2020年2月7日金曜日

真冬日の控訴審判決

写真上段=降りしきる雪の中、裁判所に向かう植村氏と弁護団
中段左=判決後に掲げた幟、右=判決後に開かれた記者会見
下段左=約100人が参加した報告集会、右=挨拶する植村氏

■冷たく素っ気ない裁判長の読み上げ
2月6日、札幌高裁802号法廷。正面向かって左手には植村氏と植村側弁護士27人が3列に着席した。右手には櫻井氏側の5人の弁護士。櫻井氏の姿はなく、主任の高池勝彦弁護士も欠席した。定員74人の傍聴席は満員となった。傍聴券抽選に並んだ人は105人だった。開廷前に2分間の報道用の法廷撮影があり、定刻午後2時半に冨田一彦裁判長が判決を読み上げた。
「本件各控訴をいずれも棄却する」「訴訟費用は控訴人の負担とする」
たった2行の、冷たく素っ気ない判決だ。法廷は静まり返っている。冨田裁判長はつづけて、「理由骨子」を読み上げた。

「当裁判所は原審札幌地方裁判所と同じく、本件各櫻井論文の記述中には控訴人の社会的評価を低下させるものがあるが、その摘示されている事実または意見ないし論評の前提とされている事実は、真実であると証明されているか、事実の重要な部分を真実と信ずるについて相当な理由があると認められ、被控訴人櫻井による論評ないし意見が控訴人に対する人身攻撃に及ぶなど、意見ないし論評の域を逸脱しているとまではいうことができないと判断した。また被控訴人櫻井は本件各櫻井論文を執筆し掲載したことについては公共の利害に関する事実に関わり、かつ専ら公益を図る目的があるということができるから、本件各櫻井論文の執筆及び掲載によって控訴人の社会的評価が低下したとしても、その違法性は阻却され、また故意または過失も否定されると判断した」

■法廷に響いた怒声「許されない」
やや早口の読み上げは1分足らずで終わった。一審判決をなぞって追認しただけの判決だ。十分な裏付け取材を求めた数多くの判例や新しい証拠などを挙げて植村氏が控訴審で主張したことには、全くふれていない。裁判長は「詳細は判決文で」と述べて、2時32分閉廷。退廷する3人の裁判官の背に向かって、「許されない」と男性の太い怒声が飛んだ。※判決文は別稿で一部収録

この日の朝、今季初めての大雪が札幌に積もった。一夜で積雪43センチ。街路樹が白一色に雪化粧し、前日まで路面が乾いていた車道も真っ白になった。
判決から15分後、裁判所前の歩道で「不当判決」の幟を福田亘洋弁護士が掲げ、まわりに20人の支援者、市民が並んだ。韓国から訪れたウセンモ(植村氏を考える会)のメンバーも横断幕を掲げ、声を上げた。
気温氷点下6度。最高気温がプラスにならない真冬日が続いている。すぐ前の大通公園では2日前から雪まつりが始まっている。そのざわめきが伝わってくるが、裁判所前の空気は凍りついたままだった。

記者会見が午後4時から、裁判所近くで開かれた。植村弁護団は記者会見が始まる前に、上告の意向を固めていた。植村氏は判決の不当な点を3つに絞って具体的に説明し、上告審へ向けての決意を語った。弁護団からは小野寺信勝事務局長、共同代表の伊藤誠一、秀嶋ゆかり弁護士が発言し、記者の質問に答えた。※植村氏の発言はこの記事末に収録

午後6時半から札幌駅近くのエルプラザで判決報告集会が開かれた。大雪の中、会場の3階ホールには約100人が集まった。植村氏と弁護団の報告、ジャーナリスト安田浩一氏と新聞労連委員長・南彰氏、映像作家・西嶋真司氏のトーク、韓国から訪れたウセンモのあいさつ、ピアニスト崔善愛さんの渾身のピアノ演奏と盛りだくさんのプログラムが進行した。集会の最後に、弁護団共同代表の伊藤誠一弁護士と、支える会共同代表の上田文雄氏(前札幌市長)が、上告審でも闘い抜こうと訴え、支援を求めた。 ※集会詳報は後日掲載します


これは、フェイクニュースを野放しにする判決だ

【記者会見 植村隆氏の全発言

これは不当判決であり絶対に容認することはできません。札幌地裁の不当判決では真実相当性のハードルを地面まで下げて櫻井氏を免責しました。高裁の審理では過去の判例9件を示して、地裁判決の認定の杜撰さを批判しました。裏付け取材のない記事に真実相当性を認めることはできない、これは判例の基本です。しかし、札幌高裁は札幌地裁と同様の認定をしました。

この判決文の18ページにこんな言葉が出ています。「本件においては、推論の基礎となる資料が十分あると評価できるから、事実確認のため、控訴人植村本人に対する取材を経なければ、相当性が認められないとはいえない」。たった3行ではありますが、これはきわめて恐ろしい判決です。つまり、これでは、本人に取材しないで「捏造」などと断定することが自由になる、ということです。
さまざまな資料があったとしてしても、その捏造が推察されることがあったとしても、捏造というのは事実でないことをでっちあげるわけですね、新聞記者にとってこれは死刑判決です。死刑判決を出すときに本人に取材しない、取材しようとする努力をしない、にもかかわらず、そして杜撰な資料だけでそう断定して、それを裁判所が推論の基礎となる十分な資料があると評価できる、といったら、何でも言えてしまいます。
これは非常に恐ろしい判決です。このような認定では、取材もせずにウソの報道ができるようになります。司法がフェイクニュース、しかも捏造というフェイクニュースを野放しにすることができる。

■唯一の証人、喜多氏の証言を黙殺した判決だ
札幌地裁では元道新記者の喜多義憲さんが証人になってくれました。喜多さんは1991年8月、私の記事が出た3日後に金学順さん本人に単独取材して、私と同じように挺身隊という言葉を使って、私とほぼ同じ内容の記事を書きました。喜多さんは、櫻井氏が私だけが捏造したと決めつけた言説について「言いがかり」という認識を示し、こう証言しました。「植村さんとぼくはほとんど同じ時期に同じような記事を書いて、片方は捏造だと批判され、私の方は、捏造と批判するような人からみれば不問に付されているような気持ち、そういう状況を見ればですね、やはり、違うよ、と言うのが人間でありジャーナリストであるという気が、思いが強くいたしました」という言葉です。

私は地裁の審理の中で、この他社、ライバル社の、取材協力もしたことがなく、当時私の記事を読んだことすらなかった喜多さんが、こういう証言をした時に、私はジャーナリストとして、真実を書いたんだ、間違っていなかった、捏造していない、ということが証明されたと思いました。少なくともジャーナリズムの世界では証明されたことになると思います。しかし、この高等裁判所では、地裁唯一の証人である証言が全く言及されていない、その点でも私は、この判決は不当判決だと思います。

■櫻井氏の言説の転変にも全く言及しない判決
高裁では新しい証拠も提出しました。櫻井氏は1992年に「週刊時事」という雑誌のコラムで、金学順さんら元慰安婦が日本政府を訴えたことについて「強制的に徴用された彼女らの生々しい訴え」と書いています。つまり、彼女たちが強制的連れて行かれたということを認めていた。そして、その後、櫻井氏は98年から私の記事を誤報と表現し、2014年にはついに捏造記事と言っているのです。しかし、この間、何らかの新しい取材、新しい証拠は出ていません。にもかかわらず、主張が転変しております。これはきわめておかしなことです。しかし高裁はこうした転変を指摘した我々の証拠、我々が証明したことに一切言及しておりません。

判決書はたった20ページです。しかも高裁自身の判断を示したのは10~20ページのたった10ページです。これはとても薄い判決です。我々の出した証拠や主張を一切無視したので、これだけ短いものになったのだろう。この不当判決にめげずに、上告して最高裁に判断を委ねたいと思います。最高裁で逆転をめざしたいと思います。正義を法廷で実現させるためにもこれからがんばりたいと思います。

写真=石井一弘(すべて、2月6日撮影)