2019年6月18日火曜日

東京判決の注目点1

提訴の日、東京地裁に向かう植村氏と弁護団
(2015年1月9日)
提訴から4年5カ月! いよいよ植村裁判東京訴訟の判決期日が迫ってきました。

これまでの裁判所の審理ぶりや、先行した札幌訴訟の判決をふまえると、楽観的な予想や期待は控えざるをえませんが、植村隆氏と弁護団が法廷で展開した訴えと主張に裁判所はどう答えるのか、私たちはきちんと目を注ぎたいと思います。
とくに、西岡氏による「捏造」決めつけを、裁判所はどのように認定するのか(真実性と相当性の判断)、西岡氏と文春の悪質性と、植村氏の甚大な被害を、裁判所はどうとらえ評価するのか(損害論)。これらは判決の核心となるものです。裁判所が安易な判断を下したり、あいまいな表現で検討を回避するようなことは許されません。判決の内容と共に、司法の正義と良心が存在するかどうかにも重大な関心を寄せたいと思います。

当ブログでは5回にわたって、判決の重要な論点と注目点を、原告最終準備書面の主張をもとにして掲載します。
原告最終準備書面は総ページ数が129あり、第14回口頭弁論(実質結審期日、2018年11月28日)に提出されました。最大の争点である「真実性と相当性」「悪質性」のほか、「捏造の定義」「事実の摘示か論評意見か」「公共の利害と公益目的」「損害被害の全容と影響」「共同不法行為」「平穏な生活を営む権利の侵害」「謝罪広告の必要性」などすべての争点・論点について、最終的な主張と結論が詳細に述べらています。この連載ではその中から「悪質性」「真実性と相当性」にしぼり、その全文を収録します。

※書面は項目見出しと小見出しも含め、すべて原文のままですが、読みやすさを考慮して書式を変更しました。編注も付してあります。
※書面中の甲、乙がついた数字は、甲○号証、乙△号証などの証拠番号を表し、原告提出証拠は甲、被告提出証拠は乙とされています。




 東京判決の注目点 1
被告西岡と文藝春秋の行為の悪質性

金学順さんの証言を意図的に改ざんしていたのは被告西岡自身であった。

被告文藝春秋は以前から植村氏を狙い撃ちにする意図を持っていた。


原告最終準備書面p101~109全文

被告西岡の悪質性


■「捏造」ではないと知りつつ「捏造記者」呼ばわりした
被告西岡は、「捏造」と攻撃できないことを知っていて原告に対し「捏造記者」呼ばわりを続けていた。
すなわち、「捏造」とは本来「事実でない事を事実のようにこしらえること」(甲36乃至38)を意味し、事実誤認とは全く別のものである。ところが、被告西岡は、「相当性」について検討したなかで逐一指摘してきたとおり※注、十分な裏付けもなく、むしろ、被告西岡は、原告が捏造などしていないことを認識しながら、あえて原告を「捏造記者」呼ばわりしてきたものであって、不法行為の態様として極めて悪質である。<※注=「相当性」の検討は最終準備書面p61-78に記載されている。この連載では第2,3,4回に分けて収録する>

また被告西岡は、「金学順さんについて植村記者が第一報を書けたのは、義理の母からの情報提供によるものだろう」(甲119号証292頁7行目)「原告のリーダーが義理の母であったために、金学順さんの単独インタビューがとれたというカラクリです。」(記事B①※注 甲4号証3頁)「利害関係者だからこそ取れた特ダネである」(記事C⑤※注 甲5、82頁)等と繰り返し事実でないことを事実のように拵えて原告を攻撃し続けており、この点について謝罪も訂正も一切していない。<※注=記事Bは週刊文春2014年8月1421日号、記事Cは月刊「正論」201410月号に掲載>

被告西岡こそが「捏造」をしていた
それどころかむしろ被告西岡こそが、事実でない事を事実のようにこしらえて、すなわち「捏造」して原告を攻撃していた。

●被告西岡による金学順証言の創作
すなわち、2007年6月28日付で発行された旧版被告西岡著『よくわかる慰安婦問題』(甲126)には、ハンギョレ新聞記事の引用として「私は四〇円で売られて、キーセンの修行を何年かして、その後、日本の軍隊のあるところに行きました」(42頁)との記載があるが、この記載は原文(甲67の2)にはない。この一文は、明らかに被告西岡による金学順証言の創作(以下、これを「被告西岡創作部分」という)である。
翌年の2008年11月号の雑誌『正論』での被告西岡の文章にも西岡創作部分が掲載されている(甲138・266頁)。
また、被告西岡は、2012年9月28日付で被告西岡は旧版「よくわかる慰安婦問題」の第2刷を出しているが、ここにも西岡創作部分が見られる(甲127・42頁)。被告西岡は、2012年12月14日付で、今度は文庫版の「増補新版よくわかる慰安婦問題」の第1刷(甲128)を発行しているが、西岡創作部分は、そのまま残されている(甲128・45頁)。
2014年9月5日付、被告西岡は「増補新版よくわかる慰安婦問題」第2刷を発行した(甲129)が、この第2刷から、ハンギョレ新聞の引用と称する被告西岡創作部分が削除された(45頁)。

●被告西岡の弁明とその不合理性
これらの点について質問された被告西岡は、この文章がどこから来たのか記憶にないと繰り返している(被告西岡本人調書45~48頁)。
しかしこの2007年までに被告西岡は、少なくとも自己の著述において6回もこのハンギョレ新聞記事を引用してきていた(甲143)。こんなに何度もハンギョレ新聞記事を引用して原告を攻撃し続けていたのに、それまでなかった被告西岡創作部分が唐突に途中で紛れ込んだことに、被告西岡が気付かないという方があまりに不自然である。
しかもこの被告西岡創作部分は、金学順が40円でキーセンに売られて日本軍のところにまで連れて来られたという内容であり、まさしく被告西岡の主張に沿った〈金学順が慰安婦にさせられた本質〉(被告西岡本人調書38頁)に関わる記述である。これほど自分の主張に都合のよい記述がハンギョレ新聞にあったのなら、それに気付かないことなどあり得るはずがない。被告西岡はこの記述を、最大限利用していたはずなのである。
仮に何らかの過失によって紛れ込んだ被告西岡創作部分だったとしても、少なくとも雑誌『正論』(甲138)で二度目にこの被告西岡創作部分を引用として記載したときに、気がついたに決まっている。この『正論』の文章は、「よくわかる慰安婦問題」(甲126)の文章とは、まったく異なった内容が新たに書かれた書き下ろしであった。自著の記述を丸写ししただけといった幼稚な言い訳は通用しない。

●訂正に至る過程の不合理性
それだけではなく、当該記述の訂正に至る過程も極めて不合理であり、疑問が残る。
すなわち、被告西岡は雑誌『正論』2011年8月号の著述でもハンギョレ新聞のこの部分を引用しているところ、こちらにはこの被告西岡創作部分が書かれていない(甲139・93頁下段)。そうすると、どんなに遅くともこのときに、ハンギョレ新聞の原文に存在していない被告西岡創作部分について被告西岡は認識していたはずである。

ところが、このあとの2012年9月28日付で被告西岡は旧版「よくわかる慰安婦問題」の第2刷を出しているが、そちらではこの被告西岡創作部分は直されていない(甲127・42頁)。単に気付かなかっただけだとすれば、これは明らかに矛盾した対応である。
しかも、被告西岡はこの2ヶ月半後の2012年12月14日付で、今度は文庫版の「増補新版よくわかる慰安婦問題」の第1刷(甲128)を発行している。旧版2刷からこの増補新版1刷を出すに際して、被告西岡は編集者と一緒に旧版の記述内容の校正作業をした(被告西岡本人調書47頁)。

このときの校正箇所は多岐にわたっており、第1章~第4章の前半部分に限っただけでも、甲130のとおり多数の箇所に手が入れられている。ところがこれだけ手を入れていたにも関わらず、被告西岡創作部分については、そのまま残されていた(甲128・45頁)。これは、わかっていてあえてこの被告西岡創作部分を被告西岡が残したままにしたとしか考えられないことを意味している。ちなみに被告西岡は増補新版第1刷の段階では、被告西岡創作部分が残ったままになっていることを記憶していた(被告西岡本人調書47頁)。

そして、2012年12月にこの「増補新版よくわかる慰安婦問題」第1刷が出されたあと、2014年1月30日に文春記事A(甲7)が発行されてこの問題に火がつき、同年8月6日には文春記事B(甲8)も発行され、被告西岡は週刊文春や週刊新潮に頻繁にコメントを求められるようになる(甲131、132、133)。西岡論文Cの記載された雑誌『正論』2014年10月号(甲5)が9月1日発売、西岡論文Dの『中央公論』同年10月号(甲6)も9月10日に発売されている。

このように注目され始めたまさにその時期である9月5日付で、被告西岡は「増補新版よくわかる慰安婦問題」第2刷を発行した(甲129)。そしてこの第2刷から、被告西岡創作部分が削除されたのである(45頁)。このときに被告西岡は、秘かにこの被告西岡創作部分の痕跡を消しているのである。
訂正に至る過程も極めて不合理であり、被告西岡は、原告を攻撃するために、あえて自分に都合のいい証言を創作したことが容易に推測される。

●自分のストーリーに合わない証言を意図的に無視している
他方で、被告西岡は、ハンギョレ新聞の原文にあった「私を連れて行った義父も当時日本軍人にカネももらえず、武力で私をそのまま奪われたようでした」という金学順の発言(甲67)については、ここまでのすべてのハンギョレ新聞の引用箇所において意図的に削除している。この点こそ、金学順が自己の意に反して慰安婦にさせられた直接的な経緯として、強調したかった点だったことは、ハンギョレ新聞での金学順の発言からも明らかであった。被告西岡は、このような見解が当時の多数派であり一般的な見解であることがわかっていて(被告西岡本人調書41頁)、あえてこの部分の記述を隠蔽して削除している。
これは、被告西岡が自己の描いたストーリーに合わない証言を意図的に削除して読者を騙そうとしたとしか言いようがない。

●評価
仮に、ハンギョレ新聞引用箇所のこの被告西岡創作部分の挿入が被告西岡の意図したものでなかったのだとすれば、被告西岡はどうしてこんな混入が起きたのか、「増補新版よくわかる慰安婦問題」第2刷(甲129)を発行した段階で振り返って検証したはずである。そしてこの混入の原因が何だったのか、どこから来たのかをおおよそは把握していたのでなければおかしい。

ところが被告西岡は、被告西岡創作部分がどこから来たものなのかを聞かれても、何も答えられなかった(被告西岡本人調書45頁)。これが本当に過失なのであれば、どこから来たのかを聞かれたなら、「気付いたときにどこから紛れたのか考えてみたのだけれども、わからなかった」との趣旨を回答していたはずである。この点に関する被告西岡の一連の言い訳はあまりにも不自然極まりない。これらの事情から考えれば、被告西岡創作部分については、被告西岡自身による疑問の余地のない「捏造」である。
このように被告西岡は、ハンギョレ新聞の原文にない文章を勝手に捏造して創作し、他方で金学順が慰安婦にされた経緯での重要な出来事である日本軍による武力による奪還についてはこれを黙殺して隠していた。その上で、原告に対して「捏造」記者だと悪罵を投げ付けているのである。

以上のとおり、金学順の証言に関して「捏造」すなわち意図的な改ざんをしていたのは、実は、原告ではなく、被告西岡自身であった。被告西岡は原告を捏造記者扱いするために、自分の方こそが捏造していたのである。こうした被告西岡の不法行為の態様は極めて悪質であって、到底許容できないものである。
この点は、被告西岡に対する賠償額を算定するにあたって考慮されるべき重大な事実である。


原告最終準備書面p109~113全文

被告文藝春秋の悪質性

■週刊文春はこれまでも同種の事件を起こしている
被告文藝春秋が発行する週刊文春は、これまでも特定の個人等を「疑惑」という形で攻撃する手法をとり、報道の対象とされた人物の名誉を毀損し、被告文藝春秋の報道により報道被害を被った被害者・事件は枚挙に暇がなく、被告文藝春秋は、数多くの名誉毀損裁判において敗訴判決を受けている。特に「大分・聖嶽遺跡捏造疑惑報道事件」においては、聖嶽洞穴遺跡発掘を「捏造」と印象づける記事を記載し、発掘時の調査団長である賀川光夫・元別府大学学長を自殺にまで追い込む報道被害を生じさせている(甲45、41頁)。

■被告文藝春秋は以前から原告を狙い撃ちにする意図を持っていた
被告西岡の本人尋問によれば、1992年2月頃、被告西岡が梁順任※注に会いに行ったきっかけをつくったのも被告文藝春秋であった(被告西岡本人調書12頁・13行目以降)。被告文藝春秋は、1992年からすでに原告をターゲットと定めていたわけであり、折に触れて原告及び朝日新聞社による慰安婦問題を記事にしてきた。<※注=韓国の太平洋戦争犠牲者遺族会幹部で植村隆氏の義母>
つまり、被告文藝春秋は、本件一連の記事を公表する以前から原告を狙い撃ちにする意図を持っていた。

■本件でも被告文藝春秋は当初から原告を狙い撃ちにする意図を持っていた
本件文春記事についても、竹中証人※注が証言するとおり、すべて週刊文春編集部デスクの指示によって取材が開始され、紙面に掲載されたものである(竹中証言調書7頁・下から5行目、同16頁・7行目、同26頁・下から5行目)。<※注=週刊文春の記事を書いた竹中明洋氏。第13回口頭弁論に証人として出廷した>
原告を捏造記者呼ばわりした文春記事Aでは、原告及び朝日新聞を攻撃する側の被告西岡や秦郁彦、読売新聞記事の引用等はされているが、中立的な立場に立つ識者のコメントは一切掲載されていない。また、被告文藝春秋が朝日新聞社に送った質問状に対して、朝日新聞社が回答を送ってきたにもかかわらず結果として掲載されなかった(竹中証人調書19頁・下から9行目)。
また、被告文藝春秋の竹中証人が神戸松蔭女子学院大学に送った質問メール(乙9)の記載(「この記事(植村記者の記事)をめぐっては現在までにさまざまな研究者やメディアによって重大な誤り、あるいは意図的な捏造があり、日本の国際的イメージを大きく損なったとの指摘が重ねて提起されています」「採用にあたってこのような事情を考慮されたのでしょうか」)を見れば、被告文藝春秋は当初から原告の記事を「捏造」と決めつけ、そのことを根拠に大学教授としての適性を問題にすることを目的としていたことが明らかである。2014年8月1日に竹中記者が北星学園大学に送った質問状(甲27)の文言(「重大な誤りがあったのではないかとの指摘が各方面からなされています」「大学教員との適性には問題がないとお考えでしょうか」)を見ても、被告文藝春秋は当初から原告の記事を「捏造」と決めつけていたことがうかがえるのである。
さらに、竹中証人が文春記事Aを書き上げたのが2014年1月28日火曜日の朝であったところ(竹中証人調書17頁・4行目以降)、当時の新谷学編集長は日曜日の夜に中吊り広告をつくって中吊り広告のタイトルは月曜日の夜に最終決定していたわけであるから(甲156・23頁)、「“慰安婦捏造”朝日新聞記者がお嬢様女子大学教授に」(文春記事A記載①)とのタイトルは、竹中証人が文春記事Aを書き上げて編集部デスクに提出する前にできあがっていたのである。つまり、文春記事Aは、記事が執筆される前から、原告を捏造記者呼ばわりして原告を揶揄する内容にすることを目的としていたことが明らかとなったのである。

■文春記事A公表後、北星学園大学にも抗議が殺到するで
あろうことを知りつつ、あえて文春記事Bを掲載した
さらに竹中証人及び被告文藝春秋は、文春記事Aによって神戸松蔭女子学院大学に抗議が殺到し原告の同校への教授就任がなくなったことを認識しながら(竹中証人調書19頁・下から1行目以降、同22頁1行目以降)、あえて「慰安婦火付け役 朝日新聞記者は お嬢様女子大 クビで北の大地へ」とタイトルを付けた文春記事Bを掲載し、北星学園大学の学校名を実名で掲載した。このことは、少なくとも被告文藝春秋が、北星学園大学へ抗議が殺到することを予見しながら文春記事Bを掲載した証左である。

■小括
以上からすれば、被告文藝春秋は当初より原告を狙い撃ちにする記事を企画し、文春記事A公表により神戸松蔭女子学院大学に抗議が殺到したのだから、北星学園大学にも抗議が殺到するであろうことを知りつつ、あえて文春記事Bを掲載したものであり、その不法行為の態様は極めて悪質である。
損害賠償額を算定するにあたり、この点を考慮すべきである。

--------------------- 第1回 了 ---------------------

次回以降の内容
19日▼第2回 東京判決の注目点2
被告西岡の主張の「真実性」と「相当性」の検討
「植村氏は金学順さんが述べていない経歴を付加して記事を書いた」とする点について

20日▼第3回 東京判決の注目点3
被告西岡の主張の「真実性」と「相当性」の検討
「植村氏は金学順さんが述べた重要な経歴に関する事実を書かなかった」とする点について

21日▼第4回 東京判決の注目点4
被告西岡の主張の「真実性」と「相当性」の検討
「植村氏が悪しき動機に基いて記事を書いた」とする点について

22日▼第5回 東京判決の注目点5
原告植村隆氏の最終意見陳述(2018年11月28日)
断たれた夢/激しいバッシングの中で/裁判官の皆様へ