2020年6月9日火曜日

今こそ問う東京判決


国際社会の理解とかけ離れた植村裁判の着地点

 ■野中善政・宮崎大学名誉教授の考察


元宮崎大学教授の野中善政氏が、アジア・言論研究会のオンラインジャーナル「言論の研究と教育」の最新号(2020Vol3)に、植村裁判についての論考を投稿しています。「植村裁判の東京地裁判決に見られる論理破綻」というタイトルの32ページの論考です。
野中氏は、植村さんが激しいバッシングを浴びていたころから関心を寄せ、支援を続けてきた科学者です。植村裁判についての考えを公表するのはこれが初めてだといいます。専門は気象学(大気物理学)であり、法律の専門家ではありませんが、この論考からは、複雑で難解な判決文と膨大な関連資料を徹底的に読み込んだことが、うかがわれます。ニュートラルで理詰めに徹する姿勢も伝わってきます

この論考で野中氏は、まず、植村さんが受けたバッシングへの最小限の救済措置の求めがなぜ聞き届けられないか、と司法の判断に疑問を投げかけます。そして、東京訴訟(被告=西岡力氏および文藝春秋)の判決文を詳細に分析します。
分析は主に東京地裁判決について展開します。その問題点としてあげられるのは、①摘示事実の争点設定に問題がある(第3節)、②被告側主張を補強するために朝日新聞社第三者委員会の報告書を7カ所にもわたって援用している(第5節)、③真実相当性と真実性の認定は誘導尋問スキームで審理を進めるというトリックによってもたらされた(第6節)、ということです。
野中氏はそう指摘した上で、判決が被告を免責したことについて、「裁判所が訴訟指揮すべきは、(バッシング誘発の)因果関係の究明であり、市民感覚では西岡氏らの結果責任が問われてしかるべきである」と述べ、さらに、「地裁判決は官僚的な建前に終始しており、(バッシング被害への)想像力欠如と言うほかない」と批判しています。

このような判決分析のほか、西岡・櫻井氏らの真のねらい、植村さんの記事の評価、判決が国際社会に与える影響、についても意見が述べられています。要約します。

▽西岡・櫻井氏らは「河野談話」見直しに向かって安倍内閣を後押しする勢力の急先鋒であり、2014年に植村記事への批判を集中させ、いくつかの意見が朝日新聞第三者委員会報告書に採り入れられた。西岡・櫻井氏らが北海道新聞の喜多記事ではなく朝日新聞の植村記事を攻撃目標としたのは「慰安婦報道=吉田証言関連記事=植村捏造記事⇒慰安婦徴募の強制性否定」のような構図を描いたからである。つまり河野談話の取り消し、見直しを内閣に求めるには「従軍慰安婦問題」自体が存在しない、捏造である、との世論を喚起する必要があった。
▽植村さんの記事は、その後に河野談話が出され(1993年)、米連邦議会下院が対日謝罪要求決議をするなど(2007年)、国際社会の流れを予告した報道の一端を担った。
▽わが国が国際社会の勧告を受け入れ、女性の人権擁護の理念で国際社会と協調する方向に歩むことが、西岡氏らが主張するように国益に反するとはとても思えない。植村裁判の判決はなんらかの力学で大局を見失い、国際社会の理解とかけ離れた地点に着地しつつあるのではないか。

論考の構成は次の通りです。許可を得て、◎を以下に転載します。
第1節 はじめに
第2節 植村裁判の概要と経過
◎第3節 植村裁判東京地裁判決の構造と問題点
第4節 植村裁判東京地裁判決における最終判定への道筋
◎第5節 第三者委員会報告書と植村裁判東京地裁判決
第6節 植村裁判東京地裁判決のトリック
◎第7節 バッシングを誘発する行為を免責する裁判所の論理
◎第8節 まとめ
◎著者コメント 本論文執筆の経緯

編注=転載には一部に略したところがあります。判決文のページ表記、資料・文献の出典表記も略しました。
※この論考は、http://t-nihongoken.org/img/file148.pdf で全文を読むことができます。
※アジア・言論研究会のURLは、http://t-nihongoken.org/access.html です。

野中善政(のなか・よしまさ)氏は、宮崎市在住、宮崎大学名誉教授。1947年生まれ、73年東北大大学院理学研究科修士課程修了、75年宮崎大学教育学部助手、2013年宮崎大学教育文化学部(教授)を退官。専門、大気物理学。


・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

3. 植村裁判東京地裁判決の構造と問題点 (一部前略、中略あり)

判決では被告西岡による原告植村の社会的評価を低下させる行為(被告による植村記事への批判ないし批難)の類型が「裁判所認定摘示事実」(以下、「認定摘示事実」と言う。)として次の三つに整理されている。

(1) 認定摘示事実1「原告が、金学順のキーセンに身売りされたとの経歴を認識しながらあえて記事にしなかったという意味において、意図的に事実と異なる記事を書いた。」
(2) 認定摘示事実2「原告が、義母の裁判を有利にするために意図的に事実と異なる記事を書いた。」
(3) 認定摘示事実3「原告が、意図的に、金学順が女子挺身隊として日本軍によって戦場に強制連行されたとの、事実と異なる記事を書いた。」

以上により裁判所は「一般の読者の普通の注意と読み方を基準としてその意味内容を解釈し」、認定摘示事実1~3の重要部分について「それが真実であることの証明があるとき」に、もしくは当該行為者において「それが真実と信ずるに足る相当の理由があれば」、当該行為者、被告の故意又は過失が否定されるとの判断基準を示したことになる。
従って「認定摘示事実13」が適切に設定されているか否かは、判決の論旨全体の明晰さに決定的な影響を与えることになる。「認定摘示事実」の設定に含まれる問題点を以下に述べる。

(ア) 原告・被告の「事実」への視点がもともと異なること
原告は原告の視点での「事実」に即して記事を書いたと主張し、被告は被告の視点での「事実」に照らし、植村記事に矛盾する記述があるのは原告が意図的に「事実」と異なることを書いたからだと主張する。従って、この場合の「事実」とは何かについて、前もって調整されていなければ、「摘示事実」の設定として意味をなさず、その真偽の判定はもとより不可能である。
例えば、原告の記事がもともとは韓国における「従軍慰安婦」問題追求の報道であるとの視点で、「裁判所認定事実」を

「植村記事Aは、ニュース源を明記した上で、「従軍慰安婦」問題追求における韓国での新たな進展-元「従軍慰安婦」が初めて名乗り出た-を報道した署名入り記事である。(植村記事Aは掲載後に提起された韓国の元「従軍慰安婦」らによる日本国を被告とする平成3年訴訟(裁判所による略称)とその主張を正しく予告した。)」

とすれば、被告らによる植村記事への摘示表現を整理した「認定摘示事実1~3」のちぐはぐさが明確になる。反対に被告らが想定する「事実」を「裁判所認定事実」とした場合、「認定摘示事実1~3」の「真実性」ないしは「真実相当性」が裁判所の認定によるものである以上、改めて考察されるまでもなく自動的に導かれてしまうことにもなる。

(イ)「従軍慰安婦」徴集手段における「連行」と「だまされる」の区別は国際法上無意味であること
植村記事Aは前文と本文から成り、金学順(記事Aでは匿名)が17歳の時、結果として旧日本軍「慰安所」に収容される経緯について、前文では「連行」、本文では「だまされて」と記載されている。「従軍慰安婦」徴集方法における「連行(強制)」と「だまされる(甘言、詐欺、勧誘、人身売買)」はいずれも日本が1925年に批准した「婦人・児童の売買を禁止する国際条約」に違反することに違いはない。金学順の証言(植村記事A、平成3年訴訟「原告らの経歴」)のとおりならば、戦時中とは言え、朝鮮、中国東北部を舞台として、なぜこのようなことがまかり通っていたのか、その理由について吉見は、
「この国際条約には、これを植民地などに適用しなくてもよいとの規定があった。植民地などに関して、1910年条約は、実施するときは文書をもって通告すると定め(第11条)、1921年条約は、適用除外する場合は宣言することができる(第14条)としていた。日本政府はこの規定を利用して、この条約を朝鮮・台湾などには適用しないこととしたのである。つまり、明白に異なった取り扱いを行っていたのであった。」
と説明している。
植村記事A1991年に朝日新聞に掲載された以降、第一節に述べたように、日本政府は1993年、「河野談話」を発表し、慰安婦が甘言、強圧による等、本人の意思に反して徴集された事例が数多くあったことを認めた。
またアメリカ連邦議会下院は2007年、旧日本軍及び政府が公娼制度の延長として策定した従軍慰安婦制度を「20世紀における最大の人身取引事件のひとつ」と認定し、日本に対して元従軍慰安婦への謝罪を勧告する121号決議]を採択した。これについで、オランダ国会下院、カナダ国会下院、ヨーロッパ議会、韓国国会、台湾立法院も日本政府に対し、元慰安婦への謝罪なり賠償を勧告する決議を採択した]。いずれの決議・声明も旧日本軍及び政府がその支配地域の女性たちを「性奴隷」の表現に象徴される悲惨な状態に追い込み、「複合的に女性の人権を侵害した」[8]国際法違反(戦争犯罪)の責任を追求しているのであり、旧日本軍及び政府が従軍慰安婦を徴集した個別手段の違法性と責任の度合いを問題にしているわけではない。
被告西岡らが植村記事への批難を集中させた2014年当時既に国際社会は旧日本軍の慰安所・慰安婦制度そのものを国際法違反(戦争犯罪)と明確に認識しており、慰安婦の招集方法が「連行(強制)」だったのか、あるいは仲介者を入れ、結果的に女性たちを「だました(甘言・詐欺・勧誘・人身売買)」のか、歴史学者の関心は別として、それらの区分は国際社会にとって第一義的な関心事ではなかった。

金学順(当時17歳)の口から「連行」という言葉自体は発せられていないが、「武力で私をそのまま奪われた」とあり、少なくとも金学順が慰安所に連れ去られる時点では慰安婦になることを承諾しないまま(21歳以下の場合は承諾の有無に関わらず国際法違反)、日本軍に「強制連行」されたことが示唆されている。
また、旧日本政府及び旧日本軍が軍隊慰安婦の徴集に組織的に関与したとする主張とともに金学順を含む三名の元慰安婦の経歴を添えた「平成3年訴訟」訴状に鑑みれば、原告が、当時の状況認識の下で、金学順が日本軍慰安所に収容された経緯について「連行」と「だまされて」を記事に併記する必然性は十分あったことが窺える。元慰安婦の証言テープを聴取した新聞記者が、資料提供に応じた団体の主張も考慮し、その証言をどのように表現するか、記者の個性が反映されるのは自然であり、植村記事Aが署名入りの記事である由縁である。従って記事を書いた原告の当時の認識を詳細に問うことなく、形式的二分法によって「認定摘示事実3」の真偽を判断することはもとよりできない。

(ウ) 記事作成において記載事項が取捨選択されたこと
原告は一次情報の証言テープに基づいて記事を書いた。(テープが完全な形で残っていないため、控訴審判決では一審判決を覆す物証として採用されなかった。)原告は、(a)金学順氏がキーセンの経歴についてテープの中で証言していなかったことが原告の記事に金学順氏のキーセンの経歴を記載しなかった理由であると証言している。また原告は、仮に他の情報によって金学順氏のキーセンの経歴を知っていたとしても、(b)経歴を記載する必要があるとは考えなかったと証言している。仮に証言(b)を採用すれば、「認定摘示事実1」にある「認識しながらあえて記事にしなかった」ことは形式上真だが、それは「韓国で初めて元慰安婦が名乗り出た」というニュースの意味について「意図的に新聞読者をミスリードするため」と断定する理由はなく、実務的に限られた字数の記事に「記載する情報を取捨選択した」ためと解することは可能であり、自然である。前記(イ)と同じく原告の当時の認識を詳細に問うことなく、形式的二分法によって「認定摘示事実1」の真偽を判断することはもとよりできない。

(エ)韓国で「女子挺身隊」が「従軍慰安婦」と同じ意味で使われていたのはなぜか
 被告西岡が植村記事Aについて最も強く批判したのはその前文であり、地裁判決25頁に次のように記されている。

「被告西岡は、平成9年以降、従軍慰安婦問題についての論考を雑誌において複数発表し、その中で原告記事Aについて批判した。具体的には、被告西岡は、雑誌「諸君!」平成95月号に掲載された「「慰安婦問題」誰も誤報を訂正しない」と題する論考では、原告記事Aの「「女子挺身隊の名」で戦場に連行され」とのリード部分について、「まったくのウソを大きく報じた責任は重大である。」と批判した。」

地裁判決1516頁の記述によれば、もともと「女子挺身隊」とは、国家総動員法のうち女子挺身勤労令により、国家総動員法5条が規定する「総動員業務」について工場などで労働に従事する女性たちのことであり、法令上「従軍慰安婦」とまったく異なる勤労奉仕団である。しかし、韓国においては、女子挺身隊又は挺身隊と従軍慰安婦が混同して理解されており、朝鮮人女性が女子挺身隊又は挺身隊の名で従軍慰安婦として動員された旨報じる新聞記事が多数あった。また1991年当時の日本国内の報道においても、「日中戦争から太平洋戦争にかけて「女子挺身隊」の名で連行され日本兵士相手に売春を強いられたという朝鮮人従軍慰安婦問題の真相を解明し・・・(略)・・・韓国の挺身隊問題対策協議会」(平成3824日付読売新聞記事)などの表現で韓国の元従軍慰安婦対策組織が紹介されていた。韓国で挺身隊と従軍慰安婦が混同されていた理由について「平成3年訴訟」の訴状でも次のように説明されている。

「(略)・・・現在の韓国では、一般に「挺身隊」とは、軍慰安婦を指す。植民地朝鮮においても、軍需工場等に動員される「女子勤労挺身隊」が存在したが、「挺身隊」の名の下に軍隊慰安婦の狩り集めが行われたことから、「挺身隊」すなわち軍隊慰安婦との現在の韓国における認識が生じたのである。・・・(略)」

 吉見は「従軍慰安婦」(岩波新書)で太平洋戦争の末期、1944年当時の朝鮮の状況について次のように記している。

「(略)・・・そこで四四年、総督府は、「女子遊休労力の積極的活用」という名目で、女性の動員をおこなうこととし、新規学校卒業者と満14歳以上の未婚者の全面的動員体制を確立しようとした。このようななかで、つぎのような状況が出現したと内務省は述べている。・・・(略)・・・
 一四歳以上の未婚の女性は全て動員されるだけでなく、慰安婦にされるという噂が、四四年中に深く広がっていたことがわかる。・・・(略)・・・
 しかし彼女はビルマのヤンゴンに連れていかれる。このように女子挺身隊に入れられ、慰安婦にされるという噂が広まるなかで、貧しい家庭の未婚の少女たちは、挺身隊に行くよりは就職した方がましだと考える場合があった。このような深刻な状況の中で詐欺にあって慰安婦にされたのだった。」

「女子挺身隊」の名で連行なり、勧誘され、慰安婦にされるという噂が戦時の朝鮮で広まっていたことは否定できず、「女子挺身隊」が戦後も長く朝鮮人の記憶にあったのは間違いないだろう。
原告植村は、金学順が本人は挺身隊であったと証言したと述べており、韓国紙の記事によれば、このことは正しいが、他方、被告西岡は、植村記事Aの前文を「まったくのウソ」と批難する根拠として、韓国紙の記事によれば、金学順が「女子挺身隊の名で連行された」とは一切証言していないと、受けとめられるからだと述べている。しかし、それだけの理由が、「意図的に事実と異なることを書いた-捏造」と植村記事Aを批難するほどの根拠となり得るのだろうか、極めて疑問である。並行して進められたもう一つの裁判の被告櫻井も、植村記事Aの前文に対し、被告西岡とまったく同様な批難を繰り返してきたが、北海道新聞・喜多義憲が1991年に金学順に単独インタビューして書かれた記事の前文

「「戦前、女子挺(てい)身隊の美名のもとに従軍慰安婦として戦地で日本軍将兵たちに凌辱されたソウルに住む韓国人女性は十四日、韓国挺身隊問題対策協議会(本部・ソウル市中区、尹貞玉・共同代表)に名乗り出、北海道新聞の単独インタビューに応じた。・・・(略)」

と、植村記事Aの前文を比較した場合、なぜ被告西岡・櫻井が喜多記事[3]を問題とせず、植村記事Aだけを批難するのか、判然としないのは確かである。
櫻井氏は外国特派員協会での記者会見(札幌地裁判決後の201811月)においてこの点を問われ、その理由について「植村記事Aには「女子挺身隊の名で連行」、北海道新聞には「女子挺身隊の美名のもとに凌辱」と記されている。「連行」が問題であり、「凌辱」には問題がない。」と、いささか滑稽な説明をしている。正解はおそらく次のようなものであろう。
2012年秋頃に、第二次安倍内閣が誕生した場合、「河野談話」見なおしの動きが伝えられ、朝日新聞は、安倍内閣が「吉田証言」と「河野談話」との関連を問題にするかも知れないと予測し、改めて吉田証言の再検証に取りかかった[9]。その結果、吉田証言が虚偽であることが明確になり、201410月に慰安婦報道第三者委員会が組織され、慰安婦報道の検証が委員会に委託された。第三者委員会の調査の対象には吉田証言関連記事と同時に植村記事ABが含まれていたが、被告西岡・櫻井らは「河野談話」見直しに向かって安倍内閣を後押しする勢力の急先鋒であり、第三者委報告書が公表される2014年に植村記事への批判を集中させ、いくつかの意見が報告書に採り入れられた。被告西岡・櫻井らが北海道新聞の喜多記事ではなく朝日新聞の植村記事を攻撃目標とした理由は以上の経緯から明らかであり、

慰安婦報道=吉田証言関連記事=植村捏造記事⇒慰安婦徴募の強制性否定

のような構図を描いたからである。つまり河野談話の取り消し、少なくとも見直しを内閣に求めるには「従軍慰安婦問題」自体が存在しない-捏造であるとの世論を喚起する必要があった。


・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

5 第三者委員会報告書と植村裁判東京地裁判決 (一部後略あり)

第三者委報告書は植村裁判の東京地裁判決に証拠として採用され、判決に大きな影響を与えたが、植村記者と記事ABに関する報告書の記述は次の5点(筆者の要約による)である。

(1) 植村は韓国の取材経験から、朝鮮で女性が慰安婦とされた経緯について、「強制連行」されたという話しは聞いていなかった。
(2) 植村がその取材経緯に関して個人的な縁戚関係を利用して特権的に情報にしたなどの疑義を指摘されるところであるが、そのような事実は認められない。植村が記事Aを書くことについて特に有利な立場にあったとは考えられない。
(3) 植村は、記事Aで取り上げる女性は「だまされた」事例であることをテープ聴取により明確に理解していたにもかかわらず、記事A前文に「『女子挺身隊』の名で連行」と記載したことは、読者に強制的な事案であるとのイメージを与える点で安易かつ不用意であった。記事本文の「だまされた」と前文の「連行」は社会通念あるいは日常の用語法からは両立しない。
(4) 植村は、記事Bを書いた時点で、金学順がキーセン学校に通っていたことを承知したはずだから、キーセン学校のことを書かなかったことにより、事案の全体像を読者に伝えなかった可能性はある。植村の「キーセン」イコール慰安婦ではないとする主張は首肯できるが、読者の判断に委ねるべきであった。
(5) 植村は済州島に赴いて吉田証言に出てくる事実の裏付けとなる証人の有無などの調査を実施した。植村は本社に「いわゆる人狩りのような行為があったという証言は出てこなかった」とのメモを提出した。

さらに強制連行の「強制性」について第三者委報告書は次のような意見(要約は筆者による)を述べている。

(6) この報告書において「強制性」について定義付けをしたり、慰安婦の制度の「強制性」を論ずることは、当委員会の任務の範囲を超えるものである。
(7) 朝日新聞は当初から一貫して「広義の強制性」を問題にしてきたとはいえない。その朝日新聞社が「強制性」について「狭義の強制性」に限定する考え方を他人事のように批判し、「河野談話」に依拠して「広義の強制性」の存在を強調する朝日新聞の論調は、のちの批判にあるとおり、「議論のすりかえ」である。

第三者委報告書の意見(1)(7)が各証拠を補強する形で用いられ、地裁判決に影響を与えたと思われる箇所は次のとおりである。(編注=「 」は判決文。頁略)

意見(1)(3)⇒「原告記事Aの本文中には、金学順が従軍慰安婦となった経緯について、確かに「だまされて慰安婦にされた」との記載があるものの、金学順をだました主体については記載がないことからすれば、原告記事Aは、金学順を従軍慰安婦として戦場に連行した主体について、専ら日本軍(又は日本の政府関係機関)を想起させるものといえる。」

意見(2)⇒「西岡論文B①の記述は、原告が義母の縁故を利用して原告記事Aを書いたとの事実を摘示するもの解されるが、上記②で述べたとおり、同事実は原告の社会的評価を低下させるものとは認められない。」

意見(3)(4)⇒「上記のような各記載があることからすると、被告西岡が、①原告も、原告各記事の執筆当時、金学順の上記経歴を認識していたと考えたこと、そのため、②原告が、上記経歴を認識していたにもかかわらず、原告各記事に上記経歴を記載しなかったものと考えて、③原告が、各記事の読者に対して、金学順が日本軍に強制連行されたとの印象を与えるために、あえて上記経歴を記載しなかったものと考えたことのいずれについても、推論として一定の合理性があると認められる。」

意見(5)⇒「西岡論文A③は、原告記事Aの内容について、金学順を吉田供述のような強制連行の被害者として紹介するものだとの意見ないし論評を表明するものと解されるが、このような意見ないし論評が原告の社会的評価を低下させるものとは認められない。」

第三者委報告書の意見(2)に対応する地裁判決の箇所は、被告西岡は「原告が義母の縁故を利用して記事Aを書いた」と主張するが、その主張は原告の社会的評価を低下させる(名誉を毀損する)ものではないので「認定摘示事実」からは除外するというものである。しかし意見(2)は「原告が縁故を利用して記事Aを書いたとは認められない」というものであり、地裁判決が「第三者委報告書」を証拠として重視するのであれば、むしろ「認定摘示事実」に残し、当該「認定摘示事実」は否定されるとの認定がなされなければならない。第三者委報告書が証拠としてつまみ食いされた感がある。同様な「認定摘示事実」の恣意的選択は高裁判決にも登場する。

「控訴人は、西岡論文C③は「地区の仕事をしている人」自体が控訴人の創作である旨を指摘したのであり、この点も摘示事実として認定されるべきであると主張するが、結局のところ、権力による強制連行との前提にとって都合の悪い内容を記事にしなかったという本質においては共通であり、上記主張を踏まえても前記認定判断を左右するに足りない。」

図1 認定摘示事実選択の効果 マイナス評価になりそうな[✖摘示事実4]を予め除外すると,[〇摘示事実1~3]の全体評価は常にプラス評価,すなわち常に真実相当性が証明される段取りができる。

高裁判決の趣旨は、西岡論文C③を別個に「認定摘示事実n」に認定すると、原告の的確な反論があり、「認定摘示事実1」(原告は権力による強制連行との前提にとって都合の悪い内容を記事にしなかった)の正当性を減殺する要素となるので、摘示事実1に摘示事実nを含めてしまうというものである。被告西岡の主張の正当性を裁判所が「分割払い」で判断することになり、原告にとっては不当な訴訟指揮であろう。

意見(7)⇒「原告は、原告記事Aを執筆した当時、日本軍が従軍慰安婦を戦場に強制連行したと報道するのとしないのとでは、報道の内容やその位置づけが変わりえることを十分に認識していたものといえる。」、「原告作成の陳述書(甲115)には、原告記事Aの「連行」の文言は、「強制」の語がついていないから「強制連行」を意味しない旨の記載があるが、「連行」の一般的な意義・用法に照らし、「連行」と「強制連行」との間に有意な意味の違いがあるとは認められないから、上記a及びbの認定判断は左右されない。」

 原告が記事Aを書いた1991年当時も朝日新聞は「吉田証言関連記事」を掲載し続け、慰安婦の強制連行説に傾いていた。原告記事Aもこの説に基づいて書かれたはずだから、今更、原告が記事Aの「連行」を「広義の強制連行」と言い換えるのは認められないというものである。

5-2評価
(前略)
何を以て「一般の読者」とするかは、慰安婦問題について、国内世論が「リベラル派」と「保守派」に割れている状況では難しいところである。さしずめ、リベラル派は原告植村隆や原告弁護団と「植村裁判を支える市民の会」であり、保守派は植村裁判の被告西岡力氏や櫻井よしこ氏らである。おおまかに言えば、保守派は、旧日本軍の従軍慰安婦・慰安所制度は第二次大戦以前の「公娼制」(これ自体国際法の観点から極めて疑わしいのだが)の延長、軍事的編成[10]であり、当時の国際法の枠内にあるという立場に立ち註[2]、元慰安婦に対する謝罪・補償は本来、必要がないと考える。従軍慰安婦の徴募が強制連行だったのか、それとも民間業者が仲介する周旋や斡旋だったのか、保守派が徴募方法の細部に徹底的に拘るのはそのためである。他方、リベラル派は、民間業者が介在したにせよ、旧日本軍・政府の計画的・主体的関与[8](慰安所の設置、監督・統制、業者の選定)が従軍慰安婦制度の本質であり、国際法違反(戦争犯罪)であるとの立場に立っている。そして問題解決のためには日本政府が法的・道義的責任を認めて被害を受けた女性に謝罪と補償をすること、歴史研究・教育を通じて再発防止措置をとることが必要であると考える。
 以上の事情を考慮し、「一般の読者」とは植村裁判の原告と被告の中間に立つ人々だが、地裁判決は「一般の読者」の読み方を無難に「第三者委報告書」に求めたと考えるべきだろう。 しかし「第三者委報告書」が国内的には「一般の読者」を代表したとしても、果たして国際的に「一般の読者」の代表たり得るかは不明である。
(後略)

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

7. バッシングの誘発を免責する裁判所の論理 (全文)

原告植村は、一審の最終意見陳述で、公募で採用され、新聞社退職後に教授に就任予定だった大学に、被告西岡らの記事によって煽動されたと見られる不特定多数からの、「なぜ捏造記者を雇うのか?」といった脅迫状が舞い込み就職を断念せざるを得なくなったこと、そればかりか、家族への危害をほのめかす電話や脅迫状が自宅に舞い込んだと語った。
さらに植村氏は、1991年当時、他の日本の新聞記者が書いた記事と同じような記事を書いただけであり、それから23年経過して、その中の一人が「捏造」記者とラベルを貼られ、ことさらバッシングを受けた経緯に疑問を呈し、政治状況を見計らった特定グループの共謀が背景にあったことを暗に語っている。
 西岡氏らが多数の読者を獲得することを第一目標とする雑誌社の協力の下で学者・言論人として度を越した「捏造」表現を執拗に繰り返して植村氏の名誉を毀損し続けたこと、それは単なる名誉棄損ではない。植村論難の最終段階では当該雑誌社記者の挑発的記事が掲載され、その記事に西岡氏が「(植村記事は)捏造記事と言っても過言ではありません。」とのコメントを寄せ、それをきっかけに不特定多数による植村氏へのバッシングが激増した。そうした因果関係を、事件の経緯、脅迫状の内容から特定することは可能である。裁判所が訴訟指揮すべきは、その因果関係の究明であり、市民感覚では西岡氏らの結果責任が問われて然るべきである。
しかしながら植村氏の最終意見陳述を受けた地裁判決は植村氏が被った現実の被害を全く顧みない内容となった。
植村弁護団は、地裁判決が西岡氏の植村氏に対する名誉棄損を免責したことについて、声明の中で次のように述べている。
「(略)・・・相当性の抗弁により免責を認めるためには、その報道された事実を基礎づける確実な根拠・資料が必要であるというのが確立した判例である。本件判決は、そのような根拠・資料がなく、とりわけ、植村氏が嘘を嘘と知りながらあえて書いたか否か、本人の認識について全く取材せず、「捏造」という強い表現を用いたことを免責しており、従来の判例基準から大きく逸脱したものである。・・・(略)」
植村弁護団の評価によれば、地裁判決が認定した西岡氏の捏造表現の根拠は極めて不十分であり、従来の判例基準を逸脱したものである。
では西岡氏の捏造表現のいかなる公益性によって、植村氏に対する西岡氏の名誉棄損が免責されたのだろうか。地裁判決は西岡氏の文春記事について次のように認定した。

「従軍慰安婦問題は2014年当時においても国際的に重要な問題であり、大学の教員を誰が務めるかは公共の利害に関わる事柄であった。文春記事の読者の一部が、大学に対し、原告植村を雇用することについて抗議したことが認められるが、被告西岡の文春記事自体は大学への抗議を煽動するものとは認められない。」(要約は筆者による。)

地裁判決は、官僚的な建前に終始しており、植村氏に対する西岡氏の重大な名誉棄損を免責するに値する公益性の所在を、他人事のように、「大学教育」という抽象的な場に押し込んでいる。現実は、抽象的な「大学教育」の問題ではなく、切実な雇用と経営判断の問題であった。大学経営者は、植村氏が大学に提出した資料を手にすることなく、従軍慰安婦問題の国際的重要性とは全く無関係に、植村氏を雇用することで予想される混乱を避けることを第一として、植村氏との雇用契約を解除するに至った。
西岡氏は自らの行為が如何なる結果をもたらすか、大学教員の経験者として十分承知していたはずである。しかし決してそのような事柄を雑誌論文に書くことはないだろう。西岡氏の論文に、捏造記事と国益毀損のキーワードを除いて、当該大学への抗議を煽動するフレーズが含まれていないのは自明であり、地裁判決の想像力欠如と言うほかはない。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

8. まとめ (全文)

最後に、植村裁判地裁判決の全体像を概観する(図2参照)。図2で、実線矢は地裁判決における「認定摘示事実」とその真実相当性もしくは真実性を証明する証拠・根拠の関係を示す。矢先、矢元はそれぞれ「認定摘示事実」、「証拠・根拠」を示している。
それに対し、点線矢は、地裁判決では言及されていないが、「認定摘示事実」とその反証に成り得る証拠・根拠を示す。例えば元慰安婦の訴状(平成3年訴訟)は、地裁判決では、「認定摘示事実3」の真実性を補強する証拠として用いられたが、観点を換えれば、1991年当時、植村記事を含む慰安婦報道が実際には韓国における慰安婦問題の取り組みを正しく報道していたという意味で、「認定摘示事実3」を強く否定する根拠となり得ることを示す。また旧日本軍の従軍慰安婦問題への国際社会の理解は大局的には今後も揺らぐことはなく、かつての戦争犯罪の一つとして日本は国際社会から問題究明を迫られ続け、免責されることはない。植村記事による報道の正当性を裏付けるものである。
「認定摘示事実1~3」を結ぶ双方向の矢線は、「認定摘示事実」が相互に補完しあうことを示すが、あくまで地裁判決で描いた構想であり、実際には4-2節で述べたように排除し合う可能性もあり、またどれか一つが否定されると論証全体が崩壊する。
        図2 地裁判決の論証スキーム


【著者のコメント】本論文執筆の経緯
著者が植村裁判に関心を寄せるようになったのは、『マケルナ北星!の会』(略称:マケルナ会)の神沼公三郎さんから「マケルナ会シンポジュウムのご相談」という電子メール(2015826日付)を頂いてからです。「マケルナ会」というのは、当時、植村隆さんが非常勤講師をしておられた北星学園大学(札幌)に植村さんの解雇をせまる脅迫状が多数届いたため、事態の複雑化を恐れた学園当局が、次年度、植村さんと契約を交わさないのではないかとの観測があり、植村さんの非常勤講師継続に向けて支援するために結成された会です。それ以降、本年202035日に至るまで、植村裁判の経過その他植村さんの活動について、神沼さんから、さまざまな情報をお知らせいただきました。
2018年の89日の札幌地裁判決後、神沼さんから、判決全文と判決についての各紙の記事が送られてきました。そこで驚いたのは、植村さんが北星学園等で甘受せざる得なくなった災難と判決のギャップであり、一記者に対する「記事捏造」という究極の名誉棄損によって誘引された迫害を、「そう信ずるに足る十分な理由があった(真実相当性)」などの官僚的言い回しで免責する裁判はどこかおかしいと直感的に感じた次第です。
さて、昨年201911月、李栄薫著「反日種族主義」の日本語版が文藝春秋社から出版されましたが、同書をハングルで読破された知人から紹介され、何が書いてあるか読んでみようという気になりました。この本は三部から構成され、第三部が「種族主義の牙城、慰安婦」ですが、その書き出しは「葛藤の原因 一九九一年、日本軍慰安婦問題が発生しました。金学順さんという女性が日本軍慰安婦だった自分の経歴を告白しました。・・・(略)・・・それから今までの二八年間、この問題をめぐって韓国と日本の関係は悪化の道を歩んできました。・・・(略)」となっています。ここにいう「今までの二八年間」の日韓関係はまさに植村裁判の背景となる時代です。では、李栄薫氏が言うように1991年に初めて日本軍慰安婦問題が発生したのか、そうではありません。第二大戦直後に日本軍が占領地のオランダ人女性に慰安婦を強制した「スマラン慰安所事件」が発覚し、オランダの軍事法廷で日本軍将校7名と慰安所経営者4名が戦争犯罪で有罪になっています。
残念ながら、欧米諸国は、アジア人女性の人権侵害までは意識が回らず、アジア諸国にも[従軍慰安婦=戦争犯罪]という意識が薄かったため、戦後しばらく、李栄薫氏が言うように、1991年まで放置されてきたということです。
植村裁判の意義は、もともと存在しなかった日韓間の従軍慰安婦問題が、韓国女性団体の呼びかけに応じて戦後初めて元慰安婦が名乗り出たことを一早く報道した新聞記者たちによって捏造されたのか、あるいは人権意識の高まりによって浮かび上がったのか、日本国憲法・国際法に照らしてどう判断すべきかが問われることにあります。その意味で植村裁判を検証することは重要だと考えられます。

2020年5月20日水曜日

最高裁判所への要請

上告中の植村裁判について、新聞、民放、出版などのマスコミ関連労組が結集する「日本マスコミ文化情報労組会議」(MIC、南彰議長)が、高裁判決の問題点を指摘し、判断の見直しを求める要請を発表しました。
全文を掲載します。


歴史的事実や女性の人権に対する歪んだ認識の司法判断の見直しを求める

元朝日新聞記者の植村隆さん現・週刊金曜日発行人が報じた元慰安婦の証言の記事に対して繰り広げられた「捏造」バッシングを免責し、事実上容認するかのような司法判断が続いています。「捏造」は意図的に事実に反することを書いたことを意味し、ジャーナリストにとってのいわば死刑判決です。批評は最大限尊重されるべきですが、意に沿わない記事を書いた記者を社会から排除しようとする行為は、言論の封殺につながり、メディア関連労組として看過できるものではありません。

この問題では、1991年に韓国で初めて「元慰安婦」であったことを名乗り出た女性の証言を新聞記事にした植村氏に対して、麗澤大学客員教授の西岡力氏やジャーナリストの櫻井よしこ氏らが、2014 年ごろからコラムや論文で「捏造」記者と攻撃。植村氏の勤務先の大学に退職を要求する脅迫文が大量に送りつけられたり、インターネット上で家族を含めた個人攻撃が行われたりしました。名誉回復を求めて札幌、東京両地裁に植村氏が提訴した一連の訴訟では、植村氏を「捏造」と断じていた西岡氏や櫻井氏の主張の根拠が成り立たないことが明らかになりましたが、控訴審を含めて、西岡氏や櫻井氏らを免責する判決が出ています。

特に気がかりなのは、「桜井氏は植村氏本人に取材しておらず、植村氏が捏造したと信じたことに相当な理由があるとは認められない」とする植村氏側の主張を退ける際、札幌高裁が「資料などから十分に推認できる場合は、本人への取材や確認を必ずしも必要としない」とした点です。捏造の有無においては、本人の認識が大切な要素です。それにもかかわらず、植村氏に確認する取材の申し込みすらせず、一方的に「捏造」と断じるコラムや論文が、取材を尽くして執筆したものといえるかは非常に疑問です。上告審では、「確実な資料や根拠に基づき真実だと信じることが必要」とされてきた「真実相当性」に関するこれまでの最高裁判例に基づいた判断の見直しが必要です。

植村裁判の一連の司法判断では、歴史的事実や女性の人権に対する裁判所の認識の歪みも表れています。その象徴は、植村氏が報じた慰安婦の証言について、「単なる慰安婦が名乗りでたにすぎないというのであれば、報道価値が半減する」と札幌高裁が言及したことです。戦後、長い苦しみの時間を生き抜き、勇気と決意をもって名乗り出た女性を「単なる慰安婦」と貶め、過去の戦時性暴力の問題に向き合わない姿は、現代の性暴力に無理解な司法判断にもつながっています。国内外のすべての女性への侮辱であり、著しい人権侵害です。

このような司法判断が固定化されては、為政者にとって都合のいい歴史修正主義が横行し、次世代のジャーナリストが過去の歴史的事実に誠実に向き合い、報道していく道を狭めてしまいます。また、戦時性暴力の被害者である慰安婦の証言を報じた側には重い責任を負わせ、被害者の証言報道を「捏造」などと貶める側の取材不足・誤読・曲解は大幅に免責する一連の司法判断の構図を放置していたら、今後の性暴力被害の告発やその報道にも深刻な影響が出かねません。最高裁において真摯な判断の見直しが行われることを強く求めます。

2020年5月15日
日本マスコミ文化情報労組会議(MIC)
新聞労連、民放労連、出版労連、全印総連、映演労連、映演共闘、広告労協、音楽ユニオン、電算労)

2020年3月6日金曜日

植村支援の皆さまへ

東京高裁で植村隆さんが敗訴したことについて、支援グループのひとつ「植村さんを支える仲間たち」がメッセージを発しています。「仲間たち」は朝日新聞時代の同期生と同僚記者、社内の友人らが2015年1月に作った組織です。メッセージにこめられた怒りと願いをブログ読者の皆さまと共有したいと思います。以下に、転載します。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

植村支援の皆さま

ご承知のように、東京高裁も敗訴でした。
植村さんの記事のもとになった1991年11月の金学順さんの聞き取りテープを発見して、取材時の金さんは「キーセン」という経歴には一度も触れなかった 金学順さん自身が「私は挺身隊だった」「(日本軍に)引っ張って行かれた」「武力で私を奪われた」と語っていたことが、法廷で確認されました。それなのに、判決は「(このテープが聞き取り調査の際の金学順の証言の全てを記録したものとは認め難い」と一蹴して西岡氏を免責したのです。
植村裁判は政治案件なのか!?
要するに、記事が事実かどうかに関わりなく、朝日新聞の慰安婦報道が間違っていたのだから、記事を「ねつ造」呼ばわりされても仕方がない、という判決なのです。「ただの慰安婦の訴えなら報道価値は低い」(!)とした札幌高裁判決に続いて、「不当判決」としか言いようがありません。
朝日新聞の慰安婦報道に問題点があったこと、とくに吉田証言の訂正があまりにも遅れたことには、記者はみな痛恨の思いと反省の念を抱いているはずです。ただ、だからといって、事実に基づかない「ねつ造」という誹謗中傷の言論に、司法がお墨付きを与えることにはつながらないはずです。
西岡氏はたんに記事を批判したのではなく、植村記者は「韓国人の義母が理事を務める韓国の運動団体の対日訴訟を有利にするために記事を書いた」「その目的のために金学順さんが訴状で述べていたキーセンの経歴を意図的に書かなかった」と決めつけていました。その主張はどちらも事実ではなかったことが判決でも確認されました。
学者であれ、記者であれ、そこまで書く以上はそれを裏付ける資料のチェックや取材(裏トリ)をするのが常識ではないでしょうか。
司法は、「慰安婦報道攻撃」だけには甘い!
西岡氏は、金学順さんへの取材も、取材テープの入手も、同行した通訳への確認も、何もしていなかったのです。それどころか論拠に使った韓国のハンギョレ新聞の記事の内容をすり替えていて、法廷の本人尋問でそれを認めていました。(『慰安婦報道「捏造」の真実』(花伝社)をご参照)
ふつうの名誉棄損訴訟なら、金学順さんのテープを入手して植村さんの取材に対して「キーセンだった」と述べていたことを西岡氏が立証しなければ免責されなかったでしょう(挙証責任は「ねつ造」と書いた側にある)。高裁判決は、慰安婦報道を攻撃する言論に対してだけ「真実相当性(真実でなくても、そう思い込んだことに相当の事情がある)」を例外的に甘くして認めている、と言わざるを得ません。「強制連行」や「慰安婦」の定義から現政権の見解をうのみにして踏襲する判決が続くことに、「司法は独立した判断を下すはず」という私たちの期待が間違っていたのだろうか、とまで危機感を覚えます。
 
問われているのは、「植村記者は事実を伝えようとして金学順さんの記事を書いたのか、読者をだまそうとして事実を偽った=「捏造」したのか」です。それ以上でも、それ以下でもありません。
 
植村さんは「最高裁へ上告する」と決意しています。 皆様のご支援を引き続きお願いします。

2020年3月5日
「植村さんを支える仲間たち」
呼びかけ人 水野孝昭

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
東京高裁前で(3月3日午後2時半ころ) 写真・白谷達也

2020年3月5日木曜日

高裁判決の注目個所

update 2020/3/6 9:30am
東京控訴審判決の注目部分、4項目を抜粋して収録します。書式は変えてあります。 

【判決書28ページ25行目~31ページ7行目】
(1)は、控訴審で最重要証拠として提出した「金学順さんの証言テープ」についての裁判所の判断。
植村氏は、金学順さんがキーセンについてひとことも語っていなかったことを強調し、西岡氏の「捏造決めつけ」根拠が崩れた、と主張した。しかし、裁判所は、「聞き取り調査の際の金学順の証言の全てを記録したものとは認め難い」「キーセン学校に通っていたとかキーセンに身売りされたなどの韓国各紙の報道等もあった」として、植村氏の主張を退けた。植村氏は証言テープの取得経緯や内容構成について、本人尋問によって詳細な説明をしたいと控訴審で求めていたが、裁判所はそれを却下した上で、証言テープが持つ意味をも否定した。
(2)は、ネット上に現在も掲載されている西岡氏の記事についての裁判所の判断。
植村氏は「金学順さんの証言テープ」などを根拠として記事の削除を求めていたが、裁判所は、「(西岡本人のサイトではないから)容易に記事を削除できる立場にあると認めるに足りる証拠もない」などどして、請求を斥けた。 

第3 当裁判所の判断
3 控訴審における控訴人の主張に対する判断

(1) 平成3年11月25日の証言テープについて
控訴人は、令和元年8月22日になって、平成3年11月25日に金学順の証言を直接聴取した際の「証言テープ」(甲196ないし199)が、関係者宅から偶然発見されたところ、上記「証言テープ」には「キーセン学校に通った」 とか「キーセンに身売りされた」 旨の証言はなく「キーセン」という単語さえ出てこなかったから、これを再現した原告記事Bで「キーセンに身売りされた」事実を記載しなかったことは当然であって、「意図的に事実と異なる記事を書いた」とはいえない旨主張する(なお、被控訴人らは、上記「証言テープ」及びこれに基づく主張は、時機に後れた攻撃又は防御の方法と言わざるを得ないから却下すべきである旨主張するが、上記攻撃防御方法の提出が控訴人の故意又は重過失により時機に後れたとか、これにより訴訟の完結を遅延させることになるなどと認めるに足りる証拠はないから、上記主張には理由がない。) 。
しかしながら、上記聞き取り調査に同席した市民団体「日本の戦後責任をハッキリさせる会」(代表である臼杵敬子が通訳として立ち会った。控訴人理由補充書(1))の同証言の記録(「ハッキリ通信」1991年第2号。甲14)においても、金学順は、義父を好きになれず反発して何度か家出した末「結局、私は平壊にあったキーセンを養成する芸能学校に入」ったとの経緯(これは平成3年8月当時の韓国内の新聞報道の内容に整合している。前記認定事実(4)ア)が記載されていることに照らすと、上記「証言テープ」が上記聞き取り調査の際の金学順の証言の全てを記録したものとは認め難い(上記「証言テープ」に録音されていない証言内容があること自体は、控訴人も認めている[甲220]。また、控訴人自身、反論の手記[甲9]、陳述書[甲115]及び原審における原告本人尋問において、金学順は「養父」については「全く語らなかった」とする一方、「キーセン学校」については「あまりキーセンということに重きを置いていなかった」、「キーセン学校に通ったという事実は述べられていたと思うが、キーセン学校に通ったことと慰安婦にされたことを結びつけて考えなかった」ので記載しなかった旨述べており、上記主張とは整合しない。甲9、115)。
加えて、前記のとおり、原告記事B の執筆時点においては、金学順の経歴につき、キーセン学校に通っていたとかキーセンに身売りされたなどの韓国各紙の報道等もあったのであるから、被控訴人西岡が、控訴人がこの経緯を知っていたが、このことを記事にすると権カによる強制連行との前提にとって都合が悪いためにあえてキーセンに関する経緯を記載しなかったと考えることには相応の合理性があるというべきである。控訴人の上記「証言テープ」に基づく主張には理由がない。


(2) インターネット記事による名誉棄損行為(西岡論文B)について
控訴人は、インターネット記事による名誉棄損行為は、名誉段損に該当する言質を日々公開し続けているという意味で、投稿日から削除日までーつの行為が継続しており、全体で一個の継続的不法行為であると解すべきであり、その当然の帰結として、相当性の判断時点は、名誉段損を内容とする記事の公表が終了した時点(削除時点)となる、本件訴訟で提出された全ての資料、とりわけ、控訴審で提出した金学順の「証言テープ」(甲196ないし199)により、①原告記事Bは「事実と異なる記事」ではないこと、②金学順は、名乗り出た当初から、キーセンの検番に売られたという事実を一貫して述べていたわけではないこと、③控訴人に「事実と異なる記事を書く」意図がないことの3つが確実に立証されたから、少なくとも、この点について相当性が認められる余地はなく、いまだ削除されていない西岡論文Bについての削除請求及び損害賠償は認められるべきであるなどと主張する。
しかしながら、本件ウェブサイトへの西岡論文Bの掲載は一回的な行為でーあり、当初の執筆・投稿で終了している上、被控訴人西岡が本件ウェブサイト(被控訴人西岡とは別の主体である「歴史事実委員会」のサイトである。)から容易に記事を削除できる立場にあると認めるに足りる証拠もないから、本件ウェブサイト上から西岡論文Bが削除されていないことをもって、被控訴人西岡が継続的に掲載行為を行っているとは認め難い。また、この点を措いても、上記「証言テープ」に基づく控訴人の主張に理由がないことは前記(1)で述べたとおりであり、控訴人主張に係る上記各事実が確実に立証されたとは認められない。投稿時から現時点までにおける資料等をもとに判断したとしても、西岡論文Bの摘示事実については、真実相当性が認められるというべきである。


【判決書17ページ16行目~21ページ12行目】
判決の根幹となる西岡氏の名誉棄損表現の「真実相当性」についての判断部分。
判決は植村氏の記事について、キーセン身売りの経歴を知っていたとまでは認められない」「あえてこれを記事にしなかったとまで認めることは困難である」として、意図的な虚偽報道=捏造ではない、と明確に判断している(太色字部分)。その上で、一審判決と同じ論法で、当時、キーセン経歴にふれた報道や著作が多数あったことをあげて、西岡氏の「真実相当性」を認めている。
注=頁、行数の表記は一審判決のもの。 

第3 当裁判所の判断
2 原判決の補正

(53)3924行目から4019行目の末尾までを以下のとおり改める。
「ア西岡論文について
上記2(2)で検討したとおり、西岡論文の各記述は、控訴人は金学順が経済的困窮のためキーセンに身売りされたという経歴を有していることを知っていたが、このことを記事にすると権力による強制連行との前提にとって都合が悪いため、あえてこれを記事に記載しなかった(裁判所認定摘示事実1)控訴人が、意図的に事実と異なる記事を書いたのは、権カによる強制連行という前提を維持し、遺族会の幹部である義母の裁判を有利にするためであった(裁判所認定摘示事実2)との各事実を摘示するものと解するのが相当である。
(ア)裁判所認定摘示事実について
前記認定事実(3)のとおり、平成11日付けの原告記事は、控訴人が挺対協の事務所において、金学順の発言が録音されたテープ及び尹や挺対協のスタッフからの聞き取り等の取材結果をもとに執筆した記事であるが、上記録音テープその他控訴人の取材内容を証するに足りる資料は現存せず、上記録音テープ等における、慰安婦になった経緯についての金学順の発言内容ほ必ずしも明らかではない。
もっとも、控訴人は、金学順からの聞き取りを行った尹からの「金学順はだまされて従軍慰安婦にされた」との取材結果(前記認定事実(3)イ)も踏まえ、原告記事Aにおいて「女性の話によると、中国東北部で生まれ、17歳の時、だまされて慰安婦にされた」と記載しているのであるから、金学順は、上記録音テープにおいて「だまされて慰安婦にさせられた」と発言していたものとみるのが自然である。
また、前記認定事実(4)ないし(6)のとおり、金学順が同月14日に開いた共同記者会見に関する韓国内の新聞報道、北海道新聞社による金学順に対する単独インタビューの報道、平成年訴訟の訴状における金学順に関する主張、「月刊宝石」(平成月号)の臼杵敬子の論文等における金学順の経歴に関する内容は、総じて「キーセンの検番」とか「キーセン学校」などの経歴に触れているものの、慰安婦になった直接の経緯については、養父ないし義父等が関与し、営利を目的として人身売買により慰安婦にさせられたことを示唆するものもあるが、養父等から力づくで引き離されたというものもあって必ずしも一致していない。
以上によれば、控訴人が原告記事A執筆当時、「金学が経済的困窮のためキーセンに身売りされた」という経歴を有していることを知っていたとまでは認められないし、原告各記事執筆当時、「権力による強制連行との前提にとって都合が悪い」との理由のみから、あえてこれを記事にしなかったとまで認めることは困難である。
しかし、被控訴人西岡が西岡論文を執筆するに当たって閲読した、ハンギョレ新聞の平成15日付けの記事(甲67) には「生活が苦しくなった母親によって14歳の時に平壌にあったキーセンの検番に売られていった。年間の検番生活を終えた金さんが初めての就職だと思って、検番の義父に連れられて行った所が(中略)日本軍300名余りがいる小部隊の前だった。」との記載があること、平成年訴訟の訴状(乙22 )には「家が貧乏なため、金学順も普通学校を辞め、子守りや手伝いなどをしていた。金泰元という人の養女となり、14歳からキーセン学校に年間通ったが、1939年、17歳(数え)の春、『そこへ行け金儲けができる』と説得され(中略)養父に連れられて中国へ渡った」との記載があること、「月刊宝石」(平成月号)の臼杵論文(乙10)には「14歳のとき、母が再婚したのです。私は新しい父を好きになれず、次第に母にも反発しはじめ、何度か家出もしました。その後平壌にあった妓生専門学校の経営者に40円で売られ、養女として踊り、楽器などを徹底的に仕込まれたのです。ところが、17歳のとき、養父は「稼ぎに行くぞ」と、わたしと同僚の「エミ子」を連れて汽車に乗ったのです。」との記載があることからすれば、被控訴人西岡は、上記各資料等を総合して、金学順が経済的困窮のためにキーセンに身売りされ、養父により人身売買により慰安婦にさせられたものであり、金学順が自らその旨述べていると信じたと認められる。
そして、上記各資料のうち、上記は、金学順の共同記者会見の内容を報じだ韓国紙(民主化運動の中で創刊しリベラルな論調で知られる主要紙)の記事であり、同会見を報じた韓国各紙の報道ともおおむね一致する内容であったこ と、上記は、平成3年訴訟を提起するに当たり訴訟代理人弁護士らが金学順から聞き取った内容をまとめたものであること、上記は、平成年訴訟の支援団体の代表を務めるジャーナリストが金学順と面談した内容を論文にしたものであり、いずれもその性質上、あえて金学順に不利な内容を記載することは考え難いことからすると、被控訴人西岡が上記各資料等を総合して上記のとおり信じたことについては相当の理由があるというべきである。
そして、上記各資料の内容及び発表時期に加え、原告各記事の執筆当時、朝日新聞社は吉田供述を紹介する記事を掲載し続け、これに依拠して従軍慰安婦に関し日本軍等による強制連行があったとの立場を明確にして報道していたこと(認定事実(1)イ及びウ)、国会でも当時、強制連行の有無が大きな争点とされていたこと(同工(ア)及び(イ))、養父等による人身売買ということになれば、日本軍等による強制連行とは全く異なってしまうことを総合すると、被控訴人西岡が、控訴人は、金学順が経済的困窮のためキーセンに身売りされたという経歴を有していることを知っていたが、このことを記事にすると権力による強制連行との前提にとって都合が悪いため、あえてこれを記事にしなかったと考えたことは推論として相応の合理性があり、被控訴人西岡が上記各資料等を総合して上記のとおり信じたことについては相当の理由があるというべきである。
控訴人は、キーセンは芸妓であり、娼妓と違って性売買が予定されていなかったと主張する。しかし、本件検証記事(甲30)においても、「韓国での研究によると、学校を出て資格を得たキーセンと遊郭で働く遊女とは区別されていた。」としつつ、「中には生活に困るなどして売春行為をしたキーセンもおり、日本では戦後、韓国での買春ツアーが「キーセン観光」と呼ばれて批判されたこともあった。」と記載され、本件調査報告書(乙24)において「(原告記事)がキーセン学校のことを書かなかったことにより、事案の全体像を正確に伝えなかった可能性はある。植村による「キーセン」イコール慰安婦ではないとする主張は首肯できるが、それならば、判明した事実とともに、キーセン学校がいかなるものであるか、そこに行く女性の人生がどのようなものであるかを描き、読者の判断に委ねるべきであった」とされていることからも見とれるように、日本の新聞読者においては、「キーセンに身売りされた」との経歴は、(それが正しいかどうかはともかく)、「慰安婦として人身売買された者」とのイメージを抱かせ、このことは、日本軍による強制連行との前提に疑間を抱かせる事実であるから、少なくとも、被控訴人西岡において、上記のとおり信じたこと、には相当の理由があるというべきである。」


【判決書21ページ20行目~22頁5行目】
西岡氏の「捏造決めつけ」の根拠となっている「義母便宜説」についての判断部分。
植村氏の義母が役員を務める団体が日本政府に対して提訴することを、植村氏は知らなかった。だから、「義母の裁判を有利にするために事実と異なる記事を書いた」との事実は「真実であるとまで認めることは困難である」と断定している(太色字部分)。西岡氏の根拠は完全に崩れた。植村氏の記事は捏造ではない。
注=頁、行数の表記は一審判決のもの。 

第3 当裁判所の判断
2 原判決の補正

(56)41頁4行目の「原告の義母」から同6行目の「約4か月前に掲載され」までを以下のとおり改める。
原告記事の執筆時点において、控訴人が、義母の裁判(平成年訴訟)の提訴予定を知っていたことを認めるに足りる証拠はなく、控訴人が「義母の裁判を有利にするために事実と異なる記事を書いた」との事実が真実であるとまで認めることは困難である。
もっとも、控訴人の義母が幹部を務める遺族会の会員らは、平成1029日に日本政府を被告として公式謝罪と賠償を求める訴訟を提起していたこと(乙20)、さらに、平成12日には金学順も原告となって平成年訴訟を提起したこと、平成年訴訟の原告らは日本軍が従軍慰安婦を女子挺身隊の名で強制連行したと明確に主張していたこと、原告記事は平成年訴訟提起の約か月前に掲載され(遺族会の当時の活動状況等や平成年訴訟の内容等に照らすと、提訴までに相当長期間の準備期間を要したものと考えるのはむしろ自然である。)」



判決書を個条書きで書くことが許されるのか!
全32ページ(本文31、別紙1)の高裁判決書は、一審判決書に比べひとまわり小ぶりになっている(一審は63ページで、本文50、別紙13)。しかも、判決の本体をなす「第3 当裁判所の判断」(4~31ページ)の大半は、一審判決の補正(加筆と修正)を箇条書きにしたもので、その項目は73に及ぶ。
とくに加筆の多さが目立つ。
そのほとんどは、西岡氏の主張を合理づけるために一審判決が引用した同氏の著作や朝日新聞社の第三者委員会報告書の部分に、さらに引用を追加するものとなっている。たとえば、西岡氏が初めて植村氏の記事を批判した「文藝春秋」1992年4月号について、一審判決は5行でその内容を紹介しているが、高裁判決書は、「末尾に以下のとおり加える」として、35行も追加している。裁判所が屋上屋を重ねて、西岡氏の植村批判を援護しているのである。
一方、修正は不必要なものが多い。たとえば、「署名記事」を「署名記事(写真なし)」に、「新聞報道」を「新聞報道(いずれも金学順の写真付きで大きく扱われている)」としたり、植村氏の韓国語習得経歴について、「朝日新聞社に籍を置きつつ、ソウルで」を「朝日新聞の語学留学生として延世大学校で」とするなど、本筋からはずれる「修正」が次から次と出てくる。
加筆と修正の72項目は文字通り箇条書きで連続して書かれている。各項目をつなぐ、いわゆる地の文はまったくない。だから、高裁判決を正確に読み解くためには、一審判決書を手元に置き、加筆と修正をそれぞれの該当箇所に置き換えて読まなければならない。法律の門外漢とっては、初めて見る形式の判決書であり、たいへんな苦行を強いられる。それでも、法律のプロたちには通用する文書形式なのだろうか。
高裁判決書の根幹の「判断部分」で、「補正」とは別に、新たに書き下ろされているのは、上掲の「第3 当裁判所の判断 3 控訴審における控訴人の主張に対する判断(1)(2)」だけである。
オリジナルな判決書というよりは、校正指示書か、完成前の推敲版といったほうがいい。
これまでにない後味の悪さ、不快感がこの判決書には残る。判決の内容だけでなく、その書きぶりにもよるところ大である。
text by HN

写真=高裁判決書の一部(4~6ページ)