2021年4月13日火曜日

伊藤誠一弁護士報告

植村裁判終結報告会(4月10日、札幌)における伊藤誠一弁護士(札幌訴訟弁護団共同代表)の報告を収録します

裁判官が市民社会の視点でなにも問われないということであってはならないが、この問題では裁判官が全員同じ方向を向いていたという事実について、正確に理解する必要があるのではないか


この5年間、止むことなく続けられてきましたみなさんによる裁判の見守り、お力添えに深く感謝申し上げます。ありがとうございました。

この裁判は、北海道内のおよそ100人の弁護士、東京を中心に20人以上の弁護士に加わっていただき、全力投球いたしましたが、また、皆さんの格別のご支援をいただきましたのに、勝利のご報告ができませんことにつきまして、非力を感じております。裁判を担った弁護団の責任者の一人として、植村さん、また皆様に対してお詫びを申し上げたいと思います。

マスコミ報道によって名誉が傷つけられたという言論人が、名誉を回復して挽回するという営みは、言論によってなされるということが期待されております。この裁判の当初、代理人となってほしいとお声がけをした弁護士の何人かは、これは言論の領域の問題ではないか、ということで参加いただけませんでした。これはこれで道理のある態度であったということができます。

ところで、植村さんが朝日新聞の記者であった当時、今から四半世紀以上前に書いた慰安婦記事が、2014年になってから、櫻井よしこ氏によって、その内容が捏造であると断定的に主張され、その内容がネットの上で拡散され、増幅されて、これを受けた者による植村さんとそのご家族に対する脅迫や威力による耐え難い妨害行為を生み出しました。櫻井氏が自らの言説が原因となっていることを知りながら見逃していたというにとどまらず、むしろこれを煽るかのように同種の言説を重ねていた。そういう事態の下では、もはや、言論の世界の問題であると観念的に割り切ることはできないということで、私どもはこの訴えに臨んだわけであります。

植村さんの当時の勤務先の北星学園への加害行為につきましては、これに対する大学の内の抵抗と、マケルナ北星!という外からの取り組みとが相まって、抑えられつつありましたけれど、ネット上の書き込みや郵便、電話などによる攻撃の影響は、まだ、植村さんとご家族の人としての尊厳を傷つけるような状態で続いておりました。多少デフォルメして申し上げますと、この訴訟はいわば緊急避難としての訴えの側面もあったのではないかと考えております。現に、訴え提起後、訴えが広く報道されますと、これら攻撃は目に見えて止んできた、と言うことができました。

この裁判で弁護団は「植村裁判を支える市民の会」のみなさんのご協力、サポートをいただきながら、全力で取り組んだという自負を持っております。あるいはご記憶かと思いますけれども、裁判は東京でやるべきである、という櫻井氏の抵抗を排して、1年間かかりましたけれど、札幌で審理を開始させることができました。法廷での植村さんのお話は、金学順さんの名誉を守るたたかいでもある、という姿勢を貫かれたもので、ご自分の体験とそれに基づいて考えるところをしっかりとお話しいただきました。また極めて困難な中で証人に立っていただいた元北海道新聞記者の喜多さんは、証言に当たって韓国に出向かれて、その当時ご自分がどんなことを考えていたのか、ということを振り返られたといいます。誠実な証人でございました。その証言は裁判所に説得力を持って伝わったのではないかと私は考えております。櫻井氏本人に対する尋問も大きな成果を上げたといえるでしょう。

裁判の外ではどうであったか。植村さんを先頭に「支える会」のみなさんのじつに旺盛な活動が展開され、多くの市民の皆さん、心ある、そして良識ある研究者、学者の方の共感が広がりました。このたび弁護団がまとめた「活動報告書」の56ページに、弁護団の事務局長の手で「植村訴訟を支えた人々と植村氏の活動」ということで整理させていただきましたけれど、これを見ますと、この5年間、ほんとうに大きな量と高い質の活動を続けられたということに驚くばかりです。

しかし、この裁判は、先ほど申し上げましたような、裁判を起こしたことによって植村さんとその家族に対する攻撃が止まった、植村さんの訴えが広まった、ということで良し、とされるべきものではありませんでした。勝たなければならない裁判でありました。

裁判で勝てなかったことによって、櫻井氏をして、大きな声ではなかったようでしたけれども、あの記事は捏造以外の何物でもない、ということを重ねて述べさせております。このようなことを許す結果になりました。

法廷の内と外の取り組みにも拘らず、なによりも、植村さんが、新聞記者として、ジャーナリストの精神に立つ取材をし、それに基づいて、また当時の報道状況をふまえて、良識的であると言える記事を新聞に書いた。その正当性を訴え、裁判ではその立証ができたと思われたのに、どうして勝てなかったのか。これは大きな問題です。この点は真摯に検証し、検討しなければならないと考えています。ただ、弁護団の中の討議のみで検証できる性質のことでもない、と思っております。この裁判を支えて下さった皆さん、また東京で頑張られた皆さんとの共同作業によることが必要なのではないか、そういう裁判ではなかったかと思っております。先ほどご紹介した弁護団の活動報告書も、こうした意味での裁判の検証結果に基づいてレポートしたものではありません。弁護団はこのような活動をした、という外形的な報告にとどまっています。その点はご了解いただきたいと思っています。

さて、裁判は、名誉毀損訴訟における「真実相当性」というテクニカルターム、特別の概念のところで主として争われ、そこで負けたわけですけれども、名誉毀損訴訟の場合、自分の言論によって相手の名誉が傷つくことがあったとして、述べていることは真実であると信じてそう表現した、それには相応の根拠がある、と表現者が裁判で述べて、その点が証拠上認められれば免責される、つまり名誉毀損に一応該当したとしても真実相当性の枠の中にあれば責任は負わない、賠償責任は問われないし刑事責任も問われない、という構造になっているわけです。

この真実相当性という概念は、最高裁判所の判断が重ねられてきて、判例法理と言われているものになっているわけですけれども、それによりますと、表現者が言論を生業としている場合、真実相当性があったと認められるために、表現者が乗り越えなければならないハードルはかなり高く設定されています。札幌の裁判所は、そして東京の裁判所もそうでありましたけれども、このハードルを著しく下げて、ジャーナリストであるという櫻井氏の真実相当性を認めてしまったわけであります。

従いまして、この事件を担当した裁判官が市民社会の視点でなにも問われないということであってはならないと思いますけれども、この問題では、裁判官が全員同じ方向を向いていたという事実について、正確に理解する必要があるのではないかと思います。この事件に関与した裁判官、(最高裁の裁判官は、自らの判断をするについて法律上様々な制約、こういう場合は判断してはいけない、とか制約が加えられていますので、とりあえず最高裁の裁判官を外すとします。)札幌地裁と札幌高裁で合わせて6人、東京地裁と東京高裁で合わせて6人、合計12人の裁判官が、この植村さんの新聞記事が意味するところに直面した、対面したわけですね、その12人の裁判官がみな同じ視線でこれをみた、ということが重要だと思います。この裁判の敗訴の原因について、これら裁判官の慰安婦問題についての理解の深さ、浅さと関連付けて話すことはできないわけではありませんが、その場合、ひとりひとりの裁判官のこの点をめぐる市民感覚、それはここにおられる皆さんの慰安婦問題に対する共通理解を踏まえた良識と言い変えることができると思いますけど、そことのズレを述べる、ズレていると言うだけでは足りない、それだけではこの問題について説明したことにならなのではないかと考えています。

この札幌、東京あわせて12人の裁判官、おひとりひとりを見ますと、私の乏しい経験でも少なくとも2、3人の裁判官は、例えば国家権力による市民の権利侵害の回復を求める別の訴訟ではしっかりとした仕事をされている、という事実があります。ひるがえって、裁判官とて、法の番人であるといっても人の子であります。自らの判断が社会の良識とかけ離れていて、市民社会からは到底受け入れられないという思いが強い場合、もちろん、裁判ですから、証拠あるいは裁判上の主張に基づくわけですけれども、自らの判断が市民社会に受け入れられないとみた場合には、このような結論は簡単には出さないのではないか、ということを考えます。そうしますと、慰安婦の問題では、私どもの主張するような形では、いまだ我が社会の中で裁判官の誤った判断を許さないような強い力、通有力といってよいと思いますが、十分ではない、ということを意味しているという面もあるのではないか、と考えます。

私は弁護士でございますから、この問題を札幌地方裁判所に訴えるという主体的選択をした結果、やはり裁判所の判断を求めることが不可欠であると判断した結果について、一生懸命全力で取り組んだということは申し上げましたけれど、その結果がどうであったかということについて、ある意味で結果責任を負う立場にあることは免れないわけであります。したがいまして、今申し上げましたような検証、検討を加えて、別の機会にでも、皆さんにきちんとお話しができるようにしておかなければいけないと考えております。

それにいたしましても、北海道の弁護士が100人、東京と連帯しながら5年間一丸となって、言論の名による無法、不法は許さない、と法廷で正面から闘い抜いたということは、重要な経験となりました。北海道における「法の支配」を貫く上で極めて大事な取り組みであったと考えております。これからも形を変えて生まれるでありましょう、わが民主主義を傷つけようとする事態に対しては、弁護士が、場合によっては弁護士が集団となって、毅然と立ち向かっていくということについて、皆さんに対して自信を持ってお約束できるのではないかと考えております。

5年間の長きにわたりましてこの裁判をサポートしていただいたこと、そして共同していただいたことに、あらためてお礼を申し上げます。どうもありがとうございました。