2020年2月27日木曜日

報告集会は開催中止

3月3日の判決後に予定していた報告集会は、参加者の皆さまの新型肺炎感染リスクを避けるため、開催を取りやめます。
なお、裁判は予定通り行われます。傍聴支援をよろしくお願いします。
お問い合わせは、JCJ(電話03-3291-6475、月水金午後)にお願いします。
※チラシ改訂版を掲載します

2020年2月22日土曜日


東京控訴審判決迫る


判決言い渡し
3月3日(火)午後2時、東京高裁101号法廷
傍聴希望者が多数となり抽選が行われることが予想されます。
早めにご来場ください。

報告集会
~植村訴訟は何を明らかにしたのか
同日午後5時~7時

日本教育会館 9階会議室(千代田区一ツ橋2丁目6-2)
電話03-3230-2831 アクセスマップ➡

■報告と発言
東京、札幌弁護団の報告と植村隆さんの決意表明
北原みのりさん(作家、ラブピースクラブ代表)
大森典子さん(弁護士、中国人「慰安婦」訴訟弁護団長)

これが本件の真相だ


植村裁判東京訴訟とは
1991年に韓国で元慰安婦が名乗り出たことを報じた元朝日新聞記者・植村隆氏が、その記事を捏造だと決めつけられて人格攻撃を受け名誉を傷つけられた、と西岡力・元東京基督教大教授と週刊文春の発行元・文藝春秋を名誉毀損で訴えた裁判。2015年1月に提訴、口頭弁論は同年4月から2019年5月まで16回行われた。2019年6月、一審東京地裁(原克也裁判長)は、被告西岡氏と文藝春秋が植村記事を捏造と信じたことには「相当の理由」がある、として免責し、植村氏の請求(損害賠償支払い、謝罪広告掲載)を斥けた。植村氏は控訴し、一審判決の誤りを批判する一方で新たな重要証拠を提出し、原判決の破棄を求めた。控訴審の口頭弁論は2回行われ、昨年12月16日に結審した。

弁護団事務局長・神原元弁護士が控訴審結審の口頭弁論で陳述した最終意見を再録する。

神原弁護士の最終意見陳述(全文)
▼本件の真相
植村氏の91年12月の記事は、冒頭において、「(金学順氏の)証言テープを再現する」と断っています。私たちは、当該「証言テープ」を法廷に証拠提出致しました。
西岡氏らは「妓生の経歴が書かれていないから捏造だ」と言ってきました。しかし、当該証言テープには、妓生の証言は一切ありません。「証言テープを再現する」と断って書いた記事に、証言テープにない証言が書かれていないからといって、それが捏造記事になる等ということは絶対にあり得ません。極めて当たり前のことであります。
それだけではありません、証言テープの内容は、記事の記載と、細部に至るまで詳細に一致していました。このことは、植村氏において、義母の裁判を有利にする等の目的で、捏造記事を書くという意図が、一切なかったことをも意味します。
そして、金氏の裁判が始まった91年12月の時点でそのような意図がなかったのですから、金氏の裁判の予定すらなかった8月の時点で、そのような意図がなかったことも、極めて自明のことであります。
西岡氏らは、91年8月の記事の「『女子挺身隊』の名で戦場に連行」という文言を捉え、慰安婦強制連行の吉田証言を裏付ける記事だ等と主張しています。
しかし、8月の記事には、「だまされて慰安婦にされた」と明確に記載されているではありませんか。どうして、強制連行を裏付ける記事になるのでしょうか。
吉田証言とは、「(朝鮮人女性を)殴る蹴るの暴力によってトラックに詰め込み、(中略)連行し」たというものです。これは、「だまされて慰安婦にされた」という状況とは、全く違うではありませんか。
そもそも、仮に、植村氏において、強制連行をでっち上げようという悪しき意図があったならば、「だまされて慰安婦にされた」等と書くはずがないではありませんか。
以上、本件の真相は全て明らかになりました。植村氏が、意図的に記事を捏造したという事実は、一切ないのであります。
▼原判決の根本的誤り
原判決は、「キーセンの経歴を記載しなかった」という不作為を捉え、「事実と異なる記事を書いた」、そう信じたことに相当な理由がある等と認定しています。
原判決の認定で、もっともおかしな部分は、この部分です。
伊藤詩織さんという方がいます。この方は、ピアノ・バーで働いている際に出会った男性にレイプされたと訴えております。
では、このケースで、「ピアノバーで働いていた」との経歴を書かなければ「捏造記事」になるのでしょうか。そんなことはありえません。
妓生学校の経歴についても同じです。「書かない」という不作為が、理由なく、「捏造」という作為に転化することは、通常あり得ません。
経歴を書く「べき」だというのは、一つの意見に過ぎません。書く「べき」だという一方的な意見のみを証拠にして、「捏造」という事実は認定できません。一方的な意見のみを根拠にそう信じたとしても、相当な理由があるともいえないはずです。
慰安婦問題を否認する人々は、妓生の経歴に、なぜこれほど拘るのでしょうか。
産経新聞の阿比留瑠比氏は「売春婦という場合もあります(中略)キーセンに40円で売られた段階で」と述べています(甲71号証2頁目)。池田信夫氏は「慰安婦は売春婦です。」と述べています。
伊藤詩織さんの事件の被告となった男性は、「あなたはキャバクラ嬢でしたね」と書いています。これも似たような心理かも知れません。
2015年9月、サンフランシスコ市議会の公聴会において、元慰安婦を「売春婦で嘘つきだ」などと攻撃する者に対し、地元のカンポス議員は、こう述べました。
「恥を知りなさい」
しかし、ここでは、一歩譲って、西岡氏らの歴史観を前提にしてみましょう。
植村氏に対して向けられた批判は「捏造」記事を書いた、というものです。「捏造」の意味について、西岡氏は、極めて明快に定義しております。
「植村記者の捏造は(中略)、義理のお母さんの起こした裁判を有利にするために、紙面を使って意図的なウソを書いたということだ」
この「捏造」が意見なり論評なりということはありえません。意図的に事実と異なる記事を書いた、という事実の摘示そのものです。西岡氏は、「捏造した事実は断じてある」と述べ、89年の珊瑚記事捏造事件より悪質だと言っているのです。
仮に西岡氏らの歴史観を前提にしたとして、果たして、珊瑚記事捏造事件と同じ意味において、「植村氏が捏造記事を書いた」という事実と認定できるでしょうか。あるいは、そう信じたことに理由があるといえるでしょうか。
答えは、断固として、絶対に、「否」であります。「捏造」が事実を示す言葉だとすれば、そのような事実が認定できるはずがないことは既に証拠上明らかであり、そう信じたとしても相当性がないことも明らかであり、その結論は、いかなる歴史観を前提としても、変わらないのであります。
▼結論
先にあげたカンポス議員は自己のスピーチを、マハトマ・ガンディーの、以下の言葉を引用して閉じています。
「真実は正しい目的を損なうことはない」
司法の使命とは、事実と証拠のみに基づき、判決を下すことです。本件においては、慰安婦問題を巡る歴史観の対立に踏み込むことなく、どちらにも偏らず、曇りなき目で、事実と証拠のみに基づいて、事実の有無を判断することです。そうすれば、植村氏は記事を捏造していないという事実は、真実として認定されるものと確信しています。慰安婦に関する歴史の事実を認定しなくても、本件における真実を認定することは、十分可能なのであります。
我々弁護団は、裁判所に、事実と証拠のみ基づく、正しい判決を下されんことを、切にお願いする次第であります。
以上




2020年2月10日月曜日

櫻井免責のトリック


櫻井コラムを「事実摘示」ではなく「論評」だと判断。金学順さんの証言を「脚色と誇張が介在する」と疑問視。日本軍の強制関与は「消極的事実」ではあるが三段論法で「核となる事実」ではないと断言。「単なる慰安婦」名乗り出報道は「価値が半減」とも断言! ――控訴審判決、櫻井免責の強引な理屈を検証する


札幌控訴審の今回の判決は、「強制連行」や「慰安婦」の定義を捻じ曲げているうえ、櫻井氏のずさんな「取材」を不問にするため強引な理屈で「真実相当性」を認めています。判決文には「慰安婦」にされた女性への蔑視をあらわにしたような表現もあって裁判官の人権感覚も疑われるほどです。以下、判決文に沿って検討します。

■櫻井コラムは「事実の摘示ではない」?
判決は、「義母の訴訟を支援する目的と言われても弁明できない」、「意図的な虚偽報道だと言われても仕方がない」と書いていた櫻井氏のコラムの記述を「事実と断定しているのではなく、論評である」と判断しています。(判決文p10~12)
しかし、こうした櫻井コラムの読者が、植村さんは「義母の訴訟を支援する目的」で「意図的な虚偽報道」をした、と思い込まされたからこそ「植村バッシング」は始まったのではないでしょうか。櫻井コラムの内容が「事実ではない」と読者が思っていたというなら、なぜ植村さんやその家族、北星学園大学に「殺す」「爆破する」という脅迫が殺到したのでしょうか。櫻井氏も単なる論評としてではなく「事実のつもり」で書いたからこそ「植村氏に教壇に立つ資格はない」とまで攻撃したのではないでしょうか。
櫻井氏の論拠は①ハンギョレ新聞記事 ②金学順さんの訴状 ③月刊『宝石』の臼杵敬子論文の3点でした。しかし①のハンギョレ新聞の元記者と③の臼杵敬子さんはともに「慰安婦の被害を伝えようとしたのに、櫻井氏は内容を曲解して逆に使われた」と陳述書で批判しています。②の金学順さんの訴状には、そもそも櫻井氏が書いたような記述がなかったことが訴訟で明らかになって訂正に追い込まれています(産経新聞と雑誌WiLL)。
判決はこうした経緯にいっさい触れることなく、櫻井氏が書いた内容が真実ではなくても真実と信じたことに相当の事情があったという「真実相当性」を認めています(p13~18)。

慰安婦被害は「脚色・誇張」?
判決は金学順さんの供述について、こう総括しています。
「植村は、金学順氏が日本軍人により強制的に慰安婦にされたと読み取るのが自然であると主張する。しかし、上記の各資料は、金学順氏の述べる出来事が一致しておらず、脚色・誇張が介在している事が疑われる(p14)

1991年8月に韓国で初めて「慰安婦」として名乗り出た金学順さんは、殺到する取材陣に翻弄されながら半世紀以上も前の辛い体験を思い起こしていたのです。記憶違いもあれば、言いよどんだ部分もあるでしょう。ようやく口を開いた被害者の語りに対して、この裁判官はまず「脚色・誇張が介在している」と疑っているのです。「名乗り出た性犯罪の被害者へのセカンドレイプ」は、最近も伊藤詩織さん事件などで問題になっています。これが2020年の日本の裁判所の人権感覚なのでしょうか。

「日本軍人の強制」は「消極的事実」?
 判決は、金学順さんが「慰安婦」にされた経緯について以下のように認定しています。

「検番の義父あるいは養父に連れられ、真の事情を説明されないまま、平壌から中国又は満州の日本軍人あるいは中国人のところへ行き、着いたときには日本軍人の慰安婦にならざるを得ない立場に立たされていた
日本軍人による強制の要素は、金学順氏を慰安婦にしようとしていた義父あるいは養父から金学順氏を奪ったという点にとどまっている。」
「日本軍が金学順氏をその居住地から連行して慰安婦にしたという意味で、日本軍が強制的に金学順氏を慰安婦にしたのではなく、金学順氏を慰安婦にすることにより日本軍人から金銭を得ようとした検番の継父にだまされて慰安婦になったと読み取ることが可能である」(p14) 
だから、櫻井氏が「上記の通り信じたことについては、相当性が認められる」としているのです。

金学順さんが一貫して述べていたのは、「私は日本軍に武力で奪われた」という点です。養父あるは義父に連れられて中国に行ったにしても、「慰安婦にならざるを得なくなった」のは「日本軍人に武力で奪われた」からなのです。そうでなければ金学順さんは名乗り出ることもなかったし、日本政府を相手取って訴訟を起こすはずもなかったでしょう。

驚いたことに、判決は「日本軍人が金学順さんを奪った」と認めています
この点は櫻井氏が決して認めてこなかった点です。
「日本軍人が金学順さんを武力で奪った」という事実は、①のハンギョレ新聞、②の訴状、③の臼杵論文とも明記されています。しかし、櫻井氏は「慰安婦は人身売買の犠牲者」と繰り返すだけで「日本軍人が金学順さんを奪った」という点は認めてこなかったのです。①②③を論拠にしながら、「日本軍の関与」に関する記述はいっさい無視していたのが櫻井氏だったのです。

「日本軍人が金学順さんを奪った」と認定するならば、金学順さんが語っていた通りに記事を書いた植村さんの訴えが認められるはずです。それなのに、どうして結論が逆になっているのでしょうか? 
金学順さんが「日本軍人に奪われた」という事実と「日本軍人に強制的に慰安婦にさせられた」こととを切り離すため、判決は奇妙な三段論法を持ち出します。

①「義父あるいは養父」は金学順さんを最初から慰安婦にするつもりだった
②だから、金学順さんは中国に着いた時点で「慰安婦にならざるを得ない立場だった」
③だから、日本軍人が金学順さんを奪っても「消極的事実」であって「核となる事実」ではない。

つまり、どのみち「慰安婦」にされる立場の女性だったのだから「日本軍人に奪われた」ことは記事の中核にすべき価値はない、という見解です。義父または養父が「最初から金学順さんを慰安婦にするつもりだった」のだから、日本軍が軍刀で脅して連行しようが、密室にカギをかけて監禁してレイプしようが、それは「核となる事実」ではない、と判決は断言しているのです。

この三段論法には、安倍政権が進めてきた「慰安婦は強制連行ではない」という歴史の書き換え、櫻井氏や西岡力氏の「慰安婦=人身売買の被害者説」のトリックが凝縮されています。
まず、「強制連行」の定義を、安倍首相の国会答弁にならって「その居住地から連行して慰安婦にすること」と非常に狭く限定します。そして、日本軍が金学順さんを「奪って」いることは認めても、先に強引に狭く限定した定義をひいて「日本軍による強制連行ではない」と決めつけているのです。
「消極的」と言おうが、「居住地」であろうが戦地であろうが、泣き叫ぶ少女を無理やり「奪って」、軍のトラックに載せて監禁してレイプしていたのは日本軍人だった、と判決は認定していることになります。これは普通の言葉で「強制連行」であり、普通の裁判では「監禁罪」や「レイプ」という犯罪ではないでしょうか。

養父が「最初から慰安婦にしようとしていた」という点も、それを裏付ける記事も資料も存在していないのです。櫻井氏もそうした証拠を提出していません。金学順さんに歌や踊りなどの芸妓(キーセン)としての教育を受けさせたことは確かです。しかし、「慰安婦にしようとしていた」と断定する根拠はどこにあるのでしょうか。当時の芸妓(キーセン)は誇り高い花形職業だった、と金学順さんは繰り返しています。この判決は「芸妓(キーセン)=売春婦」という間違った思い込み、偏見に基づいているのです。 

■「単なる慰安婦」は報道価値が半減?
「慰安婦」問題の報道価値についても、判決は驚くべき判断を下しています。
植村記事に先立って朝日新聞が「吉田証言」を掲載していたことを指摘して、「その一人がやっと具体的に名乗り出たというのであれば日本の戦争責任に関わる報道として価値が高い反面、単なる慰安婦が名乗り出たにすぎないというのであれば、報道価値が半減する」と断言します。

「単なる慰安婦」とは、どういう人を指すのでしょうか? 「日本の戦争責任と関わる報道」でない「単なる慰安婦」報道とは、どんな記事でしょうか? 日本人であれ、韓国人であれ、オランダ人であれ、慰安婦とは、軍隊によって組織的に監禁、監視されてレイプされ続けた被害者のことです。
判決は、「単なる慰安婦」と「女子挺身隊の名のもとに戦場に連行された慰安婦」との報道価値を区別して、植村記事がその報道価値を誇張するために「女子挺身隊の名のもとに」という前書きを使ったかのように書いています。
しかし、どんな呼び方であれ、どの国籍であれ、声を上げる被害者がいれば、それを記事にするのがジャーナリズムです。それを91年8月に実践したのが植村記事でした。
それとは対照的に、櫻井よしこ氏は、慰安婦の方の話を一人として聞かず、植村さん含めて当事者への取材を一切していないのです。それは「慰安婦」にされた人たちの実態を伝えることが「ジャーナリスト」櫻井氏の目的ではなかったからでしょう。日本政府や日本人が「被害者」であることを強調して戦争被害者に対する責任逃れを正当化するために、植村記事を「ねつ造」と言い張ってきたのです。その稚拙でずさんな手口が次々に明らかにされてきたのが植村訴訟の法廷です。

text by 水野孝昭(神田外語大教授、東京訴訟支援チーム、元朝日新聞記者)

2020年2月9日日曜日

判決書に蔑視記述!


判決書の中の「単なる慰安婦」という記述は、「悪意と蔑視のかたまり」だ。「人権の砦」である裁判所が、辛い体験の証言を「単なる」と認めている!

札幌控訴審判決はSNSでも波紋を広げています。
判決書の15ページ16行目に、「単なる慰安婦が名乗り出たにすぎないというのであれば、報道価値が半減する」と書かれています。「挺身隊」という語を用いた植村氏の記事は「強制連行」と結びつけたものだ、との櫻井氏の主張を検討する部分の記述で、直前には「日本の戦争責任に関わる報道として価値が高い反面」とあります。
「単なる慰安婦」とは、なんなのでしょうか。文脈からいって、「強制とは関係がない」ということを「単なる」というのでしょうか。職業や地位、身分を「単なる」と表現すること自体、ふつうの市民感覚ではあり得ません。単なる新聞記者、単なる裁判官、単なる歌手、単なる政治家など聞いたこともありません。「募ると募集はちがう」という答弁が国会でまかり通るほどに日本語は壊されていますが、これはアベ話法に負けず劣らず、酷いのではないか!

ツイッターで声を上げたのは、新聞労連委員長の南彰さんです。南さんは6日の札幌控訴審判決を法廷で傍聴し、報告集会でも支援の挨拶をしていました。
南さんは、判決記述の「単なる慰安婦」は「悪意と蔑視のかたまり」だと次のように批判しています。
▽まさか判決文で…。6日の高裁判決。《#単なる慰安婦が名乗り出たにすぎないというのであれば、報道価値が半減する》(冨田一彦裁判長、目代真理、宮崎純一郎両裁判官)。「人権の砦」である裁判所が、辛い体験の証言を「単なる」と認めているようでは、性被害者が救われるはずがない。
▽悪意のかたまり。蔑視のかたまりだと思います。判決文で勝負している3人の裁判官の合議で堂々と出しているわけですから。
▽植村裁判の一連の判決は、①慰安婦の証言を報じる側には重い責任を負わせ、②その証言報道を「捏造」などと貶める側の誤読・曲解・取材不足は大幅に免責する――という構図だ。このような司法判断を放置していたら、今後の性被害告発や#meetoo!報道にも影響が出てくるのではないだろうか。
以下に、タイムラインの一部をスクリーンショット(画面撮影)で紹介します。
※収録は9日午後3時

2020年2月8日土曜日

判決批判の道新社説

北海道新聞の社説(2月8日)が、櫻井氏よしこ氏を再び免責した札幌控訴審判決に疑問を投げかけています。
櫻井氏の杜撰な取材手法は控訴審の大きな争点でした。ところが判決は「本人への取材や確認を必ずしも必要としない」としました。この点について社説は、「気がかり」だといい、「捏造の有無においては、本人の認識が大切な要素だ」「取材の申し込みもしなかった記事が、取材を尽くしたといえるか疑問が残る」と批判しています。
全体に抑えた調子の社説ですが、ここではズバリと切り込んでいます。また、文末の結語では「可能な限り取材や調査を尽くすのが筋だ。とりわけ報道機関には高い意識が求められる。常に省察したい」とも述べています。「報道機関」を「ジャーナリスト櫻井よしこ氏」に置き換えて読めば、判決批判=櫻井批判であることがわかりますね。

慰安婦報道判決 取材尽くす責任は重い

■北海道新聞社説 2月8日、道新WEBより引用

従軍慰安婦報道を巡り、雑誌などの批判記事で名誉を傷つけられたとして、元朝日新聞記者が、出版社やジャーナリストに損害賠償などを求めた訴訟で、原告敗訴の判決が札幌高裁で言い渡された。
気がかりなのは、批判記事の内容をジャーナリストが真実であると信じた「相当性」について、「資料などから十分に推認できる場合は、本人への取材や確認を必ずしも必要としない」とした点だ。
記事は、内容によっては、書かれる人物の社会的評価を低下させる可能性があるものだ。
それゆえに、公共性や報じる目的としての公益性のほか、記事の内容の真実性または真実と信じるに足る相当の理由が求められる。
インターネットの普及で、誰もが手軽に情報を発信し、記事の提供や意見の表明を行うことが可能となった。その結果、人格権が侵害されるリスクも高まっている。
記事や情報の発信にあたっては、その内容を丁寧に調べ、取材や確認を尽くすという基本動作を改めて肝に銘じる機会としたい。
裁判は、元朝日新聞記者の植村隆氏が、真実を隠して捏造(ねつぞう)記事を報じたと断定されたとして、ジャーナリストの桜井よしこ氏と出版社3社に損害賠償と謝罪広告掲載などを求めて提訴した。
一審の札幌地裁判決は、社会的評価の低下を認め、批判記事の一部については真実性を認めなかったが、桜井氏が批判記事の内容を真実と信じるに足る相当性はあったとして植村氏の請求を退けた。
一審判断を支持した控訴審の判決で、注目したいのは真実相当性で重要となる取材の尽くし方だ。
札幌高裁は「推論の基礎となる資料が十分にあったため、本人への直接の取材が不可欠だったとはいえない」と判断。
 「桜井氏は(植村氏)本人に取材しておらず、植村氏が捏造したと信じたことに相当な理由があるとは認められない」とする植村氏側の主張を退けた。
捏造の有無においては、本人の認識が大切な要素だ。取材の申し込みもしなかった記事が、取材を尽くしたといえるか疑問が残る。
一方で、名誉侵害に対する責任を追及するあまり、言論の自由が損なわれることも望ましくない。
論評や批判は健全な言論空間を構成する上で重要だ。民主主義の根幹をなすものと言っていい。
そこには責任も伴う。可能な限り取材や調査を尽くすのが筋だ。とりわけ報道機関には高い意識が求められる。常に省察したい。



2020年2月7日金曜日

真冬日の控訴審判決

写真上段=降りしきる雪の中、裁判所に向かう植村氏と弁護団
中段左=判決後に掲げた幟、右=判決後に開かれた記者会見
下段左=約100人が参加した報告集会、右=挨拶する植村氏

■冷たく素っ気ない裁判長の読み上げ
2月6日、札幌高裁802号法廷。正面向かって左手には植村氏と植村側弁護士27人が3列に着席した。右手には櫻井氏側の5人の弁護士。櫻井氏の姿はなく、主任の高池勝彦弁護士も欠席した。定員74人の傍聴席は満員となった。傍聴券抽選に並んだ人は105人だった。開廷前に2分間の報道用の法廷撮影があり、定刻午後2時半に冨田一彦裁判長が判決を読み上げた。
「本件各控訴をいずれも棄却する」「訴訟費用は控訴人の負担とする」
たった2行の、冷たく素っ気ない判決だ。法廷は静まり返っている。冨田裁判長はつづけて、「理由骨子」を読み上げた。

「当裁判所は原審札幌地方裁判所と同じく、本件各櫻井論文の記述中には控訴人の社会的評価を低下させるものがあるが、その摘示されている事実または意見ないし論評の前提とされている事実は、真実であると証明されているか、事実の重要な部分を真実と信ずるについて相当な理由があると認められ、被控訴人櫻井による論評ないし意見が控訴人に対する人身攻撃に及ぶなど、意見ないし論評の域を逸脱しているとまではいうことができないと判断した。また被控訴人櫻井は本件各櫻井論文を執筆し掲載したことについては公共の利害に関する事実に関わり、かつ専ら公益を図る目的があるということができるから、本件各櫻井論文の執筆及び掲載によって控訴人の社会的評価が低下したとしても、その違法性は阻却され、また故意または過失も否定されると判断した」

■法廷に響いた怒声「許されない」
やや早口の読み上げは1分足らずで終わった。一審判決をなぞって追認しただけの判決だ。十分な裏付け取材を求めた数多くの判例や新しい証拠などを挙げて植村氏が控訴審で主張したことには、全くふれていない。裁判長は「詳細は判決文で」と述べて、2時32分閉廷。退廷する3人の裁判官の背に向かって、「許されない」と男性の太い怒声が飛んだ。※判決文は別稿で一部収録

この日の朝、今季初めての大雪が札幌に積もった。一夜で積雪43センチ。街路樹が白一色に雪化粧し、前日まで路面が乾いていた車道も真っ白になった。
判決から15分後、裁判所前の歩道で「不当判決」の幟を福田亘洋弁護士が掲げ、まわりに20人の支援者、市民が並んだ。韓国から訪れたウセンモ(植村氏を考える会)のメンバーも横断幕を掲げ、声を上げた。
気温氷点下6度。最高気温がプラスにならない真冬日が続いている。すぐ前の大通公園では2日前から雪まつりが始まっている。そのざわめきが伝わってくるが、裁判所前の空気は凍りついたままだった。

記者会見が午後4時から、裁判所近くで開かれた。植村弁護団は記者会見が始まる前に、上告の意向を固めていた。植村氏は判決の不当な点を3つに絞って具体的に説明し、上告審へ向けての決意を語った。弁護団からは小野寺信勝事務局長、共同代表の伊藤誠一、秀嶋ゆかり弁護士が発言し、記者の質問に答えた。※植村氏の発言はこの記事末に収録

午後6時半から札幌駅近くのエルプラザで判決報告集会が開かれた。大雪の中、会場の3階ホールには約100人が集まった。植村氏と弁護団の報告、ジャーナリスト安田浩一氏と新聞労連委員長・南彰氏、映像作家・西嶋真司氏のトーク、韓国から訪れたウセンモのあいさつ、ピアニスト崔善愛さんの渾身のピアノ演奏と盛りだくさんのプログラムが進行した。集会の最後に、弁護団共同代表の伊藤誠一弁護士と、支える会共同代表の上田文雄氏(前札幌市長)が、上告審でも闘い抜こうと訴え、支援を求めた。 ※集会詳報は後日掲載します


これは、フェイクニュースを野放しにする判決だ

【記者会見 植村隆氏の全発言

これは不当判決であり絶対に容認することはできません。札幌地裁の不当判決では真実相当性のハードルを地面まで下げて櫻井氏を免責しました。高裁の審理では過去の判例9件を示して、地裁判決の認定の杜撰さを批判しました。裏付け取材のない記事に真実相当性を認めることはできない、これは判例の基本です。しかし、札幌高裁は札幌地裁と同様の認定をしました。

この判決文の18ページにこんな言葉が出ています。「本件においては、推論の基礎となる資料が十分あると評価できるから、事実確認のため、控訴人植村本人に対する取材を経なければ、相当性が認められないとはいえない」。たった3行ではありますが、これはきわめて恐ろしい判決です。つまり、これでは、本人に取材しないで「捏造」などと断定することが自由になる、ということです。
さまざまな資料があったとしてしても、その捏造が推察されることがあったとしても、捏造というのは事実でないことをでっちあげるわけですね、新聞記者にとってこれは死刑判決です。死刑判決を出すときに本人に取材しない、取材しようとする努力をしない、にもかかわらず、そして杜撰な資料だけでそう断定して、それを裁判所が推論の基礎となる十分な資料があると評価できる、といったら、何でも言えてしまいます。
これは非常に恐ろしい判決です。このような認定では、取材もせずにウソの報道ができるようになります。司法がフェイクニュース、しかも捏造というフェイクニュースを野放しにすることができる。

■唯一の証人、喜多氏の証言を黙殺した判決だ
札幌地裁では元道新記者の喜多義憲さんが証人になってくれました。喜多さんは1991年8月、私の記事が出た3日後に金学順さん本人に単独取材して、私と同じように挺身隊という言葉を使って、私とほぼ同じ内容の記事を書きました。喜多さんは、櫻井氏が私だけが捏造したと決めつけた言説について「言いがかり」という認識を示し、こう証言しました。「植村さんとぼくはほとんど同じ時期に同じような記事を書いて、片方は捏造だと批判され、私の方は、捏造と批判するような人からみれば不問に付されているような気持ち、そういう状況を見ればですね、やはり、違うよ、と言うのが人間でありジャーナリストであるという気が、思いが強くいたしました」という言葉です。

私は地裁の審理の中で、この他社、ライバル社の、取材協力もしたことがなく、当時私の記事を読んだことすらなかった喜多さんが、こういう証言をした時に、私はジャーナリストとして、真実を書いたんだ、間違っていなかった、捏造していない、ということが証明されたと思いました。少なくともジャーナリズムの世界では証明されたことになると思います。しかし、この高等裁判所では、地裁唯一の証人である証言が全く言及されていない、その点でも私は、この判決は不当判決だと思います。

■櫻井氏の言説の転変にも全く言及しない判決
高裁では新しい証拠も提出しました。櫻井氏は1992年に「週刊時事」という雑誌のコラムで、金学順さんら元慰安婦が日本政府を訴えたことについて「強制的に徴用された彼女らの生々しい訴え」と書いています。つまり、彼女たちが強制的連れて行かれたということを認めていた。そして、その後、櫻井氏は98年から私の記事を誤報と表現し、2014年にはついに捏造記事と言っているのです。しかし、この間、何らかの新しい取材、新しい証拠は出ていません。にもかかわらず、主張が転変しております。これはきわめておかしなことです。しかし高裁はこうした転変を指摘した我々の証拠、我々が証明したことに一切言及しておりません。

判決書はたった20ページです。しかも高裁自身の判断を示したのは10~20ページのたった10ページです。これはとても薄い判決です。我々の出した証拠や主張を一切無視したので、これだけ短いものになったのだろう。この不当判決にめげずに、上告して最高裁に判断を委ねたいと思います。最高裁で逆転をめざしたいと思います。正義を法廷で実現させるためにもこれからがんばりたいと思います。

写真=石井一弘(すべて、2月6日撮影)

判決報告集会の記録


控訴審判決報告集会は、同日(2月6日)午後6時半から札幌駅近くのエルプラザで開かれた。大雪の中、会場の3階ホールには約100人が集まった。植村氏と弁護団の報告、ジャーナリスト安田浩一さんと新聞労連委員長・南彰さん、映像作家・西嶋真司さんのトーク、韓国から訪れたウセンモ(植村隆を考える会)の李富栄さんと李京禧さんのあいさつ、ピアニスト崔善愛(チェ・ソンエ)さんのピアノ演奏とトークと、盛りだくさんのプログラムが進行した。集会の最後に、弁護団共同代表の伊藤誠一弁護士と、支える会共同代表の上田文雄さん(前札幌市長)が、上告審でも闘い抜こうと訴え、支援を求めた。以下は、主な発言の要旨(発言順)。


2段目左から小野寺、植村、神原さん
3段目同=安田、南、西嶋さん
4段目同=崔、伊藤、上田さん
5段目=ウセンモのみなさん
▼小野寺信勝・弁護団事務局長 この判決は、「植村さんを勝たせない」と最初から決めて、論理的に無理な理屈を組み立てた判決だ。私たちは数百ページに及ぶ主張をしたが、判決は実質10ページ、重要部分は5ページ程度。櫻井氏は3つの資料を誤読・曲解し自論を立てているが、判決は「資料を総合考慮し」という言葉で片付けた。また強制連行を「居住地から無理やり」という限定的な意味でとらえている。事実をもとに下から積み上げた結論ではない。これまでの最高裁の判断から大きく逸脱している異常な判断だ。
▼植村隆さん こういう(捏造記者と決めつけた)ことは本人に取材して事実確認しなくても免責されるという判断は非常に危険だ。札幌地裁で、私を捏造記者というのは「言いがかりだ」と証言した北海道新聞の喜多義憲記者の証言は、高裁も無視した。検討すれば「植村を勝たせない」という結論が崩れるからだろう。裁判は、独立した、司法の専門家が証拠や事実に基づき合理的な判断を下すものと思っているが、裁判の劣化をしみじみ感じる。しかし提訴したことで誰も捏造記者と言わなくなった。この問題はおかしい、不当だと、一緒に闘ってくれる人がたくさん出来た。正義を実現してくれという市民たち横のつながりが生まれた。新しい闘いが始まります。これからも、どうかお力を寄せて下さい。
▼神原元・東京弁護団事務局長 3月3日の東京高裁判決がどうなろうと、植村裁判は最高裁に持ち込まれる。裁判官は理詰めで判断する人たちだが、その前に直感として「こうじゃないの?」と感じることは、人間だからありうる。その直感は社会の雰囲気とか世論が影響する。世論には右傾化を食い止め、裁判所を動かす力もある。草の根から私たちの意見を広げ、差別主義、歴史修正主義と闘って行きたい。
▼安田浩一さん ひどい判決だ。取材をしなくても手元に資料があれば、それで記事を書いても構わないという。デマをちりばめたネトウヨのまとめサイトだって、記事として肯定できるということだ。この裁判では植村さんの正義と櫻井さんの不正義がぶつかり合っている。不正義を後押しし、扇動しているのはだれか。私は裁判長の背後に、日の丸の旗、日本という政府、国家が浮かび上がるような気がする。
▼南彰さん 櫻井氏は判決を受けて「言論の自由が守られた」とコメントした。はっきりしたことは、どういう表現・言論の自由が争われているのかということだ。歴史的事実と向き合い、普遍的な人権を尊重する表現の自由か、それともそうした事実を抹殺し、捏造記者といった非常に暴力的なレッテルを貼っても免責される表現の自由か。その2つが問われている大きな闘いだ。
▼李富栄(イ・ブヨン)さん 胸が痛む判決だった。軍事独裁政権の韓国で、司法府が人権弾圧機関に成り下がったのを私たちは見てきた。植村さんと一緒に、北東アジアの平和、日韓の善隣友好を実現させるため、皆さんと共に歩みたい。
▼李京禧(イ・ギョンヒ)さん 慰安婦被害者が最も多い韓国慶尚南道で「日本軍慰安婦歴史館」建設に取り組んでいる。また慰安婦記録のユネスコ「世界の記憶」遺産登録運動も進めている。ご支援をお願いしたい。
▼伊藤誠一・弁護団共同代表 司法の場できちんと主張し証拠も出したのだが、司法を変えることができなかった。力を抜いたわけではないが力不足だった。最高裁に向けて決意を新たにする。著名な教育学者、勝田守一氏の言葉、魂、ソウル(soul)は頑固に、マインドは柔軟に、スピリットは活発に、を思い起こしながら役割を果たしたい。
▼上田文雄さん 今朝、訴状を読み返しながら、提訴の日(2015年2月10日)から5年経ったんだ、と思った。残念な判決となったが、(慰安婦の)歴史をなかったことにしたいという思いが一審判決そして今回の判決で先行している。植村さんの正当性をはっきり示した(元道新の)喜多義憲さんの証言については失礼なことに一言もふれずに、ネグレクトした不自然さ、不誠実さには、激しい怒りを皆さんと共有したい。証拠に基づく判断、それが司法の役割だと思う。権力におもねることなく、独立したまっとうな判決をする、証拠に基づいて、いやな事実も恥ずかしい事実もあるものはある、決してなかったことにしない、それを証明し主張を通していくのが裁判所の役割だと思うが、それを怠った裁判所の罪は大きい。ごめんなさいと言わなければならないのは裁判所だ。ここで矛を収めるわけにはいかない。

まとめtext by H.H.
写真 石井一弘

控訴審判決(抄録)


櫻井氏の責任を不問にする理由はほんとうにあるのだろうか? 免責の根拠となる「真実相当性」を札幌高裁はどう判断したのだろうか?  判決文をいくら読んでも、すっきりした答えは得られない。
札幌控訴審の判決文の[事実及び理由]の構成は次のようになっている。p数字は掲載ページ

第1 控訴の趣旨 p1
第2 事案の概要 p2~p9
第3 当裁判所の判断 p9~p19
1 まえがきと補正
2 控訴人植村の主張に対する判断
(1)事実の摘示、(2)真実相当性(p12-18)、(3)意見ないし論評の域、(4)事実の公共性、(5)目的の公益性、(6)その他、(7)まとめ
第4 結論 p19~20

このうち、最も大きな争点となった「真実相当性」についての裁判所の判断部分は、第3の2の(2)。項目としては最も長文ではあるが、控訴審での植村氏の追加主張や新たに提出した証拠への検討は一切加えておらず、一審判決の認定の再検討にとどまっていることがわかる。当該部分を原文のまま以下に収録する。


()被控訴人櫻井が摘示された事実又は意見ないし論評の前提とされた事実が真実であると信じたことについて相当の理由がないとの主張について

ア 控訴人植村は,被控訴人櫻井が,「控訴人植村が,金学順氏が継父によって人身売買され慰安婦にさせられた経緯を知りながら,敢えてこれを報じなかった」と信じたこと,「控訴人植村が,敢えて慰安婦とは何の関係もない女子挺身隊とを結び付け,金学順氏が女子挺身隊の名で日本軍によって戦場に強制連行され,日本軍人相手に売春行為を強いられた朝鮮人従 軍慰安婦であると報じた」と信じたこと,「控訴人植村が事実と異なる本件記事Aを敢えて執筆した」と信じたことについて,いずれも相当の理由は認められないと主張する。            

イ 被控訴人櫻井は,本件各論文を執筆するに当たり,資料として,平成3年8月15日付けハンギョレ新聞,平成3年訴訟の訴状及び臼杵論文を参照した(原判決第3の2(1)ケ(ウ))。そして、金学順氏が慰安婦になった経緯について,上記ハンギョレ新聞は,金学順氏の共同記者会見の内容として,「生活が苦しくなった母親によって14歳の時に平壌にあったキーセンの検番に売られていった。3年間の検番生活を終えた金さんが初めての就職だと思って,検番の義父に連れられていった所が(中略)華北のチョルベキジンの日本軍300名余りがいる小部隊の前だった。私を連れて行った義父も当時,日本軍人にカネももらえず武力で私をそのまま奪われたようでした。」と報じており(原判決第3の21)ウ(エ)),平成3年訴訟の訴状には,原告の一人である金学順氏について言及した部分として,「そこへ行けば金儲けができると説得され(中略)養父に連れられで中国へ渡った。(中略)「鉄壁鎮」へは夜着いた。小さな部落だった。養父とはそこで別れた。金学順らは中国人の家に将校に案内され,部屋に入れられ鍵を掛けられた。そのとき初めて「しまった」と思った。」との記載があり(同エ(ア)),臼杵論文には,「17歳のとき,養父は稼ぎに行くぞと,私の同僚のエミ子を連れて汽車に乗ったのです。着いたところは満州のどこかの駅でした。サーベルを下げた日本人将校二人と三人の部下が待っていて,・・・(後略)」との記載がある(同カ)。上記ハンギョレ新聞は,金学順氏か慰安婦であったとして名乗り出た直後に自身の体験を率直かつ具体的に述べ,これを報道したもの,平成3年訴訟の訴状は,訴訟代理人弁護士が金学順氏に対し事情聴取をして作成したもの,臼杵論文は,臼杵敬子が金学順氏に面談して作成したものと考えられ,それぞれ一定の信用性があるということができる。これらの記載の内容を総合考慮すると,被控訴人横井が,これらの資料から,金学順氏が女子挺身勤労令の規定する女子挺身隊として日本軍に強制連行されて慰安婦になったのではなく,金学順氏を慰安婦にすることにより,日本軍人から金銭を得ようとした検番の継父にだまされて慰安婦になったと信じたことについて相当な理由が認められる。
 この点について,控訴人植村は,上記の各資料からは,金学順氏が日本軍人により強制的に慰安婦にさせられたと読み取るのが自然であると主張する。しかし,上記の各資料は,金学順氏の述べる出来事が一致しておらず,脚色・誇張が介在していることが疑われるが,検番の義父あるいは養父に連れられ,真の事情を説明されないまま,平壌から中国又は満州の日本軍人あるいは中国人のところに行き,着いたときには,日本軍人の慰安婦にならざるを得ない立場に立たされていたという趣旨ではおおむね共通しており,上記ハンギョレ新聞・臼杵論文からうかがえる日本軍人による強制の要素は,金学順氏を慰安婦にしようとしていた義父あるいは養父から金学順氏を奪ったという点にとどまっている。そうであれば,核となる事実として,日本軍が金学順氏をその居住地から連行して慰安婦にしたという意味で,日本軍が強制的に金学順氏を慰安婦にしたのではなく、金学順氏を慰安婦にすることにより日本軍人から金銭を得ようとした検番の継父にだまされて慰安婦になったと読み取ること,すなわち,いわば日本軍の関与に関わる消極的事実を読み取ることが可能である。被控訴人櫻井が上記の各資料に基づき上記のとおり信じたことについては,相当性が認められるというべきである。

ウ 平成3年当時に「女子挺身隊」又は「挺身隊」の語は,慰安婦の意味で用いられる場合と,女子挺身勤労令の規定する女子挺身隊の意味で用いられる場合があったというべきであり,一義的に慰安婦の意味に用いられていたとは認められない。また,「女子挺身隊」又は「挺身隊」の語について,女子挺身勤労令の規定する女子挺身隊の意味で用いることが特別なことであったとも認められない。
 そして,本件記事Aが日本国内の読者に向けた報道であることに加え,本件記事Aが掲載された朝日新聞は,昭和57年以降,吉田を強制連行の指揮に当たった動員部長と紹介して朝鮮人女性を狩り出し,女子挺身隊の名で戦場に送り出したとの吉田の供述を繰り返し掲載していたし,他の報道機関も朝鮮人女性を女子挺身隊として強制的に徴用していたと報じていた。その一人がやっと具体的に名乗り出たというのであれば(それまでに具体的に確認できた者があったとは認められない[弁論の全趣旨]。),日本の戦争責任に関わる報道として価値が高い反面,単なる慰安婦が名乗り出たにすぎないというのであれば,報道価値が半減する。「体験をひた隠しにしてきた彼女らの重い口が,戦後半世紀近くたって,やつと開き始めた。」との記述等に照らすと,本件記事Aについて,一般読者の普通の注意と読み方を基準として解釈すれば,「女子挺身隊」として強制的に徴用された慰安婦が具体的に名乗り出たと読むことは相当である。
 そうすると,被控訴人櫻井が,本件記事Aにおける「女子挺身隊」の語を女子挺身勤労令の規定する女子挺身隊の意味に解し,女子挺身勤労令の規定する女子挺身隊の名や慰安婦にされたとは述べていなかった金学順氏について,控訴人植村が女子挺身勤労令の規定する女子挺身隊と慰安婦とを関連付けたと信じたことには相当性が認められるというべきである。
この点について,控訴人植村は,韓国では,「女子挺身隊」又は「挺身隊」の語は,慰安婦の意味で用いられることが一般であることや,日本国内でも慰安婦の意味で用いられていたことを理由に,本件記事Aが関係のない女子挺身隊と慰安婦とを結び付けるものではないと主張するが,上記判断を左右しない。

エ 本件記事Aにおける金学順氏の述べた内容は,控訴人植村がテープに録音された金学順氏の話を元に記載されたものである。本件記事Aには,「女性の話によると,中国東北部で生まれ,17歳の時,だまされて慰安婦にされた」との記載があり,この記載からすれば,控訴人植村が聞いた録音テープにおいて,金学順氏がだまされて慰安婦にされた旨を語っていたことが推認される。これに加えて,本件記事Aの数日後に行われた金学順氏の記者会見の内容を報じる平成3年8月15日付けハンギョレ新聞に「検番の義父」に連れられて日本軍の小部隊に行き,慰安婦にさせられた旨の記載があることからすれば,被控訴人櫻井が,金学順氏が検番の継父にだまされて慰安婦にさせられたと信じたこと,さらに,控訴人植村が金学順氏が話した内容と異なる内容(金学順氏が女子挺身隊の名で日本軍に連行されたとの内容)の本件記事Aを執筆したと信じたことについては相当性が認められる。
 控訴人植村は,本件記事Aには「検番の継父」との記載がないことから,被控訴人櫻井が,金学順氏が検番の継父にだまされて慰安婦にさせられたと信じたことには相当性が認められないと主張するが,上記ハンギョレ新聞の報道も併せて読めば,被控訴人櫻井が上記のとおり信じたことの相当性は左右されないというべきである。

オ 控訴人植村は,金学順氏が日本軍人による強制連行の被害を供述していたこと,平成3年当時,金学順氏が白本軍人によって強制連行された旨の報道が多数なされていたこと,被控訴人櫻井自身も平成4年当時,金学順氏が日本軍に強制連行されたとの認識を有し,その旨のコラムを掲載したり,テレビ番組で発言したりしていたとして,これらの事情を前提にすると,被控訴人櫻井は,金学順氏に聴き取りをするなどの取材をするべきであったと主張する。また,控訴人植村の主観的事情,すなわち,事実と異なることを知りながら記事を執筆したという点については,控訴人植村本人に取材すべきであったと主張する。
 しかし,金学順氏は,自ら体験した過去の事実(慰安婦となった経緯)について,櫻井論文執筆時点に比べ,より記憶が鮮明であったというべき過去の時点において,多数の供述を残している。すなわち,金学順氏は,平成3年8月14日の共同記者会見の当初から,検番の継父にだまされて連れて行かれた先で慰安婦にさせられた旨を繰り返し述べており,このことは,同月15日付けのハンギョレ新聞や平成3年訴訟の訴状からも明らかである。これらから,前記イのとおり,日本軍の関与に関わる消極的事実を読み取ることが可能である。これらの資料の閲読に加えて,更に平成3年当時の金学順氏が述べた慰安婦にさせられた経緯について,改めて取材や調査をすべきであったとはいえない。また,控訴人植村の主観的事情(記事執筆時点での認識)について,これまでに判示したところによれば、被控訴人櫻井は,本件記事Aについて,一般読者の普通の注意と読み方を基準として解釈(具体的には,本件記事Aの「女子挺身隊の名で連行された」との部分について,金学順氏が第二次世界大戦下における女子挺身勤労令で規定された「女子挺身隊」として戦場に強制的に動員されたと解釈)した上,多数の公刊物等の資料に基づき,合理的に推論できる事実関係(具体的には,金学順氏が挺対協の聞き取りにおける録音で「検番の継父」にだまされて慰安婦にさせられたと語っており,原告がその録音を聞いて金学順氏が慰安婦にさせられた経緯を知ったこと)に照らして,判断の上,櫻井論文に記載したということができる。前者(記事の趣旨)について,執筆者である控訴人植村本人に確認することを相当性の条件とすることは,記事が客観的な存在になっていることを考慮すると,相当ではない。一般読者の普通の注意と読み方を基準として解釈すれば十分というべきである。後者(記事執筆時点での事実認識)について,本件においては,推論の基礎となる資料が十分あると評価できるから、事実確認のため,控訴人植村本人への取材を経なければ,相当性が認められないとはいぇない。また,実際上,控訴人植村本人に対する取材について,被控訴人櫻井と同様に本件記事Aの問題点を指摘していた西岡に対し,控訴人植村が回答していなかったことからすれば,被控訴人櫻井において,別途取材の申込みをすべきであったとはいえない。
 したがって、この点に関する控訴人植村の主張は認められない。

2020年2月6日木曜日

植村氏の控訴棄却!

update 2020/2/7 10:30am

速報! 札幌高裁 櫻井よしこ氏を再び免責
またも不当判決
植村裁判 札幌訴訟控訴審


控訴審判決言い渡しはきょう(6日)午後2時半から札幌高裁であり、冨田一彦裁判長は植村氏の控訴を棄却した。

判決主文は次の通り。
 1 本件各控訴をいずれも棄却する。
 2 訴訟費用は控訴人植村の負担とする。


不当判決に抗議!(2月6日午後2時50分、札幌高裁前で)
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朝日新聞が報じた記事を以下に引用します。

朝日新聞デジタル2020年2月6日21:41
慰安婦の証言を伝える記事を「捏造」と断定され名誉を傷つけられたとして、元朝日新聞記者で「週刊金曜日」発行人兼社長の植村隆氏がジャーナリスト櫻井よしこ氏や出版3社に損害賠償などを求めた訴訟の控訴審判決が6日、札幌高裁で言い渡された。冨田一彦裁判長は原告側の控訴を棄却した。植村氏は上告する方針。
植村氏は1991年、韓国人元慰安婦の金学順さんの証言を取材し、8月と12月に朝日新聞に記事が掲載された。櫻井氏は2014年に月刊誌「WiLL」4月号で「植村記者が真実を隠して捏造記事を報じた」と指摘。「週刊新潮」「週刊ダイヤモンド」誌への寄稿でも植村氏の記事を「捏造」と断定した。
18年11月の一審・札幌地裁判決は、雑誌や韓国紙の記事をもとに、植村氏の記事が事実と異なると櫻井氏が信じたことに「相当の理由がある」と結論づけ、植村氏の請求を棄却。高裁も地裁の判断を踏襲した。
植村氏は控訴審で「櫻井氏は植村本人に直接取材していない」と指摘。植村氏の記事が「捏造」だと信じたことに「『相当な理由がある』とは認められない」と主張した。だが高裁判決は「推論の基礎となる資料が十分あり、本人への直接の取材が不可欠とはいえない」として退けた。
植村氏は記者会見で「不当判決。絶対に容認できない」と述べ、上告の意向を表明。櫻井氏は「裁判所が事実関係をきちんと見てくださったことを感謝する」とのコメントを発表した。(編集委員・北野隆一


朝日新聞 北海道版2020年2月7日朝刊
■植村氏、上告の意向 慰安婦報道訴訟、二審も敗訴
 元朝日新聞記者の植村隆氏が1991年に書いた元慰安婦の証言を伝える記事を「捏造(ねつぞう)」と断定され名誉を傷つけられたとして、ジャーナリストの櫻井よしこ氏や出版3社に損害賠償や謝罪広告などを求めた訴訟の控訴審で、6日の札幌高裁判決は、植村氏の請求をいずれも棄却した。植村氏は記者会見し、最高裁に上告する意向を示した。
裁判で植村氏側は、櫻井氏が植村氏本人に取材しなかったことを問題視してきた。この点について、高裁判決は「推論の基礎となる資料が十分あり、本人への直接の取材が不可欠とはいえない」として、植村氏側の主張を退けた。
櫻井よしこ氏は「報道の自由、言論の自由が守られたことを喜ばしく思います」などとコメント文を出した。出版3社も報道各社に向けてコメントした。ダイヤモンド社は「当然の判決と捉えている」、週刊新潮編集部は「裁判所の判断は、証拠に基づく当然かつ適切なものと思います」、ワック編集部は「判決を精査できておらず、コメントは控えたい」とした。
判決後、植村氏と弁護団は札幌市内で記者会見した。植村氏は「極めて恐ろしい判決だ。これだと本人に取材しないで捏造だと断定することが自由になる」と、高裁判決を批判した。そのうえで「上告して最高裁に判断を委ねたい。逆転判決をめざしたい」と上告する方針を示した。弁護団は「植村氏の名誉回復のために全力で闘う決意である」などと声明を出した。(伊沢健司)

不当判決に抗議する


弁護団声明■

1 本日、札幌高等裁判所第3民事部(冨田一彦裁判長)は、元朝日新聞記者植村隆氏がジャーナリストの櫻井よしこ氏及び週刊新潮、週刊ダイヤモンド、WiLL発行の出版3社に対して、名誉毀損を理由として慰謝料の支払いなど名誉回復を求めた訴訟で、植村氏の控訴を棄却する不当判決を言い渡した。

2 控訴審の審理において、櫻井氏が記事執筆にあたり、資料を誤読・曲解したり、植村氏に取材の申し込みすら行わないなど、取材の杜撰さなどが一層明らかになった。
しかしながら、本判決は、櫻井氏が誤読・曲解した資料の「総合考慮」により金学順氏は検番の継父にだまされて慰安婦になったと信じたことに相当の理由があるとした。さらに、いわゆる吉田供述を前提に、朝鮮人女性を女子挺身隊として強制的に徴用したと報ずれば、戦争責任に関わる価値が高い反面、単なる慰安婦が名乗り出たにすぎないのであれば、報道価値が半減するとしたうえで、植村氏は女子挺身勤労令の規定による女子挺身隊と慰安婦を関連づけて報じたと信じたことには相当の理由があると判断した。
また、植村氏が事実と異なることを知りながら記事を執筆していないにも関わらず、櫻井氏がそのように信じたことについては、櫻井氏が誤読・曲解した資料の存在を理由に、植村氏本人に取材をする必要性はないとして、この点を免責した。
そもそも判例は真実相当性はこれまで相当に厳格に判断されており、本人への直接 取材などを含め、詳細な取材がなければ認められないとされてきた。本判決は、最高裁が積み上げてきた真実相当性の判断枠組みから大きく逸脱した判断であり、到底許されるものではない。

3 私たち弁護団は、本日の不当判決を受け入れることはできない。植村氏及び弁護団はこの不当判決に上告をし、植村氏の名誉回復のために全力で闘う決意である。

2020年2月6日
植村訴訟札幌弁護団


支える会声明■
「卑劣なバッシング惹起」再び免責に抗議する

一人のジャーナリストを標的とする卑劣なバッシングを惹起した言説を、札幌高裁判決はまたもや免責した。旧日本軍による性暴力被害者の悲痛な訴えを報じた朝日新聞記事を「捏造」と断じた言説に、証拠によらずに「真実相当性と公益性はある」とした一審判決をそのまま踏襲したことに驚きと憤りを禁じ得ない。市民感覚では到底理解できない判断を続ける札幌地裁・高裁に強く抗議する。

記事を執筆した原告の植村隆氏はいわれなく「捏造記者」の汚名を着せられた。得体の知れない無数の人々から「売国奴」「国賊」の罵声を浴び、家族を「殺す」と脅された。植村氏を「捏造記者」と非難し、バッシングの発火点となった被告の櫻井よしこ氏はジャーナリストを自称しながら、「社会の怒りを掻き立て、暴力的言辞を惹起しているものがあるとすれば、それは朝日や植村氏の姿勢ではないでしょうか」(『週刊文春』20141023日号)と信じがたい人権感覚を露呈した。櫻井氏が「捏造」の根拠として示したものは、植村氏本人や元慰安婦に対する丹念な取材によって積み重ねたものではなく、資料のつまみ食いと邪推のつなぎ合わせに過ぎない。しかし、控訴審判決はジャーナリストの基本動作ともいえる当事者への直接取材の必要性すら否定した。「事実を認めて、間違ったことは謝罪して」。植村氏が初報した元慰安婦、金学順氏=故人=がふり絞った魂の叫びと尊厳をも踏みにじったに等しい。

植村裁判には歴史認識の相克というもう一つの争点がある。日本の戦後民主主義は侵略戦争と植民地支配への反省から、専横の限りを尽くした国家の戦争責任と向き合う努力を重ねてきた。戦後ジャーナリズムの主要な流れもまた同様である。国家ぐるみの証拠隠滅によって生じた歴史の空白を、埋もれた資料や当事者の勇気ある証言の発掘によって地道に埋める作業が今も営々と続いている。植村氏の記事もその文脈に位置付けられる。

そうした立ち位置からの真摯な言論・報道を「国家の名誉を貶める」として排撃する歴史修正主義者たちが一部の政治勢力や知識人と呼応している。そのオピニオンリーダーの一人として櫻井氏の影響力は小さくない。櫻井氏らの言説の手法は一見美しい「愛国」の衣をかぶりながら、歪んだナショナリズムを煽動する。煽動に加担する一部メディアとの共同作業によって惹起される暴力や人権侵害に司法が寛容であれば、戦後民主主義が構築してきた自由で公正な言論空間は危殆に瀕する。植村裁判への支援を通して、日本社会に巣くう深刻な病理との闘いをこれからも継続していきたい。

2020年2月6日
植村裁判を支える市民の会

2020年2月2日日曜日

裁判官に最後の訴え

すべて裁判官は、その良心に従ひ独立してその職権を行ひ、この憲法及び法律のみに拘束される(憲法第76条3項)


植村氏は控訴審の口頭弁論で毎回、意見陳述を行いました。その内容は、新たに提出した証拠や意見書の意味を説明し、さらに自身の受けた物心両面での損害の大きさを訴えた上で、櫻井氏の誤った言説と杜撰な取材に「真実相当性」を認めた一審判決を批判するものでした。その陳述は、正面の一段高い席に座って法廷を見下ろしている冨田一彦裁判長ら3人の裁判官に向けられた訴えでした。植村氏は毎回、陳述の締めくくりに同じように、こう言っています。「これまでの証拠や新しい証拠を検討していただき、歴史の検証に耐えうる公正な判決を出していただきたい」。裁判官はこの願いに真摯に答える責務を負っています。「すべて裁判官は、その良心に従ひ独立してその職権を行ひ、この憲法及び法律にのみ拘束される。」(憲法第76条3項)。この条文を心に刻みつつ、判決に向き合おうと思う。

※以下は、3回の意見陳述の中段から結語に至る部分の原文再録です。日付表記は2019年当時。「昨年」とある日付は「2018年」を指します(下線部)。

■第1回口頭弁論                                         
私は、1991年8月の記事で、慰安婦としての被害を訴えた金学順さんの思いを伝えただけです。櫻井さんには、言論の自由があります。しかし、私の記事を「捏造」と断罪するからには、確かな取材と確かな証拠集めが必要です。櫻井さんは、そのいずれも怠っています。朝日新聞や私への取材もありませんでした。そして、事実に基づかない形で、私を誹謗中傷していることが、札幌地裁の審理を通じて明らかになりました。

WiLL』2014年4月号の記事がその典型です。金さんの訴状に書いていない「継父によって40円で売られた」とか「継父によって・・・慰安婦にさせられた」という話で、あたかも金さんが人身売買で慰安婦にされたかのように書き、私に対し、「継父によって人身売買されたという重要な点を報じなかった」「真実を隠して捏造記事を報じた」として、「捏造」記者のレッテルを貼りました。「捏造」の根拠とした『月刊宝石』や『ハンギョレ新聞』の引用でも都合のいい部分だけを抜き出し、金さんが日本軍に強制連行されたという結論の部分は無視していました。
しかし、櫻井さんは、私の指摘を無視できず、札幌地裁の尋問で訴状の引用の間違いを認めました。そして、『WiLL』と産経新聞で訂正を出すまでに追い込まれました。

北海道新聞のソウル特派員だった喜多義憲さんは1991年、私の記事が出た4日後、私と同じように「挺身隊」という言葉を使って、私とほぼ同じ内容の記事を書きました。喜多さん自身が直接、金学順さんに取材した結果、私と同じような記事を書いた、ということは、私の記事が「捏造」ではない、という何よりの証拠ではないでしょうか。その喜多さんは、昨年2月に札幌地裁で証人として、出廷し、櫻井さんが私だけを「捏造」したと決め付けた言説について、「言い掛かり」との認識を示しました。そして、喜多さんは、こう証言しました。
「植村さんと僕はほとんど同じ時期に同じような記事を書いておりました。それで、片方は捏造したと言われ、私は捏造記者と非難する人から見れば不問に付されているような、そういう気持ちで、やっぱりそういう状況を見れば、違うよと言うのが人間であり、ジャーナリストであるという思いが強くいたしました」

記事を書いた当時、喜多さんは私と面識はありませんでした。しかも、喜多さんは私の記事を読んでもいなかったといいます。私はライバル紙の記者から、「無罪」の判決を受けたのです。ジャーナリズムの世界では、それは大きな「無罪」証明でした。

しかし、昨年11月の札幌地裁判決では、櫻井さんの間違いの訂正や、喜多さんの証言は、全く採用されず、私は敗訴しました。判決は、唯一の証人だった喜多さんの証言を全く無視していたのです。判決では櫻井さんの人身売買説を真実であるとは認定しませんでした。しかし、櫻井さんが、私の記事を「捏造」だと信じたことには、相当の理由があると判断し、櫻井さんを免責したのです。この理屈でいけば、裏づけ取材をしなくても「捏造」と思い込むだけで、「捏造」と断じることが許され、名誉毀損には問えないことになります。あまりに公正さを欠く、歴史に残る不当判決だと思います。
札幌高等裁判所におかれては、これまでの証拠や新しい証拠を検討していただき、歴史の検証に耐えうる公正な判決を出していただきたいと願っております。
(2019年4月25日)
                          
■第2回口頭弁論
私は札幌高裁の審理と判断に希望をつないでいます。証拠と事実に基づいて判断していただけるという裁判に対する信頼を失っていないからです。
札幌高裁には、櫻井よしこさんに関する新証拠を提出しました。『週刊時事』という雑誌の1992年7月18日号です。ここに、櫻井さんは日本軍慰安婦に関する文章を書いていました。前の年の1991年12月、金学順さんら3人の韓国人元慰安婦が日本政府に謝罪と補償を求めて東京地裁に提訴したことについて、取り上げていました。
 「東京地方裁判所には、元従軍慰安婦だったという韓国人女性らが、補償を求めて訴えを起こした。強制的に旧日本軍に徴用されたという彼女らの生々しい訴えは、人間としても同性としても、心からの同情なしには聞けないものだ」。

櫻井さんは金学順さんらについて「強制的に旧日本軍に徴用された」と書いていたのです。徴用とは国家権力による強制的な動員を意味します。まさに、強制連行のことです。櫻井さんは、雑誌が出た1992年当時は、金学順さんら3人の元慰安婦の主張を、「強制的に旧日本軍に徴用された」と認識していたのです。
櫻井さんは2014年以来、金学順さんについて「人身売買されて慰安婦になった。植村はそれを隠して強制連行と書いた」という趣旨の主張をし、1991年8月の私の記事を「捏造」だと繰り返し断定しましたが、実際は櫻井さん自身が、「強制連行」と同義の表現を使っていたのです。それも私の記事の出た約11カ月後、『週刊時事』に書いていたのです。自分自身が、強制連行と書いていたのに、それを隠して、私を攻撃するとは、ジャーナリストとして、あまりにアンフェアです。それは、公正な言論ではありません。これは新証拠として、札幌高等裁判所に提出すべきだと考えました。一審の裁判長が知らなかった事実なのです。

櫻井さんには、言論の自由があります。しかし、私の記事を「捏造」と断罪するからには、確かな取材と確かな証拠集めが必要です。今回、元毎日新聞記者の山田寿彦さんの陳述書を提出しました。山田さんは2000年11月の「旧石器発掘ねつ造」スクープの取材班のキャップでした。その陳述書では、はっきりとこう書いています。捏造が「故意」を含むことから、断定して書くには、捏造をした「蓋然性の高い客観的事実」の取材に加え、当事者の認識の確認が不可欠だったと。山田さんらは、石器を埋める自作自演の決定的な瞬間をビデオ撮影で押さえた後、「取材の常道」として、本人の言い分を聞く取材もしています。

櫻井さんは私の記事を「捏造」と断定する直接的な証拠を何一つ示せていないのに、私に一切取材せず、金学順さんら元慰安婦に誰一人会いもせず、韓国挺身隊問題対策協議会にも、私の義母にも取材していません。今回、意見書を提出した憲法学者の志田陽子先生は、「捏造」をしたかどうかの核心部分は本人への直接取材が求められると指摘し、それをしていない櫻井さんは「真実相当性」が証明できていないと断じています。
私は櫻井さんから「標的」にされたのだと思います。当時、「挺身隊」という言葉を使ったのは、私だけではありません。北海道新聞の喜多さんを始め、金学順さんについて報じた読売新聞や東亜日報など日韓の記者達も書いています。金学順さん自身が、挺身隊だと言い、強制的に連行されたことを語っているのです。当時の産経新聞や読売新聞も「強制連行」という表現を使っています。しかし、私だけが「標的」にされ、すさまじいバッシングに巻き込まれました。
私は捏造記者ではありません。

この「植村捏造バッシング」は、私だけをバッシングしているのではありません。歴史に向き合おう、真実を伝えようというジャーナリズムの原点をバッシングしているのではないかと考えています。真実を伝えた記者が、「標的」になるような時代を、一刻も早く終わらせて欲しい。私の被害を司法の場で救済していただきたいと思います。札幌高裁におかれては、これまでの証拠や新しい証拠を検討していただき、歴史の検証に耐えうる公正な判決を出していただきたいと願っております。
(2019年7月2日)

■第3回口頭弁論
櫻井さんが「植村捏造バッシング」を始めて5年が過ぎました。私は、法廷の中だけでなく、様々な言論活動で、「捏造記者」でないことを訴えてきました。『週刊金曜日』に呼ばれ、発行人になったのも、私が「捏造記者」ではないということが、一部の言論の世界では理解されている証拠だと思います。『週刊金曜日』に通うために首都圏に小さな部屋を構えました。しかし、表札に名前を書くことができません。怖くて、表札に名前を出せないのです。バッシングの激しい時期には、私の自宅の様子や電話番号などがインターネットにさらされました。当時、出張先の神戸の駅で、見知らぬ大きな男からいきなり、「植村隆か。売国奴」と言われて、震え上がったことがあります。いまだに殺害予告の恐怖は続いているのです。

私は、1991年8月の記事で、慰安婦としての被害を訴えた金学順さんの思いを伝えただけです。櫻井さんには、言論の自由があります。しかし、私の記事を「捏造」と断罪するからには、確かな取材と確かな証拠集めが必要です。櫻井さんは、そのいずれも怠っています。朝日新聞や私への取材もありませんでした。そして、事実に基づかない形で、私を誹謗中傷していることが、札幌地裁の審理を通じて明らかになりました。
WiLL』2014年4月号の記事がその典型です。金さんの訴状に書いていない「継父によって40円で売られた」とか「継父によって・・・慰安婦にさせられた」という話で、あたかも金さんが人身売買で慰安婦にされたかのように書き、私に対し、「継父によって人身売買されたという重要な点を報じなかった」「真実を隠して捏造記事を報じた」として、「捏造」記者のレッテルを貼りました。「捏造」の根拠とした『月刊宝石』や『ハンギョレ新聞』の引用でも都合のいい部分だけを抜き出し、金さんが日本軍に強制連行されたという結論の部分は無視していました。しかし、櫻井さんは、私の指摘を無視できず、札幌地裁の尋問で訴状の引用の間違いを認めました。そして、『WiLL』と産経新聞で訂正を出すまでに追い込まれました。
北海道新聞のソウル特派員だった喜多義憲さんは1991年、私の記事が出た4日後、私と同じように「挺身隊」という言葉を使って、私とほぼ同じ内容の記事を書きました。喜多さん自身が直接、金学順さんに取材した結果、私と同じような記事を書いた、ということは、私の記事が「捏造」ではない、という何よりの証拠ではないでしょうか。その喜多さんは、昨年2月に札幌地裁で証人として、出廷し、櫻井さんが私だけを「捏造」したと決め付けた言説について、「言い掛かり」との認識を示しました。そして、喜多さんは、こう証言しました。
「植村さんと僕はほとんど同じ時期に同じような記事を書いておりました。それで、片方は捏造したと言われ、私は捏造記者と非難する人から見れば不問に付されているような、そういう気持ちで、やっぱりそういう状況を見れば、違うよと言うのが人間であり、ジャーナリストであるという思いが強くいたしました」

記事を書いた当時、喜多さんは私と面識はありませんでした。しかも、喜多さんは私の記事を読んでもいなかったといいます。私はライバル紙の記者から、「無罪」の判決を受けたのです。ジャーナリズムの世界では、それは大きな「無罪」証明でした。

しかし、昨年11月の札幌地裁判決では、櫻井さんの間違いの訂正や、喜多さんの証言は、全く採用されず、私は敗訴しました。判決は、唯一の証人だった喜多さんの証言を全く無視していたのです。判決では櫻井さんの人身売買説を真実であるとは認定しませんでした。しかし、櫻井さんが、私の記事を「捏造」だと信じたことには、相当の理由があると判断し、櫻井さんを免責したのです。この理屈でいけば、裏づけ取材をしなくても「捏造」と思い込むだけで、「捏造」と断じることが許され、名誉毀損には問えないことになります。あまりに公正さを欠く、歴史に残る不当判決だと思います。
札幌高等裁判所におかれては、これまでの証拠や新しい証拠を検討していただき、歴史の検証に耐えうる公正な判決を出していただきたいと願っております。
(2019年10月10日)