのか、なかなか、韓国の人びとには理解してもらえない面があります。

キル特派員は、「2014年から15年にかけて、日本軍『慰安婦』問題を取り巻く日本社会の雰囲気がどれほど殺伐としていたか」(キル氏の表現)を丁寧に説明しています。彼の記述が、韓国の読者の理解の助けになりそうです。

■日本社会の理性を失ったバッシング現象

またキル特派員は、2014年12月当時の私について、こう書いています。

1年ぶりに会った植村さんは大きな旅行用のキャリーバッグを転がしながら姿を現した。『旅行にでも行った帰りなのだろうか』と思っていたら、そうではなかった。バッグの中には『私はねつ造記者ではない』ことを証明するための資料がぎっしり詰め込まれていた。彼は会う人ごとにこの資料を配りながら、「私はねつ造記者ではない」と明をけた。い旅行用のキャリーバッグを引きずりながら、身を切るような寒さの中、札幌のススキノをとぼとぼとく彼の後ろ姿がさびしく思え、涙が出そうだった」

そして、こう指摘しています。

「結局、植村バッシングとは慰安婦問題の本質を理解し、正しい解決方法を探すことを諦めた日本社が、慰安婦問題を初めて記事にした人物をスケープゴートにして、理性を失ったバッシングを浴びせた現象と定義するしかない」。

キルさんの文章を読みながら、私のほうこそ涙が出そうでした。

韓国紙の東京特派員は、非常に忙しいポストです。にもかかわらず、私の手記の翻訳を引き受けてくれたキルさんの友情に深く感謝したいと思います。
また、ゲラのチェックなどに当たってくれた教え子の姜明錫(カン・ミョンソク)君ら植村支援チームの皆さん、編集者のチョン・ホヨンさんらのご尽力をありがたく思っています。

キルさんは、最後にこう、結んでいます。
「本書が植村さんの苦しい闘いに少しでも役に立てたらと思う」

関係する皆さんのおかげで、私は、私の問題をすべて韓国語で説明する資料を得たことになります。
ありがとうございました。カムサハムニダ。

これからは、この本を通じて韓国の人びとに私の問題を理解してもらうとともに、慰安婦問題の真の解決のためにはどうすればいいのかを、一緒に考える手がかりにしていきたいと思います。


2016年9月23日金曜日

北大でシンポジウム

植村隆さんが10月1日、北大で開かれる学術シンポジウムに出席します。北大大学院メディア・コミュニケーション研究院の招きによるものです。植村さんは韓国から一時帰国します。

シンポジウム  「慰安婦」と記憶の政治

日時:2016年10月1日(土)13時30分~17時
場所:北海道大学文系総合教育研究棟W103室
基調講演
アジア太平洋戦争における日本軍と連合国軍の「慰安婦」=テッサ・モーリス-スズキ(北海道大学招へい教授・オーストラリア国立大学)
報告1 朝日バッシングの背後にあるもの=植村隆(カトリック大学招聘教授・元朝日新聞記者)
報告2 「想起の空間」としての「慰安婦」少女像=玄武岩(北海道大学)
討論  「慰安婦」問題と越境する連帯=テッサ・モーリス-スズキ+植村隆+玄武岩
司会:水溜真由美(北海道大学)
主催:北海道大学大学院メディア・コミュニケーション研究院

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

■俵義文さんが批判、櫻井よしこ氏の「ウソ」

9月19日に兵庫県であった「メディアを考える市民の集い」で講演した俵義文さん(子どもと教科書全国ネット21事務局長)は、櫻井よしこ氏が右派の論客としてもてはやされるようになった理由として、ひとつのエピソードを明かしています。以下、その引用です。

1996年、櫻井氏は横浜市の教育委員会に招かれて教員研修会で講演をした。櫻井氏は与えられたテーマからそれて慰安婦問題をしゃべり始め、こう言った。
<あれは日本には何も責任がない、私の父や母の世代があんなことをするはずがない、と私の血がそういうふうに言っている。福島瑞穂弁護士には、あなたこんなことやっているけど、秦郁彦さんの本とかを読んでもっと勉強をしなさい、と言った。福島さんは、考えとくわ、と言った>。
この福島さんに関するところはまったくのウソ、作り話だ。福島さんは、そんな話は一度もしていない、と雑誌に書いている。横浜の講演は市民団体が大きく問題にしたため、その後に予定されていた2カ所での講演は中止になった。ところが櫻井氏は、<言論弾圧を受けた>と朝日新聞に書いた。これがきっかけで、櫻井氏は言論弾圧と闘う女性ジャーナリスト、と右翼の中で一気にもてはやされるようになった。ウソつきから始まったこういう人が、いま日本の憲法改正の動きの中心になっている。

講演のフル動画は、IWJ(IndependentWebJournal,岩上安身氏主宰)が公開中です。
IWJはこちら   該当部分は、1:50:17~1:52:48です。

俵さんは、植村裁判札幌訴訟第4回口頭弁論後の報告集会で、「日本会議とは何か」と題して講演をします。11月4日午後4時半から、札幌市教育文化会館403号室で。


2016年9月21日水曜日

「ニュースの真相」評

いま公開中の映画「ニュースの真相」(2015年製作、ジェームズ・バンダービルト監督)を紹介します。

ブッシュ米大統領が再選を目指していた2004年、米国最大のネットワークCBSの女性プロデューサー、メアリー・メイプス(ケイト・ブランシェット)は、著名ジャーナリストのダン・ラザー(ロバート・レッドフォード)がアンカーマンを務める看板番組で、ブッシュの軍歴詐欺疑惑をスクープします。

しかし、その「決定的証拠」を保守派勢力に「偽造」と断定されたことから事態は一転。メアリーやダンら番組スタッフは、政権と世間から猛烈な批判を浴び、メアリーは退職、ダンは降板します。ニュース番組の裏側からアメリカ社会とメディア産業の内実を描いた実話です。原題は「TRUTH」、真実、です。

ブッシュの再選の行方を左右しかねないスクープに、政権側はネットを利用して、文書は偽造だという情報を拡散させます。メアリーには、バッシングのメールが殺到します。激しい非難にさらされながら、それでも矜持と信念を失わずに、圧倒的に不利な闘いに挑むメアリーやダンらの取材チームに心揺さぶられました。メアリーの「真実だから報道するのよ」という力強い言葉が、ジャーナリスト魂を見せつけて爽快です。

「真実」をつかまれたときの権力の反応の素早さ。組織を守ろうとする上層部と真実を追求する制作現場の対立も描かれます。今、日本でも同様のことが起きていて、とてもタイムリーな作品です。最近のメディアの萎縮ぶりは、安倍政権下で「報道の自由度」が世界72位になったことが如実に物語っています。市民の目線で報道し続けてきたキャスターやジャーナリストが「偏向」を理由に放送界から追放されたことを許してはならないと思います。

植村さんの真実を訴える闘いを孤立させてはならない、と強く思いました。「植村裁判を支える市民の会」をたくさんの人に知ってもらいたい。(樋口みな子)
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

札幌では、ディノスシネマ札幌劇場で公開中(10月13日まで)

2016年9月18日日曜日

植村隆のソウル通信第4回

「ほぼ満月」とウイスキー



秋の気配が漂い始めました。
きょうは、《ちょっと遅めの中秋の名月@韓国カトリック大学》の写真を皆様にごらんにいれたいと思います。

本日18日午前6時前に、キャンパス内の木立の間から見える月を望遠レンズで撮りました。
韓国の報道によれば、この時期にいちばんまるくなる満月の日は、17日午前4時5分。きのうの未明です。この月をとろうと、カメラを準備していたのですが、きのうは曇っており、満月が見られませんでした。

今朝、自宅のあるゲストハウスを出て、研究室に向かって歩いていたら、西の空に、 この「ほぼ満月」が出ていたのでした。
「そうだ、一日遅れでもいいんだ」。
そう思って、あわてて研究室に置いていたカメラを取りに行き、キャンパス内の坂道を上って、この「ほぼ満月」を撮ったのでした。

もうすぐ夜明けです。
写真を撮り終えて、月と反対側にある研究室のほうへ歩くと、東の空が赤くなっていました。
朝焼けです。

研究室に戻って、パソコンでこの写真を見ました。薄暗い空に浮かぶ月の写真はなかなか、雰囲気がありました。デスクトップの背景にちょうどいいなと思って、設定してみたら、いい具合になりました。当分、この「ほぼ満月」をパソコンの画面で、楽しもうと思います。

■秋夕5連休の帰省ラッシュ

旧暦の8月15日を日本では中秋といいますが、韓国では秋夕(チュソク)といいます。
この秋夕は、韓国では重要な名節のひとつで、家族が集まり祖先祭祀をしたり、墓参をしたりします。今年の秋夕は、9月15日でした。前後3日間が休日となるので、土日とあわせ、9月14日~18日まで5連休となっています。

大学も休みになります。韓国の人口は、8月現在で5164万人で、ソウル市の人口は997万人です。近郊も含めた首都圏の人口はさらに多くなります。この首都圏の人びとの中で、地方出身者は、秋夕の連休には故郷に戻ります。いわば民族大移動の時期なのです。
日本でもお盆の時期には帰省ラッシュとなりますが、韓国はそのラッシュの具合がもっとすごいです。

ソウルに隣接する富川市に本部キャンパスがあるカトリック大学では、秋夕連休の前日の9月13日、運動場に大型バスが8台集結していました。バスのフロントガラスにはそれぞれ「大邱」「釜山」「光州」などと行き先がかかれています。
これは、秋夕に帰省する地方出身の学生のために、大学が手配した臨時バスなのです。
驚きました。日本では、さすがにお盆に帰省する学生のために、大学が臨時バスを手配するということは聞いたことがありませんよね。

実は、この9月13日は火曜日で、私の後期第3回目の講義の日でした。午後3時から、3時間の授業です。その1週間前の6日に、一部の学生たちが、「先生、13日午後2時に大学から帰省のバスが出るので授業に出られないのです」などと話していたので、この臨時バスのことを私も知りました。
13日、講義を始めて出席をとると、37人登録のうち出席者は22人。出席率は約6割 。4割のほどの学生が、欠席です。たぶん、かなりの学生が、あのバスに乗って帰省するのでしょう。
まあ、よかよか。

もちろん、地方に勤務している、ソウル出身者はこの逆で、この時期に、ソウルへ戻ってくることになります。そういうケースの青年が、13日、私を訪ねてくれました。

■北星の教え子、いま部下30人の少尉

講義が始まる前、昼前のことでした。
今年春、カトリック大学を卒業して職業軍人になった青年が研究室に顔を出してくれたのです。彼は、地方勤務なのですが、実家はソウルにあるのです。
「秋夕の休みで戻ってきました。これ軍隊なので安く買えました」と言って、お土産のウイスキーを手渡してくれました。紙ケースに「軍納用」とかかれてあるスコッチウイスキーです。ありがとう。でも申し訳ないなあ。

彼は北星学園大学への留学生で、同大の非常勤講師だった私の講義を受講していました。
あの北星バッシングの激しい時期には、彼なりのやり方で、私を励ましてくれました。授業の光景だけでなく、一緒に大通公園を歩いて、スーパー銭湯へ行ったことや、バーベキューをやったことなどを思い出しました。

彼の心遣いに思わず涙が、出そうになりました。
彼はいま少尉だということや部下が30人ほどいるなどと軍隊生活の話をしてくれました。「自分専用の部屋があります。今度、テレビを買おうと思っています」とも。
この日は授業があるので、彼とはゆっくり話ができませんでした。「15日に昼食を一緒にとろう」 という約束をしました。ご馳走しなきゃ。

ところが、翌14日の夜、彼からメールが送られてきました。「久しぶりの休みで飲みすぎたら、二日酔いが強すぎて……」
酒が過ぎて、体調を崩して、これなくなったとのことでした。「無理をしないで」と返事のメールを打ちました。

つもる話もあったけれど、それはまた別の機会にすることにしましょう。教え子を訪ねて、軍隊に面会に行くのもいいな、と思いました。彼の持ってくれたウイスキーは研究室の机の上で、私を見守っています。

飲まずに、飾っ ておこうと思います。

2016.9.18記

2016年9月15日木曜日

九州4市での講演会

9月7日から11日まで、福岡、熊本、水俣、北九州の4市で開催された植村隆さんのスピーキングツアー(講演会)の模様を、新聞記事からの引用と当会FBからの転載とでお知らせします。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

9月7日(水)福岡市、西南学院大学博物館2階講堂

朝日新聞(西部本社版、9月14日朝刊32面)より以下に引用

「私には事実という武器」 元朝日記者・植村さん講演 
従軍慰安婦問題を報じ、「捏造(ねつぞう)」とバッシングを受けた元朝日新聞記者の植村隆さん(58)が福岡市で講演した。「捏造などしていない」と強調。批判的なメディアからの取材も受けたが、ひるまなかったのは「私には事実という武器があったから」と明かした。
講演は「慰安婦」問題と取り組む九州キリスト者の会が7日に開いた。

植村さんは、「慰安婦を強制連行したように書いたのが捏造だ」などと批判されている。これに対し、「強制連行」とは書いていないとした上で、「強制だったか、だまされたか、人身売買だったかで罪が軽くなるわけではない。世界は、連行の経緯ではなく、戦場でどのようなひどいことをしたか、その事実について問題視している。『強制連行がなかったから、日本は謝罪する必要はない』という論理は通用しない」と指摘した。

慰安婦問題をめぐる米国の歴史研究者らの声明を引用し、「過去の過ちを認めるプロセスは民主主義社会を強化し、国と国のあいだの協力関係を養う」と訴えた。

植村さんは1991年に書いた記事が「捏造」とされ、新聞社退社後に勤務していた大学や家族にまで脅迫や嫌がらせが相次いだ。

朝日新聞は2014年8月の検証記事で、「慰安婦」と「女子挺身(ていしん)隊」を誤用したことを認めた上で、「意図的な事実のねじ曲げはない」と結論づけた。同年12月の第三者委員会報告も捏造を否定している。(佐々木亮)

引用終わり=写真はM.Iさん提供

インターネットメディア「レイバーネット日本」でも詳報を掲載しています。 こちら

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

9月8日(木)熊本市、くまもと県民交流館パレア


熊本の講演会は、札幌訴訟弁護団事務局長の小野寺信勝弁護士の前任地ということもあって実現しました。熊本市内のたくさんの弁護士さんの準備と協力があり、100人もの参加がありました。講演会後の交流会にも30人が参加しました。会場で販売した植村さんの著書「真実―ー私は捏造記者ではない」(岩波書店)と、週刊金曜日の抜き刷り版「検証・植村バッシング」はともに完売しました。
その盛り上がりと熱気に、はるばる札幌から応援にかけつけた「支える会」のスタッフ3人は驚き、植村さんを支援する声が広がっていることを、あらためて実感しました。
(M.H記、写真も)

















・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

9月9日(金)水俣市、水俣市公民館

【支える会FBより転載、一部略、M.H記、写真も】
水俣市での講演会は水俣病の支援グループの方たちや、川内原発に反対している方たち、人権問題に関心のある方など、50人の参加がありました。
植村さんは、25年間前に書いた慰安婦問題の記事で、突如バッシングを受けるようになった経緯を話し、様々な映像を使って、「自分の問題だけでなく、言論の自由と報道の自由を守る、戦後70年間守り続けてきた民主主義に対する攻撃に屈しない」と力強く決意をこめて、講演を結びました。

水俣病も差別と偏見の中で闘ってきました。患者さん、支援者から共感の拍手が送られました。
水俣駅の正面は巨大なJNC(旧チッソ) です(写真左)。今も巨大産業であり続けています。
波が穏やかで、美しい不知火海とは対照的でした。 



・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

9月11日(日)北九州市、若松バプテスト教会

【支える会FBより転載、一部略、M.H記、写真も】
九州スピーキングツアーの最終日。
主催したのは 小田山墓地・朝鮮人遭難犠牲者追悼集会実行委員会です。
福岡・朝鮮歌舞団の「トラジの花」などの舞踊と歌の披露(写真左)のあと、講演が始まりました。
植村さんは最初に、「ニュース23」の映像とアンカーの岸井成格さんのコメントを紹介し、「植村バッシングはまさに歴史修正主義者らによる攻撃だった」と語り、2014年のバッシングは異常だったと振り返りました。
そして、「さまざまなバッシングに怯まなかったのは、私には事実という武器があるからです」と語り、慰安婦を強制連行したように書いたとして、捏造と批判されたが、そのように表現してはいない」「世界は強制連行か、だまされたかを問題にしているわけではない。意に反して慰安婦にされたこと。戦場で性的に蹂躙されたことは事実であり、彼女たちの尊厳を踏みにじったことにきちんと謝罪する必要がある」と訴えました。
植村さんの真剣に訴える姿に、会場は共感する人たちの熱気があふれていました。講演の後、参加者は27回目になる小田山墓地での朝鮮人遭難犠牲者追悼集会に参列し、犠牲者を偲び、献花しました。
 

2016年9月10日土曜日

名古屋の動画を公開

8月20日午後に名古屋市瑞穂区の市博物館講堂で開かれた集会を収録した動画がYouTubeにアップされています。
全編は2時間10分ほどあり、植村さんの講演は約1時間50分です。植村さんが語った「いま伝えたいこと」が、ほぼ完全に収録されています(質疑の一部のみカット)。画像、音声ともに良好で、会場の熱気を包むやわらかな空気も伝わってきます。
主催者「植村裁判支援名古屋集会実行委員会」の許可を得て、URLを公開します。
https://www.youtube.com/watch?v=_dcp6T_NQXg&feature=youtu.be

2016年9月6日火曜日

吉見控訴審が結審!

慰安婦問題をめぐる名誉棄損で吉見義明・中央大学教授が元衆院議員・桜内文城氏を訴えている訴訟の控訴審第2回口頭弁論が9月6日午後3時から東京高裁101号法廷であり、結審しました。5月31日に始まった控訴審はわずか2回で終了ということになりました。判決は12月15日午後3時から言い渡されます。
この裁判は1審で原告の吉見氏が敗訴しています。植村裁判と訴えの中身は違っていても、慰安婦問題についての表現活動をめぐる裁判であることは共通しています。また1審の裁判長が東京地裁民事33部の原克也裁判長であることも共通しています。
高裁判決の前日12月14日には東京地裁で植村東京訴訟の第7回弁論が、翌日16日には植村札幌訴訟の第4回弁論がそれぞれ行われます。師走の3日間、忙しくなりそうです。

◆吉見裁判1審判決=詳しい記事は「植村裁判資料室」にあります こちら

◆吉見裁判の説明=詳しくは支援サイト「YOいっしょん吉見裁判」参照 こちら



2016年9月2日金曜日

韓国紙インタビュー

8月下旬に韓国に戻った植村さんが、韓国の有力紙「ハンギョレ」のインタビューで、大学での講義のことを語り、慰安婦問題をめぐる日韓合意と少女像のあり方について意見を述べています。9月2日付の同紙コラム「チャム(隙間)」の訳文を掲載します。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

「ハンギョレ」201692付コラム<チャム(隙間)>

<前文>
「韓日の政治指導者たちの慰安婦問題に対する認識のレベルが、過去に比べてむしろ後退していると思う。日本政府は誠実ではなかったし、韓国政府は性急すぎた」
31日、京畿道富川市のカトリック大学でインタビューした植村隆(写真)カトリック大客員教授は「1228韓日合意」について低い点数をつけた。彼は「20余年前、慰安婦動員過程の強制性を認めた『河野談話』より後退した合意」だと評価した。
富川/イ・ジェウク記者

<本文>
彼は「朝日新聞」記者時代の1991811日、故金学順さんの「慰安婦被害実態」に関する記事を書いた。この記事は、保守的な儒教文化のために「性奴隷」被害を受けても生涯隠し通さねばならなかった韓国に住む慰安婦被害者の存在を明らかにした初めての報道だった。その3日後、金さんは記者会見を通じて初めて名乗り出た。

植村教授は「1228合意がなされたにもかかわらず、日本政府は慰安婦被害者に直接謝罪しなかった。韓国政府もこれに目をつぶった。しかし、当事者が抜けた合意は問題を解決するどころか、より難しくしている」と指摘した。

3月に富川のカトリック大ELP学部客員教授として韓国に来た植村教授が行っている講義は「東アジアの平和と文化」。1982年に朝日新聞社に入社し20143月まで30年余り記者として勤めた。ソウル特派員、中東特派員、北京特派員などを務めた。神戸松蔭女子学院大学の専任教授に内定していたが、20141月、『週刊文春』が「“慰安婦捏造”朝日新聞記者がお嬢様女子大教授に」と題する記事を書いたことで、日本の右翼による集中的なバッシングが始まった。彼らの圧力によって、大学側は結果的に雇用契約を取り消した。

彼が非常勤講師を務めていた北海道の北星学園大学にまで右翼の攻撃が及んだが、これに反対する日本の知識人たちが会を結成し再契約に成功した。北星学園大とカトリック大は交流関係にある。

彼は(カトリック)大学で、韓国の慰安婦の証言記事で右翼の無差別バッシングを受けている自らの話、31独立運動と518(光州)民主化運動など韓国の近現代史を題材に平和と人権について考える講義を行っている。
「平和や人権は自らが作るもので、誰かが作ってくれるものではないと思う。生きる過程で常にこのことについて悩み、動いてこそ、より平和な社会、人権が広がる社会を作れるといった趣旨の講義です」

本や印刷物が散らかっている彼の研究室の机の片側には、詩人・尹東柱の詩集『空と風と星と詩』が置かれていた。「尹東柱が好きだ。彼の詩の世界自体が独立と平和を語っている。だから、尹東柱の詩も授業内容に取り入れている」と説明した。

1228合意を通じて韓日両国は「最終的かつ不可逆的」解決のためのボタンをかけたと評したが、韓国内の慰安婦問題はまだ解決していない。
「慰安婦問題は単純に1回の合意で解決できるものではない。ドイツの首相はホロコーストについて繰り返し謝罪している。慰安婦問題は金と約束の問題ではなく、真心と反省の問題だからだ。日本政府は河野談話を継承して謝罪し、記憶の継承作業を通じて日本人の心の中に少女像が刻まれるように努めるべきだ」

植村教授は、韓国政府に対しても「世論調査の内容を見ると、少女像撤去反対の声の方が多い。韓国政府が慰安婦問題を性急に決着しようとして、むしろ新たな軋轢を呼び起こしていると思う」と語った。「両国の市民らが慰安婦問題をきちんと理解し、まず和解・協力する方法で問題を解決する必要がある」と付け加えた。


植村教授は現在、不当な論理で誹謗した『週刊文春』と右翼人士の西岡力・東京基督教大学教授らを相手に損害賠償訴訟を係争中だ。裁判の準備でしばしば日本と韓国を行き来しし、やるべきことも多い。それでも彼が韓国に来た理由は明らかだ。「両国学生の和解のための窓口になりたい」


<記事の中見出し>
「『慰安婦被害者』が抜けた韓日合意でむしろ軋轢は深まった」
「慰安婦証言」を初めて報じた日本の言論人、植村隆教授
1991年 金学順さんの証言を初めて報道
2年前、右翼マスコミ「捏造記事」攻撃
カトリック大客員、「東アジアの平和」講義
「両国学生の和解結びたい」
1228韓日合意」20年前より後退
「日本政府、誠実と反省だけが解決方法」