2019年6月28日金曜日

不当極まる判決だ!


言語道断、司法の名折れ、暴挙、劣化コピー!
報告集会にあふれる判決批判

2019年6月26日、東京地裁103号法廷。
予想されていたこととはいえ、あまりにもひどい判決だった。
判決を受けた後、報告集会は午後4時から参議院議員会館で開かれた。参加者は約80人。
裁判報告では、東京弁護団の神原元、穂積剛氏と札幌弁護団の小野寺信勝氏が判決の問題点を解説し、不当判決をきびしい口調で批判した。

■3弁護士の発言(要約)

神原元弁護士
判決は西岡と文藝春秋の名誉棄損は認めたが、相当性と真実性によって免責した。これは名誉棄損の判断基準を逸脱し、さらに歴史の真実を歪めてしまった言語道断の不当判決だ。
判決によると、西岡の名誉毀損表現は次の3つの事実を摘示したとされる。
①原告が、金学順のキーセンに身売りされたとの経歴を認識しながらあえて記事にしなかったという意味において、意図的に事実と異なる記事を書いた
②原告が、義母の裁判を有利にするために意図的に事実と異なる記事を書いた
③原告が、意図的に、金学順が女子挺身隊として日本軍によって戦場に強制連行されたとの、事実と異なる事を書いた
▽判決は、このうち①②は相当性を認め、③は真実性まで認めた。①と②の相当性の理由は、西岡の推論に一定の合理性があるというのだが、それ以上の根拠は示していない。とくに②についてはひどい。私たちは、植村さんは義母の裁判を有利にするために記事を書いたのではない、と反証をたくさん提出したが、判決はそれらを一切無視した。
▽相手を捏造などと激しく非難した場合に相当性を認めるには、それを裏付ける取材とそこで得られた確実な資料が必要だというのがこれまでの裁判例だ。この判決が、西岡の勝手な決めつけを認めたことは、これまでの判例を逸脱した暴挙に近いものだろう。
▽相当性というのは、(真実かどうかはわからないが)真実と信ずるに足る理由があるということ。札幌判決はすべての点で相当性を認めて櫻井を免責した。ところがこの判決は③で相当性ではなく、真実性を認めている。これは札幌判決よりもっと悪い。真実性は、それが真実だということ。重要な免責条件だ。判決は、「挺身隊の名で連行」は「強制連行を意味する」と決めつけ、植村さんは「だまされて」と認識があったのに「強制連行」との印象を与える記事を書いたのだから、③には真実性がある、というのだ。しかし、金学順さんはだまされて中国に行き、そこで慰安婦にさせられた、と繰り返し証言している。だから、植村さんが書いた「だまされて」と、「強制連行」は矛盾せず、両立する。
▽「植村さんが読者をあざむくために強制連行でないのに強制連行だと書いた」といわんばかりの認定は、真実を捻じ曲げるのものだ。同時に、慰安婦制度の被害者の尊厳をも傷つけるのものだ。安倍政権の慰安婦問題への姿勢を忖度したような不当判決であり、控訴し、全力でたたかう。

穂積剛弁護士
▽判決は不当だが、裁判所に正しい判断をさせるという弁護士としての責務を果たすことができなかった。私自身に責任の一端がある。支援者の皆さんと原告の植村さんに深くお詫び申し上げます。
▽名誉毀損の訴訟構造というのは、最高裁のこれまでの判決の積み重ねでほぼ確立している。いままでの判例をきちんと解釈して適用すれば間違いようがないのだ。だから、本件も勝てると思っていたし、みなさんも、法律論の難しいところはわからなくても、おかしいと確信を持っていると思う。法律論としてもできあがっている訴訟の結論を正反対にしてしまうのだから、この判決はおかしいに決まっている。
▽判決は西岡の表現について、「被告西岡が、原告が義母の裁判を有利にするために意図的に事実と異なる記事を書いたことについて、推論として一定の合理性があるものと認められる」と言っている。しかし、「一定の合理性」を認める根拠は示していない。ひとつのものごとの解釈について、いろいろな推論があることはわかるが、A、B、C、Dという推論があって、B、C、Dは検討せずにAだけは認める、というのであれば、どんな表現をしても相当性があり、セーフになるではないか。
▽これほどにメチャクチャな判決が通れば、この世の中に名誉毀損は成立しなくなる。この異常性をぜひ認識してもらいたい。こんな判決を維持していくのは日本の司法の名折れだ。絶対に許さないという決意を持って控訴し、やっていく。

小野寺信勝弁護士
▽ある程度覚悟はしていたが、結論もさることながら、想像以上に内容がひどい。札幌判決の劣化コピーだ。札幌判決の悪いところばかりを抽出したような内容だ。
▽じつは裁判所は基本的なこと、イロハのイがわかっていないのではないか、という危機感を私たちは持っている。法曹ならだれでも知っている名誉毀損裁判の判例の枠組みを、もしかしたら裁判官はわかっていないのではないか。私たちが最初から主張しなければ裁判所は分からないではないか、という危機感だ。
▽そのために、札幌控訴審では憲法学者2人の意見書を提出した。言論の自由の観点からみても札幌判決はひどいものであること、また名誉毀損の被害が大きい場合には相当性のハードルはどんどん上がること、を意見書で主張している。
▽7月2日に札幌控訴審第2回口頭弁論がある。相手方がどう出るかによって今後の展開や日程が決まることになる。



■リレートーク
弁護団報告の前後に、新崎盛吾氏(共同通信記者)が司会しリレートークを行った。南彰(新聞労連委員長)、北岡和義(ジャーナリスト、植村裁判を支える市民の会共同代表)、崔善愛(ピアニスト、同)、安田浩一(ジャーナリスト)、西嶋真司(映像ジャーナリスト)、豊秀一(朝日新聞編集委員)、姜明錫(留学生)の各氏が、判決に対する批判、裁判の意味、植村さんへの激励などを語った。
集会の最後に、植村さんは、「私が闘っている相手は一個人ではなく巨大な敵だ。ちょっとやそっとでは勝てない敵だが、これまでの成果はある。もう捏造とは言わなくなった、バッシングがとまった。塗炭の苦しみの中で、たくさんの人との出会いがあり、その恵みの中で希望も感じてきた。私の夢は崩されていない。高裁では逆転をしたい。これからも闘いを続け、歩み続けたい」と語った。


写真=報告集会で判決を批判する(左から)、神原、穂積、小野寺弁護士と植村隆氏

撮影=高波淳

2019年6月26日水曜日

植村氏、控訴の方針


■文春などへの賠償請求棄却
元朝日新聞記者の慰安婦報道訴訟

朝日新聞デジタル(2019年6月26日)より引用


元慰安婦の証言を伝える記事を「捏造(ねつぞう)」と記述されて名誉を傷つけられたとして、元朝日新聞記者の植村隆氏(61)が、西岡力・麗沢大客員教授と「週刊文春」を出版する文芸春秋に計2750万円の損害賠償を求めた訴訟の判決が26日、東京地裁(原克也裁判長)であった。判決は請求をいずれも棄却した。植村氏は控訴する方針。

植村氏は1991年、韓国人元慰安婦の金学順(キムハクスン)さんの証言を朝日新聞で記事化した。この記事に対し、西岡氏は週刊文春2014年2月6日号で「捏造記事と言っても過言ではありません」とコメントするなどした。植村氏は、名誉を傷つけられ、教授に内定していた大学との雇用契約の解除を余儀なくされたなどとして、15年に提訴した。

判決は植村氏の記事について、「金さんが日本軍により、女子挺身(ていしん)隊の名で戦場に連行され、従軍慰安婦にさせられた」という内容を伝えていると認定。植村氏の取材の経緯などを踏まえ、「意図的に事実と異なる記事を書いた」として、西岡氏の記述には真実性がある、などと判断した。また、慰安婦問題は「日韓関係にとどまらず、国際的な問題となっていた」として表現の公益性も認め、賠償責任を否定した。

植村氏は同様の訴訟をジャーナリスト櫻井よしこ氏と別の出版3社を相手に、札幌地裁にも起こした。同地裁は昨年11月に請求を棄却し、植村氏は札幌高裁に控訴している。

植村氏は現在、「週刊金曜日」の発行人兼社長。判決後に会見し、「裁判所は私の意図を曲解し、西岡氏らの責任を不問にした。ひるむことなく言論人として闘いを続けていきたい」などと述べた。(編集委員・北野隆一)



これは不当判決だ!

「不当判決」の幟と「#捏造ではない」の
メッセージボードが地裁前路上に掲げられた
植村裁判東京訴訟の判決言い渡しがきょう(6月26日)東京地裁であり、原告植村隆氏の請求はすべて棄却された。
主文
1 原告の請求をいずれも棄却する
2 訴訟費用は原告の負担とする
被告西岡力氏と文藝春秋の表現と記事は「名誉毀損に該当する」とされたが、その責は免ぜられた。
法廷で読み上げられた「理由の要旨」はこうである。
「しかしながら、各表現は、公共の利害に関する事実について専ら公益を図る目的で行われたものであり、摘示事実または意見論評の前提としている各事実について、その重要な部分が真実であること、または真実であると信ずるにつき相当の理由があること、についての証明がある。かつ、意見ないし論評の域を逸脱したものでもないから、被告は免責される」
法廷は定刻午前11時30分に開廷。第1回の口頭弁論から担当してきた原克也裁判長の姿はなく、大濱寿美裁判長が主文と理由要旨を4分にわたって代読し、11時35分閉廷した。


弁護団声明

1 本日、東京地方裁判所民事第32部(原克也裁判長)は、元朝日新聞記者植村隆氏が麗澤大学客員教授西岡力氏、週刊誌「週刊文春」の発行元である株式会社文藝春秋に対して、名誉毀損を理由として慰謝料の支払いなど名誉回復を求めた訴訟で、原告の請求を棄却する不当判決を言い渡した。
 本件は、1991年に元従軍慰安婦の証言を紹介した記事を執筆した植村氏に対して、西岡氏が「事実を捏造して記事を書いた」等と執拗に誹謗をくり返し、そのことにより植村氏にバッシングが集中し、植村氏の家族の命までが危険に晒されたため、やむを得ず、2015年1月、法的手段に訴えたという事案である。

2 東京地裁の判決は、西岡氏の「捏造」との表現が事実の摘示であることを認め、これにより植村氏の名誉が毀損されたことを認めた。しかし、判決は、西岡氏の、植村氏が意図的に妓生の経歴に触れなかったとする記載や、義母の裁判を有利にする意図があった等とする記載については、「推論として一定の合理性がある」等として相当性を認め、また、植村氏が、金学順氏が強制連行されたとの、事実と異なる記事を書いたとの記載については、植村氏に「だまされて慰安婦にされたとの認識があった」ことを理由に真実性を認め免責した。
しかし、相当性の抗弁により免責を認めるためには、その報道された事実を基礎づける確実な根拠・資料が必要であるというのが確立した判例である。本件判決は、そのような根拠・資料がなく、とりわけ、植村氏が嘘を嘘と知りながらあえて書いたか否か、本人の認識について全く取材せず、「捏造」という強い表現を用いたことを免責しており、従来の判例基準から大きく逸脱したものである。また、金学順氏は自ら「私は挺身隊だった」と述べており、また、当初はだまされて中国に行ったが、最終的には日本軍に強制連行によって慰安婦にされたと述べていた。だまされて慰安婦にされたことと強制連行の被害者であることはなんら矛盾するものではない。裁判所の認定は真実をねじ曲げ従軍慰安婦制度の被害者の尊厳をも踏みにじるものである。

3 私たち弁護団は、審理において金学順氏が妓生学校にいたことを殊更にあげつらう西岡氏の差別的な言説の不当性を主張した。さらに、西岡氏への本人尋問では、西岡氏自身が、金学順氏の証言を創作して自説を補強するというおよそ学問の名に値しない行動を取っていたことも明らかになった。また、植村氏にバッシングが集中し、植村氏の家族の命までが危険に晒された被害状況も詳細に立証した。
本日の判決は、弁護団のこれらの立証を一顧だにしないものであり、「慰安婦問題は解決済み」という現政権の姿勢を忖度した、政治的判決だといわざるを得ない。

原裁判官は、昨年11月に一度本件審理を結審した後、本年2月に突如弁論を再開し「朝日新聞第三者委員会報告書」を証拠採用した。この時採用した「朝日新聞第三者委員会報告書」も判決ではふんだんに援用されている。つまり、原克也裁判長は当初より植村氏を敗訴させることを予定していたが、植村氏を敗訴させるだけの証拠が不足していたことからあえて弁論を再開し、被告らに有利な証拠だけを採用したとしか思えない。要するに、本件判決は、最初から結論を決められていたものであって、予断に基づいてなされた判決であり、近代司法の根本原則を踏みにじるものですらある。

4 以上のとおり、本日の判決は現政権に忖度した言語道断な不当判決であり、私たち弁護団は、到底受け入れることはできない。弁護団はこの不当判決に直ちに控訴し、植村氏の名誉を回復し、従軍慰安婦制度の全ての被害者の尊厳を回復するため全力で闘う決意である。                    

2019年6月26日             
植村訴訟東京弁護団


原告声明

元東京基督教大学教授の西岡力氏と週刊文春発行元の文藝春秋社を名誉毀損で訴えた裁判で本日、東京地裁の原克也裁判長が不当な判決を下しました。判決では、私の記事を「捏造」とする西岡氏の言説及び私を糾弾する週刊文春の記事により、私の社会的評価が低下したと、名誉棄損を認めました。しかし、私が捏造したと西岡氏が信じたことには理由があるなどとして、西岡氏らを免責しました。西岡氏は私に取材もせずに、「捏造」記事を書いたと決めつけ、さらには言説の根拠となる証拠を改ざんまでしていたことが、法廷でも明らかになっています。裁判所はそうした事実を知りながら、私の意図を曲解して一部の真実性を認め、真実相当性の認定のハードルも地面まで下げて、西岡氏らの責任を不問にしました。こんな判決がまかり通れば、どんなフェイクニュースでも、書いた側の責任が免除されることになります。非常に危険な司法判断です。決して許せません。

この間の審理では、西岡氏の週刊文春の談話がフェイクだということが明らかになりました。西岡氏は虚偽の根拠に基づいて、私の記事を「捏造」とレッテル貼りしていたのです。事実を大切にするジャーナリズムの世界では、西岡氏は完敗していました。しかし、今回の判決では、西岡氏のフェイクが全く不問にされています。

週刊文春に掲載された西岡氏の談話や同誌の報道は、すさまじい「植村捏造バッシング」を引き起こしました。私は転職先を失い、「娘を殺す」と脅迫されるなど塗炭の苦しみに直面しました。しかし、判決では文藝春秋は問題提起をしただけで、バッシングを扇動するものとは認められず、不法行為は成立しないと断じています。ではなぜ、「植村捏造バッシング」が起きたのでしょうか。「植村捏造バッシング」は幻ではないのです。

昨年11月9日、西岡氏と共に私の記事を「捏造」と言いふらしてきた、櫻井よしこ氏の責任を免除する不当な判決が札幌地裁で下されました。西岡氏はこうも言っています。「私は1991年以来、慰安婦問題での論争に加わってきた。安倍晋三現総理大臣や櫻井よしこ本研究所理事長らも古くからの同志だ」(国家基本問題研究所ろんだん)。今回もまた「アベ友」を免責する不当判決が出ました。しかし、私はひるむことなく、言論人として堂々と闘いを続けていきたいと思います。この不当判決を高等裁判所で覆すべく、頑張りたいと思います。

2019年6月26日 
元朝日新聞記者・韓国カトリック大学客員教授
週刊金曜日発行人

植村隆



2019年6月25日火曜日

判決直前まとめ情報

原告植村隆氏の請求とその趣旨は以下の通りです。
裁判所はこの請求と訴えにどう答えるのか、あるいはどのような理由で無視、あるいは棄却するのか。

「原告最終準備書面の第7章まとめ」全文


1 ウェブサイトの抹消の請求
被告西岡は、「歴史事実委員会」と称するインターネットのサイト(http://www.ianfu.net/opinion/nisioka.html)へ「西岡論文B」を投稿し、それは現在も閲覧可能な状態にされている。
西岡論文Bは原告の名誉を著しく毀損する不法行為に該当するものであり、とりわけ、「記者が自分の義母の裁判を有利にするために、意図的に「キーセンに身売りした」という事実を報じなかったという大犯罪なのです。」等とする悪質なものである。
そこで、原告は、訴状記載請求の趣旨1のとおり、民法723条の類する適用または人格権に基づく妨害排除的効力に基づき、上記論文の削除を請求する。

2 謝罪広告の必要性
被告らの本件不法行為の結果として、原告の名誉は著しく低下させられたが、原告の勤務先には、被告らの言論に刺激された人々から、解雇を求めるメールや手紙が多数来るようになり、殺人予告をも含む脅迫状が送りつけられ、娘の写真はインターネットで公開され、常軌を逸したいわれなき迫害を受けている。
このような重大な人権侵害を食い止める方法は、被告らに自ら誤りを認めさせ、その旨の謝罪広告を出させるしかない。
よって、原告は、訴状記載請求の趣旨2のとおり、不法行為に基づく名誉回復措置(民法723条)として、被告らに対し、謝罪広告の掲載を求める。

3 文春記事Aによる損害
文春記事Aは原告の名誉権、名誉感情、平穏生活権を侵害するものであり、原告は、この記事の影響により、神戸松蔭女子学院大学の教授の職を辞せざるをえなかった。
第4、第5で述べたところを総合すれば、原告の精神的苦痛を金銭で評価すれば、名誉権、名誉感情侵害について金500万円、平穏な生活を営む法的利益の侵害について金500万円、合計1000万円と評価することが相当である。また、その1割相当額を弁護士費用として認めるべきである。
よって、原告は、変更後の請求の趣旨第3のとおり、被告らに対し、連帯して金1100万円を支払うよう求める。

4 被告西岡による名誉毀損による損害
被告西岡について、第4で述べたところを総合すれば、その名誉毀損による慰謝料は500万円を下らない。また、その1割相当額を弁護士費用として認めるべきである。
よって、訴状記載請求の趣旨第4項記載のとおり、被告西岡について、金550万円の支払を求める。

5 文春記事Bによる損害
文春記事Bは原告の名誉権、名誉感情、平穏生活権を侵害するものであり、原告は、この記事の影響により、北星学園大学に誹謗中傷が殺到し、脅迫の被害まで受けた。
第4、第5で述べたところを総合すれば、原告の精神的苦痛を金銭で評価すれば、名誉権、名誉感情侵害について金500万円、平穏な生活を営む法的利益の侵害について金500万円、合計1000万円と評価することが相当である。また、その1割相当額を弁護士費用として認めるべきである。
よって、原告は、変更後の請求の趣旨第3のとおり、被告文藝春秋に対し、金1100万円を支払うよう求める。

 6 結論
よって、原告は、

被告西岡に対し、人格権に基づく妨害排除請求権または民法723条類推適用として請求の趣旨第1記載の抹消請求並びに不法行為に基づく損害賠償請求権として請求の趣旨第4記載の金員及び遅延損害金の支払い
被告らに対し、不法行為に基づく名誉回復措置(民法723条)として請求の趣旨第2記載の謝罪広告及び損害賠償請求権として変更後の請求の趣旨第3記載の金員及びこれに対する遅延損害金の支払い
被告文藝春秋に対して、不法行為に基づく損害賠償請求権として変更後の請求の趣旨第4記載の金員及び遅延損害金の支払い

を求めるものである。

以上


2019年6月22日土曜日

東京判決の注目点5

「私は捏造記者ではない」。提訴から4年5カ月、植村氏は
法廷で、集会・講演会で、記者会見で、訴え続けてきた

東京判決の注目点 5
原告植村隆氏の最終意見陳述


西岡力氏と週刊文春がもし、免責されるなら、「植村捏造バッシング」はなぜ起きたのかわからなくなります。「植村捏造バッシング」は幻だった、ということになります。しかし「植村捏造バッシング」は幻ではなく、様々な被害をもたらした巨大な言論弾圧・人権侵害事件なのです。



2018年11月28日、第14回口頭弁論で陳述、全文

1 断たれた夢

「私の書いた慰安婦問題の記事が、捏造でないことを説明させてください」
いまから、4年10か月ほど前の2014年2月5日、神戸松蔭女子学院大学の当局者3人に向かって、私はこう訴えました。
場所は神戸のホテルでした。
私は同大学に公募で採用され、その年の春から、専任教授として、マスメディア論などを担当することになっていました。テーブルの向かいに座った3人の前に、説明用の資料を置きました。しかし、誰も資料を手に取ろうとしませんでした。「説明はいらない。記事が正しいか、どうか問題ではない」というのです。
緊張した表情の3人は、こんなことを言いました。
「週刊文春の記事を見た人たちから『なぜ捏造記者を雇用するのか』などという抗議が多数来ている」
「このまま4月に植村さんを受け入れられる状況でない」

要するに大学に就職するのを辞退してくれないか、という相談でした。採用した教員である私の話をなぜ聞いてくれないのか。怒りと悲しみが、交錯しました。面接の後、「70歳まで働けますよ」と言っていた大学側が、180度態度を変えていました。

その週刊文春の記事とは、1月30日に発売された同誌2014年2月6日号の「“慰安婦捏造”朝日新聞記者がお嬢様女子大教授に」のことです。その記事が出てから、大学側に抗議電話、抗議メールなどが毎日数十本来ているという説明でした。私は、この週刊文春の記事が出たことで、大学当局者に呼び出されたのです。当局者によれば、産経新聞にもこの文春の記事が紹介され、さらに拡散しているとのことでした。私の記事が真実かどうかも確かめず、教授職の辞退を求める大学側に、失望しました。結局、私は同大学への転職をあきらめるしかありませんでした。

この週刊文春の記事で、日本の大学教授として若者たちを教育したいという私の夢は実現を目前にして、打ち砕かれました。そして、激しい「植村捏造バッシング」が巻きおこったのです。「慰安婦捏造の元朝日記者」「反日捏造工作員」「売国奴」「日本の敵 植村家 死ね」など、ネットに無数の誹謗中傷、脅し文句を書き込まれました。自宅の電話や携帯電話にかかってくる嫌がらせの電話に怯え、週刊誌記者たちによるプライバシー侵害にもさらされました。私自身への殺害予告だけでなく、「娘を殺す」という脅迫状まで送られてきました。殺害予告をした犯人は捕まっておらず、恐怖は続いています。いまでも札幌の自宅に戻ると、郵便配達のピンポンの音にもビクビクしてしまいます。週刊文春の記事によって、私たち家族が自由に平穏に暮らす権利を奪われたのです。そして、家族はバラバラの生活を余儀なくされました。私は日本の大学での職を失い、一年契約の客員教授として韓国で働いています。

2 激しいバッシングの中で

神戸松蔭との契約が解消になった後、週刊文春は、私が札幌の北星学園大学の非常勤講師をしていることについても、書き立てました。このため、北星にも、植村をやめさせないなら爆破するとか学生を殺すなどという脅迫状が来たり、抗議の電話やメールが殺到したりしました。このため、北星は2年間で約5千万円の警備関連費用を使うことを強いられました。学生たちや教職員も深い精神的な苦痛を受けました。北星も「植村捏造バッシング」の被害者になったのです。

私を「捏造記者」と決めつけた週刊文春記者の竹中明洋氏、そして週刊文春の記事に「捏造記事と言っても過言ではありません」とのコメントを出した西岡力氏の2人が今年9月5日の尋問に出廷しました。神戸松蔭に対し電話で、私の「捏造」を強調した竹中氏は、「記憶にありません」と詳細な回答を避けました。本人尋問では、西岡氏が私の記事を「捏造」とした、その根拠の記述に間違いがあったことが明らかになりました。また、西岡氏自身が自著の中で、証拠を改ざんしていたことも判明しました。それこそ、捏造ではありませんか。  
「捏造」と言われることは、ジャーナリストにとって「死刑判決」を意味します。人に「死刑判決」を言い渡しておいて、その責任を回避する2人の姿勢には強い憤りを感じています。

「植村捏造バッシング」には、当時高校2年生だった私の娘も巻き込まれました。ネットに名前や高校名、顔写真がさらされました。「売国奴の血が入った汚れた女。生きる価値もない」「こいつの父親のせいでどれだけの日本人が苦労したことか。(中略)自殺するまで追い込むしかない」などと書き込まれました。娘への人権侵害を調査するため、女性弁護士が娘から聞き取りをした時、私に心配かけまいと我慢していた娘がポロポロと大粒の涙を流し、しばらく止まりませんでした。私は胸が張り裂ける思いでした。

3 裁判官の皆様へ

「植村捏造バッシング」の扇動者である西岡力氏と週刊文春に対する裁判がきょう、結審します。慰安婦問題の専門家を自称して様々な媒体で、「捏造記事」だと繰り返し決め付けてきた西岡氏と、週刊誌として日本最大の発行部数を誇る週刊文春がもし、免責されるなら、「植村捏造バッシング」はなぜ起きたのかわからなくなります。「植村捏造バッシング」は幻だった、ということになります。しかし「植村捏造バッシング」は幻ではなく、様々な被害をもたらした巨大な言論弾圧・人権侵害事件なのです。

私は1991年に当時のほかの日本の新聞記者が書いた記事と同じような記事を書いただけです。それなのに、二十数年後に私だけ、「捏造記者」とバッシングされるのは、明らかにおかしいことです。こんな「植村捏造バッシング」が許されるなら、記者たちは萎縮し、自由に記事を書くことができなくなります。こんな目にあう記者は私で終わりにして欲しい。そんな思いで私は、「捏造記者」でないことを訴え続けてきました。「植村捏造バッシング」を見過ごしたら、日本の言論の自由は守られないと立ち上がってくれた弁護団の皆さん、市民の皆さん、ジャーナリストの皆さんたちの支えがあって、ここまで裁判を続けて来られました。

裁判長におかれては、弁護団が積み重ねてきた「植村が捏造記事を書いていない」という事実の一つ一つを詳細に見ていただき、私の名誉が回復し、言論の自由が守られ、正義が実現するような判決を出していただきたいと思います。どうぞよろしくお願いします。


--------------------- 第5回 了 ---------------------


連載「東京判決の注目点」はこれでおわります



2019年6月21日金曜日

東京判決の注目点4

2015年1月の提訴後、植村氏の訴えと主張、たたかいの軌跡、裁判の経過などを記録した書籍、雑誌、資料集が次々に発行された。左から、マケルナ会編「北星バッシング2014-2016市民はかく闘った」、週刊金曜日抜き刷り版「私は捏造記者ではない」(2016年5月)、岩波書店刊・植村隆「真実」(2016年2月)、徹底解説マガジン「植村裁判2015-2017」(2017年11月)、花伝社刊「慰安婦報道捏造の真実」(2018年11月)


東京判決の注目点 4
被告西岡の主張の「真実性」と「真実相当性」❸


西岡は、植村氏が「悪しき動機」に基いて記事を書いた、と主張する。しかし、「悪しき動機」の証拠は提出されていない。また、西岡が当事者と関係団体に取材した形跡も一切みられない。

原告最終準備書面p60~62
❸原告が悪しき動機に基づいて記事を書いたとする点について
真実性の検討

ア■被告西岡は、原告が義母の裁判を有利にするという悪しき動機に基づいて記事を書いたと主張する。
この点、金学順と義母が初めて会うのは91年9月19日であり、金学順が日本政府を訴えると義母に告げるのが91年11月23日であるところ(甲17号証の3)、原告は、妻と知り合う以前の90年から、会社の上司の指示を受けて慰安婦の取材を始めている(甲13、甲118)のだから、義母の裁判を有利にする意図などあろうはずがない。
なお、被告西岡は、原告が義母から金学順に関する情報を得たとくり返し誹謗している(甲4,甲119)が、義母の団体は遺族会であるところ、原告の取材先は挺身隊問題対策協議会であり、原告はソウル支局長から情報を得て取材をしたのであるから(甲57乃至59)、そのような事実はない。

イ■もっとも、原告は、本件記事を書く前の91年2月に今の妻と籍を入れている(甲115 原告陳述書6頁)。そこで、被告西岡は朝日新聞記者行動基準(乙3)を根拠に倫理違反であると主張している。
しかし、利害関係の有無と虚偽の記事を書く動機とは別個のものである。仮に利害関係があるからといって原告には義母の裁判を有利にするという動機があったと直ちにいえるわけでない。そして、前記のとおり原告は、妻と知り合う以前の90年から、上司の指示を受けて慰安婦の取材を始めているのだから、義母の裁判を有利にする意図などあろうはずがない。
そして、そもそも朝日記者行動基準(乙3)は2006年に制定されたもので91年当時なかったところ、仮にあったとしても、そこで要求されているのは、「事前に上司に届け出て了承を得る。」(乙2、2頁1行目)ということである。原告の義母が遺族会の理事であることは周囲の誰もが知っていることであり、原告に記事を書くよう勧めたソウル支局長は当然そのことを知っていた。それでも、原告に記事を書くよう上司から指示が出ており、原告は、指示に従って記事を書いたに過ぎないから(原告本人調書10頁)、会社の規則上全く問題ない。
なお、原告は、92年に西岡氏に批判されて以降、会社に報告して、全く問題がないとの判断が下されている(甲166)。
ウ■以上から、③「原告が義母の裁判を有利にするという悪しき動機をもって記事を書いた」との事実が証明されたとはいえない。

小括・真実性について
以上から、
①原告の記事が金学順の証言と異なること、
②原告がそのことを知りつつあえて記事を書いたこと、
③原告が義母の裁判を有利にするという悪しき動機ないし利害関係に基づいて記事を書いたこと
はいずれも証明されておらず、「原告が義母の裁判を有利にするという悪しき動機をもって金学順の証言を意図的にねじ曲げてこれと異なる記事を書いたこと」との事実の真実性は一切証明されていない。
なお、朝日第三者委員会報告書も「同記者が親戚関係にある者を利する目的で事実をねじ曲げた記事が作成されたともいえない」(甲64号証42頁)と正当に認定している。


原告最終準備書面p76~79
❸原告が悪しき動機に基づいて記事を書いたとする点について
相当性の検討

ア■前記のとおり、被告西岡は、原告が義母の裁判を有利にする目的で記事を書いたと主張するが、原告は、妻と知り合う以前の90年から、会社の上司の指示を受けて慰安婦の取材を始めている(甲13、甲118)のだから、義母の裁判を有利にする意図などない。
そして、被告西岡は、必要な調査・取材を尽くした事実、事情を具体的に主張すべきところ、被告西岡は、原告への取材を含め、原告の執筆動機について一切調査・取材した形跡がみられない。
したがって、この点について被告西岡に相当性は認められない。

イ■また、被告西岡は、原告が義母から金学順に関する情報を得たとくり返し誹謗している(甲4,甲119)ところ、被告西岡は、「遺族会」と「挺対協」とが異なる団体であることを当然知っていたし、専門家である以上知り得べきであった。「挺対協」に対する取材が「遺族会」関係者からの便宜に依るものだったと非難するには、その異なる2つの団体のあいだに、特殊、特別な関係があることについて被告西岡は取材をし証拠を収集しなければならないところ、そのような証拠は提出されておらず、主張自体もなされていない。
したがって、この点についても被告西岡に相当性は認められない。

ウ■なお、被告西岡は記事Aについて、雑誌『正論』の2015年3月号(甲108)で、「義理の母から情報をもらったという私の推測は誤りであったのだろう。そのことは前月号の拙論で訂正したところだ」(199頁)と記載しており、この前月号すなわち2015年2月号の『正論』で訂正したと法廷で述べていた(被告西岡本人調書15頁)。
ところが『正論』2015年2月号(乙13、甲107)の記載は以下のとおりである。

「確かに私は、植村氏が説明をしない前には、金氏に関する情報提供も梁氏が行ったのではないかと考え、そのように書いて来た。しかし、それは推量であって批判ではない。私が批判しているのは、利害関係者が捏造記事を書いてよいのかというジャーナリズムの倫理だ。植村氏と朝日はその点について答えていない。言論による論争が必要な所以だ。」(72頁)

一読して明らかなとおり、これは訂正などではない。単に言い訳をして自己正当化を図っているだけに過ぎない。このような開き直りをしておいて、3月号では自らが訂正したかの如く強弁しているのであって、被告西岡の態度は極めて悪質である。

エ■被告西岡は、公開されている朝日新聞の記者行動基準(乙3)を容易に確認することができた。その「取材方法」の5項に「自分や家族が所属する団体や組織を自らが取材することになり、報道の公正さに疑念を持たれる恐れがある場合は、事前に上司に届け出て、了承を得る」と記載されていることも、簡単に知ることができた。

そうであれば、実際に原告が上司の承諾を得ていたのかどうかを確認しなければ、原告を非難することもできないことを認識すべきであった。
したがって、この点についても被告西岡に相当性は認められない。


--------------------- 第4回 了 ---------------------

次回の内容

22日▼第5回 東京判決の注目点5
原告植村隆氏の最終意見陳述(2018年11月28日)

断たれた夢/激しいバッシングの中で/裁判官の皆様へ

2019年6月20日木曜日

東京判決の注目点3

第11回口頭弁論の後に参院議員会館で開かれた報告集会の
発言者。上段左中は東京新聞・望月衣塑子記者。下段は、
左から 穂積剛、神原元、大賀浩一弁護士、福島瑞穂議員
=2018年1月31日

 東京判決の注目点 3
被告西岡の主張の「真実性」と「真実相当性」の検討

金学順さんのキーセン学校の経歴を
植村氏が「意図的に」書かなかったことを、
西岡は「捏造」の根拠としている。
しかし、「意図的に」を西岡は証明できず、
そのように信ずるに足る調査検討も
尽くされてはいない。



原告最終準備書面p51~60
❷金学順が述べた重要な経歴に関する事実を記事に書かなかったとする点
真実性の検討


ア■被告西岡は、慰安婦となる経緯として金学順が語った重要な事実を、原告が意図的に記事に記載していないと主張する。ここでも、①原告の記事が金学順の証言と異なること以外に、②原告がそのことを知りつつあえて記事を書いたこと、③原告には義母の裁判を有利にするという動機があって、それに基づいて記事を書いたことがいずれも立証されなければならない。

この点、被告西岡は、❷のように主張する根拠として、ⓐ金学順は同人に中国に行くよう勧めたのは検番の養父であると証言しているのに、原告がこれを記事Bに「地区の仕事をしている人」と偽って書いた事実、ⓑ金学順は同人を中国に連れて行ったのは検番の養父であると証言しているのに、原告がそれを記事に記載していない事実、ⓒ金学順は同人を慰安婦として慰安所に連れて行ったのが検番の養父であると証言しているのに、原告がそのように書いていない事実、の3つをあげているものと解される。

イ■しかし、まず、については、ハッキリ通信(甲14)※注や弁護団聞き取りメモ(甲15)には、「そこに行けば金が稼げる」と述べた人物は「町内の里長」(甲14)、「町内の区長」(甲15)とあるから、金学順は1991年11月25日の弁護団聞き取りの際には、そのように述べたと認められ、「地区の仕事をしている人」という原告記事Bの記載は金学順の証言と異ならない。原告の記事Bは「録音テープを再現する」として11月25日の金学順の証言をそのまま読者に伝えたものであり、 原告の記事が金学順の証言と異なるとの事実は証明されない。<※注=ハッキリ通信は、戦後補償問題に取り組んだ「日本の戦後責任をハッキリさせる会」が不定期で発行した冊子版のニュース>

ウ■に関しては、まず、記事Aの段階については、91年8月10日に原告が聞いた証言テープは「(そのテープの中で金さんは自分はキーセンだったとか、自分は売られて慰安婦になったなどと話していましたか、の問いに)そういう記憶はありません。30分くらいの短いテープでして、そしてこれは主に慰安婦になったそのときの被害状況、それからそれに対する本人の思い、感情などが込められていた」(原告本人調書4頁)というものであるから、中国に行った経緯が詳しく述べられていたわけではない。したがって、記事Aの段階で、原告は金学順を中国に連れて行った主体が養父であることを知っていたとはいえず、②原告がそのことを知りつつあえて記事を書かなかったとの事実は証明されない。

記事Bの段階については、記事Bの素材である11月25日の聞き取りを収録したハッキリ通信(甲14)や弁護団聞き取りメモ(甲15)には養父が中国に金学順を連れて行ったという記載はなく、むしろ、「私は日本名で『エミコ』さんと呼んでいた友だちと二人で行くことに決め」との記載があるから、金学順は、この段階でも、原告の前では「養父が金学順を中国に連れて行った」旨の証言はしてないと認められる。したがって、①原告の記事が金学順の証言と異なっているとの事実は証明されない。

なお、被告西岡は、「(若い女の人が2人で平壌を離れるということが考えられるかの問いに)自分だけで行ったなんていうことは常識的に言って考えられない」とも証言する(被告西岡本人調書8頁)。しかし、すでに述べたとおり、本件で問題となるのは原告が書いた記事と金学順の証言とが相違するかどうかという点のみであり、金学順の証言の信憑性は問題とならないところ、前記のとおり、11月25日の聞き取りに際して金学順が「養父が金学順を中国に連れて行った」旨の証言はしてないことは明らかであるから、金学順の証言の信憑性を問題とする被告西岡の主張は前提を誤ったものであり失当である。

エ■について、被告らは、「金学順を慰安婦として慰安所に連れて行ったのは検番の養父である」との事実を主張してきた(被告2015年8月31日付け準備書面6頁、同2016年2月5日付け2頁等)。しかし、1991年8月15日付け北海道新聞(甲25)によれば、金学順は、慰安婦になる経緯としては「養父と、もう一人の養女と三人が部隊に呼ばれ、土下座して許しを請う父だけが追い返され、何が何だか分からないまま慰安婦の生活が始まった」と証言し、同日付けハンギョレ新聞(甲67の2)によれば「私を連れて行った義父も当時日本軍人にカネももらえず、武力で私をそのまま奪われたようでした」と証言し、月刊宝石92年2月号記事(乙10)によれば「(金学順の)養父は将校たちに刀で脅され、土下座させられたあと、どこかに連れ去られてしまったのです」と証言しているというのであるから、金学順は、1991年8月の当初から、一貫して、どこかの時点で養父と引き離され日本軍により慰安所まで連行された旨証言していたと理解する以外になく、金学順を慰安婦として慰安所まで連行したのは養父であるとの証拠はどこにもないのである。したがって、「金学順を慰安婦として慰安所に連れて行ったのは検番の養父である」との事実はそもそも存在しない。
よって、①原告の記事が金学順の証言と異なるとの事実は証明されない。

オ■被告西岡は、原告の記事に「金学順がキーセン学校にいた事実」あるいは「金学順が検番の養父に売られた事実」が記載されていないことをもって、「金学順が述べた経歴に関する重要な事実を記載しておらず捏造である」とも主張するようである。

しかし、取材対象者の経歴を偽って書いた場合は別論、対象者の経歴を「書かなかった」ことを「捏造」(でっちあげ)であると事実摘示できるのは、当該取材対象者の経歴が、それを記事に書かないと一般読者に重大な誤解が生じるほど重大なものであり、かつ、記者が、当該経歴を書くことは重要であると認識していたのに、あえて意図的に書かなかったような場合に限られるはずである。
この点、1991年当時、原告記事以外の日韓の報道各社の記事も、この経歴については触れていないこと(甲22乃至24)からして、「金学順が14歳のときにキーセンの検番に身売りされキーセン学校に行っていた」という経歴が重要なものであると一般的に認識されていなかったことは明らかであり、したがって、原告も当該経歴を記事に書くことが重要なものとは認識していなかった。被告西岡自身も「朝日に限らず、日本のどの新聞も金さんが連行されたプロセスを詳しく報ぜず、大多数の日本人は当時の日本当局が権力を使って、金さんを暴力的に慰安婦にしてしまったと受け止めてしまった」(甲26)と述べているとおりである。

また、金学順がキーセン学校にいた(あるいは「検番の養父に売られた」)のは、慰安婦になる3年前、14歳の時である(乙10号証など)。キーセンだからといって慰安婦になるわけではなく、キーセン学校にいたことと慰安婦になったこととの間には関連性が認められないのであるから、キーセン学校の経歴が重要なものと認識されていなかったことには合理性がある(朝日第三者委員会報告書も「キーセン学校に通っていたからといって、金氏が自ら進んで慰安婦になったとか、だまされて慰安婦にされても仕方なかったとはいえない」「植村による『キーセン』イコール慰安婦ではないとする主張は首肯できる」(甲64、18頁)としている。)。

そして、前記のとおり、金学順は、1991年8月の当初から、一貫して、どこかの時点で養父と引き離され日本軍により慰安所まで連行された旨証言していたのであるから、金学順が慰安婦になる経緯を記事にするに際して重要なのは金学順がキーセン学校にいたことではなく日本軍によって武力で奪われたことと考えたとしても不合理ではなく、実際、多くの新聞がそのように記載していた(甲68、甲23等)。この点、被告西岡も「日本軍が武力で奪ったことこそが本質だと思うが、全くあり得ない解釈か」という質問に対して、「あり得ないなんて思っていない。そういう解釈が当時は一般的だったです。」「多数派だったかもしれない。そういう解釈はたくさんありました。」とも述べている(被告西岡本人調書41頁)。

そうすると、「事案の本質は日本軍が武力で奪ったことであるからキーセン身売りの事実を記事に書かない」というのは当時の一般的な認識だったのであり、原告も当該経歴を記事に書くことが「重要なこと」とは認識していなかった。まして、原告が当該経歴(金学順がキーセン学校にいたこと)を記事に書くことは重要であると認識していたのに、あえて書かなかったとの事実は立証されない。

カ■なお、被告西岡は「キーセンも公娼制度の中」であり、「(金学順は)17歳で公娼制度として登録できる年になった」「借金を背負わされた女性が自由に自分の意思でお金を稼ぐようにしないといけないので、それを返さなきゃいけないんですから、その借金を持っている検番のおやじさんに連れられて中国に行ったということは、彼女が慰安婦になった経緯にとって重大な関係がある事実」だと主張する(被告西岡本人調書8頁)

しかし、キーセンと公娼制度を同一視し、キーセン学校に通ったという事情のみから当然に公娼なり慰安婦になりになる必然性があったかのように言う被告西岡の主張には相当な飛躍がある。

すなわち、被告西岡が根拠とする「共同研究 日本軍慰安婦」(乙12)にも、キーセンと慰安婦の結びつきについては「軍によって選定された業者たちの下で、直接(引用者注・慰安婦の)『募集』にあたる補助人たちで、言ってみれば、下請業者である。この下請業者には、朝鮮在住の接客業者、妓生券番、斡旋業者、人事紹介所、『人身ブローカー』の女衒などが含まれる」(53頁)とされているだけであって、妓生券番の中には慰安婦募集を担った者がいることは分かるものの、被告西岡が念頭に置くような「キーセン=公娼=慰安婦」という図式が記載されているとはいえない。まして、金学順が養父に借金を持っていたとか、金学順の養父が慰安婦募集を担ったブローカーだった等という証拠は全くない。

そもそも、「妓生を遊女だと定義したり、一九七〇年代の買春観光のキーセンのイメージで見る人がいますが、どちらも正確では」ない(甲52号証35頁以下)。妓生とは「朝鮮王朝時代に官妓として公的儀式や官庁の宴席で歌舞音曲を提供する女性」を指し、「特に平壌には妓生学校があり、妓生見習い生に三年の課程で歌舞音曲と教養科目を教授」した。「植民地期に日本からの観光客が平壌の舞踊を鑑賞するために、妓生学校訪問を観光コースに組み入れるほど、平壌の妓生学校は有名」「妓生へのまなざしも一概に卑賤視とばかりは言えない、あこがれや羨望も混じった複雑で多様なもの」「1920年代にレコード産業や映画産業が勃興すると、王寿福や石金星のような妓生出身の歌手や女優が大活躍し、世間の人気を集め」、「王寿福は普通学校の中退後に一二歳で平壌の妓生学校で学びましたが、王が活躍したのは金学順さんが妓生学校に通っていた時期」だというのである(同号証)。そうすると、キーセン学校を直ちに公娼制度に結びつけ、さらに慰安婦制度にまで結びつける被告西岡の主張は極めて一面的で偏っていることになる。

また、金学順が40円で身売りされたと決めつける被告西岡の主張も根拠が薄い。青山学院大学名誉教授の宋連玉教授によれば「これを身売りの前借金とするには、あまりに少額です。当時の物価で言えば40円は米一四〇キロに当たる金額で、現在の貨幣価値で換算すれば概算七万円から八万円にしかなりません。朝鮮における前借金の相場は一九二〇年代後半でも、日本女性は一七〇〇円、朝鮮女性は約四二〇円」だという。そこで、宋教授は金学順がキーセン学校に行った経緯として「金学順の母親は自らの体験から、貧しくても娘に技能を身につけ、自立して生きていけるように考えた結果なのでしょう」と推測している(甲52号証38頁)。

このように、被告西岡が主張するキーセン学校制度の趣旨や金学順の経歴について疑問の余地があるが、仮に被告西岡の主張するとおり金学順が養父に借金を負っていて養父が慰安婦募集のブローカーだったとしても、被告西岡が根拠としてあげる文献(乙12)は1995年8月4日の発行であるから、原告が、1991年当時この文献を読んで被告西岡と同じく、金学順がキーセン学校にいたという経歴や養父と一緒に中国に行ったことが慰安婦になった経緯として重要であるとの認識に達することができたとはいえない。まして、原告がそれらの事実を記事に書くことが重大であると認識していたのに、あえて意図的に書かなかった等といえるはずがない。

結局、被告西岡は歴史学上解釈の分かれる問題について確たる証拠もないまま独自の解釈に立って独断的な判断を下し、他者(原告)も自己と同じ認識に立っているものと証拠もなく断定し、その誤った前提に立って、原告に言いがかりをつけているに過ぎないことが明らかである。

キ■よって、❷について①②③の事実が証明されたとはいえず、この点をもって「原告が義母の裁判を有利にするという悪しき動機をもって金学順の証言を意図的にねじ曲げてこれと異なる記事を書いたこと」との事実が証明されたとは到底いえない。


原告最終準備書面p71~76
❷金学順が述べた重要な経歴を記事に書かなかったとする点
相当性の検討

ア■ここでも、被告西岡は、まず、ⓐ金学順に中国に行くよう勧めたのは検番の養父であると証言しているのに原告がこれを記事Bに「地区の仕事をしている人」と偽って書いた事実、ⓑ金学順を中国に連れて行ったのは検番の養父であると証言しているのに原告がそれを記事に記載していない事実、ⓒ金学順を慰安婦として慰安所に連れて行ったのは検番の養父であると証言しているのに原告がそのように書いていない事実の3つの点について、資料に基づいて確認すべきであった。
  しかるところ、被告西岡は、この「ハッキリ通信第2号」(甲14)を所持していた(被告西岡本人調書22頁、37~38頁)のだから、「ハッキリ通信2号」には「町内の里長」と記載されていること、同書には養父に関する記載がないこと、したがって、原告が参加した91年11月25日の聞き取りで金学順がそのように述べたことを被告西岡は容易に知ることができた。そうすると、被告西岡は、ⓐ金学順に中国に行くよう勧めたのが検番の養父であると証言しているのに原告がこれを記事Bに「地区の仕事をしている人」と偽って書いた事実、ⓑ金学順は中国に連れて行ったのは検番の養父であると証言しているのに原告がそれを記事に記載していない事実が存在しないことを容易に知ることができたのである。
さらに、被告西岡は、前記1991年8月15日付け北海道新聞、同日付けハンギョレ新聞(甲67の2)、月刊宝石92年2月号記事(乙10)から、金学順は、1991年8月の当初から、一貫して、どこかの時点で養父と引き離され日本軍により慰安所まで連行された旨供述していたこと、したがって、ⓒの事実がないことも容易に知り得た。
よって、被告西岡が①原告の記事と金学順の証言とが異なると信じたことについて相当性は認められない。

イ■被告西岡は、金学順は原告が8月10日に聞いた証言テープの中で金学順を中国に連れて行ったのは検番の養父であると証言していたはずであり、そのように信じたことに相当性があるとも主張する。

しかし、すでに述べたとおり、相当性の抗弁を主張する者は、行為の際に必要な調査検討を尽くした事実を具体的に主張すべきところ、被告西岡があげる根拠は金学順が8月14日の記者会見で養父の存在に言及したからというのみである。金学順の供述には変遷があることは被告西岡自身が供述しているところであり(被告西岡本人調書54頁「いろんな変化がある人の証言」)、8月14日に言及したからといって8月10日に言及したとは限らず、現に11月25日には言及していないのである。そこで、被告西岡としては金学順が本当に8月10日の証言テープの中で養父について言及していたかどうか慎重に調査検討すべきだったにもかかわらず、証言テープを聞こうと努力もせず、この点について関係者への取材も一切していないのである。
よって、被告西岡が、金学順は8月10日の証言テープの中で同氏を中国に連れて行ったのは検番の養父であると証言していたはずだと軽信したとしても、そのことに相当性があるとは到底いえない。

ウ■被告西岡は、原告の記事に「金学順がキーセン学校にいた事実」あるいは「金学順が検番の養父に売られた事実」が記載されていないことを「捏造だ」と信じたことについて相当性があると主張する。
しかし、前記のとおり、取材対象者の経歴を「書かなかった」ことを「捏造」であると事実摘示できるのは、当該取材対象者の経歴が、それを記事に書かないと一般読者に重大な誤解が生じるほど重大なものであり、かつ、記者が当該経歴を書くことが重要であると認識していたのに、あえて意図的に書かなかった場合に限られるはずである。そうすると、この場合、被告西岡が「捏造」であると信じるについて相当性があるといえるためには、原告が当該経歴を「重大なものである」と認識し、それにも拘わらずあえて書かなかったと、被告西岡において信じるにつき相当な理由(調査検討を尽くしたこと)が必要であるというべきである。
この点、被告西岡は、1991年当時、原告記事以外の報道各社の記事が当該経歴について触れていない(甲22乃至24)ことを十分認識しており、「朝日に限らず、日本のどの新聞も金さんが連行されたプロセスを詳しく報ぜず、大多数の日本人は当時の日本当局が権力を使って、金さんを暴力的に慰安婦にしてしまったと受け止めてしまった」(甲26)と述べていた。また、「日本軍が武力で奪ったことこそが本質だと思うが、全くあり得ない解釈か」という質問に対して、「あり得ないなんて思っていない。そういう解釈が当時は一般的だったです。」とも述べていることも前記のとおりである(被告西岡本人調書41頁)。
報道各社の記事が当該経歴について触れておらず、したがって、キーセン学校にいたという金学順の経歴について他のどの記者も「重大なものである」と認識していなかったのに、原告だけが格別この点を重要と考え、あえて記事に記載しなかったという事実を信じるためには、相当合理的根拠が必要であり、そのために慎重な調査検討が必要だったはずである。ところが、被告西岡はせいぜい「原告の義母が遺族会の理事であった」という事実を提示できるのみであり、それ以上この点について合理的な根拠が提示できるような調査検討を尽くしたとはいえないのである。
そうすると、被告西岡において、原告が当該経歴を「重大なものである」と認識していたのにあえて書かなかったと信じるについて相当な理由があったとはいえず、①原告の記事が金学順の証言と異なるとか、②原告がそのことを知りつつあえて記事を書いたとかいう事実を信じるについて相当性は認められない。

エ■なお、被告西岡は「キーセンも公娼制度の中」であるから、「借金を持っている検番のおやじさんに連れられて中国に行ったということは、彼女が慰安婦になった経緯にとって重大な関係がある事実」だと信じたとしても、原告がキーセン学校について触れなかったことを「捏造」だと信じたことに相当性は認められない。
けだし、すでに述べたとおり、キーセン学校を公娼制度や慰安婦制度に直ちに結びつけたり、金学順が40円で身売りされたと決めつける被告西岡の前提認識は根拠薄弱で偏っている上、繰り返し述べるとおり、仮に西岡の前提に立つとしても、その場合に「捏造」であると事実摘示できるのは、「借金を持っている検番のおやじさんに連れられて中国に行った」という経緯が、それを記事に書かないと一般読者に重大な誤解が生じるほど重大なものであり、かつ、記者が経緯を書くことが重大であると認識していたのに、あえて意図的に書かなかった場合に限られるはずであるところ、被告西岡が参考にあげる文献(乙12)は1995年の発行であるから、原告が執筆当時(1991年)これを読んで被告西岡と同じ認識に立って「借金を持っている検番のおやじさんに連れられて中国に行ったという経緯はそれを記事に書かないと一般読者に重大な誤解が生じるほど重大なものである」と考えたと信じたことに根拠がないし、まして「原告がそのように考えたにも拘わらずあえて記事に書かなかった」と信じる根拠もないからである。

オ■以上から、❷の事実を信じたことを根拠としても、「原告が義母の裁判を有利にするという悪しき動機をもって金学順の証言を意図的にねじ曲げてこれと異なる記事を書いたこと」と信じるについて相当な理由があったとはいえない。


--------------------- 第3回 了 ---------------------

次回以降の内容

21日▼第4回 東京判決の注目点4
被告西岡の主張の「真実性」と「相当性」の検討
「植村氏が悪しき動機に基いて記事を書いた」とする点について

22日▼第5回 東京判決の注目点5
原告植村隆氏の最終意見陳述(2018年11月28日)
断たれた夢/激しいバッシングの中で/裁判官の皆様へ

2019年6月19日水曜日

東京判決の注目点2

左から、植村氏の記事A、記事B、週刊文春の記事A

東京判決の注目点 2
被告西岡の主張の「真実性」と「真実相当性」の検討


 「挺身隊」の名で戦場に連行され…、

と植村氏が書いたことは、

金学順さんの証言とは異なっていない。

しかし、西岡はそれが「捏造」だとは

証明できず、そのように信ずるに足る

取材調査義務も果たしていない。



原告最終準備書面p41~51全文
❶金学順が述べていない経歴を付加して記事に書いたとする点
真実性の検討

被告西岡は、「原告が義母の裁判を有利にするという悪しき動機をもって金学順の証言を意図的にねじ曲げてこれと異なる記事を書いた」との事実を摘示する根拠として、

❶原告は金学順が述べていない「女子挺身隊の名で連行された」という経歴を意図的に付加して記事に書いた、
❷原告は金学順本人が述べた慰安婦になる経緯について重要な経歴に触れずに記事に書いた、
❸原告は義母の裁判を有利にする動機があった

と主張している。
しかし、ここでの事実摘示の内容は、「意図的に嘘をついたこと」であって、「重大な誤り」ではないから、

真実性の立証としては、
①原告の記事が金学順の証言と異なること以外に、
②原告がそのことを知りつつあえて記事を書いたこと、
③原告には義母の裁判を有利にするという悪しき動機があって、それに基づいて記事を書いたことがいずれも立証されなければならない。

そして、次に述べるとおり、上記❶❷❸を検討しても、前記①②③はいずれも立証されず、「原告が義母の裁判を有利にするという悪しき動機をもって金学順の証言を意図的にねじ曲げてこれと異なる記事を書いた」との事実は証明されない。
以下、詳述する。


被告は、原告が記事で金学順が述べていない「挺身隊の名で戦場に連行され」という経歴を意図的に付け加えたと主張する。そこで、この点について、①原告の記事が金学順の証言と異なること、②原告がそのことを知りつつあえて記事を書いたこと、③原告には義母の裁判を有利にするという悪しき動機があって、それに基づいて記事を書いたことがいずれも立証されたといえるかどうかを検討する。
まず、そもそも原告記事A(甲1)※注の記載中、「『女子挺(てい)身隊』の名で戦場に連行され」という部分には、括弧書きがなく、いわゆる「地の文」(会話以外の説明や叙述の部分)であって、金学順の発言をそのまま引用した記述でないことは文面上明らかであり、当該記載は、金学順の立場なり境遇なりを、原告が、原告なりに要約して表現したものに過ぎない。そうすると、仮に金学順がテープの中で「挺身隊の名で戦場に連行され」というそのままの表現を使っていないとしても、直ちに①原告の記事が金学順の証言と異なるとの事実は証明されない。<※注=金学順さんの名乗り出を報じた植村氏の1991年8月11日付記事>

そして、金学順は、最初に挺身隊問題対策協議会の事務所に名乗り出た際「自分は挺身隊だった」と明確に述べており(甲50)、1991年8月14日の最初の記者会見では、「私は挺身隊」(甲21)「挺身隊慰安婦として苦痛を受けた私」等と発言しているから、「女子挺身隊」というのは、金学順自身が自己の境遇を説明する際に使用した言葉であることが明らかである。

また、金学順は、1991年8月14日の最初の記者会見で、「16歳ちょっと過ぎたくらいの(私)を引っぱって行って。強制的に。」として要するに自分は強制連行されたとも述べ(甲110)、さらに、提訴後には「17歳の時、日本軍に強制連行された」と明確に述べているから(甲23)、自分の体験について「連行」「強制連行」とも述べていたことが明らかである。

さらに、金学順が裁判所に提出した陳述書で、金学順は、慰安婦一般の境遇について「平壌にいると女性は挺身隊として強制連行されてしまう」(甲149)と述べ、法廷では「挺身隊として連れて行かれる」(甲148)とも表現しているから、「挺身隊の名で連行され」という表現を金学順が使用してもおかしくない。

以上からすれば、金学順は自己の境遇について、「女子挺身隊」、「連行」、「強制連行」、「女子挺身隊の名で連行」などの表現で説明していたことが明らかであるから、そもそも①原告記事の当該部分が金学順の証言と異なるとはいえず、当該事実の真実性は立証されていない。

イ■付け加えるに、むしろ、原告が記事を執筆した1991年当時、韓国でも日本でも、従軍慰安婦の境遇について「女子挺身隊として連行された」と表現するのは一般的だった。

すなわち、小松義貴意見書(甲124)※注によれば、1946年5月12日付けソウル新聞(甲160)にはすでに「今度の戦争中…この地の娘たちを女子挺身隊または慰安婦という美名のもとに、日本はもちろん、遠く中国や南洋などに強制的にあるいはだまして送り出した事実」という表現がみられる。さらに、60年代の新聞には、「挺身隊として引っ張っていかれ、南洋、中国各地で日本人将校の慰安婦にあてがわれた韓国の乙女たち」(1962年8月14日付け京郷新聞、甲161)、「挺身隊=俗に女子供出とも言った。年頃の乙女たちを戦地に駆り出し、慰安婦にした」(1963年8月14日付け京郷新聞、甲162)、「韓国の乙女たちは18歳から20歳まで挺身隊という名で駆り出され、結局は全て軍隊の娼婦にされてしまった」(1964年3月23日付け東亜日報、甲163)、「挺身隊という名目で拉致動員し慰安婦にした」(1965年2月17日付け京郷新聞、甲164)等の表現があったという。※注=小松氏は韓国に在住し、終戦後の慰安婦に関する報道を調査研究している言語心理学者。研究成果を意見書として提出した

そこで、日本の新聞でも、慰安婦にされた女性の境遇について、「日中戦争から太平洋戦争のさなか、朝鮮の女性たちが『女子挺身(ていしん)隊』の名で日本軍の従軍慰安婦として各地の戦場に送られた」(91年7月18日朝日新聞 甲174号証)、「日中戦争や太平洋戦争で『女子挺身(ていしん)隊』の名で戦場に送られた朝鮮人従軍慰安婦の実態を調査している韓国挺身隊問題対策協議会」(91年7月31日朝日新聞 甲175)、「第二次世界大戦中『挺身隊』の名のもとに従軍慰安婦として戦場にかりだされた朝鮮人女性たち」(91年9月3日産経新聞 甲18)、「『女子挺身隊』の名のもとに…強制徴発されて戦場に送り込まれた」(1987年8月14日付け読売新聞 甲19)、「女子挺身隊のうち『慰安婦』として戦地に送られた(金学順さんもそんな一人)」(91年8月24日付け読売新聞 甲24)、「女子挺身隊の美名のもとに従軍慰安婦として戦地で日本軍将兵に陵(りょう)辱されたソウルに住む韓国人女性」「女子挺身隊の名で動員され、一般勤労のほか、多くが慰安婦とされた」(91年8月15日北海道新聞 甲25)、「第二次世界大戦中に『女性挺身隊』として強制連行され、日本軍兵士相手に売春を強いられた」(91年12月3日付け読売新聞 甲68)などの表現がとられたのである(甲65、甲66、なお、日本のメディアにおいて、挺身隊と慰安婦とを区別する動きができたのは、92年初旬からである。朝日第三者委員会報告書、甲64号証41頁、読売新聞については甲49号証参照)。

元従軍慰安婦金福童※注は、挺対協がまとめた『証言集 強制連行された朝鮮人軍慰安婦たち』の証言集2(下巻)において、日本人から「挺身隊(テイシンタイ)に娘を送るので出しなさい」と命令され連行されたところ、慰安婦にされてしまったと証言している(甲146・138~139頁)。これこそまさに、「女子挺身隊の名で連行され」慰安婦にされた実例である。<※注=慰安婦の被害体験を語りつづけた韓国女性。ソウルの日本大使館前の水曜デモに参加しつづけ、2019年1月、92歳で死去>

したがって、原告が、金学順の立場なり境遇なりを、原告なりに要約して「『女子挺(てい)身隊』の名で戦場に連行され」と表現したとしても、91年当時の一般読者の理解を基準として、①原告の記事が金学順の証言と異なるとはいえず、当該事実が証明されたとはいえない。

ウ■被告西岡は、「『女子挺身隊』の名で戦場に連行され」との表現が、国家総動員法に基づく女子挺身隊制度による強制連行のことを指すと読者に思わせるから、事実に反する問題のある記事だと指摘している(西岡調書6頁、26頁)。被告西岡によれば、「吉田清治さんが言っている軍の命令で女性挺身隊の名で慰安婦狩りをせよと言われて慰安婦を狩りましたと言っている加害者じゃなくて、今度は被害者がでてきた」というのである(被告西岡本人調書3頁)。被告西岡が陳述書でいう「連行方式としての女子挺身隊」、「職業としての従軍慰安婦」(乙15、4頁)との表現も、同じ趣旨だという(被告西岡本人調書26頁)。

しかし、原告の記事Aには「だまされて慰安婦にされた」と明記されており、記事B※注はさらに詳しく慰安婦になった過程が記されており、これを読めば国家総動員法による連行ではないことが明らかであるから、原告の記事を読んだ読者が、この事例を「国家総動員法」によって徴用された事例であると誤解するはずがない。原告が記事A及びBに記載した金学順の状況は、吉田清治が証言したとされるように、「奴隷狩りのような慰安婦狩り」(被告西岡本人調書11頁)という状況でないことも、記事A及びBを読んだ読者であれば誤解のしようがない。※注=記事Bは、弁護団が金学順さんから聞き取った内容を紹介した植村氏の1991年12月25日付記事
さらに、1991年当時の新聞読者の理解を基準とすれば、一般に言っても、「女子挺身隊の名で連行」との表現が、国家総動員法に基づく強制連行である等と誤解される余地はない。すなわち、女子挺身隊の法的根拠である女子挺身勤労令の公布は1944年8月であるところ(乙22号証13頁)、それ以前より「自主的参加という建前で女性の勤労動員が実施されていた」(同12頁下から3行目)のであり、「政府は『女子勤労動員ノ促進ニ関スル件』を決定し、『女子勤労挺身隊』を自主的に編成させて、女性の根こそぎ動員を図った。」のである(同13頁)。だから、1987年5月2日付け朝日新聞(甲123)には「労働力動員の一環としての女子挺身隊も、だからはじめは法令化され」なかったとの記載があり、これが1991年当時の読者の一般的認識である。

「第145号」(甲168、169)は戦争当時の国策会社「日本ニュース」(甲170)が1943年3月16日に日本人向けに公開した映像であるが、ここにも「女子挺身隊、前線へ」という記載がはっきり見て取れるのであって、ここからも、「女子挺身隊」という語が女子挺身勤労令の公布以前から自主的に編成される労働力動員の形態を示す語として国民に定着していたこと、したがって、「女子挺身隊の名で連行」との記載があっても、一般国民は直ちに国家総動員法に基づく強制連行であると理解しないことが分かる(「第145号は、「NHKアーカイブ戦争証言」で簡単に視聴できる。甲167号証)。

この点、能川元一意見書(甲121)※注も、パラオ挺身隊(甲122)を例にとり、挺身隊が国家総動員法と直ちに結びつくものではないことを説明している。※注=能川元一氏は哲学者、近現代史研究家。慰安婦問題をめぐる右派の言説と西岡氏の主張に関する陳述書を第13回口頭弁論で提出した

また、韓国においても、たとえば、前記1946年5月12日付けソウル新聞(甲160)は「今度の戦争中…この地の娘たちを女子挺身隊または慰安婦という美名のもとに、日本はもちろん、遠く中国や南洋などに強制的にあるいはだまして送り出した事実」という表現をとり、強制的連行の場合はもちろん、だまして慰安婦にした例についても「女子挺身隊」という語を使用している。この点、金学順の訴状には「朝鮮人女性については、国民登録されていなかった関係で、原則として、法律的に強制力を持つ徴用は行われなかった」との記載がある(乙22号証13頁)。

よって、1991年当時の一般読者の理解を基準としてみれば、原告の記事中「女子挺身隊の名で連行」という記載を「国家総動員法に基づく法的強制に基づく連行形態」を示したものと読む余地はないのであるから、原告の記事が金学順の証言と異なるとはいえず、当該事実は証明されない。

エ■さらに、被告西岡は、「挺身隊の名で連行」という表現と「だまされて慰安婦にされた」という表現とが矛盾しているとも主張する(被告西岡本人調書5頁最終行)。

しかし、92年1月5日発行月刊宝石記事(乙10)によれば「(金学順は)十七歳のとき、養父は『稼ぎにいくぞ』と、私と同僚の『エミ子』を連れて汽車に乗ったのです。着いたところは満州のどこかの駅でした。(中略)養父は将校たちに刀で脅され、土下座させられたあと、どこかに連れ去られてしまったのです」というのであるから、金学順は、最初「稼ぎにいくぞ」と誘われ、中国に向かったところ、どこかの時点で養父と引き離され、最後には日本軍に強制連行され、閉じ込められたと証言していると理解される。

そうすると、最初に「そこに行けば金が稼げる」と声をかけられた点を捉えて「だまされて慰安婦にされた」と表現することも可能だし、養父と引き離され日本軍に強制連行された点を捉えて「挺身隊(=慰安婦)の名で連行され」と表現することも可能であるから、「だまされて慰安婦にされた」という記載と「挺身隊として連行された」という記載は、なんら矛盾するものではない。
よって、この点を主張しても、①原告の記事が金学順の証言と異なるとはいえない。

オ■以上からすれば、❶によってはそもそも①原告の記事が金学順の証言と異なることが証明されておらず、まして、②原告がそのことを知りつつあえて記事を書いたとも、③原告には義母の裁判を有利にするという悪しき動機に基づいて記事を書いたともいえないから、「原告が義母の裁判を有利にするという悪しき動機をもって金学順の証言を意図的にねじ曲げてこれと異なる記事を書いたこと」との事実は証明されない。


原告最終準備書面p62~71
❶金学順が述べていない経歴を付加して記事に書いたとする点
相当性の検討

ここで、相当性の対象は、「原告が義母の裁判を有利にするという悪しき動機をもって金学順の証言を意図的にねじ曲げてこれと異なる記事を書いたこと」ことであり、具体的には、①原告の記事が金学順の証言と異なること、②原告がそのことを知りつつあえて記事を書いたこと、③原告が義母の裁判を有利にするという悪しき動機に基づいてあえて誤った記事を書いたこと、の3つを信じるについて相当の理由があったということでなければならない。

相当性の抗弁が認められるためには「信頼すべきところから材料を入手したことと、その真実性について合理的な注意を尽くして調査検討したことが不可欠である」(潮見桂男「不法行為法Ⅰ【第2版】」2009年 181頁 甲173)。したがって、相当性の抗弁を主張する者は、執筆時に必要な調査検討を尽くした事実を具体的に主張・立証しなければならない。相当性の判断基準時は行為時であり(前記・最判平成14年1月29日判時1778号49頁)、調査検討活動の相当性の判断要素としては、「取材の端緒、取材先、取材方法、取材内容、取材の結果及びその評価の諸点において相当性があったかどうかを判断すべき」である(東京地判平成4年7月28日判時1452号71頁)。相当性判断の判断基底(判断資料)には、取材以外の要素も資料となり、行為者が、一般人では知り得ないが、自らが特に知っている事情があればそれは相当性判断の基礎資料となる。特に、専門家の場合、特段の専門的知見を有していれば、それも判断資料である。

相当性判断は通常は一般人を基準とすることになるが、行為者が専門家の場合、当該分野の一般的な専門家を判断基準主体とするべきである。本件についてみれば、被告西岡は「慰安婦」被害、挺身隊問題を専門分野とする専門家なのであるから、一般人よりも高度な注意義務を課されるというべきである。


ア■①原告の記事が金学順の証言と異なるといえるかどうかについて、被告西岡がなすべき取材内容、取材先として重要なのは金学順の証言テープの検討、及び金学順本人への取材である。被告西岡は、これらの取材から、金学順が証言テープの中で「挺身隊」なり「連行」なりという表現を使ったのかどうかを確認すべきであった。ところが、被告西岡は、金学順の証言テープを聞いていないし、1992年に韓国に行って梁順任に面談していたのも拘わらず、挺身隊問題対策協議会に行くなりして、問題のテープを確認する努力自体していない。
よって、この点から、被告西岡が①原告の記事が金学順の証言と異なると信じたことについての相当性が否定される。

イ■次に、被告西岡にとって可能な調査としては、1991年当時の韓国メディアの報道内容の確認があった。この点、被告西岡は韓国語が堪能であり、当時の東亜日報(甲20)、中央日報(甲21)といった新聞記事を確認することは容易であった。金学順自身が「強制的に」慰安婦にされたと述べていたKBSテレビのニュース動画(甲109、110)を視聴することも、極めて簡単なことであった(なお、このニュース動画自体は広くインターネット上に流通している。)。これら韓国メディアの報道は、金学順自身が「挺身隊」という表現を使用していたことを伝えていた。
もし被告西岡がこれら韓国メディアの報道を確認すれば、金学順自身が「挺身隊」「連行」という表現を使用していたことを知ることができたし、それは容易なことであった。にもかかわらず、被告西岡は、これらの確認作業を怠ったというほかない。
よって、この点からも、被告西岡が①原告の記事が金学順の証言と異なると信じたことについての相当性は否定される。

ウ■さらに、被告西岡は、韓国において「挺身隊」と「従軍慰安婦」が「混同」されて使われていた事実を認識していた(甲3号証49頁、西岡陳述書4頁)。
また、被告西岡は、金学順自身が「挺身隊として連れて行かれる」(甲148)、「『女性は挺身隊として強制連行されてしまう』と言われており」(甲149)と述べていた事実も知っていたと認めている(被告西岡本人調書28~29頁)。それどころか日本の植民地時代の朝鮮では、「若い女性を挺身隊として慰安婦狩りをするという悪い流言飛語が広まって」いたために、その誤解を解くようにと朝鮮総督府が指示した資料の存在にも言及した(同頁)。被告西岡は、「女子挺身隊として連れていかれる、連行される」との表現が、韓国で一般的に用いられていたことも認めている(被告西岡本人調書29頁)。
前記のとおり、相当性判断の判断基底(判断資料)には一般人では知り得ないが、被告自らが特に知っている事情も含まれ、特に、専門家の場合、特段の専門的知見を有していれば、当然ながらそれもまた判断資料である。被告西岡は、韓国において「挺身隊」と「従軍慰安婦」が「混同」されて使われていた事実を特に認識していたという事情があるから、この事情は相当性判断の判断基底(判断資料)である。
被告西岡は、韓国において「挺身隊」と「従軍慰安婦」が「混同」されて使われていた事実を、本件記事執筆時に認識していたのだから、金学順がテープの中で「挺身隊」「連行」という表現を使ったことを容易に知ることができたのであって、この点からも、被告西岡が①原告の記事が金学順の証言と異なると信じたことについての相当性は否定される。

エ■元従軍慰安婦金福童の証言集(甲146・138~139頁)には「挺身隊(テイシンタイ)に娘を送るので出しなさい」と命令され連行されたところ、慰安婦にされてしまったとの証言がある。金福童は、現在もソウルの日本大使館前で毎週水曜日に開かれている「水曜デモ」に参加し続けるなど、慰安婦問題に関心を持っていれば誰でも知っている元慰安婦である※注。金福童証言集を被告西岡は韓国語原文で読んだと述べている(西岡調書30頁)。この証言集の上巻については、被告らから証拠として提出されている(乙19)。被告西岡はこの金福童証言について、「ちゃんと余り読んでないです」(被告西岡本人調書31頁)とも弁明したが、少なくとも「ざあっと見た」(同頁)ことは自認しているから、金福童の上記証言についても知っていた。※注=金福童さんはことし1月に死去した
被告西岡は、金福童の上記証言からも、韓国において「挺身隊」と「従軍慰安婦」が「混同」されて使われていた事実を本件記事執筆時に認識し得たといえるのであるから、金学順がテープの中で「挺身隊」「連行」という表現を使ったことを容易に知ることができたのであって、この点からも、被告西岡が①原告の記事が金学順の証言と異なると信じたことについての相当性は否定される。

オ■被告西岡は、法廷で「その後この後で金学順さんと名前が明らかになりますが、この方が韓国の新聞や訴状や、あるいは挺対協が出した証言集や運動体の方がインタビューした月刊誌の証言などで、一度も女子挺身隊の名で戦場に連行されたと言っていないということがわかって、これは大きな誤報ではないか」と思ったと供述した(被告西岡本人調書4頁)。
しかし、すでに述べたとおり、原告記事A(甲1)の記載中、「『女子挺(てい)身隊』の名で戦場に連行され」という部分には、括弧書きがない「地の文」(発言の引用以外の部分)であって、金学順の発言をそのまま引用した記述でないことは文面上明らかであり、当該記載は、金学順の立場なり境遇なりを、原告が、原告なりに要約して表現したものに過ぎないことは記載上極めて明白である。
そうすると、仮に金学順がテープの中で「挺身隊の名で戦場に連行され」というそのままの表現を使っていないとしても、一般読者を基準にして、直ちに①原告の記事と金学順の証言が異なることにはならないことは、原告記事Aを読めば一目瞭然である。
したがって、仮に金学順がテープの中で「挺身隊の名で戦場に連行され」というそのままの表現を使っていないと信じたとしても、被告西岡が①原告の記事が金学順の証言と異なると信じたことについて相当性はない。

カ■被告西岡は、女子挺身隊という表現は「国家総動員法」による強制連行を意味するものと考えたとも主張する(被告西岡本人調書6頁)。
しかし、原告の記事Aには「だまされて慰安婦にされた」と明記されていること、記事Bはさらに詳しく慰安婦になった過程が記されていること、これらを読めば国家総動員法による連行ではないことは誰の目にも明らかであり、被告西岡はそのことを知り又は知り得たのであるから、被告西岡が女子挺身隊という表現を「国家総動員法」による強制連行の意味だと信じたとしても、その点について相当性は認められない。
さらに、被告西岡は、専門家である以上、女子挺身勤労令の公布以前より政府が「『女子勤労挺身隊』を自主的に編成させて、女性の根こそぎ動員を図った」(乙22)こと、「労働力動員の一環としての女子挺身隊も、だからはじめは法令化され」なかったこと(甲123)を当然知っていたし、「第145号」(甲168、169)の「女子挺身隊、前線へ」という映像も「NHKアーカイブ戦争証言」(甲167号証)で簡単に視聴できるのであるから、被告西岡も知り又は知ることが容易であった。そうだとすれば、被告西岡は慰安婦問題の専門家として、「女子挺身隊」という語が自主的に編成される労働力動員の形態を示す語として国民に定着していたこと、したがって、91年当時の読者を基準とすれば、一般的に、「女子挺身隊の名で連行」と表現したとしても国家総動員法に基づくものとはいえないことを当然知り又は知るべきであったのであるから、被告西岡が女子挺身隊という表現を「国家総動員法」による強制連行の意味だと信じたとしても、その点について相当性は認められない。

キ■以上のとおり、被告西岡が①原告の記事が金学順の証言と異なると信じたことについて相当性は認められない。
また、仮に、被告西岡が①原告の記事が金学順の証言と異なると信じたことについてなんらかの理由があるとしても、被告西岡が②原告がそのこと(原告の記事が金学順の証言と異なること)を知りつつあえて記事を書いたと信じたことや、③原告には義母の裁判を有利にするという悪しき動機があり、それに基づいて記事を書いたと信じたことについて相当性が認められる余地は全くない。
けだし、すでに述べたとおり、91年当時の日本の新聞では、慰安婦にされた女性の境遇について、「『女子挺身(ていしん)隊』の名で日本軍の従軍慰安婦として各地の戦場に送られた」(甲174号証)、「『女子挺身(ていしん)隊』の名で戦場に送られた」(甲175)、「『挺身隊』の名のもとに従軍慰安婦として戦場にかりだされた」(甲18)、「『女子挺身隊』の名のもとに…強制徴発されて戦場に送り込まれた」(甲19)、「女子挺身隊のうち『慰安婦』として戦地に送られた」(甲24)、「女子挺身隊の名で動員され、一般勤労のほか、多くが慰安婦とされた」(甲25)、「『女性挺身隊』として強制連行」(甲68)等と表現するのがごく普通であったのであり(被告西岡もそのことを当然知り又は知り得た)、これらとほとんど変わらない表現(「女子挺身隊の名で連行」)があるというだけで原告記事Aの記載に特殊な意図(上記②③)があると推論することはあまりにも不合理で根拠を欠き、言いがかりとしか言いようがないからである。
とりわけ、原告記事Aの直前の91年7月31日朝日新聞(甲175)の記載(「『女子挺身(ていしん)隊』の名で戦場に送られた朝鮮人従軍慰安婦」)や直後の91年12月3日付け読売新聞(甲68)の記載(「『女性挺身隊』として強制連行」)は、「女子挺身隊の名で連行」という原告記事Aの表現とほとんど変わらない。それなのに、あまりにも些細な表現の違いを捉えて「揚げ足」をとり、原告についてのみ、記事の誤りを知りつつあえて書いたとか、義母の裁判を有利にする動機に基づいて記事を書いたこと等と邪推することは、およそ合理的理性の範囲を超えているとしかいいようがない。
それでも、被告西岡において、原告が記事の誤りを知りつつあえて書いたとか、義母の裁判を有利にする動機に基づいて記事を書いたこと等を信じたことについて相当な理由があるといえるためには、相当入念な調査検討が不可欠だったはずである。ところが、被告西岡は「原告の義母が遺族会の理事であった」という情報のみで、他の調査・検討をすることなく、②③の事実があったと決めつけているのである。これでは調査・検討の義務を果たしたとはいえず、相当性の抗弁が成り立つ余地がない。

ク■よって、前記①②③のいずれにも相当性は認められないから、被告西岡が❶の事実から「原告が義母の裁判を有利にするという悪しき動機をもって金学順の証言を意図的にねじ曲げてこれと異なる記事を書いたこと」と信じたとしても、それについて相当な理由があったとはいえない。


--------------------- 第2回 了 ---------------------

次回以降の内容

20日▼第3回 東京判決の注目点3
被告西岡の主張の「真実性」と「相当性」の検討
「植村氏は金学順さんが述べた重要な経歴に関する事実を書かなかった」とする点について

21日▼第4回 東京判決の注目点4
被告西岡の主張の「真実性」と「相当性」の検討
「植村氏が悪しき動機に基いて記事を書いた」とする点について

22日▼第5回 東京判決の注目点5
原告植村隆氏の最終意見陳述(2018年11月28日)

断たれた夢/激しいバッシングの中で/裁判官の皆様へ