2017年5月10日水曜日

植村隆のソウル通信第12回



バラ選挙 文在寅候補当選、9年ぶり政権交代
3人目の革新系大統領となった文在寅氏(韓国YTNニュースから)
■得票率41.1%
韓国で9日、「薔薇大選(チャンミ・デソン)」と呼ばれた大統領選挙の投票が行われ、「共に民主党」の文在寅(ムン・ジェイン)候補(64)が当選した。9年ぶりに保守から革新への政権交代が実現することになった。韓国の聯合ニュースによると、開票を100%終えた時点での文候補の最終的な得票率は41.08%。中央選挙管理委員会は10日午前8時から全体委員会議を開き、第19代大統領選挙開票結果に従って、文候補を大統領当選者として公式に確定した。金龍徳・選管委委員長が議事棒を叩いた午前8時9分、文在寅大統領の任期がスタートした。10日正午には国会議事堂で就任宣誓の行事が行われる。

これまでの大統領選挙では当選から2カ月間は、大統領当選者として、現職大統領から引継ぎを受ける準備期間があったが、今回はそうした引継ぎもない。しかも、与党となる「共に民主党」の国会(299議席、欠員1)の議席数は120議席と半数にも達しない「与小野大」という厳しい政局。待ったなしで発足する文政権は、様々な重い課題を抱えてスタートすることになる。

YTNによると、文氏は当選確実の報が出た後、「私を支持しなかった国民にも仕える統合大統領になる」と語った。
聯合ニュースによれば、主な5候補の最終得票率は次の通りだ(10日、開票率100%)
①文在寅(ムン・ジェイン、革新系「共に民主党」)64歳=41.08
②洪準杓(ホン・ジュンピョ、保守系「自由韓国党」)62歳=24.03
③安哲秀(アン・チョルス、中道「国民の党」)55歳=21.41
④劉承旼(ユ・スンミン、保守系「正しい政党」)59歳=6.76
⑤沈相奵(シム・サンジョン、革新系「正義党」)58歳=6.17

■人権派弁護士出身、廬武鉉氏の最側近
文候補は、民主化運動に関わった人権派弁護士出身で、盧武鉉(ノ・ムヒョン) 大統領(当時)の最側近だった。盧政権では、大統領秘書室長などを歴任した。2012年12月の大統領選挙では、保守の朴槿恵候補に惜敗し、今回が2度目の大統領選挙挑戦だった。

しかし、文氏は日本人には非常になじみの薄い人物である。ハンギョレ(4月4日付)が、文氏の詳しいプロフィールを紹介していた。そこから、文氏の人物像を伝えたい。
まず、文氏の略歴を年表で紹介したい。
【文在寅氏の略歴(ハンギョレ新聞4月4日付より作成)】
1953年  慶尚南道巨済で出生
1972年  慶熙大学法学部入学
1975年  学生運動で投獄、西大門拘置所に収監
1978年  陸軍兵長満期除隊
1980年  第22期司法試験合格
1982年  釜山で、盧武鉉弁護士と合同法律事務所開所
2002年  盧武鉉大統領候補の釜山選挙対策本部長
2003年~ 07年  大統領民政首席秘書官、同市民社会首席秘書官、同秘書室長を歴任
2009年  故盧武鉉元大統領国民葬儀委員会常任執行委員長
2011年  革新と統合常任共同代表
2012年  総選挙で国会議員当選(釜山沙上)。民主統合党大統領候補
2015年  新政治民主連合党代表に選出
2016年  共に民主党常任顧問

ハンギョレの人物紹介を簡約したい。
《貧しい家に育った。大学時代は維新反対デモの先頭に立った。司法研修院を二番で終了したが、デモの前歴があり、裁判官にはなれなかった。検事やローファーム行きより、「庶民たちが経験している事件の中で無念な濡れ衣を着せられた人を助ける役割をする普通の弁護士」を選択した。彼が政治の道に進んだのは、盧武鉉のせいである。一緒に弁護士事務所を運営していた盧武鉉が大統領選挙に出るため、民主党の候補になったが、その釜山選挙対策本部長を任されたのだ
《盧武鉉政権では、民政首席、大統領秘書室長などを任された。「政治の一線に」という盧武鉉の勧誘にもかかわらず、国会議員選挙には出なかった。しかし、2009年5月23日に盧武鉉の逝去で、政治への道に呼び出された。彼は、2011年末、政権交代という名分のため、野党勢力大統合を通じた民主統合党の結党に参加した。2012年4月11日の総選挙では、釜山の沙上区で議員に当選した後、すぐに大統領選挙に走り出した。しかし、その年の12月の大統領選挙で、朴槿恵候補と対決し、51%対49%で苦杯を喫した

演説する文候補(8日)=写真・姜明錫氏
光化門広場で声援コールを送る市民(8日)
■20年ぶりの大統領選取材
文候補は2回目の挑戦で、金大中、盧武鉉に続く3人目の革新系大統領となった。韓国では、李明博、朴槿恵と9年間、保守政権が続いた。しかし、親友の国政介入事件などで、昨年秋から、政権への退陣要求が高まり、ローソク集会などが相次いで行われ、朴槿恵氏は罷免という形で、退陣に追い込まれた。そのローソク集会の行われたソウル市中心部の光化門広場で、5月8日夜、文候補の最後の遊説が行われた。その風景を見ながら、私は韓国の歴史が大きく進んでいく瞬間を見るようだった。

この日午後、滋賀県に住む元朝日新聞ソウル支局長の波佐場清さんが、ソウルにやってきた。大統領選挙の取材のためである。教え子のカトリック大4年生の姜明錫(カン・ミョンソク)君と3人で、文候補の最後の遊説を取材することにした。
波佐場さんは、ソウル支局員だった時の支局長である。当時の朝日新聞は支局員が私たち二人だけだった。力を合わせて1997年12月の大統領選挙を取材した。この選挙は、金大中氏が4回目の挑戦で当選し、史上初の選挙による政権交代が実現した歴史的な出来事だった。私が当選の本記を書き、波佐場支局長が解説を書いた。金大中大統領は、対北朝鮮では太陽政策をとり、南北首脳会談を実現させた。そして、日韓の間では、小渕恵三首相と日韓首脳会談を行い、日本の大衆文化を開放した。これが現在の日韓文化交流の大きな根っことなった。
波佐場さんはソウル支局長の後、太陽政策を考え出した林東源さんの著書「ピースメーカー」(邦題「林東源回顧録 南北首脳会談への道」、岩波書店)を翻訳した。林さんは金大中政権時代に統一部長官、国家情報院長などを務めた人物だ。さらにその後、金大中大統領の伝記も翻訳した(岩波書店より出版、康宗憲氏と共訳)。それだけに、金大中の太陽政策については、日本で最も詳しい人だと言えよう。

最終演説の日、波佐場さんと光化門広場の群集の中を、歩いた。この日は、韓国大統領選挙を20年ぶりに取材する「黄金コンビ」(自称)の復活である。広場の集会場は身動きが取れないほど、人々が集まっていた。午後7時すぎ、文在寅候補が登場し、会場が大きな歓声に包まれた。文候補の演説のたびに、「文在寅」コールが巻き起こる。米国に対し、韓(朝鮮)半島の平和を一緒につくろうと呼びかけると話した後、文候補はこう語った。
「北韓(北朝鮮)には、核か南北協力か選択しろ。堂々と圧迫し、説得する」。
その強い調子の発言に、会場で歓声が上がった。北朝鮮は核実験やミサイル発射という挑発的な瀬戸際戦術を続けている。北のミサイル発射で、日本では地下鉄が止まったという報道を読んだ。もちろん、あの日、ソウルの地下鉄は止まらなかった。北朝鮮が本当に日本や韓国をミサイル攻撃すると、ふつうの韓国人は思っていないからだ。そうした攻撃は朝鮮半島では全面的な戦争になることが分かっているからだ。北朝鮮が挑発を繰り広げるのは、あくまでも米国との平和協定を締結するための「ラブコール」なのだ。

■太陽政策が復活、南北問題は打開されるか
文候補の対北朝鮮政策はどうなるか。波佐場さんは言う。「太陽政策が復活する」。太陽政策とは、北朝鮮に対して圧力ではなく人道支援、経済協力、文化交流などの宥和政策を用いることで将来的には南北統一を図ろうとする政策のことである。盧武鉉政権下では、包容政策と呼ばれた。二人とも、在任中に南北首脳会談を実現した。そして、南北和解ムードが続いたが、その後の、保守政権の9年間で、再び南北関係が冷却したのだ。それを文氏が、太陽政策の復活で、打開するのではないか、という見方だ。「就任2年ほどで南北首脳会談をするのではないか。盧武鉉大統領の南北首脳会談の時に、文氏は首脳会談推進委員会委員長としてソウルで支えた。北には信頼があると思う」とも言う。私もその考えに全面的に同意する。
釜山の少女像と向き合う文氏
=写真集「文在寅」から
朝鮮半島にはいまも冷戦構造が残っている。韓国は経済発展と共に、かつての共産国家の中国や旧ソ連と国交を樹立している。しかし、北朝鮮はいまだに米国との国交正常化はなされていないのだ。冷戦が終わるどころか、第二次大戦が終わっていないと言える。日本との間で、戦後処理もなされていないのだ。この異形の国家は一人で、異形の国になったのではない。この冷戦構造を終わらせるには、対話しかないと思う。

1時間近く経ち、文候補の演説は終わった。司会者が、愛国歌(国歌)を一緒の第4番まで歌おうと呼びかけた。集会場に集まった幾万の韓国人たちが斉唱をする。暗い夜に力強い歌声が響く。そして、その後、壇上から、「スマホを点灯して、文候補を応援してください」という声がかけられた。聴衆はスマホの明かりをつけ、右に左に揺らす。ローソク集会の再現である。無数の光がゆっくりと揺れる。これもまた、歴史的なシーンになるのだろう。私はスマホのカメラで、このシーンを取り続けた。
■カリスマ性のない「脇役」が初めて「主役」に
一日郵便配達員となった
文氏(同写真集から)
文在寅氏は、実際は「普通の人」である。民主化運動をし、投獄された人々は韓国には無数にいる。文氏が注目を浴びたのは、盧武鉉氏をずっと支え続けたからだ。そういう意味では、韓国の現代史の中では、「脇役」だったとも言える。これまでの大統領は良い意味でも悪い意味でも「主役」であった。今回、初めてカリスマ性のない人物が、大統領になったとも言えるのではないか。

大統領選挙の1カ月前、文在寅氏の伝記が出版された。「青少年のための運命」という題名である。前回の選挙のときに、自伝「運命」を出版したが、それにならった題名のようだ。表紙にはローソクを持った文氏の横顔が描かれている。私は線を引きながら、この本を読んだ。前半は貧しい家から、大学に進み、苦労して司法試験に合格する話だ。後半は盧武鉉氏との出会いから、その死まででのエピソードだ。盧武鉉氏が死んだ後の2009年から後、文氏が何をしたのかは描かれていない。読みながら、大統領選挙の前にこれでいいのかなとも疑問が沸いた。
序文で著者のイ・ジョンウン氏が、こう書いていた。
「盧武鉉前大統領の逝去までが、文在寅の人生の第一幕だとすれば、その後の人生は第二幕だ。第二幕は一冊の本でなく、歴史が明らかにしてくれると信じる」。
つまり、これから文在寅自身が主役として、行動し、歴史に記録されていくということだろう。これから5年間、新しい政治の「主役」の手腕が問われている。

2017年5月5日金曜日

植村隆のソウル通信第11回

バラ選挙 大統領選挙5月9日投票

薔薇の季節の選挙
韓国の次期大統領を決める大統領選挙が最終局面を迎えている。これまでは12月に投票が行われてきたが、今回は朴槿恵(パク・クネ)前大統領の罷免を受け、5月9日(火)に投開票が行われる。この日は臨時の休日になっている。薔薇(チャンミ)の季節に行われるので、「薔薇大選(チャンミ・デソン)」と呼ばれている。

公式に選挙運動が始まったのは4月17日。この日は、朴槿恵容疑者が収賄など18件の罪で、起訴された日でもあった。史上最多の15人が立候補した。私の勤務するカトリック大学の正門わきの壁にも選挙ポスターが貼られている。途中で、2候補が出馬を取りやめ、現在は13人による戦いだ。

選挙運動は遊説とテレビ討論が中心だ。今回は計5回のテレビ討論が行われ、主要候補5人が登場した。私は、韓国の公営放送KBSが主催した第1回のテレビ討論(4月19日)をインターネットで見て、各候補を観察した。その画面の写真を使って各候補を紹介したい。左から、革新系の少数政党「正義党」の沈相奵(シム・サンジョン)、保守派で与党「自由韓国党」の洪準杓(ホン・ジュンピョ)、保守派の「正しい政党」劉承旼(ユ・スンミン)、革新系の最大野党「共に民主党」の文在寅(ムン・ジェイン)、中道の第二野党「国民の党」の安哲秀(アン・チョルス)の各氏である。討論の前の挨拶に、それぞれの候補の政治的な姿勢がよく出ていた。


◆沈相奵候補(58) 「労働が堂々とした国。私を公開支持宣言した作家はこう言いました。今回は当選可能性でなく、韓国の可能性に投票する。私は聖域なき改革で、新しい韓国に責任を持ちます」
◆洪準候補(62) 「庶民大統領候補ホンジュンピョです。今回の選挙はこの地の体制をどう選択するかという選挙です。左派政権を選ぶか、右派政権を選ぶかです。1番(文候補)と3番(安候補)は事実上同じ党です。選挙が終われば合党するからです。安保危機が極に至った今、ホンジュンピョを選べば、自由韓国を守ることになります」
◆劉承候補(59) 「保守の新しい希望ユスンミンです。新たに就任する大統領は経済危機、安保危機を克服し、温かい共同体、正義のある民主共和国を作るため根本的な改革を成し遂げる人間でなければなりません」
◆文在寅候補(64) 「この冬、『これが国か』と嘆きの声を上げ、国らしい国を念願しました。そのローソクの民心を大切にします。政権交代だけが、国らしい国に変えることができます。たくましい候補です。共にしてください」
安哲秀候補(55) 「記号3番、アンチョルスです。1番(文候補)、2番(洪候補)にはたくさん機会がありました。このままでは未来がありません。産業化、民主化を超えて、新しい未来を選択する時です。より良い政権交代を選択する時です」

5候補のうち、最左派は、沈候補である。ソウル大学出身だが、生涯を民主的な労働運動に捧げてきた。次いで、文候補となろう。民主化運動に関わった人権派弁護士出身で、盧武鉉大統領(当時)の最側近だった。盧政権では、大統領秘書室長などを歴任した。医者でIT起業家の安候補は中道傾向が強い。2012年の大統領選挙では安候補も出馬表明をした。しかし、野党系候補の一本化のため、文候補に譲った。その後、文氏と一緒に野党の共同代表を務めたこともある。一方、洪候補と劉候補の保守派の二人は共に、朴槿恵政権を支えた旧セヌリ党出身だ。しかし、劉候補は朴槿恵氏の弾劾訴追案に賛成し、セヌリ党を離党し、保守新党「正しい政党」をつくった。セヌリ党はイメージチェンジのために、党名を「自由韓国党」と改称した。洪候補は検事出身で、前慶尚南道知事である。

■「一強二中二弱」の争い

ギャラップ調査(4月29日付「朝鮮日報」日本語版HP)
世論調査では2度目の大統領選挑戦となる文候補が常に一位を維持している。文候補は2012年の大統領選挙にも出馬した。朴槿恵氏と事実上の一騎打ちで、惜敗した。最新(5月3日発表)の世論調査では、この「一強」の文氏を安・洪氏の「二中」が追い、沈・劉の「二弱」が続く構図になっている。
韓国ギャラップのデータ(1~2日調査)では文氏が前週より2ポイント下げて38%で首位。安氏は4ポイント下げた20%、洪氏は4ポイント上昇し、16%。沈候補は1ポイント上げて、8%となった。劉候補も2ポイント上昇し6%となった。安氏は一時は文候補に迫る勢いを見せていたが、テレビ討論であいまいな態度を見せたことなどもあり、支持率が急落した。
4日付の朝鮮日報は自社が依頼した世論調査の結果として、洪氏が安氏を逆転したとも報じている。

最近になって、保守系の候補一本化の動きも広がっている。4月29日には、保守派の候補の南在俊(ナム・ジェジュン)氏が出馬を取りやめ、洪氏への支持を表明した。南氏は朴槿恵政権時代、情報機関「国家情報院」の院長だった人物である。5月2日には、劉候補の「正しい政党」所属の国会議員13人が、集団離党し、洪候補への支持を表明した。うち一人は翌日、離党を撤回したが、劉候補には大きな衝撃となった。5月2日付の韓国経済新聞によると、朴槿恵容疑者の妹である朴槿令(パク・クニョン)氏が1日、「自由韓国党」党舎内で記者会見をして、洪候補の支持を表明した。こんな内容の話をしたという。
「ばらばらになった朴正熙(パク・チョンヒ)元大統領支持勢力と朴槿恵前大統領支持勢力が一つに力を合わせれば、洪候補の当選は常識となる。無念の濡れ衣を着せられ、殉教した朴槿恵前大統領を助けてくれる唯一の候補は洪候補だけ。産業革命を成功させ、祖国の近代化を完成させた革命家朴正熙の後継者洪候補がこれからは保守革命、庶民革命を引っ張っていく」。時代の変化を読み取らない「化石」のような言葉に驚いた。しかし、こうした考えを支持する人々がかなりの割合で存在するのも、また事実である。

■直接選挙を勝ち取った30年前の民主化運動
 
私の裁判闘争・言論闘争を支援してくれている北岡和義さんと西村秀樹さんの2人のジャーナリストが「大統領選挙の風景を見たい」と韓国にやってきた。4月30日、一緒にソウル市内を歩いた。

ローソク集会が行われてきたソウル中心部の光化門広場では、この日午後から、大学生たちが主催する「バラ革命フェスティバル」が行われていた。若者も大統領選挙に積極的に参加し、その声を政治に実現させようという狙いの集会だ。バラで作ったアーチが飾られていた。学生たちは、「日韓慰安婦合意」の問題点について、会場でアンケートをとっていた。集会パンフレットを見ると、「バラ革命宣言」という要求事項の中に、大学の授業料や交通費の減額などのほか、「韓日日本軍慰安婦問題合意無効」というスローガンも入っていた。主要5候補はいずれも、この合意への反対を表明している。

この日、午後6時から、ソウルの新村(シンチョン)で、文在寅候補の遊説があるという。「一強」の生の声を聴くため、同地へ向かった。新村というのは、延世大学校のある地区のことを言う。いまから30年前、民主化運動が高揚した1987年には、この大学が民主化デモの舞台になった。同年6月9日にデモに参加した同大生の李韓烈(イ・ハンニョル)君が警察の発射した催涙弾で意識不明の重体となった(その後、死亡)。このため、学生や市民たちの怒りがさらに燃え上がり、各地で激しいデモが行われた。6月民主化抗争という。当時の 全斗煥政権は追い詰められ、与党・民主正義党の盧泰愚(ノ・テウ)代表委員が同月29日に「民主化宣言」を発表した。その宣言の最大の柱が、大統領直接選挙の復活だった。朴正熙時代の1972年に大統領選挙は間接選挙になっていた。朴氏は前年の71年の大統領選挙で金大中候補と事実上の一騎打ちとなり、苦戦した。政権維持に危機感を感じた朴大統領は永久独裁体制を確立するため、御用組織が大統領を選ぶシステムに変えたのだ。

私は1987年8月から1年間、この延世大学校韓国語学堂に留学していた。同年12月に16年ぶりに復活した大統領直接選挙を見物した。当時の野党勢力は金大中氏と金泳三氏の候補一本化に失敗。二人とも出馬して、共倒れになった。結局、与党の盧泰愚候補が漁夫の利を得る形で、当選したのだった。

■文候補「一強の演説」

文在寅候補の自伝「運命」によると、1987年、文氏は金泳三の地元である釜山で野党候補一本化に力を注いだ。こう書いてある。
「在野の多数が金大中候補に対する『批判的支持』に傾いている時だった。私は釜山地域で、それと同じ立場をとった」「最後まで一本化ができず、結局、盧泰愚候補が当選してしまって、我々は大きく落胆した」
そして30年後、文候補は大統領の座に一番近いところにいる。

新村の繁華街の中心にある交差点が文候補の遊説場所だった。4月30日午後6時前、すでに1万人以上集まっているようだった。司会者が「文在寅」コールを促すたびに、大きなコールが起きる。しばらしくて、文候補が到着した。壇上に上がり、背広を脱いでワイシャツの袖をまくった。
支援者だろうか、文候補に奇妙な形の花輪を渡した。カタカナの「ト」を丸く囲んだような形である。後で、知ったのだが、これは投票する際に使う、ハンコを形どったものだ。投票用紙に印刷された候補者名15人分のそれぞれ横に空欄があり、自分が投票する人のところに、このハンコを押すのだ。笑顔で花輪を受け取った文候補はそれを高々と頭の上に上げて、聴衆に見せた。歓声が上がり続けた。文候補はマイクを握って、こう問いかけた。

「みなさん、本当に政権交代を望みますか。それなら誰ですか」。聴衆から「文在寅」のコールが続く。さらに文候補はローソク集会で国民が勝利の歴史を作ったことを強調しながら、「しかし、これからが始まりです。大統領が弾劾され、拘束された以外は何も変わっていない。ローソクと共にする政権交代なのか、腐敗既得圏勢力による政権延長か。その対決だ。国民の選択ははっきりしている。誰ですか」と問いかけた。聴衆は「文在寅」と答え返した。文候補は政権を掌握したら、朴槿恵政権時代の不正問題だけでなく、李明博政権時代の不正についても調査することを言明した。また再び、歓声が上がった。
文候補は演説の途中に何かを手にして、聴衆の方に向けた。よく見ると、スマホである。裏側が明るく光っている。スマホのライトを点灯しているのだ。ローソク集会でのローソクの明かりをスマホで再現しているのだった。

演説の中では、対外関係についても触れた。「日本に対し、『慰安婦合意は間違っていた』、中国に対し、『微細粉塵(韓国語でミセモンジ)はあなたたちの責任だ』、米国に対し『韓半島の平和を一緒につくろう』。堂々と言える大統領を望んでいるでしょう。文在寅が先頭に立ちます」。聴衆からは、文在寅コールが巻き起こった。文候補の釜山なまりの演説に、聴衆は興奮していた。
演説の内容で驚いたのは、「携帯電話の料金を下げる」という話までしていたことだった。後で、文候補の公約集を見たら、裏表紙に携帯電話の挿絵つきで、「通信費、さらに安く、さらに便利に」という項目があった。表紙は選挙ポスターそのものの写真。それを裏に回すと、この項目が見える。そこには、こう書いてある。「通信基本料 完全廃止」「端通法を改定して端末機支給金上限税廃止」「高価端末機価格バブル除去」「すべての公共施設に公共Wifi設置義務化」。なるほど、これは若者には受けそうな公約だ。

■文候補から携帯に電話が!

じつは、この原稿を書いている最中の4日午後3時半、突然、私の携帯電話が鳴った。見慣れない番号だった。応答にすると、文在寅候補の声がした。(これ本当です)。投票に行こうと呼びかける本人の声を録音テープで流しているようだった。私の電話は韓国人の家人の名義である。約30秒のメッセージだ。着信記録にある電話番号は「0226-30-0043」。折り返し、電話してみると、「文在寅陣営」を名乗る録音メッセージが流れていた。「一強」は、バラ選挙で携帯電話を存分に活用しているようだ。

2017年4月28日金曜日

慰安婦報道巡る判決

朝日新聞の慰安婦報道をめぐって起こされている集団訴訟の一つ、「朝日グレンデール訴訟」で4月27日、東京地裁は原告(在米日本人を含む2557人)の請求を棄却しました。ほかの二つの訴訟でも地裁、高裁判決で原告の請求は棄却され、朝日の勝訴が続いています。判決要旨と3訴訟の経過は当ブログ記事「朝日新聞への提訴」にあります。
以下の引用は、4月28日付朝日新聞記事の全文です。

原告の請求棄却、朝日新聞社勝訴 
慰安婦報道巡る名誉毀損訴訟 東京地裁
朝日新聞慰安婦報道で誤った事実が世界に広まり名誉が傷つけられ、また米グレンデール市に慰安婦像が設置されて在米日本人が市民生活上の損害を受けたなどとして、同市近郊に住む在米日本人を含む2557人が朝日新聞社に対し損害賠償などを求めた訴訟の判決で、東京地裁は27日、原告の請求を棄却した。佐久間健吉裁判長は、記事は名誉毀損(きそん)にも在米日本人らへの不法行為にもあたらない、と判断した。原告側は控訴する方針。

訴えの対象は「慰安婦にするため女性を無理やり連行した」とする吉田清治氏の証言に関する記事など朝日新聞記事49本と英字版記事5本。佐久間裁判長は判決で「記事の対象は旧日本軍や政府であり原告ら現在の特定個人ではない。問題となっている名誉が原告ら個人に帰属するとの評価は困難」とし、「報道で日本人の名誉が傷つけられた」とする原告の主張を退けた。

また、報道機関の報道について「受け手の『知る権利』に奉仕するもので、受け手はその中から主体的に取捨選択し社会生活に反映する」と位置づけた。

それを踏まえて「記事が、国際社会などにおける慰安婦問題の認識や見解に何ら事実上の影響も与えなかったということはできない」とする一方で、「国際社会も多元的で、慰安婦問題の認識や見解は多様に存在する。いかなる要因がどの程度影響を及ぼしているかの具体的な特定は極めて困難」と指摘。そのうえで、在米の原告が慰安婦像設置の際に受けた嫌がらせなどの損害については「責任が記事掲載の結果にあるとは評価できない」と結論づけた。

朝日新聞慰安婦報道をめぐっては、三つのグループが朝日新聞社に対し集団訴訟を起こした。いずれも東京地裁や高裁の判決で請求が棄却されている。
     ◇
判決は、吉田証言などを取り上げた朝日新聞の報道が海外で影響を与えたかについても言及した。
原告側は裁判で、慰安婦問題について日本政府に法的責任を認めて賠償するよう勧告した国連クマラスワミ報告(96年)や、歴史的責任を認めて謝罪するよう求めた米国の下院決議(07年)が、朝日の慰安婦報道の影響によるものと主張した。
これについて判決は、クマラスワミ報告での慰安婦強制連行に関する記述は吉田証言が唯一の根拠ではなく、元慰安婦からの聞き取り調査もその根拠であることや、クマラスワミ氏自身、「朝日が吉田証言記事を取り消したとしても報告を修正する必要はない」との考えを示している、と認定。米下院決議については、決議案の説明資料に吉田氏の著書が用いられていないことも認定した。

また原告は、「朝日新聞が80年代から慰安婦に関する虚偽報道を行い、92年の報道で、慰安婦と挺身(ていしん)隊の混同や強制連行、慰安婦数20万人といったプロパガンダを内外に拡散させた」などと主張した。この点について判決は、韓国においては「慰安婦の強制連行」が46年から報じられた▽45年ころから60年代前半までは「挺身隊の名のもとに連行されて慰安婦にされた」と報道された▽「20万人」についても70年には報道されていた、と認めた。

2017年4月15日土曜日

札幌訴訟第7回弁論

植村裁判札幌訴訟(被告櫻井よしこ氏、新潮社、ダイヤモンド社、ワック)の第7回口頭弁論が4月14日、札幌地裁805号法廷で開かれた。
午後の陽光を浴びて入廷する植村さんと弁護団
植村弁護団は第10、11準備書面を提出し、その要旨を川上有、上田絵里、大類街子の3弁護士が読み上げた。被告櫻井氏の言説がネット上で拡散し、激しいバッシングを引き起こしたことはこれまでの弁論でも明らかにされているが、この日の弁論では、ふたつの大学(神戸松蔭女子学院、北星学園)に寄せられたメールや電話、ファクスが、ネットで流れた櫻井氏の記事を引用するなど、密接に関係していることを時系列的に指摘し、櫻井氏の言動を次のように批判した。
※第11準備書面要旨は記録サイト「植村裁判資料室」に収録 こちら

▼SNS(ソーシャルネットワーキングサービス)を利用した情報発信は、連鎖的に感情が増幅されることがしばしばあります。情報の送り手が激怒すれば、受け手がこれに呼応して感情を増幅させていくのです。その結果、芸能人らのブログがしばしば炎上したりします。被告櫻井は、このようなSNSによる情報伝達の威力を十分に知っていました。だからこそ、被告櫻井は、自分の記事をブログに転載しているのです。
▼被告櫻井は、反韓嫌韓感情に触れる情報が、ネット社会でどのように拡散していくかについて十分に認識していました。被告櫻井は、ネット右翼の言動の問題点を十分に認識していました。
これは、被告桜井自身がSAPIOに「ネット右翼のみなさん、現状への怒りはそのままに歴史に学んで真の保守になってください」という記事を書いていることからもわかります。そこでは、ネット右翼がネット上で「朝鮮人は半島に帰れ」など書いていることが指摘されています。そして、これらが誹謗中傷であるとしているのです。被告櫻井は、ネット右翼の言動を十分に熟知しているのです。被告らは、このようなネット社会の現状やネット右翼の言動を十分に知っていました。ですから、自分たちが放出する情報が、どのように社会に拡散し、影響を与えるかということを分かっていたということになります。
▼被告櫻井は、本件各論文を含む植村さんを批判する論文執筆やブログへの転載を続けています。日付だけ述べます。
2014年6月26日、7月3日、8月1日、7日、 16日、 21日、23日、 28日、9月1日、8日、13日、18日、25日、10月11日、14日、16日、17日、20日、23日、25日、12月11日、18日などです。執拗かつ多数といわざるを得ません。その間、同年5月から北星学園大学に対する非難・抗議のメール・電話が多数寄せられています。脅迫状も届いています。非難・抗議メールは多くの月で100通を超え、8月には500通を超えています。非難・抗議電話も8月以降は月100本を超え、200本を超える月もあります。被告櫻井は、このような経過の中で、本件各論文を執筆しているのです。被告櫻井が、このような経過を知らないわけがありません。そうであれば、被告櫻井がこれら各論文を掲載した場合には、北星学園大学や植村さんに、どのような影響を生じるかもまた熟知していたはずなのです。
▼被告櫻井の論文においては、原告の執筆した記事内容そのものへの批判のみならず、ジャーナリストとしての資格、さらには、教育者としての資格もないなどと断言しています。互いに言論で議論を交わすのであれば、その表現内容に対し反論すべきでありますが、被告櫻井は原告の新聞記者としての経歴のみならず、記事を書いた23年後の原告の勤務先というプライベートな事実を暴露し、表現内容とは無関係の教育者としての資格を非難するものであり、その点でも表現内容は悪質であると言わざるを得ません。
▼原告には甚大な被害が生じているにもかかわらず、被告櫻井は、本訴訟第一回口頭弁論期日において、原告に向けて「捏造記事と評したことのどこが間違いでしょうか」などと意見陳述を行い、原告の名誉回復を図る意思が一切ありません。
原告は、被告らにより、「慰安婦記事を捏造した」といういわれなき中傷を流布され、これに触発・刺激された人々から多数の激しいバッシングと迫害を受け、自身が雇用を脅かされて生存の危険に晒されるだけでなく、家族も生命の危険に晒されています。
当該精神的損害を慰謝するには、最低でも請求の趣旨のとおりの慰謝料が支払われ、謝罪広告が掲載されなければ到底足りるものではありません。

開廷午後3時30分、閉廷午後4時5分。今回も傍聴券交付は抽選となった(定員71人に対し83人が行列)。次回期日は7月7日(金)に決まっているが、論点整理のための弁論をさらに行うことになり、次々回は9月8日(金)に設定された。
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報告集会 ~~~ショパンと十字架in札幌~~~

裁判の後、会場を札幌北光教会に移し、午後5時30分から報告集会が開かれた。
弁護団報告(秀嶋ゆかり弁護士)と韓国報告(植村さん)の後、「支える会」共同代表でもあるピアニスト崔善愛さんのトークコンサートがあった。250人ほどの参加者は、ノクターン、バラードなどの名曲の演奏に心打たれながら、ショパンの生涯を自らに重ね合わせて語られるこの国への思いに、静かに耳を傾けた。
【写真】上段=報告集会の発言者(神沼公三郎共同代表、秀嶋ゆかり弁護士、植村さん)と会場風景。中段=崔さんの演奏と語り。下段右=拍手に応える崔さんと植村さん

2017年4月12日水曜日

東京第8回口頭弁論

「平穏な生活権」侵害を鋭く突いた梓沢弁護士の論述

植村裁判東京訴訟(被告西岡力氏、文藝春秋)の第8回口頭弁論が4月12日、東京地裁103号法廷で開かれた。

昨年12月の第7回以来4カ月ぶり。今回から傍聴券の抽選はなくなり、先着順に傍聴ができるようになった。定員90ほどの傍聴席には70人ほどが座った。弁護団席には中山武敏弁護団長のほか角田由紀子、宇都宮健児、穂積剛、神原元弁護士ら14人が着席し、いつもながらの重厚な布陣となった。対する被告側はいつものように喜田村洋一氏と若い弁護士のふたりだけ。裁判官は右陪席が女性から男性にかわった。

午後3時開廷。はじめに植村弁護団がこの日提出した第6準備書面を陳述し、その要旨を梓沢和幸弁護士が読み上げた。梓沢弁護士は、週刊文春の記事が植村さんと大学、家族に対するバッシング、脅迫などを誘発したことについて、「文春には故意があり、被害が及ぶことを欲していたとさえいえる」と厳しく批判し、「植村さんに加えられた人格攻撃は、平穏な生活を営む権利、プライバシー権への侵害でもある」と述べた。
平穏な生活を営む権利は、判例と学説によって、広義のプライバシー権とされ、私法上の権利を超えて拡大する現象をみせている。最近の名誉棄損訴訟でも、プライバシー権の侵害として損害賠償を認容するものがある。

梓沢弁護士は、そのような潮流を指摘した上で、
▼被告(文春)による報道によって侵害される原告(植村)の私生活の平穏が、被告を含むマスメディアの表現の自由ないし報道の自由に優越することはいうまでもない
▼紙媒体(文春)における人格糾弾がその後のインターネット上の攻撃につながり、原告のみならず家族と勤務先の学園までも恐怖のどん底に陥れたという点で注目すべき事案であると述べ、論述を締めくくった。梓沢弁護士の歯切れの良い弁舌は力強く法廷に響きわたり、中盤戦を迎えた植村裁判のハイライト場面となった。

なお、平穏な生活権=プライバシー権について、植村弁護団はすでに成蹊大学法科大学院教授・渡邊知行氏の意見書(3月13日付)を提出している。梓沢弁護士の弁論は渡邊教授の意見と同じ論理構成となっている。

このあと、今後の進行について原克也裁判長が、原告と被告双方に意見を求めた。その中で、原告側は神原元弁護団事務局長が、第6準備書面に記載した「求釈明」について説明した。
「求釈明」は文字通り、被告に詳しい説明を求めるもので、①被告西岡は1992年ごろに訪韓し、梁順任氏と面談したというが、いかなる質問を発し、いかなる情報を得たのか(注=梁氏は韓国太平洋戦争犠牲者遺族会幹部で植村氏の義母)、②被告西岡は、金学順氏や尹貞玉氏に取材したか。取材しなかった場合、その理由はなにか(注=金氏は植村氏が初めて記事で紹介した元慰安婦女性、尹氏は慰安婦支援運動者で当時梨花女子大教授)、③そもそも、被告西岡は本件各記事を執筆中、原告に取材をしたことがあったか、④1992年当時、原告の記事を「重大な事実誤認」と指摘していた被告西岡が、「重大なる事実誤認」との認識を「捏造」と改め、本件記事を執筆するに際し、いかなる追加取材・調査を行ったか、など全14項目に及ぶ(⑤以下略)。すべてが西岡氏と週刊文春の取材の経過と基本的な取材姿勢にかかわるものである。被告側の喜田村弁護士は「すべてに回答するとは限らないが、必要な範囲で回答します」と答えた。次回弁論でその内容が明らかにされる。

閉廷は午後3時15分。次回期日は7月12日(水)に決まった。

弁論要旨と渡邊教授の意見書、求釈明の各全文は、「植村裁判資料室」に収録しました。こちら

報告集会はこの後、午後4時から6時まで、参議院議員会館講堂で報告集会が開かれ、80人が参加した。集会発言者は順に、神原弁護士、梓沢弁護士、渡辺知行氏(成蹊大学教授)、香山リカ氏、デイビッド・マクニール氏、植村氏の6人。

<集会報告は準備中>

上左=退廷後に地裁玄関前で語り合う植村さんと宇都宮健児弁護士、
上右=参議院議員会館で報告集会。下=6人の集会発言者

2017年4月11日火曜日

4月の裁判、近づく

「支える会」は4月12日に結成1周年を迎えました。

東京訴訟は3年目に、札幌訴訟は2年目に入りました。


4月12日(水)■東京訴訟第8回口頭弁論 午後3時から、東京地裁103号法廷
          ◆傍聴抽選◆  今回はありません。先着順に入れます。
           午後2時半までに103号法廷前廊下に並んで下さい
        ■裁判報告集会 午後4時から5時30分、参議院議員会館講堂
        講演「植村バッシングとメディアへの攻撃」
           デイヴィッド・マクニール氏
        講演「週刊文春記事が誘発した『平穏な生活を営む権利』への侵害」
           渡邊知行氏(成蹊大学大学院教授)
        韓国報告 
           植村隆氏(韓国カトリック大学客員教授)

4月14日(金)■札幌訴訟第7回口頭弁論 午後3時30分から札幌地裁805号法廷
        ■裁判報告集会 午後5時30分から札幌北光教会で
        ■崔善愛コンサート ひきつづき午後6時30分から同教会で
        チケット500円発売中問い合わせ電話:090-9755-6292



2017年4月4日火曜日

植村隆のソウル通信第10回

大統領の逮捕 裁かれる「元女王」の国政責任

朴槿恵・前大統領の逮捕を報じる韓国の保守系新聞「朝鮮日報」一面をソウルの
青瓦台(大統領府)前で撮影した。同紙は、「王のような大統領、予告されてい
た悲劇」という見出しと共にやつれた表情の朴氏の連行写真を載せていた。下の
小さな顔写真は歴代の大統領

韓国前大統領の朴槿恵容疑者(65)が3月31日未明、収賄などの容疑でソウル中央地検に逮捕された。ソウル拘置所に収容され、独房生活を送っている。親友の国政介入事件で、同月10日に憲法裁判所の決定で、大統領職を罷免されて、3週間後のことだ。韓国の大統領経験者で逮捕されたのは、内乱罪や不正蓄財などに問われた盧泰愚と全斗煥以来、3人目となる。大統領だった父の朴正熙は1979年に側近に暗殺された。保守層から絶大なる支持を受けてきた娘は、刑事事件の容疑者として、取調べを受ける立場になった。

朴容疑者は容疑を全面的に否認しているという。ソウル中央裁判所は「主要な容疑が立証されており、証拠隠滅の恐れがある」として、逮捕状の請求を認めた。朴容疑者に対する、国民の怒りは強く、世論調査では、逮捕に賛成する人は7割にも上った。

■王のような大統領、予告された悲劇
保守系で最大部数を誇る「朝鮮日報」は4月1日の一面で、逮捕されてソウル拘置所に検察の車で移送される朴容疑者の横顔写真を載せていた。やつれて、放心しているように見える。見出しが、強烈だった。「王のような大統領、予告された悲劇」とあった。その下には、学生デモで下野した李承晩から、朴容疑者の前任の李明博まで8人の大統領の顔写真が並んでいた。こういう説明がついていた。「他の大統領も自身や家族が法の裁きを受けたり、任期を正常に終えることができなかった」

この見出しに倣えば、朴容疑者は「逮捕された元女王」ということになる。私は青字のボールペンで線を引きながら、記事を精読し、心の中で、うなずいた。

《朴・前大統領は2012年の大統領選挙を準備する際、自分自身や親類の不正で汚点を残した元職大統領の轍は踏まないと、特別な対策を何度も発表した。大統領選の1カ月前には、権力型不正の原因として「帝王的大統領制」を挙げ、特別検察官制や常設特検制を公約した。大統領選の公約集でも、「帝王的大統領制」流の政府運営を指摘して「各政権で大統領の親類や側近の権力型不正が発生し続け、韓国国民の不信が深刻化した」と記し、「大統領の親類および特殊関係者の腐敗防止法」などを導入する意思を明らかにした。就任後は、血縁の朴志晩(パク・チマン)EG会長一家との往来すら絶ち、「側近不正なき大統領」に向けた意思を見せた。しかし、40年来の知人だった崔順実(チェ・スンシル)被告の国政介入問題で、朴槿恵氏自身も「帝王的大統領のわな」にはまり、不幸な大統領のリストに名を連ねることになった》(朝鮮日報日本語版HPより)

■絶対的権力は絶対に腐敗する
韓国の大統領は強大な権限を持っている。今回の朴容疑者の犯罪は、個人的なものではあるが、それが大統領という権力によって、増幅されたことは間違いないだろう。1987年に憲法が改正され、大統領直選制度が復活した。この憲法では、大統領は5年間の任期で、再選は出来ない。これは朴正熙長期独裁政権への反省から、できたものだ。強大な権限を持つ大統領制度で、かつ、単任制。英国の歴史家ジョン・アクトンは専制君主の権力について、「権力は腐敗する。絶対的権力は絶対に腐敗する」と言ったが、韓国でもそれが当てはまる。そして、政権末期には、レームダック化する。政権末期に、政権の腐敗が露見するのは、こうした制度にも問題があるからだろう。

そうだ。「主人」のいなくなった、あの場所を背景にして、この新聞の写真を撮ろう。そう考えた。

 あの場所とは、青瓦台(大統領府)である。朴容疑者が、罷免されるまでの4年間あまり、執務し、暮らした場所だ。大統領の娘として、自身が大統領になる前にも、彼女はそこでに十数年暮らした。

光化門広場近くのコンビ二で、新たに「朝鮮日報」を買い求めた。歴史的な写真になると考え、書き込みのない、きれいな新聞がいいなと思ったのだ。それをデイパックに入れて、青瓦台に向かった。観光地図を参照してもらいたい=写真右。青瓦台は、朝鮮王朝の正宮だった景福宮の後ろ側にある。光化門はその正門だ。ちなみにローソク集会の開かれていた光化門広場とは、この光化門の南から地下鉄光化門駅までをつないだ縦長の広場である。土曜日とあって、景福宮周辺はレンタルの韓服を着た観光客が周辺を散策している。かつてのように、朴退陣を求めるデモもなく、のんびりとした雰囲気だ。

景福宮の左側の道・孝子路を歩く。景福宮の後ろ側に回りこむ形で、青瓦台正門を目指した。歩道わきの街路樹では鳥の鳴き声が騒がしい。青瓦台のすぐ裏は、北岳山という山がそびえている。都心に近いが、自然があふれているのだ。すれちがった観光客も「鳥が多いな」と驚いていた。私はデイパックから「朝鮮日報」を取り出し、手に持って歩いた。

正門前では、家族連れなどが記念写真を撮っていた。正門の後ろには、青い瓦の本館が見える。私は「朝鮮日報」を左手に持ち、右手にスマホをもって写真を撮ることにした。スマホを片手で操作するのはなかなか、難しい。それでも、何とか2枚だけ、撮影することができた。なぜ2枚だけか。警備していた警察官に写真撮影を止められたからだ、この写真の右上に写っている指は制止させようと手を回してきた、その警察官のものである。
 
警察官によれば、記念写真はいいが、プラカードのようなものを持って、青瓦台前に来たらダメなのだという。「これは新聞、それも朝鮮日報ではないか」と言ったが、通じない。しばらく問答したが、らちが開かない。まあいいや。もう目的は達したので、警察官と握手して別れることにした。歩きながら、スマホの写真を見たが、ばっちりと新聞にピントが合い、後ろに青瓦台の正門や本館がややぼけて写っている。なかなか面白い写真になった=最上段の写真。
5月9日には青瓦台の新たな「主人」となる大統領選挙の投票が行われる。そして、その5年後には、その「主人」の運命はどうなっているのだろうか。

■この国の宿痾、大企業・財閥との癒着
私のカトリック大学の研究室の机の上には、朴容疑者関連の本が10冊ある。大学図書館で貸出限度一杯借りてきたものだ。うち7冊は2012年12月の大統領選挙の前に出されたもので、表紙になった朴容疑者の表情は生き生きとしている。
カトリック大学の図書館にある朴氏関連書籍
この時の大統領選挙では、朴容疑者は得票率51.55%だった。民主化で、大統領直選制が復活した1987年以降、得票率が過半を超えたのは初めてで、しかも得票数1577万3128は歴代最多だった。民主統合党(当時)の文在寅候補との事実上の保革一騎打ちだった。文候補の得票率も48・00%で、かなり激しい闘いを勝ちぬいたのだった。そして、翌13年2月の就任式での演説では、朴容疑者は「国民の幸福」をさかんに繰り返していた。
在日本大韓民国民団(民団)のHPに日本語訳全文が掲載されている。
いま、この演説文を再読すると、意味深な言葉があるのに気づいた。
 《国の国政責任は大統領が負い、国の運命は国民が決めるものです。わが大韓民国が進んで行く新たな道に国民の皆さんが力を与え、活力を吹きこんでくれるよう望みます。》(民団HPより)

ローソクデモ、国会での弾劾訴追案可決、憲法裁判所での全員一致の罷免決定、そして、逮捕。まさに今回の「国の運命を決めた」主役は、国民だった。そして、朴容疑者はいま、その国政責任を裁かれる立場になった。
 今後、朴容疑者の本格的な取り調べが始まる。4月中旬までに起訴される見込みだ。朴容疑者の容疑は13に上る。いずれも崔被告と共謀したとされる。崔順実被告への機密文書流出容疑などのほかに特に二つの容疑が注目される。いずれも大企業や財閥との癒着疑惑である。

①【大企業に圧力をかけた強要容疑】
韓国の大企業に、親友の崔被告が事実上支配する2つの財団(Kスポーツ財団、ミル財団)に計774億ウォン(約77億円)の資金を拠出するように要求した疑いなど
②【韓国最大の財閥サムスングループ経営トップからの収賄容疑】
サムソン物産と第一毛織というサムソングループ内の企業合併に協力し、見返りとして、事実上の経営トップのサムスン電子副会長の李在鎔被告らから、崔被告への支援の形で、約束分も含め総額433億ウォン(約43億円)の賄賂を受け取った疑い

この国の「宿痾 (しゅくあ)」ともいうべき、大統領と財閥・大企業との癒着が、今後の捜査や公判廷で明らかにされることになる。そして国民はその実態を改めて直視することになる。それは反面教師としての「元女王」の失政の「最大遺産」になるかもしれない。

197812月にあった父親の大統領就任式で共に国民儀礼をする26歳の朴槿恵
=「写真と共に読む大統領朴正」より












2017年3月24日金曜日

4月東京の集会案内

4月12日(水)に開かれる東京訴訟第8回口頭弁論後の集会の講演内容と講師が、次のように決まりました。
植村バッシングとメディアへの攻撃■デイヴィッド・マクニール氏(ジャーナリスト)
週刊文春記事が誘発した「平穏な生活を営む権利」への侵害■渡邊知行・成蹊大学教授
韓国報告■植村隆・韓国カトリック大学客員教授

2017年3月19日日曜日

TV&講演お知らせ

緊急のお知らせ◆植村裁判札幌訴訟の共同代表のひとり、崔善愛さん(ピアニスト)のこころの軌跡を追ったドキュメンタリー番組が北海道地区で放映されます。
また、東京訴訟の弁護団に加わっている海渡雄一弁護士が、北海道平和フォーラム主催の憲法講座で「共謀罪」の問題点について講演をします。


■海渡雄一弁護士講演
3月24日(金)午後6時から、北海道自治労会館5階大ホール(北区北6西7)、申し込み不要、無料
演題:テロ等組織犯罪準備罪(共謀罪)の問題点
主催:北海道平和フォーラム
http://peace-forum.org/article-4298.html
海渡雄一(かいど・ゆういち)さん=弁護士として長年、原発・公害訴訟や人権、憲法、平和を守る運動の先頭に立ち、植村裁判東京訴訟でも第1回口頭弁論から出廷しています





■ドキュメンタリー傑作選「十字架とショパン」
北海道放送(HBC)3月20日(月)2時05分~2時35分=放映終了
<番組詳細> 
ピアニストの崔善愛さん(57)は、かつて指紋押捺を拒否したことから再入国許可を受けられず、特別永住者の資格を奪われた。留学先のアメリカから帰国で きない不安の中で、崔善愛さんはショパンの音楽に心を揺さぶられた。帝政ロシアの弾圧から逃れるために祖国を離れたショパンの悲しみが、朝鮮戦争の混乱を逃 れて来日した父親の思いに重なった。
善愛さんの父親は在日韓国人・朝鮮人の人権運動に半生を捧げた故・崔昌華牧師。一人ひとりに付けられた名前は人間の尊厳の基礎であり、在日の人々の名前の読 みを当時慣例だった日本語読みから韓国・朝鮮語読みに変えるように訴えた。 
今もヘイトスピーチがやまない日本社会の中で、在日であることを隠し続ける人も少なくない。善愛さんは在日として生きることに苦悩しながらも日本人の良心を信じる。「日本が私を育ててくれて、信じられる人に出会えた。厳しい歴史や現実があってもなお、生きて行きたい国だとわかりました」穏やかな語り口の中に、日本人に対する厳しい問いかけが込められている。=プロデューサー西嶋真司(RKB ) 
http://www.tbs.co.jp/houtama/last/170305.html


2017年3月13日月曜日

植村隆のソウル通信第9回

「民主主義」を学ばなかった女王の退場

ソウル中心の光化門広場の朴槿恵像(中央)。おでこに、
「罷免」という文字が貼りつけられている(3月12日)
2017年3月10日、韓国の朴槿恵(パク・クネ)大統領はついに大統領職を失ってしまった。
朴氏の弾劾訴追を審理してきた同国の憲法裁判所が10日、「(朴大統領の)違憲・違法行為は国民の信頼を裏切り、憲法守護の観点から容認できない重大な違法行為と見なければならない」として、罷免の決定を言い渡したのだ。
朴氏は即時に失職し、民間人となった。
大統領だった父・朴正煕(パク・チョンヒ 19171979)は18年の独裁政治の果て1979年に側近に暗殺された。2013年に大統領に就任した娘は、親友のチェ・スンシル被告の国政介入事件で捜査対象となっており、今後、投獄される可能性がある。
韓国民の多数派は、罷免決定に歓喜の声を上げている。朴槿恵支持派は激しく反発している。国家元首がこんな形で、クビになるのはきわめて異常なことだ。私は、今回の事態を「民主主義を学ばなかった女王の退場」と考えている。

■全員一致の「罷免」決定に驚く
この日は、「運命の日」と韓国のマスコミが報じていた。午前11時から決定言い渡しが始まった。
私はこの時間には、講演会の打ち合わせのためにソウル近郊にいた。打ち合わせを終えて、地下鉄のホームで電車を待ちながら、スマホで言い渡しの中継を見た。
唯一の女性裁判官である李貞美(イ・ジョンミ)憲法裁判所所長権限代行が決定を読み上げている。11時20分すぎに「罷免する」という主文が言い渡された。そして、スマホ画面には「全員一致」という言葉が出てきた。隣にいた知人が「全員一致か」と驚いたように、つぶやいた。
大統領や与党に選ばれた裁判官が計3人もいるなかで、裁判官8人の全員一致というのは、驚くべきことだった。弾劾決定には6人以上の賛成が必要だったが、仮に6対2で決定された場合やあるいは、5対3で棄却された場合は、弾劾賛成派と反対派の対立の激化も予想されていた。そういう意味でも、全員一致というのは大きな意味を持っていた。ちなみに、憲法裁判所は本来は9人で構成されるが、所長が1月に任 期満了で退任したので、8人になったのだという。
この日午後、ソウル市内で会った別の知人は選挙では朴槿恵に投票したという人物だが、今回の決定については高く評価していた。そして、「李貞美はよくやった」と話していた。

憲法裁判所はソウル市中心部の地下鉄・安国駅近くにある。
私は郊外の駅から、安国に向かった。1時間ほどで、安国駅についたが、憲法裁判所に近い出口は警官隊に封鎖されていた。韓国の国旗・大極旗を身体にまいた男女が、警察官に抗議をしていた。別の出口から、地上に出たが、警察車両が壁になり、憲法裁判所には行けなかった。路上では、朴大統領を支持する人々の集会が開かれていた=写真右上。大極旗や米国旗を振りながら、罷免決定を激しく批判していた。の集会をスマホで写真を撮っていると、中年の女性が突然私に向かって、「何で写真を撮っているのか」と怒り始めた。「私は大学の教員で、歴史の記録にするためだ」と言ったが、納得していないようだった。
近くにあった警察車両はフロントガラスが割れていた=写真右中アスファルトの地面には、赤い血のりのようなものが残されていた。人々がその周りに集まっていた。殺伐とした気配が漂っていた。スマホの電池も切れてしまったので、現場を早々に離れることにした。 
あとで、知ったのだが、この日、決定言い渡し直後に、この現場で、共同通信の韓国人カメラマンが集会参加者から、暴行を受けるなど、内外の取材陣への攻撃があった。また集会参加者と警察が衝突し、集会参加者の3人の男性が死亡した。私はその直後に現場に行ったことになる。
夕方、家に帰る前に街の売店で、夕刊紙・文化日報を買った。罷免のニュースで全面展開している。一面には大きな見出しで、「8対0」とあった。二面には、決定文の要旨が載っており、李代行の大きな横顔写真が載っていた。出廷前に聨合ニュースが撮影し、配信したのだ。
あれれ。李代行の髪の毛には、美容道具のヘヤカーラーが2個くっついたままである。写真右下、文化日報から。写真説明によると、この日は普段より出廷時間が早く、外し忘れたようである。李代行のなんだか人間的な姿に、ほっとした。
 
■私人による国政介入を許容し、大統領権限を乱用した
私は、自宅では、韓国経済新聞だけを定期購読している。決定の翌朝の11日、近くの地下鉄駅・駅谷の売店で、ハンギョレやソウル経済など12種類の新聞をまとめて買った。
ハンギョレは、図入りで、決定内容を分かりやすくまとめていた。それによると、憲法裁判所は5つの弾劾訴追事由のうち、一つだけを憲法と法律違反と判断した。訴追事由は
①私人による国政介入の許容と大統領権限の乱用、②公務員の任命権の乱用、③言論の自由の侵害、④生命権の保護義務と職責の誠実遂行義務の違反、⑤収賄授受などの刑事法違反
の5つだったが、そのうち①だけが「職務遂行においての憲法と法律 違反」と判断されたのである。
親友のチェ・スンシルが推薦した人物を公職に任命し、彼らがチェ氏の利権追求を助ける役割を果たしたことを認めた。また朴氏がチェ氏らの会社の支援を、大手企業に要求したと認めた。朴氏がチェ氏に大統領の日程や人事などの秘密文書が流出されるように指示したことなども国家公務員法違反と判断した。しかし、セウォル号惨事関連の訴追理由である④については、認めなかった。
ハンギョレは、憲法裁判所が迅速な判断のため、⑤の刑事法違反については除いたのではないか、という法科大学院教授のコメントも紹介していた。 
李代行は決定の最後にこう言っていた。
「( 朴氏は)自 らの憲法と法律違反行為に対して、国民の信頼を回復しようと努力する代わりに国民を相手に真実性のない謝罪を行い、国民との約束も守らず、憲法を守る意思が見られなかった」

11日付の毎日経済は系列のケーブルテレビ局MBNとの合同世論調査の結果を掲載していた。それによると、罷免決定直後に19歳以上の1008人を対象に調査を行った。回答者の86パーセントが朴氏の罷免について「よい決定」と答え、12パーセントが「誤った決定」と答えた。韓国民の大多数が、今回の決定を支持していることになる。また朴氏への捜査について は、69・4パーセントが「逮捕」を求め、17・8パーセントが「在宅起訴」を求めた。「捜査は不必要」とした人は9・6パーセントにすぎなかった。

さて、この歴史的なニュースを各紙が、どう一面で報じているか、紹介したい=写真上研究室の机 に、新聞を並べてみた。
朴大統領の後姿を写した保存写真を大きく使っているのは、京郷新聞、ソウル新聞、国民日報。東亜日報と英字紙のコリアヘラルドは朴氏の横顔。憲法裁判所の裁判官8人が並んでいる写真を使っているのは朝鮮日報と毎日経済だ。中央日報は、一面の中央に小さな後姿の朴氏の写真を載せ、周りに決定の要旨を載せ、「憲法、大統領を罷免し た」という見出しがある。
ハンギョレは罷免を喜ぶローソク集会の参加者の写真を大きく掲載し、その上に「大韓民国の春、再び始まる」という見出しをつけている。
しかし、私が一番、インパクトがあると感じたのは、ソウル経済だった。会見を終えて去ろうとする朴大統領の横向きの保存写真の上に、「大韓民国は民主共和国である 憲法一条一項 2017・03・10 憲政史上初の大統領弾劾」という言葉があるだけで、記事は一切なかった。韓国の憲法一条は、主権在民を謳っており、今回の決定がそれに基づいていることを改めて、強調していた。

■18年前の「朴槿恵議員」インタビュー記事
各紙にほぼ共通しているのは、朴氏の人生の振り返りだ。父と一緒に写っ た若き日の朴氏の写真や政治家になった後の写真、そして大統領就任などの写真を年表などと共に載せている。
この記事を見て、18年前を思い出した。朴氏が国会議員になって2年目の1999年当時、朝日新聞のソウル特派員だった私は朴氏に単独インタビューしたことがあるのだ。そのインタビューを元に、1999年5月29日の夕刊トップに大きな記事を書いた=紙面写真右下

当時、金大中氏が大統領になっていた。そして、朴氏は野党の国会議員。朴氏の父が大統領だった時代、金大中氏は野党の国会議員だった。構図が逆になったので、朴氏の話を聞いてみたい、と思ったのだ。

朴氏は、合コンもせずに大学時代を送ったという。そして、1974年フランス留学中に最初の悲劇が起きた。ソウルで、朴氏の母親が、父親を狙ったテロリストの銃弾で死亡したのだ。「槿恵がいなければ生きていけない」という涙ながらの父の言葉に、公人として生きる道を選んだ。そして、ファーストレディーの代行をつとめた。しかし、その父も1979年に銃弾に倒れた。

若い時代の朴氏は5年間にわたり、韓国の最高権力者の傍らにいた。敬愛する父親から、そこで何を学んだのだろうか。軍部出身の父は強権を背景に、開発独裁を進めた。そして、言論の自由や集会の自由などの民主主義を踏みにじった。5年間、こうした独裁権力の座のすぐそばにいたという体験は彼女に何をもたらしたのだろうか。

私は記事の中で、国会議員2年生の朴氏の人気ぶりについて、こう書いた。
《ハンナラ党の副総裁九人で人気は一番といわれる。金徳竜・副総裁は「一緒に演説しても、聴衆の反応が全く違う。彼女の人気や大衆性を『父親への追慕』と軽く見る人も多いが、それは間違いだ」と評価する》
しかし、これは金徳竜氏の政治的な発言だろう。当時、実績もない政治家がなぜ、あれほど人気があったのか。父への追慕、二度の悲劇、ファーストレディー代行時代の残像などが、保守層の朴氏への大きな共感の原点にあったと指摘できる。 
私は記事の最後をこう結んだ。《亡き父の「威光」だけではない真の保守指導者へ向けて、峠道にさしかかっている》
18年後の2017年3月、この記事を読み返しながら、思う。
残念ながら、朴氏は「真の保守指導者」にはなれなかった。

朴氏は3月12日夜、青瓦台(大統領府)から去り、ソウル市江南区の私邸に戻った。朴氏の側近が、朴氏のメッセージを代読した。
「私に与えられた大統領としての使命を最後まで果たすことができず、申し訳なく思っています。私を信じて声援してくださった国民の皆さまに感謝を申し上げます。このすべての結果は私が抱えていきます。時間はかかるでしょうが、真実は必ず明らかになると信じています」
 すべての国民でなく、「私を信じて声援してくれた国民の皆さま」に感謝しているだけである。そして、憲法裁判所の判断への承服もなかった。民意に思いを馳せない、女王のさびしい退場の姿だった。

photo  SEOUL march10,12  :  by Takashi UEMURA