2016年3月31日木曜日

裁判の足取り

▼口頭弁論の開催日付と、報告集会の講演者

植村裁判東京訴訟 被告=西岡力(東京基督教大学教授)、文藝春秋
第1回口頭弁論 2015年4月27日   山口二郎・法政大教授
第2回口頭弁論 2015年6月29日   山口正紀(ジャーナリスト)
第3回口頭弁論 2015年10月26日  中野晃一・上智大教授
第4回口頭弁論 2016年2月17日   青木理(ジャーナリスト)
第5回口頭弁論 2016年5月18日   佐高信(評論家)
第6回口頭弁論 2016年8月3日    香山リカ、新崎盛吾、岩崎貞明
第7回(予定)  2016年12月14日

植村裁判札幌訴訟  被告=櫻井よしこ、新潮社、ダイヤモンド社、ワック
第1回口頭弁論 2016年4月22日   佐高信(評論家)
第2回口頭弁論 2016年6月10日   玄武岩(北大准教授)
第3回口頭弁論 2016年7月29日   野田正彰(精神科医)
第4回(予定)  2016年11月4日   俵義文(子どもと教科書全国ネット21事務局長)
第5回(予定)  2016年12月16日 



2016年3月26日土曜日

小林節氏の櫻井批判

植村弁護団の小林節先生が、月刊「日本」4月号で、痛烈な櫻井よしこ批判をしています。
長文の引用ですが、札幌裁判にも関係する内容です。 (東京、T.M) 



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櫻井よしこは嘘つきだ 
嘘だらけ・櫻井よしこの憲法論

── 小林先生は櫻井よしこさんに公開討論を呼びかけています。

小林 もともと民主主義の基本は、正しい情報に基づいて国民が国家の方向性を判断するということです。しかし私に言わせると、安倍政権は嘘キャンペーンを張って、国民を騙しています。そのことで櫻井さんが大きな役割を果たしている。美人で、経歴が良くて、表現力もあるから、一般国民はコロッと行ってしまう。このままでは安倍政権や櫻井さんの嘘に騙されて、国民が判断を誤りかねない状況です。

私の経験から言うと、櫻井さんは覚悟したように嘘を発信する人です。たとえば私と櫻井さんは日本青年会議所のパネルディスカッションで一緒に登壇したことがあります。そこで櫻井さんは「日本国憲法には、『権利』は19か所、『自由』は6か所も出てくるのに、『責任』や『義務』は3か所ずつしか出てこない。明らかに権利と義務のバランスが崩れている。そのせいで日本人は個人主義的になり、バラバラになってしまった」というようなことを言うわけです。


それに対して私は、「櫻井さんの主張は間違っています。法律には総論と各論があり、総論は全ての各論に適用されます。日本国憲法では、『公共の福祉』を定めた憲法12条と13条が総論として、ちゃんと各条が認めた個々の人権全てに制限を加えています。そもそも憲法は国民の権利を認めて、国家に義務を課すものです。しかし納税、勤労、教育は国家存続に必要不可欠なので、憲法は国の主の責任として例外的にこの三つの義務を国民に課しているだけです。19個の権利に対応する19個の義務を課せばバランスがとれるという話ではありません」ときっぱり指摘しました。

そうしたら櫻井さんは顔面蒼白になって、それから目線が全く合わなくなり、その日は挨拶もせずに帰っていった。しかし、その後も櫻井さんは日本国憲法を論じる際には必ずと言っていい程この話を繰り返している。櫻井さんは私の友人に「私は専門分野のないのが弱みなのよね……」とコンプレックスを明かしたそうです。それなら黙っていればいいのに、専門知識を持たずに専門知識の必要な憲法を語るから、こういう間違いを犯すのです。

他にも櫻井さんは「個人主義的な日本国憲法のせいで、親が子を殺し、子が親を殺す日本になってしまった」というようなことを言います。しかし親族間殺人は明治憲法下の戦前の方が多かったのです。この主張は事実に反する真っ赤な嘘ですし、殺人の原因を憲法に求める思考も非科学的です。

知識人は自らの知識と良心に照らして正しいと確信したことを述べるべきです。しかし櫻井さんには知識もなければ良心もない。良心があるならば、自分の意見が間違っていると指摘された時、反論するか訂正すべきです。それを私に論破されてギャフンと尻尾を巻いて逃げておきながら、相変わらず確信犯的に同じ誤った情報、つまり嘘を垂れ流し続けるのは、無責任かつ不誠実極まりない。

櫻井さんに知識人、言論人の資格はありません。言論人の仮面を被った嘘つきです。嘘つきじゃないと仰るならば、公の場で議論しましょう、そしてどっちが正しいかは国民の判断に委ねましょう、ということです。

── 櫻井さんと対談した経験もあるそうですね。


小林 不愉快な思い出しかありません。たとえば以前、『週刊新潮』で外国人参政権の問題について櫻井さんが私にインタビューするという企画がありました。しかし取材当日は本人ではなく、中年男性のアシスタントが聞き手としてやってきた。

そのやりとりの中で、向こうが「櫻井は『納税は公共サービスの対価だ』と言っている。これを小林先生のセリフにしてほしい。バシッと決まりますから」と言ってきたから、私は「その主張は間違っています。憲法学者として嘘を言うことはできません」と断りました。納税が公共サービスの対価ならば、高額納税者は市道を歩けるが、低額納税者は歩けないという話になる。おかしいでしょう。それなのに掲載誌を見てみたら、堂々と「納税は道路や水道や教育や治安等の行政サービスの対価である」と書いてある。正しくは、納税は収入の対価です。

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以下全文は同誌4月号をご覧ください


2016年3月24日木曜日

植村隆のソウル通信第2回

アジュモニ カムサハムニダ「!「(おばちゃん、ありがとうございます)

3月9日の朝、散歩の途中で、カトリック大学の正門前を歩いていたら、おばちゃん(アジュモニ)たちが、新聞をただで、学生たちに配っていた。よく見ると、韓国の有力経済紙「韓国経済新聞」である。私も一部受け取った。

「何でただで配っているのですか」と尋ねたら、学生たちに宣伝をしているのだという。新学期の学生向けのキャンペーンで通常なら購読料月15000ウオン(約1500円)のところを、学割で7500ウオン(約750円)で、読めるのだという。韓国では日刊紙は一部800ウオン。韓国経済新聞は、週6回(月~土)発行だ。コーヒー数杯分の値段で、新聞が毎日読めるということになる。
ずうずうしいと思ったが、おばちゃんたちにお願いした。「授業で新聞を教材に使いたいので、週1回、学生用に新聞を無料で提供してくれないだろうか」。そんな虫のいい話はないかもしれないと思ったが、ひとまずお願いだけは、してみようと思った。

学生には無料提供、私は1年間定期購読
北星学園大学の非常勤講師時代には、朝日新聞など日本の新聞を教材にしていた。韓国でも、韓国の新聞を授業の教材にしたいと思っていた。そんな矢先の「出会い」だった。

「ちょっと待っててね。担当者に連絡しておきますから。あなたの電話番号は」。2人のうち、一人のおばちゃんが、私に携帯番号を尋ねた。おばちゃんたちは、アルバイトで新聞を配っているだけで、韓国経済新聞のスタッフではなかった。
しかし、すばやい行動だった。
携帯の番号を教えると、しばらくして、韓国経済新聞の担当者から電話がかかってきた。そして、その担当者が、わざわざ大学にまで、訪ねて来てくれた。
この地域を担当する首都圏読者2部の次長さんだった。次長さんの話によると、これまでも大学の商学部の教授らが、教材で使う場合、無料で提供してきたという。それに準じて私のクラスの学生たちにも週1回全員に無料で提供してくれるという話になった。その代わり、私が韓国経済新聞を1年間購読することにした。

かくして私は、韓国経済新聞の読者となり、学生たちは週1回、この新聞を教材で使えることになった。第2回目の講義(3月15日)から、「新聞をきちんと読もう」と言って、同紙を学生たちに配っている。
韓国経済新聞は、日経新聞のような経済紙だ。東亜日報や朝鮮日報、ハンギョレなどの一般紙とは違って、経済報道が主である。私は経済記者ではなかったが、学生にとって、就職準備などのため、経済情報は大事だろうと考えたのだ。 しかし、韓国経済新聞は、留学生時代だけでなく、ソウル特派員時代もほとんど手にしたことがなかった。そこに「誤算」があった。

韓国経済事情と韓国語を学ぶ教材
改めて、読むと、結構これが難しい。中々、手ごわい新聞なのだ。韓国語を読む力が劣化しているのに加え、韓国の経済事情に疎いからだ。このため、読むのに時間がかかる。しかし、教材に使うと言った以上、受講生たちに「無知」をさらすわけにはいかない。
学生たちに「きちんと新聞を読もう」と指導しているこの私こそが、一番熱心に新聞を教材に勉強しなければならない立場だということに、気づいたのである。
このため、毎日、新聞を持ち歩き、時間のあるときはなるべく、新聞を読むようにしている。カシオ製の韓国語の電子辞書は手放せない。そして、切り抜いた新聞記事をA4版のノートに貼り付けて、「復習」している。

あの朝のおばちゃんたちとの出会いが、私に「勉強」の習慣を与えてくれた。
「アジュモニ、カムサハム二ダ!(おばちゃん、ありがとうございます!)」

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植村応援隊ブログから転載


2016年3月23日水曜日

植村隆のソウル通信第1回


カトリック大学のキャンパスから、ご挨拶

皆さん、ごぶさたしています。3月1日付で、韓国カトリック大学客員教授になった植村隆です。3月3日に着任しました。

もうそれから3週間以上経ってしまいました。近況報告が遅れましたことを、お詫び申し上げます。韓国語での講義という「重圧」の中、ばたばたとしているうちに、時間が経ったという次第です。

3度目の韓国暮らしとなります。
朝日新聞時代に語学留学生(1987年8月~88年8月)、特派員(96年12月~99年8月)として、2度ソウルで暮らしました。今度は朝日新聞をやめ、大学教員としての韓国暮らしです。大学本部がある聖心キャンパス(京畿道富川市)の中にあるゲストハウスに住み、そのキャンパスで教えています。
語学留学生時代にはソウルでの話題を伝える手書きの新聞「ソウル遊学生通信」を発行していました。
2度目は特派員として、朝日新聞に記事を書きました。
3度目の今度は、メールなどを使って韓国事情などを報告する個人通信「ソウル通信」を発行しようと思います。
住んでいるのは、ソウルの隣町で、ベッドタウンの富川(プチョン)ですが、首都圏なので、「ソウル通信」と名づけました。ご愛顧ください。

「東アジアの平和と文化」の講義を担当
さて、今回は、どんな講義をしているかをお伝えします。
私は、教養科目などを担当しているELP(ETHICAL LEADER PATH)学部の所属です。「東アジアの平和と文化」という教養科目を担当しています。最初は、日韓交流を学ぶ授業をしようと思ったのですが、教務の責任者から「東アジアで行きましょう」と言われ、「事業拡大」して「東アジア」を冠することにしました。

私はソウル特派員だけでなく、北京特派員として、中国に住み、北朝鮮も担当しました。そうした経験や問題意識も講義に生かしたいと思います。今回の授業では、新聞記事や映像資料などを活用して、受講生の社会や歴史への関心を高めたいと思います。そして、その延長線上として、東アジアの平和 や人権を考えるような機会にしたいと思っています。

講義は週1回火曜日です。50分授業を3回連続で行います。午後3時から、休憩時間をはさんで、午後5時50分までです。東京と札幌で裁判を抱えており、ソウルと日本を行ったりきたりとなります。このため、講義をまとめてやるようにしました。
長い講義なので、学生たちを飽きさせないで、やらなければなりません。いろいろな工夫が必要です。
これまでに、講義を3度こなしました。
「体験的メディア論」
「新聞入門(新聞の活用の仕方)」
「BACK TO 1990年代」
韓国語の発音は良くないのですが、思っていることは、だいたい話すことはできます。何とか、私の言いたいことは、学生たちに伝わっているようです。
しかし、教材の韓国語を音読するとき、最初は十分な音読の練習をしていなかったため、うまくしゃべれず、恥をかいてしまいました。教え子からはやんわりと、事前練習の必要性を指摘されました。しかし、がんばれば、何とかなりそうです。ご安心ください。

ワイツゼッカー元大統領の言葉を指針に
私は、昨年1月に亡くなったドイツのヴァイツゼッカー元大統領の言葉を講義の「指針」にしたいと思っています。岩波書店から2月末に出版した手記「真実 私は『捏造記者』ではない」にもそのことを書きました。北星学園大学での最後の学内講義で1985年に当時の西独大統領だったヴァイツゼッカー氏の演説を紹介しました。日本では「荒れ野の40年」という名で知られる演説です。特に以下の部分を強調しました。

「ヒトラーはいつも、偏見と敵意と憎悪をかきたてつづけることに腐心しておりました。
若い人たちにお願いしたい。
他の人びとに対する敵意や憎悪に駆り立てられることのないようにしていただきたい。(中略)若い人たちは、たがいに敵対するのでなく、たがいに手を取り合って生きていくことを学んでいただきたい」
(岩波ブックレットNO55 「荒れ野の40年」より)

民族や、思想の違いなどによる対立を超えて欲しい、とヴァイツゼッカー氏は訴えていました。私もそういう人間でありたいと思います。
「偏見と敵意と憎悪をかきたてつづける」人びとは、いまも世界中にはびこっています。日本での私への激しいバッシング、誹謗中傷も同じ根っこの現象ではないか、と思っています。
こうした「憎悪」を乗り越えるためには、「たがいに敵対するのでなく、たがいに手を取り合って生きていく」ことが必要だと思います。そして、そうした若者を育てていく必要があると思うのです。

私は、カトリック大での1回目の講義「体験的メディア論」で、植村バッシングについて詳しく説明した上で、このヴァイツゼッカー氏の言葉を説明しました。そして私の思いを伝えました。日本からの留学生7人を含む約30人の受講生は熱心に聞いてくれました。

バッブダ、バッボ(忙しい、忙しい)
1回目の講義は、いわばお試し期間のようなもので、その後に、最終登録が行われます。第2回目(3月15日)講義の直前に確定した受講生名簿では36人(うち日本からの留学生は7人)の学生が最終的に登録してくれました。
ということは、第1回目の講義を聴かなかったが、最終登録した学生が何人かいた、ということになります。これは、とても、うれしいことでした。おまけに日本語学科長から、金曜日の講義(50分)も手伝ってと言われて、やることになりました。
それだけではありません。日本語学科の学生たちから、日本語の勉強に付き合ってくれという要望があり、木曜日の夜(午後6時~8時)に自主ゼミも開催することになりました。

29歳だった語学留学時代に覚えた言葉「パップダ、パッポ」(忙しい、忙しい)が頭に浮かんできました。裁判で、日本に戻る際には、自主ゼミなどを休むことになりますが、できる限り、たくさんの学生たちと一緒に学ぶ時間をとりたいと思います。

健康に気をつけてがんばります
これからもよろしくお願いします。


photo:韓国・カトリック大学「国際館」の前で(3月27日)
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【植村応援隊ブログ3月29日号より転載】