2018年9月10日月曜日

西岡氏の主張揺らぐ

update  2018/9/12 20:30
update  2018/9/10 13:15
update  2018/9/10 12:30

東京訴訟・西岡尋問 続報

これこそが「捏造」ではないか!

重要な証拠記事の改ざんを認める

 

慰安婦記事を「捏造」したと攻撃された元朝日新聞記者の植村隆さん(60)が名誉回復を求めている訴訟の本人尋問が95日、東京地裁で開かれ、被告の西岡力氏(元東京基督教大学教授)が初めて証言した。西岡氏は「捏造」と決めつけた根拠として元慰安婦の訴状と韓国紙の記事を証拠にあげていたが、そのいずれも引用を誤り、記事には原文にない文章を加えていたことを認めた。「捏造」という西岡氏の主張は、法廷に提出された証拠によって大きく揺らいだ。

植村さんは1991年に韓国で初めて元慰安婦として名乗り出た金学順さんについて記事を書いた。それらの記事について、西岡氏は①「女子挺身隊の名で戦場に連行され」という本人が述べていない経歴を加えた②本人が述べた「親に40円でキーセンに売られた」という経歴を書かなかった、などを理由に「ねつ造」と主張。論拠として、同年8月の韓国紙ハンギョレ新聞の記事や同12月に日本政府を提訴した際の訴状で、金さん本人が「親に身売りされて慰安婦になった」と述べていると指摘していた。

西岡氏は2014年2月6日号の『週刊文春』に掲載された「”慰安婦捏造“朝日新聞記者」という見出しの記事にコメントを寄せた。その中で、植村さんの記事について、金さんが「親に身売りされて慰安婦になった」ことを知りながら、「そうした事実に触れずに、強制連行があったかのように記事を書いており、捏造記事と言っても過言ではありません」と断言した。この記事がきっかけで、植村さんが同年4月から赴任するはずだった女子大に250通もの抗議メールや電話が殺到。再就職をあきらめざるを得ない立場に追い込まれた。

西岡氏は、植村さんの義母が日本政府を訴えた韓国の団体の幹部だったことも指摘して、「義母の裁判を有利にするために、紙面を使って意図的にウソを書いた」とも主張。そのため、植村さんとその家族はネット上に顔写真や住所などを公開され、「殺す」などと脅迫が相次ぎ、高校生の娘に警察の警護がつく事態になった。その攻撃がピークに達していた141023日号の『週刊文春』で、櫻井よしこ氏と対談して「被害者ぶるのはお止めなさい」と追い打ちをかけた。植村さんは結局、日本の大学では転職先が見つからず、現在は韓国の大学に客員で勤めている。

ところが法廷の尋問で、金さんの訴状にも、韓国紙の記事にも、西岡氏が書いたような記述はないことが明らかになった。それどころか、金さんの記者会見を報じた韓国各紙によると、金さんは自らを「挺身隊」だったと話していた。また、会見を伝えたニュース映像で、本人が「強制的に引っ張っていかれた」と述べていたことが確認された。

訴状に「親に40円でキーセンに売られた」という記載がなかったことについて、西岡氏は「記憶違いだった」と認め、訂正について「裁判が終わってから必要があれば考える」と述べた。

もうひとつの論拠だったハンギョレ新聞についても、「私は四〇円で売られて、キーセンの修業を何年かして、その後、日本の軍隊のあるところに行きました」という核心となる部分の記述が、元の記事にはないことが明らかになった。

西岡氏は「間違いです」と認めたが、「なぜ付け加えたのですか?」「どこからこの文章を持ってきたのですか?」という弁護団の追及には、「覚えていないです」「確認していなかった」と小声で繰り返すばかりで、詳しい説明を避けた。
 
このハンギョレ新聞の西岡訳は、主著『よくわかる慰安婦問題』や雑誌『正論』などで「捏造」の証拠として繰り返し引用されてきたものだ。西岡氏は、その翻訳に際して「捏造」説に都合のよい文章を自分で挿入していた、と法廷ではっきり認めたのだ。傍聴席もどよめいた。

ハンギョレ新聞の記事は後半で、金さんの言葉として「私を連れて行った義父も当時、日本軍人にカネをもらえず武力で私をそのまま奪われたようでした」と報じている。だが、西岡氏はこの部分は一度として引用していない。

つまり、記事の翻訳に元の記事に書いていない文章を挿入する一方で、元の記事が書いていた「強制連行の被害者としての証言」の部分は無視してきたわけだ。

植村さんが提訴した後も、西岡氏は、「(金さん)本人が話していた貧困のため母親にキーセンとして置屋に売られ、置屋の主人に日本軍慰安所に連れていかれたという重大な事実を書かなかった」として、植村さんの「捏造」を非難している(「私を訴えた植村隆・元朝日新聞記者へ」『正論』15年3月号)。
しかし法廷で明らかになったように、「キーセン置屋の主人に日本軍慰安所に連れていかれた」とは、金さんは一度も語ったことがないのだ。西岡氏が法廷に提出した証拠でも、金さんは「姉さんと私は別の軍人たちに連行されました」「養父は将校たちに刀で脅され、土下座させられたあと、どこかに連れ去られてしまったのです」と明言している。

本人が語った「日本軍に連行された」という証言は無視して、本人が言ってない「親に四十円でキーセンの置屋に身売りされた」「置屋の主人に日本軍慰安所に連れていかれた」という経歴を書き加えてきたのが西岡力氏である。これこそ「捏造」ではないだろうか。

「義母から便宜をうけて記事を書いた」という主張も、当時のソウル支局長が植村さんとの電話で情報を提供して「取材にこないか」と誘ったことが立証されている。

植村さんと西岡氏のどちらが「捏造」したのか、その問いに対する答えが浮き彫りになった法廷のドラマだった。              

text by 水野孝昭(神田外語大学教授、朝日新聞OB)



2018年9月6日木曜日

速報!西岡力氏尋問

update:2018/9/6  13:10pm

東京第13回口頭弁論】札幌に次ぎ東京でも劇的展


西岡氏、重要な誤りと証言改変を認める

重要部分を削除し、引用には他記述を付加!

280分にわたる本人・証人尋問

次回11月28日に結審



大詰めの植村裁判最終盤。東京の法廷では劇的な展開があった。
東京訴訟の第13回口頭弁論は9月5日、東京地裁で開かれ、原告植村隆氏(元朝日新聞記者)と被告西岡力氏(元東京基督教大学教授)、証人の竹中明洋氏(元週刊文春契約記者)に対する人証調べ(本人および証人の尋問)が行われた。午前10時30分に始まった尋問は、竹中、植村、西岡氏の順に行われ、午後5時過ぎ終了した。


■裁判の核心にかかわる重大事態
西岡氏は、自身の記述に重要な誤りがあることを認め、韓国人元慰安婦・金学順さんの証言の重要な部分を削除したり、韓国紙の引用としてもとの記事にない記述を付け加えたりして「捏造」決めつけの根拠としたことも認めた。いずれも、この裁判の核心にかかわる重大な事態である。先の札幌訴訟・櫻井尋問と同じように、「捏造」決めつけの根拠は完全に崩壊した。植村氏への「名誉毀損」攻撃の違法性は法廷で明白になった。もはや西岡、櫻井両氏の抗弁は成立しないことを、両氏が認めたということである。

尋問後に今後の進行について意見交換と裁判官合議があり、植村弁護団が求めていた2人の証人尋問は不採用となった。このため、次回で審理は終了することになった。次回第14回口頭弁論は11月28日(水)午後2時から同法廷で開かれる。

この日の東京は、前日に関西を直撃した台風21号の余波の強風が吹いたが、初秋の強い日差しの下、最高気温は34度となり、きびしい残暑の1日となった。
裁判所が103号法廷に用意した傍聴席は94席。抽選予定の午前10時10分までに整列した人は84人だった。定員にわずかに満たなかったため抽選は行われず、全員が入廷できた。

午前10時27分、原克也裁判長と2人の裁判官が法廷に入った。弁護団席は植村氏側が14人、西岡氏側は2人が座っている。植村氏側には、中山武敏(団長)、宇都宮健児、黒岩哲彦弁護士や、札幌弁護団の渡辺達生、大賀浩一弁護士の姿もあり、午後には札幌から秀嶋ゆかり、小野寺信勝両弁護士も加わった。
「少し早いですが始めます」と原裁判長が宣言し、証拠に関する弁論手続きを終えて本人尋問が始まった。法廷全体に緊張した空気が張りりつめる中、本人尋問は淡々と進んだ。尋問内容を巡る異議の発出や、裁判長の注意や発言制止はほとんどなかった。午前10時半から午後5時過ぎまで、2回の途中休憩をはさんで尋問は正味4時間40分。東京訴訟では初めての長丁場となった。

■西岡氏、意図的な証言改ざん 
もっとも注目されたのは西岡氏の尋問だった。西岡氏は、植村氏の記事を「捏造」と決めつける根拠としている重要な事実について、訴状に書かれていないことを「訴状に書き」と紹介するなどの記述の誤りを認めた。さらに、穂積剛弁護士の追及により、韓国紙記事からの引用として金さんの証言を記述した論文で、もとの記事にない「40円で売られた」という記述を付け加えていたことを認め、「間違いです。気づいて訂正した」と述べた。さらに金さんの証言のうち、強制連行を裏付ける重要な部分を引用してこなかったことも認めた。「意図的な証言改ざん」ともいうべき記述について、穂積弁護士は「あなたは植村さんに対して、事案の全体像を正確に伝え読者の判断に委ねるべきだった、と批判するが、それは逆にあなたに向けれられるべきだ」と迫った。西岡氏は「批判はあり得るが、(その部分は)必要ないと思って書かなかった」と普通の口調で答えた。無責任で不誠実な答えではないか。廷内はざわつき、「それこそが捏造だ」と声を出す人もいた。

西岡氏は「金学順さんは人身売買によって慰安婦にさせられた」との従来の主張も繰り返し、植村さんの記事については、「いまも捏造だと思っている」とも述べた。植村氏への批判を「事実誤認」から「捏造」へとエスカレートさせた点については、「捏造とは、誤りようのない事実誤認のことを意味する」との新しい解釈を明かし、「私の植村批判は一貫している」と答えた。

■4年前の記憶失った?元文春記者 
吉村功志弁護士による竹中氏の尋問は、同氏が2014年1月と8月に書いた週刊文春の記事の取材意図と社会に与えた影響に絞られた。植村氏の大学教授就任内定(神戸松蔭女子学院大)と非常勤講師継続(北星学園大)にニュース価値があるのか、との問いに竹中氏は、「編集部デスクの指示によるものだった。指示に従うのは当然だった」と答えた。記事の重要な骨格となった秦郁彦氏と西岡氏への談話(コメント)取材の経緯については、「覚えてません」「記憶にありません」と繰り返した。
意味不明の答弁に廷内に失笑がもれる場面もあった。記事中にある「朝日新聞関係者」の発言について、今回提出した陳述書では「朝日新聞とは別のメディアの記者」から聞いた、と書いていることについて説明を求められると、「広い意味での朝日新聞関係者だが、必ずしも社員ではない」などと、しどろもどろな口調で答えていた。
尋問が終わった後、小久保珠美裁判官と原克也裁判長からも、デスクの取材指示の内容や秦、西岡両氏の関連文献を読んだ時期などについて、詳細な質問が飛んでいた。

■「不当なレッテルをはがして」と植村氏
植村氏の尋問は、主尋問を神原弁護士と永田亮弁護士が担当した。神原弁護士は、1991年8月と12月に植村氏が書いた記事について、西岡氏が「捏造」と決めつける根拠(①金さんは「女子挺身隊の名で連行された」とは言っていない②金さんはキーセン学校に通っていた③義母が幹部を務める団体の裁判を有利に進める動機があった、など)への反論を求めた。植村さんは3年8カ月前に提訴して以来、法廷と講演、執筆などで繰り返してきた説明を簡潔にまとめる形で答えた。裁判官席で背をきちんと伸ばし、植村氏の話に聴き入る小久保裁判官の表情が印象的だった。

永田弁護士は植村氏が受けた被害と損害を詳しく語るように求めた。本人、家族、大学への脅迫やいやがらせの実態も、提訴以来同じように語り続けられてきたことだが、植村氏は最近の動きとして、国内の大学教員への公募にはいまも応募しているがすべて書類選考ではねられていることを明かし、「私の生活はずたずたにされ、私の夢は断たれたままだ」と訴えた。
そして最後に裁判官席に向かって、「私は捏造記者ではありません。私は当時、被害者やその支援者団体の人々から聞き取った話を正確に記事にしたに過ぎません。裁判所に提出した証拠資料を精査していただければ、私が捏造記者ではない、ということは明らかだろうと思います。私にかけられた不当なレッテルをはがしてください。そのような判決を望みます」と語りかけた。

■枝葉末節な記憶はない
植村氏への反対尋問は、喜田村洋一弁護士が48分にわたって行った。喜田村弁護士の口調はいつものように静かで穏やか。しかし、声が小さくて聞き取れないこともあり、尋問の冒頭、傍聴席から「マイクの音量を上げるように」との声が飛んだ。
尋問は、植村さんが記事の前文で書いた「女子挺身隊の名で戦場に連行され」と、本文で書いた「(金さんは)だまされて慰安婦にさせられた」とのふたつの記述について、取材で聞いた証言テープの内容の詳細な記憶を含め、同じ質問が行きつ戻りつ、繰り返された。時折、喜田村弁護士の声が苛立ちで震えているように聞こえた。
植村氏は、「先ほどの竹中さんは4年前のことも良く知らないという。私が記事を書いたのは27年前。枝葉末節にかかわる記憶はまったくないが」と答え、記事はテープの聴き取りとその前日の取材、そしてそれまでの取材で得た知見に基づいていることを説明した。尋問の後、裁判官からの質問はなかった。
※尋問の主なやりとりは、続報に掲載します

■プレスセンター報告集会に130人
報告集会は、午後6時から8時過ぎまで日比谷のプレスセンター10階ホールで開かれた。出席者は130人。初めて来場したジャーナリストの姿が目立った。
弁護団報告は、東京の神原、永田、穂積弁護士と札幌の小野寺信勝、渡辺達生弁護士からあった。香山リカ氏と崔善愛氏の対談「慰安婦報道の真実とは」は新崎盛吾氏の司会で行われた。植村氏は、「週刊文春に書いた記事によって(神戸松蔭で)起こったことを、風の便りに聞いた、と言うような(無責任で不誠実な)記者にこんなにも貶められたが、(裁判で)不正確なインチキがぼろぼろ出てきている。まさにオセロゲームみたいに黒いものが一気に白いものになるように、いっしょに闘いましょう」と呼びかけた。
※詳細は、続報に掲載します


速報(朝日新聞)


9月5日に東京地裁であった本人尋問について、朝日新聞が6日付朝刊第3社会面で次のように報じています。以下に全文を引用します。
※「支える会」速報は現在、作成中です。しばらくお待ちください。

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引用開始

名誉毀損巡り対立 
慰安婦報道訴訟、本人尋問 
東京地裁

元慰安婦についての記事を「捏造(ねつぞう)」と記述され名誉を傷つけられたとして、元朝日新聞記者の植村隆・韓国カトリック大客員教授が、西岡力・麗沢大客員教授と「週刊文春」出版元の文芸春秋を相手取り、損害賠償などを求めた訴訟の本人尋問が5日、東京地裁であった。西岡氏が週刊文春記事に寄せたコメントが名誉毀損(きそん)にあたるかどうかが争点となった。

植村氏は1991年、韓国人元慰安婦・金学順(キムハクスン)さんの証言を取材。記事は同年8月と12月に掲載された。この記事について西岡氏は週刊文春2014年2月6日号で「捏造記事と言っても過言ではありません」とコメント。週刊文春は14年8月14日・21日号でも「捏造記事」などと書いた。

植村氏はこれらの記事により、大学教授として就職が内定していた神戸松蔭女子学院大(神戸市)との雇用契約を解除され、非常勤講師を務めていた北星学園大(札幌市)や家族にも非難や脅迫が集中したとして、15年1月に提訴した。

西岡氏はこの日の尋問で、植村氏が金さんについて書いた記事の「女子挺身(ていしん)隊の名で戦場に連行され」という表現について、「この方は一度も『女子挺身隊の名で』と言っていない。植村氏の記事は誤報で、読者を大きく誤らせるキャンペーンだ」と答えた。

これに対し植村氏は「金さん自身、当時の記者会見で『私は挺身隊だった』と述べており、私の記事は誤りではない」と述べた。

また西岡氏は、証拠として提出された論文の中で、韓国ハンギョレ新聞の記事を引用した際、金さんについて「40円で売られた」と同紙記事にない表現を付け加えたものがあったと認めた。「間違いです。後で気づいて訂正した」と語った。

植村氏は、記事を「捏造」と書いたジャーナリストの櫻井よしこ氏や出版社3社を相手取った訴訟を札幌地裁に起こしており、7月6日に結審し11月9日に一審判決が言い渡される。

(編集委員・北野隆一)




(引用終了) 

2018年9月5日水曜日

きょう西岡氏の尋問














東京訴訟では初めての証人尋問が、きょう9月5日午前10時半から夕方まで、東京地裁103号法廷で行われます。尋問は、最初に元週刊文春記者の竹中明洋氏、次に原告植村隆氏、最後に被告西岡力氏の順で行われ、午後5時前に終わる予定です。

傍聴券は抽選により交付されます。抽選は午前10時10分に行われます。それまでに地裁構内の玄関前に並んで抽選整理券を受け取ってください。混雑が予想されますので、早めに裁判所にお越しください

報告集会は午後6時から、日比谷の日本プレスセンター10階ホールで開かれます。植村さんと弁護団の報告、対談「慰安婦報道の真実とは--植村訴訟が明らかにしたもの」(香山リカ、崔善愛さん)があります。入場無料。

※裁判速報はきょう22時ころに掲載します

2018年8月16日木曜日

東京の尋問、近づく

東京訴訟第13回口頭弁論

 傍聴希望の方へ  傍聴券は抽選により交付されます。抽選は午前10時10分に行われます。それまでに地裁構内の玄関前に並んで抽選整理券を受け取ってください。混雑が予想されますので、早めに裁判所にお越しくださいupdate:2018/9/2



9月5日(水)午前10時30分、東京地裁

西岡力氏、元文春記者の尋問に注目を!


東京訴訟では初めての証人尋問が、9月5日午前10時半から夕方まで、東京地裁103号法廷で行われます。
尋問は、最初に元週刊文春記者の竹中明洋氏、次に原告植村隆氏、最後に被告西岡力氏の順で行われ、午後4時半に終わる予定です。

とくに注目すべきは西岡、竹中両氏に対する尋問です。
植村バッシングにもっとも深くかかわっている両氏は、植村氏に対する「名誉毀損」行為をどのように認識しているのか。これは植村裁判の核心です。植村弁護団はその点を徹底的に突くでしょう。
植村バッシングの発端となった記事を書いた竹中氏に対しては、取材経緯と意図、慰安婦問題についての認識などを質すでしょう。竹中氏が書いたのは、2014年2月6日号=「”慰安婦捏造”朝日新聞記者がお嬢様女子大教授に」と、8月14日・21日号=「慰安婦火付け役朝日新聞記者はお嬢様女子大クビで北の大地へ」の2本です。2月6日号は植村バッシングに火をつけ、8月14日・21日号は植村バッシングを北星学園大に飛び火させました。
西岡氏は今回初めて出廷し、証言台に立ちます。103号法廷で植村氏と至近距離で対面するのも初めてです。植村弁護団は、同氏に対しては、植村氏の記事を「捏造」と決めつけた根拠、取材や調査研究の具体的な内容と経緯、慰安婦報道についての見解などを問うでしょう。

いっぽう植村氏は、「捏造」と決めつけられた記事(1991年8、12月)の取材の経緯と、その記事は「捏造」ではないこと、西岡氏による名誉毀損行為で受けた被害は深刻なものであること、などを明らかにするでしょう。
証人尋問は、この日は3人以外にはなく、次回以降については未定です。裁判の論点、争点はほぼ出尽くしています。大詰めを迎えた東京訴訟はいよいよ結審、判決に向かって動き出します。原克也裁判長が明らかにする次回以降の弁論期日設定も今回の大きな注目点です。

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報告集会は同日午後6時から
日本プレスセンター10階ホールで

2018年8月14日火曜日

金さん証言の記念日


8.14(8月14日)は、日本軍「慰安婦」だった金学順さんが1991年、ソウルの記者会見で、自身の被害を実名で証言した日です。韓国では2012年にこの日が「慰安婦メモリアルデー」とされ、毎年記念行事が民間レベルで行われてきました。ことしからは国家記念日に指定されています。
韓国紙「ハンギョレ」新聞は、この「メモリアルデー」の意義を社説で次のように説いています。以下、同紙日本語版より全文引用します。金学順さんの写真(下)も同紙より。

(引用開始)
[社説]金学順ハルモニが証言した日を記憶する理由
「私は日本軍『慰安婦』被害者の金学順(キム・ハクスン)です」
1991年8月14日、故金学順さん(1924~1997)の公開会見は、半世紀近く隠されていた慰安婦問題を韓日社会で公論化する契機となった。1990年に発足した韓国挺身隊問題対策協議会(挺対協)の活動とユン・ジョンオク代表のハンギョレ寄稿文などがあったものの、被害者の把握どころか関連文書すらなかなか見つからなかった当時、彼女の会見は日本の戦争犯罪に対して「私が証拠だ」という最も強力な雄弁に他ならなかった。何よりも、その勇気は「恥ずべき人生」、「純潔を失った女」というレッテルが強要した沈黙に打ちひしがれていたもう一人の金学順を呼び起こした。

238人の他の被害者らの声を引き出しただけでなく、国内を超えて北朝鮮やフィリピン、中国、インドネシア、オランダの被害者にまで届いた。オランダ出身の被害者のヤン・オヘルンさん(※注)は「金学順さんの証言を聞いて、もう自分も家族に慰安婦だったことを打ち明ける日が来た。あのアジアの女性たちと手を取り合って日本政府に謝罪を要求しなければならないと思った」と語った。1992年から始まった水曜集会と国連決議や勧告、アジア連帯会議、2000年に行われた女性国際戦犯法廷(日本軍性奴隷制を裁く2000年女性国際戦犯法廷)および世界各国の議会決議採択まで、彼女の証言は数多くの変化を引き出した。

2012年、第11回「旧日本軍による性奴隷制問題の解決に向けたアジア連帯会議」の決議で、彼女が証言した日は「慰安婦メモリアルデー」になった。これまで民間行事として行われた日が、今年初めて国家記念日に指定され、14日に金学順ハルモニなどが埋葬された忠清南道天安(チョナン)の「望郷の園」で、政府レベルで記念式典が行われる。最近、政府は「日本軍慰安婦問題研究所」も発足させた。これまで当然国が共に進めるべきだったことを、被害者と民間だけに任せてきたわけだから、心苦しい限りだ。

もはや残された被害者は27人。遅れた分、体系的な記録物の発掘・調査と研究を急がなければならない。相変わらず日本は2015年「韓日慰安婦協定」を名分に掲げ、謝罪と賠償を拒否している。歴史の犠牲者にとどまらず、自らの人権回復に向けて名乗り出た被害者の勇気と人権・平和運動家としての活動を今日記憶し、正義と平和の実現を約束する。
(お問い合わせ japan@hani.co.kr )
韓国語原文入力:2018-08-13 19:10
H.J

(引用終わり)

※注 ヤン・オヘルンさんは、Ruff O'Herne,Jan 。日本で出版されている本「オランダ人『慰安婦』ジャンの物語」では、ジャン ラフ=オハーンと訳されています。


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札幌でも「メモリアルデー」
街角リレートークに「支える会」が参加

札幌では8月11日(土)午後1時から大通公園の一角で記念行事が開かれました。「日本軍『慰安婦』問題の解決をめざす北海道」の会が毎年主催している行事で、「慰安婦」問題にかかわりのある団体、グループから約40人が参加し、1人3~5分の訴えを行いました。通行人の妨害や暴言はなく、若者の飛び入りトークやギターの弾き語りに市民も足を止めて聞き入っていました。「支える会」はことし初めて参加して、植村裁判の現状を報告し、支援を呼びかけました。














2018年7月6日金曜日

札幌訴訟12回結審

update 2018/7/7 9:00am
update 2018/7/7 9:15pm
判決は11月9日(金)午後3時30分に
■伊藤弁護士 「ジャーナリストの基本的営為を怠った」と櫻井氏を批判
■植村隆さん 「金学順さんの言葉の重み」「家族と支援者への感謝」を語る

植村裁判札幌訴訟の第12回口頭弁論が7月6日午後、札幌地裁で開かれ、すべての審理を終了した。提訴から3年5カ月、審理開始からはおよそ2年3カ月を費やしての結審となった。判決は、11月9日(金)午後3時30分から、札幌地裁805号法廷で言い渡される。

午後2時、805号法廷で開廷。植村弁護団の席と傍聴席はいつものように埋め尽くされた。
植村弁護団はこれまでの主張と訴えをまとめた最終準備書面を提出し、伊藤誠一弁護士(植村弁護団共同代表)と植村隆さんがが最後の意見陳述を行った。被告櫻井氏側からも書面が提出されたが、意見陳述はなかった。櫻井側主任格の高池勝彦弁護士は欠席した。

意見陳述で伊藤弁護士は、この裁判の意味と被告櫻井氏の批判に力点を置いて訴えた。
「傍聴券を得るために毎回長い列を作って並んだ市民のみなさんに共通する思いは、市民社会の自由の淵源である表現の自由に関わる、平易とは思われない事案の審理を司法がどのように指揮し、どう裁くのであろうか、という一点に集中させていた、ということではなかったか」
「被告櫻井は、日本軍慰安婦問題について自らとイデオロギーを共有するらしい一、二の研究者と面談し、その書いたものを参照したことはあったようであるが、その余の客観的資料に直接当たって、これを読みこむというジャーナリストとして最も基本的な営為を怠ったことが明らかになった」
と述べ、最後に、
「特定の思潮の下にある人たちにとって受け入れがたいという理由のみで、憎悪が、一瞬にして爆発的に増幅されて拡散するというインターネット社会の特徴が巧みに利用されて、植村さんが名誉を傷つけられているというべき本事案について、司法的な解決を求めているこの訴訟に相応しい救済をしていただくよう、そして将来起こりかねない類似の例をあらかじめ防ぐに足る判断をしていただくよう、改めて求める」
と語った。

つづいて植村さんが陳述した。植村さんは、緊張と心労で裁判に臨んだ日々を振り返り、金学順さんの言葉の重み、家族と支援者への感謝の思い、櫻井氏への批判を語った後、
「絶望的な状況から始まったが、希望の光が見えてきたことを実感している。私は、もう一度、大きな声で訴えたい。私は捏造記者ではありません。裁判所におかれては、私の意見を十分聞いて下さったことに感謝しています。公正な判決が下されることを期待しています」と結んだ。
その後、岡山忠広裁判長が判決日時を確認し、「どうもお疲れさまでした」と一言だけ述べた。閉廷は午後2時26分だった。

この日の札幌は数日来の長雨が小休止し、束の間の陽光が雲間から時折もれた。気温17度。開廷30分前までに傍聴券交付のために並んだ人は113人。66席の傍聴席に1.7倍の倍率となった。

札幌地裁に向かう植村さんと弁護団


7月6日の報告集会

札幌訴訟第12回口頭弁論の後、午後6時半から9時まで札幌エルプラザ3階ホールで報告集会が開かれ、110人の参加があった。「支える会」共同代表の北岡和義さんがあいさつ、弁護団から小野寺信勝事務局長と伊藤誠一共同代表が報告した後、永田浩三・武蔵大教授が「いま報道の自由を考える~不信と憎悪の時代に」と題して1時間講演、最後に東京弁護団の穂積剛弁護士が東京訴訟の現状を報告した。
詳報は後日掲載

ひとこと選(発言順)
北岡和義さん植村君がやったことは間違ってない。勇気と努力に敬意を表する。これからも胸を張って闘っていこう。
小野寺信勝弁護士櫻井本人尋問は大きな成果があった。産経とWiLLは訂正し、ネット世論にも櫻井批判が多くなっている。
伊藤誠一弁護士ジャーナリストに求められる正直さ、清廉さを植村さんは貫いた。櫻井さんには基本的な所作、動作がなかった。
永田浩三さんいまいちばん大事なことは意見の多様性を認めること、そしてメディアと市民、読者、視聴者が連帯することだ。
穂積剛弁護士東京訴訟も大詰めを迎える。9月5日、植村さんと被告西岡氏、文春記者の本人尋問に注目してください。

中段左から北岡さん、小野寺さん、伊藤さん、穂積さん、下段永田さん


最終意見陳述の全文

2018年7月6日、札幌訴訟第12回口頭弁論(結審)

■伊藤誠一弁護士(植村弁護団共同代表)

口頭弁論の終結に当り、本事案の審理の初頭から今日まで参加させていただいた原告代理人の一人として、2、3申し上げる。

第1.
本事案の、第1回から第12回の本口頭弁論期日まで、傍聴人の抽選が行われ、傍聴席が埋まった。法廷の空気は、毎回緊張感に満ちたものであったといえる。
合議体におかれては、過ぎた緊張感を和らげていただくべく傍聴席への語りかけを含み、的確な訴訟指揮を貫いていただいた。
傍聴券を得るために、その都度、長時間列をつくって並ばれた市民のみなさんの思いには、共通するものがあったであろう。それは市民社会の自由の淵源である言論、表現の自由に関る、平易とは思われない事案の審理を、司法がどのように指揮し、どう裁くのであろうか、という一点に関心を集中させていた、ということではなかったか。

第2.
原告が本事案の審理の対象としたのは、本来、自由・闊達・柔軟であるべき言論空間が、四半世紀前の日本軍慰安婦報道の、記事表現に対する強迫的言辞・威嚇によって歪められ、萎縮させられ、狭隘化させられていた、言論空間において、被告らによって繰り返された原告に対する名誉毀損行為の違法の程度である。

1)本事案の審理を通じてジャーナリズムに期待される清廉性・インテグリティ(integrity)の内容が、本事案の審理を通じて具体的に明らかになったと考える。
まず、原告の記事について、取材の経過とその内容が明らかになった。それを要約すると、原告は真摯な取材に基づいて「確認されうる限り、真実とほとんど同じ真実を伝える」(1933年にユージン・メイヤーが起草したというワシントンポストの基本方針の一つ。ビル・コヴァッチほか編『ジャーナリズムの原則』日本経済新聞社2011年8月、49頁から)という、ジャーナリズムの基本に則って記事を書いた、ということが改めて示された。この四半世紀、その取材方法の正統性や内容の正確性が合理的な根拠をもって問われたことはなかったということがこれを裏付ける。
これに対し、被告櫻井の論文はどうであったであろうか。被告櫻井は、日本軍慰安婦問題について自らとイデオロギーを共有するらしい1、2の研究者と面談し、その書いたものを参照したことはあったようであるが、その余の客観的資料に直接当って、これを読み込むというジャーナリストとして最も基本的な営為を怠ったことが明らかになった。

2)日本軍慰安婦にされた被害者が、いわゆるカミングアウトしたとして、日本で広く報道された初めは、1991年8月14日の金学順さんへの単独インタビュー、金さんによる記者会見以降の、北海道新聞記事、あるいは記者会見を受けた国内報道からである。
被告らは、その数日前に、録音テープの聴き取りなど全う限りの取材にもとづいて書いて成立した記事の、「女子挺身隊の名で戦場に連行され(た)…『朝鮮人従軍慰安婦』のうち一人が」という表現を標的にして、責め立てる。
ところで、真摯な取材結果に基づくこの記事の表現が、何故、読者を誤導させるというのであろうか。被告らは多弁を用いたが、説得的であったとは到底いえなかった。大体において、朝日新聞の購読者のうち、この記事をリアルタイムで目にすることができる人は限られていた。少なくとも関東圏に住む市民は、翌日、東京版の編集された記事によって、はじめて概要を目にすることができたのであり、しかも、被告らが執拗に問題にするその表現の前段はそこになかったのであって、読者はこの表現が前日付けの大阪版の記事に含まれているなどということは知る由もなかったのである。
被告らは、自由であるべき言論空間が、記事をめぐり、原告、その家族や勤務先に危害を加えるという脅迫、暴力的言辞を含み、醜く歪められていたとしか評することができない状況の下で、これを知りつつ、およそ半年間にわたり、6本もの論文によって、「捏造」と断定し、虚偽報道と決めつけて、集中的に攻撃し続けたのである。
しかし、原告への記事と前後して報道された、同じ表現をもってなされた他の複数の報道への批判は全くなかった。被告櫻井は、これらを自らのオフィシャルサイトに今も掲載し続けている。なぜであろうか。それは、朝日新聞記者による朝日新聞の記事であったからに他ならない。
そこに、原告に対する被告櫻井の言説とこれらを媒介する被告出版各社の私的で、特殊扁頗といえる特徴をもつことが見てとれる。換言すると、被告櫻井らによる言論表現に公共性も公益性も読み取ることは困難であるということが、証拠調べの結果明らかになったといえる。

3)言論空間が何人に対しても開かれていることは、民主主義が生命力を保ち続ける上で、絶対に欠かせないことである。日本軍慰安婦をめぐる事実、意見についても同じであって、これをタブー視することを私どもは認めることはできない。
ある歴史的な出来事、事実に言及することが、表現者やその周辺に対する暴力的言辞や強迫を招くということになれば、そのことをテーマにする表現行為が、これに脅え、萎縮してしまいかねない。言論空間に一度この意味での萎縮が生じてしまうと、これをあるべき健全な姿に復元するためには、多くの、並々ならぬ努力・エネルギーが必要であることは、経験的に誰もが知る。
4)話は、当時の言論空間のあり方そのものではないが、合議体には、甲第11号証の末尾に掲載された「負けるな!北星」のアピールについて、バッシングの只中にあって、顕名で賛同した1000名を超える人たちの勇気について思いを馳せていただきたい。
北星学園大学は、本事案にも関連する外からの謂れのない脅迫、暴力的言辞が直接加えられる中にあって、学生の安全と研究の持続をどう保障すべきか、原告の雇用を継続するのか否かを巡り、困難な状態に追い込まれていたことは広く知られたところであったが、北星学園大学は、「大学内外の力に支えられた」と公けに表明しつつ、自治的に雇用継続を決断した事実があったからである。

第3.
この訴訟では、言論の自由、表現の自由の侵害状態を排除して、自由の保証を実現する上で、司法が果たし得る役割も話題になった。
被告櫻井は、本訴訟について、「まるで運動論であるかのように司法闘争を持ち込んだ」とし、その手法は、「言論・報道の自由を害するもの」と述べる(乙イ39陳述書)。果たしてそうであろうか。この訴訟を傍聴された多くの方はそうは思わなかったのではないであろうか。

ちなみに、被告櫻井は週刊文春で、「暴力をあおったことなど一度もない」と述べる。西岡力氏との対談における発言であるが、そのように述べた後、「社会の怒りを掻き立て、暴力的言辞を惹起しているものがあるとすれば、それは朝日や植村氏の姿勢ではないでしょうか」と発言している。これらの発言が、「朝日新聞よ、被害者ぶるのはお止めなさい―“OB記者脅迫”を錦の御旗にする姑息」と題された記事の中でなされていることをみると、それこそ一般の読者は、暴力をあおっていない、という先の言にも拘らず、被告櫻井が「報道の自由を脅かす暴力」を容認していると読み取るであろう。

最近、被告櫻井の訴訟代理人のお一人が、『反日勢力との法廷闘争―愛国弁護士の闘ひ』(展転社、平成30年3月)著書を上梓された。著者は、本訴訟に関連させて「匿名の者による誹謗中傷をとめるために、それとは無関係に堂々と論戦を挑んでいる者に対して裁判を起こすという方法は間違っている」(同書p219)と断定的に述べておられる。
著者が「堂々と論戦を挑んでいる」とされた被告櫻井の各論稿の評価は、これまで述べた言論のあり方をめぐる関係性の下で理解されるべきである、この点につき十分な掘り下げをすることを回避して、本訴訟を「言論の自由と個人の人格権がどのやうに調和されるべきかといふ訴訟である。」と規定しつつ、「どんな場合にも他人の人格権を傷つけてはならないとすると言論が大幅に制限されることになる。」と述べるところ(同書p215)は、遺憾ながら、法の支配の下、個別正義のありようを探る法的思考態度とは相容れないものである、と考える。

合議体におかれては、ジャーナリストである前に、一人の市民であり、生活者である原告が、ある歴史的事実に関ってした表現行為が、その事実の理解をめぐる特定の思潮の下にある人たちにとっては、受け容れ難い、という理由のみで、憎悪が、一瞬にして爆発的に増幅されて拡散するというインターネット社会の特徴が巧みに利用されて、名誉を傷つけられているというべき本事案について、司法的な解決を求めているこの訴訟に相応しい救済をしていただくよう、そして将来起こりかねない類似の例を予め防ぐに足る判断をしていただくよう、改めて求める。


■植村隆さん(植村裁判札幌訴訟原告)

今年3月、支援メンバーらの前で、直前に迫った本人尋問の準備をしていました。「なぜ、当該記事を書いたのか」、背景説明をしていました。こんな内容でした。

私は高知の田舎町で、母一人子一人の家で育ちました。豊かな暮らしではありませんでした。小さな町でも、在日朝鮮人や被差別部落の人びとへの理不尽な差別がありました。そんな中で、「自分は立場の弱い人々の側に立とう。決して差別する側に立たない」と決意しました。そして、その延長線上に、慰安婦問題の取材があったと説明していました。

その時です。突然、涙があふれ、止まらなくなり、嗚咽してしまいました。
新聞記者となり、差別のない社会、人権が守られる社会をつくりたいと思って、記事を書いてきました。それがなぜ、こんな理不尽なバッシングにあい、日本での大学教員の道を奪われたのでしょうか。なぜ、娘を殺すという脅迫状まで、送られて来なければならなかったのでしょうか。なぜ、私へのバッシングに北星学園大学の教職員や学生が巻き込まれ、爆破や殺害の予告まで受けなければならなかったのでしょうか。「捏造記者」と言われ、それによって引き起こされた様々な苦難を一気に思い出し、涙がとめどなく流れたのでした。強いストレス体験の後のフラッシュバックだったのかもしれません。

本人尋問が迫るにつれ、悔しさと共に緊張と恐怖感が増してきました。反対尋問では再び、あのバッシングの時のような「悪意」「憎悪」にさらされるだろうと思ったからです。
「そうだ、金学順(キム・ハクスン)さんと一緒に法廷に行こう」と考えました。そして、金学順さんの言葉を書いた紙を背広の内ポケットに入れることにしたのです。
この紙は、私に最初に金学順さんのことを語ってくれた尹貞玉(ユン・ジョンオク)先生の著書の表紙にあった写真付の著者紹介の部分を切り取ったものです。その裏の、白い部分に金学順さんが自分の裁判の際に提出した陳述書の中の言葉を黒いマジックで、「私は日本軍により連行され、『慰安婦』にされ人生そのものを奪われたのです」と書きいれました。
私の受けたバッシング被害など、金さんの苦しみから比べたら、取るに足らないものです。いろんな夢のあった数えで17歳の少女が意に反して戦場に連行され、数多くの日本軍兵士にレイプされ続けたのです。絶望的な状況、悪夢のような日々だったと思います。
そして、私は、こう自分に言い聞かせました。「お前は、『慰安婦にされ人生を奪われた』とその無念を訴えた人の記事を書いただけではないか。それの何が問題なのか。負けるな植村」
金さんの言葉を、胸ポケットに入れて、法廷に臨むと、心が落ち着き、肝が据わりました。

きょうも、金さんの言葉を胸に、意見陳述の席に立っています。
私は、慰安婦としての被害を訴えた金学順さんの思いを伝えただけなのです。
そして「日本の加害の歴史を、日本人として、忘れないようにしよう」と訴えただけなのです。韓国で慰安婦を意味し、日本の新聞報道でも普通に使われていた「挺身隊」という言葉を使って、記事を書いただけです。それなのに、私が記事を捏造したと櫻井よしこさんに繰り返し断定されました。

北海道新聞のソウル特派員だった喜多義憲さんは私の記事が出た4日後、私と同じように「挺身隊」という言葉を使って、ほぼ同じような内容の記事を書きました。記事を書いた当時、私との面識はなく、喜多さんは私の記事を読んでもいなかったのです。喜多さん自身が直接、金学順さんに取材した結果、私と同じような記事を書いた、ということは、私の記事が「捏造」でない、という何よりの証拠ではないでしょうか。その喜多さんは、2月に証人として、この法廷で、櫻井よしこさんが私だけを「捏造」したと決め付けた言説について、「言い掛かり」との認識を示されました。
そして、こうも述べられました。「植村さんと僕はほとんど同じ時期に同じような記事を書いておりました。それで、片方は捏造したと言われ、私は捏造記者と非難する人から見れば不問に付されているような、そういう気持ちで、やっぱりそういう状況を見れば、違うよと言うのが人間であり、ジャーナリストであるという思いが強くいたしました」この言葉に、私は大いに勇気づけられました。

1990年代初期に、産経新聞は、金学順さんに取材し、金学順さんが慰安婦になった経緯について、少なくとも二度にわたって、日本軍の強制連行と書きました。読売新聞は、「『女性挺身隊』として強制連行され」と書きました。
いま産経新聞や読売新聞は、慰安婦の強制連行はなかったと主張する立場にありますが、1990年代の初めに金学順さんのことを書いたこの両新聞の記者たちは、金さんの被害体験をきちんと伝えようと、ジャーナリストとして当たり前のことをしたのだと思います。私は金さんが、慰安婦にさせられた経緯について、「だまされた」と書きました。「だまされ」ようが「強制連行され」ようが、17歳の少女だった金学順さんが意に反して慰安婦にさせられ、日本軍人たちに繰り返しレイプされたことには変わりないのです。彼女が慰安婦にさせられた経緯が重要なのではなく、慰安婦として毎日のように凌辱された行為自体が重大な人権侵害にあたるということです。
しかし、私だけがバッシングを受けました。娘は、「『国賊』植村隆の娘」として名指しされ、「地の果てまで追い詰めて殺す」とまで脅されました。
あのひどいバッシングに巻き込まれた時、娘は17歳でした。それから4年。『殺す』とまで脅迫を受けたのに、娘は、心折れなかった。そのおかげで、私も心折れず、闘い続けられました。私は娘に「ありがとう」と言いたい。娘を誇りに思っています。

被告・櫻井よしこさんは、明らかに朝日新聞記者だった私だけをターゲットに攻撃しています。私への憎悪を掻き立てるような文章を書き続け、それに煽られた無数の人びとがいます。櫻井さんは「慰安婦の強制連行はなかった」という強い「思い込み」があります。その「思い込み」ゆえなのでしょうか。事実を以て、私を批判するのではなく、事実に基づかない形で、私を誹謗中傷していることが、この裁判を通じて明らかになりました。そして誤った事実に基づいた、櫻井さんの言説が広がり、ネット世界で私への憎悪が増幅されたことも判明しました。

WiLL」の2014年4月号の記事がその典型です。金さんの訴状に書いていない「継父によって40円で売られた」とか「継父によって・・・慰安婦にさせられた」という話で、あたかも金さんが人身売買で慰安婦にされたかのように書き、私に対し、「継父によって人身売買されたという重要な点を報じなかった」「真実を隠して捏造記事を報じた」として、「捏造」記者のレッテルを貼りました。「捏造」の根拠とした「月刊宝石」やハンギョレ新聞の引用でも都合のいい部分だけを抜き出し、金さんが日本軍に強制連行されたという結論の部分は無視していました。
しかし、櫻井さんは、私の指摘を無視できず、2年以上経っていましたが、「WiLL」と産経新聞で訂正を出すまでに追い込まれました。実は、訂正文には新たな間違いが付け加えられていました。金さんが強制連行の被害者でないというのです。日本軍による強制連行という結論をもつ記事に依拠しながらも、その結論の部分を再び無視していました。極めて問題の大きい訂正でしたが、櫻井さんの取材のいい加減さが、白日のもとに晒されたという点では大きな前進だったと思います。支援団体の調べでは、この種の間違いが、産経、「WiLL」を含めて、少なくとも6件確認されています。

提訴以来3年5か月が経ちました。弁護団、支援の方々、様々な方々の支援を受け、勇気をもらって、歩んでまいりました。絶望的な状況から反撃が始まりましたが、「希望の光」が見えてきたことを、実感しています。
そして櫻井よしこさんをはじめとする被告の皆さん、被告の代理人の皆さん。長い審理でしたが、皆様方はいまだに、ご理解されていないことがあると思われます。大事なことなので、ここで、皆様方に、もう一度、大きな声で、訴えたいと思います。

「私は捏造記者ではありません」

裁判所におかれては、私の意見を十分に聞いてくださったことに、感謝しております。公正な判決が下されることを期待しております。





2018年7月3日火曜日

産経調停は不成立に


植村さんが産経新聞社の記事訂正を求めて東京簡裁に申し立てていた調停は、7月2日、不成立に終わり終結しました。
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朝日新聞7月3日朝刊(第3社会面掲載)
植村氏と産経、調停不成立
産経新聞のコラムに誤りがあるとして、元朝日新聞記者の植村隆・韓国カトリック大客員教授が産経新聞社を相手取り訂正記事を出すよう求めて東京簡裁に申し立てた調停は2日、不成立で終結した。植村氏の代理人が明らかにした。
コラムはジャーナリストの櫻井よしこ氏が、慰安婦問題について植村氏が書いた記事を批判する内容で、2014年3月3日付産経新聞に掲載された。櫻井氏が誤りを認め、今年6月4日付で訂正記事が載ったが、植村氏は内容に納得できなかったという。産経新聞社広報部は「6月4日付訂正をもって、できる限りの対応はしたと考えております」とコメントした。
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産経調停問題➡解説と経過