2016年9月2日金曜日

韓国紙インタビュー

8月下旬に韓国に戻った植村さんが、韓国の有力紙「ハンギョレ」のインタビューで、大学での講義のことを語り、慰安婦問題をめぐる日韓合意と少女像のあり方について意見を述べています。9月2日付の同紙コラム「チャム(隙間)」の訳文を掲載します。
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「ハンギョレ」201692付コラム<チャム(隙間)>

<前文>
「韓日の政治指導者たちの慰安婦問題に対する認識のレベルが、過去に比べてむしろ後退していると思う。日本政府は誠実ではなかったし、韓国政府は性急すぎた」
31日、京畿道富川市のカトリック大学でインタビューした植村隆(写真)カトリック大客員教授は「1228韓日合意」について低い点数をつけた。彼は「20余年前、慰安婦動員過程の強制性を認めた『河野談話』より後退した合意」だと評価した。
富川/イ・ジェウク記者

<本文>
彼は「朝日新聞」記者時代の1991811日、故金学順さんの「慰安婦被害実態」に関する記事を書いた。この記事は、保守的な儒教文化のために「性奴隷」被害を受けても生涯隠し通さねばならなかった韓国に住む慰安婦被害者の存在を明らかにした初めての報道だった。その3日後、金さんは記者会見を通じて初めて名乗り出た。

植村教授は「1228合意がなされたにもかかわらず、日本政府は慰安婦被害者に直接謝罪しなかった。韓国政府もこれに目をつぶった。しかし、当事者が抜けた合意は問題を解決するどころか、より難しくしている」と指摘した。

3月に富川のカトリック大ELP学部客員教授として韓国に来た植村教授が行っている講義は「東アジアの平和と文化」。1982年に朝日新聞社に入社し20143月まで30年余り記者として勤めた。ソウル特派員、中東特派員、北京特派員などを務めた。神戸松蔭女子学院大学の専任教授に内定していたが、20141月、『週刊文春』が「“慰安婦捏造”朝日新聞記者がお嬢様女子大教授に」と題する記事を書いたことで、日本の右翼による集中的なバッシングが始まった。彼らの圧力によって、大学側は結果的に雇用契約を取り消した。

彼が非常勤講師を務めていた北海道の北星学園大学にまで右翼の攻撃が及んだが、これに反対する日本の知識人たちが会を結成し再契約に成功した。北星学園大とカトリック大は交流関係にある。

彼は(カトリック)大学で、韓国の慰安婦の証言記事で右翼の無差別バッシングを受けている自らの話、31独立運動と518(光州)民主化運動など韓国の近現代史を題材に平和と人権について考える講義を行っている。
「平和や人権は自らが作るもので、誰かが作ってくれるものではないと思う。生きる過程で常にこのことについて悩み、動いてこそ、より平和な社会、人権が広がる社会を作れるといった趣旨の講義です」

本や印刷物が散らかっている彼の研究室の机の片側には、詩人・尹東柱の詩集『空と風と星と詩』が置かれていた。「尹東柱が好きだ。彼の詩の世界自体が独立と平和を語っている。だから、尹東柱の詩も授業内容に取り入れている」と説明した。

1228合意を通じて韓日両国は「最終的かつ不可逆的」解決のためのボタンをかけたと評したが、韓国内の慰安婦問題はまだ解決していない。
「慰安婦問題は単純に1回の合意で解決できるものではない。ドイツの首相はホロコーストについて繰り返し謝罪している。慰安婦問題は金と約束の問題ではなく、真心と反省の問題だからだ。日本政府は河野談話を継承して謝罪し、記憶の継承作業を通じて日本人の心の中に少女像が刻まれるように努めるべきだ」

植村教授は、韓国政府に対しても「世論調査の内容を見ると、少女像撤去反対の声の方が多い。韓国政府が慰安婦問題を性急に決着しようとして、むしろ新たな軋轢を呼び起こしていると思う」と語った。「両国の市民らが慰安婦問題をきちんと理解し、まず和解・協力する方法で問題を解決する必要がある」と付け加えた。


植村教授は現在、不当な論理で誹謗した『週刊文春』と右翼人士の西岡力・東京基督教大学教授らを相手に損害賠償訴訟を係争中だ。裁判の準備でしばしば日本と韓国を行き来しし、やるべきことも多い。それでも彼が韓国に来た理由は明らかだ。「両国学生の和解のための窓口になりたい」


<記事の中見出し>
「『慰安婦被害者』が抜けた韓日合意でむしろ軋轢は深まった」
「慰安婦証言」を初めて報じた日本の言論人、植村隆教授
1991年 金学順さんの証言を初めて報道
2年前、右翼マスコミ「捏造記事」攻撃
カトリック大客員、「東アジアの平和」講義
「両国学生の和解結びたい」
1228韓日合意」20年前より後退
「日本政府、誠実と反省だけが解決方法」