2019年6月13日木曜日

東京判決近づく!

■東京訴訟判決言い渡し
6月26日(水)午前11時30分

東京地裁103号法廷

■判決報告集会は午後4時から、参議院議員会館101会議室

■札幌控訴審第2回口頭弁論
7月2日(火)午後2時30分

札幌高裁805号法廷

■裁判報告集会は午後5時30分から、市教育文化会館4階講堂
韓国のジャーナリスト、任在慶氏と李富栄氏の挨拶・講演あり

※PDFはこちら→ 東京 札幌


2019年5月10日金曜日

東京訴訟が再び結審

うpupdated:2019/5/19 8:50pm

 異例の事態のまま 

判決言い渡しは6月26日(水)に

原裁判長、有無を言わさぬ事務的な口調で終結宣言


植村裁判東京訴訟(被告西岡力、文藝春秋)の口頭弁論は5月10日午後、東京地裁で再開され、原克也裁判長は審理の終結を宣言した。判決は6月26日午前11時30分から言い渡されることになった。

開廷は午後3時。冒頭、植村弁護団は「進行意見書」を提出し、神原元弁護士が7分間にわたって要旨を読み上げた。主張の要点は、被告側が結審後に追加提出した新証拠(朝日新聞社第三者委員会報告書全文)について植村側が反論するための期間を裁判所は設けよ、というもの。読み上げが終わると、原裁判長は被告側の喜田村洋一弁護士に意見を求めた。喜田村弁護士は「植村側は第三者委報告書の全文を精査して2016年にその抜粋版5ページ分を証拠提出しているのだから、全文が証拠採用されても不意打ちにはならないし、期間が延びるだけだから、本日結審が相当と考える」と述べた。これに対し、植村弁護団の穂積剛弁護士が、「読んだかどうかが問題なのではない。裁判所が重要だと考えたその部分はどこなのかを明らかにし、主張と立証を尽くさせるべきだ」と反論したが、裁判長は応じることなく、「それでは弁論を終結する」と述べた。有無を言わさぬ事務的な口調の再結審宣言だった。植村弁護団の梓澤和幸弁護士は「先ほどの主張に応答はないのか」と裁判長に迫った。裁判長は「何かおっしゃりたいことがあれば書面で」と述べて、やりとりを打ち切った。
閉廷は午後3時10分だった。
※「進行意見書」はこの記事の下に掲載

この日の法廷はいつもよりも小さな706号が使われた。開廷前に傍聴抽選の整理券は発行されたが、整列者が定員にわずかに満たなかったため、抽選は行われなかった。48席の傍聴席はほぼ埋まった。植村弁護団は20人が席に着き、被告弁護団はいつものように2人だった。西岡氏の姿もいつものように、なかった。裁判官席の3人はこれまでと同じ顔ぶれだった。しかし、3人とも4月1日付で東京地裁から転出している(原裁判長は東京高裁、佐古裁判官は鹿児島地裁、小久保裁判官は大阪地裁堺支部へ)。にもかかわらず担当を続けているのは、裁判所内で特例措置がとられたためとみられる。
法廷では裁判官の入退廷時に全員が起立する慣例がある。しかし、この日、裁判官が立ち去る時に起立する人は少なく、表情を曇らせて座ったままの人が多かった。
昨年11月にいったん結審した後に再開され、証拠の追加提出、裁判官の忌避申し立て、弁論の中断、そして再開という展開をたどった東京訴訟は、異例事態が続く重苦しい空気の中で再結審した。

報告集会は午後5時から、参議院議員会館101会議室で開かれた。
最初に神原弁護士が、裁判所は「朝日新聞社第三者委員会報告書」をどのように使おうとしているのか、なぜそれが植村側に不利なのか、などについて解説をした。続いて札幌弁護団の小野寺信勝弁護士が、札幌控訴審の重要な論点と裁判所の訴訟指揮ぶりについて説明をした。
このあと、徃住嘉文さん(元北海道新聞記者)、西嶋真司さん(映像ジャーナリスト)、植村隆さんが順に話した。
徃住さんは、櫻井よしこ氏の言説の重大な変遷を詳細に読み解いて、ジャーナリストとしての揺れと乱れを厳しく批判した。西嶋さんは、制作中の映画「標的」のクラウドファンディングへの支援と協力を呼びかけた。植村さんは、「裁判が進むにつれて、私への捏造批判がデタラメだったという証拠が次々に出てくる。多くの人と一緒にたたかう充実感がある」と語った。
神原弁護士から植村さんまで、マイクを握る人はみな明るく元気がよかった。法廷の重苦しい空気はどこかに行ってしまったようだった。集会の参加者は50人ほど。閉会は午後6時50分だった。




東京訴訟の進行意見

5月10日の弁論で
神原元弁護士が読み上げた「進行意見」


本件の進行について以下のとおり意見を述べます。
裁判所におかれては、
1 2019年2月22日に弁論を再開した上で乙第24号証を採用した理由を明らかにされた上
2 乙第24号証に記載された事実に反論するため、1ヶ月半ほどの準備期間の後、再度、期日を指定してください。

以下、理由を述べます。
1 はじめに
本件審理は、2018年11月28日に結審となり、あとは2019年3月20日の判決言い渡しを待つのみとなっていました。ところが、判決言い渡しの1ヶ月半前、2019年2月8日になって、裁判所から被告に示唆して、同年2月22日に弁論を再開し、朝日新聞第三者委員会報告書全文(乙第24号証)を証拠提出させ、証拠採用する運びとなりました。
乙24号証には原告に不利に援用されかねない他の多数の事実が記載されており、裁判所は、判決の起案にあたって被告の立証の不足に気づいてこれを補うべく、同号証を採用したとみるほかありません。原告は乙24号証のどの部分が自己に不利に援用されるか裁判所の意図するところが分からず、反証ができません。
よって、頭書のとおり、裁判所が乙24号証を採用した理由を明らかにした上で、続行期日を入れるよう意見を述べるものです。
以下、詳述します。

2 裁判所の釈明権行使義務の存在
前記のとおり、乙24号証は原告に不利に援用されかねない多数の事実が記載されているものですが、原告は同号証のどの部分がどのように判決に援用されるか分かりません。これは原告にとって不意打ちであり原告の防御権を著しく侵害しています。
そもそも民事訴訟は弁論主義を採用し攻撃防御方法の提出は当事者の責任であるのに、裁判所が一方当事者に証拠提出を促し、その証拠を他方当事者に不利に援用するというのは釈明権(民訴法149条)行使としては異例です。本件においてあるべき姿は、なにより原告に攻撃防御の機会を保障することである。
すなわち、本件ではすでに裁判所に促されて被告が乙24号証を提出しているのです、裁判所としては、乙24号証を採用した理由(乙24号証のどの部分が新たに問題になったのか)を明らかにした上で、原告に対して、適正な釈明権の行使として反証するよう促すべきなのです。
釈明権はたんなる裁判所の便宜的見地から認められたものではなく、当事者、ひいては国民の司法に対する信頼を保持するために認められたものです。よって、釈明権の行使は一種の公益的要請であり、義務となる場合もあります。
本件で乙24号証は裁判所の指示により証拠採用されたものであり、そこに重要な記載があるからこそ採用したはずです。そうであれば、どの点が本件で重要なのかを当事者双方に明らかにした上で、主張・反証を尽くさせるのが前記釈明義務の内容なのです。
なお、乙24号証には、これまで本件訴訟の審理において立証されていなかった、朝日新聞の吉田証言の報道状況が詳細に記載されており(同5から19頁)、判決においても、朝日新聞の吉田証言報道の事実が、原告に不利に援用されることがあり得ます(乙23号証参照)。これについても原告としては対応せざるを得ないことになるのです。

3 反論の機会を与えることが適正手続の要請であること
原告は、裁判所が乙24号証を採用した理由について説明を受けた上で、これらについて精査し反論する必要があるところ、原告にこのような主張・立証の機会を与えることは適正手続の要請です。
すなわち、本件審理において、乙24号証の要約版(乙8号証)は2016年2月17日(第4回期日)に、乙24号証の一部である甲64号証も2016年5月18日(第5回期日)に法廷に証拠提出され、証拠調べがなされています。遅くとも2016年中には、裁判所は乙24号証の存在について知っていたのです。ところが、裁判所は、2016年中はもちろん、2018年11月28日の結審に至るまで乙24号証の存在に言及せず、判決を3月20日に控えた本年2月22日、突如、弁論を再開して乙24号証を証拠採用したのです。この手続は異常であり、原告の防御権の観点から見て重大な瑕疵があるといわざるを得ません。乙24号証には吉田証言朝日新聞報道等原告に不利に援用されかねない多数の事実が記載されているのですから、これに対する反論の機会を十分に与えることが適正手続の要請であり、民事訴訟における手続的正義の要求するところです。

4 結論
以上から、原告としては、裁判所より、乙24号証を採用した理由、すなわち乙24号証のどの部分が判決において援用される箇所なのかを明らかにして頂いた上、
① そこで重要であることが明らかにされた事実に対する反証する準備のため、
② その他原告に不利に援用されかねない他の多数の事実を精査し反証する準備のため、
さらに準備期間を1月半程度頂いた上で、次回期日を指定されたく意見を述べるものです。

2019年5月8日水曜日

神原弁護士の平和論

写真=聨合ニュース
5月10日に就任2周年を迎える韓国の文在寅大統領がドイツの新聞「フランクフルター・アルゲマイネ」に寄稿した文章「平凡さの偉大さ 新たな世界秩序を考えて」がインターネットで評判になっています。この100年間の独立・民主化運動を振り返り、朝鮮半島の現代史に刻まれる闘いの精神を讃え、自由と平等、正義と公正、個の尊重と平和の実現を呼びかけたメッセージです。隣国の歴史とともに文大統領の考えもより深く理解させてくれるテキストともいえるでしょう。
この寄稿文の感想を神原元・弁護士(植村裁判東京弁護団事務局長)がツイッターに投稿し、「隣国のリーダーのこの知性溢れる文章を見よ」と書いています。神原弁護士はまた、「近隣諸国との和解こそが国の未来につながる」「慰安婦報道の正義を守った元朝日新聞記者植村隆さんは韓国でも米国でも尊敬されている。彼こそ真の愛国者である」とも書いています。
以下に、神原弁護士の投稿を転載し、その後に、文大統領の寄稿を続けて引用します。


■この知性溢れる文章をみよ
神原元弁護士の投稿 (写真はツイッターのプロフィル画面)



隣国のリーダーの、この知性溢れる文章をみよ。安倍政権下でどれだけ日本は遅れをとったのか。 「平凡さの偉大さ 新たな世界秩序を考えて」 文大統領のFAZ寄稿全文 | 聯合ニュース

民族差別と女性差別と歴史修正主義が交わるところに従軍慰安婦問題がある。 俺はいつも言うのだが、従軍慰安婦問題こそ日本人のリトマス試験紙だ。この問題で正しい立場が取れない者を俺は絶対に信用しない。

ドイツはナチズムを徹底的に清算することで近隣諸国と和解し、EUの盟主になり、外交で米国と対等に渡り合えるまでになった(イラク戦争反対など)。 慰安婦問題をこじらせた日本は近隣諸国に嫌われ、アジアで孤立し、米国の属国にならないと生きていけない。 我々が過去に拘るのは国の未来のためだ。

国を愛するなら米国の属国に甘んじることなく真の独立と民主主義を勝ち取ることだ。そのためには、アジア近隣諸国と真に和解し、米国の軍事力に頼らない中立外交を可能にすることだ。 慰安婦問題を含め、近隣諸国との和解は国の未来の世代のためであって、過去の事象に拘泥しているからではない。

誤解を恐れず言えば、その意味で慰安婦問題は単なる人権・人道問題ではない。日本人が世界の人々と対等に付き合っていけるか、それとも世界から孤立し米国の軍事力だけに頼って生きていくのかの分水嶺なのである。

愛国者を自称する連中が世界中で慰安婦についてデマを流し、それで日本人は世界から軽蔑され孤立している。このことでどれほどの国益が失われたのか。 日本中からのバッシングに耐え、慰安婦報道の正義を守った元朝日新聞記者植村隆さんは韓国でも米国でも尊敬されている。彼こそ真の愛国者である。


慰安婦問題の正しい立場とは、国家の立場を捨て、真に人権・人道の立場に立ち切ること。逆説的だか、そのことにより日本人の尊厳も回復し、結果的に日本の国益に最もかなうと思う。 この間の世界と日本の動きを見て痛切に感じる。

https://twitter.com/kambara7 2019/5/6-5/8



■平凡さの偉大さ 新たな世界秩序を考えて
文在寅大統領の寄稿文 日本語訳文を「聯合ニュース」から引用します。
(引用ここから)

【ソウル聯合ニュース】韓国の文在寅(ムン・ジェイン)大統領は10日の就任2周年に合わせ、ドイツ紙フランクフルター・アルゲマイネ(FAZ)に7日までに、「平凡さの偉大さ 新たな世界秩序を考えて」と題する文章を寄稿した。以下は全文。

1 光州
 韓国南西部の光州は韓国の現代史を象徴する都市です。韓国人は光州に心の負い目があり、今でも多くの韓国人が光州のことを考え、絶えず自らが正義に反していないかどうかを問い返しています。
 1980年春、韓国は大学生たちの民主化運動で熱気に包まれました。朴正熙(パク・チョンヒ)政権の独裁体制、維新体制は幕を下ろしましたが、新軍部勢力が政権を掌握しつつありました。新軍部はクーデターを起こし、非常戒厳令を発動して政治家の逮捕、政治活動の禁止、大学の休校、集会・デモの禁止、報道の事前検閲、布告令違反者の令状なしでの逮捕など、過酷な独裁を始めました。
 ソウル駅に集まった大学生たちは新軍部の武力による鎮圧を懸念し、撤収を決定しました。このとき、光州の民主化要求はさらに燃え上がりました。空輸部隊を投入した新軍部は市民たちを相手に虐殺を行い、国家の暴力で数多くの市民が死亡しました。5月18日に落ち始めた光州の花びらは5月27日、空輸部隊の全羅南道庁鎮圧で最後の花びらまでも散ることになりました。
 光州の悲劇は凄絶(せいぜつ)な死とともに幕を下ろしました。しかし、韓国人に二つの自覚と一つの義務を残したのです。一つ目の自覚は、国家の暴力に立ち向かったのが最も平凡な人々だったということです。暴力の怖さに打ち勝ち、勇気を出したのは労働者や農民、運転士や従業員、高校生たちでした。死亡者の大半も、そうした人々でした。
 二つ目の自覚は、国家の暴力の前でも市民たちは強い自制力で秩序を維持したということです。抗争が続いていた間、ただの一度も略奪や盗みがなかったということは、その後の韓国の民主化過程における自負心、行動指針となりました。道徳的な行動こそ、不正な権力に対抗して平凡な人々が見せることのできる最も偉大な行動だということを、韓国人は知っています。道徳的な勝利は時間がかかるように思えますが、真実で世の中を変える一番早い方法なのです。
 残された義務は、光州の真実を伝えることでした。光州に加えられた国家の暴力を暴露し、隠された真実を明らかにすることがすなわち、韓国の民主化運動でした。私も南部の釜山で弁護士として働きながら、光州のことを積極的に伝えようとしました。多くの若者が命を捧げて絶えず光州をよみがえらせた末に、韓国の民主主義は訪れ、光州は民主化の聖地となったのです。
 孤独だった光州を一番先に世の中に伝えた人が、ドイツ第1公共放送の日本駐在の特派員だったユルゲン・ヒンツペーター記者だったという事実は非常に意義深いことです。韓国人はヒンツペーター氏に感謝しています。故人の意向により、同氏の遺品は2016年5月、光州の五・一八墓域に安置されました。

2 ろうそく革命、再び光州
 私が1980年の光州について振り返ったのは、今の光州について話したかったためです。
 2016年、厳しい冬の寒波の中で行われた韓国のろうそく革命は、「国らしい国」とは果たして何であるかを問いながら始まりました。韓国では1997年のアジア通貨危機と2008年のリーマン・ショックを経て、経済不平等と二極化が進みました。金融と資本の力はより強くなり、非正規雇用労働者の量産で労働環境は悪化しました。そんな中、特権階層の不正・腐敗は国民に一層大きな喪失感を与えました。ついには韓国の南方沖、珍島の孟骨水道を航海していた旅客船のセウォル号でかけがえのない子どもたちが救助も受けられずに亡くなり、韓国の国民は悲しみを胸に抱いたまま、自ら新たな道を探し始めました。
 ろうそく革命は親と子が一緒に、母親とベビーカーの幼児が一緒に、生徒と先生が一緒に、労働者と企業家が一緒に広場の冷たい地面を温めながら、数カ月にわたり全国で続きました。ただの一度も暴力を振るうことなく、韓国の国民は2017年3月、憲法的価値に背いた権力を権力の座から引きずり下ろしました。最も平凡な人々が、一番平和的な方法で民主主義を守ったのです。1980年の光州が、2017年のろうそく革命で復活したのです。私は、韓国のろうそく革命について歌と公演を織り交ぜた「光の祭り」と表現し、高いレベルの民主主義意識を示したと絶賛したドイツの報道をありがたい気持ちで記憶しています。
 今の韓国政府はろうそく革命の願いによって誕生した政府です。私は「正義のある国、公正な国」を願う国民の気持ちを片時も忘れていません。平凡な人々が公正に、良い職場で働き、正義のある国の責任と保護の下で自分の夢を広げられる国が、ろうそく革命の望む国だと信じています。
 平凡な人々の日常が幸せであるとき、国の持続可能な発展も可能になります。包容国家とは、互いが互いの力になりながら国民一人一人と国全体が一緒に成長し、その成果を等しく享受する国です。
 韓国は今、「革新的包容国家」を目指し、誰もが金銭面を心配することなく好きなだけ勉強し、失敗を恐れず夢を追い、老後は安らかな生活を送れる国を築いていっています。こうした土台の上で行われる挑戦と革新が民主主義を守り、韓国経済を革新成長に導くものと信じています。
 包容国家は社会経済体制を包容と公正、革新の体制に変える大実験です。韓国では雇用部門で、より良質な雇用をより多く生み出すため努力しています。労働者がより良い生活を送り、働いただけ正当な対価を得られるよう、社会的合意を通じて最低賃金の引き上げと労働時間の短縮を進めています。若者の雇用のための予算を増やすとともに、退職後の人生にも責任を負うべく中年層の再就職訓練に対する支援を実施しました。また高齢者の基礎年金を引き上げ、雇用関連予算を増やしました。
 経済部門では、これまで韓国経済を支えてきた大企業と中小企業の共生に取り組んでいます。革新的なベンチャー企業や中小企業がどんどん成長していけるよう、規制を大胆に取り除き、金融も革新を評価する方向に変えていっています。
 福祉部門ではライフサイクルに合わせた社会保障システムの構築を進めています。医療保険の保障範囲を広げ、安心して子育てできるよう保育サービスの拡充に努めています。誰もが差別されない社会を目指し、発達障害者のライフサイクルごとの総合対策を立て、女性の権益を増進する一方、性差別には断固として対処しています。外国人労働者の子どもや国際結婚家庭に対する支援も強化しています。教育部門では入試競争や詰め込み式教育を脱却し、創意性を重視する革新教育にシフトしていく予定です。
 しかし、慣れ親しんだ慣習を脱し、変化していく過程では葛藤も起こり得ます。利害関係が異なる人々の間で対話し、調整し、妥協する時間が必要です。これを通じ、皆に利益になることを探していかねばなりません。大実験を成功させるには社会的大妥協が伴う必要があります。
 韓国は植民地支配と戦争で廃墟と化しましたが、わずか70年ほどで世界11位の経済大国に成長しました。私たちは、こうした成果を変化にスピーディーに対処することで成し遂げました。農業から軽工業、重化学工業、先端情報通信技術(ICT)に至るまで、どの国も不可能だったとてつもない変化を自ら成し遂げ、第2次世界大戦後の新生独立国のうちで唯一、先進国に飛躍しました。韓国には、裸一貫から成功を遂げた底力があります。韓国国民は変化を恐れず、むしろ能動的に利用する国民です。
 近ごろ、光州で意味のある社会的大妥協が起きました。適正賃金を維持しながらより多くの雇用を得るため、労働者と使用者、民間と政府がそれぞれの利害を離れて5年以上も向き合いました。労働者は一定部分の賃金を諦めねばなりませんでした。使用者には、雇用を保障し、労働者の福利厚生に責任を負いつつもコストを維持せねばならないという困難がありました。人間らしい暮らしを守ろうとする民間の要求が強く、各種法規を調整して安定した企業運営を支援せねばならない政府もまた、妥協に苦労しました。
 簡単ではありませんでしたが、譲歩と分かち合いによって最終的に大妥協を成し遂げました。韓国ではこうして生み出された雇用を「光州型雇用」と呼びます。韓国人は、大義のため自らを犠牲にする「光州精神」がもたらした結果だと受け止めています。民主化の聖地、光州が社会的大妥協の模範を作り、経済民主主義の第一歩を踏み出したと考えています。
 「光州型雇用」には雇用を生み出すこと以上の意味があります。それは、より成熟した韓国社会の姿を反映していることです。産業構造が急変していく中で労働者と使用者、地域がどう共生していけるのかを示したのです。
 「光州型雇用」は「革新的包容国家」へ向かう上で非常に重要な転換点になるでしょう。韓国人は長年の経験から、少し時間がかかるように思えても社会的合意を成し遂げ、共に前に進んでいく方が皆にとって良いということを知っています。少しずつ譲歩しながら一緒に歩んでいく方が結局は近道だということも、よく理解しています。1980年5月の光州が民主主義のろうそくになったように、「光州型雇用」は社会的妥協で新たな時代の希望を示し、包容国家の踏み石となりました。
 包容は平凡さの中に偉大さを見つけることです。平凡の集まりが変化をつくり出すことのできる、新たな環境を整えることです。韓国政府は今、「光州型雇用」の成功が全国に広がるよう全力を尽くしています。
 ドイツは包容と革新を最も理想的に具現した国の一つです。平和的な方法で統一を実現した歴史と、包容と革新によって社会の統合を成し遂げた事例は、私たちに常にひらめきをもたらしました。韓国の光州も、新たな秩序を模索する世界の多くの人々にひらめきを与えられればと願っています。

3 平凡な人々の世界
 韓国ではちょうど100年前、平凡な人々が力を合わせて新たな時代を開きました。日帝(日本)による植民地支配を受けていた人々が、1919年3月1日から独立万歳運動を始めました。202万人、当時の人口の10%が参加した大規模な抗争でした。木こり、妓生、視覚障害者、鉱員、作男、名前も知られていない平凡な人々が先頭に立ちました。
 韓国で三・一独立運動が重要である理由は二つです。一つはこの運動を通じて市民意識が芽生えたことです。一人一人に国民主権と自由と平等、平和に向けた熱望が生まれ、これによって階層、地域、性別、宗教の壁を超えました。一人一人が王政の百姓から国民に生まれ変わりました。そして大韓民国臨時政府を樹立しました。
 臨時政府は日帝に対する抵抗を超え、完全に新しい国を夢見ました。1919年4月11日、国号を大韓民国と定めて「臨時憲章」を公布し、大韓民国は君主制ではなく民主共和国であることを明確にしました。臨時憲章第3条では「大韓民国の人民は男女、貴賤、貧富、階級を問わず平等だ」と明示しました。女性を含む全ての国民の選挙権と被選挙権も保障しました。当時、臨時政府の構成に加わった韓国の独立運動家の安昌浩(アン・チャンホ)はこう言いました。「過去に皇帝は1人だったが、今は2000万人の国民が皆皇帝です」。民主共和国を表現した、実に明快な言葉です。
 臨時政府は27年近く、亡命地で植民地解放運動を展開しました。世界の植民地解放運動史において極めて珍しいケースです。臨時政府があったからこそ、列強の国々はカイロ宣言を通じて韓国の独立を保障することになるのです。
 三・一独立運動が重要である二つ目の理由は、心を一つにすることほど大きな力はないと気付き、互いを信じて一度も行ったことのない道へ進んだということです。当時、運動に加わって日帝の監獄に入れられた韓国の近代小説家、沈薫(シム・フン)は母親にこんな手紙を送りました。
 「お母さん! 私たちが千回、万回、祈りを捧げても、固く閉ざされた獄門がおのずと開かれることはないでしょう。私たちがどれだけ声を張り上げて泣き叫んでも、大きな願いが一朝にしてかなうこともないでしょう。しかし、心を一つにすることほど大きな力はありません。一丸となって行動を同じくすることほど恐ろしいことはありません。私たちはいつもその大きな力を信じています」
 韓国の近現代史は挑戦の歴史でした。植民地と南北分断、戦争と貧困を超え、民主主義と経済発展を目指して前進してきました。その歴史の波をつくったのは、平凡な人々でした。三・一独立運動後の100年間、韓国人は誰もがそれぞれの胸に泉(力の源泉)を抱いて生きてきました。危機のたびに一緒になって行動しました。「豊かに暮らしたいが、一人だけ豊かに暮らしたくはない」「自由になりたいが、一人だけ自由になりたくはない」という気持ちが集まり、歴史の力強い波となりました。
 私は、民主主義は制度や国家運営の道具ではなく、内在的価値だと考えています。平凡な人々が自分の暮らしに影響を与える決定の過程に加わり、声を上げることで、国民としての権利、人間としての尊厳を見いだすことができると思います。私たちはより良い民主主義をつくれるのです。ジョン・デューイの言葉のように、民主主義の問題を解決するためにはより多くの民主主義を行うしかないのです。
 民主主義は平凡な人々により尊重され、補完されながら広がっています。制度的で形式的な完成を超え、個人の暮らしから職場、社会に至るまで実質的な民主主義として実践されています。平凡さの力であり、平凡さが積み重なって成し遂げた発展です。
 100年前、植民地の抑圧と差別に立ち向かい闘った平凡な人々が、民主共和国の時代を開きました。自由と民主、平和と平等を成し遂げようとする熱望は100年がたった今なお強いのです。国が国らしく存在できないとき、三・一独立運動の精神はいつでもよみがえりました。

4 平凡さのための平和
 東洋には「乱世に英雄が生まれる」という言葉があります。しかし、乱世こそ平凡な人々が自分の人生を自ら開いていくことのできない時代です。英雄は生まれますが、平凡な人々は不幸に陥る時代です。
 中国の古典「史記」の「孫子呉起列伝」にこんな一節があります。「人曰、子卒也、而将軍自吮其疽、何哭為」。人いわく「息子が卒兵なのに将軍が自ら息子の腫れ物の膿を口で吸い出してくれた。どうして泣いているのですか」。泣く必要はないのにどうして泣いているのかという意味です。母親は、息子が将軍の行動に感激し、戦場で必死に戦って死ぬのではないかと思って泣いたのです。「史記」にはその母親の夫も同じことを経験して必死に戦い、死んだと記されています。
 「史記」の著者の司馬遷は将軍・呉起の立派な行動を伝えようとしたのですが、この話は夫を失った妻のふびんな境遇が行間に潜んでいます。私たちの好きな英雄譚(たん)には、常に自らの運命を奪われた平凡な人々の悲劇が隠されているのです。
 韓国の分断の歴史にも、平凡な人々の涙と血が染みついています。分断は個人の人生と思考を反目に慣れさせました。分断は既得権を守る方法、政治的な反対者を葬る方法、特権と反則を許す方法として利用されました。平凡な人々は分断という「乱世」の間、自分の運命を自ら決められませんでした。思想と表現、良心の自由を抑圧されました。自己検閲を当然のものと考え、不条理に慣れていきました。
 この長きにわたる矛盾した状況を変えてみようという熱望は、韓国人がろうそくを掲げた理由の一つでした。民主主義を守ることで平和を呼び込もうとしたのです。ろうそくが平和に向かう道を照らさなかったなら、韓国は今も平和に向けて一歩も踏み出せずにいたでしょう。ろうそく革命の英雄は、極めて平凡な人々の集団的な力でした。「乱世に英雄が生まれる」という東洋の古言は「平凡な力が乱世を克服する」という言葉に変えるべきでしょう。
 私は、季節が変わりゆくように人間社会の出来事にも過程があると信じています。東・西ドイツ間の鉄のカーテンが欧州を貫く巨大な生命の帯「グリーンベルト」に完全に変貌したように、朝鮮半島の平和が東西を横切る非武装地帯(DMZ)にとどまらず南北に拡大し、朝鮮半島を超えて北東アジア、欧州まで広がっていくことを期待しています。朝鮮半島全域にわたり長く固着している冷戦的な葛藤と分裂、争いの体制が根本的に解体され、平和と共存、協力と繁栄の新秩序に置き換わることを目指しています。韓国ではこれを「新朝鮮半島体制」と名付けました。
 「新朝鮮半島体制」は朝鮮半島の地政学的大転換を意味します。朝鮮半島は地政学的に大陸勢力と海洋勢力が衝突する断層線にあります。欧州のバルカン半島と似ています。このため、歴史的にたびたび戦争の受難を経験しました。特に、朝鮮半島の南と北が非武装地帯を境界に分断されて以降、韓国は事実上、大陸とのつながりが断たれた「島のような存在」でした。
 朝鮮半島に新たな秩序を築くことは、島と大陸をつなぐ橋を築くことです。昨年4月、私は南北軍事境界線がある板門店で北朝鮮の金正恩(キム・ジョンウン)国務委員長(朝鮮労働党委員長)と会いました。北朝鮮の最高指導者が朝鮮戦争以来で初めて、韓国側の地へ越えてきた歴史的な瞬間でした。私たちはそこで、互いに対する軍事的な敵対行為をやめようと約束しました。
 その最初の措置として、非武装地帯の監視所の一部を撤去し、周辺地域の地雷撤去作業も実施しました。非武装地帯内に南と北をつなぐ道路が敷かれ、13柱の遺骨も発掘され故国に戻りました。こうした作業を進めていたところ、昨年11月にはそれぞれ南側と北側を出発した軍人が朝鮮戦争の最後の激戦地だった矢じり高地で鉢合わせする出来事がありました。彼らは互いに銃口を下ろして握手を交わし、予想外の遭遇を楽しみました。朝鮮戦争の休戦協定締結から65年にして、このように非武装地帯に春が訪れたのです。
 朝鮮半島の春はドイツのベルリンから始まりました。私は2017年7月、金大中(キム・デジュン)元大統領による2000年の「ベルリン宣言」に続き、ろうそく革命の熱望を込めてベルリンで朝鮮半島の新たな平和構想を語りました。当時、多くの人々は単なる希望事項にすぎないと考えました。朝鮮半島の冬はなかなか去る様子はなく、北朝鮮は核実験とミサイル発射を繰り返して危機を高めていました。周辺国も制裁を次第に強化し、「4月危機説」「9月危機説」が飛び交い、韓国人は本当に戦争が起きるのではと心配しました。
 ドイツのウィリー・ブラント元首相は「一歩も進まないより、小さな一歩でも進む方がいい」と言いました。私の考えも同じでした。何かを始めなければ、国民の熱望をかなえることはできませんでした。「小さな夢を見てはいけない、それは人の心を動かす力がない」というゲーテの文章を思い出しました。冬を抜けて春の新芽を芽生えさせるには、朝鮮半島の非核化と恒久的平和という大きな夢を語る必要がありました。国民らと一緒に成し遂げられる、大きな夢でなければならなかったのです。
 北朝鮮は2018年1月の新年の辞で南北関係を改善する用意があると表明し、韓国の大きな夢に応えてきました。続けて、平昌冬季五輪への参加の意向を伝えてきました。周辺国と欧州の国々までもが朝鮮半島の雪解けに支持と声援を送ってくれました。韓国の国民は、平昌五輪を平和五輪にするため心を合わせました。
 「ベルリン宣言」で、私は北朝鮮に「簡単なことからやろう」と呼び掛け、四つのことを提案しました。平昌五輪参加、朝鮮戦争などで生き別れになった南北離散家族の再会事業、互いに対する敵対行為の中断、そして南北間の対話と接触の再開です。驚いたことに、この四つは2年が過ぎた今、全て現実のものになりました。昨年2月の平昌冬季五輪の開会式で、南北の代表選手団は世界の人々が見つめる中で朝鮮半島旗(統一旗)を掲げて合同入場しました。離散家族が再会し、今やいつでも映像を通じて再会できるシステムを備えています。何よりも朝鮮半島の空と海、陸地で銃声は消えました。私たちは北朝鮮の地、開城に共同連絡事務所を開設し、日常的に互いが対話し、接触するチャンネルをつくりました。朝鮮半島の春が、こうしてにわかに近づいてきたのです。
 これまで私が残念に思っていたことは、韓国の国民が休戦ラインの向こうをもはや想像できないことでした。朝鮮半島で南と北が和解し、鉄道を敷き、人と物が行き交うようになれば、韓国は「島」ではなく海洋から大陸に進出するための拠点、大陸から海洋に出ていくための関門になります。平凡な人々の想像力が広がるということはすなわち、理念から解放されるという意味でもあります。国民の想像力も、生活の領域も、思考の範囲もはるかに広がり、これまで耐えねばならなかった分断の痛みを癒やせるでしょう。
 今や南北の問題は理念や政治に悪用されてはならず、平凡な国民の生命と生存の問題に広げていかねばなりません。南と北はともに生きていくべき「生命共同体」です。人が行き来できない状況でも病虫害が発生し、山火事が起こります。目に見えない海上の境界は操業権を脅かしたり、予想外の国境侵犯で漁民の運命を変えたりします。こうした全てのことを元に戻すことが、まさに恒久的平和なのです。政治的、外交的な平和を超え、平凡な人々の生活のための平和です。
 「新朝鮮半島体制」は受動的な冷戦秩序から能動的な平和秩序への転換を意味します。かつて、韓国国民は日帝の占領と冷戦により自身の未来を決められませんでした。しかし今、自ら運命を切り開こうとしています。平凡な人々が自分の運命の主人になるのです。
 朝鮮半島と北東アジアの既存秩序は、第2次世界大戦の終戦と同時に北東アジアに植え付けられた「冷戦構造」と深く関わっています。戦後処理の過程で韓国人の意思とは異なり分断が決まり、悲劇的な戦争を経験せねばなりませんでした。このとき、韓米日の南方3角構図と、これに対応する北朝鮮と中ロの北方3角構図が暗黙のうちに定着することになりました。
 こうした冷戦構図は1970年代のデタント(緊張緩和)と1990年代のソ連解体、中国の市場経済導入でかなり解消されましたが、朝鮮半島でのみ、今なおそのままです。南北は分断されており、北朝鮮は米国、日本と正常な国交を結んでいません。こうした状況で、南北は昨年、「板門店宣言」と「平壌宣言」を通じて敵対行為の終息を宣言することで、恒久的な平和定着に向けた最初のボタンを掛けました。同時に、北朝鮮と米国は非核化問題とあわせて関係正常化のための対話を継続しています。朝米(米朝)が対話によって完全な非核化と国交を実現し、朝鮮戦争の休戦協定が平和協定に完全に置き換えられてはじめて冷戦体制は崩れ、朝鮮半島に新たな平和体制が築かれるでしょう。
 平和はまた、共に豊かに暮らす国に発展するための基盤となります。「新朝鮮半島体制」は平和経済を意味します。平和が経済発展につながり平和をより強固にする、好循環の構造を指します。南と北は恒久的な平和定着を促進するため、共に繁栄できる道を思い悩んでいます。すでに、断ち切られた鉄道と道路の連結に着手しました。韓国の技術者たちが分断以来で初めて北朝鮮の鉄道の状況を調査しました。鉄道と道路の連結事業の着工式も開催しました。
 南北経済交流の活性化は、周辺国と結びつきながら朝鮮半島を超え東アジアとユーラシアの経済回廊に生まれ変わることができます。南北とロシアはガスパイプをつなぐ事業について実務的な協議を始めています。昨年8月には、北東アジア6カ国と米国でつくる「東アジア鉄道共同体」を提案しました。私は「欧州石炭鉄鋼共同体」をモデルに「東アジア鉄道共同体」を北東アジアのエネルギー共同体、経済共同体に発展させたいと考えています。この共同体はさらに、多者(多国間)平和安全保障体制に発展していけるでしょう。
 韓国が推進している「新南方政策」と「新北方政策」により、朝鮮半島の平和経済は一層拡大するでしょう。新北方政策はユーラシアとの経済協力に道を開くものです。北朝鮮は昨年6月、ユーラシアの国々が全て加わっている鉄道国際協力機構への韓国の加盟に初めて賛成しました。釜山からベルリンまで鉄道で移動できる日が来るでしょう。韓国は南北和解を基に北東アジアの平和の促進者となるでしょう。
 新南方政策は朝鮮半島が東南アジア諸国連合(ASEAN)、西南アジアとともに新たな戦略的協力を模索するものです。韓国は人(People)、平和(Peace)、繁栄(Prosperity)の共同体を中核価値と見なし、周辺国と人的・物的交流を強化していきます。アジアが持つ潜在力をともに実現し、共同繁栄の道を模索していきます。
 韓国国民は、平凡な人々の自発的な行動が世の中を変える最も大きな力だということを示しました。こうした力は最後に残った「冷戦体制」を崩壊させ、「新朝鮮半島体制」を主導的に築いていく原動力になるでしょう。重要なことは、1人の平凡な人が自分の意思と関係なく不幸になる状況を防ぐことです。平和の実現も、結局は平凡な国民の意思によって始まり、完成され得るということを世界に示せるよう望みます。

5 包容的世界秩序を目指して
 第2次世界大戦以降、欧州もやはり冷戦の渦中に飲み込まれていきました。各国の政府は新たな同盟戦略を模索しました。冷戦で分断されたドイツは平和を目指して大胆に前進し、欧州の変化をけん引しました。
 ベルリンの壁によって突如として生き別れになったドイツの45万人の市民らは統一と平和への願いを抱き、1963年6月、ブランデンブルク門前の西ドイツ側に集まりました。その年、ウィリー・ブラント西ベルリン市長はクリスマス期間に別れた家族や親戚に会えるようにするための交渉を提案しました。東方政策の始まりでした。東西ドイツが互いを競争と封鎖の対象ではなく、協力と共生の対象として見るようになりました。
 東ドイツのライプチヒでは1980年代初めから、毎週月曜日に小さな祈祷(きとう)会が開かれました。この小さな祈祷会は1989年10月9日、選挙と旅行の自由、ドイツ統一を要求する平和行進に発展しました。7万人で始まった平和行進は、わずか2週間で30万人を超えました。1カ月後の11月9日、ベルリンの壁が崩壊しました。
 欧州の平凡な市民たちが平和の実現に乗り出し、積極的に各国政府を動かしたからこそ、欧州の秩序が変わったのだと思います。欧州の市民たちの意志と行動は1952年、欧州連合(EU)の母体となった「欧州石炭鉄鋼共同体」を発足させ、1975年には現在の欧州安全保障秩序の起源と言える「欧州安全保障協力会議」を胎動させました。
 欧州の事例から分かるように、国家間の関係において包容性は非常に重要です。国境と分野を超えて包容し、公正なチャンスと互恵的な協力を保障するとき、世界はともに豊かに暮らし、ともに発展することができます。しかし、戦後秩序の根幹である自由貿易主義と国際主義が顕著に弱まり、再び保護貿易主義と自国優先主義がうごめいています。こうした国際的な危機は、包容と協力の精神を消しつつあります。国際社会の一員としての各国の責任と規範を強調する協力の政治が切実に求められます。
 再び、平凡な人々が重要です。平凡な人々が変えられることは、国内問題に限られません。国家を変えれば、世界秩序も変えられます。平凡な全ての人々が国家運営を自身の権利、責任と考え、世界の運命を自身の運命と関連付けて考えるとき、新たな世界秩序は築かれるでしょう。平凡な人々が国境や人種、理念や宗教を超えて連帯し、協力するとき、世界は共に豊かに暮らす持続可能な発展を遂げるでしょう。
 社会的弱者をのけ者にせず、働いただけ対価を受け取り、安定した福祉で多数が成長の果実を享受する世界が、包容的世界です。すでに私たちは韓国や欧州、世界のあちこちで平凡な人々が包容によって成し遂げてきた成果を知っています。
 ドイツは自由な市場経済を追求する一方で、雇用不安、賃金格差、貧困、老後不安などさまざまな社会的リスクに対する保障を提供し、社会統合を果たしました。北欧の国々は多額のコストを伴う福祉制度が国の競争力を弱めないよう、絶え間ない教育投資を通じて国の革新力を保ちました。
 特定の国家や公共部門の努力だけで、気候変動のような地球全体の問題を解決することは不可能です。国連の「気候変動に関する政府間パネル」(IPCC)は昨年、「地球温暖化1.5度報告書」を採択しました。気候の専門家らは、産業化以前に比べて地球の気温上昇を1.5度に抑えられれば、2度上がった場合と比較して1000万人の命を救うことができると見込みました。国際的な支援と協力により、全ての国が気候変動に共同で対応してこそ達成できる目標です。
 世界的に包容性を受け入れることも重要です。紀元前2000年から、アジアの国々は「治山治水」を成功的な国家運営の最初の徳目と見なしていました。「山と水を治める」という意味のこの言葉には、「自然を尊重する」という精神が込められています。木を育てて山崩れを防止し、水をせき止めておくよりも自然に流れるようにして洪水と干ばつの被害を減らそうとしました。人間と自然、開発と保全を分けて考えることはしませんでした。私は、これは世界が追求する持続可能な発展と通じるところがあると思います。
 しかし現在、なお多くの国が経済発展と環境保護を別のものと見なしています。先進国と開発途上国の間で、相手の立場に立って考える精神が必要です。私たちだけでなく未来の世代が一緒に生きていく地球のため、人間と自然が共に生きていく知恵と、平凡な人々が持つ包容の力を発揮するときです。そうすれば、新たな世界秩序と持続可能な発展という夢は現実のものになるでしょう。
 各国が包容性を強化して国家間の格差を減らし、国民の世界市民として考える力を養う必要があります。平凡な市民が成し遂げた欧州の統合と繁栄は、世界をよりよいものにしようとする人類に意志と勇気を与えてくれるでしょう。

6 平凡さの偉大さ
 平凡な人々が自分の人生を開いていけること、日常の中で希望を持ち続けられること、ここに新たな世界秩序があります。歴史書に全く出てこない人々、名前ではなく労働者、木こり、商人、学生といった一般名詞で登場する人々、こうした平凡な人々が一人一人、自分の名前で呼ばれなければなりません。世界も、国家も、「私」という1人で始まります。働いて夢を見る、日常を維持していく平凡さが世界を構成しているということを、私たちは認識する必要があります。
 そのためには、1人の人生が尊重されねばなりません。1人の人生の価値がどれだけ重要なのか自分でも理解する必要がありますが、歴史的に、文化的に再評価されるべきだと思います。自身の行動が周囲に影響を与えられるということ、またどんな行動が周囲に広がり、最終的にどんな結果をもたらし得るのかについて語り、記録に残さねばなりません。
 平凡さが偉大であるためには、自由と平等に劣らず正義と公正が保証されるべきです。人類の全ての話は「善事を勧め、悪事を懲らしめる」という平凡な真理を反すうします。東洋では「勧善懲悪」という四字熟語で表現します。この簡明な真実が正義と公正の始まりです。無限競争の時代が続いていますが、正義と公正がより普遍化した秩序となるべきです。
 正義と公正の中でのみ、平凡な人々が世界市民に成長できます。今はまだ何もかもが進んでいる最中のようですが、人類が歩んできた道に新たな世界秩序に対する解決策があります。東洋には「人は倉に穀物がいっぱい詰まっていれば礼節を知り、衣服や食物が満ち足りてこそ栄誉と恥辱を知る(倉廩実而知礼節、衣食足而知栄辱)」という古言があります。正義と公正によって世界は成長の果実を等しく分かち合えるようになり、これを通じて皆に権限が与えられ、義務が芽生え、責任が生じるでしょう。
 今、世界が危機だと捉えていることは平凡な人々が解決していくべきことです。これは一国では解決できない問題であり、1人の偉大な政治家の慧眼では成し遂げられないことです。苦しんでいる隣人を助け、ごみを減らし、自然を大切にする行動が積み重なっていくべきです。こうした行動を取る人が1人しかいなければ「何を変えられるだろう?」と懐疑的になるかもしれませんが、この小さな行動が積み重なれば流れが大きく変わります。
 そして結局、私たちは世界を守り、互いに分かち合いながら、平和な方法で世界を少しずつ変化させられるようになるでしょう。平凡な人々の日常がそうであるように、ゲーテが残した警句のように「急がずに、だが休まずに」。
*同寄稿文は韓国語の原文を聯合ニュースが翻訳したものです。

(引用ここまで)

2019年5月4日土曜日

5.10弁論に注目!

結審後に再開、中断など異例の事態が続いていた植村裁判東京訴訟(被告西岡力氏、文藝春秋)の口頭弁論が5月10日(金)に開かれます。


東京訴訟第16回口頭弁論

5月10日(金)午後3時開廷

東京地裁706号法廷

この日の弁論で再結審し、判決期日が改めて指定されるものとみられます。
この裁判は昨年11月にいったん結審し今年3月に判決が出る予定でしたが、裁判所が今年2月に弁論を再開し、被告側に新証拠の提出を要求しました。そのため、植村弁護団は公正な審理手続きと裁判長らの交代を求めて裁判官忌避を申し立て、審理は中断していました。
この間に原克也裁判長ら2人は東京高裁や鹿児島地裁に異動しましたが、この裁判については交代せずに継続して担当するという異例の措置がとられています。

706号法廷はこれまでのような傍聴席が約100席ある大法廷ではなく、席数がその半分くらいしかない7階の法廷です。午後2時40分締め切りで傍聴券が交付され、希望者多数の場合は抽選となります。傍聴希望の方は早めにお集まりください。


報告集会

同日午後5時開会

参議院議員会館101会議室

▽弁護団からの報告(東京弁護団から=裁判官忌避と弁論再開までの経過と問題点について、札幌弁護団から=4月に始まった控訴審の主な論点などについて)
▽徃住嘉文氏の報告(札幌控訴審に提出された櫻井よしこ氏に関する新証拠について)
▽植村隆氏の報告と決意表明
があります。午後6時30分閉会予定。

◆主催:植村訴訟東京支援チーム
◆共催:新聞労連/メディア総合研究所/日本ジャーナリスト会議(JCJ

2019年4月27日土曜日

映画「標的」支援を


映像ジャーナリストの西嶋真司さんが植村さんのたたかいの日々を描いたドキュメンタリー映画「標的」の完成が近づいています。
西嶋さんは社会問題をテーマに多くの番組と映像作品を世に送り出してきた元RKB毎日放送のディレクターです。2016年秋に北海道大で開かれた「慰安婦と歴史修正主義」シンポジウムで植村さんを撮り始め、以来、札幌、東京、福岡、ソウルなどで、裁判や集会、講演、講義などに密着して植村さんの言葉と表情、周辺の人々を記録してきました。

今夏に完成し、公開は自主上映でスタートするとのことです。今後の編集プロセスでは資料映像購入や楽曲制作、印刷物、試写などに多額の費用がかかるため、資金拠出を広く求めるクラウドファンディングが4月25日に立ち上がりました。

■制作趣旨、映像の短縮版、寄金申し込み方法などプロジェクトの詳細は➡ こちら

■西嶋真司さんのメッセージを同プロジェクトのサイトから一部、転載します


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このプロジェクトは、ドキュメンタリー映画「標的」の制作費、および全国上映に向けた宣伝費を募るものです。「標的」は“捏造記事”を書いたとして激しいバッシングに晒された元新聞記者が主人公。他のメディアも同じ様な記事を伝える中、何故彼だけがバッシングの標的になったのか? 民主主義の根幹を揺るがすジャーナリズムの危機に迫ります。

■「慰安婦報道」に向けられた誹謗と中傷〜ジャーナリストはなぜ標的になったのか
 元朝日新聞記者の植村隆さん。20年以上も前に書いた元慰安婦をめぐる記事の中で「女子挺身隊の名で戦場に連行され、日本軍人相手に売春行為を強いられた」と書いたことで右翼論壇やその支持者たちから執拗なバッシングを受けました。攻撃は次第にエスカレートし、植村さんが教鞭をとることが内定していた大学や植村さんの家族までもが卑劣な脅迫に曝されました。
 日本政府は慰安婦が強制的に戦地へ送られたことを裏付ける資料が発見されていないとして、慰安婦の募集に国家や軍部が関与したことを否定しています。「女子挺身隊の名で戦場に連行され」という植村さんの記事が「捏造」だと批判されたように、国家にとって不都合な報道に対するバッシングは後を絶ちません。
 「売国」「国賊」「反日」。植村さんの名前をインターネットで検索すると、今もこのような文字が溢れています。自分たちと価値観の異なるメディアや個人を狙った執拗な攻撃や脅迫が繰り返され、それに屈するかのように多くのメディアが沈黙し、萎縮しています。それは言論の自由が保障されたはずの日本の民主主義が崖っぷちに立たされていることを物語っています。
 この状況に危機感を覚えた多くの市民、マスコミ関係者、弁護士たちが植村さんの支援に立ち上がりました。そこで制作されたのが映画「標的」。植村さんと彼を支える人々が理不尽なバッシングに真正面から立ち向かう姿を多くの人に知ってもらいたいと願います。
■ジャーナリストが自由に発言できる社会に
 映画を監督する私(西嶋真司)は植村さんが“捏造記事”を書いたとされる19918月、民放のソウル特派員として慰安婦報道の渦中にいました。当時、韓国では「挺身隊」と「慰安婦」が同義語として使われていて、私をはじめ日本の他のマスコミも慰安婦問題の記事に挺身隊という言葉を使っていました。記事を書いた一人として植村さんの記事が「捏造」ではないことを誰よりも理解しており、脅迫や嫌がらせによって言論を封じ込めようとする動きに危機感を強めました。
 ジャーナリストの役目は自由な言論空間の中で国民の知る権利に奉仕すること。ジャーナリストが萎縮し、国民に真実が伝わらなくなれば社会は衰退します。真実をきちんと報道できる社会にするため、まずは現状を知ってもらいたいという思いからドキュメンタリー映画の制作に動き出しました。

■おかしいことをおかしいと言う
 おかしいことをおかしいと言う。メディアとしての当たり前の役割が機能しなくなっている日本の現状を、映画「標的」を通して、より多くの方に知ってほしいと考えています。ドキュメンタリー映画はご覧いただいた方々が意見や感想を共有することで、社会を動かす大きな力を生み出します。皆様からのご支援によって映画を全国の人々のもとに届け、自由な言論を守ることの意義について考える機会を広げたいと思います。
目標金額は300万円
·         撮影及び編集費(40万円)
·         上映用素材制作費(10万円)*本編および予告編のブルーレイ・サンプル用DVD
·         交通費(25万円)
·         ナレーション録音費(40万円)
·         楽曲や資料映像の著作権料(40万円)
·         HPデザイン費(15万円)
·         英語翻訳費(15万円)
·         パンフレット制作費(25万円)
·         印刷費(40万円)*ポスター・チラシなど
·         試写会会場費(30万円)
·         映画宣伝外注費(10万円)
·         DM郵送、チラシ配送等(10万円)
■リターンの概要
 多くの人に参加していただける映画にしたいと思い、支援者のお名前を映画の公式サイトやエンドロールに掲載いたします(掲載を希望されない方はその旨をおしらせください)。また金額に応じて、映画の鑑賞券やプレミア上映会へのご招待、映画本編のDVD、特典映像付きDVD、プライベート上映会の開催など様々なリターンを用意しております。プライベート上映会については上映用および宣伝用の素材はこちらから提供しますが、上映会場費や上映設備費用はリターンには含まれず、別途、主催者の負担になります。ご了承ください。
■想定されるリスク
 映画「標的」は現在、進行している裁判などを取りあげています。20198月中に制作を終えて、2019年中に上映を開始する予定ですが、今後の動きによってはスケジュールが前後する可能性があります。
 東京、大阪、名古屋をはじめとする日本の主要都市での上映を想定していますが、映画が未完成の現時点では、上映場所、日程などを特定できないことをご了承ください。支援者の皆様には途中経過を随時ご報告いたします。
■言論の自由が保障された社会を目指して
 アメリカのトランプ大統領は自らに不都合な報道を「フェイクニュース」と主張してツイッターで拡散させます。権力に批判的なサウジアラビア人のジャーナリストが、昨年、大使館内で殺害されました。権力に抗う記事を書けば、脅迫や迫害が待っているとすればジャーナリズムの存在そのものが危うくなります。それは日本も例外ではありません。
 映画「標的」は理不尽なバッシングに毅然と立ち向かう主人公と支援者たちの姿を通して、多様な言論が保障された社会の実現に取り組みます。皆様のご支援をお待ちしています。


2019年4月26日金曜日

札幌控訴審報告集会

▼写真下左から=小野寺弁護士、殷弁護士、植村さん

第1回控訴審の報告集会は同日(4月25日)午後6時から、裁判所近くの市教育文化会館301会議室で開かれた。
前日に桜の開花発表があった札幌だが、この日の最高気温は12度で、冷たい強風が吹いたせいか、参加者は約60人で空席が目立った。

集会は、植村裁判を支える市民の会(略称「支える会」)事務局長の七尾寿子さんの司会で進められた。
開会あいさつは副事務局長の林秀起さん(元朝日記者)が行い、地裁判決の問題点をあらためて指摘した。
■林さんのあいさつ
札幌地裁の判決はとても承服できない判決でした。櫻井氏はジャーナリストを自称していますが、それは違うだろう、と元新聞記者のジャーナリストの端くれとして私は思っています。私は現場で若い記者たちにいちばん最初に徹底的に教えたことは、事実の裏付けを確実に取るということです。そして、あの人はこう言っていた、この人はこう言っていた、というメッセンジャーではない、自分は何をどういうふうに思うのか、そこをきちんとしていなければ記事は書けない、と徹底的に教えてきました。
ところが一審判決は、櫻井さんがそのようなジャーナリストとしての最低限の基本のキをないがしろにして、植村さんの記事が捏造だと信じたことには相当の理由がある、との結論を導いています。
櫻井さんは、自分ができること、ジャーナリストとしてやらなければならないことを意識的にしないで、そのまま裁判に臨み、裁判で主張してきたことを裁判所が認めたということです。櫻井氏が捏造だと信じたんだからしょうがないんだろう、という判決です。これではジャーナリズムというものが成り立たなくなる。この判決を覆さないと、ジャーナリズムの将来はとんでもないことになるだろうと思います。皆さんとともに高裁の控訴審を見守り、植村さんを支えていきたい。


■弁護団の報告
弁護団報告は、札幌弁護団事務局長の小野寺信勝弁護士と東京弁護団の殷勇基弁護士が、20分ずつ行った。
小野寺弁護士はパワーポイントを使って控訴審の主要論点を説明し、今後の展開については「裁判所は次回期日を設定した。1回限りで終わらずに弁論が続行されることを高く評価している」と語った。殷弁護士は、東京訴訟が裁判官忌避により中断に至った事情を説明したあと、「慰安婦問題にかかわる裁判官は、戦時責任と戦後補償にどんな問題意識を持っているのか。その点についても、重大な関心を持ちつづけていきたい」と語った。


■徃住嘉文さんの報告
櫻井よしこ氏の言説の変遷に重大な疑問
続いて徃住嘉文さん(元道新編集委員)が報告。櫻井よしこ氏の言説の重大な変遷について、具体的な資料をもとに説明し、櫻井氏の主張の大きなブレと乱れを徹底批判した。
櫻井氏はかつて、植村氏と同じように、慰安婦問題を戦時責任と人権侵害という視点から取り上げ、慰安婦の被害体験や境遇に心を寄せていた。植村氏が元慰安婦の金学順さんについて記事を書いた1991年の翌92年のこと、櫻井氏はキャスターをしていたニュース番組で「強制的に従軍慰安婦にさせられた慰安婦たち」と語り、週刊誌では「強制的に旧日本軍に徴用された」「戦地にまで組織的に女性達を連れていった」と書いていた。ところが、櫻井氏はそれから20年以上もたった2014年に、植村氏の記事を「捏造」と決めつけ、植村バッシングに火をつけた。
櫻井氏のこの重大な変遷に、はっきりした理由や根拠があるのだろうか。説得力のある合理的な説明がなければ、櫻井氏の責任を免じた札幌地裁判決の「真実相当性」も揺らぐ。弁護団が提出した控訴理由補充書はこの重大な疑問を詳しく論じている。
徃住さんは、ニュース番組映像を上映した後、「重大な疑問」の内容を説明した。徃住さんは100冊近くもある櫻井氏の著作を丹念に読み解く作業を続け、問題のニュース番組や記事を掘り起こした。番組の映像記録と週刊誌記事は、裁判の重要証拠として控訴審に提出されている。
※詳しい内容は、「週刊金曜日」最新号にあります。=4.26/5.5合併号p30-31、<「櫻井よしこ氏は「日本軍強制説」を報じていた---自らの報道棚にあげ、他者を「捏造」呼ばわり>


■植村さんのあいさつ
集会の最後は植村さんが締めくくった。植村さんは、この日の法廷で述べた意見陳述の要点を説明したあと、高裁向け署名について、「1万3090筆という数、私たちはじつはもう勝っている、これは民衆法廷だ、青空のもとでの陪審に勝っている、ということだ、あとは札幌高裁で逆転するだけです」と語った。
集会は午後8時過ぎに終わった。

2019年4月25日木曜日

札幌控訴審1回速報

updated: 2019/4/26 pm2:45
updated: 2019/5/6 pm8:45

次回期日は7月2日(火)に決定

本多裁判長、ていねいに審理尽くす姿勢

植村弁護団、櫻井氏と一審判決を強く批判 

▲裁判所に向かう植村さんと弁護団(4月25日午後2時過ぎ)

植村裁判札幌訴訟の控訴審第1回口頭弁論は4月25日、札幌高裁(本多知成裁判長)で開かれた。植村弁護団は弁護士24人が出席し、控訴人の植村隆氏と小野寺信勝弁護士(事務局長)が、公正な判決を求める意見陳述を行った。櫻井よしこ氏側は弁護士6人が出廷した。被控訴人の櫻井氏は出席せず、意見陳述(朗読)もなかった。法廷では意見陳述と、「無過失の抗弁」をめぐるやりとりがあった後、本多裁判長は次回期日を7月2日(火)と決めた。

植村氏の意見陳述は18分、小野寺弁護士は11分に及んだ。=全文は別記事に収録
植村氏は、櫻井氏がかつて元慰安婦の強制連行体験や境遇に心を寄せた記事を書きながら、とつぜん明確な根拠を示さずに「人身売買説」を主張するようになったことを強く批判した。また、櫻井氏を免責した一審判決についても、裏付け取材をしなくても「捏造」と思い込むだけで許してしまうのはあまりにも公正さを欠き、歴史に残る不当判決だ、と訴えた。
続いて立った小野寺弁護士は、櫻井氏が植村氏ほか当事者への取材を怠り、また資料の引用や理解で誤りを繰り返したことを一審判決は看過した、と批判し、判決の「真実相当性」の判断はこれまでの最高裁判例や法理論にかけ離れている、と強調した。

「無過失の抗弁」をめぐるやりとりは、「櫻井氏は過失がないことを証明しなければならない」との植村氏側の主張(控訴理由書)に対して、櫻井氏側が「無過失責任」を持ち出して反論(控訴答弁書)していることについて、植村弁護団共同代表の伊藤誠一弁護士が櫻井氏側に説明を求めたもの。伊藤弁護士は、無過失の抗弁を無過失責任と混同することはおかしい、と質問を重ねたが、櫻井氏側は即答せず、書面でやりとりをすることになった。
植村氏側が求めた証人申請(梁順任さん=植村氏の義母、元韓国太平洋戦争犠牲者遺族の会役員)は、櫻井氏側が同意しなかったため、今回は決定が保留となった。

本多裁判長は4月1日に釧路地家裁所長から札幌高裁に着任したばかり。法廷全体によく通る大きな声でてきぱきと審理を進めた。
開廷直後に行った書面証拠類の確認手続きでは、植村側、櫻井側双方の書面の中の誤記や説明不備を細かく指摘して修正を求め、ていねいに審理を進める姿勢をうかがわせた。また次回期日の決定では、植村弁護団の要望を受け容れ、今後提出を予定している法律学者の意見書と弁護団の準備書面の作成に時間がかかることに理解を示した。
高裁の審理は通常、一審の審理が十分に尽くされていると判断される場合、初回の口頭弁論で即日結審することが少なくないが、次回期日が設定されたことで、高裁の審理に展望が開けたといえよう。小野寺弁護団事務局長は「次回期日を設定し、弁論が続行されることを高く評価している」と、口頭弁論終了後に開かれた報告集会で語った。

この日使われた高裁802号法廷の定員は75人。傍聴希望者が開廷前に列をつくったが、定員を1人下回り、抽選はなく74人全員が入廷できた。開廷は午後2時30分、閉廷は3時16分だった。
道内各地から寄せられた「公正な判決を求める署名」1万3090筆は、開廷に先立って午前10時過ぎ、植村さんと支援メンバーが5分冊を抱えて運び、札幌高裁6階の事務局に提出した。=写真下

報告集会は午後6時から裁判所近くの市教育文化会館301会議室で開かれた。
前日に桜の開花発表があった札幌だが、この日の最高気温は12度で、冷たい強風が吹いたせいか、参加者は約60人で空席が目立った。
弁護団報告は、小野寺弁護士と東京弁護団の殷勇基弁護士からあった。続いて報道人の徃住嘉文氏が、櫻井よしこ氏の言説の重大な変遷について、具体的な資料をもとに説明し、櫻井氏の主張の大きなブレと乱れを徹底批判した。植村氏は、法廷で述べた意見陳述の要点を説明したあと、高裁向け署名について、「1万3090筆という数、私たちはじつはもう勝っている、これは民衆法廷だ、青空のもとでの陪審に勝っている、ということだ、あとは札幌高裁で逆転するだけです」と語った。


※意見陳述全文はこの記事の下にあります

ずしりと重い高裁向け署名13090筆を抱える植村さん
(4月25日午前10時半ころ、裁判所庁舎前で)

積み重ねられた署名簿を提出前にカメラに収める(同上)