◀五月晴れのもと、東京地裁を出る植村さん(中央)と中山武敏弁護士(左=東京弁護団長)、上田絵理弁護士(右=札幌弁護団)。5月18日午後3時半すぎ。
植村隆さんが西岡力・東京基督教大学教授と文藝春秋を訴えた名誉棄損訴訟の第5回口頭弁論が5月18日午後3時から、東京地裁103号法廷で開かれた。開廷前に長い行列ができたが、傍聴定員96に対して希望者は97人。落選者がたったひとりとは珍しい。
冒頭に原裁判長が裁判官の交代を告げた。前回までは左陪席(正面右)が女性だったが、今回から両陪席とも女性になった。角田由紀子弁護士によると、このような構成は、女性裁判官が24%という法曹の現状の中では、あまり例がないそうだ。
口頭弁論
この日の審理は、植村さん側が提出した第三準備書面の陳述(朗読)が中心となった。この陳述は前回被告側が提出した準備書面(主張)への反論となるもの。西岡氏が植村さんの記事を「捏造」だとする3つの「論拠」(①女子挺身隊の名で連行された、と書いたこと、②キーセン学校の履歴を書かなかったこと、③義母が遺族会の幹部であったこと)は、いずれも事実に基づくものではないことを具体的に指摘した。とくに③について、植村さんの記事は慰安婦賠償裁判に有利になるように書かれた、とする西岡氏側の主張を厳しく批判し、「裁判所は訴状を読んで判決を書くのであって、朝日新聞を読んで判決を書くのではない。本件で被告による批判の根拠となる事実は存在しないのであり、原告の悲痛な訴えに耳を傾けてほしい」(神原弁護士)と述べた。
被告側は2人の弁護士が出席した。いつものように、裁判長との訴訟進行についてのやりとり以外での発言はまったくなかった。終了は3時15分。
次回(第6回、8月3日)は、北星学園大学と松蔭女子学院大学あてに送られたメールやファクスなどの脅迫文書が取り上げられる。植村さんが実際に受けた被害が法廷で具体的に証明されることになる。北星はすでに東京地裁に脅迫文書類を提出しており、その数は3500通にもなるという。
報告集会
裁判終了後の報告集会は、午後4時から6時30分まで、衆議院第二議員会館第3会議室で開かれた。会場には定員を超える約60人が参加し、補助椅子もすべて埋まった。集会は、植村応援隊の今川かおるさんが司会して行われた。発言者は順に、
角田由紀子弁護士(東京)
神原元弁護士(同)
上田絵理弁護士(札幌)
七尾寿子さん(植村裁判を支える市民の会事務局長)
崔善愛さん(同会共同代表、ピアニスト)
近藤昭一さん(民進党衆院議員)
徳島県教組元書記長(在特会を訴えた損害賠償請求訴訟の原告女性)
佐高信さん(評論家、「櫻井よしこ氏と背後勢力」と題して約50分間講演)
植村隆さん
の9人。この中から、東京集会に初めて参加した上田弁護士、七尾事務局長と、植村さんの発言要旨を収録する。
■上田絵理弁護士
訴訟提起から1年2カ月もたって、ようやく札幌でも第1回口頭弁論が4月22日に開かれた。時間もたってしまい、傍聴人が集まるのか、弁護士が結束できるのか不安もあったが、当日は57人の傍聴席に198人が並んで3・5倍の抽選。多くの方に傍聴していただいた。弁護団109人のうち28人が出席し、札幌の法廷は一回り小さいが、弁護団の席が真ん中まで出てきてしまうほどだった。
被告側も計6人。桜井さんも意見陳述、植村さんも陳述し、最初から最大のクライマックスを迎えるという、双方が裁判に向かっていく気迫のある法廷になった。
最初に手続きがあったのち、意見陳述を始めますというときに、「ここは裁判所なので、拍手やヤジを飛ばしたくなっても、心の中にとどめてください」と裁判長がおっしゃった。どちらに偏るでもなく、司法としてどう判断するかを見きわめていきますよ、とのメッセージ。われわれも闘いやすいという雰囲気だった。双方が主張をたたかわせようという空気が感じられる法廷だった。
植村さんからの意見陳述は、堂々と落ち着いていた。内容は大きく分けて2点。被害の実態、裁判を訴えるまでにどれほどの状況があったのか、娘さんに攻撃の矛先が向いていった経過。「千枚通しで胸を刺されるような痛みを感じた」と聞いたときは、当時、いっしょにやらなければならないという気持ちになったことをあらためて実感した。もうひとつは、言論の場で植村さんが伝えても、バッシングが止まらない、脅迫が止まらないという中、裁判で闘わざるを得ないということ。植村さんには、裁判所も事実に向き合ってもらいたい、と訴えていただいた。
弁護団の共同代表の一人である伊藤誠一弁護士も陳述した。伊藤弁護士は、われわれがなぜ裁判を起こしたのか、どういった訴訟進行をしてほしいか、について述べた。植村さんと朝日新聞だけが特定されて激しく攻撃され、マスメディア全体が萎縮している状況であり、その結果、言論空間が狭められている、と。原告の権利や自由だけでなく、自由な言論の交換によって成り立つ民主主義の危機的状況について、正面から向き合っていただきたいと、訴えた。
これから戦いに突入していくわけです。争点は名誉毀損だが、民主主義とは何か、言論のありかたはどういうものかという大きなテーマを抱えている。東京訴訟はかなり進んでおり、札幌にもいい影響をもたらしている。連携して闘いに臨んで行けたらと思っている。
■七尾寿子事務局長
「植村裁判を支える市民の会」は4月22日の裁判に向けて4月12日に立ち上がった。裁判というのは裁判所の中で内向きになるが、傍聴者がいないとダメだよね、ということで集まって、支える会ができた。労組や市民団体、宗教関係、大学もまわって、傍聴の協力をお願いした。57席に198人が駆けつけて並び、裁判のあとの報告集会も220席びっちり集まった。
札幌で裁判をしたかった。札幌に北星学園大があり、私の娘も女子高校にお世話になった。地域に根ざした卒業生も多い。地域が萎縮した状況を打破したいという思いもあった。それと、マケルナ会が活動を開始した当初、植村さんは毎日無言電話が鳴り続けるということで、顔が真っ白で、そのつらさも目にしていて、札幌での裁判が大事と思っていた。
植村さんとともにさらに前へということで、共同代表に上田前札幌市長、さきほどの上田弁護士のお父さんです、ほかに小野有五さん、神沼公三郎さん、結城洋一郎さん、東京からも崔善愛さん、香山リカさん、北岡和義さんで計7人です。
次回は6月10日に札幌の第2回口頭弁論、12日にマケルナ会の総括シンポジウム、7月29日に第3回弁論がある。「支える会」にもご参加いただけたらと思っています。
■植村隆さん
ソウルに行く前に「真実」という本を岩波書店から出したところ、岩波の読者センターにメールで感想が寄せられた。ある弁護士は、感銘を受けた、一緒に闘いたい、市民運動のレベルで勉強会をやろうと。東京でやってくれることになり、大集会も考えている。
もう一つ、朝日新聞の販売店さんから、「植村さんの本を読んで、植村さんのような記者がいる朝日新聞を配ることに誇りを感じている」と岩波を通じてメールをいただいた。涙が出た。朝日新聞が吉田清治証言を取り消したときに、私もバッシングを受けた。読売は当時「朝日をやめて読売にしろ」といって販売キャンペーンをした。朝日新聞のなかでも誤解している人もいたし、販売店は防戦一方で大変だったと思う。
試練があったが、その試練からさまざまな出会いがあった。その出会いがなければ私は二流の記者のままだった。みなさんと出会えて世界が広がった。一冊の本がさまざまな出会いをつくってくれた。
私が直面している問題は私だけの問題ではない。4月には国連人権理事会から「表現の自由」調査官が来て、私の名を出して暫定報告を出した。世界も注目しているということが分かった。
「週刊金曜日」(5月13日号)に、桜井さんと私の対決の記事が出ている。札幌の裁判で私は、はじめて桜井さんと対面した。本人が来ると聞いて、意見陳述書を書き換えた。彼女は産経のコラムの中でウソを書いている。私は金学順さんのことを、記事では強制連行と書いていない。読売や産経は強制連行と書いている。それを抜きにして桜井さんは「訴状で14歳で継父に売られたとあるのに、植村は書いていない」と主張しているが、真っ赤なウソで、そんなことは訴状に書かれていない。産経新聞は訴状を読まず、桜井さんの言う通りに出している。
桜井さんは「間違っていたら訂正します」と言っているが、結局、私を標的にした罠は、日本を変えて戦前に戻そう、日本を美しい国にして、日本は悪いことをしていないということを一般化したい、という流れ。その流れの中で標的にされているのではないかと思っている。
去年は産経、読売とやりあって、記事を週刊金曜日に載せた。能川元一さんは私をバッシングしている人を批判してくれた。暗闇に光を見た思い。それらの記事を集刷して、週刊金曜日の別冊が5月末に発行されることになり、きょうゲラ刷りが出てきた。能川さんのほかに、道新の徃住記者、北大の中島岳志さん、辛淑玉さん、神原元弁護士。私の連載もある。
われわれが負けたら、植村は捏造記者、朝日は捏造新聞、慰安婦問題はなかった、ということになってしまう。そういう流れを止めたい。みなさんに勇気をいただいている。どうもありがとうございます。
written by R.T
edited by H.N
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支援サイト「植村裁判準備室」には以下の各氏の発言を収録してあります。
植村隆さん(報告集会発言)
神原弁護士(弁論と集会)
角田弁護士(集会)
上田弁護士(同)
七尾事務局長(同)
崔善愛さん(同)