2019年3月30日土曜日

3月20日東京集会

植村裁判報告集会は3月20日、東京・日比谷公園内の図書文化館で開かれた。平日午後2時からの開催にもかかわらず会場(同館地下1階小ホール)には130人ほどの市民、支援者らが集まり、弁護団報告と、対談などに耳を傾けていた。

この日に予定されていた東京訴訟判決は延期となり、弁論もなかった。集会では最初に、東京訴訟の判決延期の背景にある裁判所の異例な対応について弁護団から詳しい説明があり、さらに、4月25日に始まる札幌訴訟控訴審についての報告があった。対談では、青木理氏(ジャーナリスト)と中島岳志氏(東京工業大教授)が「植村裁判をめぐる日本社会の底流」を1時間、語り合った。この後、植村氏の近況報告、映像ドキュメント「標的」短縮版の上映、訴訟費用カンパの呼びかけがあり、集会は午後4時15分に終わった。

対談「植村裁判をめぐる日本社会の底流

東京工大教授中島岳志氏  ジャーナリスト青木理

青木、中島両氏とも、植村バッシングとそれに続く植村裁判には、早い時期からかかわってきた。青木氏は2014年12月に、植村氏と朝日新聞関係者へのロングインタビューをもとにした『抵抗の拠点から――朝日新聞「慰安婦報道」の核心』(講談社)を出版した。中島氏は北海道大に勤務していた当時、植村氏と北星学園大への脅迫や攻撃を間近にし、植村氏と北星を守る運動の先頭で積極的に発言してきた。戦中戦後の論壇と社会の動向を主な研究テーマとし、昨年8月には『保守と大東亜戦争』(集英社新書)を出版した。
この日の対談で両氏は、植村バッシングとの関わりを振り返ったあと、①植村氏が書いた記事と吉田清治証言記事の社会的影響、②植村氏と朝日新聞だけが標的にされた理由、③日本社会のバックラッシュ(反動、逆流)と自民党政治との関係、④植村裁判が問うことの意味、について意見を交わした。
以下は主な発言の要約。
■植村記事と吉田証言の社会的影響
青木:植村さんの記事は飛び跳ねた記事ではない。各社同じように、産経にも読売にも出ている。当時植村さんがいた大阪は私の初任地だった。大阪の空気はよくわかっている。それが23、4年たって、あたかもとんでもない遺物のように扱われるようになってしまった。時代の風潮がものすごい勢いで逆回りしている中で、たまたまとばっちりを受ける立場に植村さんが立たされたのではないか。メディア対権力という議論もあるが、植村さんはとばっちり、それだけのこと。支援している人がいることに敬意を持ちつつ、時代状況がおかしくなっていることの象徴だととらえている。
中島:慰安婦報道で大きな影響を与えたという意味では、北海道新聞の2つの記事の方が大きい。金学順さんを初めて実名で独占インタビューした喜多義憲特派員の記事(1991年8月15日付)と、吉田清治証言を報じた記事(同年11月22日付)だ。とくに吉田証言の記事には、「アフリカの黒人奴隷のように朝鮮人を狩り出した」という個所があり、これが韓国メディアに大きく取り上げられた。朝日新聞の吉田証言記事が国際社会に影響を与えたと右派は言うが、実証主義的にはそうはいえない。吉田証言は偽証だった、というところから飛躍と拡大で慰安婦問題はなかったという議論が横行するようになった。
■植村氏と朝日新聞だけが標的にされた理由
青木:朝日新聞の慰安婦報道で唯一問題があったのは、吉田証言記事だ。吉田証言は虚偽ではあったが、裏付けをきちんととらなかった。ただ、「首相や官房長官が『辺野古に赤土は入れていない』と語った」と書いても、(事実は虚偽でも)誤報ではないように、吉田清治が言っていることを書いたのだから誤報ではない、という見方もある。朝日新聞が批判されるべきは、歴史修正主義勢力に対して意固地になって、訂正、軌道修正が遅れたことだ。朝日は自分たちの新聞が一番なのだという意識が強い。だから、象徴としてたたかれるというふうになった。
中島:植村さんの記事が世論をリードしたとは言えない。吉田証言の記事を植村さんは1本も書いていない。朝日新聞が火をつけたわけでもない。二重の意味で関係がないのに、朝日新聞をたたくという政治運動があって、朝日が標的とされた。植村さんは朝日の記者だから、朝日をバッシングすることで象徴的な何かを獲得しようとし、標的にされた。
■90年以降のバックラッシュと自民党政治
中島「重要なポイントは1980年代にある。それまでの保守派論客は青春期に体験した戦争がいやでしょうがなかった、すべて戦争に反対していた。そのような戦中派保守が退場し、世代交代すると、戦後教育の中で歴史を学んだ反発として、戦争には意義があったと言い始めた。幼少期の戦争体験がかなり違っていて、大東亜戦争は植民地の解放戦争という考えを押し出すようになった。80年代のそういう動きの中で育ってきたものが90年代に開花した。その先端にいるのが、いまの首相、安倍晋三氏だ。
青木:80年代から90年代にかけてバックラッシュは起きていたが、2002年の小泉訪朝時の日朝首脳会談でそれが公然化した。戦争責任を問われる「加害者」だった日本が、拉致問題が契機となって、戦後初めて「被害者」の立場になり、鬱積していたものが出てきて、いまの首相の地位を上げていった。
中島:3年前の総選挙の時、吉祥寺での街頭演説でヤジを浴びた安倍氏は、「私は小さい時にお母さんに人の話はよく聞きなさいと言われましたよ」と反論していたという。お母さんの話を持ち出す政治家はあまりいない。安部氏はそういう幼児期の体験が土台となって大きなマグマの中に入っていたということだろう。
青木:安倍氏が初当選して衆院議員になった1993年7月の総選挙で自民党は負けて、自民党は下野した。だから安部氏は野党議員としてスタートした。彼は神戸製鋼の社員時代は上司に忠実に従う子犬のような存在だったが、オオカミの仲間の中で右派のプリンスとして育てられ、オオカミになった。
■植村裁判が問うこと
青木:誤報をしたことのない新聞記者などいない。もしいたとしたら、よほどのウソつきか、まったく仕事をしなかったかだろう。そういうときにどうふるまうべきか、メディアはどうあるべきか、こういう時代だからこそ、後の歴史家にあの時何をしていたの、と笑われないようにがんばらなければならない。
中島:植村裁判は時代の大きなマグマの典型だ。私たちは後の歴史家から検証される舞台に立たされている。この流れを許してしまっていいのか。私たちの子や孫に、あの時どうしていたのか、何と言ったのか、と問われる時が必ず来ると思う。

この対談の詳しい内容は、「週刊金曜日」が掲載する予定です(掲載号発行日は未定)


弁護団報告要約


穂積剛弁護士◆東京訴訟「裁判官忌避」について
原克也裁判長ら3裁判官の審理には「公正な裁判が妨げられる事情」がある、として忌避申し立て手続きを進めている。東京に先がけて出された札幌訴訟の判決は、櫻井よしこを免責する理由の中で吉田清治証言を使っている。裁判所はそれを東京訴訟でも使おうとして、弁論再開までして被告側に新証拠を出させようとしたのではないかと、弁護団は疑っている。忌避には十分な理由がある。忌避の主な理由は次の4点だ。
①すでに結審し、判決言い渡しが迫っているのに、弁論を再開したことはきわめて異例だ。結審後の弁論再開が認められるのは、当事者(原告と被告)が、判決に重大な影響を及ぼす証拠を提出したいと申し入れ、裁判所が認めた場合が通常である
②今回は当事者からの申し出ではなく、裁判所から被告側に要請して新証拠を提出させた。これは、民事訴訟の基本的な大原則である「弁論主義」に反する。裁判所は当事者が提出した証拠事実のみを基礎としなければならない
③その新証拠は、「慰安婦報道に関する朝日新聞社第三者委員会報告書の全文」である。しかし、その要約版はすでに被告側が証拠提出している。また、植村側も、植村記事にかかわる部分の抜粋は証拠提出している
④裁判所はなぜこのようなことをするのか。新証拠「第三者委員会報告書全文」の重要なテーマである「吉田清治証言」の経緯や影響は、東京訴訟の弁論では原告、被告側双方とも争点にすることなく結審した。それなのに、あえて新証拠として採用するのは、報告書全文のうち当事者が提出した植村記事関連部分以外の個所に被告側に有利と思われる部分があり、それを材料として判決を導き出すため、と疑わざるを得ない
東京高裁への抗告は3月28日却下された。弁護団は同日、最高裁に特別抗告状を提出した。

小野寺信勝弁護士◆札幌訴訟「控訴審開始」について
控訴理由書は1月10日に提出した。総ページ数は100を超える。さらに控訴理由補充書を2通用意している。控訴理由のポイントはふたつある。
①櫻井を免責した札幌地裁の「真実相当性」の判断は、これまで最高裁が積み上げてきた判断の枠組みから大きく外れている。「真実だと信じるにやむを得ない事情」の「やむを得ない事情」を認めるには高いハードルがある。真実相当性を認めなかった代表的な判例としては、警察がリークした事件が冤罪だった事案や、やロス疑惑報道の名誉毀損などがある。ところが札幌地裁判決は、ハードルを軽々と越えてしまった。
②櫻井の慰安婦についての表現が大きく変遷していることが、その後の調べでわかった。櫻井は1992年に「週刊時事」コラムで「強制徴用された従軍慰安婦」などと書き、慰安婦問題に同情的だった。「強制連行」は否定していなかった。92年というのは、植村さんが金学順についての記事を書いた翌年だ。櫻井はその後、「強制連行」に否定的になり、2014年には植村記事を「捏造」と決めつけるまでになった。しかし、櫻井はこの変遷の理由をはっきり説明していない。札幌地裁判決は、櫻井の「真実相当性」の根拠として韓国紙ハンギョレの記事などの資料をあげているが、これらは92年当時に櫻井が読んでいたものである。同じ資料をもとに「強制連行」について真逆のことを言っていることになり、「真実相当性」が崩れることになる。
札幌訴訟と高裁とのかかわりでいうと、地裁の裁判が始まる前、櫻井側が申し立てた東京への移送を地裁が認めたが、その決定を高裁は逆転却下した。また、地裁判決は櫻井の名誉毀損表現の多くを「論評・意見」ではなく「事実の摘示」と認定しており、この点でも「真実相当性」で免責するためのハードルは高くなっている。これらは、控訴審での好材料だと思う。
秀嶋ゆかり弁護士◆札幌訴訟「控訴審開始」について
地裁判決には、従軍慰安婦を「公娼制度の下での売春婦」と認定する記述がある。裁判官のこのような歴史認識と人権感覚の欠落を、控訴理由補充書では厳しく批判している。また、「捏造」決めつけにより植村氏が大学での教育研究者の道を閉ざされたことは重大な人権侵害だ、との主張を盛り込んだ憲法学者の意見書も準備している。高裁の審理は1回では結審させない、という考えで進める。
控訴理由補充書2通は、3月22日に提出されている



植村隆さんの話

私は吉田清治さんを取材したこともないし記事を書いたこともない。その吉田証言が亡霊のように出てきた。結審したらもう証拠は出せないのに裁判所は吉田証言を証拠に出させ、それ使って判決を書くのではないか。
私はいまも、巨大な敵と闘っている。私のほかにも、攻撃を受けている人がいる。根っこでは、戦争中の人権侵害の記憶を抹殺しようというテロリズム、記憶を継承しようという作業に対するテロリズムが起きている。裁判の勝訴をめざし、そのような時代の風潮とも闘っていく。


映像ドキュメンタリー「標的」

植村さんがたたかいの様々な場面で発する言葉を、植村さんの豊かな表情とともに記録したヒューマンドキュメンタリー。映像ジャーナリスト西嶋真司さん(元RKB毎日放送ディレクター)が集会、記者会見、自宅などで植村さんに密着して制作を続けている。集会では12分に短縮された試作版が初めて公開された。

訴訟費用カンパ呼びかけ

札幌控訴審開始を機に新たに設立された組織「植村隆名誉回復裁判を応援する会」の発起人、植田英隆氏(グリーン九条の世話人、札幌市)が集会で、訴訟費用支援のカンパへの参加を呼びかけた。同会の発起人には、上田文雄(前札幌市長)、木村真司(札幌医大教授)、早苗麻子(精神科医)、鶴田昌嘉(北海道画廊代表)、ノーマ・フィールド(シカゴ大名誉教授)各氏が名を連ねている。
カンパは1口1000円以上、何口でも可。
受付口座=ゆうちょ銀行振替口座 02760-0-101987 
(他行からの振り込みは、ゆうちょ銀行279店、当座預金0101987)
口座名義=植村応援隊
事務局=makenaiuemura3@gmail.com