2019年7月19日金曜日

「日韓合意」の失敗

徴用工訴訟問題や輸出規制が原因で日韓関係の悪化が進んでいます。その背景には、慰安婦問題についての「日韓合意」(2015年12月)が大きな影を落としています。最近の日韓関係を正しく理解するための一助として、ブログ「吹禅YukiTanaka」から田中利幸氏の最新の論考を転載します。田中氏は戦争責任や天皇制、慰安婦問題で発言を続けている歴史研究者です。プロフィル、著作は同ブログをご参照下さい。

--以下、見出し、小見出し、本文、敬称略、強調部とも、すべて原文のまま、転載します--

「日韓合意」は安倍政権による「記憶の騙し取り」
―― 記憶の方法と責任問題意識の
関連性についての一考察――


安倍晋三「慰安婦バッシング」の略歴
 
  「日本軍性奴隷(いわゆる「慰安婦」)」問題での「日韓合意」について考える場合、まずはこの「合意」を提唱した張本人である日本国首相・安倍晋三が、「慰安婦」問題でどのような発言と行動を政治家としてとってきたのか、その経歴を知っておく必要がある。

  安倍は、日本軍性奴隷のみならず、南京虐殺など、アジア太平洋戦争(193145年)という侵略戦争中に日本軍が犯した様々な戦争犯罪の歴史事実を全面的に否定し、そうした歴史真実を隠蔽する積極的な活動を、国会議員に初めてなった1993年からこれまでの26年あまり、一貫して続けてきている。その活動内容は、「政治的反対運動」と単純によべるものではなく、欺瞞と虚偽、政治的圧力といった様々な邪悪な手段を使うものであったことは、彼の歴史問題に関する経歴を調べてみれば一目瞭然である。

  安倍は、議員になるや、「侵略戦争の歴史否定」を唱える自民党議員の集まりである「歴史検討委員会」のメンバーとなった。1995年には、「戦後50年国会決議」、通称「戦争謝罪決議」あるいは「不戦決議」と呼ばれるものの採択を阻止し、「戦争謝罪決議」のかわりに「戦没者追悼・感謝決議」の国会採択を求める運動を全国で展開する「戦後50年国民会議」に加わり活躍した。96年からは日本軍性奴隷問題のみならず、南京虐殺、強制連行、日本のアジア侵略、植民地支配などに関する教科書記述が著しく偏向していると非難攻撃を展開する 「『明るい日本』国会議員連盟」の事務局次長に就任。「自由主義史観研究会」や「新しい教科書をつくる会」を立ち上げた藤岡信勝(当時、東京大学教授)、高橋史朗(明星大学教授)、西尾幹二(当時、電気通信大学教授)といった右翼知識人らとも密接に連携して、文部省に政治的圧力を加える中心的役割を果たした。安倍はまた、2000128日から12日の間に東京で開かれた「日本軍性奴隷制を裁く女性国際戦犯法廷」を紹介するNHKテレビ・ドキュメンタリーの内容を、自民党の同僚政治家である中川昭一と結託して、NHKスタッフに恫喝まがいの圧力をかけて改竄させるという暴挙を行った。
  20069月に首相の座に着くや、「慰安婦に対する狭義の強制性」の事実を裏づける証拠はないから、教科書でこの問題を取り上げるべきではないと国会で主張。(安倍の言う「狭義の強制」とは「暴行や脅迫を使って女性を慰安所に連行した」ことを意味しているが、騙されて「慰安所」に連れていかれ、「暴行や脅迫」を受けて性奴隷となった女性たちが無数にいたことを隠蔽するための「強制」定義である。)それのみか、「A級戦犯は国内法的な意味では犯罪者ではない」とまで安倍は述べて、東京裁判の法的正当性を根底から否定する発言も行った。
  ところが、20071月、米国民主党の連邦議会下院議員であるマイケル・ホンダらが、「慰安婦」問題で日本政府に被害者に対する謝罪要求を行う決議案を下院に提出し、安倍の日本軍性奴隷問題に関する発言をアメリカのメディアがこぞって厳しく批判するや、態度を一変。同年4月に訪米し、ブッシュ大統領と首脳会談を行った際には、自分のほうから「慰安婦問題」に触れ、「自分は、辛酸をなめられた元慰安婦の方々に、人間として、また総理として心から同情するとともに、そうした極めて苦しい状況におかれたことについて申し訳ないという気持ちでいっぱいである」(強調:引用者)と発言。かくして、安部は、日本軍性奴隷問題で犠牲者とは直接関係のない米国の大統領の前で「謝罪」表明を行い、それを米国大統領が受け入れるという、犠牲者を全く無視したブラック・ユーモアと称すべきような茶番劇を行った。当然、その後現在まで、日本軍性奴隷にさせられた女性たちに直接彼が日本の首相として謝罪するということは1回も行っていない。それが、本当に「人間として」とるべき態度であろうか。
  2012年末の総選挙で自民党が圧勝し、再び首相の座に返り咲いた安倍は、1993年発表の「河野洋平官房長官談話」の見直しを提唱。20137月の参議院選挙でも自民党が圧勝した後は、さらに歴史問題で日本の戦争責任否定の言動を強化。2014年初頭からは、「河野談話」検証要求の強い声を安倍支持派の自民党議員から出させ、同年620日には検討委員会による結果報告『慰安婦問題を巡る日韓間のやりとり経緯:河野談話作成からアジア女性基金まで』を発表。しかし、検討委員会は、談話作成のために使われた肝心の資料そのものに関する調査・検討は一切行わず、「河野談話」は、韓国側からの一方的な強い要求を最終的には受け入れざるをえなくなり、日本側が不本意ながら「強制」を認める形で作成されたという印象を強くあたえようという、悪意に満ちた政治的意図でこの報告書を作成した。
  周知のように、「河野談話」は、日本政府(宮澤喜一内閣)が行った調査の結果を199384日に公表し、日本軍が「慰安所」設置に直接関与していたことをはっきりと認めると同時に、当時の内閣官房長官・河野洋平が「談話」として日本政府の責任を認めたものである。この調査では、1948年にオランダが行った戦犯裁判である「バタビア裁判」記録や戦時中に米軍が作成した関連報告書など、合計260点以上の資料を参考にすると同時に、実際に16名の被害者女性と「軍慰安所」関係者約15名からの聞き取り調査が行われた。すでに述べたように、上記の「河野談話」検討委員会は、これらの調査資料の信憑性については一切言及してない。それもそのはず、なぜなら、これらの資料には疑わしいものが全くないからである。(ちなみに、その後も、「慰安婦」が日本軍性奴隷であったことを証拠づける数多くの資料  その中には東京裁判検察局に提出されたものもある  が発見されている。)
  ところが、20148月には、198090年代に朝日新聞が発表した誤報記事のために「慰安婦強制連行」があったという事実無根の情報が世界中に流れた、とする猛烈な「朝日新聞バッシング」と元朝日新聞記者の植村隆に対する個人攻撃が展開された。この背後にも安倍ならびに安倍支持派の自民党政治家たちの存在があった。この「朝日新聞バッシング」は、「河野談話バッシング」と連結させて画策されたものであったことは言うまでもない。
  こうした一連の安倍内閣による「慰安婦バッシング」に深く憂慮した国連の拷問禁止委員会や自由権規約委員会などが、日本政府に対して、元「慰安婦」に対する人権侵害的言動を改め、国家責任を認め、彼女たちに公的謝罪を表明し且つ十分な賠償を与えること、さらには「この問題に関して学生ならびに一般市民を教育し、その教育には教科書による適切な参考書を含むこと」などの勧告を、これまで再三にわたって発してきた。しかし安倍内閣は、破廉恥にもこうした勧告を一切無視してきた。
  結局、歴史事実を否定しようとするこうしたさまざまな陰険な画策によってもなんら功をおさめることができなかった安倍内閣は、「河野談話をこれからも継承していく」と表面では言いながら、実際には、「河野談話」があたかも歴史事実に基づいていない虚偽の報告書であるかのような発言や欺瞞的な画策を引き続き行い、韓国政府をはじめ関係各国政府の政治的信頼を失う結果をもたらしてきたのである。

「日韓合意」の失敗は誰にあるのか

  安倍内閣の「慰安婦」問題へのこうした欺瞞的な対処の仕方に国内外から批判がやまなかったため、安倍は、201512月末に、「日韓合意」という形でこの問題に決着をつけようと考えた。
  2015年末、日韓外相会議を開き、「慰安婦問題」での「最終的、不可逆的な解決」で日韓両政府が合意したと発表。しかし、この「合意」の内実は、日本軍性奴隷の被害者の思いは完全に無視する一方で、日本の法的責任は認めず、「賠償」ではないと主張する10億円という金を出すことで、今後はこの問題を再び日韓間で問題にはしない約束をとるという、甚だしい被害者人権侵害以外の何物でもない。しかも、本来なら加害国である日本が賠償責任をとるべきであるにもかかわらず、財団を韓国政府に設立・運営させることで、責任を被害国におしつけるという破廉恥な要求である。さらには、ソウル日本大使館前に置かれている「平和の碑(少女像)」も移転させるという日本側の要求も、その「合意」の内容に含まれていた。
  「責任を痛感している」はずの安倍政権が、本来の被害者である高齢のハルモニたちに対しては直接に「謝罪」表明は全くしないどころか、結局は「10億円出すから今後はこの問題については黙れ」、「その歴史的象徴である『平和の碑』も人目につかないところに移転させろ」と言ったわけである。つまり、「最終的、不可逆的な解決」とは、結局、10億円という金で日本軍性奴隷の存在という歴史事実に関する記憶を買い取り、その記憶を抹消することを目的とするものだったのである。さらには、「責任を痛感している」と言いながら、20162月に開かれた国連女性差別撤廃委員会の対日審査では、日本政府代表の杉山晋輔外務審議官が、「慰安婦強制」を証明する資料は見当たらないし、朝日新聞の誤報のせいで全く間違った情報が行き渡ってしまったと、相変わらず、世界中から失笑を買うような虚妄発言を続けた。日本にとって絶望的なのは、安倍自身をはじめ安倍政権閣僚たちや安倍支持者たちが、自分たちがやっていることが、どれほど失笑を買う低劣な行為と海外から見られているのかを全く認識していないことである。
  さらに問題なのは、日本軍性奴制の被害者は韓国人だけではなく、アジア太平洋全域にわたっているにもかかわらず、「日韓合意」では韓国以外の被害者の存在は完全に無視されてしまったことである。安倍が本当に「責任を痛感している」ならば、韓国以外の被害者に対する「謝罪」についても具体的にどのような形で「謝罪」するのかの説明をするのが当然なわけである。ところが、この「日韓合意」発表があった数日後には、台湾政府が、台湾の元日本軍性奴隷に対して日本政府が謝罪と倍賞を行うことを要求する方針を発表したが、官房長官・菅義偉は、日本政府はこの台湾の要求には応じないと答えた。「責任を痛感している」というのは、いつもの安倍流の真っ赤な嘘であることがこれで判明した。 

  日本軍性奴隷問題は「政治決着」できるような性質のものではなく、由々しい「人権問題」であり、いかにすれば被害者の「人権回復」につながるのかという視点からのアプローチが必要であるという根本的認識が、安倍をはじめ自民党のほとんどの政治家には最初から欠落している。結論的に言えることは、日本の法的責任も認めない、10億円での被害者記憶抹消を狙った「最終的、不可逆的な解決」とは、実にあさましい、人間として恥ずべき、低劣な政治行為である。したがって、こんな欺瞞的な「日韓合意」が、結局は失敗に終わってしまったことも、全く不思議ではない。それどころか、犠牲者に対するこのような不誠実な対応は、さらに韓国民衆の怒りを掻き立て、「強制労働(いわゆる「徴用工」)」問題での安倍政権批判を一挙に高めてしまった。
  確かに、こんな酷い「政治決着」提案を、主として米韓日の軍事同盟の利害に基づき、基本的には被害者を無視してそのまま受け入れてしまった当時の韓国政府・朴槿恵内閣にも責任の一端はある。しかし、被害者の人権を全く無視して、自国に都合のいいような欺瞞的な「政治決着」をはかろうとした加害国である日本の政府に最も重い責任があることはいうまでもないことである。にもかかわらず、失敗を一方的に韓国政府のせいにし、今度は韓国への輸出禁止という愚策でさらに日韓関係を悪化させるという、本当に情けない状況を安倍政権は繰り返し作り出している。

「記憶」の抹殺を狙う「元慰安婦は嘘つき」という主張と広島での出来事

  有名な哲学者ハナ・アーレント(1906-75年)は、自著『全体主義の起源』第3巻で、ホロコーストの真に恐ろしい本質は、その犠牲者が殺害されるということだけではなく、その人が生きていたという存在そのものの記録とその人に関する「記憶」自体が「忘却の穴」に落とされて抹消されてしまうことであると述べた。「記憶」をめぐるアーレントのこの鋭い洞察を「日本軍性奴隷」問題に当てはめてみるならば、今も存命中の元日本軍性奴隷、いわゆる「元慰安婦」の女性たちに対して、「金をやるからこれ以上話すな」とか、安倍を支援する日本会議のように「性奴隷」など存在しなかったと彼女たちを「嘘つき」呼ばわりすることは、彼女たちに関する「記憶」を「忘却の穴」に落とし込み、「あたかもそんなものは嘗て存在しなかったかのように地表から抹殺してしまう」ことなのであると言える。

  ドイツの哲学者テオドール・アドルノ(1903-69年)も、被害者を「記憶」から抹消してしまうことの本質を、自著『自立への教育』の中で以下のように解説している。「無力な私たちが虐殺された人々に捧げることのできる唯一のもの、つまり記憶ですら、死者から騙し取ってやろうというわけです。記憶こそ私たちが死者に捧げうる唯一のもの」。したがって、日本軍がアジア太平洋戦争中に犯した様々な残虐行為を、「そんなものはなかったのだ」と否定することは、被害者がいなかったことにすることであり、すなわち、その人たちの「記憶を騙し取る」ことなのであるそれゆえ、「南京虐殺などでっちあげ」とうそぶき、元日本軍性奴隷を「嘘つき」呼ばわりする安倍と彼の仲間たちは、「記憶」を「忘却の穴」に落とし込むその「穴の墓掘り人」であると同時に、「記憶の盗賊」なのである。

  アドルノは別の著書で「わたしたちが連帯すべき相手は人類の苦悩である」と述べているが、苦悩と連帯するためには、苦悩を受けた人の「痛み」の「記憶」を、私たち自身が自分の「記憶」として内面化することが必要である。未来への希望は、そのような「苦悩」の「記憶の共有」からこそ生まれるものであって、自分たちが犯した犯罪行為の被害者の「記憶の抹殺」、すなわち「忘却」からは決して生まれない。「忘却というものは、いともたやすく忘却された出来事の正当化と手を結びます」とアドルノが述べているように、まさに安倍とその仲間たちがやっていることは、日本の侵略戦争の「正当化」なのである。

  この関連で言えば、広島市民にとってひじょうに恥ずべきことには、今年416日~24日、広島市が管理する公共施設「まちづくり市民交流プラザ」という建物内にて、日本会議に連なる右翼組織「新しい歴史教科書をつくる会」広島支部が主催する、「これが『慰安婦』の真実だ!日本政府は謂れなき謝罪と賠償を取り消せ!」というテーマの「慰安婦の真実パネル展」なるものが開催された。このパネル展では、被害者のハルモニたちが虚偽の証言をしているのであり、人権を侵害されて強制された性奴隷などではなく、それ相応の金銭的見返りを受けた自主的な売春婦であったと主張。「『日本軍に性奴隷にされた』話は全くの嘘」と主張して、戦争犠牲者を「嘘つき」だと明言することで、犠牲者をはなはだしく軽蔑、罵倒した。これこそまさに、「記憶の騙し取り」行為であった。

  韓国人に対する日本人の憎悪を煽るようなこのパネル展は、元日本軍性奴隷という戦争被害者に対する、明らかな「侮辱罪」あるいは「名誉毀損罪」に当たる犯罪行為であって、二度とこのようなパネル展のために市の公共の建物の使用を許すべきではないという要請文を、「日本軍『慰安婦』問題解決ひろしまネットワーク」が市長・松井一實に宛てて5月末に提出した。これに対し、市長ならびに市役所側は、「表現の自由」があるため、展示内容を直接の理由に使用を制限することは困難であり、しかも展示内容の正確性等は主催者の責任であって市の責任ではないと主張し、その要請を受け入れることを拒否した。

  表現の自由には「他者の人権を侵害しないこと」が必要不可欠であることは世界の常識であり、これを無視して「表現の自由があるから広島市はなにもできない」と主張することは、つまり、広島市が「ヘイト・スピーチ(憎悪表現)」という人権侵害行為に加担しているということを意味しており、市にもその人権侵害行為の重大な責任があるのだということが、市長や市の職員には全く認識されていないのである。ドイツをはじめ、ヨーロッパの多くの国々では、戦争被害者/被害国に対するこの種の暴言・侮蔑行為に加担することは由々しい「犯罪行為」とみなされている。個々人の「自由」にはその自由行動によって「他者の人権を侵害しないこと」が必要不可欠な条件であって、これが国際的にはあたりまえの人権感覚なのであるが、「国際文化平和都市」と自称する広島市の市長や職員には、このあたりまえの人権感覚が完全に欠如しているのである。

  ちなみに、本来ならば、広島市は「日韓合意」についても、「あたりまえの人権感覚」に基づいて、厳しい批判の声をあげていなければならないのである。なぜなら、この「日韓合意」は、広島に譬えて言うならば、原爆無差別大量殺傷という「人道に対する罪」を犯した米国政府が、日本政府や被爆者の人たちに対して、「金をやるから原爆被害体験については今後一切口にするな、反核運動もするな、被爆者の像を平和公園から除去せよ」という「米日合意」を提唱していることと同じことであるからだ。もちろん米国政府はこんな条件付きの謝罪すらするはずはないが、もしもそのような提唱があったとするならば、広島市民は、また日本人は、どのように思うだろうか。安倍政権が提案した「日韓合意」とは、実はこれと同様の提案だったのである。

結論:自国の加害責任追及失敗と米国の戦争加害責任を追及しないことの相互関連性

  安倍は、「日韓合意」を、「私たちの子や孫の世代に、謝罪し続ける宿命を負わせるわけにはいかない。その決意を実行に移すための合意だ」と説明したが、この発言には、安倍の「戦争責任」と「謝罪」に関する浅薄な考えが如実に表れている。戦後の世代には、確かに日本軍が犯した戦争犯罪に対する直接の責任はない。しかし、そうした過去の国家責任を十分にとらないどころか、戦争犯罪を犯した事実すら否定してしまう政権に、歴史的事実を明確に認識させ、正当な国家責任をとらせることを追求しなければならない国民としての義務と責任が、戦後世代の我々にはあるということが安倍には理解できないらしい。しかも、安倍のような人物が首相であれば、国民はますます「謝罪を続ける宿命を背負わされる」ということに、当の本人が気がつかず、このような発言を堂々と行うこと自体が、日本国民にとってはひじょうに不幸なことなのである。
  さらに指摘しておかなければならないことは、残虐な戦争犯罪の被害者に対する「謝罪」は、単なる「おわびの言葉」だけで、ましてや金銭ですませることができるような軽いものではないことである。真の「謝罪」とは、我々の父や祖父の世代が犯した様々な戦争犯罪行為と同じ残虐行為を、我々日本人はもちろん、どこの国民にも再び犯させないように、我々が今後長年にわたって地道に努力していくことである。「戦争犯罪防止」という、そのような堅実な「謝罪活動」によってこそ、加害者側は、はじめて被害者側から信頼を勝ちえることでき、「赦し」をえて「和解」に達することができる。
  日本人は全般的に、自分たちの戦争被害、とりわけ太平洋戦争末期に米軍が日本全土で展開した無差別空爆 - とりわけ焼夷弾を使った市民焼き殺し作戦と広島・長崎での原爆無差別大量虐殺  については、常にその被害の惨たらしさについて強調する。日本の「平和教育」も、もっぱらこの自分たちの被害体験に言及するものばかりで、自国の将兵たちがアジア太平洋各地での侵略戦争と朝鮮・台湾の植民地支配で犯した様々な残虐行為を「平和教育」の教材にすることはほとんどない。
  米軍による空爆殺戮の体験と惨状とについては詳しく教えるのであるが、ところがそれほどまでに残虐な市民大量殺傷(推定死傷者数102万人、うち死亡者は56万人)という「人道に対する罪」を犯した米国の責任についてはほとんど言及しない。広島の原爆資料館がその典型的な例である。この資料館には広島市と市民が原爆で受けた破壊と殺戮の惨状については詳しく情報を展示するのであるが、そのような非人道的な惨状をもたらした米国の責任については一切言及しない。つまり、日本人の「戦争被害意識」は「加害者を認識しない被害意識」という不思議な意識なのである。なぜこのような特異な意識が全国民的なものとなっているのか、その原因についてはここで詳しく解説している余裕がないので、別の機会があればと願う。
  問題は、この特異な戦争被害意識が常に再生産的に作り出している以下のような日本の状況である。他者=アメリカが自分たちに対して犯した残虐行為の犯罪性とその責任を徹底的に追及しないからこそ、自分たちが犯した戦争犯罪の被害者=朝鮮人、中国人を含むさまざまなアジア人の痛みとそれに対する責任の重大性にも想いが及ばない。自分たちが他者=アジア人に対して犯したさまざまな残虐行為の犯罪性とそれに対する自己責任を明確にかつ徹底的に認識しないからこそ、他者=アメリカが自分たちに対して犯した同種の犯罪がもつ重要性も認識できない、という悪循環を多くの日本人が繰り返しているのである。
  日本の首相・安倍晋三が、「日韓合意」という恥ずべき提案を厚顔無恥にも出し、その失敗を被害国の韓国政府の責任にしてしまう破廉恥な言動が出てくる背景、さらには、そうした安倍の外交政策を正当なものと見なしてなんの問題も感じない大部分の日本国民とメディアの状況の背景には、上記のような戦争責任問題の認識の仕方に決定的な欠陥があるからだ。
完 -


※田中利幸氏の講演会が札幌で開かれます
■田中利幸さん講演会
「いま考えよう 万人平等と天皇制 天皇制廃止に向けての第一歩」
8月10日(土)13時30分~16時50分 (開場13時)
札幌エルプラザ4階大研修室 (JR札幌駅北口)
集会あいさつ 花崎皐平さん
参加費(資料代)1000円 (予約800円)、高校生以下無料
主催 田中利幸さん講演会実行委員会
連絡先 090-9516-3750(松元)

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