2017年4月4日火曜日

植村隆のソウル通信第10回

大統領の逮捕 裁かれる「元女王」の国政責任

朴槿恵・前大統領の逮捕を報じる韓国の保守系新聞「朝鮮日報」一面をソウルの
青瓦台(大統領府)前で撮影した。同紙は、「王のような大統領、予告されてい
た悲劇」という見出しと共にやつれた表情の朴氏の連行写真を載せていた。下の
小さな顔写真は歴代の大統領

韓国前大統領の朴槿恵容疑者(65)が3月31日未明、収賄などの容疑でソウル中央地検に逮捕された。ソウル拘置所に収容され、独房生活を送っている。親友の国政介入事件で、同月10日に憲法裁判所の決定で、大統領職を罷免されて、3週間後のことだ。韓国の大統領経験者で逮捕されたのは、内乱罪や不正蓄財などに問われた盧泰愚と全斗煥以来、3人目となる。大統領だった父の朴正熙は1979年に側近に暗殺された。保守層から絶大なる支持を受けてきた娘は、刑事事件の容疑者として、取調べを受ける立場になった。

朴容疑者は容疑を全面的に否認しているという。ソウル中央裁判所は「主要な容疑が立証されており、証拠隠滅の恐れがある」として、逮捕状の請求を認めた。朴容疑者に対する、国民の怒りは強く、世論調査では、逮捕に賛成する人は7割にも上った。

■王のような大統領、予告された悲劇
保守系で最大部数を誇る「朝鮮日報」は4月1日の一面で、逮捕されてソウル拘置所に検察の車で移送される朴容疑者の横顔写真を載せていた。やつれて、放心しているように見える。見出しが、強烈だった。「王のような大統領、予告された悲劇」とあった。その下には、学生デモで下野した李承晩から、朴容疑者の前任の李明博まで8人の大統領の顔写真が並んでいた。こういう説明がついていた。「他の大統領も自身や家族が法の裁きを受けたり、任期を正常に終えることができなかった」

この見出しに倣えば、朴容疑者は「逮捕された元女王」ということになる。私は青字のボールペンで線を引きながら、記事を精読し、心の中で、うなずいた。

《朴・前大統領は2012年の大統領選挙を準備する際、自分自身や親類の不正で汚点を残した元職大統領の轍は踏まないと、特別な対策を何度も発表した。大統領選の1カ月前には、権力型不正の原因として「帝王的大統領制」を挙げ、特別検察官制や常設特検制を公約した。大統領選の公約集でも、「帝王的大統領制」流の政府運営を指摘して「各政権で大統領の親類や側近の権力型不正が発生し続け、韓国国民の不信が深刻化した」と記し、「大統領の親類および特殊関係者の腐敗防止法」などを導入する意思を明らかにした。就任後は、血縁の朴志晩(パク・チマン)EG会長一家との往来すら絶ち、「側近不正なき大統領」に向けた意思を見せた。しかし、40年来の知人だった崔順実(チェ・スンシル)被告の国政介入問題で、朴槿恵氏自身も「帝王的大統領のわな」にはまり、不幸な大統領のリストに名を連ねることになった》(朝鮮日報日本語版HPより)

■絶対的権力は絶対に腐敗する
韓国の大統領は強大な権限を持っている。今回の朴容疑者の犯罪は、個人的なものではあるが、それが大統領という権力によって、増幅されたことは間違いないだろう。1987年に憲法が改正され、大統領直選制度が復活した。この憲法では、大統領は5年間の任期で、再選は出来ない。これは朴正熙長期独裁政権への反省から、できたものだ。強大な権限を持つ大統領制度で、かつ、単任制。英国の歴史家ジョン・アクトンは専制君主の権力について、「権力は腐敗する。絶対的権力は絶対に腐敗する」と言ったが、韓国でもそれが当てはまる。そして、政権末期には、レームダック化する。政権末期に、政権の腐敗が露見するのは、こうした制度にも問題があるからだろう。

そうだ。「主人」のいなくなった、あの場所を背景にして、この新聞の写真を撮ろう。そう考えた。

 あの場所とは、青瓦台(大統領府)である。朴容疑者が、罷免されるまでの4年間あまり、執務し、暮らした場所だ。大統領の娘として、自身が大統領になる前にも、彼女はそこでに十数年暮らした。

光化門広場近くのコンビ二で、新たに「朝鮮日報」を買い求めた。歴史的な写真になると考え、書き込みのない、きれいな新聞がいいなと思ったのだ。それをデイパックに入れて、青瓦台に向かった。観光地図を参照してもらいたい=写真右。青瓦台は、朝鮮王朝の正宮だった景福宮の後ろ側にある。光化門はその正門だ。ちなみにローソク集会の開かれていた光化門広場とは、この光化門の南から地下鉄光化門駅までをつないだ縦長の広場である。土曜日とあって、景福宮周辺はレンタルの韓服を着た観光客が周辺を散策している。かつてのように、朴退陣を求めるデモもなく、のんびりとした雰囲気だ。

景福宮の左側の道・孝子路を歩く。景福宮の後ろ側に回りこむ形で、青瓦台正門を目指した。歩道わきの街路樹では鳥の鳴き声が騒がしい。青瓦台のすぐ裏は、北岳山という山がそびえている。都心に近いが、自然があふれているのだ。すれちがった観光客も「鳥が多いな」と驚いていた。私はデイパックから「朝鮮日報」を取り出し、手に持って歩いた。

正門前では、家族連れなどが記念写真を撮っていた。正門の後ろには、青い瓦の本館が見える。私は「朝鮮日報」を左手に持ち、右手にスマホをもって写真を撮ることにした。スマホを片手で操作するのはなかなか、難しい。それでも、何とか2枚だけ、撮影することができた。なぜ2枚だけか。警備していた警察官に写真撮影を止められたからだ、この写真の右上に写っている指は制止させようと手を回してきた、その警察官のものである。
 
警察官によれば、記念写真はいいが、プラカードのようなものを持って、青瓦台前に来たらダメなのだという。「これは新聞、それも朝鮮日報ではないか」と言ったが、通じない。しばらく問答したが、らちが開かない。まあいいや。もう目的は達したので、警察官と握手して別れることにした。歩きながら、スマホの写真を見たが、ばっちりと新聞にピントが合い、後ろに青瓦台の正門や本館がややぼけて写っている。なかなか面白い写真になった=最上段の写真。
5月9日には青瓦台の新たな「主人」となる大統領選挙の投票が行われる。そして、その5年後には、その「主人」の運命はどうなっているのだろうか。

■この国の宿痾、大企業・財閥との癒着
私のカトリック大学の研究室の机の上には、朴容疑者関連の本が10冊ある。大学図書館で貸出限度一杯借りてきたものだ。うち7冊は2012年12月の大統領選挙の前に出されたもので、表紙になった朴容疑者の表情は生き生きとしている。
カトリック大学の図書館にある朴氏関連書籍
この時の大統領選挙では、朴容疑者は得票率51.55%だった。民主化で、大統領直選制が復活した1987年以降、得票率が過半を超えたのは初めてで、しかも得票数1577万3128は歴代最多だった。民主統合党(当時)の文在寅候補との事実上の保革一騎打ちだった。文候補の得票率も48・00%で、かなり激しい闘いを勝ちぬいたのだった。そして、翌13年2月の就任式での演説では、朴容疑者は「国民の幸福」をさかんに繰り返していた。
在日本大韓民国民団(民団)のHPに日本語訳全文が掲載されている。
いま、この演説文を再読すると、意味深な言葉があるのに気づいた。
 《国の国政責任は大統領が負い、国の運命は国民が決めるものです。わが大韓民国が進んで行く新たな道に国民の皆さんが力を与え、活力を吹きこんでくれるよう望みます。》(民団HPより)

ローソクデモ、国会での弾劾訴追案可決、憲法裁判所での全員一致の罷免決定、そして、逮捕。まさに今回の「国の運命を決めた」主役は、国民だった。そして、朴容疑者はいま、その国政責任を裁かれる立場になった。
 今後、朴容疑者の本格的な取り調べが始まる。4月中旬までに起訴される見込みだ。朴容疑者の容疑は13に上る。いずれも崔被告と共謀したとされる。崔順実被告への機密文書流出容疑などのほかに特に二つの容疑が注目される。いずれも大企業や財閥との癒着疑惑である。

①【大企業に圧力をかけた強要容疑】
韓国の大企業に、親友の崔被告が事実上支配する2つの財団(Kスポーツ財団、ミル財団)に計774億ウォン(約77億円)の資金を拠出するように要求した疑いなど
②【韓国最大の財閥サムスングループ経営トップからの収賄容疑】
サムソン物産と第一毛織というサムソングループ内の企業合併に協力し、見返りとして、事実上の経営トップのサムスン電子副会長の李在鎔被告らから、崔被告への支援の形で、約束分も含め総額433億ウォン(約43億円)の賄賂を受け取った疑い

この国の「宿痾 (しゅくあ)」ともいうべき、大統領と財閥・大企業との癒着が、今後の捜査や公判廷で明らかにされることになる。そして国民はその実態を改めて直視することになる。それは反面教師としての「元女王」の失政の「最大遺産」になるかもしれない。

197812月にあった父親の大統領就任式で共に国民儀礼をする26歳の朴槿恵
=「写真と共に読む大統領朴正」より