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2021年10月1日
不当なバッシングを許さない! 植村隆さんの名誉回復を求め、表現の自由と民主主義を守るために、ともにたたかう市民のネットワーク!
植村隆氏のたたかいの日々に密着したドキュメンタリー映画「標的」(西嶋真司監督、ドキュメントアジア制作)が、今年度のJCJ賞を受賞しました。JCJ賞は日本ジャーナリスト会議(JCJ)が1954年から毎年、優れたジャーナリズム作品・活動に贈っている賞です。今年度は8月31日の選考会議で「標的」ほか計6点が選ばれました。贈賞式は9月25日(土)13時から東京・水道橋の全水道会館で開催されます。
「標的」の制作にあたっては、支える会も取材協力、資金カンパ、宣伝などの面で、全面支援をしてきました。西嶋監督ほかスタッフの皆さん、”主演”の植村氏とともに、受賞の喜びを分かち合いたいと思います。
「捏造」批判は許されるのか?
ドキュメンタリー映画「標的」支援プロジェクト - 日本ジャーナリスト会議賞を受賞
ドキュメンタリー映画「標的」が今年度の「日本ジャーナリスト会議賞」を受賞しました。「日本ジャーナリスト会議賞」は優れたジャーナリズム活動に対して毎年贈られるもので、今年で64回目を迎えます。クラウドファンディングを通じて多大なご支援をいただいた皆さまに、受賞の報告と共にあらためてお礼を申し上げます。
今回受賞した6つの報道は、いずれも、闇に閉ざされたこの国の一面を鋭く追求したものばかりです。映画「標的」は捏造バッシングに怯まなかった元新聞記者と、日本のジャーナリズムを守るために立ち上がった市民や弁護士、メディア関係者の行動を追った内容です。不都合な報道に対して圧力をかけようとする国家権力に堂々と立ち向かった人々の勇気が評価され、今回の受賞に繋がったものだと思います。
映画は劇場公開に向けた準備が進んでいます。9月中旬には「標的」のホームページが開設されます。是非ご覧ください。
2021.9.8 updated 映画「標的」公式サイトが公開されました。最新情報、予告編、メッセージ、自主上映案内などを収録。英語、韓国語表記もあります。 公式サイト
2021年JCJ賞受賞作一覧 (JCJ発表資料による)
【JCJ大賞】2点(順不同)
● キャンペーン連載『五色のメビウス ともにはたらき ともにいきる』 (信濃毎日新聞社)
農業からサービス産業、製造業まで、「低賃金」の外国人労働者の存在なくして明日はない、日本の産業界。新型コロナ禍によって、その現実が改めて浮き彫りにされた。「使い捨て」にされ、非人間的な扱いをされている彼らの危機的な実態に迫ったのが、本企画である。「命の分岐点に立つ」外国人労働者の迫真ルポ、送り出し国の機関から日本の入管、雇用先、自治体など関連組織への徹底取材。半年にも及ぶ連載は、日本ではとかく軽視されがちな外国人労働者問題の深刻さを、私たち1人1人が真剣に考えていくための新たな視座を提供してくれる。
● 平野雄吾『ルポ入管―絶望の外国人収容施設』 ちくま新書
外国人を人間扱いしない入国管理制度の現場の実態を生々しく伝えるとともに、憲法や国際的な常識を逸脱した各種の判決を含め、入管制度が抱える法的な問題点をも明らかにしたルポである。日本の政治と人権をめぐる状況の象徴のひとつといえる入管制度であるが、入管制度の法改悪はいったん頓挫した。それはスリランカ人女性の死という犠牲があったうえのことだ。出入国在留管理庁という機関が誕生したいま、今後も改悪の動きは出てくることが予想される。そのためにも多くの人に読んでほしい1冊であり、グローバルな視点を持ったルポとして賞にふさわしい。
【JCJ賞】3点(順不同)
● 菅義偉首相 学術会議人事介入スクープとキャンペーン (しんぶん赤旗)
2020年10月1日付1面トップで、就任したばかりの菅義偉首相が、日本学術会議から推薦を受けた次期会員候補数人を任命拒否した問題をスクープした。同日付の赤旗電子版で、任命拒否された6氏の氏名を報じ、続くキャンペーン報道で、学問の自由への不当介入を厳しく批判し、任命拒否の6氏は安倍内閣の安保法制、共謀罪の反対者であると明らかにした。当事者だけでなく幅広い研究者団体の声を紹介。1983年に学術会議法を改定した際の政府文書で、首相の任命は形式的と明記していたことを報じ、任命拒否の不法性を告発した。昨年の「桜を見る会」(赤旗日曜版)問題に続く、権力者トップの違法行為を暴いた傑出したスクープといえる。メディア各社が後追いし、国会の追及に菅首相は答弁不能に陥る事態となった。
● ETV特集「原発事故“最悪のシナリオ”~そのとき誰が命を懸けるのか~」(NHK)
2011年3月、東日本大震災で東京電力福島原発爆発事故が発生した。番組は当時、この事故による「最悪のシナリオ」が首相官邸・自衛隊・米軍でそれぞれ作られていたことを明らかにする。菅直人首相、北沢俊美防衛相ら100名以上の関係者に取材した証言を積み重ね、事態が「最悪のシナリオ」寸前の危機にあったことを浮かび上がらせる。番組は、東京電力の無責任・不誠実な対応を暴き出す。自衛隊幹部は、東電の勝俣恒久会長(当時)から「(爆発した)原子炉の管理を自衛隊に任せたい」と依頼された事実を証言するが、勝俣氏をはじめ東電幹部は誰一人、インタビュー要請に応じない。原発再稼働を画策する人たちは、この番組を見て思考停止を解き、もう一度考える必要がある。
● 映画「標的」(監督・西嶋真司 製作・ドキュメントアジア)
元朝日新聞記者の植村隆は1991年8月、「元慰安婦 重い口を開く」と記事を書いた。約四半世紀後の2014年、櫻井よしこらによる植村へのバッシング攻撃が突然始まった。映画「標的」は植村に対する卑劣かつ凶暴な攻撃の実態と、植村の訴えに背を向け、不当判決を繰り返す司法の不当な姿を映し出す。歴史修正主義の逆流を剝き出しにした攻撃と闘う植村に、一筋の光となる記事が見つかった。「週刊時事」(92年7月18日号)に櫻井寄稿の原稿が掲載されている。その中で櫻井は「売春という行為を戦時下の政策の一つとして、戦地にまで組織的に女性たちを連れて行った日本政府の姿勢は言語道断」と書いている。植村の記事と同じ内容だ。植村は、朝日新聞阪神支局で赤報隊の銃弾に斃れた(1987年5月)小尻記者の墓に足を運び、手を合わせた。小尻とは同期入社の仲だ。「バッシングは許せないと、多くの人が支援してくれる。私には喜びであり、感謝しかない」と植村。ジャーナリズムは植村を孤立させてはならない。
【JCJ特別賞】1点
● 俵義文 日本の教科書と教育を守り続けた活動
子供たちを再び戦争に送り込む教育は断じて許せない。その信念のもとに俵義文氏は「子どもと教科書全国ネット21」の事務局長(のち代表委員)として政府の教科書検定や教育基本法の改悪などと闘い、「新しい歴史教科書をつくる会」や「日本会議」による教科書採用圧力などの攻撃に対して粘り強く運動を展開し反撃してきた。活動の集大成として昨年末に『戦後教科書運動史』(平凡社新書)を出版し、多様な教科書攻撃の実態とその害毒の深刻さ、社会的反撃などを克明に記録し、的確な分析を加えた。しかし本年6月7日、惜しまれながらその80年の生涯を終えた。文字通り人生を捧げて日本の教科書と教育を守り続けた活動の意義は大きく、故人とその業績に対してJCJ特別賞を送る。
慰安婦の記憶と記録を消し去ろうとする勢力に対抗するために
1991年8月に韓国で初めて元慰安婦婦の金学順(キムハクスン)さんが名乗り出てから30年がたつ。金学順さんの証言は、慰安婦の被害の実態を明らかにし、日本と韓国の社会を大きく揺さぶった。金学順さんの名乗り出を初めて報じた植村隆記者は、その23年後に右派言論人らから捏造記者の烙印を押され、激しいバッシングを浴びた。そして30年後のいま、歴史の記憶を消し去ろうとする勢力がまた息を吹き返そうとしている。敗訴判決が確定して終結した植村裁判は、慰安婦問題の現状を映し出す鏡のように思える。
「金学順さんカミングアウトから30年・記念イベント」は、そのような状況の中、8月7日、東京で開かれた(日比谷の日本プレスセンター大ホールで、午後1時~4時30分)。イベントは植村裁判の最終報告会を兼ね、2部構成で行われた。8月に入ってから東京ではコロナ感染が急拡大していたため、前日に予定を変更し、会場は関係者の感染対策を徹底した上で無観客とし、一般参加予定者にはZOOMでライブ配信をした。また、3人の発言者(東京、札幌、福岡)もZOOMでの参加に切り替えた。ライブ配信は初めての試みだったが、トラブルもなくスムースに行われた。=まとめ文責・HN
第1部では、映画「標的」の短縮版(25分)がリモート配信上映され、続いて、札幌訴訟と東京訴訟の各弁護団事務局長が、判決の問題点と裁判の成果を含む結果について報告をした。両弁護士の報告の締めくくり発言は次の通り(両氏ともリモート発言)。
■小野寺信勝弁護士(札幌訴訟弁護団)
▽札幌の裁判では、櫻井氏が慰安婦の取材をしていないこと、また植村さんへの取材の申し込みすらしていないことが明らかになった。櫻井氏には資料の誤読や曲解もあった。しかし、裁判所は「真実相当性」を認めて免責した。これまで、最高裁や多くの下級審の判例では、「真実相当性」を認めるには、確実な資料があることや取材を尽くすことが要求されている。この裁判は、従来の法的枠組みでは櫻井氏の真実相当性が認められる余地がない事案である、と今でも思っている。地裁、高裁、最高裁とも免責のハードルを著しく下げたことには、法的な理屈だけでは説明できない点があるのではないか。
▽弁護団には100人以上の弁護士が参加した。政治的な立ち位置の違う人もいるが、5年間減ることはなかった。これは稀有なことだと思う。支える会などたくさんの市民の方々の支えも大きかった。とくに、櫻井氏の過去の著作や発言を調べ尽くし、法廷での主張に結びつけることができた。
▽この裁判は、歴史を書き換えようという流れ、異論に対してバッシングを加える流れ、そのような世の中の空気に抗うたたかいだった。裁判には負けたが、ふたたび同じようなことが起きたら対峙できる、と私たちは確信している。
■神原元弁護士(東京訴訟弁護団)
▽人権を侵害されても、不当だと訴えたり、立ち上がることができない人がたくさんいる。しかし植村さんは裁判を起こし、記者会見で自分の顔と名前を出して、私は捏造記者ではない、と訴えた。2015年提訴の時点で、植村さんへの重大な権利侵害のかなり大きな部分は止まった、止めることができた。裁判を起こした時点で裁判の成果の半分くらいは果たしたのでないか、と思う。
▽裁判の局地的な成果ではあるが、「キーセンの経歴を隠した」「義母の裁判のために書いた」という点は、きっちりと否定できた。判決でもこの点の「真実性」は否定された。金学順さんを直接取材したハンギョレ新聞、東亜日報の記者と北海道新聞の喜多さんの重要な証言を証拠として提出し、裁判記録として残すことができた。金学順さんの1991年11月の証言テープも証拠、記録として残すことができた。西岡氏は著作の中でハンギョレ新聞の記事を捏造し引用していた。裁判でそのことを明らかにし、反対尋問で本人に認めさせた。
▽しかし、裁判では負けた。負けたことは認めるが、このような記録と成果はなにがしかの形で残して次の世代に伝え、次のたたかいにバトンを移したい。
第2部では、金学順さんや元慰安婦の取材を続けてきた記者と、植村裁判にかかわってきた記者が、取材の経過を振り返り、エピソードを交えながら、慰安婦問題の現状について意見を交わした。
発言者は、植村隆、小田川興、喜多義憲、西嶋真司、明珍美紀、池田恵理子の6氏。小田川、喜多、明珍の3氏は、植村裁判関連での集会で発言するのは初めて。西嶋氏はリモートで発言した。
以下は、第2部の6人のしめくくり発言の要約(発言順)。
■西嶋真司 (映画「標的」監督、元RKB毎日放送ソウル支局長)
▽慰安婦問題はテレビ業界ではタブー中のタブーだ。じつはこの映画「標的」は、テレビのドキュメンタリー番組として放送したかったが、会社に何度かけ合っても実現せず、それなら自分たちでやるしかないな、と独立して作ることになった。
▽1991年当時、金学順さんや慰安婦の方たちを取材した記者たちは、被害者の人間としての尊厳をとても大事にしていた。しかし今の日本では、戦後補償金をもらうためにやっているんじゃないか、日本には都合の悪い人なんじゃないか、という空気が広まっているような気がする。慰安婦の問題は日本の権力によって誤った認識を埋め込まれ、誤った方向に向かっているのではないか。慰安婦問題は人間の尊厳の問題なのだという原点に立ち返って考えるべきだし、メディアももっともっと関心を持たなければならない、と皆さんの話を聞いてあらためて思った。
■明珍美紀 (毎日新聞社会部記者)
▽1週間後の8月14日は金学順さんの名乗り出のメモリアルデーだ。ことしはZOOMでの集まりになるが、30年前、金学順さんが勇気を振りしぼって名乗り出たことに尊敬の念を抱くとともに、いま#MeToo運動などでも訴えていることだが、どんな人間にも尊厳があり、それは守られるべきだということを肝に銘じたい。
▽LGBTの問題もある、そしてコロナウイルス禍の下で女性の自殺が増えている、それはなぜなのか。もちろん男性も苦しい目にあっているが、この社会の構造が30年前、あるいは半世紀前と変わっているのか、改善されているのか、後退しているのか、考えていかなければならない。30年前の金学順さんの、あの振りしぼるような声、そして涙、それをムダにしないようにしていきたいと思う。
■喜多義憲 (植村裁判証人、元北海道新聞ソウル支局長)
▽91年当時、韓国には日本の新聞、テレビが10数社駐在していたが、植村さんや私の記事に異議や異論をはさむ記者はひとりもいなかった。ところが植村バッシングが始まると、慰安婦問題に関心を持っていなかった記者たちが尻馬に乗って、植村批判や朝日批判を雑誌に書き始めた。若い記者たちに言いたいことだが、自分たちの主人は会社ではなく、読者であり市民であり国民である、ということを忘れないでほしい。
▽植村裁判でなぜ証言台に立ったかというと、自分に同じような問題がふりかかったらどうするかと考えたからだ。私にもバッシングがくるのではないか、と思うとこわかった。しかし、会社が右であれ左であれ、記者個人としてはきちんとした歴史観を持っていれば、当然あのような行動になる。それが記者、ジャーナリストの共通分母ではないか。
▽裁判では、キーセンであったとかなかったとか、挺身隊の呼称が慰安婦のことをいうのかどうなのか、が中心になったが、それは慰安婦問題の本質ではない。慰安婦と言われる人たちがどういう状態にあったのかということをジャーナリズムはどう書いたのか、植村が、喜多が、明珍がどう書いたのか、が問われなければならない。歴史修正主義者たちが得意なのは、細部について立証できないような難しい問題についてあげつらい、捏造だというような結論だけを喧伝する。それについてくる人も多い。だから、裁判の成果はあったし批判をするわけではないが、同じ土俵には乗らない、別のやり方を研究する必要があったのではないかとも思う。
※喜多氏の発言のレジュメ PDF
■小田川 興 (元朝日新聞ソウル支局長)
▽戦後補償問題の運動は「怒りの連帯」のネットワークであり、私もずっと共感しているが、いま、その問題では滔々たる巻き返し、逆流がある。最近もラムザイヤーというハーバード大の教授が証拠も挙げずに、慰安婦は儲かる仕事をしていたみたいなムチャクチャな論文を書いて、国際的な批判にさらされている。こういう外圧で真実を押しつぶすという流れは他にもあり、ますます厳しい状況になっている。
▽今年は、植民地被害に対する非難と再発防止を確認したダーバン宣言から20年だ。戦後補償問題を放置することを植民地犯罪として追及する事例が相次いでいる。じっさいナチスドイツによる占領虐殺にポーランドやギリシャから賠償請求が起こされている。まさにそういう渦中にあって植村裁判は行われた。この裁判の真実相当性というもののフェイクぶりをもっと鋭くみていきたいと思っているし、世界の政治の流れがおかしな方向に向かっていくことを食い止めるメディアの役割も重要になってくる。
▽怒りの連帯の根本には、この慰安婦問題についていえば、ハルモニのこころ、そしてハルモニが発してきた言葉がある。私はそこに学びたいと思う。姜徳景(カンドッキョン)さんというハルモニは昭和天皇処刑の絵(「責任者を処罰せよ」)を描いているが、戦争は若者の犠牲を求め、女性とこどもと老人のすべてが被害者になる、という言葉を残している。戦争は絶対にダメなんだ。ハルモニたちのこころ、そして言葉を胸に刻んでこれからも進みたい、進まなければいけない、と思っている。
※小田川氏の発言のレジュメ PDF
■池田恵理子 (wam女たちの戦争と平和資料館名誉館長、元NHKディレクター)
▽金学順さん、姜徳景さん、裵奉奇(ぺポンギ)さんという3人の慰安婦の方と出会ったことによって私の人生の後半生が定まってきたことを、今になってあらためて思う。私は日本人としてあの戦争の加害を問われている。戦争責任を問う声を受け止め、それを実現するには日本の政治主体が改革されなければならないが、それができていない以上、私たちの責任もあると痛感している。
▽いまはwam(女たちの戦争と平和資料館)という小さな資料館をやりながら、被害者の声を資料としてきちんと保存し、伝えている。wamでは毎年8月14日に、金学順さんの思いをつなぐという意味で、この1年間に亡くなられたアジアの被害女性たちの名前を読み上げ、エントランスに飾っている顔写真に白い花を添えるセレモニーを続けている。
▽最近のNHKの劣化、ひどさは言葉で言い尽くせないほどだ。私はNHKを退職した仲間たちと申し入れをしたり、放送センターの前でチラシを配り、現役の社員に声をかけたりしている。こういう行動でも、被害女性たちが力になっていると思う。
▽ソウルの水曜デモは千数百回を超え、ギネスブックを更新中だ。私たちも毎月第3水曜日に新宿西口で首都圏の諸団体が集まって水曜行動をしている。私はこのプラカードを首から吊るしてスピーチをしたりチラシ配りをしている。このプラカードには「金学順さんの名乗り出から四半世紀」とあるが、四半世紀は30年と書き替えなければならない。30年も経ったのに、と忸怩たる思いだが行動を続けていく。
※池田氏発言のレジュメ PDF ※「週刊金曜日」投稿記事 PDF
■植村 隆 (植村裁判原告、元朝日新聞記者)
▽金学順さんは名乗り出た後の1991年11月に弁護団の聞き取りでこう言っている。「いくらおカネをももらっても捨てられたこの身体、取り返しがつきません。日本政府は歴史的な事実を認めて謝罪すべきです。若い人がこの問題をわかるようにしてほしい。たくさんの犠牲者が出ています。碑を建ててもらいたい」。日本政府の謝罪、若い世代への記憶の継承、そして碑の建立、いまだにどれも実現していない。慰安婦の被害者の女性に納得できるような謝罪はない、若い世代へ記憶を継承しようとするとさまざまな妨害が起きる、そして碑は日本本土にはほとんどないと思う。つまり、この30年間はいったい何だったのか。振り出しに戻っているよりももっと状況は悪くなっていると思う。その中で一体何ができるのか、考えている。
▽私は金学順さんが亡くなられた時、ソウルの特派員をしていて、死去の記事を書いた。その記事は非常にあっさりとしたものだった。当時、私の結婚のことで批判があったり、また当時は慰安婦報道がたくさんあったので、私自身は少し身を引いているところがあった。しかしいまはそのことをすごく反省している。やはりこの問題は私の人生をかけて取り組むべきことだと思っている。
▽金学順さんの言っている3つのことがいまだ実現していない。本当におかしい世の中になっている。言論人としてきちんと取り組んで、願いを実現していくこと、そして若い世代への継承もやらなければならない。30年経って状況が悪くなっていることに憤りを感じるが、裁判とは別のたたかい方もある。過去をきちんと記憶して2度と起きないようにしなければならない。それは、慰安婦問題だけでなく、さまざまな問題に続いている。原点には慰安婦問題がある。これからもたたかい続けなければならないと思う。
緊急のお知らせ
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コロナの感染状況が深刻になっているため、
会場開催をオンラインのみの開催に変更します!
《金学順さんのカミングアウトから30年》
記念オンライン・イベント
慰安婦記事「捏造ではない」:植村訴訟最終報告会
日時:8月7日(土曜日)午後1時~午後4時
オンライン参加★Zoomのウェビナー機能を使用
下記のリンクをクリックして参加してください。
https://us02web.zoom.us/j/87665224935
◇ ◇ ◇
第一部 ドキュメンタリー映画『標的』(短縮版:25分間)上映会と裁判報告
〈1991年夏、ソウルで「慰安婦」被害者が証言を始めたことを初めて伝えた朝日新聞記者・植村隆。それから23年後、突如として「捏造記事を書いた」という激しいバッシングの嵐に巻き込まれる。内定した大学教授職の取り消し、執拗な嫌がらせ、家族への殺害予告――。なぜ記者は「標的」とされたのか。言論と法廷の双方で闘おうとする彼のもとに、弁護士や市民、ジャーナリストたちが次々に集まり、新しい連帯が生まれる。〉
『標的』上映の後、東京訴訟、札幌訴訟の各弁護団事務局長からの報告があります
第二部 1991年8月:金学順さんが名乗り出た時…記者たちの証言
今年8月14日は、金学順さんが「慰安婦」だったと名乗り出て30年になります。なぜ長年の沈黙を破り、自身のつらい経験を語る決心をしたのでしょうか。
「セクハラ」という言葉が日本に紹介されたばかり。#MeToo運動もなかった時代。金さんの「私の青春を返してほしい」という一言が、日本軍による「慰安婦」の被害を世界に知らしめました。日本政府の謝罪を引き出し、「戦時の性暴力は犯罪である」という国際原則の確立へとつながったのです。ソウルで名乗り出た金さんを、いち早く記事にしたのは日本の記者たちでした。金さんが伝えようとした思いを、当時実際に取材した人たちが語ります。
「慰安婦」問題を、なかったことにするかのような言説がはびこり、日本のメディアが取材に尻込みする姿勢が強まっている今だからこそ、30年前の取材者の言葉に耳を傾けていただけませんか。
〜午後2時半ごろからを予定しています〜
池田恵理子:元NHKディレクター
植村 隆:元朝日新聞記者
小田川興:元朝日新聞ソウル支局長
喜多義憲:元北海道新聞ソウル支局長
西嶋真司:元RKB毎日放送ソウル支局長
明珍美紀:毎日新聞記者
《金学順さんのカミングアウトから30年》記念イベント
慰安婦記事「捏造ではない」:植村訴訟最終報告会
日時:8月7日(土曜日)午後1時~午後4時 *開場は12時半から
場所:日本プレスセンター10階ホール(東京・千代田区内幸町2‐2‐1)
定員:先着50人まで
入場料:無料 *会場ではコロナ対策措置へのご協力をお願いします
オンラインでの参加も可能です(Zoomのウェビナー機能を使います)。
下記のリンクをクリックして参加してください。
https://us02web.zoom.us/j/87665224935
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第一部 ドキュメンタリー映画『標的』(短縮版:25分間)上映会と裁判報告
〈1991年夏、ソウルで「慰安婦」被害者が証言を始めたことを初めて伝えた朝日新聞記者・植村隆。それから23年後、突如として「捏造記事を書いた」という激しいバッシングの嵐に巻き込まれる。内定した大学教授職の取り消し、執拗な嫌がらせ、家族への殺害予告――。なぜ記者は「標的」とされたのか。言論と法廷の双方で闘おうとする彼のもとに、弁護士や市民、ジャーナリストたちが次々に集まり、新しい連帯が生まれる。〉
『標的』上映の後、東京訴訟、札幌訴訟の各弁護団事務局長からの報告があります
第二部 1991年8月:金学順さんが名乗り出た時…記者たちの証言
今年8月14日は、金学順さんが「慰安婦」だったと名乗り出て30年になります。なぜ長年の沈黙を破り、自身のつらい経験を語る決心をしたのでしょうか。
「セクハラ」という言葉が日本に紹介されたばかり。#MeToo運動もなかった時代。金さんの「私の青春を返してほしい」という一言が、日本軍による「慰安婦」の被害を世界に知らしめました。日本政府の謝罪を引き出し、「戦時の性暴力は犯罪である」という国際原則の確立へとつながったのです。ソウルで名乗り出た金さんを、いち早く記事にしたのは日本の記者たちでした。金さんが伝えようとした思いを、当時実際に取材した人たちが語ります。
「慰安婦」問題を、なかったことにするかのような言説がはびこり、日本のメディアが取材に尻込みする姿勢が強まっている今だからこそ、30年前の取材者の言葉に耳を傾けていただけませんか。
〜午後2時半ごろからを予定しています〜
池田恵理子:元NHKディレクター
植村 隆:元朝日新聞記者
小田川興:元朝日新聞ソウル支局長
喜多義憲:元北海道新聞ソウル支局長
西嶋真司:元RKB毎日放送ソウル支局長
明珍美紀:毎日新聞記者
◇ ◇ ◇
主催=植村訴訟東京支援チーム
共催=新聞労連/メディア総合研究所/日本ジャーナリスト会議(JCJ)
後援=日本マスコミ文化情報労組会議(MIC)
問い合わせ=JCJ 03‐6272‐9781(月・水・金午後)
植村裁判終結報告会(4月10日、札幌)における伊藤誠一弁護士(札幌訴訟弁護団共同代表)の報告を収録します
裁判官が市民社会の視点でなにも問われないということであってはならないが、この問題では裁判官が全員同じ方向を向いていたという事実について、正確に理解する必要があるのではないか
この裁判は、北海道内のおよそ100人の弁護士、東京を中心に20人以上の弁護士に加わっていただき、全力投球いたしましたが、また、皆さんの格別のご支援をいただきましたのに、勝利のご報告ができませんことにつきまして、非力を感じております。裁判を担った弁護団の責任者の一人として、植村さん、また皆様に対してお詫びを申し上げたいと思います。
マスコミ報道によって名誉が傷つけられたという言論人が、名誉を回復して挽回するという営みは、言論によってなされるということが期待されております。この裁判の当初、代理人となってほしいとお声がけをした弁護士の何人かは、これは言論の領域の問題ではないか、ということで参加いただけませんでした。これはこれで道理のある態度であったということができます。
ところで、植村さんが朝日新聞の記者であった当時、今から四半世紀以上前に書いた慰安婦記事が、2014年になってから、櫻井よしこ氏によって、その内容が捏造であると断定的に主張され、その内容がネットの上で拡散され、増幅されて、これを受けた者による植村さんとそのご家族に対する脅迫や威力による耐え難い妨害行為を生み出しました。櫻井氏が自らの言説が原因となっていることを知りながら見逃していたというにとどまらず、むしろこれを煽るかのように同種の言説を重ねていた。そういう事態の下では、もはや、言論の世界の問題であると観念的に割り切ることはできないということで、私どもはこの訴えに臨んだわけであります。
植村さんの当時の勤務先の北星学園への加害行為につきましては、これに対する大学の内の抵抗と、マケルナ北星!という外からの取り組みとが相まって、抑えられつつありましたけれど、ネット上の書き込みや郵便、電話などによる攻撃の影響は、まだ、植村さんとご家族の人としての尊厳を傷つけるような状態で続いておりました。多少デフォルメして申し上げますと、この訴訟はいわば緊急避難としての訴えの側面もあったのではないかと考えております。現に、訴え提起後、訴えが広く報道されますと、これら攻撃は目に見えて止んできた、と言うことができました。
この裁判で弁護団は「植村裁判を支える市民の会」のみなさんのご協力、サポートをいただきながら、全力で取り組んだという自負を持っております。あるいはご記憶かと思いますけれども、裁判は東京でやるべきである、という櫻井氏の抵抗を排して、1年間かかりましたけれど、札幌で審理を開始させることができました。法廷での植村さんのお話は、金学順さんの名誉を守るたたかいでもある、という姿勢を貫かれたもので、ご自分の体験とそれに基づいて考えるところをしっかりとお話しいただきました。また極めて困難な中で証人に立っていただいた元北海道新聞記者の喜多さんは、証言に当たって韓国に出向かれて、その当時ご自分がどんなことを考えていたのか、ということを振り返られたといいます。誠実な証人でございました。その証言は裁判所に説得力を持って伝わったのではないかと私は考えております。櫻井氏本人に対する尋問も大きな成果を上げたといえるでしょう。
裁判の外ではどうであったか。植村さんを先頭に「支える会」のみなさんのじつに旺盛な活動が展開され、多くの市民の皆さん、心ある、そして良識ある研究者、学者の方の共感が広がりました。このたび弁護団がまとめた「活動報告書」の56ページに、弁護団の事務局長の手で「植村訴訟を支えた人々と植村氏の活動」ということで整理させていただきましたけれど、これを見ますと、この5年間、ほんとうに大きな量と高い質の活動を続けられたということに驚くばかりです。
しかし、この裁判は、先ほど申し上げましたような、裁判を起こしたことによって植村さんとその家族に対する攻撃が止まった、植村さんの訴えが広まった、ということで良し、とされるべきものではありませんでした。勝たなければならない裁判でありました。
裁判で勝てなかったことによって、櫻井氏をして、大きな声ではなかったようでしたけれども、あの記事は捏造以外の何物でもない、ということを重ねて述べさせております。このようなことを許す結果になりました。
法廷の内と外の取り組みにも拘らず、なによりも、植村さんが、新聞記者として、ジャーナリストの精神に立つ取材をし、それに基づいて、また当時の報道状況をふまえて、良識的であると言える記事を新聞に書いた。その正当性を訴え、裁判ではその立証ができたと思われたのに、どうして勝てなかったのか。これは大きな問題です。この点は真摯に検証し、検討しなければならないと考えています。ただ、弁護団の中の討議のみで検証できる性質のことでもない、と思っております。この裁判を支えて下さった皆さん、また東京で頑張られた皆さんとの共同作業によることが必要なのではないか、そういう裁判ではなかったかと思っております。先ほどご紹介した弁護団の活動報告書も、こうした意味での裁判の検証結果に基づいてレポートしたものではありません。弁護団はこのような活動をした、という外形的な報告にとどまっています。その点はご了解いただきたいと思っています。
さて、裁判は、名誉毀損訴訟における「真実相当性」というテクニカルターム、特別の概念のところで主として争われ、そこで負けたわけですけれども、名誉毀損訴訟の場合、自分の言論によって相手の名誉が傷つくことがあったとして、述べていることは真実であると信じてそう表現した、それには相応の根拠がある、と表現者が裁判で述べて、その点が証拠上認められれば免責される、つまり名誉毀損に一応該当したとしても真実相当性の枠の中にあれば責任は負わない、賠償責任は問われないし刑事責任も問われない、という構造になっているわけです。
この真実相当性という概念は、最高裁判所の判断が重ねられてきて、判例法理と言われているものになっているわけですけれども、それによりますと、表現者が言論を生業としている場合、真実相当性があったと認められるために、表現者が乗り越えなければならないハードルはかなり高く設定されています。札幌の裁判所は、そして東京の裁判所もそうでありましたけれども、このハードルを著しく下げて、ジャーナリストであるという櫻井氏の真実相当性を認めてしまったわけであります。
従いまして、この事件を担当した裁判官が市民社会の視点でなにも問われないということであってはならないと思いますけれども、この問題では、裁判官が全員同じ方向を向いていたという事実について、正確に理解する必要があるのではないかと思います。この事件に関与した裁判官、(最高裁の裁判官は、自らの判断をするについて法律上様々な制約、こういう場合は判断してはいけない、とか制約が加えられていますので、とりあえず最高裁の裁判官を外すとします。)札幌地裁と札幌高裁で合わせて6人、東京地裁と東京高裁で合わせて6人、合計12人の裁判官が、この植村さんの新聞記事が意味するところに直面した、対面したわけですね、その12人の裁判官がみな同じ視線でこれをみた、ということが重要だと思います。この裁判の敗訴の原因について、これら裁判官の慰安婦問題についての理解の深さ、浅さと関連付けて話すことはできないわけではありませんが、その場合、ひとりひとりの裁判官のこの点をめぐる市民感覚、それはここにおられる皆さんの慰安婦問題に対する共通理解を踏まえた良識と言い変えることができると思いますけど、そことのズレを述べる、ズレていると言うだけでは足りない、それだけではこの問題について説明したことにならなのではないかと考えています。
この札幌、東京あわせて12人の裁判官、おひとりひとりを見ますと、私の乏しい経験でも少なくとも2、3人の裁判官は、例えば国家権力による市民の権利侵害の回復を求める別の訴訟ではしっかりとした仕事をされている、という事実があります。ひるがえって、裁判官とて、法の番人であるといっても人の子であります。自らの判断が社会の良識とかけ離れていて、市民社会からは到底受け入れられないという思いが強い場合、もちろん、裁判ですから、証拠あるいは裁判上の主張に基づくわけですけれども、自らの判断が市民社会に受け入れられないとみた場合には、このような結論は簡単には出さないのではないか、ということを考えます。そうしますと、慰安婦の問題では、私どもの主張するような形では、いまだ我が社会の中で裁判官の誤った判断を許さないような強い力、通有力といってよいと思いますが、十分ではない、ということを意味しているという面もあるのではないか、と考えます。
私は弁護士でございますから、この問題を札幌地方裁判所に訴えるという主体的選択をした結果、やはり裁判所の判断を求めることが不可欠であると判断した結果について、一生懸命全力で取り組んだということは申し上げましたけれど、その結果がどうであったかということについて、ある意味で結果責任を負う立場にあることは免れないわけであります。したがいまして、今申し上げましたような検証、検討を加えて、別の機会にでも、皆さんにきちんとお話しができるようにしておかなければいけないと考えております。
それにいたしましても、北海道の弁護士が100人、東京と連帯しながら5年間一丸となって、言論の名による無法、不法は許さない、と法廷で正面から闘い抜いたということは、重要な経験となりました。北海道における「法の支配」を貫く上で極めて大事な取り組みであったと考えております。これからも形を変えて生まれるでありましょう、わが民主主義を傷つけようとする事態に対しては、弁護士が、場合によっては弁護士が集団となって、毅然と立ち向かっていくということについて、皆さんに対して自信を持ってお約束できるのではないかと考えております。
5年間の長きにわたりましてこの裁判をサポートしていただいたこと、そして共同していただいたことに、あらためてお礼を申し上げます。どうもありがとうございました。
植村裁判終結報告会(4月10日、札幌)で植村隆氏が発表したメッセージ(全文)を収録
2020年11月18日付けの最高裁での上告棄却決定で、櫻井よしこ氏らを名誉毀損で訴えた札幌訴訟での私の敗訴が確定しました。翌日午後に札幌司法記者会で開かれた記者会見に、当時ソウルにいた私はLINE参加し、こういう声明を出しました。「櫻井氏の記事は間違っていると訂正させ、元慰安婦に一人も取材していないことも確認でき、裁判内容では勝ったと思います」。不当判決を確定させた最高裁決定には、非常に悔しい思いをしています。<取材もせずに「捏造」と断定することが自由になる>恐ろしい判例となるかもしれません。最高裁は、歴史に汚点を残したと思います。その後、2021年3月11日付の最高裁決定で、西岡力氏らを訴えた東京訴訟での私の敗訴が確定しました。汚点の繰り返しです。これで、「慰安婦」問題を否定する「アベ友」らを相手にした6年間の裁判が終わりました。
両方の裁判の過程で、櫻井氏や西岡氏がフェイク情報に基づいて、私を非難していたことが確認されました。札幌、東京の両弁護団の皆様のお力のおかげです。また裁判を支えてくださる市民の皆さんの助力の賜物です。判決は極めて不当なものでしたが、裁判の過程で、暴き出した被告らの不正義こそが、私たちの裁判の「勝利」の証拠だと思います。
この「勝利」の自信が、これからの言論人としての私の大きなエネルギーになります。この「勝利」に導いてくださった札幌、東京の弁護団の皆様一人一人に感謝をしております。ありがとうございました。皆様の真摯で懸命なご尽力は、一生忘れません。正義のために闘ってくださっている皆様の姿は、私の目と心に刻み込まれました。皆様と一緒に裁判を闘えたのは、私にとって大いなる喜びでした。この闘いの記憶は、私のこれからの歩みを支えてくれる大きな財産になると思います。何度感謝しても、感謝しきれない思いです。
札幌訴訟での私の敗訴確定の後、驚くべきことがありました。敗訴が確定したと言うことは、裁判に負けたということですが、これは私の記事が「捏造」と認定されたわけではありません。ところが、前首相の安倍晋三氏が2020年11月20日、自身のフェイスブックに私の敗訴を報じた産経新聞の記事を引用して投稿し、翌21日には「植村記者と朝日新聞の捏造が事実として確定したという事ですね」と投稿しました。「アベ友」勝訴の興奮したのでしょうか。これは明らかに間違いでした。早速、小野寺信勝先生と神原元先生のお二人の代理人を通じて、安倍氏側に削除を求める内容証明郵便を送りました。しばらくして、大きな進展がありました。敗訴を報じた産経新聞の記事の引用はそのままでしたが、捏造確定とした投稿を削除したのです。私は同年12月4日、「削除したことは、それが間違っていたことに気づいたからだと思います。これで、私の記事が『捏造』でないことが改めて確認されました」とする声明を発表しました。安倍氏は、こっそり取り消しただけで、何の謝罪もありません。非常に不愉快な出来事ですが、これは歴史修正(歪曲)主義者に対する、新たな闘いの機会と言えると思います。私の支援者の一人がこんなメールをくれました。「最高裁控訴棄却の意味について、改めて、広くわかりやすく伝えるチャンスになることを期待しています」。その通りだと思います。
裁判闘争の間に大きな二つの出来事がありました。一つは、韓国のカトリック大学に招かれ、2016年3月から招聘教授の職を得たことです。5年間、勤めました。講義をしながら、韓国内での言論活動も続けました。2019年12月には、韓国で最も尊敬されているジャーナリスト・李泳禧(リ・ヨンヒ)先生の名を冠した「李泳禧賞」を受賞するなどの栄誉を受けました。もう一つの大きな出来事は、2018年9月末に日本のリベラルな雑誌「週刊金曜日」の発行人兼社長になったことです。激しい「植村バッシング」に関わらず、同誌が招いてくれたのです。こうしたことは、私が「捏造」記者でないということが、歴史的に証明されつつあるということだと思います。これも皆様と共に闘った裁判闘争の成果だと思います。
そして、私は2018年秋からは、格安航空便(LCC)で日韓を往来しながら、教員と言論人の仕事を兼職しました。しかし、2020年春からの新型コロナ危機で、日韓の往来が非常に難しくなり、2021年2月末で、大学の教員をやめました。もともと一年ごとの契約でしたが、好評で毎年、契約がされてきました。後ろ髪を引かれる思いでしたが、コロナ危機下では両立が難しいと判断したのです。
2020年9月末から、「週刊金曜日」の発行人兼社長の二期目に入りました。「週刊金曜日」は、大メディアがどこも、「北星バッシング」「植村バッシング」を報じない中、最初に詳しく報じてくれた雑誌です。いまでも各地で、「北星バッシング」「植村バッシング」と似たような人権侵害などが起きています。「週刊金曜日」は、そうしたことを果敢に報じ、被害に遭っている人々の側に立ちたいと思います。日本に言論の自由や民主主義を根付かせることが、私のすべき仕事だと思うのです。
また朗報がもう一つあります。「植村バッシング」をテーマにしたドキュメンタリー映画『標的』(西嶋真司監督)がこのほど完成し、東京の外国特派員協会、日本記者クラブで相次いで完成記者会見が開かれました。4月10日には札幌で上映会と植村裁判報告会が開かれます。映画チラシでは、こう書いています。「なぜ記事は『捏造』とされたのか?不都合な歴史を消し去ろうとする、日本社会の真相に迫ります」。この中には、札幌訴訟を支えてくださった弁護士の皆様も登場します。この映画を日本中、世界中で上映して、歪んだ判決を告発し続けていきたいと思います。
6年前に比べ、私の世界は大きく広がりました。そして、パワーアップした自分を実感しています。やるべき仕事もたくさんあることに気づきました。大勢の仲間ができました。「試練」はたくさんの「出会い」を与えてくれたのです。その土台に弁護団の皆様や市民の皆様と共に裁判を闘った日々があると思います。ありがとうございました。これからも闘い続けます。
2021年3月30日、記
植村訴訟原告・植村隆
(元朝日新聞記者、元韓国カトリック大学招聘教授、週刊金曜日発行人兼社長)
札幌で集会が開かれるのは昨年2月の控訴審判決から1年2カ月ぶり。コロナ禍の下、札幌市では市外との往来自粛が続行中で、道の宿泊割引キャンペーン「どうみん割」も札幌市は除外されたまま。会場の入り口では手指消毒と検温が行われ、座席にはディスタンスが設けられました。参加者は160人ほど。旭川や室蘭からの参加もあり、映画「標的」の上映を地元でも実現したい、と語っていました。
報告会では、伊藤誠一弁護士(弁護団共同代表)と植村隆氏(元朝日新聞記者、週刊金曜日発行人)が、札幌で5年にわたった裁判を振り返り、確定判決の問題点と裁判で得た成果について、それぞれの思いを語りました。
伊藤弁護士は、「勝利報告ができないことに非力を感じ、お詫びを申し上げたい。支援のみなさんの大きな量と高い質の活動には驚くばかり」と語った後、裁判の成果として、▽櫻井氏側からあった審理東京移送の動きを止めた▽植村バッシングを緊急避難的に止めた▽金学順さんの名誉を守るたたかいであることも含め、植村氏は自身の主張と姿勢を貫いた▽元道新記者の喜多氏の誠実な証言は説得力があった▽櫻井氏の尋問も大きな成果を上げた▽言論の名による不法と無法を許さないたたかいは北海道における「法の支配」を貫く上で重要な経験となった、ことを挙げました。背筋を伸ばし古武士然として語る伊藤弁護士の話に、参加者は静かに耳を傾けていました。判決の核心である「真実相当性」のハードルを著しく下げた裁判官の判断については、「慰安婦の問題では、いまだ私たちの社会には、誤った裁判を許さないという強い力、通有力が十分ではないという面もあるのではないか」と伊藤弁護士は分析した上で、「民主主義を傷つける事態には毅然と立ち向かっていく」と結びました。
植村氏は、「皆様と闘えたことの喜び」と題するメッセージを会場で参加者に配布し、その文章に沿った形で語りました。「本当に悔しい。裁判を起こす時には負けるなどとは思っていなかったのです。この裁判で勝った連中は裁判の途中で自分の記事を訂正しているんですよ。なんで私が負けるんですか」と述べ、「しかし、裁判では、支援の市民による調査で、西岡氏や櫻井氏のフェイク情報を明らかにできた。ですから、これは勝利的敗訴なのです」と語りました。口調は終始穏やかで、時にジョークも交え、会場からは笑いと拍手が起きていました。5年間つとめた韓国カトリック大学の教授職は、コロナ禍によって日韓往来の負担が増えたため、2月末に退職したとの報告もありました。「5年前に大学(神戸松蔭女子学院大)から断られた私が、こんどは私からお断りすることになりました」とのことです。映画「標的」は東京の外国特派員協会と日本記者クラブで披露会見があり、いよいよ公開が始まります。週刊金曜日のほうは社長任期が2期目に入りました。「バッシングの被害にあっている人々の側に立ち、日本に言論の自由や民主主義を根付かせることが私のすべき仕事だと思う」とこれからの決意を語りました。
text=H.N. photo=石井一弘
植村裁判を支える市民の会は、4月10日に札幌市の自治労ホールで開いた「裁判終結報告会」で最終メッセージを発表しました。「裁判終結報告会」では弁護団共同代表の伊藤誠一弁護士、原告の植村隆氏の報告がありました。また、報告にに先立ち、映画「標的」の上映があり、監督の西嶋真司氏の挨拶もありました。
■植村裁判を支える市民の会■最終メッセージ
植村裁判は敗訴が確定した。市民感覚からかけ離れた司法の姿を目の当たりにし、怒りを禁じ得ない。裁判所は私たちの社会に対し責任ある判断をしたのか、改めて問いたい。判決は「歴史的事実」に向き合わず、「真実相当性」に関する従来の判断基準を大幅に緩和した。これでは歴史修正主義を後押しし、無責任で「フェイク」な言論を野放しにしないか。安倍前首相が自身のフェイスブックに「植村記者と朝日新聞の捏造が事実として確定した」とデマを書き込むなど、既にその兆候が表れている。植村裁判をともに闘った市民として、歴史の歪曲につながる動きに、さらに目を凝らしたい。
日本軍「慰安婦」にされた韓国人女性の証言を報道したことで執拗な〝捏造〟バッシングを受け、名誉回復を司法に求めた朝日新聞元記者、植村隆氏の訴えに対し、最高裁は3月11日、麗澤大学客員教授、西岡力氏を被告にした東京訴訟で、またそれより先の昨年11月18日、自称ジャーナリスト、櫻井よしこ氏らを被告にした札幌訴訟で、植村氏側の上告をそれぞれ棄却した。
札幌、東京の両訴訟を通じて私たちが改めて確認したことは、植村氏の記事に櫻井、西岡両氏が指摘するような〝捏造〟は一切なかったことである。そのうえで明らかになったのは①櫻井、西岡両氏ともに〝捏造〟とした根拠を説明できなかったこと②むしろ両氏ともに資料そのものを誤読・曲解して引用したと認めたこと③両氏ともに報道・研究にあたって最も基本とされる、植村氏への本人取材をしていないこと――などが挙げられる。
にもかかわらず、裁判所は櫻井、西岡両氏の記述には「真実相当性」があるなどとして両氏の法的責任を「免責」し、植村氏の賠償請求を退けた。自らの非を一部認めた櫻井、西岡両氏の法廷証言をはじめ、植村氏側から提出した数々の証言・証拠を十分に吟味した形跡はなく、「思い込んだものは致し方ない」と言わんばかりの判断だったと受け取らざるを得ない
裁判所のこのような乱暴な判断の背景に、櫻井、西岡両氏らが推し進める、慰安所などの存在すら否定する歴史修正主義への同調が感じられる。植村氏の記事は日本軍慰安所で性暴力にさらされた女性の証言にもかかわらず、公娼制度下の「単なる慰安婦」の発言ではないかと問題をすり替えかねない表現すらあった(札幌高裁)。歴史の事実から目をそらそうと常々誘導する櫻井、西岡両氏らの口舌と、先の判示は同様レベルといえないか。
日本軍「慰安婦」をはじめとする戦時性暴力についての内外の実証的な歴史研究は、日本軍が侵略した地域で階級別など様々な慰安所を設置し、「慰安婦」の最前線への派遣、さらに作戦中の「強姦、略奪、放火」を含め、日本兵の〝性〟をめぐる組織的・構造的な特質を明らかにしている。今回の免責判決が、こうした歴史的知見を無視する歴史修正主義に加担すると指摘されるゆえんだ。昨今の日本学術会議問題などにうかがえる、科学者や専門知を軽視する政治のあり方とも通底している。
さらに問題なのは、言論において本来求められる取材・調査、資料チェックなどの徹底で保証される「真実相当性」のハードルを著しく引き下げたことである。事実に基づかない、恣意的な言論が「真実相当性」の名のもとに罷り通れば、情報を基盤にする民主主義の健全さは大きく損なわれるだろう。
植村裁判には札幌地・高裁、東京地・高裁、最高裁の2小法廷で、20人以上の裁判官が関与した。いずれもが同じ方向を示す判決に、政治や社会の思潮を往々にして忖度しがちな一端を垣間見る思いだ。司法の立ち位置は民主主義の成熟度を映し出す鏡でもある。植村裁判の結果は、歴史を直視し、反省を未来へと生かす力の弱さを私たちの社会に突きつけたともいえる。
植村裁判を支えてくれた全国の皆さんとともに、今後も歴史修正主義に毅然として対峙し、歴史の真実を社会に一層広く訴えていきたい
2021年4月10日 植村裁判を支える市民の会
共同代表
上田文雄(弁護士、前札幌市長)
小野有五(北海道大学名誉教授)
神沼公三郎(北海道大学名誉教授)
香山リカ(精神科医、立教大学教授)
北岡和義(ジャーナリスト)
崔善愛(ピアニスト)
本庄十喜(北海道教育大学准教授)