2018年5月14日月曜日

植村氏、韓国で受賞

植村隆さんが韓国の「キム・ヨングン民族教育賞」を受賞することになりました。この賞は、日本の植民地時代や光州事件の時に弾圧に抵抗して投獄された韓国のキム・ヨングン氏の教育啓蒙活動を記念して、すぐれた教育者を顕彰するものです。授賞式は5月15日、光州市で行われます。植村さんの受賞は、韓国紙でいっせいに報じられています。

「ハンギョレ」日本版5月14日付の記事全文を転載します。

植村隆氏「キム・ヨングン民族教育賞」を受賞

「日本軍慰安婦被害者の証言」初めて報道 
『真実 私は「捏造記者」ではない』出版し闘争中

日本軍慰安婦の存在を日本で初めて提起した植村隆元朝日新聞記者が、今年「キム・ヨングン民族教育賞」受賞者に選ばれた。

キム・ヨングン先生記念事業会は13日、「日本軍従軍慰安婦の真実を知らせ、これに伴う弾圧に屈せず立ち向かっている植村隆記者に賞を与えることにした」と発表した。受賞理由は「日帝強占期(日本の植民地時代)に2回、1980518(光州民主抗争)の際に1回投獄され、情熱的に啓蒙運動を繰り広げたキム・ヨングン先生(191785)の精神と、知識人であり教育者として責務を尽くそうと努めてきた植村記者の行動が通じ合っている」と説明した。
授賞式は15日午前11時、光州市治坪洞(チピョンドン)の光州学生文化会館にあるキム・ヨングン先生の胸像前で行われる。

植村氏は朝日新聞の社会部記者として働いていた1991年、日本で初めて、日本軍従軍慰安婦の存在を記事化した。518をはじめ韓国に関心を持っていた彼は、1990年から女性団体が提起した慰安婦被害に注目した。1991年には1941年に強制的に日本軍に連行された事実を韓国では初めて公開証言した金学順(キム・ハクスン)さんを取材し、「思い出すと今も涙 元朝鮮人従軍慰安婦 戦後半世紀重い口を開く」という記事を書いた。

その後、日本の右翼の標的となった彼は暴力や脅迫、家族の安全まで危険にさらされながらも、所信を曲げず、著書『私は捏造記者ではない』(原題『真実 私は「捏造記者」ではない』、プルン歴史出版)を通じて真実を知らせた。この過程で日本神戸松蔭女子学院の大学教授として採用されたにもかかわらず、赴任できず、北海道の北星学園大学の大学講師を務めた際にも嫌がらせを受けるなど、試練を負わなければならなかった。しかし、彼は記事に対する責任感に基づき、極右メディアに訴訟などで対抗しながら、教育を通じて次の世代に真実を伝るため努力してきた。彼の著書は201610月、ハンギョレのキル・ユンヒョン記者の翻訳で韓国版が出版された。
アン・グァノク記者(お問い合わせ japan@hani.co.kr)

写真上】5月14日付「光州日報」 記事はこちら
【写真下】5月14日付「ハンギョレ」掲載写真 原記事はこちら

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※関連情報
光州事件を描いた映画「タクシー運転手」の主人公キム・サボク氏の長男のインタビュー記事が、同日付の「ハンギョレ」に掲載されている。キム・サボク氏は光州事件の4年後、病気で亡くなったという。 記事はこちら

2018年5月2日水曜日

JCJ機関紙に寄稿

この記事は、植村隆さんが日本ジャーナリスト会議(JCJ)の機関紙「ジャーナリスト」第721号(4月25日発行)に寄稿したものです。全文を転載します

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原告・植村さんが寄稿

櫻井氏が間違い認め、訂正約束 

大詰め迎える慰安婦記事訴訟

歴史修正主義との闘い 

ジャーナリズムのあり方が問われる

  
歴史修正主義勢力のいわれない「捏造」記者との非難、個人攻撃と闘う元朝日新聞記者植村隆氏の札幌訴訟は、本人尋問で櫻井氏の主張の根本が「捏造」だったことが明らかとなった。この対決について植村氏本人から寄稿してもらった。





札幌判決は秋にも

元日本軍慰安婦の証言を伝えた私の記事を「捏造」とレッテル貼りした東京基督教大学教授(当時)の西岡力氏やジャーナリストの櫻井よしこ氏を名誉毀損で訴えた二つの裁判は4年目を迎え、大詰めを迎えている。3月23日には札幌地裁で、私と櫻井氏に対する本人尋問が行われた。櫻井氏が自らの記事の一部が間違っていたことを認め、訂正を約束した。提訴以来、私が指摘していた問題点で、大きな進展だった。7月6日に結審し、秋には判決が下される見通しだ。東京訴訟も今後尋問が予定されている。

私は、櫻井氏が14年に書いた六つの記事を名誉毀損の対象として訴えている。その一つがワック発行の雑誌「WiLL」14年4月号の記事だ。陳述書で、その問題点を指摘した。
《櫻井氏は、「過去、現在、未来にわたって日本国と日本人の名誉を著しく傷つける彼らの宣伝はしかし、日本人による『従軍慰安婦』捏造記事がそもそもの出発点となっている。日本を怨み、憎んでいるかのような、日本人によるその捏造記事とはどんなものだったのか」と書いた上で、私の91年8月11日の記事を取り上げています。

 「(金学順さんが日本政府を訴えた訴訟の)訴状には、14歳のとき、継父によって40円で売られたこと、3年後、17歳のとき、再び継父によって北支の鉄壁鎮というところに連れて行かれて慰安婦にさせられた経緯などが書かれている。植村氏は、彼女が継父によって人身売買されたという重要な点を報じなかっただけでなく、慰安婦とは何の関係もない『女子挺身隊』と結びつけて報じた」
 しかし、私の記事の約4カ月後に金学順さんが日本政府を訴えた訴訟の訴状には「継父によって40円で売られた」とか、「再び継父によって…慰安婦にさせられた」という記述はありません。訴状には金学順さんが「人身売買の犠牲者である」と断定するような記述はないのです。「訴状にない」ことを、あたかも「訴状にある」かのように書いて、私の記事を攻撃しているのです。それは金学順さんの尊厳を冒涜し、名誉を毀損することにもつながると考えます》

主張の前提が崩壊

この「継父によって40円で売られた」などという記述が本人尋問の大きな争点のひとつだった。櫻井氏は主尋問で、この間違いを認め、「訂正します」と約束した。櫻井氏はこのほかに、少なくとも産経新聞や「正論」、二つのテレビ番組で計4回、同種の間違いを繰り返していた。私の代理人である川上有弁護士の反対尋問でそれらを指摘された櫻井氏は、その都度、過ちを認めた。櫻井氏によると、出典は訴状ではなく、ジャーナリストの臼杵敬子氏が月刊「宝石」92年2月号に発表した記事だという。そこには金氏の証言として「平壌にあった妓生専門学校の経営者に40円で売られ、養女として踊り、楽器などを徹底的に仕込まれた」とある。妓生とは、朝鮮の芸妓であり、日本軍相手の慰安婦とは違う。臼杵氏の記事では、金氏が中国で日本軍によって強制的に慰安婦にされたとう内容の記述がある。つまり、櫻井氏は都合のいい部分だけを引用して、結論を無視していたのだ。

櫻井氏は、「捏造」と表現し、その前提事実として「金学順氏は親に売られて慰安婦になった」と主張している。しかし、その前提が大きく崩れたと言える。
また、訴訟対象の六つの記事の別の一つでは、こうも書いていた。「(金氏は)一度も、自分は挺身隊だったとは語っていない。(中略)ならば捏造と考えるのは当然」(「週刊ダイヤモンド」14年10月18日号)。しかし、この主張も、反対尋問で崩された。川上弁護士が金氏の記者会見を報じた韓国各紙の記事を見せながら、金氏が自らを「挺身隊」と語っていたことを示したからだ。

捏造は言い掛かり

札幌訴訟では前回の期日(2月16日)に、元北海道新聞ソウル支局長の喜多義憲氏が重要な証言をした。喜多氏は、金氏と単独会見をし、「戦前、女子挺身隊の美名の下に従軍慰安婦として戦地で日本軍将兵たちに凌辱された」という書き出しの記事を書いた。当時、喜多氏は私と面識もなく、私の記事も見ていなかったという。喜多氏は法廷で、私の記事に対する櫻井氏の主張について「言い掛かり」との認識を示し、こう語った。「植村さんと僕はほとんど同じ時期に同じような記事を書いておりました。それで、片方は捏造したと言われ、私は捏造記者と非難する人から見れば不問に付されているような、そういう気持ちで、やっぱりそういう状況を見れば、違うよというのが人間であり、ジャーナリストであるという思いが強くいたしました」 

私は本人尋問の際、背広の内ポケットに一枚の紙を入れていた。その紙には、金学順氏が自分の裁判で東京地裁に提出した陳述書にあった次の言葉を書き写していた。
「私は日本軍により連行され、『慰安婦』にされ人生そのものを奪われたのです」。この金氏の無念の思いを我々は決して忘れてはならないと思う。私は主尋問で、記事を書いた当時の思いをこう述べた。「日本のアジア侵略が生み出した悲劇を直視しなければならないと思った」。

日本新聞労働組合連合(新聞労連)の小林基秀委員長は東京から傍聴に駆けつけ、機関紙に傍聴記を書いた。「『植村氏に捏造ない』労連支援」という見出しの関連記事も添えていた。「捏造記事とは『意図的に』嘘を書くことだ。植村氏の記事にそれに該当する要素は見当たらない。新聞労連は、植村氏の『私は捏造記者ではない』との主張を支持し、今後も支援していく方針だ」とあった。この記事にも、とても勇気づけられた。

私の裁判は、櫻井氏や西岡氏の言説の誤りを明らかにするだけでなく、ジャーナリズムのあり方を問う裁判であると思う。そして、慰安婦問題という歴史的な事実をなかったことにしようとする歴史修正主義との闘いでもある、と考えている。(元朝日新聞記者、韓国カトリック大学客員教授)

植村裁判の経緯
私は大阪社会部時代の91年8月11日、韓国挺身隊問題対策協議会(挺対協)がソウルに住む元日本軍慰安婦の聞き取り作業を始めたという記事を書いた。「日中戦争や第二次大戦の際、『女子挺身隊』の名で戦場に連行され」という書き出しだった。韓国では当時、従軍慰安婦のことを「挺身隊」と呼んでいた。この女性も挺対協にそう語っていた。3日後、金学順と実名で記者会見した。同年12月6日には、日本政府に戦後補償を求め裁判を起こした。私は弁護団の事前聞き取りに同行し、その内容を記事に書いた。

14年に東京基督教大学教授(当時)の西岡力氏や櫻井よしこ氏が、私の記事を「捏造」と非難。激しいバッシングが始まり、教授就任が決まっていた神戸松蔭女子学院大学に抗議が殺到、転職の道を断たれた。非常勤講師だった北星学園大学にも攻撃が続いた。娘を殺すとの脅迫もあった。

私は15年1月に西岡氏と週刊文春発行元の文藝春秋社を東京地裁に、同年2月、櫻井よしこ氏と同氏の記事掲載雑誌発行元のワック、新潮社、ダイヤモンド社を名誉毀損で札幌地裁に提訴した。さらに17年9月、櫻井氏の記事を載せた産経新聞に訂正を求める調停を東京簡裁に申し立てた。

 (転載了)

※おことわり  「主張の前提が崩壊」の段落で、<月刊「宝石」92年4月号>は<月刊「宝石」92年2月号>と訂正しました。 update2018.5.4 pm5:30


2018年4月26日木曜日

東京第12回速報


金学順さん自身がはっきり「強制的に連行」と語っていた!

記者会見映像と韓国紙記者の重要証言で明らかに

東京訴訟 植村、西岡両氏の本人尋問は9月5日に決定

東京訴訟の第12回口頭弁論が、4月25日午後、東京地裁で開かれた。
植村弁護団は、金学順さん自身が記者会見で「強制的に連行された」と語った重要な証拠を初めて提出し、被告側の「捏造」決めつけ根拠が崩れていることを、あらためてきびしく指摘した。

3時30分、103号法廷で開廷。植村弁護団は中山武敏弁護団長ほか12人が着席、札幌弁護団の小野寺信勝弁護士も後列に座った。被告側は喜田村洋一弁護士と若い男性弁護士のふたりだけ、法廷正面の裁判官席の原克也裁判長と左右陪席も、前回と変わりはない。定員が90人ほどの傍聴席はほぼ満席となった。
提出書面の確認のあと、植村弁護団の吉村功志弁護士が、提出証拠のうち金学順さんの発言に関わる4点の要旨を読み上げた。証拠4点は次の通り。
①1991年8月14日にソウル市で行った記者会見を報じた韓国KBSテレビのニュース映像と、その発言を正確に起こした反訳書、②その記者会見に出席した韓国紙ハンギョレの元記者金ミギョン氏の陳述書、③同じく韓国紙東亜日報の元記者李英伊氏の陳述書、④同日、記者会見に先立って単独インタビューをした元北海道新聞記者喜多義憲氏の陳述書
このうち、②③は植村弁護団が韓国での調査活動を重ねて手に入れた貴重で重要な証言だ。また④はすでに札幌訴訟第11回(2月16日)で陳述されているが、同様に重要な意味をもつために提出された。

吉村弁護士は、それぞれの証拠が持つ意味を、つぎのように説明した。
①韓国・KBSテレビのニュース映像とその反訳書では、金学順さんが「16歳ちょっと過ぎたくらいのを引っ張って行って。強制的に。」「逃げ出したら、捕まって、離してくれないんです。」と語っていることがわかる。金学順さんは、韓国語で「끌고 가서」(クルゴカソ)と述べているが、これは「引っ張って行って」、「引きずって行って」といった意味の韓国語だ。韓日辞書にも「泥棒を交番へ引っ張って行った」との例文があげられている言葉だから、文字数が限られており同義であればより短い言葉を使う新聞用語としては「連行して」と訳することが多い。また「 강제로」(カンジェロ)という韓国語は漢字で書けば「強制」という熟語に副詞化する「」(ロ)という接尾辞が付いたものであり、「強制的に」という意味だ。【反訳全文は記事末に収録】
②ハンギョレ新聞元記者の金ミギョン氏は、この記者会見を現地で実際に取材した記者の一人だ。陳述書のなかで金記者は「金学順さんは会見で自己の経歴を示す言葉として『挺身隊』という言葉を使用しました」とはっきりと述べている。金記者が書いたハンギョレ新聞の記事には、「挺身隊」という記載はないが、その理由について金記者は陳述書で「挺身隊」と「従軍慰安婦」が違う意味であることを当時から知っていたため、「挺身隊」の代わりに「従軍慰安婦」という単語を使うべきだと考え「意図的に変えて書いた。」と証言している。
③東亜日報元記者の李英伊氏も記者会見を取材した記者の一人だ。赤い服を着て金学順さんの隣の席に座っているところがKBSニュース映像に映っている。陳述書のなかで李記者も「当時、金学順さんが記者会見で『挺身隊』という言葉を使ったのは間違いないことです。」と証言している。また当時の韓国では、「挺身隊」と「慰安婦」は一般的には同じ意味の言葉として使われており、自らも「挺身隊」という言葉は「従軍慰安婦」の意味だと思って使っていたと、証言している。
④北海道新聞元記者の喜多義憲氏は当時ソウル支局駐在記者で、記者会見の同日に金学順さんの単独インタビューをした。喜多記者は1991年8月15日付北海道新聞朝刊社会面記事で、金学順さんのことを「戦前、女子挺(てい)身隊の美名のもとに従軍慰安婦として戦地で日本軍将兵たちに凌辱されたソウルに住む韓国人女性」と紹介している。喜多記者は陳述書でも「金氏は私とのインタビューの冒頭、『私が挺身隊であったことを…』と言っていました」と明確に述べている。
▽以上の3人の記者の陳述書から、当時、金学順さんが自分自身のことを指して、従軍慰安婦という意味で「挺身隊」であったと述べていたことが明らかになった。またKBSニュース映像及び同反訳書により、金学順さん自身が、当時、強制連行されたとの事実を述べていたことも明らかになった。そうすると、植村さんが1991年8月11日付の記事で「『女子挺(てい)身隊』の名で戦場に連行され、日本軍人相手に売春行為を強いられた『朝鮮人従軍慰安婦』」との記述は、金学順さん自身が述べた経歴を記事の前文として簡潔にまとめた記述ということになる。植村さんが、「金学順さんの述べていない経歴を付加したこと」、との被告らの抗弁は成り立たないことが明白となる。

以上が吉村弁護士の陳述要旨である。
この裁判で被告西岡氏は、植村さんの記事を「捏造」と決めつけた根拠として、「①金学順さんの述べていない経歴を付加した、②金学順さんの述べた経歴を意図的に欠落させ適切に報じなかった、③原告が本件各記事に関して利害関係ないし動機を有していた」と主張してきた。植村弁護団はそのすべてについて繰り返し反論をしてきたが、この日の陳述は①に絞り込んで、あらためて西岡氏の論拠の一角を根本から突き崩す重要なものとなった。

法廷ではこの後、今後の進行について原裁判長が双方の予定と希望を聞き、裁判官合議のためいったん閉廷。3分後に再開し、原裁判長は9月5日(水)に証人尋問を行うと述べた。
当日は午前10時半から正午まで、週刊文春竹中明洋記者の証人尋問、休憩をはさんで、午後1時半から4時半まで植村、西岡両氏の順で本人尋問が行われる。竹中氏は週刊文春の取材記者。「“慰安婦捏造”朝日新聞記者がお嬢様女子大教授に」(2014年2月)と「慰安婦火付け役朝日新聞記者はお嬢様女子大クビで北の大地へ」(同8月)を書いた。
植村弁護団は竹中氏のほかに2人の証人尋問を申請しているが、裁判長は採否を明確にしなかった。
閉廷は午後3時50分だった。

【金学順さんの発言反訳全文=吉村弁護士作成】
16 조금 넘은 것을 引っ張って って강제로強制的に 울고서
 나갈라고 쫓아나오면 붙잡고  놔줘요한번 분풀이  말이라도 분풀이 하고 싶어요.

16歳ちょっと過ぎたくらいの(私)を引っ張って行って(連行して)。強制的に。泣いて。出て行くまいと(連れて行かれまいと)逃げ出したら,捕まって,離してくれないんです。一度憤りを鎮めることを,必ず,言葉だけでも憤りを鎮めたいんです(恨みを晴らしたいんです)。」

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櫻井尋問でふたつの成果

報告集会で札幌弁護団小野寺弁護士が報告

裁判の後、報告集会が参議院議員会館で開かれた。参加者は約120人。会場の第1会議室はほぼ満員となった。
最初に神原元弁護士がこの日の弁論について報告。「きょう陳述した金学順さんの記者会見の発言は、初めての発言という意味でも重要だ。ふつう、事件や体験などを最初に語る時にこそ、ことの核心が簡潔に表現されるものだからだ」と語り、東京訴訟の見通しについては、「年内には結審し、来春には判決か」と語った。
つづいて、3月23日にあった札幌訴訟第11回口頭弁論について、傍聴したジャーナリストの安田浩一氏と札幌弁護団事務局長の小野寺信勝弁護士が、「櫻井よしこ氏が認めた自らの謝り」と題して、対談形式で報告した。
小野寺弁護士は「この日の裁判ではふたつの大きな成果があった。ひとつは櫻井よしこ氏に間違った記事の訂正を約束させたこと。もうひとつは、ネット世論が変わったこと。ネットで植村、櫻井のキーワード検索をすると、その9割が櫻井氏がウソを書いていた、などと出るようになった」と語った。
最後に報告した植村さんも、札幌での本人尋問を振り返り、「緊張したけれど、金学順さんの言葉と思いを胸に刻んで臨んだ。相手側弁護士は悪意に満ちていて私のことをズサンなどと言ったが、きちんと反論し、抗議した。裁判長も私の発言を制止しなかったことが印象的だった」と語った。

参議院議員会館で(午後4時30分~6時)


















2018年4月24日火曜日

東京12回口頭弁論

■東京訴訟の第12回口頭弁論は、4月25日(水)午後3時30分から、東京地裁103号法廷で開かれます。裁判の後の報告集会は、同日午後4時30分から、参議院議員会館101会議室で開かれます。
■植村さんを「捏造記者」と批判し続けてきた櫻井よしこ氏は、3月23日、札幌地裁での本人尋問で、批判の根拠としてきた重要な事実について自らの誤りを明確に認めました。報告集会では、札幌でその裁判を傍聴したジャーナリスト安田浩一氏と札幌弁護団事務局長の小野寺信勝氏が、詳細を報告します。参加費無料。主催は植村東京訴訟支援チーム。問い合わせは、日本ジャーナリスト会議(電話03-3291-6475)へ。

2018年4月13日金曜日

ネット右翼はいま…

公開対談 能川元一氏(哲学者)安田浩一氏(ジャーナリスト)
ネット右翼の動向に詳しい研究者とジャーナリストが、植村隆さんと櫻井よしこ氏の本人尋問を傍聴した後、公開対談をし、ネトウヨの現状を語りました。その要約を掲載します。(3月23日、北海道自治労会館4階ホールで開かれた札幌第11回口頭弁論報告集会で)

 安倍政権発足の年から勢い増したネット右翼
能川きょうは安田さんといっしょに裁判を傍聴したが、被告側弁護団の挑発的な悪意を隠さない尋問ぶりが印象に残った。櫻井さんが植村さんに言ってきた、ずさんだとか捏造だ、ということに事実誤認があることも、動かしがたく明らかになった。植村さんに対して投げかけてきた非難がみごとに櫻井さん自身に帰ってきた尋問だった。
安田法廷では植村さんの心の底からの怒りがひしひしと伝わってきた。櫻井さんは安倍政権の代弁者、というより提灯持ちだ。提灯持ち水に落ちる、という言葉もある。主人の足元を照らしているうちに自分の足元が見えなくなって、気がついたら水に落ちていた、ということだろう。そのことを植村さんの弁護団は明らかにしてくれた。
能川ネット右翼に私が関心をもつようになったのは2000年代の半ばだった。ブログという新しいインターネットサービスが登場して、見栄えの良いホームページを個人が簡単に作れるようになった。そのようなSNS空間で、普通の人たちが歴史認識問題で意見を表明していることに気が付いた。その内容は、主に在日コリアン批判だったが、それがだんだんとヘイトスピーチへと広がっていった。
安田私が初めて関わったのは2006年だった。外国人実習生を巡る事件と裁判を取材した時だった。栃木県で中国人実習生が警察官に撃たれて死んだ事件で遺族は賠償を求めた。その裁判にネット右翼が押しかけて「不逞支那人は射殺せよ」と叫んでいた。
能川ネット右翼に呼応する大きな動きがいくつかあったのは2012年だ。年末に第2次安倍政権が成立した年だ。この年12月、雑誌『正論』が歴史戦争キャンペーンを始めた。8月、池田信夫氏(元NHKディレクター、経済評論家)が自身のインターネット番組で、国会議員の片山さつき氏と西岡力氏に朝日の慰安婦報道を批判させている。この中に植村隆さんの名が出ており、ネット民の注目を集めていくようになった。産経新聞は10月23日の産経抄で植村さん個人に焦点を当てて批判した。
翌13年から、右派の市民グループによる「慰安婦パネル展」も全国各地で開かれるようになった。街宣右翼とは異なる活動スタイルで、植村さんの写真や記事も使ったパネル展示で「慰安婦報道糾弾」などと訴えた。関西のグループの中心メンバーは在特会(在日特権を許さない市民の会)の元活動家だ。ヘイト街宣から足を洗って慰安婦問題に流れ込んできた。排外主義的ヘイトスピーチと「慰安婦」問題との接点を象徴的に示すのが、西村修平なる人物だ。西村氏は在特会の代表だった桜井誠の師匠とされている。いくつかの団体を率いているが、「主権国家を目指す会」と「河野談話の白紙撤回を求める市民の会」が二本柱だ。


ネットの中の言葉が街頭のヘイトスピーチになった
安田西村氏は、ネットの中で流通している言葉を街頭に持ち込んだ。西村氏が2000年末の「女性国際戦犯法廷」に反対する運動を展開した人であることは知っていたが、本人に出会ったのは、外国人実習生を巡る事件と裁判の取材した時だった。ネット右翼が押しかけて「不逞中国人を射殺せよ」と叫んでいた事件だ。
その外国人実習生は警察官に撃たれて死んだ。3年間岐阜で働いて中国に帰国する前日、経営者からパスポートと預金通帳を返してもらった。しかし通帳にはお金はたまっていなかった。母親と妻と子供2人が待つ故郷に、働いて得た金を持って帰るはずだった。彼は逃げた。名古屋へ、茨城へと逃げ、栃木県西方町(現栃木市)でコンクリート型枠会社に就職が決まった。履歴書不要、滞在資格がない外国人でも必要とする職場は、日本にいくらでもあるのだ。
彼はバッグを持って寮にあてがわれたアパートに向かった。真昼間の田舎町、外国人とおぼしき若い男。彼は警察官に誰何され、民家の庭に逃げ込んだが行き止まり。22歳の警察官は拳銃を抜き、彼の腹部に1発撃った。威嚇射撃はなかった。その1発で彼は死んだ。
彼の遺族は、特別公務員暴行凌虐致死罪に当たるとして裁判を起こし、06年12月から宇都宮地裁で審理が始まった。私はこの裁判を取材した。
開廷を待つ間、地裁前が騒がしい。裁判所職員に聞くと「右翼が来ている」という。黒塗りの大型街宣車、パンチパーマ、特攻服。これまで見慣れていた右翼はいなかった。この集会にいるみなさんと同じような、おじさん、おばさんと、若者、それにベビーカーを引いた女性たち、約50人が「支那人を射殺せよ」と叫んでいた。
どうやって動員されたのか。ジャケット姿の若い人に「どこの団体?」と聞くと「一般市民です」と返ってきた。一般市民が平日の昼間に「支那人を射殺せよ」と大声上げるものか。「じゃあ何故ここにいるの」と聞くと、「われわれはネットで集められた」と答えが返ってきた。調べたら2チャンネルで「日本に損害賠償を求め、日本の警察官を訴えた不逞支那人が、裁判を起こしている。みんなで日本を守るため集まろう」と呼びかけていた。
ネットで動員される人々、ネットで動員される憎悪、ネットで動員される排外主義。それを目の当たりにした。2006年の秋のことだった。これが、ネット右翼の取材を始めるきっかけの一つだった。

ネット右翼と街宣右翼が垣根を越えて相互乗り入れ
能川各地で開かれている慰安婦パネル展にもネット右翼が関わっている。「歴史写真展 史実に見る慰安婦」と題して、実行委員会方式で開かれているが、「新しい歴史教科書をつくる会」の地方支部などが後援しており、公民館などの施設が会場だ。札幌の場合は毎回のように日本会議北海道支部が後援し、通勤通学や買い物など多くの市民が行きかうメインストリート「チカホ」(地下歩行空間)で繰り返し開かれている。
安田北海道で特徴的なのは、日本会議とネトウヨの段差がほとんどないように見えることだ。ざっくり分類すると、右翼には「民族派」と称され街宣車や特攻服が思い浮かぶ右翼グループがある。それにネット右翼、そして統一教会など宗教右翼グループがある。北海道の右派地図はグラデーション状態だ。かつては住み分けされていたグループが、いまは相互乗り入れして入り乱れている。今日の傍聴席にも、日本会議だがパネル展でネトウヨと共闘している人もいた。
東京では2月下旬、朝鮮総連本部ビルに銃弾5発が撃ち込まれ、2人が逮捕された。主犯はバリバリの右翼活動家だが、同時にバリバリのヘイト活動家だった。彼は2013年秋、在日コリアン最大の集住地、大阪・鶴橋で、当時中学2年生の娘にマイクを持たせ「南京大虐殺でなく 鶴橋大虐殺を実行します」と街宣車から言わせて問題になった。そんなことを中学生に言わせ、後ろで笑いを浮かべ拍手する大人を私は許せない。ヘイトデモが嫌なのは、その主張だけでなく、笑いながら差別し、笑いながら人を貶め、笑いながら人間の存在を否定する連中だからだ。
そんなデモに出て来る人間と、街宣右翼が相互乗り入れする時代になった。境界が低くなってきたことは、全国各地で見られる。しかし、右翼は総じて卑怯で、嘘をつき、ネットでデマを流す。「本当の右翼は差別をしない」「本当の民族派なら、こんなことはしない」という言い方を私はやめた。
能川右翼のアジェンダは幅広いから、関心の違いや利害の差は様々あるだろうが、日本軍「慰安婦」問題はその差を超えて、右翼が広く一致団結できるテーマになっている。慰安婦像をめぐっては、たとえば、米国世論を味方にしようという目的で、動画投稿サイトYoutubeを通じてネット右翼の目に止まったアメリカ人、「テキサス親父」ことトニー・マラーノなる人物をオルグして活動させているが、その資金はある宗教団体も拠出している。

右翼ではないのに右翼以上の事件の主役になる
安田右翼同士の段差が小さくなってきたが、それは一般社会との間についても言える。一般市民が差別や排外主義がからむ事件の主役になるようになった。
去年の5月に名古屋であった事件だ。旧朝銀系のイオ信用組合名古屋支店で、65歳の男性がポリタンクに入っていた灯油をまき、火のついたタオルを投げ込む放火事件があった。すぐに逮捕され、初犯だったこともあり名古屋地裁の判決は懲役2年執行猶予4年だった。
裁判の過程で男性は「慰安婦問題で韓国の態度が許せなかった」と放火の動機を述べた。だがイオ信用金庫は朝鮮総連系の金融機関で、韓国系ではない。男性に北と南の区別はなく、「朝鮮人イコール敵」の烙印を押している。決定的に間違えているけど、男性は「韓国系とか総連系は、どうでもいいと思った」と言った。男性は右翼活動歴はまったくない。勤務先の評価は「真面目」で、もちろん前科もない。定年を迎え年金生活となり、時間が出来てネットを見るうち慰安婦問題への憎悪が高まり、火を投げ込むまでになった。
右翼ではないのに右翼以上のことを一般人がやってしまった。こんな例は、まだある。
一昨年、福岡市天神の繁華街で西鉄系列のデパートやバスターミナル、トイレに、張り紙がべたべたと張られていた。「日本を支配しているのは在日」「在日支配の危険から逃げなければいけない」「我々は在日と戦わなければならない」。監視カメラや警察官の張り込みで逮捕された男は、63歳の元学習塾経営者だった。この人も右翼活動歴はまるでない。きっかけはネットだった。一人で飲んでいた居酒屋で、大声で話す近くのグループの話題が耳に届いた。「芸能人の〇〇は在日で」。それを聞いた彼は怖くなったそうだ。「芸能界にそんなに在日がいるのか」。家に帰ってパソコンを開いた。パソコンはちゃんと使えないが、検索はできたそうで、いろいろ発見してしまった。日本の経済、行政、政治もメディアも在日が支配している、というのだ。彼は奥さんに話したそうだ。「お前、日本を支配しているのは在日だと知っていたか」。奥さんは「バカなことを言ってないで早く寝なさい」。彼は「うちの妻はダメだ。社会の事にまったく関心をもてない。俺が社会に知らしめなければならない」。検索は出来てもアウトプットは出来ないもんだから、手書きのビラを作ってべたべた貼ってしまった。建造物侵入で懲役2年執行猶予3年。建造物侵入で初犯なら、ふつうは起訴猶予だが、長期拘留されて有罪判決を受けた。ちょうどヘイトスピーチ解消法ができたころだった。
金融機関に火を投げ込んだ男性、デパートにべたべたビラを貼った男性。どちらも右翼ではない。2人を犯罪に走らせたのは一部メディアやネットだった。とりわけネットにあふれたデマが行動を促した。こうした回路は私たちの社会のあちこちにあふれている。

「自由」を矮小化する差別と排外主義
能川そのようなネット右翼個人だけでなく、右派系の大衆運動が私たちの生活に迫っている。その最大勢力が「日本会議」だ。そのルーツをたどると、「生長の家」に行きつく。2016年に日本会議を扱った本が10冊も出版され、ブームになった。うち1冊は、副題に「カルト」という言葉を使っている。カルトとは、社会の主流派との間に緊張関係を持っている宗教集団と理解されている。地下鉄サリン事件などを起こしたオウム真理教はカルトだ。では日本会議の考え方は少数派なのか、特殊な一部の人だろうか。カルトかどうかは議論が分かれるが、そのことも含め、研究者仲間の斉藤正美、早川タダノリ氏と行った鼎談が「図書新聞」のホームページ(2017年10月28日号=こちら)にアップされているので、詳しくは読んでいただきたい。
安田右翼について書かれた有名な本「戦後の右翼勢力」(堀幸雄著)にもこういう一節がある。「日常われわれの身近にいて、しかも信心深いと思われている人たち、これが現代の右翼である。街頭で制服を着た右翼から、どこにでもいる背広を着た右翼となって、大衆の中に入り、大衆運動を組織して右傾化、反動化の先兵となっている」。この本が書かれたのは、1983年だった。当時すでに、右翼と一般社会との段差が小さくなっていた。
「日本会議」の前身、「日本を守る会」は1973年に宗教界を中心に作られた。鎌倉円覚寺の朝比奈宗源師が、生長の家の谷口雅春氏を口説き落とし、富岡八幡宮の富岡盛彦宮司とともに作った組織だ。もうひとつの前身、元号法制化を進めてきた「日本を守る国民会議」は1981年に作られた。元外交官の加瀬俊一氏が代表で、作曲家の黛敏郎氏や歌手の三波春夫氏らが名を連ねた。このふたつが統合して1997年5月、「日本会議」ができた。前身の組織は、それまで左翼、リベラルが得意だった草の根の運動や地道なオルグ活動など、左翼の作法を取り入れて、勢力を拡大してきた。
能川右派のアジェンダは幅広いが、「慰安婦」問題に限っていえば、右派の言説を追いかけてきて「自由」に対する考え方の違いを痛感する。とくに「性奴隷」という言葉に対する言説にそれがはっきりしている。日本政府が激しく反応するのは、「奴隷」であったことを認めることは国際条約違反であったことを認めることになり、それによって軍「慰安所」制度の歴史的評価が定まってしまうのを嫌がっているからだが、右派には、もっと素朴な感覚がある。つまり、給料がもらえるのに奴隷なのか、外出が許されることもあるのなら奴隷ではない、という感覚だ。しかし、奴隷であるかどうかが「鎖が足につながれているかいないか」の問題ではないことを理解するなら、「慰安婦」問題は外国人実習生の問題、AV出演強要問題やブラック企業の問題にもつながる。
右派の「慰安婦」問題認識から分かることは、人間の「自由」を極めて矮小化してとらえていることだ。足が鎖につながれていなければ自由なんだ、と思っているわけだ。だから日本軍「慰安婦」問題に関する彼らの主張にきちんと反論し、そうじゃないんだよと、この社会で示していく。それは、この社会で自由に生きていくことが出来るか、自由に働くことができるか、という問題とイコールだと思う。
安田慰安婦問題でほんとうにむかつくのは、お金もらってたんでしょ、休憩時間もあったんでしょ、というような物言いだ。私たちは、この社会、地域、人間を壊そうとしている差別、排外主義と闘っている。ここに1枚の写真がある。熊本の縫製工場で働く中国人女性実習生が2007年、裁判に勝った時の写真だ。
photo:全労連ホームページより
彼女たちは、時給300円から400円という安い賃金、月に休みが1日あるかないかの長時間労働、そしてパワハラ。ブラック企業のあらゆる悪を詰め込んだような経営者を訴えた。「私たちは奴隷ではない」「勝訴」「奴隷労働反対」。プラカードを持つ女性の笑顔が美しい。
この判決を記事にしたところ、「給料もらっている奴隷がいるのか」という奴がいた。冗談じゃない。足かせをはめられ、手錠をかけられないと奴隷じゃないのか。見えない足かせ、見えない手錠、見えないしばりで、人間は奴隷になるんだ、完璧に。
この裁判の原告代理人に小野寺信勝弁護士がいた。彼は熊本を離れて、いま札幌にいる。植村弁護団事務局長の小野寺さんです。(会場に大きな拍手)
人を人として見ないような視線がこの世の中にあふれている。だれかを排除して生きながらえようとしている人間がいて、だれかを犠牲にしてこの社会を動かそうとする人間がいる。そういう人たち、この社会、地域、人間を壊そうとする差別、排外主義と闘っていきたい。



・・・MORE INFORMATION・・・・・・・・・・・・・・・

■能川元一氏の著作
『憎悪の広告右派系オピニオン誌「愛国」「嫌中・嫌韓」の系譜』(早川タダノリとの共著、合同出版)、『海を渡る「慰安婦」問題右派の「歴史戦」を問う』(山口智美ほかとの共著、岩波書店)、『検証 産経新聞報道』(共著、金曜日)など。
『レイシズムと外国人嫌悪』(小林真生編著、明石書店)、『「慰安婦」問題の現在 「朴裕河現象」と知識人』(前田朗編、三一書房)や『徹底検証 日本の右傾化』(塚田穂高編、ちくま選書)にも寄稿。
■安田浩一氏の著作
『ルポ 差別と貧困の外国人労働者』(光文社新書2010年)、『外国人研修生殺人事件』(七つ森書館2007年)、『ネット私刑』(扶桑社 2015)、『沖縄の新聞は本当に「偏向」しているのか』(朝日新聞出版2017年)など多数。2012年『ネットと愛国』(講談社)で日本ジャーナリスト会議賞、講談社ノンフィクション賞を受賞。2015年『G2(講談社)掲載記事の『外国人隷属労働者』で大宅壮一ノンフィクション賞(雑誌部門)受賞。
■インターネット番組での関連発言
能川氏
▼右派」がネット右翼を認めない理由(辛淑玉氏との対談=のりこえねっとTV、2014.1.29収録、250-4523
▼「15分でわかる!?歴史修正主義」と北星学園大学脅迫事件(平井康嗣氏のインタビュー=週刊金曜日ちゃんねる、2014.11.14収録、3108
安田氏
▼なぜ「愛国者」が憂鬱になるのか(鈴木邦男氏インタビュー=のりこえねっとTV、2014.2.26収録、10045
▼櫻井よしこ完全敗北(野間易通氏とのトーク=のりこえねっとTV、2018.3.28収録、1531-11210


2018年3月25日日曜日

札幌第11回■詳報

upload=2018/03/25 13:30◇update=2018/03/25 17:40本記一部加筆◇update=2018/03/27 21:10集会報告追加 

 櫻井よしこ氏が自身のウソを認める!

「捏造決めつけ」記述にも重大な誤り

次回7月6日に結審、判決は秋以降に

札幌訴訟の第11回口頭弁論が3月23日、札幌地裁で開かれ、原告植村隆氏、被告櫻井よしこ氏に対する長時間の本人尋問があった。
この尋問で、櫻井氏は、いくつかの記述に誤りがあることを認めた。この記述は捏造決めつけの根拠となるものであるため、植村氏に対する誹謗中傷が根も葉もないものであることがはっきりした。櫻井氏本人がウソを認めたことにより、櫻井氏の根拠は大きく揺らぎ、崩れた。櫻井氏はその一部については、訂正を約束した。

傍聴券交付に252人の列
尋問は午前10時30分から、植村氏、櫻井氏の順で行われ、午後5時前に終了した。両氏が法廷内で向かい合うのは第1回口頭弁論(2016年4月)以来2年ぶり。裁判大詰めの場面での直接対決となり、傍聴希望者は最多記録の252人。抽選のために並んだ列は地裁1階の会議室からあふれて廊下、エレベーターホールへと伸びていた。63枚の傍聴券に対する当選倍率は4.0倍となった。関東や関西、九州から前日に札幌入りした植村支援者もこれまた最多の20人ほど。一方で、櫻井氏側の動員によると思われる人たちの姿もいつになく目立った。
満席となった805号法廷は、開廷前から熱気とともに緊迫した空気に包まれた。弁護団席に、植村氏側は34人が着席した。東京訴訟弁護団からは神原元・事務局長ほか6人も加わっていた。櫻井氏側はいつもと同じ7人と新たに2人の計9人。いつもは空席が目立つ記者席は15席すべてが埋まった。傍聴席最前列の特別傍聴席には、ジャーナリスト安田浩一氏、哲学者能川元一氏のほか、新潮社やワックの関係者の姿もあった。

午前10時32分、開廷。裁判長が証拠類の採否を告げた後、植村氏に証言台で宣誓をするように促し、尋問が始まった。尋問の前半は植村氏、後半は櫻井氏。自身の弁護団に答える主尋問、相手側からの質問に答える反対尋問という順で行われ、重要な争点についての考えが明らかにされた。この中で、櫻井氏のこれまでの言説には重大な誤りや虚偽があることがはっきりした。

植村氏の尋問
植村氏は、1991年当時の記事執筆の経緯と、捏造決めつけ攻撃による被害の実態を詳しく説明した(別掲・陳述書要約を参照)。質問は植村弁護団若手の成田悠葵、桝井妙子両弁護士が行った。主尋問は淡々と進み、予定の1時間で終わって昼休みに入った。
午後1時再開。植村氏への反対尋問が始まった。質問したのは、浅倉隆顕(ダイヤモンド社)、安田修(ワック)、野中信敬(同)、林いづみ(櫻井氏代理人)、高池勝彦(同)の5弁護士。尋問は1時間40分にわたった。質問が集中したのは、植村氏が記事の前文で「挺身隊」「連行」という用語を使ったこと、また、本文でキーセン学校の経歴を書かなかったことについてだった。このほかに、記事執筆の開始・終了時間や、慰安婦関連書籍の読書歴、関連記事のスクラップの仕方など、争点とは直接関連のない質問も繰り返された。

植村氏は終始ていねいに答えたが、「吉田証言」についてのやりとりで、怒りを爆発させる場面もあった。
朝日新聞社は1997年に「吉田清治証言」(済州島で「慰安婦」を狩り出したとの証言)について調査チームを作り、検証作業を行った。当時ソウル特派員だった植村氏もチームに加わり、済州島での調査結果メモを提出した。安田弁護士はそのメモについて、2014年に朝日新聞の慰安婦報道を検証した第三者委員会の報告書は「あなたの調査はずさん、という表現をしている」と言った。ところが同報告書には植村メモについて「徹底的な調査ではなかったようである」と書かれているものの、「ずさん」という表現は一切ない。
植村氏は、「名誉棄損裁判の法廷で名誉棄損発言をするのですか」と激しく抗議した。安田弁護士は植村氏の剣幕に圧されて「怒らないで下さい、謝ります」と述べ、そのまま尋問を終えてしまった。廷内のあちこちから失笑と溜息が聞こえてきた。

主任弁護人格の高池弁護士はこれまでの弁論ではほとんど発言しなかったが、今回は質問に立った。しかし、慰安婦問題や植村氏の記事について深く踏み込んだ質問はなかった。意外だったのは、植村氏が朝日新聞を早期退職して大学教授を志した理由や、植村氏が東京と札幌で提訴したことなど、訴訟の基本的な情報についての質問だった。植村氏が、自由な立場で研究と著作活動ができる場として大学教授の道を選んだこと、バッシング当時も現在も札幌市の住民であることを伝えると、高池弁護士は怪訝な表情を浮かべた。初めて知った、という表情に見えた。
植村氏の反対尋問が終わった後、岡山忠広裁判長とふたりの陪席裁判官から、植村記事の「(女子挺身隊の)名で」「連行」の意味、韓国内での「挺身隊」という表現や吉田証言の韓国内での影響などについて、質問があった。植村氏の尋問は午後2時50分に終わり、10分間の休憩に入った。

櫻井氏の尋問
午後3時、再開。櫻井氏の主尋問が始まった。櫻井氏は、林いづみ弁護士の質問に答え、慰安婦問題に関心を持つようになったきっかけと基本的な考え、これまでに行った取材や研究内容を語った。自身の著述や発言に誤りがあるとの指摘についても釈明し、「間違いですからすみやかに訂正したい」と述べた。朝日新聞の慰安婦報道については、「海外で日本の評価を傷つけた」との持論を繰り返し、植村氏の記事についても「意図的な虚偽報道だ」とのこれまでの主張を繰り返した。主尋問は45分で終わった。

続いて植村側の川上有弁護士が反対尋問を行った。川上弁護士は、櫻井氏の著述の問題点を具体的に指摘し、取材や確認作業の有無を徹底的に突いた。ゆっくりと柔らかい口調はまるでこどもを諭す小学校教師のようだが、中身は辛辣なものだった。刑事事件を多く手がけてきたベテラン弁護士ならではの面目躍如である。
川上弁護士は、櫻井氏が書いた記事やテレビ番組での発言を突き付け、櫻井氏が主尋問であらかじめ認めていた間違いについて、畳みかけた。「ちゃんと確認して書いたのですか」「どうしてちゃんと調べなかったのですか」「ちゃんと訂正しますよね」。櫻井側弁護団はその都度、証拠書面の提示を求めた。証言台上の書面を確認し終えた櫻井側弁護士は、自席に戻らずにそのまま立ち続けた。川上弁護士は「いつまでそばにいるんですか、証言誘導の誤解を招きますよ」と指摘した。そうこうするうちに、櫻井氏の声はだんだんと小さくなっていった。

櫻井氏が間違いを認めたのはこういうことだ。
月刊「WiLL」2014年4月号(ワック発行)、「朝日は日本の進路を誤らせる」との寄稿の中で、櫻井氏は「(慰安婦名乗り出の金学順氏の)訴状には、14歳の時、継父によって40円で売られたこと、3年後、17歳で再び継父によって北支の鉄壁鎮というところに連れて行かれて慰安婦にさせられた経緯などが書かれている」「植村氏は、彼女が継父によって人身売買されたという重要な点を報じなかっただけでなく、慰安婦とは何の関係もない女子挺身隊と結びつけて報じた」と書き、植村氏を非難した。しかし、訴状には「継父によって40円で売られた」という記述はない。「人身売買」と断定できる証拠もない。なぜ、訴状にないことを持ち出して、人身売買説を主張したのか。誤った記述を繰り返した真意は明かされなかったが、世論形成に大きな影響力をもつジャーナリスト櫻井氏は、植村氏の記事を否定し、意図的な虚偽報道つまり捏造と決めつけたのである。
川上弁護士は、櫻井氏がWiLLの記事と同じ「訴状に40円で売られたと書かれている」という間違いを、産経新聞2014年3月3日付朝刊1面のコラム「真実ゆがめる朝日新聞」、月刊「正論」2014年11月号への寄稿でも繰り返したことを指摘。さらに、出演したテレビでも「BSフジ プライムニュース」2014年8月5日放送分と読売テレビ「やしきたかじんのそこまでいって委員会」2014年9月放送分で、同じ間違いを重ねたことを、番組の発言起こしを証拠提出して明らかにした。これらの言説が、植村氏や朝日新聞の記事への不信感を植え付け、その結果、ピークに向かっていた植村バッシングに火をつけ、油を注いだ構図が浮かび上がった。

櫻井氏、訂正を約束
では、櫻井氏はなぜ「訴状に40円で売られたと書かれていた」という間違いを繰り返したのか。
櫻井氏は、ジャーナリスト臼杵敬子氏による金学順さんインタビュー記事(月刊「宝石」1992年2月号)が出典であるとし、「出典を誤りました」と主張した。櫻井氏はこれまでに提出した書面でも、「宝石」の記事で金さんが「平壌にあった妓生専門学校の経営者に四十円で売られ、養女として踊り、楽器などを徹底的に仕込まれたのです。ところが十七歳のとき、養父は『稼ぎにいくぞ』と、私と同僚の『エミ子』を連れて汽車に乗ったのです。着いたところは満洲(ママ)のどこかの駅でした」と語ったことを根拠に、「親に40円で妓生に売られた末に慰安婦になった」と主張してきた。だが、川上弁護士は、「宝石」の記事で、櫻井氏の引用部分の直後に、こういう記述があることを指摘した。
「サーベルを下げた日本人将校二人と三人の部下が待っていて、やがて将校と養父の間で喧嘩が始まり『おかしいな』
と思っていると養父は将校たちに刀で脅され、土下座させられたあと、どこかに連れ去られてしまったのです」
つまり、櫻井氏が出典である、と主張する「宝石」にも、養父が40円で売って慰安婦にしたという「人身売買説」の根拠となる記述はどこにもない。むしろ、養父も日本軍に武力で脅され、金さんと強引に引き離されたという証言内容から、櫻井氏が強く否定し続けてきた日本軍による強制的な連行を示す記述があるのだ。
この直後部分をなぜ引用しなかったのか。川上弁護士は、櫻井氏が自身の「人身売買説」に都合の悪い部分を引用せず、植村氏の記事を捏造と決めつけたことのおかしさを指摘した。そして、「櫻井さんは、訴状にないことを知っていて書いたのではないですか」などと述べ、同じ間違いを繰り返した理由を厳しく問い質した。櫻井氏は「訴状は手元にあり、読んで確認もしたが、出典を間違った」と、弁解に終始した。川上弁護士が紙誌名を逐一挙げて訂正を求めると、櫻井氏は「正すことをお約束します」と明言した。ただ、テレビについては「相手のあることなので」と語り、約束は保留した。

じつは、この問題は2年前からくすぶり続けている。2年前、第1回口頭弁論の意見陳述で植村氏は、WiLLと産経新聞の「訴状に40円で売られたと書かれている」という間違いを指摘、「この印象操作はジャーナリストとしては許されない行為だ」と批判した。そして、櫻井氏は口頭弁論後の記者会見で「ジャーナリストですからもし訴状に書かれていないのであるならば、訴状に、ということは改めます」と誤りを認めた。しかし、WiLLでも産経新聞でも、訂正しなかった。そのため、植村氏は2017年9月、東京簡裁に調停申し立てを行い、産経新聞社が訂正記事を掲載するように求めている。その審理はまだ継続している。

櫻井氏が間違いを認めたのはこれだけではなかった。「週刊ダイヤモンド」2014年10月18日号。「植村氏が、捏造ではないと言うのなら、証拠となるテープを出せばよい。そうでもない限り、捏造だと言われても仕方がない」と櫻井氏は書き、その根拠として、「(金学順さんは)私の知る限り、一度も、自分は挺身隊だったとは語っていない」「彼女は植村氏にだけ挺身隊だったと言ったのか」「他の多くの場面で彼女は一度も挺身隊だと言っていないことから考えて、この可能性は非常に低い」と断定している。
この記者会見は1991年8月14日に行われた。韓国の国内メディア向けに行われたので、朝日新聞はじめ日本の各紙は出席していない。植村氏も出席していない。しかし、記者会見で金学順さんはチョンシンデ(韓国語で「挺身隊」)をはっきりと口にしている。それは、韓国の有力紙「東亜日報」「京郷新聞」「朝鮮日報」の見出しや記事本文にはっきりと書かれている。
櫻井氏はこの点について「これを報じたハンギョレ新聞等を確認した」と述べている。たしかにハンギョレ新聞には「挺身隊」の語句は見当たらない。しかし、そのことだけをもって断定するのは牽強付会に過ぎるだろう。川上弁護士は、韓国3紙の記事反訳文をひとつずつ示し、櫻井氏の間違いを指摘した。櫻井氏は、間違いを認めた。櫻井氏の取材と執筆には基本的な確認作業が欠落していることが明らかになった。

櫻井氏の22年前の大ウソ
川上弁護士は最後に、櫻井氏の大ウソ事件について質問した。
1996年、横浜市教育委員会主催の講演会で櫻井氏は「福島瑞穂弁護士に、慰安婦問題は、秦郁彦さんの本を読んでもっと勉強しなさいと言った。福島さんは考えとくわ、と言った」という趣旨のことを語った。ところが、これは事実無根のウソだった。櫻井氏は後に、福島氏には謝罪の電話をし、福島氏は雑誌で経緯を明らかにしているという。
「なかったことを講演で話した。この会話は事実ではないですね」
「福島さんには2、3回謝罪しました。反省しています」
「まるっきりウソじゃないですか」
「朝日新聞が書いたこともまるっきりのウソでしょう」
最後は重苦しい問答となった。こうして、70分に及んだ櫻井氏の尋問は終わった。櫻井弁護団からの補強尋問はなかった。裁判長からの補足質問もなかった。

尋問終了後、岡山裁判長は今後の進め方について双方の意見を求めた上で、次回口頭弁論で結審すると宣言した。閉廷は予定通りの午後5時だった。

次回開催日は7月6日(金)。開廷は午後2時。この日、最終弁論で双方がまとめの主張を行って審理は終結し、9月以降に予想される判決を待つことになる。

※集会報告は下に続いています。

報告集会と記者会見

update : 2018/03/28 11:45 写真追加
❶報告集会❷安田氏❸能川氏❹植村氏会見❺櫻井氏会見
会見、集会でも櫻井氏にきびしい批判
「幕切れの朝日ウソつき発言は櫻井氏の捨て台詞、悲鳴だ」(秀嶋弁護士)
「植村氏への非難がみごとに櫻井氏自身に帰ってきた」(能川氏)
「デマと捏造、安倍政権の提灯持ちの櫻井氏、水に落つ、だ」(安田氏)

裁判報告集会は午後6時30分から、札幌駅近くの北海道自治労会館4階ホールで開かれた。朝からの本人尋問の傍聴を終えた人、傍聴券の抽選に外れた人、仕事などで傍聴ができなかった市民ら、約170人が参加した。
最初に、前札幌市長の上田文雄さん(植村裁判を支える市民の会共同代表)が、あいさつ。「前回の証人尋問に出た喜多義憲さん(元北海道新聞記者)と同じジャーナリスト魂、同じ思いを、植村さんがきょうの法廷で示していた。市民の目、耳、頭脳となるジャーナリズムが、民主主義を育て、自由、人権を守っていくのだと思う」。続いて、本人尋問を担当した弁護士3人が順に、尋問で引き出そうとしたねらいなどを説明した。櫻井氏の反対尋問をひとりで行った川上有弁護士は、「櫻井は本件に関してあちこちで書き、発言しているが、十分な調査をしていないことは明白だった。それを明らかにする資料がどれだけ集まるかが勝負だったが、支援グループにリクエストしたら次々に集まった。それらを整理し客観資料を振り分けるだけで、彼女のウソや不十分な調査が浮き彫りになった」と、尋問の舞台裏の一端を明かした。
植村隆氏は「厳しい反対尋問を覚悟していた。被告側の弁護士は私への質問を共有していないようだった。私の名誉を棄損しようとした弁護士もいた。朝日新聞の第三者委員会報告で、吉田証言についての私の調査が『徹底的なものではなかったようである』とあったのを、彼は『ずさん』といった。即座に反論したが、黙っていたら、『ずさん』が事実にされてしまうところだった」と語った。
対談「ネット右翼はいま」では、哲学者能川元一氏とジャーナリスト安田浩一氏が、旧来のイメージとは様変わりした「右翼」の危険な現状を語り合った。能川、安田両氏とも対談の前、朝から夕方までこの日の裁判すべてを傍聴した。その感想を、対談の冒頭で次のように語った。
能川氏「櫻井さんが植村さんに言ってきた、ずさんだとか捏造だ、に事実誤認があることが動かしがたく明らかになった。植村さんに対して投げかけてきた非難がみごとに櫻井さん自身に帰ってきた尋問だった」
安田氏「櫻井さんは安倍政権の代弁者、というより提灯持ちだ。提灯持ち水に落ち、という言葉もある。主人の足元を照らしているうちに自分の足元が見えなくなって、気がついたら水に落ちていた、ということだろう。日本社会を良くしていくためにはデマと捏造は許さない。そのことを植村さんの弁護団は法廷で示してくれた」
※対談「ネット右翼はいま…」は後日掲載します

記者会見での発言

植村氏と櫻井氏は、閉廷後、札幌市内のそれぞれ別の場所で記者会見をした。
植村氏側
弁護団事務局長の小野寺信勝弁護士は「櫻井氏は、取材を尽くして植村氏の批判をしたのかが尋問のポイントだった。捏造批判のよりどころとなっていた金学順さんの訴状を参照せず、訴状にそんな記述がないのに櫻井氏は『継父に人身売買され40円で売られた』たとした。自分の都合のいい部分だけ論文から利用するなど、調査の不足、意図的な手抜きがあったと考えられる」と述べた。秀嶋ゆかり弁護士は「被告側は、連行=強制連行、挺身隊=勤労挺身隊に引き付けようとする尋問だった。40円問題は、櫻井さんが繰り返し書いたりテレビで発言しており、その都度確認していないことが鮮明になった。22年前の講演会の架空発言を認め、朝日新聞もウソをついたでしょ、と尋問の幕切れで答えた。そう言うしかない櫻井さんの捨て台詞、悲鳴のように感じた」と語った。
植村氏は「私の記事が捏造ではないことを十分証明できたと思う。櫻井さんがいかに取材せず、捏造記者と言っているかも明らかになったと思う。書いた記事がこうして捏造呼ばわりされることは、みなさんにも起きる。私が直面している問題は、すべてのジャーナリストが直面する可能性がある」と話した。
櫻井氏側
林いづみ弁護士は「40円問題」について「金学順さんの訴状、40円を記載している月刊誌の論文、ソウルの共同記者会見を報じた現地紙からの出典を、勘違いしていた。間違ってはいないが、勘違いした点については各出版社と相談し訂正する、と主尋問で申し上げている。原告側は反対尋問で、このことだけに絞って質問したが、まったく意味のない尋問だったのではないか」と評した。櫻井氏は「韓国で慰安婦が挺身隊と表現されていたことは事実です。慰安婦という意味で、挺身隊だった、と言っている女性もいた。問題は、従軍慰安婦の生き残りのひとりがソウルにいたことについて『女子挺身隊の名で戦場に連行され』と書かれていることです」と述べた。


2018年3月23日金曜日

札幌第11回速報!

櫻井よしこ氏が自身のウソを認める!

裁判の核心、「捏造決めつけ」の根拠が揺らぐ重大な展開
次回7月6日(金)に結審へ


札幌訴訟の第11回口頭弁論が3月23日、札幌地裁で開かれ、原告植村隆氏、被告櫻井よしこ氏に対する長時間の本人尋問があった。

この尋問で、櫻井氏は、いくつかの記述に誤りがあることを認めた。この記述は捏造決めつけの根拠となるものであるため、植村氏に対する誹謗中傷が根も葉もないものであることがはっきりした。櫻井氏本人がウソを認めたことにより、櫻井氏の根拠は大きく揺らぎ、崩れた。植村裁判は終盤のヤマ場で、核心部分に関わる重大な展開をみせた。

尋問は午前10時30分から、植村氏、櫻井氏の順で行われ、午後5時前に終了した。両氏が法廷内で向かい合うのは第1回口頭弁論(2016年4月)以来2年ぶり。裁判大詰めの場面での直接対決となり、傍聴希望者はこれまでで最多の252人。抽選のために並んだ列は地裁1階の会議室からあふれて廊下、エレベーターホールへと伸びていた。63枚の傍聴券に対する当選倍率は4.0倍となった。関東や関西、九州から前日に札幌入りした植村支援者もこれまた最多の20人ほど。一方、櫻井氏側の動員によると思われる人たちの姿もいつになく目立った。
満席となった805号法廷は、開廷前から熱気とともに緊迫した空気に包まれた。弁護団席に、植村氏側は34人が着席した。東京訴訟弁護団からは神原元・事務局長ほか6人も同席した。櫻井氏側はいつもと同じ7人に新たに2人が加わった。いつもは空席が目立つ記者席は15席すべてが埋まった。傍聴席最前列の特別席には、ジャーナリスト安田浩一氏、哲学者能川元一氏のほか、新潮社やワックの関係者の姿もあった。

次回は7月6日(金)。この日の最終弁論で結審することになった。

update:2018/3/24 9:10am

地裁に向かう植村さんと弁護団(3月23日午前10時ころ)

本人尋問に注目を!


きょう! 札幌訴訟第11回口頭弁論

323()10:3017:00 札幌地裁805号法廷

 植村裁判札幌訴訟は、いよいよ終盤最大のヤマ場を迎えました。原告植村隆さんと被告櫻井よしこ氏が出廷します。昼の休憩をはさんで5時間、双方の弁護団により植村さんと櫻井氏に対する尋問が順に行われ、いずれも激しいやりとりとなることが予想されます。

これまでの10回の口頭弁論で植村さん側は、被告櫻井氏の言説について、①違法性と悪質性がある、②「事実の摘示」であり「論評・意見」ではない、③損害をもたらした脅迫行為に関連性がある、ことを具体的事実(証拠)と法律的観点(理論)に基いて主張してきました。これに対して被告櫻井氏側はほぼ全面的な否定を繰り返しました。
論点は出尽くし、残されているのは、植村さんと櫻井氏それぞれの生の主張とそれに対する質問です。お二人の主張は第1回口頭弁論(20164月)で行われた意見陳述ですでに明らかになっていますが、今回の本人尋問で植村さんは、質問に答える中で、1991年に記事を書いた当時の詳細な経緯も明らかにし、「記事は捏造ではなく、櫻井氏の決めつけには重大な過誤と故意がある」と改めて主張し、さらに、櫻井氏は取材執筆にあたって歴史的な事実にどう向き合い、確認、検証しているのか、また植村さんの受けた被害、損害にどのような責任を感じているのか、との疑問を投げかけるものと予想されます。この疑問に対して被告櫻井氏はきちんと答えられるか。証言台に立つ櫻井氏をきびしく注視したいと思います。

本人尋問を前に、争点と経過をおさらいするために、その概要を、「徹底解説マガジン・植村裁判」4~5ページから収録します(一部書き直しあり)。

植村裁判・なにが争われているのか


――植村裁判とはなにか、わかりやすく説明してください。
元朝日新聞記者の植村隆さんが、週刊誌やインターネット上で「捏造記者」と誹謗中傷されたことに対して、名誉回復を求めて起こした民事訴訟です。植村さんが求めているのは、慰謝料の支払いと謝罪広告の掲載です。訴えた相手、つまり被告は東京が元東京基督教大学教授の西岡力氏と株式会社文藝春秋、札幌がジャーナリストの櫻井よしこ氏と出版3社(新潮社、ダイヤモンド社、ワック)です。

――そもそもの発端はなんですか。
植村さんが1991年に書いた2本の新聞記事です。植村さんは、日本軍慰安婦だった韓国人女性(金学順さん)が支援団体の聞き取りに初めて応じた、と書きました=写真右。それを「捏造」だと被告たちが繰り返し主張しました。その結果、本人の記者としての名誉を傷つけられただけでなく、家族、そして、教授に就任することになっていた神戸松蔭女子学院大学と、非常勤講師をつとめていた北星学園大学に、電話、メール、ファクスや脅迫状などが殺到しました。

――訴えの理由と争点をわかりやすく説明してください。
植村さんが裁判に訴えた理由は、「私は捏造記者ではない」ということに尽きます。「捏造」という表現は、新聞記者にとっては最大級の侮辱であり、死刑宣告に等しい。名誉棄損の極みです。西岡氏は、書籍(草思社)、雑誌(正論、中央公論、週刊文春)、インターネット(歴史事実委員会という団体のサイト)で植村さんの記事を「捏造」と決めつけました。週刊文春は2014年2月と8月、「“慰安婦捏造”朝日新聞記者がお嬢様女子大教授に」、「慰安婦火付け役朝日新聞記者はお嬢様女子大クビで北の大地へ」というタイトルの記事を出し、名誉棄損に加えて植村バッシングに火を付け、油を注ぎました。

――「捏造記者」という表現が最大の争点になっているのですか。
事実関係で争点になっているのは、「捏造記者」という決めつけの前提とされている3つのファクトについてです。植村さんが①義理の母親の裁判に便宜を図るために記事を書いた、②慰安婦と挺身隊を結び付けた、③金さんの経歴を隠した、というものです。順に説明します。
①義母の裁判への便宜など図っていません。金さんは日本政府を相手取った訴訟を起こし、義母はその訴訟を支援した団体の幹部でした。ここまでは事実です。しかし、植村さんが金さんの名乗り出の記事を書いた時、金さんに提訴の予定はなく、また、金さんと義母はお互いに面識がなかった。植村さんが大阪から出張して取材した理由についても、特別なわけがあったのではないかと推測する向きがありますが、植村さんは1年前から慰安婦の所在を追いかけており、そのことを知っていたソウル支局長が金さん名乗り出の情報をつかみ、植村さんを呼んだのです。当時のいきさつについては、東京の第4回の口頭弁論で、朝日新聞の関係者3人が陳述書を提出し、便宜説を完全否定しています。
②慰安婦と挺身隊を結び付けた、つまり「強制連行」を印象付けようとした、という批判ですが、韓国ではメディアも市民も慰安婦のことを挺身隊と言っていたし、日本のメディアも一様に「挺身隊の名で連行された」を慰安婦の枕詞にしていました。また、植村さんの記事は「強制連行された」ではなく「だまされて」と書いています。ことさら問題にすることではありません。
③金さんは妓生学校に通っていた、また義父に身売りされたことを記事にせず、これも「強制連行」を印象付けようとした、という指摘ですが、妓生学校を意図的に隠したわけではなく、また、身売りされたという話は本人の口からは聞いていません。
このように、3点とも言いがかりといっていい中傷です。とくに②③は植村さんだけではなく、他紙もすべて横並びで同じ表現で記事を書いているのです。なのに、植村さんだけが標的にされています。①は植村さんだけにかかわることですが、2014年8月に朝日新聞の慰安婦報道全体を検証した第三者委員会は、「植村が個人的な縁戚関係を利用して特権的に情報にアクセスしたなどの事実は認められない」と報告書に明記しています。西岡氏もさすがに分が悪いと察したのか、裁判の書面の中で、「被告西岡の推論過程を述べたものに過ぎず、事実を断定したものではない」などと逃げています。そもそも、西岡氏は当事者つまり植村さんにいっさい取材していないのです。どうして当事者に取材しなかったのか、という植村さん側の質問(求釈明)に対して、「論評を書くにあたっては取材は必要ない」と第8回弁論の書面で答えています。西岡氏だけでなく、櫻井氏も当事者取材はしていません。

――「捏造」呼ばわりの前提そのものが崩れ落ちている。そのことが裁判でも明らかになった、ということですね。
その通りです。植村さんが記者としての取材の倫理をしっかり守っていたことが改めて明らかになったわけで、裁判に訴えた意義はあったと言っていいでしょう。

――裁判は東京と札幌の2カ所で行われています。なぜですか。
被告はすべて東京の人間と会社ですから、東京で裁判をするのが普通です。しかし、植村さんは札幌の住人であり、被害は札幌で起きています。家族を含めた脅迫被害からの保護と身の安全を求めなければならない、という地元ゆえの緊急性もあったのです。札幌はじめ道内の非常にたくさんの弁護士が札幌でも裁判を、と強力にプッシュしたことも大きな原動力になりました。

――東京と札幌ではどこがちがうのですか。
訴えの理由は同じ、争点も同じです。違うのは訴えている相手です。それと、裁判長の訴訟指揮の違いによって進み具合にも差が出ていることです。札幌は快速電車、東京は各停という感じかな。
書面を双方が提出し合って進む民事裁判なので、法廷は、東京も札幌も静かです。大きな声が響くのは植村さん側弁護士が書面の要旨を朗読するときだけです。内容は相当きつい表現でも、被告側が立ち上がって反論するようなことはありません。ただ、審理の進め方を巡っては意見がぶつかり、緊迫することがあります櫻井氏側は全面対決の姿勢を崩していません。本人は法廷には初回の口頭弁論しか出席していませんが、その時の意見陳述は、朝日新聞批判に始まり、最後に地元の労組を皮肉るなど、裁判の本筋から外れることも気にしていないように見えました。

――裁判の核心は、名誉棄損であるかどうか、だと思います。それは争点にならないのですか。
もちろん重要な最大の争点です。名誉棄損であるかどうかは、基準を具体的に定めた特別の法規はなく、これまでの判例に則るのが通例です。そのさい、その表現が「論評、意見」なのか、「事実の摘示」なのか、で違いがあります。「論評」であれば、憲法が保障する「言論の自由」の範囲内として名誉棄損を認めないケースが多い。「事実の摘示」であれば、それが真実であり、公共性、公益目的もある、などの場合を除き、名誉棄損とする判例が多いのです。だから、東京も札幌も裁判が始まってすぐに応酬がありました。植村さん側は、東京訴訟では西岡氏と文春の計24カ所すべて、札幌訴訟では櫻井氏の計14カ所を「事実の摘示」だと主張しました。これに対して、西岡氏、文春側はすべてを「論評」とし、櫻井氏側は最初、すべてを「論評」としたものの、途中で一部を「事実の摘示」だと認めています。

――「事実」ではないのに「事実の摘示」なのですか。
「事実」は証拠で立証できるものを指し、証拠で立証できない「論評」と区別しています。立証できない「事実」は「虚偽の事実」となります。植村裁判で争点になっているのは、西岡、櫻井両氏による「虚偽の事実の摘示」です。別の言い方をすれば、「論評」はオピニオン、「虚偽の事実の摘示」はデマである、となるでしょう。

――争点はほかにもありますか。
あります。植村さんと家族が、脅迫やプライバシーの侵害、ネットの中傷などで受けた数々の被害、損害をどうとらえるか、ということです。裁判では「損害論」といいます。名誉を棄損され、社会的評価を落とされたから損害賠償をせよ、というのが植村さんの請求の趣旨です。これに対して被告側は、名誉棄損表現はしていない、と主張しているわけですから、損害の有無について反論する必要を認めていません。植村さん側は、脅迫メールなどで平穏な生活を奪われたことも損害に加えています。「捏造」と言われて名誉を傷つけられただけでなく、就職先を奪われたり、家族まで脅迫されたり、と深刻な人権侵害を受けているからです。被告側は脅迫行為などは誘導していない、因果関係もまったくない、と突っぱねています。

――争点は明らかになり、対立したままではあるけれど、議論や応酬は尽くされたということでしょうか。
札幌は、裁判長がそのように宣言し、証人尋問の期日(2018年2月16日、3月23日)が決まりました。最終段階に近づいています。東京もいよいよ大詰めにさしかかります。