2018年11月28日水曜日

東京判決は来年3月

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2019年3月20日(水)午前11時、判決言い渡し
東京訴訟 審理14回、3年7カ月で結審

植村裁判東京訴訟の第14回口頭弁論は11月28日午後2時から、東京地裁103号法廷であり、原告被告双方が最終準備書面の陳述(提出)を行って、すべての審理を終了した。判決言い渡しは2019年3月20日午前11時に行われる。2015年4月27日に始まった東京訴訟は、3年7カ月の時間を費やして結審し、判決を待つことになった。

この日の法廷に、植村弁護団は中山武敏団長はじめ17人が出廷した。被告側席には、いつものように西岡氏の姿はなく、喜田村洋一、藤原大輔の2弁護士が座った。ふたりの席のテーブルには青と黄の10冊のファイルが積み上げられていた。傍聴抽選はなかったが、傍聴席はほぼ満席となった。
植村弁護団は、神原元・事務局長が最終準備書面の要旨を口頭で補足し、続いて植村氏が最後の意見陳述を約10分にわたって行った。植村氏の陳述が終わると、傍聴席の3、4人が拍手をした。法廷で拍手が起きたのは東京、札幌訴訟を通じて初めてだった。原克也裁判長は「これで弁論は終了します」と宣言し、判決言い渡しを2019年3月20日(水)午前11時に行う、と述べ、午後2時20分閉廷した。


東京地方はこの日、初冬とは思えぬおだやかな小春日和となった。報告集会は、午後3時から、紅葉が映える日比谷公園の一角、日比谷図書文化館の4階スタジオプラス小ホールで開かれ、約80人の参加者で満員となった。
集会では、神原弁護士の報告の後、札幌弁護団の渡辺達生弁護士が札幌判決の問題点を説明し、控訴審で争点になるポイントを解説した。続いて東京弁護団の穂積剛、泉澤章、角田由紀子、梓沢和幸、宇都宮健児、吉村功志、殷勇基、永田亮弁護士が、西岡尋問の要点、判決の見通しや、司法を取り巻く最近の状況、植村裁判と支援の意味、などについて、語った。
集会の後半では、北星バッシングのころから植村氏を支援してきた内海愛子氏(恵泉女学園大学名誉教授)が挨拶し、植村氏を励ました後、12月5日に発売されるブックレット「慰安婦報道「捏造」の真実」(花伝社、120ページ、1000円)の執筆陣4人が、発行のねらいや内容の紹介をした。集会の最後に植村氏はこう語った。「この本(花伝社ブックレット)にも記録されているが、櫻井さんや西岡さんの誤りは札幌と東京の裁判で明らかになっている。私たちのたたかいは正しいたたかいであったことが現代史の中で記録され続けている。私は(札幌敗訴に)失望していない。これから東京の判決、札幌の控訴審と続くが、常識があれば、常識が通じれば、勝てる、それを信じてたたかい続ける」
photo by TAKANAMI

■神原元弁護士の陳述(要旨説明)
①被告西岡氏の「捏造」決めつけは、論評・意見ではなく、事実の摘示である。
②「捏造」は、意図的に事実をねじ曲げることであるから、被告西岡氏は植村氏に故意があったことを立証しなければならないが、できていない
③植村氏の記事にある「女子挺身隊として送られた」は、地の文として書かれており、金学順さんの発言をそのまま引用したものではなく、金さんの立場や境遇を植村氏が要約して表現したものだから、金さんが録音テープの中でそのように語ったかふどうかを被告側が問題とするのはナンセンス(誤り)だ、
④被告西岡氏は、金さんのキーセン学校の経歴を書かなかったことを「捏造」決めつけの根拠のひとつとしているが、植村氏はそれがどうしても書かなければならない重要なことだとは考えていなかったのだから、その決めつけはあたらない。1991年当時、他紙の報道もキーセン学校の経歴は書いておらず、それが一般的な解釈であったことは、西岡氏も本人尋問で認めていることではないか
④西岡氏の植村氏に対するバッシングはあまりにも理不尽で、根拠がない

植村氏の最終意見陳述(全文)
「私の書いた慰安婦問題の記事が、捏造でないことを説明させてください」。いまから、4年10か月ほど前の2014年2月5日、神戸松蔭女子学院大学の当局者3人に向かって、私はこう訴えました。場所は神戸のホテルでした。私は同大学に公募で採用され、その年の春から、専任教授として、マスメディア論などを担当することになっていました。テーブルの向かいに座った3人の前に、説明用の資料を置きました。しかし、誰も資料を手に取ろうとしませんでした。「説明はいらない。記事が正しいか、どうか問題ではない」というのです。 緊張した表情の3人は、こんなことを言いました。「週刊文春の記事を見た人たちから『なぜ捏造記者を雇用するのか』などという抗議が多数来ている」「このまま4月に植村さんを受け入れられる状況でない」

要するに大学に就職するのを辞退してくれないか、という相談でした。採用した教員である私の話をなぜ聞いてくれないのか。怒りと悲しみが、交錯しました。面接の後、「70歳まで働けますよ」と言っていた大学側が、180度態度を変えていました。

その週刊文春の記事とは、1月30日に発売された同誌2014年2月6日号の「“慰安婦捏造”朝日新聞記者がお嬢様女子大教授に」のことです。その記事が出てから、大学側に抗議電話、抗議メールなどが毎日数十本来ているという説明でした。私は、この週刊文春の記事が出たことで、大学当局者に呼び出されたのです。当局者によれば、産経新聞にもこの文春の記事が紹介され、さらに拡散しているとのことでした。私の記事が真実かどうかも確かめず、教授職の辞退を求める大学側に、失望しました。結局、私は同大学への転職をあきらめるしかありませんでした。

この週刊文春の記事で、日本の大学教授として若者たちを教育したいという私の夢は実現を目前にして、打ち砕かれました。そして、激しい「植村捏造バッシング」が巻きおこったのです。「慰安婦捏造の元朝日記者」「反日捏造工作員」「売国奴」「日本の敵 植村家 死ね」など、ネットに無数の誹謗中傷、脅し文句を書き込まれました。自宅の電話や携帯電話にかかってくる嫌がらせの電話に怯え、週刊誌記者たちによるプライバシー侵害にもさらされました。私自身への殺害予告だけでなく、「娘を殺す」という脅迫状まで送られてきました。殺害予告をした犯人は捕まっておらず、恐怖は続いています。いまでも札幌の自宅に戻ると、郵便配達のピンポンの音にもビクビクしてしまいます。週刊文春の記事によって、私たち家族が自由に平穏に暮らす権利を奪われたのです。そして、家族はバラバラの生活を余儀なくされました。私は日本の大学での職を失い、一年契約の客員教授として韓国で働いています。

神戸松蔭との契約が解消になった後、週刊文春は、私が札幌の北星学園大学の非常勤講師をしていることについても、書き立てました。このため、北星にも、植村をやめさせないなら爆破するとか学生を殺すなどという脅迫状が来たり、抗議の電話やメールが殺到したりしました。このため、北星は2年間で約5千万円の警備関連費用を使うことを強いられました。学生たちや教職員も深い精神的な苦痛を受けました。北星も「植村捏造バッシング」の被害者になったのです。
 
私を「捏造記者」と決めつけた週刊文春記者の竹中明洋氏、そして週刊文春の記事に「捏
造記事と言っても過言ではありません」とのコメントを出した西岡力氏の2人が今年9月5日の尋問に出廷しました。神戸松蔭に対し電話で、私の「捏造」を強調した竹中氏は、「記憶にありません」と詳細な回答を避けました。本人尋問では、西岡氏が私の記事を「捏造」とした、その根拠の記述に間違いがあったことが明らかになりました。また、西岡氏自身が自著の中で、証拠を改ざんしていたことも判明しました。それこそ、捏造ではありませんか。「捏造」と言われることは、ジャーナリストにとって「死刑判決」を意味します。人に「死刑判決」を言い渡しておいて、その責任を回避する2人の姿勢には強い憤りを感じています。

「植村捏造バッシング」には、当時高校2年生だった私の娘も巻き込まれました。ネットに名前や高校名、顔写真がさらされました。「売国奴の血が入った汚れた女。生きる価値もない」「こいつの父親のせいでどれだけの日本人が苦労したことか。(中略)自殺するまで追い込むしかない」などと書き込まれました。娘への人権侵害を調査するため、女性弁護士が娘から聞き取りをした時、私に心配かけまいと我慢していた娘がポロポロと大粒の涙を流し、しばらく止まりませんでした。私は胸が張り裂ける思いでした。

「植村捏造バッシング」の扇動者である西岡力氏と週刊文春に対する裁判がきょう、結審します。慰安婦問題の専門家を自称して様々な媒体で、私を「捏造」記者だと繰り返し決め付けてきた西岡氏と、週刊誌として日本最大の発行部数を誇る週刊文春がもし、免責されるなら、「植村捏造バッシング」はなぜ起きたのかわからなくなります。「植村捏造バッシング」は幻だった、ということになります。しかし「植村捏造バッシング」は幻ではなく、様々な被害をもたらした巨大な言論弾圧・人権侵害事件なのです。

私は1991年に当時のほかの日本の新聞記者が書いた記事と同じような記事を書いただけです。それなのに、二十数年後に私だけ、「捏造記者」とバッシングされるのは、明らかにおかしいことです。こんな「植村捏造バッシング」が許されるなら、記者たちは萎縮し、自由に記事を書くことができなくなります。こんな目にあう記者は私で終わりにして欲しい。そんな思いで私は、「捏造記者」でないことを訴え続けてきました。「植村捏造バッシング」を見過ごしたら、日本の言論の自由は守られないと立ち上がってくれた弁護団の皆さん、市民の皆さん、ジャーナリストの皆さんたちの支えがあって、ここまで裁判を続けて来られました。

裁判長におかれては、弁護団が積み重ねてきた「植村が捏造記事を書いていない」という事実の一つ一つを詳細に見ていただき、私の名誉が回復し、言論の自由が守られ、正義が実現するような判決を出していただきたいと思います。どうぞよろしくお願いします。