2018年7月6日金曜日

札幌訴訟12回結審

update 2018/7/7 9:00am
update 2018/7/7 9:15pm
判決は11月9日(金)午後3時30分に
■伊藤弁護士 「ジャーナリストの基本的営為を怠った」と櫻井氏を批判
■植村隆さん 「金学順さんの言葉の重み」「家族と支援者への感謝」を語る

植村裁判札幌訴訟の第12回口頭弁論が7月6日午後、札幌地裁で開かれ、すべての審理を終了した。提訴から3年5カ月、審理開始からはおよそ2年3カ月を費やしての結審となった。判決は、11月9日(金)午後3時30分から、札幌地裁805号法廷で言い渡される。

午後2時、805号法廷で開廷。植村弁護団の席と傍聴席はいつものように埋め尽くされた。
植村弁護団はこれまでの主張と訴えをまとめた最終準備書面を提出し、伊藤誠一弁護士(植村弁護団共同代表)と植村隆さんがが最後の意見陳述を行った。被告櫻井氏側からも書面が提出されたが、意見陳述はなかった。櫻井側主任格の高池勝彦弁護士は欠席した。

意見陳述で伊藤弁護士は、この裁判の意味と被告櫻井氏の批判に力点を置いて訴えた。
「傍聴券を得るために毎回長い列を作って並んだ市民のみなさんに共通する思いは、市民社会の自由の淵源である表現の自由に関わる、平易とは思われない事案の審理を司法がどのように指揮し、どう裁くのであろうか、という一点に集中させていた、ということではなかったか」
「被告櫻井は、日本軍慰安婦問題について自らとイデオロギーを共有するらしい一、二の研究者と面談し、その書いたものを参照したことはあったようであるが、その余の客観的資料に直接当たって、これを読みこむというジャーナリストとして最も基本的な営為を怠ったことが明らかになった」
と述べ、最後に、
「特定の思潮の下にある人たちにとって受け入れがたいという理由のみで、憎悪が、一瞬にして爆発的に増幅されて拡散するというインターネット社会の特徴が巧みに利用されて、植村さんが名誉を傷つけられているというべき本事案について、司法的な解決を求めているこの訴訟に相応しい救済をしていただくよう、そして将来起こりかねない類似の例をあらかじめ防ぐに足る判断をしていただくよう、改めて求める」
と語った。

つづいて植村さんが陳述した。植村さんは、緊張と心労で裁判に臨んだ日々を振り返り、金学順さんの言葉の重み、家族と支援者への感謝の思い、櫻井氏への批判を語った後、
「絶望的な状況から始まったが、希望の光が見えてきたことを実感している。私は、もう一度、大きな声で訴えたい。私は捏造記者ではありません。裁判所におかれては、私の意見を十分聞いて下さったことに感謝しています。公正な判決が下されることを期待しています」と結んだ。
その後、岡山忠広裁判長が判決日時を確認し、「どうもお疲れさまでした」と一言だけ述べた。閉廷は午後2時26分だった。

この日の札幌は数日来の長雨が小休止し、束の間の陽光が雲間から時折もれた。気温17度。開廷30分前までに傍聴券交付のために並んだ人は113人。66席の傍聴席に1.7倍の倍率となった。

札幌地裁に向かう植村さんと弁護団


7月6日の報告集会

札幌訴訟第12回口頭弁論の後、午後6時半から9時まで札幌エルプラザ3階ホールで報告集会が開かれ、110人の参加があった。「支える会」共同代表の北岡和義さんがあいさつ、弁護団から小野寺信勝事務局長と伊藤誠一共同代表が報告した後、永田浩三・武蔵大教授が「いま報道の自由を考える~不信と憎悪の時代に」と題して1時間講演、最後に東京弁護団の穂積剛弁護士が東京訴訟の現状を報告した。
詳報は後日掲載

ひとこと選(発言順)
北岡和義さん植村君がやったことは間違ってない。勇気と努力に敬意を表する。これからも胸を張って闘っていこう。
小野寺信勝弁護士櫻井本人尋問は大きな成果があった。産経とWiLLは訂正し、ネット世論にも櫻井批判が多くなっている。
伊藤誠一弁護士ジャーナリストに求められる正直さ、清廉さを植村さんは貫いた。櫻井さんには基本的な所作、動作がなかった。
永田浩三さんいまいちばん大事なことは意見の多様性を認めること、そしてメディアと市民、読者、視聴者が連帯することだ。
穂積剛弁護士東京訴訟も大詰めを迎える。9月5日、植村さんと被告西岡氏、文春記者の本人尋問に注目してください。

中段左から北岡さん、小野寺さん、伊藤さん、穂積さん、下段永田さん


最終意見陳述の全文

2018年7月6日、札幌訴訟第12回口頭弁論(結審)

■伊藤誠一弁護士(植村弁護団共同代表)

口頭弁論の終結に当り、本事案の審理の初頭から今日まで参加させていただいた原告代理人の一人として、2、3申し上げる。

第1.
本事案の、第1回から第12回の本口頭弁論期日まで、傍聴人の抽選が行われ、傍聴席が埋まった。法廷の空気は、毎回緊張感に満ちたものであったといえる。
合議体におかれては、過ぎた緊張感を和らげていただくべく傍聴席への語りかけを含み、的確な訴訟指揮を貫いていただいた。
傍聴券を得るために、その都度、長時間列をつくって並ばれた市民のみなさんの思いには、共通するものがあったであろう。それは市民社会の自由の淵源である言論、表現の自由に関る、平易とは思われない事案の審理を、司法がどのように指揮し、どう裁くのであろうか、という一点に関心を集中させていた、ということではなかったか。

第2.
原告が本事案の審理の対象としたのは、本来、自由・闊達・柔軟であるべき言論空間が、四半世紀前の日本軍慰安婦報道の、記事表現に対する強迫的言辞・威嚇によって歪められ、萎縮させられ、狭隘化させられていた、言論空間において、被告らによって繰り返された原告に対する名誉毀損行為の違法の程度である。

1)本事案の審理を通じてジャーナリズムに期待される清廉性・インテグリティ(integrity)の内容が、本事案の審理を通じて具体的に明らかになったと考える。
まず、原告の記事について、取材の経過とその内容が明らかになった。それを要約すると、原告は真摯な取材に基づいて「確認されうる限り、真実とほとんど同じ真実を伝える」(1933年にユージン・メイヤーが起草したというワシントンポストの基本方針の一つ。ビル・コヴァッチほか編『ジャーナリズムの原則』日本経済新聞社2011年8月、49頁から)という、ジャーナリズムの基本に則って記事を書いた、ということが改めて示された。この四半世紀、その取材方法の正統性や内容の正確性が合理的な根拠をもって問われたことはなかったということがこれを裏付ける。
これに対し、被告櫻井の論文はどうであったであろうか。被告櫻井は、日本軍慰安婦問題について自らとイデオロギーを共有するらしい1、2の研究者と面談し、その書いたものを参照したことはあったようであるが、その余の客観的資料に直接当って、これを読み込むというジャーナリストとして最も基本的な営為を怠ったことが明らかになった。

2)日本軍慰安婦にされた被害者が、いわゆるカミングアウトしたとして、日本で広く報道された初めは、1991年8月14日の金学順さんへの単独インタビュー、金さんによる記者会見以降の、北海道新聞記事、あるいは記者会見を受けた国内報道からである。
被告らは、その数日前に、録音テープの聴き取りなど全う限りの取材にもとづいて書いて成立した記事の、「女子挺身隊の名で戦場に連行され(た)…『朝鮮人従軍慰安婦』のうち一人が」という表現を標的にして、責め立てる。
ところで、真摯な取材結果に基づくこの記事の表現が、何故、読者を誤導させるというのであろうか。被告らは多弁を用いたが、説得的であったとは到底いえなかった。大体において、朝日新聞の購読者のうち、この記事をリアルタイムで目にすることができる人は限られていた。少なくとも関東圏に住む市民は、翌日、東京版の編集された記事によって、はじめて概要を目にすることができたのであり、しかも、被告らが執拗に問題にするその表現の前段はそこになかったのであって、読者はこの表現が前日付けの大阪版の記事に含まれているなどということは知る由もなかったのである。
被告らは、自由であるべき言論空間が、記事をめぐり、原告、その家族や勤務先に危害を加えるという脅迫、暴力的言辞を含み、醜く歪められていたとしか評することができない状況の下で、これを知りつつ、およそ半年間にわたり、6本もの論文によって、「捏造」と断定し、虚偽報道と決めつけて、集中的に攻撃し続けたのである。
しかし、原告への記事と前後して報道された、同じ表現をもってなされた他の複数の報道への批判は全くなかった。被告櫻井は、これらを自らのオフィシャルサイトに今も掲載し続けている。なぜであろうか。それは、朝日新聞記者による朝日新聞の記事であったからに他ならない。
そこに、原告に対する被告櫻井の言説とこれらを媒介する被告出版各社の私的で、特殊扁頗といえる特徴をもつことが見てとれる。換言すると、被告櫻井らによる言論表現に公共性も公益性も読み取ることは困難であるということが、証拠調べの結果明らかになったといえる。

3)言論空間が何人に対しても開かれていることは、民主主義が生命力を保ち続ける上で、絶対に欠かせないことである。日本軍慰安婦をめぐる事実、意見についても同じであって、これをタブー視することを私どもは認めることはできない。
ある歴史的な出来事、事実に言及することが、表現者やその周辺に対する暴力的言辞や強迫を招くということになれば、そのことをテーマにする表現行為が、これに脅え、萎縮してしまいかねない。言論空間に一度この意味での萎縮が生じてしまうと、これをあるべき健全な姿に復元するためには、多くの、並々ならぬ努力・エネルギーが必要であることは、経験的に誰もが知る。
4)話は、当時の言論空間のあり方そのものではないが、合議体には、甲第11号証の末尾に掲載された「負けるな!北星」のアピールについて、バッシングの只中にあって、顕名で賛同した1000名を超える人たちの勇気について思いを馳せていただきたい。
北星学園大学は、本事案にも関連する外からの謂れのない脅迫、暴力的言辞が直接加えられる中にあって、学生の安全と研究の持続をどう保障すべきか、原告の雇用を継続するのか否かを巡り、困難な状態に追い込まれていたことは広く知られたところであったが、北星学園大学は、「大学内外の力に支えられた」と公けに表明しつつ、自治的に雇用継続を決断した事実があったからである。

第3.
この訴訟では、言論の自由、表現の自由の侵害状態を排除して、自由の保証を実現する上で、司法が果たし得る役割も話題になった。
被告櫻井は、本訴訟について、「まるで運動論であるかのように司法闘争を持ち込んだ」とし、その手法は、「言論・報道の自由を害するもの」と述べる(乙イ39陳述書)。果たしてそうであろうか。この訴訟を傍聴された多くの方はそうは思わなかったのではないであろうか。

ちなみに、被告櫻井は週刊文春で、「暴力をあおったことなど一度もない」と述べる。西岡力氏との対談における発言であるが、そのように述べた後、「社会の怒りを掻き立て、暴力的言辞を惹起しているものがあるとすれば、それは朝日や植村氏の姿勢ではないでしょうか」と発言している。これらの発言が、「朝日新聞よ、被害者ぶるのはお止めなさい―“OB記者脅迫”を錦の御旗にする姑息」と題された記事の中でなされていることをみると、それこそ一般の読者は、暴力をあおっていない、という先の言にも拘らず、被告櫻井が「報道の自由を脅かす暴力」を容認していると読み取るであろう。

最近、被告櫻井の訴訟代理人のお一人が、『反日勢力との法廷闘争―愛国弁護士の闘ひ』(展転社、平成30年3月)著書を上梓された。著者は、本訴訟に関連させて「匿名の者による誹謗中傷をとめるために、それとは無関係に堂々と論戦を挑んでいる者に対して裁判を起こすという方法は間違っている」(同書p219)と断定的に述べておられる。
著者が「堂々と論戦を挑んでいる」とされた被告櫻井の各論稿の評価は、これまで述べた言論のあり方をめぐる関係性の下で理解されるべきである、この点につき十分な掘り下げをすることを回避して、本訴訟を「言論の自由と個人の人格権がどのやうに調和されるべきかといふ訴訟である。」と規定しつつ、「どんな場合にも他人の人格権を傷つけてはならないとすると言論が大幅に制限されることになる。」と述べるところ(同書p215)は、遺憾ながら、法の支配の下、個別正義のありようを探る法的思考態度とは相容れないものである、と考える。

合議体におかれては、ジャーナリストである前に、一人の市民であり、生活者である原告が、ある歴史的事実に関ってした表現行為が、その事実の理解をめぐる特定の思潮の下にある人たちにとっては、受け容れ難い、という理由のみで、憎悪が、一瞬にして爆発的に増幅されて拡散するというインターネット社会の特徴が巧みに利用されて、名誉を傷つけられているというべき本事案について、司法的な解決を求めているこの訴訟に相応しい救済をしていただくよう、そして将来起こりかねない類似の例を予め防ぐに足る判断をしていただくよう、改めて求める。


■植村隆さん(植村裁判札幌訴訟原告)

今年3月、支援メンバーらの前で、直前に迫った本人尋問の準備をしていました。「なぜ、当該記事を書いたのか」、背景説明をしていました。こんな内容でした。

私は高知の田舎町で、母一人子一人の家で育ちました。豊かな暮らしではありませんでした。小さな町でも、在日朝鮮人や被差別部落の人びとへの理不尽な差別がありました。そんな中で、「自分は立場の弱い人々の側に立とう。決して差別する側に立たない」と決意しました。そして、その延長線上に、慰安婦問題の取材があったと説明していました。

その時です。突然、涙があふれ、止まらなくなり、嗚咽してしまいました。
新聞記者となり、差別のない社会、人権が守られる社会をつくりたいと思って、記事を書いてきました。それがなぜ、こんな理不尽なバッシングにあい、日本での大学教員の道を奪われたのでしょうか。なぜ、娘を殺すという脅迫状まで、送られて来なければならなかったのでしょうか。なぜ、私へのバッシングに北星学園大学の教職員や学生が巻き込まれ、爆破や殺害の予告まで受けなければならなかったのでしょうか。「捏造記者」と言われ、それによって引き起こされた様々な苦難を一気に思い出し、涙がとめどなく流れたのでした。強いストレス体験の後のフラッシュバックだったのかもしれません。

本人尋問が迫るにつれ、悔しさと共に緊張と恐怖感が増してきました。反対尋問では再び、あのバッシングの時のような「悪意」「憎悪」にさらされるだろうと思ったからです。
「そうだ、金学順(キム・ハクスン)さんと一緒に法廷に行こう」と考えました。そして、金学順さんの言葉を書いた紙を背広の内ポケットに入れることにしたのです。
この紙は、私に最初に金学順さんのことを語ってくれた尹貞玉(ユン・ジョンオク)先生の著書の表紙にあった写真付の著者紹介の部分を切り取ったものです。その裏の、白い部分に金学順さんが自分の裁判の際に提出した陳述書の中の言葉を黒いマジックで、「私は日本軍により連行され、『慰安婦』にされ人生そのものを奪われたのです」と書きいれました。
私の受けたバッシング被害など、金さんの苦しみから比べたら、取るに足らないものです。いろんな夢のあった数えで17歳の少女が意に反して戦場に連行され、数多くの日本軍兵士にレイプされ続けたのです。絶望的な状況、悪夢のような日々だったと思います。
そして、私は、こう自分に言い聞かせました。「お前は、『慰安婦にされ人生を奪われた』とその無念を訴えた人の記事を書いただけではないか。それの何が問題なのか。負けるな植村」
金さんの言葉を、胸ポケットに入れて、法廷に臨むと、心が落ち着き、肝が据わりました。

きょうも、金さんの言葉を胸に、意見陳述の席に立っています。
私は、慰安婦としての被害を訴えた金学順さんの思いを伝えただけなのです。
そして「日本の加害の歴史を、日本人として、忘れないようにしよう」と訴えただけなのです。韓国で慰安婦を意味し、日本の新聞報道でも普通に使われていた「挺身隊」という言葉を使って、記事を書いただけです。それなのに、私が記事を捏造したと櫻井よしこさんに繰り返し断定されました。

北海道新聞のソウル特派員だった喜多義憲さんは私の記事が出た4日後、私と同じように「挺身隊」という言葉を使って、ほぼ同じような内容の記事を書きました。記事を書いた当時、私との面識はなく、喜多さんは私の記事を読んでもいなかったのです。喜多さん自身が直接、金学順さんに取材した結果、私と同じような記事を書いた、ということは、私の記事が「捏造」でない、という何よりの証拠ではないでしょうか。その喜多さんは、2月に証人として、この法廷で、櫻井よしこさんが私だけを「捏造」したと決め付けた言説について、「言い掛かり」との認識を示されました。
そして、こうも述べられました。「植村さんと僕はほとんど同じ時期に同じような記事を書いておりました。それで、片方は捏造したと言われ、私は捏造記者と非難する人から見れば不問に付されているような、そういう気持ちで、やっぱりそういう状況を見れば、違うよと言うのが人間であり、ジャーナリストであるという思いが強くいたしました」この言葉に、私は大いに勇気づけられました。

1990年代初期に、産経新聞は、金学順さんに取材し、金学順さんが慰安婦になった経緯について、少なくとも二度にわたって、日本軍の強制連行と書きました。読売新聞は、「『女性挺身隊』として強制連行され」と書きました。
いま産経新聞や読売新聞は、慰安婦の強制連行はなかったと主張する立場にありますが、1990年代の初めに金学順さんのことを書いたこの両新聞の記者たちは、金さんの被害体験をきちんと伝えようと、ジャーナリストとして当たり前のことをしたのだと思います。私は金さんが、慰安婦にさせられた経緯について、「だまされた」と書きました。「だまされ」ようが「強制連行され」ようが、17歳の少女だった金学順さんが意に反して慰安婦にさせられ、日本軍人たちに繰り返しレイプされたことには変わりないのです。彼女が慰安婦にさせられた経緯が重要なのではなく、慰安婦として毎日のように凌辱された行為自体が重大な人権侵害にあたるということです。
しかし、私だけがバッシングを受けました。娘は、「『国賊』植村隆の娘」として名指しされ、「地の果てまで追い詰めて殺す」とまで脅されました。
あのひどいバッシングに巻き込まれた時、娘は17歳でした。それから4年。『殺す』とまで脅迫を受けたのに、娘は、心折れなかった。そのおかげで、私も心折れず、闘い続けられました。私は娘に「ありがとう」と言いたい。娘を誇りに思っています。

被告・櫻井よしこさんは、明らかに朝日新聞記者だった私だけをターゲットに攻撃しています。私への憎悪を掻き立てるような文章を書き続け、それに煽られた無数の人びとがいます。櫻井さんは「慰安婦の強制連行はなかった」という強い「思い込み」があります。その「思い込み」ゆえなのでしょうか。事実を以て、私を批判するのではなく、事実に基づかない形で、私を誹謗中傷していることが、この裁判を通じて明らかになりました。そして誤った事実に基づいた、櫻井さんの言説が広がり、ネット世界で私への憎悪が増幅されたことも判明しました。

WiLL」の2014年4月号の記事がその典型です。金さんの訴状に書いていない「継父によって40円で売られた」とか「継父によって・・・慰安婦にさせられた」という話で、あたかも金さんが人身売買で慰安婦にされたかのように書き、私に対し、「継父によって人身売買されたという重要な点を報じなかった」「真実を隠して捏造記事を報じた」として、「捏造」記者のレッテルを貼りました。「捏造」の根拠とした「月刊宝石」やハンギョレ新聞の引用でも都合のいい部分だけを抜き出し、金さんが日本軍に強制連行されたという結論の部分は無視していました。
しかし、櫻井さんは、私の指摘を無視できず、2年以上経っていましたが、「WiLL」と産経新聞で訂正を出すまでに追い込まれました。実は、訂正文には新たな間違いが付け加えられていました。金さんが強制連行の被害者でないというのです。日本軍による強制連行という結論をもつ記事に依拠しながらも、その結論の部分を再び無視していました。極めて問題の大きい訂正でしたが、櫻井さんの取材のいい加減さが、白日のもとに晒されたという点では大きな前進だったと思います。支援団体の調べでは、この種の間違いが、産経、「WiLL」を含めて、少なくとも6件確認されています。

提訴以来3年5か月が経ちました。弁護団、支援の方々、様々な方々の支援を受け、勇気をもらって、歩んでまいりました。絶望的な状況から反撃が始まりましたが、「希望の光」が見えてきたことを、実感しています。
そして櫻井よしこさんをはじめとする被告の皆さん、被告の代理人の皆さん。長い審理でしたが、皆様方はいまだに、ご理解されていないことがあると思われます。大事なことなので、ここで、皆様方に、もう一度、大きな声で、訴えたいと思います。

「私は捏造記者ではありません」

裁判所におかれては、私の意見を十分に聞いてくださったことに、感謝しております。公正な判決が下されることを期待しております。





2018年7月3日火曜日

産経調停は不成立に


植村さんが産経新聞社の記事訂正を求めて東京簡裁に申し立てていた調停は、7月2日、不成立に終わり終結しました。
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朝日新聞7月3日朝刊(第3社会面掲載)
植村氏と産経、調停不成立
産経新聞のコラムに誤りがあるとして、元朝日新聞記者の植村隆・韓国カトリック大客員教授が産経新聞社を相手取り訂正記事を出すよう求めて東京簡裁に申し立てた調停は2日、不成立で終結した。植村氏の代理人が明らかにした。
コラムはジャーナリストの櫻井よしこ氏が、慰安婦問題について植村氏が書いた記事を批判する内容で、2014年3月3日付産経新聞に掲載された。櫻井氏が誤りを認め、今年6月4日付で訂正記事が載ったが、植村氏は内容に納得できなかったという。産経新聞社広報部は「6月4日付訂正をもって、できる限りの対応はしたと考えております」とコメントした。
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産経調停問題➡解説と経過 

2018年6月20日水曜日

7月6日に札幌結審

札幌訴訟 これまでの経過

提訴から結審まで3年5カ月、審理開始からはおよそ2年3カ月。結審を前に札幌訴訟の足取りをトピックスで振り返る。
▽第1回(2016.4.22) 植村さんと櫻井氏が出廷し、法廷で向かい合った。植村さんは、櫻井氏が書いたコラムの誤りを指摘し、「調べればすぐわかることを調べず、私の記事を捏造と決めつけ、憎悪を煽っている」と批判。櫻井氏は持論の「朝日批判」を展開し、争う姿勢を明らかにした
▽第2回(2016.6.10) 植村弁護団は、「捏造」という語句の詳細な定義を説明し、櫻井氏が植村さんの記事を「捏造」と決めつけた言説は「単なる評論」ではなく「事実の摘示」である、と主張した
▽第3回(2016.7.29) 植村弁護団は、櫻井氏の3誌14カ所にわたる「名誉棄損」表現を具体的に指摘し、櫻井言説は「単なる評論」ではなく「事実の摘示」であることを重ねて主張し、論証した
▽第4回(2016.11.4) 櫻井氏側は、それまで「単なる評論」としてきた櫻井言説について、一部は「事実の摘示」である、と準備書面で認めた
▽第5回(2016.12.16) 植村弁護団は、櫻井氏側の主張(「事実の摘示であっても、植村氏の社会的評価を低下させない」)に対して、「一般読者が受ける印象とはかけ離れた解釈だ」と批判した。審理促進については櫻井氏側の発言をめぐって激しいやりとりがあり、紛糾した
▽第6回(2017.2.10) 植村弁護団は、櫻井言説の「違法性」と「悪質性」をきびしく批判し、「公共性、公益目的性もない」と主張した。その理由として、「植村さんの記事の用語と内容を捻じ曲げ、植村さんと同様内容の他紙記事を批判せずに植村さんのみを目の敵とし、さらに植村さんの記事の核心である戦時性暴力被害には一切ふれていない」ことなどを列挙した
▽第7回(2017. 4.14) 植村弁護団は、植村さんや大学への脅迫メールや手紙の内容と本数を明らかにし、櫻井言説がネット上で拡散し植村バッシングを引き起こしたことを時系列データをもとに指摘した
▽第8回(2017. 7.7) 裁判所が提示した「主張整理案」(争点ごとに双方の主張を要約した文書で、対照表も付されている)について意見を交わした。植村さん側は誤記の指摘にとどめたが、櫻井氏側は追記や一部削除などを求めた
▽第9回(2017.9.8) 植村弁護団は、「双方の主張と反論は出尽くした」として審理促進を求めた。岡山裁判長は10月に予定されていた弁論を取りやめ、次回に証人尋問を行うことを決定した
▽第10回(2018.2.16) 弁護側証人喜多義憲氏(元道新記者)が証言台に立ち、2時間にわたる尋問に答えた。喜多氏は自身の金学順氏取材の経緯を詳細に証言し、「捏造とか事実捻じ曲げとの櫻井言説は言い掛かりに過ぎぬ」と批判した
▽第11回(2018.3.23) 植村さんと櫻井氏の本人尋問が終日(午前1時間半、午後4時間)行われた。植村弁護団は、櫻井氏の著作の重要な誤りを詳細に指摘した。櫻井氏は誤りを認め、訂正することを約束した。櫻井言説の根拠は根底から崩れてしまったことが法廷で明らかになった
▽第12回(2018.7.6) 最終弁論と陳述があり審理終了(結審)の予定


植村裁判札幌訴訟は、7月6日に札幌地裁で開かれる第12回口頭弁論で審理が終了します。植村弁護団はこの弁論で、これまでの主張と訴えをまとめた最終準備書面を提出し、植村さんと伊藤誠一弁護士(植村弁護団共同代表)が最後の意見陳述を行います。裁判はこの日で結審し、岡山裁判長は判決言い渡しの時期(または日時)を明らかにするものとみられます。
開廷は午後2時。傍聴券の交付は抽選によることが予想されます。早めにご来場ください。地裁1階受付での整列開始は午後1時15分、抽選は午後1時30分の予定です。
裁判終了後の報告集会は、午後6時30分から札幌エルプラザ3階ホールで開きます。植村さんと弁護団がこの日の裁判について報告し、北岡和義さん(ジャーナリスト、支える会共同代表)が傍聴の感想を語ります。講演は永田浩三さん(元NHKプロデューサー、武蔵大教授)が「いま報道の自由を考える~不信と憎悪の時代に」と題して、メディアを取り巻く深刻な状況を語ります。なお、開会に先立って、短編映像記録「ドキュメント植村裁判」(15分)の上映があります。

2018年6月7日木曜日

挺対協代表が札幌に

6月12日夜、集会で講演

「挺対協が目指してきたこと、これから目指すこと」

韓国から挺対協の代表が札幌にやって来て、6月12日(火)夜に講演をします。
挺対協(韓国挺身隊問題対策協議会)は、1990年に結成されて以来、日本軍「慰安婦」問題を世に問い、国際的な支援連帯運動をリードしてきた団体です。挺対協が果たしたもっとも大きな役割は、被害女性の名乗り出を促し、じっさいに受けた被害体験を語ることによって日本軍による人権侵害とその苦痛の大きさを明らかにしたことです。
植村隆さんが1991年8月に朝日新聞で初めて報じた被害女性は、挺対協の聞き取り調査に応じて名乗り出た金学順さんでした。植村さんは挺対協の事務所で聞き取り調査の録音テープを聞き、挺対協代表だった元梨花女子大教授・尹貞玉さんの取材などをもとに、記事を書きました。その記事が、20年以上も経って、「捏造」だと攻撃されたのでした。ですから、挺対協は、「慰安婦」問題にかかわる植村さんと私たちにとって、原点ともいうべき存在です。
講演をする尹美香(ユンミヒャン)さんは、挺対協の現在の常任代表。「挺対協が目指してきたこと、これから目指すこと」をテーマに、これまでの挺対協の歩みと、被害者の思いを継承することの意味、私たちが共有する課題、などを語ります。
◆日時 6月12日(火)18時30分~20時30分 (開場18時)
◆会場 かでる2・7 研修室710 (札幌市中央区北2条西7丁目)
◆参加費 500円
※主催 日本軍「慰安婦」問題の解決をめざす北海道の会
※問い合わせ 011-711-1910(ギャラりー茶門、12~17時)


2018年6月5日火曜日

櫻井氏また訂正掲載

「WiLL」に次いで「産経」でも

「捏造」の根拠大きく崩れる!

植村氏「前進だが問題も残る」と語る

update=2018/6/6見出し変更、リード一部追記

ジャーナリスト櫻井よしこ氏が4年前に産経新聞に書いたコラム記事が、6月4日、同紙朝刊2面で「訂正」された(写真下)。この「訂正」について植村隆さんは、「櫻井氏が私の記事を『捏造』という根拠が大きく崩れた。また、事実に基づかない慰安婦報道を正すという点で、前進があった」と、記者会見で一定の評価をした。しかし、訂正内容には問題があることも指摘した。「私への誹謗中傷、名誉毀損への謝罪やお詫びがない。また、訂正記事の末尾に『金学順氏が強制連行の被害者でないことは明らか』と、根拠に基づかない主張をしている」として、「この問題点を今後も追及し続けていく」と語った。
櫻井氏は5月25日発売の「月刊WiILL」7月号でも同じ内容の訂正をしたばかり。いずれも、3月23日にあった札幌訴訟第11回口頭弁論の本人尋問で植村弁護団の追及を受け、誤りを認めた上で訂正することを約束していた。



産経紙面で「訂正」されたのは、2014年3月3日付「真実ゆがめる朝日報道」と題するコラム記事の一部。櫻井氏はこの中で、「捏造を朝日は全社挙げて広げた」「捏造記事でお先棒を担いだ」と朝日新聞の慰安婦報道を批判する一方で、元日本軍従軍慰安婦だった金学順さんについて、
「この女性、金学順さんは後に東京地裁に訴えを起こし、訴状で、14歳で継父に40円で売られ、3年後、17歳のとき再び継父に売られた、などと書いている」
と書き、従軍慰安婦否定派が主張する「人身売買説」を強くにじませた。

しかし、金学順さんの「訴状」には「14歳で継父に40円で売られ」「17歳のとき再び継父に売られた」との記載はまったくなかった。櫻井氏は「訴状」に書かれていないことを材料にし、金学順さんは親族に身売りされて従軍慰安婦になったのだ、と読めるように書いた。これはジャーナリストとしてはあるまじき論法であり、単純な事実誤認とか資料の取り違えではすまされない。なぜなら、櫻井氏のこの主張は、植村さんが書いた記事と真っ向から対立するだけでなく、植村さんを「捏造記者」だと決めつける根拠ともなっていたからである。

このコラム記事が出たのは、週刊文春が「“慰安婦捏造”朝日記者がお嬢様女子大学教授に」との記事を掲載した2カ月後。ネットや雑誌で植村バッシングに火がついた時期だった。櫻井氏はこのコラム記事と同じ内容のことを雑誌にも書き、テレビやインターネット番組でも語った。その結果、植村バッシングはさらに拡散され、すさまじい勢いで広がった。

それから2年後の2016年4月、札幌で植村裁判の審理が始まった。植村さんは第1回口頭弁論で行った意見陳述及び終わった後の記者会見で、このコラム記事の重大な誤りを指摘した。櫻井氏は、同じ時間帯に別の場所で開いていた会見で、記者の質問に答えて、「訴状にそれが書かれていなかったことについては率直に私は改めたいと思います」と語った。
植村さんは、櫻井氏のその発言を受けて、産経新聞に訂正申し入れを再三行った。しかし、産経は「コラムに何ら誤りはないと考える」「各種資料からも、家族による人身売買の犠牲者であることは明確に裏付けられている」などと反論し、訂正に応じなかった。そこで、植村さんは2017年9月に、東京簡裁に株式会社産業経済新聞社との調停を申し立てた編注1

調停の協議は、2017年11月8日から2018年5月28日まで4回開かれた。産経側は第4回調停で、6月4日付紙面に訂正を載せることを明らかにした。その後、訂正文の文面はすり合わせがないまま、掲載された。調停途中で植村さん側は文面の用意はしていたが、結果的には一方的な掲載となった。調停は7月2日に第5回期日が設定されている。植村弁護団の吉村功志弁護士は記者会見で、「その場で今回のことの釈明を求める」と語った。
以上が、訂正記事掲載に至る経緯である。 (H.N記 2018.6.4

左から、吉村功志弁護士、植村さん、穂積剛弁護士
6月4日午後、植村さんは東京・霞が関の司法記者クラブで記者会見(写真上)を開き、以下のコメントを読み上げた。

■記者会見での植村さんのコメント

櫻井よしこ氏が私の指摘によって、2014年3月3日付産経新聞コラムの間違いを認め、産経新聞は本日付で訂正を出しました。これによって、櫻井氏が私の記事を「捏造」と呼ぶ根拠が大きく崩れました。また、事実に基づかない慰安婦報道を正すという点で、前進がありました。しかし、産経新聞は訂正記事で、「金学順氏が「強制連行」の被害者でないことは明らかです」という根拠に基づかない主張を載せています。私は、この問題点を今後も、追及し続けていきます。

この訂正記事には、次のような問題点があります。
①訴状にないことをあると書いて、私を誹謗中傷し、私の名誉を毀損したのに、そのことへの謝罪やお詫びがありません。
②また訂正で「訴状」の代わりに、出してきた出典「平成3年から4年にかけて発行された雑誌記事、韓国紙の報道によると」の引用が恣意的で、異なる結論を導き出しています。この雑誌記事、韓国紙は、これまでの札幌地裁での審理の中で、「月刊宝石1992年2月号」及び「ハンギョレ新聞1991年8月15日付」ということが明らかになっています。いずれの記事も、金学順さんは、日本軍によって強制的に慰安婦にされたことが伺われる記述となっています。
しかし、産経は訂正記事で、「17歳のときその養父によって中国に連れて行かれ慰安婦にされた」としており、あたかも「慰安婦にさせ」た主語が養父のように読めるように書いています。
③訂正記事の末尾に、「金学順氏が「強制連行の被害者」でないことは明らかです」とあります。私は「連行」「だまされて慰安婦にされた」と書いていますが、「強制連行」とは書いていません。産経新聞は二度にわたって、金学順さんについて、金さんに取材して、強制連行と書いています。

櫻井よしこ氏は、2014年2月以降、様々なメディアで私の記事を「捏造」などと批判しています。そのうち、今回の産経コラム以外にも、少なくとも5回は似たような間違いをしています。このうち、月刊「WiLL」は2018年7月号で訂正を出しています編注2。この訂正についても、本日の産経新聞の訂正記事同様、問題があります。札幌訴訟の趣意書でも、同様の間違いがあります。櫻井氏は、誤った事実を前提に私の記事を「捏造」と批判していますが、今回の産経の訂正で、その根拠が大きく崩れました。
いま世の中では、フェイクニュースが問題になっています。櫻井氏の一連の記述も、その類ではないでしょうか。報道や論評は、事実に基づくべきだと思います。それが報道機関、ジャーナリストのルールです。

編注1=調停申立書全文と経過説明、植村さんが記者会見で発表した声明文(解説)は、「植村裁判資料室」に収録  ⇒こちら (声明文の中に、金学順さんの訴状URLの記載もある)
編注2=写真下


月刊WiLL 2018年7月号巻末ページ

2018年5月14日月曜日

植村氏、韓国で受賞

植村隆さんが韓国の「キム・ヨングン民族教育賞」を受賞することになりました。この賞は、日本の植民地時代や光州事件の時に弾圧に抵抗して投獄された韓国のキム・ヨングン氏の教育啓蒙活動を記念して、すぐれた教育者を顕彰するものです。授賞式は5月15日、光州市で行われます。植村さんの受賞は、韓国紙でいっせいに報じられています。

「ハンギョレ」日本版5月14日付の記事全文を転載します。

植村隆氏「キム・ヨングン民族教育賞」を受賞

「日本軍慰安婦被害者の証言」初めて報道 
『真実 私は「捏造記者」ではない』出版し闘争中

日本軍慰安婦の存在を日本で初めて提起した植村隆元朝日新聞記者が、今年「キム・ヨングン民族教育賞」受賞者に選ばれた。

キム・ヨングン先生記念事業会は13日、「日本軍従軍慰安婦の真実を知らせ、これに伴う弾圧に屈せず立ち向かっている植村隆記者に賞を与えることにした」と発表した。受賞理由は「日帝強占期(日本の植民地時代)に2回、1980518(光州民主抗争)の際に1回投獄され、情熱的に啓蒙運動を繰り広げたキム・ヨングン先生(191785)の精神と、知識人であり教育者として責務を尽くそうと努めてきた植村記者の行動が通じ合っている」と説明した。
授賞式は15日午前11時、光州市治坪洞(チピョンドン)の光州学生文化会館にあるキム・ヨングン先生の胸像前で行われる。

植村氏は朝日新聞の社会部記者として働いていた1991年、日本で初めて、日本軍従軍慰安婦の存在を記事化した。518をはじめ韓国に関心を持っていた彼は、1990年から女性団体が提起した慰安婦被害に注目した。1991年には1941年に強制的に日本軍に連行された事実を韓国では初めて公開証言した金学順(キム・ハクスン)さんを取材し、「思い出すと今も涙 元朝鮮人従軍慰安婦 戦後半世紀重い口を開く」という記事を書いた。

その後、日本の右翼の標的となった彼は暴力や脅迫、家族の安全まで危険にさらされながらも、所信を曲げず、著書『私は捏造記者ではない』(原題『真実 私は「捏造記者」ではない』、プルン歴史出版)を通じて真実を知らせた。この過程で日本神戸松蔭女子学院の大学教授として採用されたにもかかわらず、赴任できず、北海道の北星学園大学の大学講師を務めた際にも嫌がらせを受けるなど、試練を負わなければならなかった。しかし、彼は記事に対する責任感に基づき、極右メディアに訴訟などで対抗しながら、教育を通じて次の世代に真実を伝るため努力してきた。彼の著書は201610月、ハンギョレのキル・ユンヒョン記者の翻訳で韓国版が出版された。
アン・グァノク記者(お問い合わせ japan@hani.co.kr)

写真上】5月14日付「光州日報」 記事はこちら
【写真下】5月14日付「ハンギョレ」掲載写真 原記事はこちら

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※関連情報
光州事件を描いた映画「タクシー運転手」の主人公キム・サボク氏の長男のインタビュー記事が、同日付の「ハンギョレ」に掲載されている。キム・サボク氏は光州事件の4年後、病気で亡くなったという。 記事はこちら

2018年5月2日水曜日

JCJ機関紙に寄稿

この記事は、植村隆さんが日本ジャーナリスト会議(JCJ)の機関紙「ジャーナリスト」第721号(4月25日発行)に寄稿したものです。全文を転載します

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原告・植村さんが寄稿

櫻井氏が間違い認め、訂正約束 

大詰め迎える慰安婦記事訴訟

歴史修正主義との闘い 

ジャーナリズムのあり方が問われる

  
歴史修正主義勢力のいわれない「捏造」記者との非難、個人攻撃と闘う元朝日新聞記者植村隆氏の札幌訴訟は、本人尋問で櫻井氏の主張の根本が「捏造」だったことが明らかとなった。この対決について植村氏本人から寄稿してもらった。





札幌判決は秋にも

元日本軍慰安婦の証言を伝えた私の記事を「捏造」とレッテル貼りした東京基督教大学教授(当時)の西岡力氏やジャーナリストの櫻井よしこ氏を名誉毀損で訴えた二つの裁判は4年目を迎え、大詰めを迎えている。3月23日には札幌地裁で、私と櫻井氏に対する本人尋問が行われた。櫻井氏が自らの記事の一部が間違っていたことを認め、訂正を約束した。提訴以来、私が指摘していた問題点で、大きな進展だった。7月6日に結審し、秋には判決が下される見通しだ。東京訴訟も今後尋問が予定されている。

私は、櫻井氏が14年に書いた六つの記事を名誉毀損の対象として訴えている。その一つがワック発行の雑誌「WiLL」14年4月号の記事だ。陳述書で、その問題点を指摘した。
《櫻井氏は、「過去、現在、未来にわたって日本国と日本人の名誉を著しく傷つける彼らの宣伝はしかし、日本人による『従軍慰安婦』捏造記事がそもそもの出発点となっている。日本を怨み、憎んでいるかのような、日本人によるその捏造記事とはどんなものだったのか」と書いた上で、私の91年8月11日の記事を取り上げています。

 「(金学順さんが日本政府を訴えた訴訟の)訴状には、14歳のとき、継父によって40円で売られたこと、3年後、17歳のとき、再び継父によって北支の鉄壁鎮というところに連れて行かれて慰安婦にさせられた経緯などが書かれている。植村氏は、彼女が継父によって人身売買されたという重要な点を報じなかっただけでなく、慰安婦とは何の関係もない『女子挺身隊』と結びつけて報じた」
 しかし、私の記事の約4カ月後に金学順さんが日本政府を訴えた訴訟の訴状には「継父によって40円で売られた」とか、「再び継父によって…慰安婦にさせられた」という記述はありません。訴状には金学順さんが「人身売買の犠牲者である」と断定するような記述はないのです。「訴状にない」ことを、あたかも「訴状にある」かのように書いて、私の記事を攻撃しているのです。それは金学順さんの尊厳を冒涜し、名誉を毀損することにもつながると考えます》

主張の前提が崩壊

この「継父によって40円で売られた」などという記述が本人尋問の大きな争点のひとつだった。櫻井氏は主尋問で、この間違いを認め、「訂正します」と約束した。櫻井氏はこのほかに、少なくとも産経新聞や「正論」、二つのテレビ番組で計4回、同種の間違いを繰り返していた。私の代理人である川上有弁護士の反対尋問でそれらを指摘された櫻井氏は、その都度、過ちを認めた。櫻井氏によると、出典は訴状ではなく、ジャーナリストの臼杵敬子氏が月刊「宝石」92年2月号に発表した記事だという。そこには金氏の証言として「平壌にあった妓生専門学校の経営者に40円で売られ、養女として踊り、楽器などを徹底的に仕込まれた」とある。妓生とは、朝鮮の芸妓であり、日本軍相手の慰安婦とは違う。臼杵氏の記事では、金氏が中国で日本軍によって強制的に慰安婦にされたとう内容の記述がある。つまり、櫻井氏は都合のいい部分だけを引用して、結論を無視していたのだ。

櫻井氏は、「捏造」と表現し、その前提事実として「金学順氏は親に売られて慰安婦になった」と主張している。しかし、その前提が大きく崩れたと言える。
また、訴訟対象の六つの記事の別の一つでは、こうも書いていた。「(金氏は)一度も、自分は挺身隊だったとは語っていない。(中略)ならば捏造と考えるのは当然」(「週刊ダイヤモンド」14年10月18日号)。しかし、この主張も、反対尋問で崩された。川上弁護士が金氏の記者会見を報じた韓国各紙の記事を見せながら、金氏が自らを「挺身隊」と語っていたことを示したからだ。

捏造は言い掛かり

札幌訴訟では前回の期日(2月16日)に、元北海道新聞ソウル支局長の喜多義憲氏が重要な証言をした。喜多氏は、金氏と単独会見をし、「戦前、女子挺身隊の美名の下に従軍慰安婦として戦地で日本軍将兵たちに凌辱された」という書き出しの記事を書いた。当時、喜多氏は私と面識もなく、私の記事も見ていなかったという。喜多氏は法廷で、私の記事に対する櫻井氏の主張について「言い掛かり」との認識を示し、こう語った。「植村さんと僕はほとんど同じ時期に同じような記事を書いておりました。それで、片方は捏造したと言われ、私は捏造記者と非難する人から見れば不問に付されているような、そういう気持ちで、やっぱりそういう状況を見れば、違うよというのが人間であり、ジャーナリストであるという思いが強くいたしました」 

私は本人尋問の際、背広の内ポケットに一枚の紙を入れていた。その紙には、金学順氏が自分の裁判で東京地裁に提出した陳述書にあった次の言葉を書き写していた。
「私は日本軍により連行され、『慰安婦』にされ人生そのものを奪われたのです」。この金氏の無念の思いを我々は決して忘れてはならないと思う。私は主尋問で、記事を書いた当時の思いをこう述べた。「日本のアジア侵略が生み出した悲劇を直視しなければならないと思った」。

日本新聞労働組合連合(新聞労連)の小林基秀委員長は東京から傍聴に駆けつけ、機関紙に傍聴記を書いた。「『植村氏に捏造ない』労連支援」という見出しの関連記事も添えていた。「捏造記事とは『意図的に』嘘を書くことだ。植村氏の記事にそれに該当する要素は見当たらない。新聞労連は、植村氏の『私は捏造記者ではない』との主張を支持し、今後も支援していく方針だ」とあった。この記事にも、とても勇気づけられた。

私の裁判は、櫻井氏や西岡氏の言説の誤りを明らかにするだけでなく、ジャーナリズムのあり方を問う裁判であると思う。そして、慰安婦問題という歴史的な事実をなかったことにしようとする歴史修正主義との闘いでもある、と考えている。(元朝日新聞記者、韓国カトリック大学客員教授)

植村裁判の経緯
私は大阪社会部時代の91年8月11日、韓国挺身隊問題対策協議会(挺対協)がソウルに住む元日本軍慰安婦の聞き取り作業を始めたという記事を書いた。「日中戦争や第二次大戦の際、『女子挺身隊』の名で戦場に連行され」という書き出しだった。韓国では当時、従軍慰安婦のことを「挺身隊」と呼んでいた。この女性も挺対協にそう語っていた。3日後、金学順と実名で記者会見した。同年12月6日には、日本政府に戦後補償を求め裁判を起こした。私は弁護団の事前聞き取りに同行し、その内容を記事に書いた。

14年に東京基督教大学教授(当時)の西岡力氏や櫻井よしこ氏が、私の記事を「捏造」と非難。激しいバッシングが始まり、教授就任が決まっていた神戸松蔭女子学院大学に抗議が殺到、転職の道を断たれた。非常勤講師だった北星学園大学にも攻撃が続いた。娘を殺すとの脅迫もあった。

私は15年1月に西岡氏と週刊文春発行元の文藝春秋社を東京地裁に、同年2月、櫻井よしこ氏と同氏の記事掲載雑誌発行元のワック、新潮社、ダイヤモンド社を名誉毀損で札幌地裁に提訴した。さらに17年9月、櫻井氏の記事を載せた産経新聞に訂正を求める調停を東京簡裁に申し立てた。

 (転載了)

※おことわり  「主張の前提が崩壊」の段落で、<月刊「宝石」92年4月号>は<月刊「宝石」92年2月号>と訂正しました。 update2018.5.4 pm5:30


2018年4月26日木曜日

東京第12回速報


金学順さん自身がはっきり「強制的に連行」と語っていた!

記者会見映像と韓国紙記者の重要証言で明らかに

東京訴訟 植村、西岡両氏の本人尋問は9月5日に決定

東京訴訟の第12回口頭弁論が、4月25日午後、東京地裁で開かれた。
植村弁護団は、金学順さん自身が記者会見で「強制的に連行された」と語った重要な証拠を初めて提出し、被告側の「捏造」決めつけ根拠が崩れていることを、あらためてきびしく指摘した。

3時30分、103号法廷で開廷。植村弁護団は中山武敏弁護団長ほか12人が着席、札幌弁護団の小野寺信勝弁護士も後列に座った。被告側は喜田村洋一弁護士と若い男性弁護士のふたりだけ、法廷正面の裁判官席の原克也裁判長と左右陪席も、前回と変わりはない。定員が90人ほどの傍聴席はほぼ満席となった。
提出書面の確認のあと、植村弁護団の吉村功志弁護士が、提出証拠のうち金学順さんの発言に関わる4点の要旨を読み上げた。証拠4点は次の通り。
①1991年8月14日にソウル市で行った記者会見を報じた韓国KBSテレビのニュース映像と、その発言を正確に起こした反訳書、②その記者会見に出席した韓国紙ハンギョレの元記者金ミギョン氏の陳述書、③同じく韓国紙東亜日報の元記者李英伊氏の陳述書、④同日、記者会見に先立って単独インタビューをした元北海道新聞記者喜多義憲氏の陳述書
このうち、②③は植村弁護団が韓国での調査活動を重ねて手に入れた貴重で重要な証言だ。また④はすでに札幌訴訟第11回(2月16日)で陳述されているが、同様に重要な意味をもつために提出された。

吉村弁護士は、それぞれの証拠が持つ意味を、つぎのように説明した。
①韓国・KBSテレビのニュース映像とその反訳書では、金学順さんが「16歳ちょっと過ぎたくらいのを引っ張って行って。強制的に。」「逃げ出したら、捕まって、離してくれないんです。」と語っていることがわかる。金学順さんは、韓国語で「끌고 가서」(クルゴカソ)と述べているが、これは「引っ張って行って」、「引きずって行って」といった意味の韓国語だ。韓日辞書にも「泥棒を交番へ引っ張って行った」との例文があげられている言葉だから、文字数が限られており同義であればより短い言葉を使う新聞用語としては「連行して」と訳することが多い。また「 강제로」(カンジェロ)という韓国語は漢字で書けば「強制」という熟語に副詞化する「」(ロ)という接尾辞が付いたものであり、「強制的に」という意味だ。【反訳全文は記事末に収録】
②ハンギョレ新聞元記者の金ミギョン氏は、この記者会見を現地で実際に取材した記者の一人だ。陳述書のなかで金記者は「金学順さんは会見で自己の経歴を示す言葉として『挺身隊』という言葉を使用しました」とはっきりと述べている。金記者が書いたハンギョレ新聞の記事には、「挺身隊」という記載はないが、その理由について金記者は陳述書で「挺身隊」と「従軍慰安婦」が違う意味であることを当時から知っていたため、「挺身隊」の代わりに「従軍慰安婦」という単語を使うべきだと考え「意図的に変えて書いた。」と証言している。
③東亜日報元記者の李英伊氏も記者会見を取材した記者の一人だ。赤い服を着て金学順さんの隣の席に座っているところがKBSニュース映像に映っている。陳述書のなかで李記者も「当時、金学順さんが記者会見で『挺身隊』という言葉を使ったのは間違いないことです。」と証言している。また当時の韓国では、「挺身隊」と「慰安婦」は一般的には同じ意味の言葉として使われており、自らも「挺身隊」という言葉は「従軍慰安婦」の意味だと思って使っていたと、証言している。
④北海道新聞元記者の喜多義憲氏は当時ソウル支局駐在記者で、記者会見の同日に金学順さんの単独インタビューをした。喜多記者は1991年8月15日付北海道新聞朝刊社会面記事で、金学順さんのことを「戦前、女子挺(てい)身隊の美名のもとに従軍慰安婦として戦地で日本軍将兵たちに凌辱されたソウルに住む韓国人女性」と紹介している。喜多記者は陳述書でも「金氏は私とのインタビューの冒頭、『私が挺身隊であったことを…』と言っていました」と明確に述べている。
▽以上の3人の記者の陳述書から、当時、金学順さんが自分自身のことを指して、従軍慰安婦という意味で「挺身隊」であったと述べていたことが明らかになった。またKBSニュース映像及び同反訳書により、金学順さん自身が、当時、強制連行されたとの事実を述べていたことも明らかになった。そうすると、植村さんが1991年8月11日付の記事で「『女子挺(てい)身隊』の名で戦場に連行され、日本軍人相手に売春行為を強いられた『朝鮮人従軍慰安婦』」との記述は、金学順さん自身が述べた経歴を記事の前文として簡潔にまとめた記述ということになる。植村さんが、「金学順さんの述べていない経歴を付加したこと」、との被告らの抗弁は成り立たないことが明白となる。

以上が吉村弁護士の陳述要旨である。
この裁判で被告西岡氏は、植村さんの記事を「捏造」と決めつけた根拠として、「①金学順さんの述べていない経歴を付加した、②金学順さんの述べた経歴を意図的に欠落させ適切に報じなかった、③原告が本件各記事に関して利害関係ないし動機を有していた」と主張してきた。植村弁護団はそのすべてについて繰り返し反論をしてきたが、この日の陳述は①に絞り込んで、あらためて西岡氏の論拠の一角を根本から突き崩す重要なものとなった。

法廷ではこの後、今後の進行について原裁判長が双方の予定と希望を聞き、裁判官合議のためいったん閉廷。3分後に再開し、原裁判長は9月5日(水)に証人尋問を行うと述べた。
当日は午前10時半から正午まで、週刊文春竹中明洋記者の証人尋問、休憩をはさんで、午後1時半から4時半まで植村、西岡両氏の順で本人尋問が行われる。竹中氏は週刊文春の取材記者。「“慰安婦捏造”朝日新聞記者がお嬢様女子大教授に」(2014年2月)と「慰安婦火付け役朝日新聞記者はお嬢様女子大クビで北の大地へ」(同8月)を書いた。
植村弁護団は竹中氏のほかに2人の証人尋問を申請しているが、裁判長は採否を明確にしなかった。
閉廷は午後3時50分だった。

【金学順さんの発言反訳全文=吉村弁護士作成】
16 조금 넘은 것을 引っ張って って강제로強制的に 울고서
 나갈라고 쫓아나오면 붙잡고  놔줘요한번 분풀이  말이라도 분풀이 하고 싶어요.

16歳ちょっと過ぎたくらいの(私)を引っ張って行って(連行して)。強制的に。泣いて。出て行くまいと(連れて行かれまいと)逃げ出したら,捕まって,離してくれないんです。一度憤りを鎮めることを,必ず,言葉だけでも憤りを鎮めたいんです(恨みを晴らしたいんです)。」

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櫻井尋問でふたつの成果

報告集会で札幌弁護団小野寺弁護士が報告

裁判の後、報告集会が参議院議員会館で開かれた。参加者は約120人。会場の第1会議室はほぼ満員となった。
最初に神原元弁護士がこの日の弁論について報告。「きょう陳述した金学順さんの記者会見の発言は、初めての発言という意味でも重要だ。ふつう、事件や体験などを最初に語る時にこそ、ことの核心が簡潔に表現されるものだからだ」と語り、東京訴訟の見通しについては、「年内には結審し、来春には判決か」と語った。
つづいて、3月23日にあった札幌訴訟第11回口頭弁論について、傍聴したジャーナリストの安田浩一氏と札幌弁護団事務局長の小野寺信勝弁護士が、「櫻井よしこ氏が認めた自らの謝り」と題して、対談形式で報告した。
小野寺弁護士は「この日の裁判ではふたつの大きな成果があった。ひとつは櫻井よしこ氏に間違った記事の訂正を約束させたこと。もうひとつは、ネット世論が変わったこと。ネットで植村、櫻井のキーワード検索をすると、その9割が櫻井氏がウソを書いていた、などと出るようになった」と語った。
最後に報告した植村さんも、札幌での本人尋問を振り返り、「緊張したけれど、金学順さんの言葉と思いを胸に刻んで臨んだ。相手側弁護士は悪意に満ちていて私のことをズサンなどと言ったが、きちんと反論し、抗議した。裁判長も私の発言を制止しなかったことが印象的だった」と語った。

参議院議員会館で(午後4時30分~6時)