2018年2月17日土曜日

植村さんの尋問感想

金学順さんの勇気を伝えた記者の勇気ある証言

裁判報告集会で、植村隆さんは証人尋問の様子を報告し、次のように感想を語った。

喜多さんの証人尋問を、文字通り手に汗握って聞いていました。
「なぜあなたは裁判で証言しようと思ったのか」と聴かれた喜多さんは、こう答えました。
「ほとんど同じ時期に同じ記事を書き、植村さんはねつ造記者と言われている。そうではない、と言いたいためだ」
植村はねつ造記者ではない。その言葉が裁判長に伝わっていました。

この二つの記事のコピーを見て下さい。僕の記事は小さいコピーだけど、喜多さんの記事は大きい。今日の法廷で喜多さんは、自分の記事の方が価値が高いと述べましたが、その通りです。
私が取材した(1991年8月)10日、本人(金学順さん)はまだ名乗り出る気持ちはなく、私は会えなかった。でも韓国挺身隊問題協議会の共同代表、尹貞玉氏の調査結果と、テープの証言の内容が一致していた。これは意に反して連れていかれたということで書いたわけです。4日後に金学順さんは記者会見しましたが、喜多さんはその前に単独インタビューしました。それがコピーの大きさにつながっているのです。
photo by 南 真臣

一番大事なのは、名乗り出た金学順さんの勇気です。その証言を聞いて、たくさんの元慰安婦の人達が被害体験を話し始めた、そして慰安婦問題が始まっていくのです。当時韓国では、慰安婦だった被害者にもかかわらず、そのことをしゃべれなかった。喜多さんはそんな時に、金学順さんのカミングアウトを報じたのです。

喜多さんは今回の証言の前に韓国へ調査に行かれましたが、勇気をもってあの時名乗り出た金学順さんに「あんたもしゃべらなければだめだ」と言われた気がしたそうです。法廷での証言は本当に堂々としていました。
喜多さんの勇気ある証言を聞き、裁判所に向かう時に見上げた青空のような心境です。3月23日は、いよいよ本人尋問です。櫻井さんも来ます。私の証言をつぶそうと激しく来ると思います。ますます準備して負けないようにしたい。
今日はありがとうございます。闘いはこれからも続きます。お力をお貸しください。