2016年9月21日水曜日

「ニュースの真相」評

いま公開中の映画「ニュースの真相」(2015年製作、ジェームズ・バンダービルト監督)を紹介します。

ブッシュ米大統領が再選を目指していた2004年、米国最大のネットワークCBSの女性プロデューサー、メアリー・メイプス(ケイト・ブランシェット)は、著名ジャーナリストのダン・ラザー(ロバート・レッドフォード)がアンカーマンを務める看板番組で、ブッシュの軍歴詐欺疑惑をスクープします。

しかし、その「決定的証拠」を保守派勢力に「偽造」と断定されたことから事態は一転。メアリーやダンら番組スタッフは、政権と世間から猛烈な批判を浴び、メアリーは退職、ダンは降板します。ニュース番組の裏側からアメリカ社会とメディア産業の内実を描いた実話です。原題は「TRUTH」、真実、です。

ブッシュの再選の行方を左右しかねないスクープに、政権側はネットを利用して、文書は偽造だという情報を拡散させます。メアリーには、バッシングのメールが殺到します。激しい非難にさらされながら、それでも矜持と信念を失わずに、圧倒的に不利な闘いに挑むメアリーやダンらの取材チームに心揺さぶられました。メアリーの「真実だから報道するのよ」という力強い言葉が、ジャーナリスト魂を見せつけて爽快です。

「真実」をつかまれたときの権力の反応の素早さ。組織を守ろうとする上層部と真実を追求する制作現場の対立も描かれます。今、日本でも同様のことが起きていて、とてもタイムリーな作品です。最近のメディアの萎縮ぶりは、安倍政権下で「報道の自由度」が世界72位になったことが如実に物語っています。市民の目線で報道し続けてきたキャスターやジャーナリストが「偏向」を理由に放送界から追放されたことを許してはならないと思います。

植村さんの真実を訴える闘いを孤立させてはならない、と強く思いました。「植村裁判を支える市民の会」をたくさんの人に知ってもらいたい。(樋口みな子)
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札幌では、ディノスシネマ札幌劇場で公開中(10月13日まで)

2016年9月18日日曜日

植村隆のソウル通信第4回

「ほぼ満月」とウイスキー



秋の気配が漂い始めました。
きょうは、《ちょっと遅めの中秋の名月@韓国カトリック大学》の写真を皆様にごらんにいれたいと思います。

本日18日午前6時前に、キャンパス内の木立の間から見える月を望遠レンズで撮りました。
韓国の報道によれば、この時期にいちばんまるくなる満月の日は、17日午前4時5分。きのうの未明です。この月をとろうと、カメラを準備していたのですが、きのうは曇っており、満月が見られませんでした。

今朝、自宅のあるゲストハウスを出て、研究室に向かって歩いていたら、西の空に、 この「ほぼ満月」が出ていたのでした。
「そうだ、一日遅れでもいいんだ」。
そう思って、あわてて研究室に置いていたカメラを取りに行き、キャンパス内の坂道を上って、この「ほぼ満月」を撮ったのでした。

もうすぐ夜明けです。
写真を撮り終えて、月と反対側にある研究室のほうへ歩くと、東の空が赤くなっていました。
朝焼けです。

研究室に戻って、パソコンでこの写真を見ました。薄暗い空に浮かぶ月の写真はなかなか、雰囲気がありました。デスクトップの背景にちょうどいいなと思って、設定してみたら、いい具合になりました。当分、この「ほぼ満月」をパソコンの画面で、楽しもうと思います。

■秋夕5連休の帰省ラッシュ

旧暦の8月15日を日本では中秋といいますが、韓国では秋夕(チュソク)といいます。
この秋夕は、韓国では重要な名節のひとつで、家族が集まり祖先祭祀をしたり、墓参をしたりします。今年の秋夕は、9月15日でした。前後3日間が休日となるので、土日とあわせ、9月14日~18日まで5連休となっています。

大学も休みになります。韓国の人口は、8月現在で5164万人で、ソウル市の人口は997万人です。近郊も含めた首都圏の人口はさらに多くなります。この首都圏の人びとの中で、地方出身者は、秋夕の連休には故郷に戻ります。いわば民族大移動の時期なのです。
日本でもお盆の時期には帰省ラッシュとなりますが、韓国はそのラッシュの具合がもっとすごいです。

ソウルに隣接する富川市に本部キャンパスがあるカトリック大学では、秋夕連休の前日の9月13日、運動場に大型バスが8台集結していました。バスのフロントガラスにはそれぞれ「大邱」「釜山」「光州」などと行き先がかかれています。
これは、秋夕に帰省する地方出身の学生のために、大学が手配した臨時バスなのです。
驚きました。日本では、さすがにお盆に帰省する学生のために、大学が臨時バスを手配するということは聞いたことがありませんよね。

実は、この9月13日は火曜日で、私の後期第3回目の講義の日でした。午後3時から、3時間の授業です。その1週間前の6日に、一部の学生たちが、「先生、13日午後2時に大学から帰省のバスが出るので授業に出られないのです」などと話していたので、この臨時バスのことを私も知りました。
13日、講義を始めて出席をとると、37人登録のうち出席者は22人。出席率は約6割 。4割のほどの学生が、欠席です。たぶん、かなりの学生が、あのバスに乗って帰省するのでしょう。
まあ、よかよか。

もちろん、地方に勤務している、ソウル出身者はこの逆で、この時期に、ソウルへ戻ってくることになります。そういうケースの青年が、13日、私を訪ねてくれました。

■北星の教え子、いま部下30人の少尉

講義が始まる前、昼前のことでした。
今年春、カトリック大学を卒業して職業軍人になった青年が研究室に顔を出してくれたのです。彼は、地方勤務なのですが、実家はソウルにあるのです。
「秋夕の休みで戻ってきました。これ軍隊なので安く買えました」と言って、お土産のウイスキーを手渡してくれました。紙ケースに「軍納用」とかかれてあるスコッチウイスキーです。ありがとう。でも申し訳ないなあ。

彼は北星学園大学への留学生で、同大の非常勤講師だった私の講義を受講していました。
あの北星バッシングの激しい時期には、彼なりのやり方で、私を励ましてくれました。授業の光景だけでなく、一緒に大通公園を歩いて、スーパー銭湯へ行ったことや、バーベキューをやったことなどを思い出しました。

彼の心遣いに思わず涙が、出そうになりました。
彼はいま少尉だということや部下が30人ほどいるなどと軍隊生活の話をしてくれました。「自分専用の部屋があります。今度、テレビを買おうと思っています」とも。
この日は授業があるので、彼とはゆっくり話ができませんでした。「15日に昼食を一緒にとろう」 という約束をしました。ご馳走しなきゃ。

ところが、翌14日の夜、彼からメールが送られてきました。「久しぶりの休みで飲みすぎたら、二日酔いが強すぎて……」
酒が過ぎて、体調を崩して、これなくなったとのことでした。「無理をしないで」と返事のメールを打ちました。

つもる話もあったけれど、それはまた別の機会にすることにしましょう。教え子を訪ねて、軍隊に面会に行くのもいいな、と思いました。彼の持ってくれたウイスキーは研究室の机の上で、私を見守っています。

飲まずに、飾っ ておこうと思います。

2016.9.18記

2016年9月15日木曜日

九州4市での講演会

9月7日から11日まで、福岡、熊本、水俣、北九州の4市で開催された植村隆さんのスピーキングツアー(講演会)の模様を、新聞記事からの引用と当会FBからの転載とでお知らせします。
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9月7日(水)福岡市、西南学院大学博物館2階講堂

朝日新聞(西部本社版、9月14日朝刊32面)より以下に引用

■「私には事実という武器」 元朝日記者・植村さん講演 
従軍慰安婦問題を報じ、「捏造(ねつぞう)」とバッシングを受けた元朝日新聞記者の植村隆さん(58)が福岡市で講演した。「捏造などしていない」と強調。批判的なメディアからの取材も受けたが、ひるまなかったのは「私には事実という武器があったから」と明かした。
講演は「慰安婦」問題と取り組む九州キリスト者の会が7日に開いた。

植村さんは、「慰安婦を強制連行したように書いたのが捏造だ」などと批判されている。これに対し、「強制連行」とは書いていないとした上で、「強制だったか、だまされたか、人身売買だったかで罪が軽くなるわけではない。世界は、連行の経緯ではなく、戦場でどのようなひどいことをしたか、その事実について問題視している。『強制連行がなかったから、日本は謝罪する必要はない』という論理は通用しない」と指摘した。

慰安婦問題をめぐる米国の歴史研究者らの声明を引用し、「過去の過ちを認めるプロセスは民主主義社会を強化し、国と国のあいだの協力関係を養う」と訴えた。

植村さんは1991年に書いた記事が「捏造」とされ、新聞社退社後に勤務していた大学や家族にまで脅迫や嫌がらせが相次いだ。

朝日新聞は2014年8月の検証記事で、「慰安婦」と「女子挺身(ていしん)隊」を誤用したことを認めた上で、「意図的な事実のねじ曲げはない」と結論づけた。同年12月の第三者委員会報告も捏造を否定している。(佐々木亮)

引用終わり=写真はM.Iさん提供

※インターネットメディア「レイバーネット日本」でも詳報を掲載しています。 こちら

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9月8日(木)熊本市、くまもと県民交流館パレア


熊本の講演会は、札幌訴訟弁護団事務局長の小野寺信勝弁護士の前任地ということもあって実現しました。熊本市内のたくさんの弁護士さんの準備と協力があり、100人もの参加がありました。講演会後の交流会にも30人が参加しました。会場で販売した植村さんの著書「真実―ー私は捏造記者ではない」(岩波書店)と、週刊金曜日の抜き刷り版「検証・植村バッシング」はともに完売しました。
その盛り上がりと熱気に、はるばる札幌から応援にかけつけた「支える会」のスタッフ3人は驚き、植村さんを支援する声が広がっていることを、あらためて実感しました。
(M.H記、写真も)

















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9月9日(金)水俣市、水俣市公民館

【支える会FBより転載、一部略、M.H記、写真も】
水俣市での講演会は水俣病の支援グループの方たちや、川内原発に反対している方たち、人権問題に関心のある方など、50人の参加がありました。
植村さんは、25年間前に書いた慰安婦問題の記事で、突如バッシングを受けるようになった経緯を話し、様々な映像を使って、「自分の問題だけでなく、言論の自由と報道の自由を守る、戦後70年間守り続けてきた民主主義に対する攻撃に屈しない」と力強く決意をこめて、講演を結びました。

水俣病も差別と偏見の中で闘ってきました。患者さん、支援者から共感の拍手が送られました。
水俣駅の正面は巨大なJNC(旧チッソ) です(写真左)。今も巨大産業であり続けています。
波が穏やかで、美しい不知火海とは対照的でした。 



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9月11日(日)北九州市、若松バプテスト教会

【支える会FBより転載、一部略、M.H記、写真も】
九州スピーキングツアーの最終日。
主催したのは 小田山墓地・朝鮮人遭難犠牲者追悼集会実行委員会です。
福岡・朝鮮歌舞団の「トラジの花」などの舞踊と歌の披露(写真左)のあと、講演が始まりました。
植村さんは最初に、「ニュース23」の映像とアンカーの岸井成格さんのコメントを紹介し、「植村バッシングはまさに歴史修正主義者らによる攻撃だった」と語り、2014年のバッシングは異常だったと振り返りました。
そして、「さまざまなバッシングに怯まなかったのは、私には事実という武器があるからです」と語り、「慰安婦を強制連行したように書いたとして、捏造と批判されたが、そのように表現してはいない」「世界は強制連行か、だまされたかを問題にしているわけではない。意に反して慰安婦にされたこと。戦場で性的に蹂躙されたことは事実であり、彼女たちの尊厳を踏みにじったことにきちんと謝罪する必要がある」と訴えました。
植村さんの真剣に訴える姿に、会場は共感する人たちの熱気があふれていました。講演の後、参加者は27回目になる小田山墓地での朝鮮人遭難犠牲者追悼集会に参列し、犠牲者を偲び、献花しました。
 

2016年9月10日土曜日

名古屋の動画を公開

8月20日午後に名古屋市瑞穂区の市博物館講堂で開かれた集会を収録した動画がYouTubeにアップされています。
全編は2時間10分ほどあり、植村さんの講演は約1時間50分です。植村さんが語った「いま伝えたいこと」が、ほぼ完全に収録されています(質疑の一部のみカット)。画像、音声ともに良好で、会場の熱気を包むやわらかな空気も伝わってきます。
主催者「植村裁判支援名古屋集会実行委員会」の許可を得て、URLを公開します。
https://www.youtube.com/watch?v=_dcp6T_NQXg&feature=youtu.be

2016年9月6日火曜日

吉見控訴審が結審!

慰安婦問題をめぐる名誉棄損で吉見義明・中央大学教授が元衆院議員・桜内文城氏を訴えている訴訟の控訴審第2回口頭弁論が9月6日午後3時から東京高裁101号法廷であり、結審しました。5月31日に始まった控訴審はわずか2回で終了ということになりました。判決は12月15日午後3時から言い渡されます。
この裁判は1審で原告の吉見氏が敗訴しています。植村裁判と訴えの中身は違っていても、慰安婦問題についての表現活動をめぐる裁判であることは共通しています。また1審の裁判長が東京地裁民事33部の原克也裁判長であることも共通しています。
高裁判決の前日12月14日には東京地裁で植村東京訴訟の第7回弁論が、翌日16日には植村札幌訴訟の第4回弁論がそれぞれ行われます。師走の3日間、忙しくなりそうです。

◆吉見裁判1審判決=詳しい記事は「植村裁判資料室」にあります こちら

◆吉見裁判の説明=詳しくは支援サイト「YOいっしょん吉見裁判」参照 こちら



2016年9月2日金曜日

韓国紙インタビュー

8月下旬に韓国に戻った植村さんが、韓国の有力紙「ハンギョレ」のインタビューで、大学での講義のことを語り、慰安婦問題をめぐる日韓合意と少女像のあり方について意見を述べています。9月2日付の同紙コラム「チャム(隙間)」の訳文を掲載します。
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「ハンギョレ」2016年9月2日付コラム<チャム(隙間)>

<前文>
「韓日の政治指導者たちの慰安婦問題に対する認識のレベルが、過去に比べてむしろ後退していると思う。日本政府は誠実ではなかったし、韓国政府は性急すぎた」
31日、京畿道富川市のカトリック大学でインタビューした植村隆(写真)カトリック大客員教授は「12・28韓日合意」について低い点数をつけた。彼は「20余年前、慰安婦動員過程の強制性を認めた『河野談話』より後退した合意」だと評価した。
富川/イ・ジェウク記者

<本文>
彼は「朝日新聞」記者時代の1991年8月11日、故金学順さんの「慰安婦被害実態」に関する記事を書いた。この記事は、保守的な儒教文化のために「性奴隷」被害を受けても生涯隠し通さねばならなかった韓国に住む慰安婦被害者の存在を明らかにした初めての報道だった。その3日後、金さんは記者会見を通じて初めて名乗り出た。

植村教授は「12・28合意がなされたにもかかわらず、日本政府は慰安婦被害者に直接謝罪しなかった。韓国政府もこれに目をつぶった。しかし、当事者が抜けた合意は問題を解決するどころか、より難しくしている」と指摘した。

3月に富川のカトリック大ELP学部客員教授として韓国に来た植村教授が行っている講義は「東アジアの平和と文化」。1982年に朝日新聞社に入社し2014年3月まで30年余り記者として勤めた。ソウル特派員、中東特派員、北京特派員などを務めた。神戸松蔭女子学院大学の専任教授に内定していたが、2014年1月、『週刊文春』が「“慰安婦捏造”朝日新聞記者がお嬢様女子大教授に」と題する記事を書いたことで、日本の右翼による集中的なバッシングが始まった。彼らの圧力によって、大学側は結果的に雇用契約を取り消した。

彼が非常勤講師を務めていた北海道の北星学園大学にまで右翼の攻撃が及んだが、これに反対する日本の知識人たちが会を結成し再契約に成功した。北星学園大とカトリック大は交流関係にある。

彼は(カトリック)大学で、韓国の慰安婦の証言記事で右翼の無差別バッシングを受けている自らの話、3・1独立運動と5・18(光州)民主化運動など韓国の近現代史を題材に平和と人権について考える講義を行っている。
「平和や人権は自らが作るもので、誰かが作ってくれるものではないと思う。生きる過程で常にこのことについて悩み、動いてこそ、より平和な社会、人権が広がる社会を作れるといった趣旨の講義です」

本や印刷物が散らかっている彼の研究室の机の片側には、詩人・尹東柱の詩集『空と風と星と詩』が置かれていた。「尹東柱が好きだ。彼の詩の世界自体が独立と平和を語っている。だから、尹東柱の詩も授業内容に取り入れている」と説明した。

12・28合意を通じて韓日両国は「最終的かつ不可逆的」解決のためのボタンをかけたと評したが、韓国内の慰安婦問題はまだ解決していない。
「慰安婦問題は単純に1回の合意で解決できるものではない。ドイツの首相はホロコーストについて繰り返し謝罪している。慰安婦問題は金と約束の問題ではなく、真心と反省の問題だからだ。日本政府は河野談話を継承して謝罪し、記憶の継承作業を通じて日本人の心の中に少女像が刻まれるように努めるべきだ」

植村教授は、韓国政府に対しても「世論調査の内容を見ると、少女像撤去反対の声の方が多い。韓国政府が慰安婦問題を性急に決着しようとして、むしろ新たな軋轢を呼び起こしていると思う」と語った。「両国の市民らが慰安婦問題をきちんと理解し、まず和解・協力する方法で問題を解決する必要がある」と付け加えた。


植村教授は現在、不当な論理で誹謗した『週刊文春』と右翼人士の西岡力・東京基督教大学教授らを相手に損害賠償訴訟を係争中だ。裁判の準備でしばしば日本と韓国を行き来しし、やるべきことも多い。それでも彼が韓国に来た理由は明らかだ。「両国学生の和解のための窓口になりたい」


<記事の中見出し>
「『慰安婦被害者』が抜けた韓日合意でむしろ軋轢は深まった」
「慰安婦証言」を初めて報じた日本の言論人、植村隆教授
1991年 金学順さんの証言を初めて報道
2年前、右翼マスコミ「捏造記事」攻撃
カトリック大客員、「東アジアの平和」講義
「両国学生の和解結びたい」
「12・28韓日合意」20年前より後退
「日本政府、誠実と反省だけが解決方法」

2016年8月30日火曜日

植村さんの九州講演

植村隆さんが9月7日から九州の4市で講演を行います。8月の北海道、東海(計8市町)につづくスピーキングツアー第2シリーズです。

◆慰安婦問題からみた言論弾圧~私は「捏造記者」ではない
時間:14:30 ~16:30(開場14:00)
会場:西南学院大学博物館2階講堂(福岡市早良区西新3丁目3-13-1)
参加:500円(資料代)
主催:「慰安婦問題」と取り組む九州キリスト者の会
協賛:I女性会議福岡県本部、「慰安婦」問題にとりくむ福岡ネットワーク、排外主義にNO!福岡、公人のヘイトスピーチを許さない会
連絡先:080-6410-3311(木村)、080-1760-4008(池田)
   
8日(木)
熊本市
◆歴史修正主義と闘うジャーナリストの報告~不屈の民主主義をつくるために
時間:18:30~20:30
会場:くまもと県民交流館パレア 会議室1(熊本市中央区手取本町8-9)
参加:500円
主催:報道と表現の自由を考える講演会実行委員会
連絡先:はみんぐ法律事務所 TEL096-362-8309


























9日(金)水俣市
◆「慰安婦」問題と言論弾圧を考える
時間:18:30~20:30
会場:水俣市公民館(水俣市浜町2丁目10-26)3階第2研修室
資料代:500円
連絡先:TEL/FAX 0966-63-8779(水俣・ほたるの家 伊東)

11日(日)北九州市
第27回 小田山墓地・朝鮮人遭難犠牲者追悼集会
*第1部 講演会
◆慰安婦問題からみた言論弾圧~私は「捏造記者」ではない
講師:植村隆さん
時間:15:00~17:00(開場14:00)
会場:若松バプテスト教会(北九州市若松区栄盛川町9番1号 TEL:093-761-1492)
*第2部 現地追悼会(小田山墓地)
演奏・発言・碑文朗読・献花
主催:小田山墓地・朝鮮人遭難犠牲者追悼集会実行委員会
連絡先:093-521-7271 (朱) 093-771-3471(田中)


2016年8月25日木曜日

植村さんの津市講演

植村隆さんが三重県津市で行った講演「歴史修正主義と闘うジャーナリストの報告 ―私は『捏造記者』ではない」を会員制ネットメディアIWJ(Independent Web Journal)がアップしています。この講演は、「報道と表現の自由を考える三重県集会実行委員会」が主催し、津市市民活動センターで8月21日(日)午前10時から行われたものです。

◆講演要旨は「IWJエリアチャンネル」に連続ツイート方式でアップされています。 
◆動画は約5分間のハイライト映像がアップされています。

以下に、連続ツイートの全文を引用します。引用にあたっては、ツイートの逆順に並び替え、改行と段落を付しました。
おことわり:一部に誤りがあり、8月26日に追記と訂正(下線部)をしました。

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<引用開始>

植村氏 私は現在、韓国カトリック大学校の客員教授をしています。植村バッシングとは、私が25年前、朝日新聞の大阪社会部時代に書いた記事『韓国慰安婦が証言を始めた』が元で、今、大バッシングを受けていることです。

2014年12月23日、TBS『ニュース23』が植村バッシングを特集。当時のアンカー、岸井成格氏が『一連の圧力の背景に、歴史の事実を書き換えようとする勢力がいる』と的確なコメントをされた。結局、岸井氏も番組を追われてしまいました。

バッシングは嫌がらせメールや電話にとどまらず、『マンガ大嫌韓流』にも。『植村隆の罪は吉田清治にも劣らない』『靖国神社の英霊たちの前で土下座させる』と。吉田氏は、日本軍が慰安婦にするため女性を強制的に連行した、と証言した人です。
朝日新聞はこの吉田証言を元に、16本の記事を掲載。だが、2014年8月、真偽が確信できないとして、それを取り消した。当時、私が勤めていた北星学園大学には、『反日ねつ造記者は、死をもって償え』などの投書がありました。

しかし、私は吉田証言で記事は書いていない。書いたのは慰安婦の証言記事です。1991年8月11日、朝日新聞の大阪社会面に『元朝鮮慰安婦ー思い出すと今も涙』と題し、韓国の団体が元慰安婦に聞き取り調査をしていることを書きました。記事の前文『日中戦争や第二次大戦の際、女子挺身隊の名で戦場に連行され、日本軍人相手に売春行為を強いられた朝鮮人従軍慰安婦のうち、1人がソウル市内に生存していることがわかり、韓国挺身隊問題対策協議会が聞き取り調査を始めた』。
『同会のユン代表によれば、この女性は満州生まれ。17歳の時、騙されて慰安婦にされた』。元慰安婦が、戦後、半世紀たってやっと証言を始めたという記事です。慰安婦にされた女性たちは沈黙を守っていたので、これは画期的でした。

彼女たちは、自分の被害体験を克明に話すことはありませんでした。1990年6月6日、日本では衆院予算委員会で労働省局長が、『慰安婦は民間業者が軍と共に連れ歩いた。民間業者の仕業だ』としていた。
新聞記者時代の私は人権問題をテーマにし、大阪の在日コリアン問題を追っていました。当時、在日コリアンは就職などで差別を受けており、彼らの権利が侵害されることは、日本人にとっても幸せではないと考えたからです。

1990年8月、私は韓国に2週間滞在し、元慰安婦に話を聞こうとしましたが、誰も話してくれません。その時、取材した太平洋戦争犠牲者遺族会で、妻になる女性に出会います。韓国人の妻がいることも、私へのバッシングを加速させた。
1991年夏、朝日新聞ソウル支局長から、韓国挺身隊問題対策協議会が元慰安婦の聞き取り調査をしてテープもある、と聞いた。そこで取材に行き、証言をした金学順(キム・ハクスン)さんには会えなかったが、1本目の記事を書きました。

その後、11月25日に韓国の弁護団の聞き取り調査に同席。12月25日、朝日新聞の大阪版にだけ2本目の記事を掲載。これもあとで、『キムさんが14歳の時にキーセン学校に入学、芸人を目指したことを書いていない』と非難された。
キーセン学校と慰安婦は関係ないから書かなかっただけ。その記事の3日後、キムさんが実名で証言。その姿は韓国のドキュメンタリー映画に残っている。インドネシアで強制連行されたオランダ人女性も、キムさんに勇気づけられ証言した。

私の記事の主旨は、キムさんらが証言を始めた、ということでした。しかし、私へのバッシングの最大の契機になったのは、2014年2月6日号の週刊文春に掲載された『“慰安婦捏造” 朝日新聞記者がお嬢様女子大教授に』という記事です。
文春は『植村氏の記事をきっかけに、朝日新聞は慰安婦問題を次々と取り上げ、元陸軍軍人(吉田氏)の証言を根拠に、日本軍による強制連行があった、との主張を大々的に展開。これに韓国世論が激高する』と書きました。
『韓国世論が激高したので、日本政府は根拠のないまま、1993年の河野談話を発表。日本政府が強制連行を認めたと世界に印象づけ、今日まで日本がいわれなき批判を浴び続ける事態を招いた』として、私を糾弾したのです。

慰安婦報道が私から始まった、というのはまったくのウソで、80年代から松井やより記者が書いています。それに、朝日新聞の記事は韓国で紹介されていない。キム・ハクスンさんが世界に向かって発言したので、韓国世論が注目したのです。
それを歴史修正主義者が巧妙に歪曲した。植村・朝日バッシングをやる人たちは同時に河野談話も断罪する。河野談話は、1991年12月から日本政府が関係省庁の資料を調べ、元慰安婦、軍人らに聞き取り調査をしてまとめたものです。
河野洋平官房長官は、慰安所は軍当局の要請により設置し、旧日本軍が直接、間接に関与したと認め、意志に反し連行された多数の女性の名誉、尊厳を傷つけたとして謝罪と反省を表明。将来にわたり記憶にとどめる、と語っています。

バッシングする人たちは、私や朝日新聞、河野談話を糾弾するが、日本政府が調査して、謝罪、反省することが、なぜ、日本を貶めることになるのか? ここが、歴史修正主義者の大きな問題です。

東京基督教大学教授の西岡力氏は、朝日新聞の報道には、後に重大な誤りがあったことが判明した、と言う。『植村氏の記事には、挺身隊の名で連行されたとあるが、挺身隊は勤労奉仕をする組織だ』と主張しています。
西岡氏は『女性(キム氏)は親に身売りされたと訴状に書いたが、植村氏はこうした事実には触れずに、強制的と書き、ねつ造記事といっても過言ではない』と。しかし、当時の韓国では、慰安婦を女子挺身隊と呼んでいたのです。
身売りされた件は訴状にも書いていないし、韓国の取材にも答えていません。1984年8月の朝日新聞の記事では『挺身隊、または軍慰安婦』と表現。1987年8月の読売新聞も『昭和17年以降、女子挺身隊の名のもと』と書いています。
『日韓併合で無理矢理、日本人扱いをされた朝鮮の娘たちは、多数、強制的に戦場に送り込まれた。彼女たちは、砲弾の飛びかう戦場の仮設小屋や塹壕のなかで、1日に何十人もの将兵に体をまかせた』と、読売も同じ言い回しをしている。

日本で最初にキムさんを取材した北海道新聞ソウル特派員の1991年8月の記事は『日本政府は責任を。戦前、女子挺身隊の美名のもとに従軍慰安婦として、戦地で日本軍将兵たちに陵辱されたとソウルに住む韓国人女性が挺対協に名乗り出た』と。
1991年12月3日の読売新聞も、韓国人被害者35人が日本政府を相手取り総額7億円の被害請求訴訟を東京地裁に起こしたという記事で、『従軍慰安婦で提訴へ。第二次大戦中に女性挺身隊として強制連行』と書いています。
当時の韓国では『慰安婦』より『挺身隊』と言っていたのです。私の記事がねつ造ならば、北海道新聞も読売新聞も同じだ。(歴史修正主義者は)一部分だけを取り上げて、慰安婦の存在を否定しようとする。

バッシングする人たちは北海道新聞や読売新聞は攻撃しない。西岡氏は、あたかも強制連行があったように書いたと批判。産経自身も1991年12月、提訴したキムさんの記者会見を取材しています。<一部削除>
その時の産経の記事は、『キムさんが日本軍に強制的に連行された。日本の若者たちに過去の侵略の歴史を知ってもらいたい、日本政府は従軍慰安婦の存在を認め、謝罪して欲しいと強く訴えた』と書いています。
『キムさんは、17歳のとき日本軍に強制的に連行され、中国の前線で軍人の相手をする慰安婦として働いた』。見出しは『日本政府は謝罪を。若人に知って欲しい』です。素晴らしい記事ですよね。新聞記者は、事実の前では皆同じです。

特に90年代の大阪の産経新聞記者は、非常に熱心に人権問題に取り組んでいて、連載シリーズは関西の有名な報道関係の賞まで受けています。強制連行であれ、人身売買であれ、戦場に連れ出され、慰安婦をさせられたことが問題なんです。
今、産経新聞や読売新聞は『強制連行はなかった。慰安婦は商行為だから謝罪する必要はない』と誘導しているんです。これが本当の歴史修正主義者のやり方です。植村が強制連行をこじつけた、というのが彼らの言い分です。

週刊文春が『植村の記事はねつ造』と報じた時、朝日新聞は沈黙していました。私は、そういう態度の会社に憤慨しました。ねつ造と言われた記者は、死刑判決を受けたも同然です。私は、社から事情聴取を何回も受けました。
2014年8月5日、朝日新聞は『(植村氏の)記事に事実のねじ曲げはない』と結論づけた。第三者委員会報告書でも『縁戚関係(義母)を利する目的で事実をねじ曲げたとはいえない』とねつ造を否定しました。
ただし、『強制的に連行されたという印象を与え、安易かつ不用意な記載があった』とした。これには承服できない。産経新聞、読売新聞が『強制的に』としたんです。それで、西岡氏のほか、櫻井よしこ氏も私を攻撃してきた。

彼らは『社会の怒りを掻き立て、暴力的言辞を惹起しているものがあるとすれば、それは朝日や植村氏の姿勢』だとバッシング。読売新聞も、キムさんがキーセン学校に通っていたことを植村氏は書いていないと、3回も攻撃している。
しかし、同じ紙面の慰安婦問題検証記事では『読売新聞はキーセンの経歴に触れていなかった』と書く。だから、『ねつ造記事』は言いがかりです。それで私が裁判を起こすと、ジャーナリストなのに、なぜ、裁判に頼るのかと、また叩く。

朝日新聞がねつ造を否定し、これですべて解決したと思った。支援者もとても喜んでくれた。ところが朝日新聞の同じ紙面で、吉田清治氏の記事を取り消した。それでまた、私への激しいバッシングが復活し、さらにひどくなったんです。
自分の娘の顔写真までインターネットに晒された。本当に耐えられなかった。私は、支援者の支えで何とか立ち直ることができたんです。2015年1月、保守的な月刊『文藝春秋』に手記を書きました。それでも真実は伝わらない。

私をバッシングする西岡氏、櫻井氏たちは、私の言い分をきちんと聞いていない。自分たちに都合よく解釈し、徹底的に叩く。訴訟の目的は、家族への攻撃を止めること。また、私の記事への攻撃は、慰安婦の尊厳を傷つけるのと同じなのです。
言論の自由、報道の自由、大学の自治という、日本が戦後70年守り続けてきた民主主義に対する攻撃です。私は読売新聞北海道支社のインタビューに応じ、仲間たちは懸念しましたが1人で乗り込みました。向こうは5人で待っていました。
カメラマンと2人の地元記者、政治部、社会部の記者です。私がキーセン学校の件を聞くと、彼らは全部の記事を読んでいないという。では、なぜ、そういうことを書くのかと尋ねると、読売の記者は何も答えられなかった。

産経新聞とは2時間のインタビューで徹底的に闘いました。彼らは『強制連行、挺身隊について書いたことについては間違いだった』と言い訳をしながら、のちに『キム氏の証言は次々に変遷、信ぴょう性が揺らいだ』と記事にした。
でも、変遷したことを立証しない。恥をかいたのは産経新聞だ。それで質問状を送ると『個別の記事に関することにはお答えできません』と返してきた。読売新聞は記事にすらしなかった。つまり、記事にしたら不利になるからです。

朝日新聞が彼らのような答え方をしたら、袋だたきです。バッシングは、最初、怖かった。でも、今は歴史修正主義者と闘っています。1997年に『新しい歴史教科書をつくる会』『日本の前途と歴史教育を考える若手議員の会』が発足。安倍晋三議員が事務局長で、その頃から西岡氏が『ねつ造』発言を始めた。つまり、河野談話、村山談話などで歴史を直視したら、歴史修正主義者たちの反動が起きた。どんどん慰安婦問題を削除しはじめました。
2001年、NHKの番組『女性国際戦犯法廷』に政治家が介入、番組内容が改変されました。2010年、山田宏参議院議員が私の国会招致を求める、という記事が産経新聞に載る。2014年、櫻井よしこ氏は、朝日新聞を廃刊にすべきと発言。

ジャーナリズムの弾圧が、ジャーナリストから起こっている。私は歴史修正主義者の標的になり、慰安婦問題は教科書から削除。NHK、朝日新聞への弾圧。戦後民主主義の破壊です。バッシングをする人たちの共通項は、改憲勢力ということ。
リベラルなジャーナリズムを潰し、憲法を変えようとしている。私の件は世界からは注目されていますが、報道の自由は悪化している。国連『表現の自由』特別報告者のデビット・ケイ氏からはヒアリングを受けました。

2016年4月24日に出た暫定報告では、『慰安婦問題を報じた元朝日新聞記者・植村氏とその娘に対し、殺害予告を含む脅迫が加えられた。当局はもっと強く非難すべきだ』と。現在は、多少、状況は改善しました。
弁護団がボランティアで立ち上がってくれた。ツイッターに娘への誹謗中傷を書き込んだ男性の裁判にも勝ちました。娘は本当に辛い思いをした。精神的苦痛100万円を弁護団は要求したが、裁判官は200万円とまで言った。
今後も札幌と東京で自分の裁判があり、苦しい闘いはまだまだ続きます。ご支援、協力をお願いいたします。 

(ここから質疑応答) 
質問者「慰安婦は本当にいたのか。真実とは何か。追求してほしい」
植村氏 強制連行したという書類を、首謀者が残すでしょうか。慰安婦問題を否定する人たちの一番の問題は、元慰安婦の証言を信用しないことです。1993年の河野談話は、日本政府が調査をして発表したのに、後から信用できないと否定し始めた。
これは国際的にもおかしいと言われている。河野談話のあとも、いろいろ資料が見つかっている。ちゃんと調査をすればいい。アメリカの研究者は連名で『歴史家の中には、慰安婦は日本軍が直接関与したのかと異論を唱える方もいます。しかし、大勢の女性が意思に反して拘束され、暴力を受けたことは、すでに資料と証言が明らかにしている。特定の用語に焦点を当て、狭い法律的な議論を重ねることや、被害者の証言に反論するために極めて限定された資料にこだわることは、被害者が蒙った残忍な行為から目を背け、非人道的制度を取り巻く、より広い文脈を無視するに他ならない』と主張。強制連行があったかどうかではなく、たくさんの被害者の証言ときちんと向きあうことが大事だということなんです。
その証言と向きあわず、瑣末な問題ばかりに目を向け、被害者の尊厳を踏みにじっていることがおかしい。 
司会者「今まで当たり前にできた改憲反対などの集会を、行政はバックアップしなくなった。または、横やりが入って中止になる。植村さんのバッシングと重なる部分があるのでは」   
植村氏 植村バッシングも、政府の見解や歴史修正主義に反する言動を封殺しようとする根っこは同じ。いろんな意見があっていいが、事実を歪曲したり、ねつ造する行為は許されない。
彼らは匿名で批判や誹謗中傷をする。行政や大学は萎縮する。非常に危機感を持っています。今、記者たちは萎縮している。植村バッシングは、他の記者に影響を与えています。時代が悪くなる時は、まず、記者の萎縮から始まります。
記者は、拷問されたりペンを折られることはない。自らペンを折るんです。それは、すごく危険なこと。だから、皆さん、良い記事があったら褒めてほしい。みんなで助けあってほしい。小さな勇気がたくさんある社会のほうが健全です。
ジャーナリズムだけに任せたらダメ。産経新聞の阿比留瑠比記者は私とのインタビューで、元慰安婦に直接、会って話を聞いていない、と言う。それで慰安婦問題を批判する。元慰安婦の証言を信じていないか、関係ないという立場なのです。
これが歴史修正主義者のもっとも悪いところです。

<引用終わり>

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2016年8月22日月曜日

植村さん名古屋講演

8月9日から始まった植村さんのスピーキングツアー(講演の旅)は、明日(23日)夜の倶知安町で一区切りとなります。旭川、岩見沢、札幌、新ひだか、室蘭、名古屋、津、そして倶知安の8市町を2週間でかけまわる強行軍でした。のべ1000人を超える人が耳を傾けてくれました。ほとんどの人が初めて植村さんと接する人たちでしたが、どの会場でも植村さんの説明と主張、訴えに共感の拍手が起こっていた、とのことです。【植村さん自身の報告は後日掲載する予定です】
地元の新聞記者の取材と記事掲載もありました。裁判以外では、ひさしぶりのことです。以下に、その記事を引用します。

<引用開始>

◆北海道新聞(室蘭版)8月20日付=慰安婦記事、捏造でない 元朝日・植村氏が講演 室蘭
 従軍慰安婦報道に関わった元朝日新聞記者で韓国カトリック大客員教授の植村隆さんが18日夜、室蘭市内で「歴史修正主義とたたかうジャーナリストの報告~私は『ねつ造記者』ではない」と題して講演した。
 植村さんは1991年、韓国在住の元従軍慰安婦の証言を巡る記事を執筆。2014年に雑誌や一部ジャーナリストが「記事は捏造(ねつぞう)で、これを発端に慰安婦問題が国際化して日本批判が広がった」と指摘。植村さんは、非常勤講師を務めていた北星学園大(札幌)に脅迫状が送りつけられるなどした。
 講演で植村さんは記事を捏造とする雑誌やジャーナリストの主張の誤りや矛盾点を指摘し、「元慰安婦の取材をしたこともない人がバッシングしている。元慰安婦のおばあさんたちの尊厳を傷つけている」と述べた。
 従軍慰安婦を否定する勢力について「教育、メディア統制を通じて戦後民主主義を破壊し、改憲への地ならしをしようとしている」と批判。「歴史研究や歴史教育を通じて同じ過ちを繰り返さない固い決意をあらためて表明すべきだ」と訴えた。
 講演会は市民団体「憲法を守る室蘭地域ネット」の主催で、約100人が詰めかけた。
◆中日新聞(愛知県版)8月21日付=元記者の植村さん 慰安婦報道で講演 名古屋
 慰安婦に関する報道で激しいバッシングを受けた元朝日新聞記者で韓国カトリック大客員教授の植村隆さん(58)の講演会「私は『捏造記者』ではない」が20日、名古屋市瑞穂区の市博物館であり、約150人が耳を傾けた。
 植村さんは元慰安婦の証言を報じた1991年の記事を巡り、週刊誌に「捏造」などと批判された。名誉棄損を訴える裁判を起こしており、講演会は名古屋の支援者らが主催した。
 植村さんは非常勤講師として勤務していた北星学園大(札幌市)に届いた「死をもって償え」「売国奴」などの脅迫文を紹介。自身が報じた元慰安婦の証言について「人権侵害問題として国際社会の注目を集め始めた」と意義を強調した。
◆朝日新聞(名古屋版)8月21日付=「戦い続ける」植村さん講演 瑞穂
 慰安婦問題の記事を書いた元朝日新聞記者の植村隆さん(58)が20日、名古屋市瑞穂区の市博物館で講演した。25年前の記事を「捏造」と批判され、「殺す」などの脅迫が家族や勤務先にも及んだ。植村さんは「捏造などしていない。攻撃に屈せず、戦い続ける」と話した。
 県内の平和団体などが主催し、約130人が参加。
 植村さんは「記事は捏造」との週刊誌報道などで名誉を傷つけられたとして、昨年、発行元の出版社などを相手に損害賠償を求める2件の訴訟を起こした。今月3日には、ツイッターで顔写真などをさらされた長女(19)が起こした別の訴訟で、東京地裁は投稿した男性に、170万円の損害賠償を命じる判決を言い渡した。
 植村さんは「家族まで脅され、司法の判断を求める決断をした。攻撃は私個人でなく、歴史を掘り起こす報道や言論の自由に向けられている」と話した。
 朝日新聞は2年前の特集記事で、植村さんの記事について「慰安婦」と「女子挺身隊」の混同があったと認めた上で、「意図的なねじ曲げ」はなかったと説明、その後の第三者委員会も否定した。

<引用終わり>

中日新聞8月21日付
朝日新聞8月21日付