ドキュメント11.9札幌地裁
闘いは再び始まった!
控訴審に向け あふれる判決批判、闘う決意
地裁前で「不当判決」アピール(11月9日午後3時50分) |
地裁に向かう植村さんと弁護団(午後3時)
11月9日午後3時30分、札幌地裁。静まり返った805号法廷で判決言い渡しが始まった。
「裁判所は次の通り判決を言い渡します。主文1、原告の請求をいずれも棄却する、2、訴訟費用は原告の負担とする」。
岡山忠広裁判長の声は、これまでとは違って、暗く沈んでいるように聞こえた。表情は固く強張っていた。判決言い渡しはあっという間に終わった。岡山裁判長は「事案の内容に鑑みて、判決の要旨を若干読み上げます」と言って、判決要旨を読み始めた。櫻井氏の責任を否定した上で植村さんの請求をすべて棄却した理由が、早口で説明される。「信じたことには相当の理由がある」というフレーズが何度も何度も繰り返された。傍聴席には声もない。
「以上によれば、本件各櫻井論文の執筆及び掲載によって原告の社会的評価が低下したとしても、その違法性は阻却され、又は故意若しくは過失は否定されるというべきである。以上です」。
朗読は10分ほどで終わり、岡山裁判長と両陪席裁判官は足早に退廷した。法廷の重い空気がやっと破れ、驚きと怒りの声があちこちでもれた。「ひどい」「なんだこれは」「信じられない」。思わず古代ギリシャの哲学者ソクラテスの言葉が浮かんでくる。「四つが裁判官に必要なり。親切に聞き、抜け目なく答え、冷静に判断し、公平に裁判することなり」。この判決はどうなのか。植村さんの被害への具体的な言及はまったくない。原告の社会的評価が低下しても、と言いながら、故意過失は否定される、よって被告は免責される、とはあまりにも公平を失してはいないか。
閉廷から10分後、地裁前で弁護士5人が横に並び、真ん中の成田悠葵弁護士が「不当判決」と書いた白い幟を掲げた。初冬の夕暮れが迫る中、冷たい木枯らしが幟を小刻みに揺らしていた。「判決を受け取ったところです。詳しい中身についてはこの後、記者会見で報告させていただきます」。市民、支援者、通行人が静かに見守る中、憤怒のセレモニーは短時間で終わった。
弁護団は、裁判所から渡された判決文の分析を大急ぎで終え、記者会見に臨んだ。裁判所近くの会見場には、「植村裁判判決報告集会」の大きな横断幕だけが張られている。予定されていた「勝訴」の幟はない。新聞、テレビの記者のほか、支援の市民も集まり、100人近くで会場はいっぱいになった。
植村さんを中央にして、弁護団共同代表の伊藤誠一、秀嶋ゆかり、渡辺達生弁護士と小野寺信勝事務局長、東京弁護団の神原元事務局長、植村裁判を支える市民の会の上田文雄共同代表、七尾寿子事務局長が揃って着席した。午後4時50分、会見が始まった。
「内容は不当だ、名誉毀損は認めるが慰謝料を払うほどではない、ということか」「インターネット言説が飛び交って憎悪が増幅される時代のジャーナリストのあり方を問題にしたのに答えていない」。伊藤弁護士が、怒りを抑え、静かな口調で判決を批判した。小野寺弁護士が続いた。「杜撰な取材によって信じたことに免責を与えている。言論に責任を負うべきジャーナリストに対して、杜撰な取材でも免責する道をつくった罪深い判決、きわめて不当な判決だ」「この判決は控訴審で戦う、ひっくり返すことができると確信している」。
次に植村さんが立った。「悪夢のような判決でした。私は法廷で、悪夢なのではないか、これは本当の現実なんだろうかとずっと思っていました。今の心境は、言論戦で勝って、法廷で負けてしまった、ということです。櫻井氏は3月の本人尋問ではいくつもずさんな間違いを認めていった。あの法廷と今日の法廷がどうつながるんだろうか」「激しいバッシングを受けたとき、これは単に植村個人の問題ではないということで、様々なジャーナリストが立ち上がってくれました。いまも新聞労連、日本ジャーナリスト会議、リベラルなジャーナリストの組織も応援してくれています」「この裁判所の不当な判決を高等裁判所で打ち砕いて、私は捏造記者でないということを法廷の場でもきちんと証明していきたいと思っています」。
植村さんの後も、きびしい判決批判と控訴審に向けての決意表明が続いた。涙はなく、負け惜しみや弁解、悲観論もなかった。記者会見は午後5時35分に終了した。
この日、不屈の闘いは終わることなく、再び始まった。
<記者会見での全員の発言要旨と、記者会見のあとに開かれた報告集会の様子は、近日中に続報に掲載します>
記者会見で植村さんと伊藤誠一(向かって左)、小野寺信勝弁護士 |
記者会見を兼ねた報告集会