2020年2月8日土曜日

判決批判の道新社説

北海道新聞の社説(2月8日)が、櫻井氏よしこ氏を再び免責した札幌控訴審判決に疑問を投げかけています。
櫻井氏の杜撰な取材手法は控訴審の大きな争点でした。ところが判決は「本人への取材や確認を必ずしも必要としない」としました。この点について社説は、「気がかり」だといい、「捏造の有無においては、本人の認識が大切な要素だ」「取材の申し込みもしなかった記事が、取材を尽くしたといえるか疑問が残る」と批判しています。
全体に抑えた調子の社説ですが、ここではズバリと切り込んでいます。また、文末の結語では「可能な限り取材や調査を尽くすのが筋だ。とりわけ報道機関には高い意識が求められる。常に省察したい」とも述べています。「報道機関」を「ジャーナリスト櫻井よしこ氏」に置き換えて読めば、判決批判=櫻井批判であることがわかりますね。

慰安婦報道判決 取材尽くす責任は重い

■北海道新聞社説 2月8日、道新WEBより引用

従軍慰安婦報道を巡り、雑誌などの批判記事で名誉を傷つけられたとして、元朝日新聞記者が、出版社やジャーナリストに損害賠償などを求めた訴訟で、原告敗訴の判決が札幌高裁で言い渡された。
気がかりなのは、批判記事の内容をジャーナリストが真実であると信じた「相当性」について、「資料などから十分に推認できる場合は、本人への取材や確認を必ずしも必要としない」とした点だ。
記事は、内容によっては、書かれる人物の社会的評価を低下させる可能性があるものだ。
それゆえに、公共性や報じる目的としての公益性のほか、記事の内容の真実性または真実と信じるに足る相当の理由が求められる。
インターネットの普及で、誰もが手軽に情報を発信し、記事の提供や意見の表明を行うことが可能となった。その結果、人格権が侵害されるリスクも高まっている。
記事や情報の発信にあたっては、その内容を丁寧に調べ、取材や確認を尽くすという基本動作を改めて肝に銘じる機会としたい。
裁判は、元朝日新聞記者の植村隆氏が、真実を隠して捏造(ねつぞう)記事を報じたと断定されたとして、ジャーナリストの桜井よしこ氏と出版社3社に損害賠償と謝罪広告掲載などを求めて提訴した。
一審の札幌地裁判決は、社会的評価の低下を認め、批判記事の一部については真実性を認めなかったが、桜井氏が批判記事の内容を真実と信じるに足る相当性はあったとして植村氏の請求を退けた。
一審判断を支持した控訴審の判決で、注目したいのは真実相当性で重要となる取材の尽くし方だ。
札幌高裁は「推論の基礎となる資料が十分にあったため、本人への直接の取材が不可欠だったとはいえない」と判断。
 「桜井氏は(植村氏)本人に取材しておらず、植村氏が捏造したと信じたことに相当な理由があるとは認められない」とする植村氏側の主張を退けた。
捏造の有無においては、本人の認識が大切な要素だ。取材の申し込みもしなかった記事が、取材を尽くしたといえるか疑問が残る。
一方で、名誉侵害に対する責任を追及するあまり、言論の自由が損なわれることも望ましくない。
論評や批判は健全な言論空間を構成する上で重要だ。民主主義の根幹をなすものと言っていい。
そこには責任も伴う。可能な限り取材や調査を尽くすのが筋だ。とりわけ報道機関には高い意識が求められる。常に省察したい。