2018年3月25日日曜日

札幌第11回■詳報

upload=2018/03/25 13:30◇update=2018/03/25 17:40本記一部加筆◇update=2018/03/27 21:10集会報告追加 

 櫻井よしこ氏が自身のウソを認める!

「捏造決めつけ」記述にも重大な誤り

次回7月6日に結審、判決は秋以降に

札幌訴訟の第11回口頭弁論が3月23日、札幌地裁で開かれ、原告植村隆氏、被告櫻井よしこ氏に対する長時間の本人尋問があった。
この尋問で、櫻井氏は、いくつかの記述に誤りがあることを認めた。この記述は捏造決めつけの根拠となるものであるため、植村氏に対する誹謗中傷が根も葉もないものであることがはっきりした。櫻井氏本人がウソを認めたことにより、櫻井氏の根拠は大きく揺らぎ、崩れた。櫻井氏はその一部については、訂正を約束した。

傍聴券交付に252人の列
尋問は午前10時30分から、植村氏、櫻井氏の順で行われ、午後5時前に終了した。両氏が法廷内で向かい合うのは第1回口頭弁論(2016年4月)以来2年ぶり。裁判大詰めの場面での直接対決となり、傍聴希望者は最多記録の252人。抽選のために並んだ列は地裁1階の会議室からあふれて廊下、エレベーターホールへと伸びていた。63枚の傍聴券に対する当選倍率は4.0倍となった。関東や関西、九州から前日に札幌入りした植村支援者もこれまた最多の20人ほど。一方で、櫻井氏側の動員によると思われる人たちの姿もいつになく目立った。
満席となった805号法廷は、開廷前から熱気とともに緊迫した空気に包まれた。弁護団席に、植村氏側は34人が着席した。東京訴訟弁護団からは神原元・事務局長ほか6人も加わっていた。櫻井氏側はいつもと同じ7人と新たに2人の計9人。いつもは空席が目立つ記者席は15席すべてが埋まった。傍聴席最前列の特別傍聴席には、ジャーナリスト安田浩一氏、哲学者能川元一氏のほか、新潮社やワックの関係者の姿もあった。

午前10時32分、開廷。裁判長が証拠類の採否を告げた後、植村氏に証言台で宣誓をするように促し、尋問が始まった。尋問の前半は植村氏、後半は櫻井氏。自身の弁護団に答える主尋問、相手側からの質問に答える反対尋問という順で行われ、重要な争点についての考えが明らかにされた。この中で、櫻井氏のこれまでの言説には重大な誤りや虚偽があることがはっきりした。

植村氏の尋問
植村氏は、1991年当時の記事執筆の経緯と、捏造決めつけ攻撃による被害の実態を詳しく説明した(別掲・陳述書要約を参照)。質問は植村弁護団若手の成田悠葵、桝井妙子両弁護士が行った。主尋問は淡々と進み、予定の1時間で終わって昼休みに入った。
午後1時再開。植村氏への反対尋問が始まった。質問したのは、浅倉隆顕(ダイヤモンド社)、安田修(ワック)、野中信敬(同)、林いづみ(櫻井氏代理人)、高池勝彦(同)の5弁護士。尋問は1時間40分にわたった。質問が集中したのは、植村氏が記事の前文で「挺身隊」「連行」という用語を使ったこと、また、本文でキーセン学校の経歴を書かなかったことについてだった。このほかに、記事執筆の開始・終了時間や、慰安婦関連書籍の読書歴、関連記事のスクラップの仕方など、争点とは直接関連のない質問も繰り返された。

植村氏は終始ていねいに答えたが、「吉田証言」についてのやりとりで、怒りを爆発させる場面もあった。
朝日新聞社は1997年に「吉田清治証言」(済州島で「慰安婦」を狩り出したとの証言)について調査チームを作り、検証作業を行った。当時ソウル特派員だった植村氏もチームに加わり、済州島での調査結果メモを提出した。安田弁護士はそのメモについて、2014年に朝日新聞の慰安婦報道を検証した第三者委員会の報告書は「あなたの調査はずさん、という表現をしている」と言った。ところが同報告書には植村メモについて「徹底的な調査ではなかったようである」と書かれているものの、「ずさん」という表現は一切ない。
植村氏は、「名誉棄損裁判の法廷で名誉棄損発言をするのですか」と激しく抗議した。安田弁護士は植村氏の剣幕に圧されて「怒らないで下さい、謝ります」と述べ、そのまま尋問を終えてしまった。廷内のあちこちから失笑と溜息が聞こえてきた。

主任弁護人格の高池弁護士はこれまでの弁論ではほとんど発言しなかったが、今回は質問に立った。しかし、慰安婦問題や植村氏の記事について深く踏み込んだ質問はなかった。意外だったのは、植村氏が朝日新聞を早期退職して大学教授を志した理由や、植村氏が東京と札幌で提訴したことなど、訴訟の基本的な情報についての質問だった。植村氏が、自由な立場で研究と著作活動ができる場として大学教授の道を選んだこと、バッシング当時も現在も札幌市の住民であることを伝えると、高池弁護士は怪訝な表情を浮かべた。初めて知った、という表情に見えた。
植村氏の反対尋問が終わった後、岡山忠広裁判長とふたりの陪席裁判官から、植村記事の「(女子挺身隊の)名で」「連行」の意味、韓国内での「挺身隊」という表現や吉田証言の韓国内での影響などについて、質問があった。植村氏の尋問は午後2時50分に終わり、10分間の休憩に入った。

櫻井氏の尋問
午後3時、再開。櫻井氏の主尋問が始まった。櫻井氏は、林いづみ弁護士の質問に答え、慰安婦問題に関心を持つようになったきっかけと基本的な考え、これまでに行った取材や研究内容を語った。自身の著述や発言に誤りがあるとの指摘についても釈明し、「間違いですからすみやかに訂正したい」と述べた。朝日新聞の慰安婦報道については、「海外で日本の評価を傷つけた」との持論を繰り返し、植村氏の記事についても「意図的な虚偽報道だ」とのこれまでの主張を繰り返した。主尋問は45分で終わった。

続いて植村側の川上有弁護士が反対尋問を行った。川上弁護士は、櫻井氏の著述の問題点を具体的に指摘し、取材や確認作業の有無を徹底的に突いた。ゆっくりと柔らかい口調はまるでこどもを諭す小学校教師のようだが、中身は辛辣なものだった。刑事事件を多く手がけてきたベテラン弁護士ならではの面目躍如である。
川上弁護士は、櫻井氏が書いた記事やテレビ番組での発言を突き付け、櫻井氏が主尋問であらかじめ認めていた間違いについて、畳みかけた。「ちゃんと確認して書いたのですか」「どうしてちゃんと調べなかったのですか」「ちゃんと訂正しますよね」。櫻井側弁護団はその都度、証拠書面の提示を求めた。証言台上の書面を確認し終えた櫻井側弁護士は、自席に戻らずにそのまま立ち続けた。川上弁護士は「いつまでそばにいるんですか、証言誘導の誤解を招きますよ」と指摘した。そうこうするうちに、櫻井氏の声はだんだんと小さくなっていった。

櫻井氏が間違いを認めたのはこういうことだ。
月刊「WiLL」2014年4月号(ワック発行)、「朝日は日本の進路を誤らせる」との寄稿の中で、櫻井氏は「(慰安婦名乗り出の金学順氏の)訴状には、14歳の時、継父によって40円で売られたこと、3年後、17歳で再び継父によって北支の鉄壁鎮というところに連れて行かれて慰安婦にさせられた経緯などが書かれている」「植村氏は、彼女が継父によって人身売買されたという重要な点を報じなかっただけでなく、慰安婦とは何の関係もない女子挺身隊と結びつけて報じた」と書き、植村氏を非難した。しかし、訴状には「継父によって40円で売られた」という記述はない。「人身売買」と断定できる証拠もない。なぜ、訴状にないことを持ち出して、人身売買説を主張したのか。誤った記述を繰り返した真意は明かされなかったが、世論形成に大きな影響力をもつジャーナリスト櫻井氏は、植村氏の記事を否定し、意図的な虚偽報道つまり捏造と決めつけたのである。
川上弁護士は、櫻井氏がWiLLの記事と同じ「訴状に40円で売られたと書かれている」という間違いを、産経新聞2014年3月3日付朝刊1面のコラム「真実ゆがめる朝日新聞」、月刊「正論」2014年11月号への寄稿でも繰り返したことを指摘。さらに、出演したテレビでも「BSフジ プライムニュース」2014年8月5日放送分と読売テレビ「やしきたかじんのそこまでいって委員会」2014年9月放送分で、同じ間違いを重ねたことを、番組の発言起こしを証拠提出して明らかにした。これらの言説が、植村氏や朝日新聞の記事への不信感を植え付け、その結果、ピークに向かっていた植村バッシングに火をつけ、油を注いだ構図が浮かび上がった。

櫻井氏、訂正を約束
では、櫻井氏はなぜ「訴状に40円で売られたと書かれていた」という間違いを繰り返したのか。
櫻井氏は、ジャーナリスト臼杵敬子氏による金学順さんインタビュー記事(月刊「宝石」1992年2月号)が出典であるとし、「出典を誤りました」と主張した。櫻井氏はこれまでに提出した書面でも、「宝石」の記事で金さんが「平壌にあった妓生専門学校の経営者に四十円で売られ、養女として踊り、楽器などを徹底的に仕込まれたのです。ところが十七歳のとき、養父は『稼ぎにいくぞ』と、私と同僚の『エミ子』を連れて汽車に乗ったのです。着いたところは満洲(ママ)のどこかの駅でした」と語ったことを根拠に、「親に40円で妓生に売られた末に慰安婦になった」と主張してきた。だが、川上弁護士は、「宝石」の記事で、櫻井氏の引用部分の直後に、こういう記述があることを指摘した。
「サーベルを下げた日本人将校二人と三人の部下が待っていて、やがて将校と養父の間で喧嘩が始まり『おかしいな』
と思っていると養父は将校たちに刀で脅され、土下座させられたあと、どこかに連れ去られてしまったのです」
つまり、櫻井氏が出典である、と主張する「宝石」にも、養父が40円で売って慰安婦にしたという「人身売買説」の根拠となる記述はどこにもない。むしろ、養父も日本軍に武力で脅され、金さんと強引に引き離されたという証言内容から、櫻井氏が強く否定し続けてきた日本軍による強制的な連行を示す記述があるのだ。
この直後部分をなぜ引用しなかったのか。川上弁護士は、櫻井氏が自身の「人身売買説」に都合の悪い部分を引用せず、植村氏の記事を捏造と決めつけたことのおかしさを指摘した。そして、「櫻井さんは、訴状にないことを知っていて書いたのではないですか」などと述べ、同じ間違いを繰り返した理由を厳しく問い質した。櫻井氏は「訴状は手元にあり、読んで確認もしたが、出典を間違った」と、弁解に終始した。川上弁護士が紙誌名を逐一挙げて訂正を求めると、櫻井氏は「正すことをお約束します」と明言した。ただ、テレビについては「相手のあることなので」と語り、約束は保留した。

じつは、この問題は2年前からくすぶり続けている。2年前、第1回口頭弁論の意見陳述で植村氏は、WiLLと産経新聞の「訴状に40円で売られたと書かれている」という間違いを指摘、「この印象操作はジャーナリストとしては許されない行為だ」と批判した。そして、櫻井氏は口頭弁論後の記者会見で「ジャーナリストですからもし訴状に書かれていないのであるならば、訴状に、ということは改めます」と誤りを認めた。しかし、WiLLでも産経新聞でも、訂正しなかった。そのため、植村氏は2017年9月、東京簡裁に調停申し立てを行い、産経新聞社が訂正記事を掲載するように求めている。その審理はまだ継続している。

櫻井氏が間違いを認めたのはこれだけではなかった。「週刊ダイヤモンド」2014年10月18日号。「植村氏が、捏造ではないと言うのなら、証拠となるテープを出せばよい。そうでもない限り、捏造だと言われても仕方がない」と櫻井氏は書き、その根拠として、「(金学順さんは)私の知る限り、一度も、自分は挺身隊だったとは語っていない」「彼女は植村氏にだけ挺身隊だったと言ったのか」「他の多くの場面で彼女は一度も挺身隊だと言っていないことから考えて、この可能性は非常に低い」と断定している。
この記者会見は1991年8月14日に行われた。韓国の国内メディア向けに行われたので、朝日新聞はじめ日本の各紙は出席していない。植村氏も出席していない。しかし、記者会見で金学順さんはチョンシンデ(韓国語で「挺身隊」)をはっきりと口にしている。それは、韓国の有力紙「東亜日報」「京郷新聞」「朝鮮日報」の見出しや記事本文にはっきりと書かれている。
櫻井氏はこの点について「これを報じたハンギョレ新聞等を確認した」と述べている。たしかにハンギョレ新聞には「挺身隊」の語句は見当たらない。しかし、そのことだけをもって断定するのは牽強付会に過ぎるだろう。川上弁護士は、韓国3紙の記事反訳文をひとつずつ示し、櫻井氏の間違いを指摘した。櫻井氏は、間違いを認めた。櫻井氏の取材と執筆には基本的な確認作業が欠落していることが明らかになった。

櫻井氏の22年前の大ウソ
川上弁護士は最後に、櫻井氏の大ウソ事件について質問した。
1996年、横浜市教育委員会主催の講演会で櫻井氏は「福島瑞穂弁護士に、慰安婦問題は、秦郁彦さんの本を読んでもっと勉強しなさいと言った。福島さんは考えとくわ、と言った」という趣旨のことを語った。ところが、これは事実無根のウソだった。櫻井氏は後に、福島氏には謝罪の電話をし、福島氏は雑誌で経緯を明らかにしているという。
「なかったことを講演で話した。この会話は事実ではないですね」
「福島さんには2、3回謝罪しました。反省しています」
「まるっきりウソじゃないですか」
「朝日新聞が書いたこともまるっきりのウソでしょう」
最後は重苦しい問答となった。こうして、70分に及んだ櫻井氏の尋問は終わった。櫻井弁護団からの補強尋問はなかった。裁判長からの補足質問もなかった。

尋問終了後、岡山裁判長は今後の進め方について双方の意見を求めた上で、次回口頭弁論で結審すると宣言した。閉廷は予定通りの午後5時だった。

次回開催日は7月6日(金)。開廷は午後2時。この日、最終弁論で双方がまとめの主張を行って審理は終結し、9月以降に予想される判決を待つことになる。

※集会報告は下に続いています。

報告集会と記者会見

update : 2018/03/28 11:45 写真追加
❶報告集会❷安田氏❸能川氏❹植村氏会見❺櫻井氏会見
会見、集会でも櫻井氏にきびしい批判
「幕切れの朝日ウソつき発言は櫻井氏の捨て台詞、悲鳴だ」(秀嶋弁護士)
「植村氏への非難がみごとに櫻井氏自身に帰ってきた」(能川氏)
「デマと捏造、安倍政権の提灯持ちの櫻井氏、水に落つ、だ」(安田氏)

裁判報告集会は午後6時30分から、札幌駅近くの北海道自治労会館4階ホールで開かれた。朝からの本人尋問の傍聴を終えた人、傍聴券の抽選に外れた人、仕事などで傍聴ができなかった市民ら、約170人が参加した。
最初に、前札幌市長の上田文雄さん(植村裁判を支える市民の会共同代表)が、あいさつ。「前回の証人尋問に出た喜多義憲さん(元北海道新聞記者)と同じジャーナリスト魂、同じ思いを、植村さんがきょうの法廷で示していた。市民の目、耳、頭脳となるジャーナリズムが、民主主義を育て、自由、人権を守っていくのだと思う」。続いて、本人尋問を担当した弁護士3人が順に、尋問で引き出そうとしたねらいなどを説明した。櫻井氏の反対尋問をひとりで行った川上有弁護士は、「櫻井は本件に関してあちこちで書き、発言しているが、十分な調査をしていないことは明白だった。それを明らかにする資料がどれだけ集まるかが勝負だったが、支援グループにリクエストしたら次々に集まった。それらを整理し客観資料を振り分けるだけで、彼女のウソや不十分な調査が浮き彫りになった」と、尋問の舞台裏の一端を明かした。
植村隆氏は「厳しい反対尋問を覚悟していた。被告側の弁護士は私への質問を共有していないようだった。私の名誉を棄損しようとした弁護士もいた。朝日新聞の第三者委員会報告で、吉田証言についての私の調査が『徹底的なものではなかったようである』とあったのを、彼は『ずさん』といった。即座に反論したが、黙っていたら、『ずさん』が事実にされてしまうところだった」と語った。
対談「ネット右翼はいま」では、哲学者能川元一氏とジャーナリスト安田浩一氏が、旧来のイメージとは様変わりした「右翼」の危険な現状を語り合った。能川、安田両氏とも対談の前、朝から夕方までこの日の裁判すべてを傍聴した。その感想を、対談の冒頭で次のように語った。
能川氏「櫻井さんが植村さんに言ってきた、ずさんだとか捏造だ、に事実誤認があることが動かしがたく明らかになった。植村さんに対して投げかけてきた非難がみごとに櫻井さん自身に帰ってきた尋問だった」
安田氏「櫻井さんは安倍政権の代弁者、というより提灯持ちだ。提灯持ち水に落ち、という言葉もある。主人の足元を照らしているうちに自分の足元が見えなくなって、気がついたら水に落ちていた、ということだろう。日本社会を良くしていくためにはデマと捏造は許さない。そのことを植村さんの弁護団は法廷で示してくれた」
※対談「ネット右翼はいま…」は後日掲載します

記者会見での発言

植村氏と櫻井氏は、閉廷後、札幌市内のそれぞれ別の場所で記者会見をした。
植村氏側
弁護団事務局長の小野寺信勝弁護士は「櫻井氏は、取材を尽くして植村氏の批判をしたのかが尋問のポイントだった。捏造批判のよりどころとなっていた金学順さんの訴状を参照せず、訴状にそんな記述がないのに櫻井氏は『継父に人身売買され40円で売られた』たとした。自分の都合のいい部分だけ論文から利用するなど、調査の不足、意図的な手抜きがあったと考えられる」と述べた。秀嶋ゆかり弁護士は「被告側は、連行=強制連行、挺身隊=勤労挺身隊に引き付けようとする尋問だった。40円問題は、櫻井さんが繰り返し書いたりテレビで発言しており、その都度確認していないことが鮮明になった。22年前の講演会の架空発言を認め、朝日新聞もウソをついたでしょ、と尋問の幕切れで答えた。そう言うしかない櫻井さんの捨て台詞、悲鳴のように感じた」と語った。
植村氏は「私の記事が捏造ではないことを十分証明できたと思う。櫻井さんがいかに取材せず、捏造記者と言っているかも明らかになったと思う。書いた記事がこうして捏造呼ばわりされることは、みなさんにも起きる。私が直面している問題は、すべてのジャーナリストが直面する可能性がある」と話した。
櫻井氏側
林いづみ弁護士は「40円問題」について「金学順さんの訴状、40円を記載している月刊誌の論文、ソウルの共同記者会見を報じた現地紙からの出典を、勘違いしていた。間違ってはいないが、勘違いした点については各出版社と相談し訂正する、と主尋問で申し上げている。原告側は反対尋問で、このことだけに絞って質問したが、まったく意味のない尋問だったのではないか」と評した。櫻井氏は「韓国で慰安婦が挺身隊と表現されていたことは事実です。慰安婦という意味で、挺身隊だった、と言っている女性もいた。問題は、従軍慰安婦の生き残りのひとりがソウルにいたことについて『女子挺身隊の名で戦場に連行され』と書かれていることです」と述べた。


2018年3月23日金曜日

札幌第11回速報!

櫻井よしこ氏が自身のウソを認める!

裁判の核心、「捏造決めつけ」の根拠が揺らぐ重大な展開
次回7月6日(金)に結審へ


札幌訴訟の第11回口頭弁論が3月23日、札幌地裁で開かれ、原告植村隆氏、被告櫻井よしこ氏に対する長時間の本人尋問があった。

この尋問で、櫻井氏は、いくつかの記述に誤りがあることを認めた。この記述は捏造決めつけの根拠となるものであるため、植村氏に対する誹謗中傷が根も葉もないものであることがはっきりした。櫻井氏本人がウソを認めたことにより、櫻井氏の根拠は大きく揺らぎ、崩れた。植村裁判は終盤のヤマ場で、核心部分に関わる重大な展開をみせた。

尋問は午前10時30分から、植村氏、櫻井氏の順で行われ、午後5時前に終了した。両氏が法廷内で向かい合うのは第1回口頭弁論(2016年4月)以来2年ぶり。裁判大詰めの場面での直接対決となり、傍聴希望者はこれまでで最多の252人。抽選のために並んだ列は地裁1階の会議室からあふれて廊下、エレベーターホールへと伸びていた。63枚の傍聴券に対する当選倍率は4.0倍となった。関東や関西、九州から前日に札幌入りした植村支援者もこれまた最多の20人ほど。一方、櫻井氏側の動員によると思われる人たちの姿もいつになく目立った。
満席となった805号法廷は、開廷前から熱気とともに緊迫した空気に包まれた。弁護団席に、植村氏側は34人が着席した。東京訴訟弁護団からは神原元・事務局長ほか6人も同席した。櫻井氏側はいつもと同じ7人に新たに2人が加わった。いつもは空席が目立つ記者席は15席すべてが埋まった。傍聴席最前列の特別席には、ジャーナリスト安田浩一氏、哲学者能川元一氏のほか、新潮社やワックの関係者の姿もあった。

次回は7月6日(金)。この日の最終弁論で結審することになった。

update:2018/3/24 9:10am

地裁に向かう植村さんと弁護団(3月23日午前10時ころ)

本人尋問に注目を!


きょう! 札幌訴訟第11回口頭弁論

323()10:3017:00 札幌地裁805号法廷

 植村裁判札幌訴訟は、いよいよ終盤最大のヤマ場を迎えました。原告植村隆さんと被告櫻井よしこ氏が出廷します。昼の休憩をはさんで5時間、双方の弁護団により植村さんと櫻井氏に対する尋問が順に行われ、いずれも激しいやりとりとなることが予想されます。

これまでの10回の口頭弁論で植村さん側は、被告櫻井氏の言説について、①違法性と悪質性がある、②「事実の摘示」であり「論評・意見」ではない、③損害をもたらした脅迫行為に関連性がある、ことを具体的事実(証拠)と法律的観点(理論)に基いて主張してきました。これに対して被告櫻井氏側はほぼ全面的な否定を繰り返しました。
論点は出尽くし、残されているのは、植村さんと櫻井氏それぞれの生の主張とそれに対する質問です。お二人の主張は第1回口頭弁論(20164月)で行われた意見陳述ですでに明らかになっていますが、今回の本人尋問で植村さんは、質問に答える中で、1991年に記事を書いた当時の詳細な経緯も明らかにし、「記事は捏造ではなく、櫻井氏の決めつけには重大な過誤と故意がある」と改めて主張し、さらに、櫻井氏は取材執筆にあたって歴史的な事実にどう向き合い、確認、検証しているのか、また植村さんの受けた被害、損害にどのような責任を感じているのか、との疑問を投げかけるものと予想されます。この疑問に対して被告櫻井氏はきちんと答えられるか。証言台に立つ櫻井氏をきびしく注視したいと思います。

本人尋問を前に、争点と経過をおさらいするために、その概要を、「徹底解説マガジン・植村裁判」4~5ページから収録します(一部書き直しあり)。

植村裁判・なにが争われているのか


――植村裁判とはなにか、わかりやすく説明してください。
元朝日新聞記者の植村隆さんが、週刊誌やインターネット上で「捏造記者」と誹謗中傷されたことに対して、名誉回復を求めて起こした民事訴訟です。植村さんが求めているのは、慰謝料の支払いと謝罪広告の掲載です。訴えた相手、つまり被告は東京が元東京基督教大学教授の西岡力氏と株式会社文藝春秋、札幌がジャーナリストの櫻井よしこ氏と出版3社(新潮社、ダイヤモンド社、ワック)です。

――そもそもの発端はなんですか。
植村さんが1991年に書いた2本の新聞記事です。植村さんは、日本軍慰安婦だった韓国人女性(金学順さん)が支援団体の聞き取りに初めて応じた、と書きました=写真右。それを「捏造」だと被告たちが繰り返し主張しました。その結果、本人の記者としての名誉を傷つけられただけでなく、家族、そして、教授に就任することになっていた神戸松蔭女子学院大学と、非常勤講師をつとめていた北星学園大学に、電話、メール、ファクスや脅迫状などが殺到しました。

――訴えの理由と争点をわかりやすく説明してください。
植村さんが裁判に訴えた理由は、「私は捏造記者ではない」ということに尽きます。「捏造」という表現は、新聞記者にとっては最大級の侮辱であり、死刑宣告に等しい。名誉棄損の極みです。西岡氏は、書籍(草思社)、雑誌(正論、中央公論、週刊文春)、インターネット(歴史事実委員会という団体のサイト)で植村さんの記事を「捏造」と決めつけました。週刊文春は2014年2月と8月、「“慰安婦捏造”朝日新聞記者がお嬢様女子大教授に」、「慰安婦火付け役朝日新聞記者はお嬢様女子大クビで北の大地へ」というタイトルの記事を出し、名誉棄損に加えて植村バッシングに火を付け、油を注ぎました。

――「捏造記者」という表現が最大の争点になっているのですか。
事実関係で争点になっているのは、「捏造記者」という決めつけの前提とされている3つのファクトについてです。植村さんが①義理の母親の裁判に便宜を図るために記事を書いた、②慰安婦と挺身隊を結び付けた、③金さんの経歴を隠した、というものです。順に説明します。
①義母の裁判への便宜など図っていません。金さんは日本政府を相手取った訴訟を起こし、義母はその訴訟を支援した団体の幹部でした。ここまでは事実です。しかし、植村さんが金さんの名乗り出の記事を書いた時、金さんに提訴の予定はなく、また、金さんと義母はお互いに面識がなかった。植村さんが大阪から出張して取材した理由についても、特別なわけがあったのではないかと推測する向きがありますが、植村さんは1年前から慰安婦の所在を追いかけており、そのことを知っていたソウル支局長が金さん名乗り出の情報をつかみ、植村さんを呼んだのです。当時のいきさつについては、東京の第4回の口頭弁論で、朝日新聞の関係者3人が陳述書を提出し、便宜説を完全否定しています。
②慰安婦と挺身隊を結び付けた、つまり「強制連行」を印象付けようとした、という批判ですが、韓国ではメディアも市民も慰安婦のことを挺身隊と言っていたし、日本のメディアも一様に「挺身隊の名で連行された」を慰安婦の枕詞にしていました。また、植村さんの記事は「強制連行された」ではなく「だまされて」と書いています。ことさら問題にすることではありません。
③金さんは妓生学校に通っていた、また義父に身売りされたことを記事にせず、これも「強制連行」を印象付けようとした、という指摘ですが、妓生学校を意図的に隠したわけではなく、また、身売りされたという話は本人の口からは聞いていません。
このように、3点とも言いがかりといっていい中傷です。とくに②③は植村さんだけではなく、他紙もすべて横並びで同じ表現で記事を書いているのです。なのに、植村さんだけが標的にされています。①は植村さんだけにかかわることですが、2014年8月に朝日新聞の慰安婦報道全体を検証した第三者委員会は、「植村が個人的な縁戚関係を利用して特権的に情報にアクセスしたなどの事実は認められない」と報告書に明記しています。西岡氏もさすがに分が悪いと察したのか、裁判の書面の中で、「被告西岡の推論過程を述べたものに過ぎず、事実を断定したものではない」などと逃げています。そもそも、西岡氏は当事者つまり植村さんにいっさい取材していないのです。どうして当事者に取材しなかったのか、という植村さん側の質問(求釈明)に対して、「論評を書くにあたっては取材は必要ない」と第8回弁論の書面で答えています。西岡氏だけでなく、櫻井氏も当事者取材はしていません。

――「捏造」呼ばわりの前提そのものが崩れ落ちている。そのことが裁判でも明らかになった、ということですね。
その通りです。植村さんが記者としての取材の倫理をしっかり守っていたことが改めて明らかになったわけで、裁判に訴えた意義はあったと言っていいでしょう。

――裁判は東京と札幌の2カ所で行われています。なぜですか。
被告はすべて東京の人間と会社ですから、東京で裁判をするのが普通です。しかし、植村さんは札幌の住人であり、被害は札幌で起きています。家族を含めた脅迫被害からの保護と身の安全を求めなければならない、という地元ゆえの緊急性もあったのです。札幌はじめ道内の非常にたくさんの弁護士が札幌でも裁判を、と強力にプッシュしたことも大きな原動力になりました。

――東京と札幌ではどこがちがうのですか。
訴えの理由は同じ、争点も同じです。違うのは訴えている相手です。それと、裁判長の訴訟指揮の違いによって進み具合にも差が出ていることです。札幌は快速電車、東京は各停という感じかな。
書面を双方が提出し合って進む民事裁判なので、法廷は、東京も札幌も静かです。大きな声が響くのは植村さん側弁護士が書面の要旨を朗読するときだけです。内容は相当きつい表現でも、被告側が立ち上がって反論するようなことはありません。ただ、審理の進め方を巡っては意見がぶつかり、緊迫することがあります櫻井氏側は全面対決の姿勢を崩していません。本人は法廷には初回の口頭弁論しか出席していませんが、その時の意見陳述は、朝日新聞批判に始まり、最後に地元の労組を皮肉るなど、裁判の本筋から外れることも気にしていないように見えました。

――裁判の核心は、名誉棄損であるかどうか、だと思います。それは争点にならないのですか。
もちろん重要な最大の争点です。名誉棄損であるかどうかは、基準を具体的に定めた特別の法規はなく、これまでの判例に則るのが通例です。そのさい、その表現が「論評、意見」なのか、「事実の摘示」なのか、で違いがあります。「論評」であれば、憲法が保障する「言論の自由」の範囲内として名誉棄損を認めないケースが多い。「事実の摘示」であれば、それが真実であり、公共性、公益目的もある、などの場合を除き、名誉棄損とする判例が多いのです。だから、東京も札幌も裁判が始まってすぐに応酬がありました。植村さん側は、東京訴訟では西岡氏と文春の計24カ所すべて、札幌訴訟では櫻井氏の計14カ所を「事実の摘示」だと主張しました。これに対して、西岡氏、文春側はすべてを「論評」とし、櫻井氏側は最初、すべてを「論評」としたものの、途中で一部を「事実の摘示」だと認めています。

――「事実」ではないのに「事実の摘示」なのですか。
「事実」は証拠で立証できるものを指し、証拠で立証できない「論評」と区別しています。立証できない「事実」は「虚偽の事実」となります。植村裁判で争点になっているのは、西岡、櫻井両氏による「虚偽の事実の摘示」です。別の言い方をすれば、「論評」はオピニオン、「虚偽の事実の摘示」はデマである、となるでしょう。

――争点はほかにもありますか。
あります。植村さんと家族が、脅迫やプライバシーの侵害、ネットの中傷などで受けた数々の被害、損害をどうとらえるか、ということです。裁判では「損害論」といいます。名誉を棄損され、社会的評価を落とされたから損害賠償をせよ、というのが植村さんの請求の趣旨です。これに対して被告側は、名誉棄損表現はしていない、と主張しているわけですから、損害の有無について反論する必要を認めていません。植村さん側は、脅迫メールなどで平穏な生活を奪われたことも損害に加えています。「捏造」と言われて名誉を傷つけられただけでなく、就職先を奪われたり、家族まで脅迫されたり、と深刻な人権侵害を受けているからです。被告側は脅迫行為などは誘導していない、因果関係もまったくない、と突っぱねています。

――争点は明らかになり、対立したままではあるけれど、議論や応酬は尽くされたということでしょうか。
札幌は、裁判長がそのように宣言し、証人尋問の期日(2018年2月16日、3月23日)が決まりました。最終段階に近づいています。東京もいよいよ大詰めにさしかかります。



2018年3月6日火曜日

本人尋問は23日!

大詰め、緊迫の激突場面へ!
3月23日午前10時30分~午後5時、札幌地裁805号法廷で
植村隆さんと櫻井よしこ氏への尋問が終日、行われます