発売中の週刊新潮(5月5、12日号)が5ページにわたって朝日新聞と植村さんを最大級の表現で罵り、貶めている。コラム「朝日慰安婦報道の背景を分析する」(櫻井よしこ「日本ルネサンス」、2ページ)と特集記事「元朝日植村記者の被害者意識ギラギラ」(無署名、3ページ)である。櫻井コラムには荒唐無稽な詐術的話法があり、特集記事には3流週刊誌の面目躍如たる下品さがあふれている。
このような言説(というより単なるヨタ話)は、本来まともに取り上げるに値しない藻屑のようなものだが、これは、桜井氏側が裁判のスタートを期して仕掛けてきた挑発でもある。ならばと意を決し、不本意ではあるが、今回に限り、コラムと記事に突っ込みを入れさせていただく。
札幌地裁の法廷で「世に言う従軍慰安婦問題と、悲惨で非人道的な強制連行の話は、朝日新聞が社を挙げて作り出したものであります」と断言した被告櫻井氏は、このコラムでも「旧日本軍が戦時中に朝鮮半島の女性たちを強制連行し、慰安婦という性奴隷にして、悲惨な運命に突き落としたという濡れ衣の情報が、主にアメリカを舞台として流布されている」「その原因を作ったのは、どう考えても朝日新聞である」「慰安婦に関する国際社会の誤解や偏見を、どれだけ朝日が増幅させたかは、『朝日新聞慰安婦報道に対する独立検証委員会』が明らかにしたとおりであろう」と書き、独立検証委員会なる組織の報告書を得々と引用している。
「同報告書は朝日新聞が内外の慰安婦報道を主導したことを明白に示した」「例えば、朝日、毎日、読売とNHKの慰安婦報道を調べた結果、1985年から89年までの5年間で朝日新聞の記事が全体の74%を占めていた。90年にはなんと77%を占めた」「朝日は間違いなく国内の慰安婦報道を先導していた」
というのである。74とか77という比率はたしかに高い。しかし、だからどうしたというのだろう。この比率の高さが、「濡れ衣」とどう関係するのかはまったく論じられていない。さらに、問題なのは実数を書いていないことである。そこで、同報告書にあたってみると、その時期の朝毎読とNHKの記事総本数は85~89年が42本、90年が30本と明記されていた。その翌年からの数字(91年252本、92年1730本、93年1029本)に比べ、桁違いに少ない数である。全体の数が少ない時に比率の高さを強調するとは、まことに胡散臭い。さて、プロ野球で年間わずか4打数で3安打の選手を「7割5分の高打率バッター」ともてはやすだろうか。「90年になんと77%を占めた」と書くのは、子供だましの詐術である。
ところで、そもそも、この独立検証委員会とはなんなのか。「独立」というネーミングは公平で客観な組織をイメージさせる。知らない読者は、素直にそう受け取るだろう。しかし、この委員会の副委員長は西岡力氏(東京基督教大教授、植村裁判被告)であり、西岡氏は報告書の執筆陣にも名を連ねているのである。つまり、植村裁判東京訴訟の被告が中心メンバーとなって作ったお仲間組織なのである。そのことを櫻井氏は伏せて、「独立委員会が明らかにした」と言っている。「なんと77%」という数字で印象を操作しようという魂胆に加えて、お仲間の名を伏せて正体を明かさない卑怯。これこそ詐術話法の典型であろう、と言わざるを得ない。
櫻井コラムはさらに「海外メディアも朝日に大きく影響されていたことを、独立検証委員会は明らかにした」とも書いている。「委員の一人は、朝日が報道した『92年1月強制連行プロパガンダ』が間違いなく米国紙に多大な影響を与えた、と結論づけた」「米国主要3紙は朝日が『92年1月強制連行プロパガンダ』を行う以前は、慰安婦問題をほぼ無視し、取り上げていなかった事実を示した」「こういう事実があるからこそ、朝日新聞の罪は重く、その中で植村氏も重要な役割を担ったというのである」と決めつけている。
プロパガンダという刺激的な用語が突然出てきてびっくりぽんである。これまで「ねつ造だ」とさんざん問題にしてきた「吉田証言」「植村記事」ではなく、「プロパガンダ」を持ち出してきたのはどういうことなのだろう。論点のすり替え? 争点の拡大? ついでに書いただけ? 意味不明、理解不能の一節である。海外メディアへの影響は簡単に検証できることではない。この点について、朝日新聞の第三者委員会の報告書は、「国際社会に与えた影響」の項でふたつの見解を併載し、その難しさを正直に明らかにしている。こういうことである。
「米国には慰安婦に対する定型化した概念がある。例えば2014年12月2日のニューヨークタイムズ紙は慰安婦問題について在京特派員発の大きな記事を掲載したが、そこには次のように記されている。『主流に位置するほとんどの歴史家の見解は、日本軍が征服した領土の女性を戦利品として扱い、彼女たちを拘束し、中国から南太平洋地域にかけて軍が経営していた慰安所と呼ばれる売春宿で働かせていたという点で一致している。女性達の多くは、工場や病院で働くとだまされて慰安所に連れてこられ、兵士たちへの性行為を強制された』。本件記事にしても、今回インタビューした海外有識者にしても、日本軍が、直接、集団的、暴力的、計画的に多くの女性を拉致し、暴行を加え、強制的に従軍慰安婦にした、というイメージが相当に定着している。このイメージの定着に、吉田証言が大きな役割を果たしたとは言えないだろうし、朝日新聞がこうしたイメージの形成に大きな影響を及ぼした証拠も決定的ではない。しかし、韓国における慰安婦問題に対する過激な言説を、朝日新聞その他の日本メディアはいわばエンドース(裏書き)してきた。その中で指導的な位置にあったのが朝日新聞である。それは、韓国における過激な慰安婦問題批判に弾みをつけ、さらに過激化させた。第三国からみれば、韓国におけるメディアが日本を批判し、日本の有力メディアがそれと同調していれば、日本が間違っていると思うのも無理はない。朝日新聞が慰安婦問題の誇張されたイメージ形成に力を持ったと考えるのは、その意味においてである」岡本行夫委員=外交評論家、北岡伸一委員=東大教授。(報告書52~53ページ)
「そもそも、特定の報道機関による個別テーマの記事が、いかに国際社会に影響を与えたかを調べることはほとんど不可能である。メディア研究の歴史において、性急な『メディアの効果論』を持ち出すことは、禁物だと見られてきた。特定の小説や芸術作品が、人々や社会に『悪影響を与える』という理由が弾圧の方便に使われた例は枚挙にいとまがない。弾圧までいかずとも、そのような物言いは、言論の自由を委縮させかねない。もともと、日本語というローカルな言語で発信された情報が、他言語の異文化空間においてどのような影響を及ぼしたかとする問いの立て方も、それ自体に無理がある」林香里委員=東大教授。(72ページ)
岡本、北岡委員は朝日の報道の影響力を認めてはいるが、決定的証拠はないという。林委員は、短兵急に影響評価に走ることを戒めている。この双方を虚心坦懐に読めば、櫻井コラムがいかに一方的、断定的であり、危ういかがよくわかる。
と書いてきて、ブログ文としては長くなりすぎたことに気がついた。櫻井コラムの後段部分と週刊新潮の記事についても突っ込みを入れるつもりで書き始めたが、正直、あまりの荒唐無稽と下品に向き合う気力が失せた。ここらでいったん筆を擱くことにする。