2020年2月2日日曜日

裁判官に最後の訴え

すべて裁判官は、その良心に従ひ独立してその職権を行ひ、この憲法及び法律のみに拘束される(憲法第76条3項)


植村氏は控訴審の口頭弁論で毎回、意見陳述を行いました。その内容は、新たに提出した証拠や意見書の意味を説明し、さらに自身の受けた物心両面での損害の大きさを訴えた上で、櫻井氏の誤った言説と杜撰な取材に「真実相当性」を認めた一審判決を批判するものでした。その陳述は、正面の一段高い席に座って法廷を見下ろしている冨田一彦裁判長ら3人の裁判官に向けられた訴えでした。植村氏は毎回、陳述の締めくくりに同じように、こう言っています。「これまでの証拠や新しい証拠を検討していただき、歴史の検証に耐えうる公正な判決を出していただきたい」。裁判官はこの願いに真摯に答える責務を負っています。「すべて裁判官は、その良心に従ひ独立してその職権を行ひ、この憲法及び法律にのみ拘束される。」(憲法第76条3項)。この条文を心に刻みつつ、判決に向き合おうと思う。

※以下は、3回の意見陳述の中段から結語に至る部分の原文再録です。日付表記は2019年当時。「昨年」とある日付は「2018年」を指します(下線部)。

■第1回口頭弁論                                         
私は、1991年8月の記事で、慰安婦としての被害を訴えた金学順さんの思いを伝えただけです。櫻井さんには、言論の自由があります。しかし、私の記事を「捏造」と断罪するからには、確かな取材と確かな証拠集めが必要です。櫻井さんは、そのいずれも怠っています。朝日新聞や私への取材もありませんでした。そして、事実に基づかない形で、私を誹謗中傷していることが、札幌地裁の審理を通じて明らかになりました。

WiLL』2014年4月号の記事がその典型です。金さんの訴状に書いていない「継父によって40円で売られた」とか「継父によって・・・慰安婦にさせられた」という話で、あたかも金さんが人身売買で慰安婦にされたかのように書き、私に対し、「継父によって人身売買されたという重要な点を報じなかった」「真実を隠して捏造記事を報じた」として、「捏造」記者のレッテルを貼りました。「捏造」の根拠とした『月刊宝石』や『ハンギョレ新聞』の引用でも都合のいい部分だけを抜き出し、金さんが日本軍に強制連行されたという結論の部分は無視していました。
しかし、櫻井さんは、私の指摘を無視できず、札幌地裁の尋問で訴状の引用の間違いを認めました。そして、『WiLL』と産経新聞で訂正を出すまでに追い込まれました。

北海道新聞のソウル特派員だった喜多義憲さんは1991年、私の記事が出た4日後、私と同じように「挺身隊」という言葉を使って、私とほぼ同じ内容の記事を書きました。喜多さん自身が直接、金学順さんに取材した結果、私と同じような記事を書いた、ということは、私の記事が「捏造」ではない、という何よりの証拠ではないでしょうか。その喜多さんは、昨年2月に札幌地裁で証人として、出廷し、櫻井さんが私だけを「捏造」したと決め付けた言説について、「言い掛かり」との認識を示しました。そして、喜多さんは、こう証言しました。
「植村さんと僕はほとんど同じ時期に同じような記事を書いておりました。それで、片方は捏造したと言われ、私は捏造記者と非難する人から見れば不問に付されているような、そういう気持ちで、やっぱりそういう状況を見れば、違うよと言うのが人間であり、ジャーナリストであるという思いが強くいたしました」

記事を書いた当時、喜多さんは私と面識はありませんでした。しかも、喜多さんは私の記事を読んでもいなかったといいます。私はライバル紙の記者から、「無罪」の判決を受けたのです。ジャーナリズムの世界では、それは大きな「無罪」証明でした。

しかし、昨年11月の札幌地裁判決では、櫻井さんの間違いの訂正や、喜多さんの証言は、全く採用されず、私は敗訴しました。判決は、唯一の証人だった喜多さんの証言を全く無視していたのです。判決では櫻井さんの人身売買説を真実であるとは認定しませんでした。しかし、櫻井さんが、私の記事を「捏造」だと信じたことには、相当の理由があると判断し、櫻井さんを免責したのです。この理屈でいけば、裏づけ取材をしなくても「捏造」と思い込むだけで、「捏造」と断じることが許され、名誉毀損には問えないことになります。あまりに公正さを欠く、歴史に残る不当判決だと思います。
札幌高等裁判所におかれては、これまでの証拠や新しい証拠を検討していただき、歴史の検証に耐えうる公正な判決を出していただきたいと願っております。
(2019年4月25日)
                          
■第2回口頭弁論
私は札幌高裁の審理と判断に希望をつないでいます。証拠と事実に基づいて判断していただけるという裁判に対する信頼を失っていないからです。
札幌高裁には、櫻井よしこさんに関する新証拠を提出しました。『週刊時事』という雑誌の1992年7月18日号です。ここに、櫻井さんは日本軍慰安婦に関する文章を書いていました。前の年の1991年12月、金学順さんら3人の韓国人元慰安婦が日本政府に謝罪と補償を求めて東京地裁に提訴したことについて、取り上げていました。
 「東京地方裁判所には、元従軍慰安婦だったという韓国人女性らが、補償を求めて訴えを起こした。強制的に旧日本軍に徴用されたという彼女らの生々しい訴えは、人間としても同性としても、心からの同情なしには聞けないものだ」。

櫻井さんは金学順さんらについて「強制的に旧日本軍に徴用された」と書いていたのです。徴用とは国家権力による強制的な動員を意味します。まさに、強制連行のことです。櫻井さんは、雑誌が出た1992年当時は、金学順さんら3人の元慰安婦の主張を、「強制的に旧日本軍に徴用された」と認識していたのです。
櫻井さんは2014年以来、金学順さんについて「人身売買されて慰安婦になった。植村はそれを隠して強制連行と書いた」という趣旨の主張をし、1991年8月の私の記事を「捏造」だと繰り返し断定しましたが、実際は櫻井さん自身が、「強制連行」と同義の表現を使っていたのです。それも私の記事の出た約11カ月後、『週刊時事』に書いていたのです。自分自身が、強制連行と書いていたのに、それを隠して、私を攻撃するとは、ジャーナリストとして、あまりにアンフェアです。それは、公正な言論ではありません。これは新証拠として、札幌高等裁判所に提出すべきだと考えました。一審の裁判長が知らなかった事実なのです。

櫻井さんには、言論の自由があります。しかし、私の記事を「捏造」と断罪するからには、確かな取材と確かな証拠集めが必要です。今回、元毎日新聞記者の山田寿彦さんの陳述書を提出しました。山田さんは2000年11月の「旧石器発掘ねつ造」スクープの取材班のキャップでした。その陳述書では、はっきりとこう書いています。捏造が「故意」を含むことから、断定して書くには、捏造をした「蓋然性の高い客観的事実」の取材に加え、当事者の認識の確認が不可欠だったと。山田さんらは、石器を埋める自作自演の決定的な瞬間をビデオ撮影で押さえた後、「取材の常道」として、本人の言い分を聞く取材もしています。

櫻井さんは私の記事を「捏造」と断定する直接的な証拠を何一つ示せていないのに、私に一切取材せず、金学順さんら元慰安婦に誰一人会いもせず、韓国挺身隊問題対策協議会にも、私の義母にも取材していません。今回、意見書を提出した憲法学者の志田陽子先生は、「捏造」をしたかどうかの核心部分は本人への直接取材が求められると指摘し、それをしていない櫻井さんは「真実相当性」が証明できていないと断じています。
私は櫻井さんから「標的」にされたのだと思います。当時、「挺身隊」という言葉を使ったのは、私だけではありません。北海道新聞の喜多さんを始め、金学順さんについて報じた読売新聞や東亜日報など日韓の記者達も書いています。金学順さん自身が、挺身隊だと言い、強制的に連行されたことを語っているのです。当時の産経新聞や読売新聞も「強制連行」という表現を使っています。しかし、私だけが「標的」にされ、すさまじいバッシングに巻き込まれました。
私は捏造記者ではありません。

この「植村捏造バッシング」は、私だけをバッシングしているのではありません。歴史に向き合おう、真実を伝えようというジャーナリズムの原点をバッシングしているのではないかと考えています。真実を伝えた記者が、「標的」になるような時代を、一刻も早く終わらせて欲しい。私の被害を司法の場で救済していただきたいと思います。札幌高裁におかれては、これまでの証拠や新しい証拠を検討していただき、歴史の検証に耐えうる公正な判決を出していただきたいと願っております。
(2019年7月2日)

■第3回口頭弁論
櫻井さんが「植村捏造バッシング」を始めて5年が過ぎました。私は、法廷の中だけでなく、様々な言論活動で、「捏造記者」でないことを訴えてきました。『週刊金曜日』に呼ばれ、発行人になったのも、私が「捏造記者」ではないということが、一部の言論の世界では理解されている証拠だと思います。『週刊金曜日』に通うために首都圏に小さな部屋を構えました。しかし、表札に名前を書くことができません。怖くて、表札に名前を出せないのです。バッシングの激しい時期には、私の自宅の様子や電話番号などがインターネットにさらされました。当時、出張先の神戸の駅で、見知らぬ大きな男からいきなり、「植村隆か。売国奴」と言われて、震え上がったことがあります。いまだに殺害予告の恐怖は続いているのです。

私は、1991年8月の記事で、慰安婦としての被害を訴えた金学順さんの思いを伝えただけです。櫻井さんには、言論の自由があります。しかし、私の記事を「捏造」と断罪するからには、確かな取材と確かな証拠集めが必要です。櫻井さんは、そのいずれも怠っています。朝日新聞や私への取材もありませんでした。そして、事実に基づかない形で、私を誹謗中傷していることが、札幌地裁の審理を通じて明らかになりました。
WiLL』2014年4月号の記事がその典型です。金さんの訴状に書いていない「継父によって40円で売られた」とか「継父によって・・・慰安婦にさせられた」という話で、あたかも金さんが人身売買で慰安婦にされたかのように書き、私に対し、「継父によって人身売買されたという重要な点を報じなかった」「真実を隠して捏造記事を報じた」として、「捏造」記者のレッテルを貼りました。「捏造」の根拠とした『月刊宝石』や『ハンギョレ新聞』の引用でも都合のいい部分だけを抜き出し、金さんが日本軍に強制連行されたという結論の部分は無視していました。しかし、櫻井さんは、私の指摘を無視できず、札幌地裁の尋問で訴状の引用の間違いを認めました。そして、『WiLL』と産経新聞で訂正を出すまでに追い込まれました。
北海道新聞のソウル特派員だった喜多義憲さんは1991年、私の記事が出た4日後、私と同じように「挺身隊」という言葉を使って、私とほぼ同じ内容の記事を書きました。喜多さん自身が直接、金学順さんに取材した結果、私と同じような記事を書いた、ということは、私の記事が「捏造」ではない、という何よりの証拠ではないでしょうか。その喜多さんは、昨年2月に札幌地裁で証人として、出廷し、櫻井さんが私だけを「捏造」したと決め付けた言説について、「言い掛かり」との認識を示しました。そして、喜多さんは、こう証言しました。
「植村さんと僕はほとんど同じ時期に同じような記事を書いておりました。それで、片方は捏造したと言われ、私は捏造記者と非難する人から見れば不問に付されているような、そういう気持ちで、やっぱりそういう状況を見れば、違うよと言うのが人間であり、ジャーナリストであるという思いが強くいたしました」

記事を書いた当時、喜多さんは私と面識はありませんでした。しかも、喜多さんは私の記事を読んでもいなかったといいます。私はライバル紙の記者から、「無罪」の判決を受けたのです。ジャーナリズムの世界では、それは大きな「無罪」証明でした。

しかし、昨年11月の札幌地裁判決では、櫻井さんの間違いの訂正や、喜多さんの証言は、全く採用されず、私は敗訴しました。判決は、唯一の証人だった喜多さんの証言を全く無視していたのです。判決では櫻井さんの人身売買説を真実であるとは認定しませんでした。しかし、櫻井さんが、私の記事を「捏造」だと信じたことには、相当の理由があると判断し、櫻井さんを免責したのです。この理屈でいけば、裏づけ取材をしなくても「捏造」と思い込むだけで、「捏造」と断じることが許され、名誉毀損には問えないことになります。あまりに公正さを欠く、歴史に残る不当判決だと思います。
札幌高等裁判所におかれては、これまでの証拠や新しい証拠を検討していただき、歴史の検証に耐えうる公正な判決を出していただきたいと願っております。
(2019年10月10日)