2020年2月7日金曜日

控訴審判決(抄録)


櫻井氏の責任を不問にする理由はほんとうにあるのだろうか? 免責の根拠となる「真実相当性」を札幌高裁はどう判断したのだろうか?  判決文をいくら読んでも、すっきりした答えは得られない。
札幌控訴審の判決文の[事実及び理由]の構成は次のようになっている。p数字は掲載ページ

第1 控訴の趣旨 p1
第2 事案の概要 p2~p9
第3 当裁判所の判断 p9~p19
1 まえがきと補正
2 控訴人植村の主張に対する判断
(1)事実の摘示、(2)真実相当性(p12-18)、(3)意見ないし論評の域、(4)事実の公共性、(5)目的の公益性、(6)その他、(7)まとめ
第4 結論 p19~20

このうち、最も大きな争点となった「真実相当性」についての裁判所の判断部分は、第3の2の(2)。項目としては最も長文ではあるが、控訴審での植村氏の追加主張や新たに提出した証拠への検討は一切加えておらず、一審判決の認定の再検討にとどまっていることがわかる。当該部分を原文のまま以下に収録する。


()被控訴人櫻井が摘示された事実又は意見ないし論評の前提とされた事実が真実であると信じたことについて相当の理由がないとの主張について

ア 控訴人植村は,被控訴人櫻井が,「控訴人植村が,金学順氏が継父によって人身売買され慰安婦にさせられた経緯を知りながら,敢えてこれを報じなかった」と信じたこと,「控訴人植村が,敢えて慰安婦とは何の関係もない女子挺身隊とを結び付け,金学順氏が女子挺身隊の名で日本軍によって戦場に強制連行され,日本軍人相手に売春行為を強いられた朝鮮人従 軍慰安婦であると報じた」と信じたこと,「控訴人植村が事実と異なる本件記事Aを敢えて執筆した」と信じたことについて,いずれも相当の理由は認められないと主張する。            

イ 被控訴人櫻井は,本件各論文を執筆するに当たり,資料として,平成3年8月15日付けハンギョレ新聞,平成3年訴訟の訴状及び臼杵論文を参照した(原判決第3の2(1)ケ(ウ))。そして、金学順氏が慰安婦になった経緯について,上記ハンギョレ新聞は,金学順氏の共同記者会見の内容として,「生活が苦しくなった母親によって14歳の時に平壌にあったキーセンの検番に売られていった。3年間の検番生活を終えた金さんが初めての就職だと思って,検番の義父に連れられていった所が(中略)華北のチョルベキジンの日本軍300名余りがいる小部隊の前だった。私を連れて行った義父も当時,日本軍人にカネももらえず武力で私をそのまま奪われたようでした。」と報じており(原判決第3の21)ウ(エ)),平成3年訴訟の訴状には,原告の一人である金学順氏について言及した部分として,「そこへ行けば金儲けができると説得され(中略)養父に連れられで中国へ渡った。(中略)「鉄壁鎮」へは夜着いた。小さな部落だった。養父とはそこで別れた。金学順らは中国人の家に将校に案内され,部屋に入れられ鍵を掛けられた。そのとき初めて「しまった」と思った。」との記載があり(同エ(ア)),臼杵論文には,「17歳のとき,養父は稼ぎに行くぞと,私の同僚のエミ子を連れて汽車に乗ったのです。着いたところは満州のどこかの駅でした。サーベルを下げた日本人将校二人と三人の部下が待っていて,・・・(後略)」との記載がある(同カ)。上記ハンギョレ新聞は,金学順氏か慰安婦であったとして名乗り出た直後に自身の体験を率直かつ具体的に述べ,これを報道したもの,平成3年訴訟の訴状は,訴訟代理人弁護士が金学順氏に対し事情聴取をして作成したもの,臼杵論文は,臼杵敬子が金学順氏に面談して作成したものと考えられ,それぞれ一定の信用性があるということができる。これらの記載の内容を総合考慮すると,被控訴人横井が,これらの資料から,金学順氏が女子挺身勤労令の規定する女子挺身隊として日本軍に強制連行されて慰安婦になったのではなく,金学順氏を慰安婦にすることにより,日本軍人から金銭を得ようとした検番の継父にだまされて慰安婦になったと信じたことについて相当な理由が認められる。
 この点について,控訴人植村は,上記の各資料からは,金学順氏が日本軍人により強制的に慰安婦にさせられたと読み取るのが自然であると主張する。しかし,上記の各資料は,金学順氏の述べる出来事が一致しておらず,脚色・誇張が介在していることが疑われるが,検番の義父あるいは養父に連れられ,真の事情を説明されないまま,平壌から中国又は満州の日本軍人あるいは中国人のところに行き,着いたときには,日本軍人の慰安婦にならざるを得ない立場に立たされていたという趣旨ではおおむね共通しており,上記ハンギョレ新聞・臼杵論文からうかがえる日本軍人による強制の要素は,金学順氏を慰安婦にしようとしていた義父あるいは養父から金学順氏を奪ったという点にとどまっている。そうであれば,核となる事実として,日本軍が金学順氏をその居住地から連行して慰安婦にしたという意味で,日本軍が強制的に金学順氏を慰安婦にしたのではなく、金学順氏を慰安婦にすることにより日本軍人から金銭を得ようとした検番の継父にだまされて慰安婦になったと読み取ること,すなわち,いわば日本軍の関与に関わる消極的事実を読み取ることが可能である。被控訴人櫻井が上記の各資料に基づき上記のとおり信じたことについては,相当性が認められるというべきである。

ウ 平成3年当時に「女子挺身隊」又は「挺身隊」の語は,慰安婦の意味で用いられる場合と,女子挺身勤労令の規定する女子挺身隊の意味で用いられる場合があったというべきであり,一義的に慰安婦の意味に用いられていたとは認められない。また,「女子挺身隊」又は「挺身隊」の語について,女子挺身勤労令の規定する女子挺身隊の意味で用いることが特別なことであったとも認められない。
 そして,本件記事Aが日本国内の読者に向けた報道であることに加え,本件記事Aが掲載された朝日新聞は,昭和57年以降,吉田を強制連行の指揮に当たった動員部長と紹介して朝鮮人女性を狩り出し,女子挺身隊の名で戦場に送り出したとの吉田の供述を繰り返し掲載していたし,他の報道機関も朝鮮人女性を女子挺身隊として強制的に徴用していたと報じていた。その一人がやっと具体的に名乗り出たというのであれば(それまでに具体的に確認できた者があったとは認められない[弁論の全趣旨]。),日本の戦争責任に関わる報道として価値が高い反面,単なる慰安婦が名乗り出たにすぎないというのであれば,報道価値が半減する。「体験をひた隠しにしてきた彼女らの重い口が,戦後半世紀近くたって,やつと開き始めた。」との記述等に照らすと,本件記事Aについて,一般読者の普通の注意と読み方を基準として解釈すれば,「女子挺身隊」として強制的に徴用された慰安婦が具体的に名乗り出たと読むことは相当である。
 そうすると,被控訴人櫻井が,本件記事Aにおける「女子挺身隊」の語を女子挺身勤労令の規定する女子挺身隊の意味に解し,女子挺身勤労令の規定する女子挺身隊の名や慰安婦にされたとは述べていなかった金学順氏について,控訴人植村が女子挺身勤労令の規定する女子挺身隊と慰安婦とを関連付けたと信じたことには相当性が認められるというべきである。
この点について,控訴人植村は,韓国では,「女子挺身隊」又は「挺身隊」の語は,慰安婦の意味で用いられることが一般であることや,日本国内でも慰安婦の意味で用いられていたことを理由に,本件記事Aが関係のない女子挺身隊と慰安婦とを結び付けるものではないと主張するが,上記判断を左右しない。

エ 本件記事Aにおける金学順氏の述べた内容は,控訴人植村がテープに録音された金学順氏の話を元に記載されたものである。本件記事Aには,「女性の話によると,中国東北部で生まれ,17歳の時,だまされて慰安婦にされた」との記載があり,この記載からすれば,控訴人植村が聞いた録音テープにおいて,金学順氏がだまされて慰安婦にされた旨を語っていたことが推認される。これに加えて,本件記事Aの数日後に行われた金学順氏の記者会見の内容を報じる平成3年8月15日付けハンギョレ新聞に「検番の義父」に連れられて日本軍の小部隊に行き,慰安婦にさせられた旨の記載があることからすれば,被控訴人櫻井が,金学順氏が検番の継父にだまされて慰安婦にさせられたと信じたこと,さらに,控訴人植村が金学順氏が話した内容と異なる内容(金学順氏が女子挺身隊の名で日本軍に連行されたとの内容)の本件記事Aを執筆したと信じたことについては相当性が認められる。
 控訴人植村は,本件記事Aには「検番の継父」との記載がないことから,被控訴人櫻井が,金学順氏が検番の継父にだまされて慰安婦にさせられたと信じたことには相当性が認められないと主張するが,上記ハンギョレ新聞の報道も併せて読めば,被控訴人櫻井が上記のとおり信じたことの相当性は左右されないというべきである。

オ 控訴人植村は,金学順氏が日本軍人による強制連行の被害を供述していたこと,平成3年当時,金学順氏が白本軍人によって強制連行された旨の報道が多数なされていたこと,被控訴人櫻井自身も平成4年当時,金学順氏が日本軍に強制連行されたとの認識を有し,その旨のコラムを掲載したり,テレビ番組で発言したりしていたとして,これらの事情を前提にすると,被控訴人櫻井は,金学順氏に聴き取りをするなどの取材をするべきであったと主張する。また,控訴人植村の主観的事情,すなわち,事実と異なることを知りながら記事を執筆したという点については,控訴人植村本人に取材すべきであったと主張する。
 しかし,金学順氏は,自ら体験した過去の事実(慰安婦となった経緯)について,櫻井論文執筆時点に比べ,より記憶が鮮明であったというべき過去の時点において,多数の供述を残している。すなわち,金学順氏は,平成3年8月14日の共同記者会見の当初から,検番の継父にだまされて連れて行かれた先で慰安婦にさせられた旨を繰り返し述べており,このことは,同月15日付けのハンギョレ新聞や平成3年訴訟の訴状からも明らかである。これらから,前記イのとおり,日本軍の関与に関わる消極的事実を読み取ることが可能である。これらの資料の閲読に加えて,更に平成3年当時の金学順氏が述べた慰安婦にさせられた経緯について,改めて取材や調査をすべきであったとはいえない。また,控訴人植村の主観的事情(記事執筆時点での認識)について,これまでに判示したところによれば、被控訴人櫻井は,本件記事Aについて,一般読者の普通の注意と読み方を基準として解釈(具体的には,本件記事Aの「女子挺身隊の名で連行された」との部分について,金学順氏が第二次世界大戦下における女子挺身勤労令で規定された「女子挺身隊」として戦場に強制的に動員されたと解釈)した上,多数の公刊物等の資料に基づき,合理的に推論できる事実関係(具体的には,金学順氏が挺対協の聞き取りにおける録音で「検番の継父」にだまされて慰安婦にさせられたと語っており,原告がその録音を聞いて金学順氏が慰安婦にさせられた経緯を知ったこと)に照らして,判断の上,櫻井論文に記載したということができる。前者(記事の趣旨)について,執筆者である控訴人植村本人に確認することを相当性の条件とすることは,記事が客観的な存在になっていることを考慮すると,相当ではない。一般読者の普通の注意と読み方を基準として解釈すれば十分というべきである。後者(記事執筆時点での事実認識)について,本件においては,推論の基礎となる資料が十分あると評価できるから、事実確認のため,控訴人植村本人への取材を経なければ,相当性が認められないとはいぇない。また,実際上,控訴人植村本人に対する取材について,被控訴人櫻井と同様に本件記事Aの問題点を指摘していた西岡に対し,控訴人植村が回答していなかったことからすれば,被控訴人櫻井において,別途取材の申込みをすべきであったとはいえない。
 したがって、この点に関する控訴人植村の主張は認められない。