2020年2月10日月曜日

櫻井免責のトリック


櫻井コラムを「事実摘示」ではなく「論評」だと判断。金学順さんの証言を「脚色と誇張が介在する」と疑問視。日本軍の強制関与は「消極的事実」ではあるが三段論法で「核となる事実」ではないと断言。「単なる慰安婦」名乗り出報道は「価値が半減」とも断言! ――控訴審判決、櫻井免責の強引な理屈を検証する


札幌控訴審の今回の判決は、「強制連行」や「慰安婦」の定義を捻じ曲げているうえ、櫻井氏のずさんな「取材」を不問にするため強引な理屈で「真実相当性」を認めています。判決文には「慰安婦」にされた女性への蔑視をあらわにしたような表現もあって裁判官の人権感覚も疑われるほどです。以下、判決文に沿って検討します。

■櫻井コラムは「事実の摘示ではない」?
判決は、「義母の訴訟を支援する目的と言われても弁明できない」、「意図的な虚偽報道だと言われても仕方がない」と書いていた櫻井氏のコラムの記述を「事実と断定しているのではなく、論評である」と判断しています。(判決文p10~12)
しかし、こうした櫻井コラムの読者が、植村さんは「義母の訴訟を支援する目的」で「意図的な虚偽報道」をした、と思い込まされたからこそ「植村バッシング」は始まったのではないでしょうか。櫻井コラムの内容が「事実ではない」と読者が思っていたというなら、なぜ植村さんやその家族、北星学園大学に「殺す」「爆破する」という脅迫が殺到したのでしょうか。櫻井氏も単なる論評としてではなく「事実のつもり」で書いたからこそ「植村氏に教壇に立つ資格はない」とまで攻撃したのではないでしょうか。
櫻井氏の論拠は①ハンギョレ新聞記事 ②金学順さんの訴状 ③月刊『宝石』の臼杵敬子論文の3点でした。しかし①のハンギョレ新聞の元記者と③の臼杵敬子さんはともに「慰安婦の被害を伝えようとしたのに、櫻井氏は内容を曲解して逆に使われた」と陳述書で批判しています。②の金学順さんの訴状には、そもそも櫻井氏が書いたような記述がなかったことが訴訟で明らかになって訂正に追い込まれています(産経新聞と雑誌WiLL)。
判決はこうした経緯にいっさい触れることなく、櫻井氏が書いた内容が真実ではなくても真実と信じたことに相当の事情があったという「真実相当性」を認めています(p13~18)。

慰安婦被害は「脚色・誇張」?
判決は金学順さんの供述について、こう総括しています。
「植村は、金学順氏が日本軍人により強制的に慰安婦にされたと読み取るのが自然であると主張する。しかし、上記の各資料は、金学順氏の述べる出来事が一致しておらず、脚色・誇張が介在している事が疑われる(p14)

1991年8月に韓国で初めて「慰安婦」として名乗り出た金学順さんは、殺到する取材陣に翻弄されながら半世紀以上も前の辛い体験を思い起こしていたのです。記憶違いもあれば、言いよどんだ部分もあるでしょう。ようやく口を開いた被害者の語りに対して、この裁判官はまず「脚色・誇張が介在している」と疑っているのです。「名乗り出た性犯罪の被害者へのセカンドレイプ」は、最近も伊藤詩織さん事件などで問題になっています。これが2020年の日本の裁判所の人権感覚なのでしょうか。

「日本軍人の強制」は「消極的事実」?
 判決は、金学順さんが「慰安婦」にされた経緯について以下のように認定しています。

「検番の義父あるいは養父に連れられ、真の事情を説明されないまま、平壌から中国又は満州の日本軍人あるいは中国人のところへ行き、着いたときには日本軍人の慰安婦にならざるを得ない立場に立たされていた
日本軍人による強制の要素は、金学順氏を慰安婦にしようとしていた義父あるいは養父から金学順氏を奪ったという点にとどまっている。」
「日本軍が金学順氏をその居住地から連行して慰安婦にしたという意味で、日本軍が強制的に金学順氏を慰安婦にしたのではなく、金学順氏を慰安婦にすることにより日本軍人から金銭を得ようとした検番の継父にだまされて慰安婦になったと読み取ることが可能である」(p14) 
だから、櫻井氏が「上記の通り信じたことについては、相当性が認められる」としているのです。

金学順さんが一貫して述べていたのは、「私は日本軍に武力で奪われた」という点です。養父あるは義父に連れられて中国に行ったにしても、「慰安婦にならざるを得なくなった」のは「日本軍人に武力で奪われた」からなのです。そうでなければ金学順さんは名乗り出ることもなかったし、日本政府を相手取って訴訟を起こすはずもなかったでしょう。

驚いたことに、判決は「日本軍人が金学順さんを奪った」と認めています
この点は櫻井氏が決して認めてこなかった点です。
「日本軍人が金学順さんを武力で奪った」という事実は、①のハンギョレ新聞、②の訴状、③の臼杵論文とも明記されています。しかし、櫻井氏は「慰安婦は人身売買の犠牲者」と繰り返すだけで「日本軍人が金学順さんを奪った」という点は認めてこなかったのです。①②③を論拠にしながら、「日本軍の関与」に関する記述はいっさい無視していたのが櫻井氏だったのです。

「日本軍人が金学順さんを奪った」と認定するならば、金学順さんが語っていた通りに記事を書いた植村さんの訴えが認められるはずです。それなのに、どうして結論が逆になっているのでしょうか? 
金学順さんが「日本軍人に奪われた」という事実と「日本軍人に強制的に慰安婦にさせられた」こととを切り離すため、判決は奇妙な三段論法を持ち出します。

①「義父あるいは養父」は金学順さんを最初から慰安婦にするつもりだった
②だから、金学順さんは中国に着いた時点で「慰安婦にならざるを得ない立場だった」
③だから、日本軍人が金学順さんを奪っても「消極的事実」であって「核となる事実」ではない。

つまり、どのみち「慰安婦」にされる立場の女性だったのだから「日本軍人に奪われた」ことは記事の中核にすべき価値はない、という見解です。義父または養父が「最初から金学順さんを慰安婦にするつもりだった」のだから、日本軍が軍刀で脅して連行しようが、密室にカギをかけて監禁してレイプしようが、それは「核となる事実」ではない、と判決は断言しているのです。

この三段論法には、安倍政権が進めてきた「慰安婦は強制連行ではない」という歴史の書き換え、櫻井氏や西岡力氏の「慰安婦=人身売買の被害者説」のトリックが凝縮されています。
まず、「強制連行」の定義を、安倍首相の国会答弁にならって「その居住地から連行して慰安婦にすること」と非常に狭く限定します。そして、日本軍が金学順さんを「奪って」いることは認めても、先に強引に狭く限定した定義をひいて「日本軍による強制連行ではない」と決めつけているのです。
「消極的」と言おうが、「居住地」であろうが戦地であろうが、泣き叫ぶ少女を無理やり「奪って」、軍のトラックに載せて監禁してレイプしていたのは日本軍人だった、と判決は認定していることになります。これは普通の言葉で「強制連行」であり、普通の裁判では「監禁罪」や「レイプ」という犯罪ではないでしょうか。

養父が「最初から慰安婦にしようとしていた」という点も、それを裏付ける記事も資料も存在していないのです。櫻井氏もそうした証拠を提出していません。金学順さんに歌や踊りなどの芸妓(キーセン)としての教育を受けさせたことは確かです。しかし、「慰安婦にしようとしていた」と断定する根拠はどこにあるのでしょうか。当時の芸妓(キーセン)は誇り高い花形職業だった、と金学順さんは繰り返しています。この判決は「芸妓(キーセン)=売春婦」という間違った思い込み、偏見に基づいているのです。 

■「単なる慰安婦」は報道価値が半減?
「慰安婦」問題の報道価値についても、判決は驚くべき判断を下しています。
植村記事に先立って朝日新聞が「吉田証言」を掲載していたことを指摘して、「その一人がやっと具体的に名乗り出たというのであれば日本の戦争責任に関わる報道として価値が高い反面、単なる慰安婦が名乗り出たにすぎないというのであれば、報道価値が半減する」と断言します。

「単なる慰安婦」とは、どういう人を指すのでしょうか? 「日本の戦争責任と関わる報道」でない「単なる慰安婦」報道とは、どんな記事でしょうか? 日本人であれ、韓国人であれ、オランダ人であれ、慰安婦とは、軍隊によって組織的に監禁、監視されてレイプされ続けた被害者のことです。
判決は、「単なる慰安婦」と「女子挺身隊の名のもとに戦場に連行された慰安婦」との報道価値を区別して、植村記事がその報道価値を誇張するために「女子挺身隊の名のもとに」という前書きを使ったかのように書いています。
しかし、どんな呼び方であれ、どの国籍であれ、声を上げる被害者がいれば、それを記事にするのがジャーナリズムです。それを91年8月に実践したのが植村記事でした。
それとは対照的に、櫻井よしこ氏は、慰安婦の方の話を一人として聞かず、植村さん含めて当事者への取材を一切していないのです。それは「慰安婦」にされた人たちの実態を伝えることが「ジャーナリスト」櫻井氏の目的ではなかったからでしょう。日本政府や日本人が「被害者」であることを強調して戦争被害者に対する責任逃れを正当化するために、植村記事を「ねつ造」と言い張ってきたのです。その稚拙でずさんな手口が次々に明らかにされてきたのが植村訴訟の法廷です。

text by 水野孝昭(神田外語大教授、東京訴訟支援チーム、元朝日新聞記者)