2018年4月26日木曜日

東京第12回速報


金学順さん自身がはっきり「強制的に連行」と語っていた!

記者会見映像と韓国紙記者の重要証言で明らかに

東京訴訟 植村、西岡両氏の本人尋問は9月5日に決定

東京訴訟の第12回口頭弁論が、4月25日午後、東京地裁で開かれた。
植村弁護団は、金学順さん自身が記者会見で「強制的に連行された」と語った重要な証拠を初めて提出し、被告側の「捏造」決めつけ根拠が崩れていることを、あらためてきびしく指摘した。

3時30分、103号法廷で開廷。植村弁護団は中山武敏弁護団長ほか12人が着席、札幌弁護団の小野寺信勝弁護士も後列に座った。被告側は喜田村洋一弁護士と若い男性弁護士のふたりだけ、法廷正面の裁判官席の原克也裁判長と左右陪席も、前回と変わりはない。定員が90人ほどの傍聴席はほぼ満席となった。
提出書面の確認のあと、植村弁護団の吉村功志弁護士が、提出証拠のうち金学順さんの発言に関わる4点の要旨を読み上げた。証拠4点は次の通り。
①1991年8月14日にソウル市で行った記者会見を報じた韓国KBSテレビのニュース映像と、その発言を正確に起こした反訳書、②その記者会見に出席した韓国紙ハンギョレの元記者金ミギョン氏の陳述書、③同じく韓国紙東亜日報の元記者李英伊氏の陳述書、④同日、記者会見に先立って単独インタビューをした元北海道新聞記者喜多義憲氏の陳述書
このうち、②③は植村弁護団が韓国での調査活動を重ねて手に入れた貴重で重要な証言だ。また④はすでに札幌訴訟第11回(2月16日)で陳述されているが、同様に重要な意味をもつために提出された。

吉村弁護士は、それぞれの証拠が持つ意味を、つぎのように説明した。
①韓国・KBSテレビのニュース映像とその反訳書では、金学順さんが「16歳ちょっと過ぎたくらいのを引っ張って行って。強制的に。」「逃げ出したら、捕まって、離してくれないんです。」と語っていることがわかる。金学順さんは、韓国語で「끌고 가서」(クルゴカソ)と述べているが、これは「引っ張って行って」、「引きずって行って」といった意味の韓国語だ。韓日辞書にも「泥棒を交番へ引っ張って行った」との例文があげられている言葉だから、文字数が限られており同義であればより短い言葉を使う新聞用語としては「連行して」と訳することが多い。また「 강제로」(カンジェロ)という韓国語は漢字で書けば「強制」という熟語に副詞化する「」(ロ)という接尾辞が付いたものであり、「強制的に」という意味だ。【反訳全文は記事末に収録】
②ハンギョレ新聞元記者の金ミギョン氏は、この記者会見を現地で実際に取材した記者の一人だ。陳述書のなかで金記者は「金学順さんは会見で自己の経歴を示す言葉として『挺身隊』という言葉を使用しました」とはっきりと述べている。金記者が書いたハンギョレ新聞の記事には、「挺身隊」という記載はないが、その理由について金記者は陳述書で「挺身隊」と「従軍慰安婦」が違う意味であることを当時から知っていたため、「挺身隊」の代わりに「従軍慰安婦」という単語を使うべきだと考え「意図的に変えて書いた。」と証言している。
③東亜日報元記者の李英伊氏も記者会見を取材した記者の一人だ。赤い服を着て金学順さんの隣の席に座っているところがKBSニュース映像に映っている。陳述書のなかで李記者も「当時、金学順さんが記者会見で『挺身隊』という言葉を使ったのは間違いないことです。」と証言している。また当時の韓国では、「挺身隊」と「慰安婦」は一般的には同じ意味の言葉として使われており、自らも「挺身隊」という言葉は「従軍慰安婦」の意味だと思って使っていたと、証言している。
④北海道新聞元記者の喜多義憲氏は当時ソウル支局駐在記者で、記者会見の同日に金学順さんの単独インタビューをした。喜多記者は1991年8月15日付北海道新聞朝刊社会面記事で、金学順さんのことを「戦前、女子挺(てい)身隊の美名のもとに従軍慰安婦として戦地で日本軍将兵たちに凌辱されたソウルに住む韓国人女性」と紹介している。喜多記者は陳述書でも「金氏は私とのインタビューの冒頭、『私が挺身隊であったことを…』と言っていました」と明確に述べている。
▽以上の3人の記者の陳述書から、当時、金学順さんが自分自身のことを指して、従軍慰安婦という意味で「挺身隊」であったと述べていたことが明らかになった。またKBSニュース映像及び同反訳書により、金学順さん自身が、当時、強制連行されたとの事実を述べていたことも明らかになった。そうすると、植村さんが1991年8月11日付の記事で「『女子挺(てい)身隊』の名で戦場に連行され、日本軍人相手に売春行為を強いられた『朝鮮人従軍慰安婦』」との記述は、金学順さん自身が述べた経歴を記事の前文として簡潔にまとめた記述ということになる。植村さんが、「金学順さんの述べていない経歴を付加したこと」、との被告らの抗弁は成り立たないことが明白となる。

以上が吉村弁護士の陳述要旨である。
この裁判で被告西岡氏は、植村さんの記事を「捏造」と決めつけた根拠として、「①金学順さんの述べていない経歴を付加した、②金学順さんの述べた経歴を意図的に欠落させ適切に報じなかった、③原告が本件各記事に関して利害関係ないし動機を有していた」と主張してきた。植村弁護団はそのすべてについて繰り返し反論をしてきたが、この日の陳述は①に絞り込んで、あらためて西岡氏の論拠の一角を根本から突き崩す重要なものとなった。

法廷ではこの後、今後の進行について原裁判長が双方の予定と希望を聞き、裁判官合議のためいったん閉廷。3分後に再開し、原裁判長は9月5日(水)に証人尋問を行うと述べた。
当日は午前10時半から正午まで、週刊文春竹中明洋記者の証人尋問、休憩をはさんで、午後1時半から4時半まで植村、西岡両氏の順で本人尋問が行われる。竹中氏は週刊文春の取材記者。「“慰安婦捏造”朝日新聞記者がお嬢様女子大教授に」(2014年2月)と「慰安婦火付け役朝日新聞記者はお嬢様女子大クビで北の大地へ」(同8月)を書いた。
植村弁護団は竹中氏のほかに2人の証人尋問を申請しているが、裁判長は採否を明確にしなかった。
閉廷は午後3時50分だった。

【金学順さんの発言反訳全文=吉村弁護士作成】
16 조금 넘은 것을 引っ張って って강제로強制的に 울고서
 나갈라고 쫓아나오면 붙잡고  놔줘요한번 분풀이  말이라도 분풀이 하고 싶어요.

16歳ちょっと過ぎたくらいの(私)を引っ張って行って(連行して)。強制的に。泣いて。出て行くまいと(連れて行かれまいと)逃げ出したら,捕まって,離してくれないんです。一度憤りを鎮めることを,必ず,言葉だけでも憤りを鎮めたいんです(恨みを晴らしたいんです)。」

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櫻井尋問でふたつの成果

報告集会で札幌弁護団小野寺弁護士が報告

裁判の後、報告集会が参議院議員会館で開かれた。参加者は約120人。会場の第1会議室はほぼ満員となった。
最初に神原元弁護士がこの日の弁論について報告。「きょう陳述した金学順さんの記者会見の発言は、初めての発言という意味でも重要だ。ふつう、事件や体験などを最初に語る時にこそ、ことの核心が簡潔に表現されるものだからだ」と語り、東京訴訟の見通しについては、「年内には結審し、来春には判決か」と語った。
つづいて、3月23日にあった札幌訴訟第11回口頭弁論について、傍聴したジャーナリストの安田浩一氏と札幌弁護団事務局長の小野寺信勝弁護士が、「櫻井よしこ氏が認めた自らの謝り」と題して、対談形式で報告した。
小野寺弁護士は「この日の裁判ではふたつの大きな成果があった。ひとつは櫻井よしこ氏に間違った記事の訂正を約束させたこと。もうひとつは、ネット世論が変わったこと。ネットで植村、櫻井のキーワード検索をすると、その9割が櫻井氏がウソを書いていた、などと出るようになった」と語った。
最後に報告した植村さんも、札幌での本人尋問を振り返り、「緊張したけれど、金学順さんの言葉と思いを胸に刻んで臨んだ。相手側弁護士は悪意に満ちていて私のことをズサンなどと言ったが、きちんと反論し、抗議した。裁判長も私の発言を制止しなかったことが印象的だった」と語った。

参議院議員会館で(午後4時30分~6時)


















2018年4月24日火曜日

東京12回口頭弁論

■東京訴訟の第12回口頭弁論は、4月25日(水)午後3時30分から、東京地裁103号法廷で開かれます。裁判の後の報告集会は、同日午後4時30分から、参議院議員会館101会議室で開かれます。
■植村さんを「捏造記者」と批判し続けてきた櫻井よしこ氏は、3月23日、札幌地裁での本人尋問で、批判の根拠としてきた重要な事実について自らの誤りを明確に認めました。報告集会では、札幌でその裁判を傍聴したジャーナリスト安田浩一氏と札幌弁護団事務局長の小野寺信勝氏が、詳細を報告します。参加費無料。主催は植村東京訴訟支援チーム。問い合わせは、日本ジャーナリスト会議(電話03-3291-6475)へ。

2018年4月13日金曜日

ネット右翼はいま…

公開対談 能川元一氏(哲学者)安田浩一氏(ジャーナリスト)
ネット右翼の動向に詳しい研究者とジャーナリストが、植村隆さんと櫻井よしこ氏の本人尋問を傍聴した後、公開対談をし、ネトウヨの現状を語りました。その要約を掲載します。(3月23日、北海道自治労会館4階ホールで開かれた札幌第11回口頭弁論報告集会で)

 安倍政権発足の年から勢い増したネット右翼
能川きょうは安田さんといっしょに裁判を傍聴したが、被告側弁護団の挑発的な悪意を隠さない尋問ぶりが印象に残った。櫻井さんが植村さんに言ってきた、ずさんだとか捏造だ、ということに事実誤認があることも、動かしがたく明らかになった。植村さんに対して投げかけてきた非難がみごとに櫻井さん自身に帰ってきた尋問だった。
安田法廷では植村さんの心の底からの怒りがひしひしと伝わってきた。櫻井さんは安倍政権の代弁者、というより提灯持ちだ。提灯持ち水に落ちる、という言葉もある。主人の足元を照らしているうちに自分の足元が見えなくなって、気がついたら水に落ちていた、ということだろう。そのことを植村さんの弁護団は明らかにしてくれた。
能川ネット右翼に私が関心をもつようになったのは2000年代の半ばだった。ブログという新しいインターネットサービスが登場して、見栄えの良いホームページを個人が簡単に作れるようになった。そのようなSNS空間で、普通の人たちが歴史認識問題で意見を表明していることに気が付いた。その内容は、主に在日コリアン批判だったが、それがだんだんとヘイトスピーチへと広がっていった。
安田私が初めて関わったのは2006年だった。外国人実習生を巡る事件と裁判を取材した時だった。栃木県で中国人実習生が警察官に撃たれて死んだ事件で遺族は賠償を求めた。その裁判にネット右翼が押しかけて「不逞支那人は射殺せよ」と叫んでいた。
能川ネット右翼に呼応する大きな動きがいくつかあったのは2012年だ。年末に第2次安倍政権が成立した年だ。この年12月、雑誌『正論』が歴史戦争キャンペーンを始めた。8月、池田信夫氏(元NHKディレクター、経済評論家)が自身のインターネット番組で、国会議員の片山さつき氏と西岡力氏に朝日の慰安婦報道を批判させている。この中に植村隆さんの名が出ており、ネット民の注目を集めていくようになった。産経新聞は10月23日の産経抄で植村さん個人に焦点を当てて批判した。
翌13年から、右派の市民グループによる「慰安婦パネル展」も全国各地で開かれるようになった。街宣右翼とは異なる活動スタイルで、植村さんの写真や記事も使ったパネル展示で「慰安婦報道糾弾」などと訴えた。関西のグループの中心メンバーは在特会(在日特権を許さない市民の会)の元活動家だ。ヘイト街宣から足を洗って慰安婦問題に流れ込んできた。排外主義的ヘイトスピーチと「慰安婦」問題との接点を象徴的に示すのが、西村修平なる人物だ。西村氏は在特会の代表だった桜井誠の師匠とされている。いくつかの団体を率いているが、「主権国家を目指す会」と「河野談話の白紙撤回を求める市民の会」が二本柱だ。


ネットの中の言葉が街頭のヘイトスピーチになった
安田西村氏は、ネットの中で流通している言葉を街頭に持ち込んだ。西村氏が2000年末の「女性国際戦犯法廷」に反対する運動を展開した人であることは知っていたが、本人に出会ったのは、外国人実習生を巡る事件と裁判の取材した時だった。ネット右翼が押しかけて「不逞中国人を射殺せよ」と叫んでいた事件だ。
その外国人実習生は警察官に撃たれて死んだ。3年間岐阜で働いて中国に帰国する前日、経営者からパスポートと預金通帳を返してもらった。しかし通帳にはお金はたまっていなかった。母親と妻と子供2人が待つ故郷に、働いて得た金を持って帰るはずだった。彼は逃げた。名古屋へ、茨城へと逃げ、栃木県西方町(現栃木市)でコンクリート型枠会社に就職が決まった。履歴書不要、滞在資格がない外国人でも必要とする職場は、日本にいくらでもあるのだ。
彼はバッグを持って寮にあてがわれたアパートに向かった。真昼間の田舎町、外国人とおぼしき若い男。彼は警察官に誰何され、民家の庭に逃げ込んだが行き止まり。22歳の警察官は拳銃を抜き、彼の腹部に1発撃った。威嚇射撃はなかった。その1発で彼は死んだ。
彼の遺族は、特別公務員暴行凌虐致死罪に当たるとして裁判を起こし、06年12月から宇都宮地裁で審理が始まった。私はこの裁判を取材した。
開廷を待つ間、地裁前が騒がしい。裁判所職員に聞くと「右翼が来ている」という。黒塗りの大型街宣車、パンチパーマ、特攻服。これまで見慣れていた右翼はいなかった。この集会にいるみなさんと同じような、おじさん、おばさんと、若者、それにベビーカーを引いた女性たち、約50人が「支那人を射殺せよ」と叫んでいた。
どうやって動員されたのか。ジャケット姿の若い人に「どこの団体?」と聞くと「一般市民です」と返ってきた。一般市民が平日の昼間に「支那人を射殺せよ」と大声上げるものか。「じゃあ何故ここにいるの」と聞くと、「われわれはネットで集められた」と答えが返ってきた。調べたら2チャンネルで「日本に損害賠償を求め、日本の警察官を訴えた不逞支那人が、裁判を起こしている。みんなで日本を守るため集まろう」と呼びかけていた。
ネットで動員される人々、ネットで動員される憎悪、ネットで動員される排外主義。それを目の当たりにした。2006年の秋のことだった。これが、ネット右翼の取材を始めるきっかけの一つだった。

ネット右翼と街宣右翼が垣根を越えて相互乗り入れ
能川各地で開かれている慰安婦パネル展にもネット右翼が関わっている。「歴史写真展 史実に見る慰安婦」と題して、実行委員会方式で開かれているが、「新しい歴史教科書をつくる会」の地方支部などが後援しており、公民館などの施設が会場だ。札幌の場合は毎回のように日本会議北海道支部が後援し、通勤通学や買い物など多くの市民が行きかうメインストリート「チカホ」(地下歩行空間)で繰り返し開かれている。
安田北海道で特徴的なのは、日本会議とネトウヨの段差がほとんどないように見えることだ。ざっくり分類すると、右翼には「民族派」と称され街宣車や特攻服が思い浮かぶ右翼グループがある。それにネット右翼、そして統一教会など宗教右翼グループがある。北海道の右派地図はグラデーション状態だ。かつては住み分けされていたグループが、いまは相互乗り入れして入り乱れている。今日の傍聴席にも、日本会議だがパネル展でネトウヨと共闘している人もいた。
東京では2月下旬、朝鮮総連本部ビルに銃弾5発が撃ち込まれ、2人が逮捕された。主犯はバリバリの右翼活動家だが、同時にバリバリのヘイト活動家だった。彼は2013年秋、在日コリアン最大の集住地、大阪・鶴橋で、当時中学2年生の娘にマイクを持たせ「南京大虐殺でなく 鶴橋大虐殺を実行します」と街宣車から言わせて問題になった。そんなことを中学生に言わせ、後ろで笑いを浮かべ拍手する大人を私は許せない。ヘイトデモが嫌なのは、その主張だけでなく、笑いながら差別し、笑いながら人を貶め、笑いながら人間の存在を否定する連中だからだ。
そんなデモに出て来る人間と、街宣右翼が相互乗り入れする時代になった。境界が低くなってきたことは、全国各地で見られる。しかし、右翼は総じて卑怯で、嘘をつき、ネットでデマを流す。「本当の右翼は差別をしない」「本当の民族派なら、こんなことはしない」という言い方を私はやめた。
能川右翼のアジェンダは幅広いから、関心の違いや利害の差は様々あるだろうが、日本軍「慰安婦」問題はその差を超えて、右翼が広く一致団結できるテーマになっている。慰安婦像をめぐっては、たとえば、米国世論を味方にしようという目的で、動画投稿サイトYoutubeを通じてネット右翼の目に止まったアメリカ人、「テキサス親父」ことトニー・マラーノなる人物をオルグして活動させているが、その資金はある宗教団体も拠出している。

右翼ではないのに右翼以上の事件の主役になる
安田右翼同士の段差が小さくなってきたが、それは一般社会との間についても言える。一般市民が差別や排外主義がからむ事件の主役になるようになった。
去年の5月に名古屋であった事件だ。旧朝銀系のイオ信用組合名古屋支店で、65歳の男性がポリタンクに入っていた灯油をまき、火のついたタオルを投げ込む放火事件があった。すぐに逮捕され、初犯だったこともあり名古屋地裁の判決は懲役2年執行猶予4年だった。
裁判の過程で男性は「慰安婦問題で韓国の態度が許せなかった」と放火の動機を述べた。だがイオ信用金庫は朝鮮総連系の金融機関で、韓国系ではない。男性に北と南の区別はなく、「朝鮮人イコール敵」の烙印を押している。決定的に間違えているけど、男性は「韓国系とか総連系は、どうでもいいと思った」と言った。男性は右翼活動歴はまったくない。勤務先の評価は「真面目」で、もちろん前科もない。定年を迎え年金生活となり、時間が出来てネットを見るうち慰安婦問題への憎悪が高まり、火を投げ込むまでになった。
右翼ではないのに右翼以上のことを一般人がやってしまった。こんな例は、まだある。
一昨年、福岡市天神の繁華街で西鉄系列のデパートやバスターミナル、トイレに、張り紙がべたべたと張られていた。「日本を支配しているのは在日」「在日支配の危険から逃げなければいけない」「我々は在日と戦わなければならない」。監視カメラや警察官の張り込みで逮捕された男は、63歳の元学習塾経営者だった。この人も右翼活動歴はまるでない。きっかけはネットだった。一人で飲んでいた居酒屋で、大声で話す近くのグループの話題が耳に届いた。「芸能人の〇〇は在日で」。それを聞いた彼は怖くなったそうだ。「芸能界にそんなに在日がいるのか」。家に帰ってパソコンを開いた。パソコンはちゃんと使えないが、検索はできたそうで、いろいろ発見してしまった。日本の経済、行政、政治もメディアも在日が支配している、というのだ。彼は奥さんに話したそうだ。「お前、日本を支配しているのは在日だと知っていたか」。奥さんは「バカなことを言ってないで早く寝なさい」。彼は「うちの妻はダメだ。社会の事にまったく関心をもてない。俺が社会に知らしめなければならない」。検索は出来てもアウトプットは出来ないもんだから、手書きのビラを作ってべたべた貼ってしまった。建造物侵入で懲役2年執行猶予3年。建造物侵入で初犯なら、ふつうは起訴猶予だが、長期拘留されて有罪判決を受けた。ちょうどヘイトスピーチ解消法ができたころだった。
金融機関に火を投げ込んだ男性、デパートにべたべたビラを貼った男性。どちらも右翼ではない。2人を犯罪に走らせたのは一部メディアやネットだった。とりわけネットにあふれたデマが行動を促した。こうした回路は私たちの社会のあちこちにあふれている。

「自由」を矮小化する差別と排外主義
能川そのようなネット右翼個人だけでなく、右派系の大衆運動が私たちの生活に迫っている。その最大勢力が「日本会議」だ。そのルーツをたどると、「生長の家」に行きつく。2016年に日本会議を扱った本が10冊も出版され、ブームになった。うち1冊は、副題に「カルト」という言葉を使っている。カルトとは、社会の主流派との間に緊張関係を持っている宗教集団と理解されている。地下鉄サリン事件などを起こしたオウム真理教はカルトだ。では日本会議の考え方は少数派なのか、特殊な一部の人だろうか。カルトかどうかは議論が分かれるが、そのことも含め、研究者仲間の斉藤正美、早川タダノリ氏と行った鼎談が「図書新聞」のホームページ(2017年10月28日号=こちら)にアップされているので、詳しくは読んでいただきたい。
安田右翼について書かれた有名な本「戦後の右翼勢力」(堀幸雄著)にもこういう一節がある。「日常われわれの身近にいて、しかも信心深いと思われている人たち、これが現代の右翼である。街頭で制服を着た右翼から、どこにでもいる背広を着た右翼となって、大衆の中に入り、大衆運動を組織して右傾化、反動化の先兵となっている」。この本が書かれたのは、1983年だった。当時すでに、右翼と一般社会との段差が小さくなっていた。
「日本会議」の前身、「日本を守る会」は1973年に宗教界を中心に作られた。鎌倉円覚寺の朝比奈宗源師が、生長の家の谷口雅春氏を口説き落とし、富岡八幡宮の富岡盛彦宮司とともに作った組織だ。もうひとつの前身、元号法制化を進めてきた「日本を守る国民会議」は1981年に作られた。元外交官の加瀬俊一氏が代表で、作曲家の黛敏郎氏や歌手の三波春夫氏らが名を連ねた。このふたつが統合して1997年5月、「日本会議」ができた。前身の組織は、それまで左翼、リベラルが得意だった草の根の運動や地道なオルグ活動など、左翼の作法を取り入れて、勢力を拡大してきた。
能川右派のアジェンダは幅広いが、「慰安婦」問題に限っていえば、右派の言説を追いかけてきて「自由」に対する考え方の違いを痛感する。とくに「性奴隷」という言葉に対する言説にそれがはっきりしている。日本政府が激しく反応するのは、「奴隷」であったことを認めることは国際条約違反であったことを認めることになり、それによって軍「慰安所」制度の歴史的評価が定まってしまうのを嫌がっているからだが、右派には、もっと素朴な感覚がある。つまり、給料がもらえるのに奴隷なのか、外出が許されることもあるのなら奴隷ではない、という感覚だ。しかし、奴隷であるかどうかが「鎖が足につながれているかいないか」の問題ではないことを理解するなら、「慰安婦」問題は外国人実習生の問題、AV出演強要問題やブラック企業の問題にもつながる。
右派の「慰安婦」問題認識から分かることは、人間の「自由」を極めて矮小化してとらえていることだ。足が鎖につながれていなければ自由なんだ、と思っているわけだ。だから日本軍「慰安婦」問題に関する彼らの主張にきちんと反論し、そうじゃないんだよと、この社会で示していく。それは、この社会で自由に生きていくことが出来るか、自由に働くことができるか、という問題とイコールだと思う。
安田慰安婦問題でほんとうにむかつくのは、お金もらってたんでしょ、休憩時間もあったんでしょ、というような物言いだ。私たちは、この社会、地域、人間を壊そうとしている差別、排外主義と闘っている。ここに1枚の写真がある。熊本の縫製工場で働く中国人女性実習生が2007年、裁判に勝った時の写真だ。
photo:全労連ホームページより
彼女たちは、時給300円から400円という安い賃金、月に休みが1日あるかないかの長時間労働、そしてパワハラ。ブラック企業のあらゆる悪を詰め込んだような経営者を訴えた。「私たちは奴隷ではない」「勝訴」「奴隷労働反対」。プラカードを持つ女性の笑顔が美しい。
この判決を記事にしたところ、「給料もらっている奴隷がいるのか」という奴がいた。冗談じゃない。足かせをはめられ、手錠をかけられないと奴隷じゃないのか。見えない足かせ、見えない手錠、見えないしばりで、人間は奴隷になるんだ、完璧に。
この裁判の原告代理人に小野寺信勝弁護士がいた。彼は熊本を離れて、いま札幌にいる。植村弁護団事務局長の小野寺さんです。(会場に大きな拍手)
人を人として見ないような視線がこの世の中にあふれている。だれかを排除して生きながらえようとしている人間がいて、だれかを犠牲にしてこの社会を動かそうとする人間がいる。そういう人たち、この社会、地域、人間を壊そうとする差別、排外主義と闘っていきたい。



・・・MORE INFORMATION・・・・・・・・・・・・・・・

■能川元一氏の著作
『憎悪の広告右派系オピニオン誌「愛国」「嫌中・嫌韓」の系譜』(早川タダノリとの共著、合同出版)、『海を渡る「慰安婦」問題右派の「歴史戦」を問う』(山口智美ほかとの共著、岩波書店)、『検証 産経新聞報道』(共著、金曜日)など。
『レイシズムと外国人嫌悪』(小林真生編著、明石書店)、『「慰安婦」問題の現在 「朴裕河現象」と知識人』(前田朗編、三一書房)や『徹底検証 日本の右傾化』(塚田穂高編、ちくま選書)にも寄稿。
■安田浩一氏の著作
『ルポ 差別と貧困の外国人労働者』(光文社新書2010年)、『外国人研修生殺人事件』(七つ森書館2007年)、『ネット私刑』(扶桑社 2015)、『沖縄の新聞は本当に「偏向」しているのか』(朝日新聞出版2017年)など多数。2012年『ネットと愛国』(講談社)で日本ジャーナリスト会議賞、講談社ノンフィクション賞を受賞。2015年『G2(講談社)掲載記事の『外国人隷属労働者』で大宅壮一ノンフィクション賞(雑誌部門)受賞。
■インターネット番組での関連発言
能川氏
▼右派」がネット右翼を認めない理由(辛淑玉氏との対談=のりこえねっとTV、2014.1.29収録、250-4523
▼「15分でわかる!?歴史修正主義」と北星学園大学脅迫事件(平井康嗣氏のインタビュー=週刊金曜日ちゃんねる、2014.11.14収録、3108
安田氏
▼なぜ「愛国者」が憂鬱になるのか(鈴木邦男氏インタビュー=のりこえねっとTV、2014.2.26収録、10045
▼櫻井よしこ完全敗北(野間易通氏とのトーク=のりこえねっとTV、2018.3.28収録、1531-11210