2019年10月7日月曜日

疑問に応える審理を


東京電力の元会長ら幹部3人に無罪を言い渡した東京地裁判決(永渕健一裁判長、9月20日)について、10月6日付朝日新聞の社説「原発事故控訴 疑問に応える審理を」が判決の問題点を指摘し、指定弁護士の控訴(同30日)を支持している。
社説が指摘する判決の問題点とは以下のことである。
重要な事実を詳細に検討することなく退けたこと
裁判所が勝手に土俵を変えたこと
専門家の知見を否定したこと
明らかになった事実を適切に評価しなかったこと
結論に至る道筋と理屈に問題があること
公判で明らかになった事実に丁寧に向き合っていないこと
人々に届く言葉で説明する内容になっていないこと
この社説を読みながら、櫻井よしこ氏の責任を免じた札幌地裁判決(岡山忠広裁判長、昨年11月9日)とのあまりの相似点に驚かざるをえなかった。
民事訴訟と刑事裁判は違う、一方は損害賠償請求であり、一方は業務上過失致死傷罪である。しかし、どちらの被害も深刻で重大であり、そのことに裁判所は言及を避け、人間の良心を閉ざしている点でも共通している。

札幌地裁判決の当否を審理する控訴審は、結審が近づいている(10月10日)。札幌地裁判決は絶対に容認できるものでないことを肝に銘じつつ、朝日社説とその引用模写版「植村裁判控訴 疑問に応える審理を」を並べて掲載させていただく。

朝日新聞社説2019.10.6 下は模写版2019.10.7



原発事故控訴 疑問に応える審理を(朝日新聞社説、10月6日)
植村裁判控訴 疑問に応える審理を(模写版、10月7日、text by 北風三太郎)

福島第一原発の事故をめぐり東京電力の旧経営陣3人が強制起訴された裁判で、検察官役の指定弁護士が控訴した。
慰安婦報道をめぐり元朝日記者の植村隆氏が櫻井よしこ氏を名誉棄損で訴えた裁判で、植村氏と弁護団が控訴した。

無罪を宣告された者を被告の立場におき続けることの是非については、かねて議論がある。だが、東京地裁の無罪判決には承服しがたい点が多々見受けられ、指定弁護士が高裁の判断を求めたのは理解できる。
言論の自由の観点から記事の内容を法廷で争うことの是非については、かねて議論がある。だが、札幌地裁の棄却判決には承服しがたい点が多々見受けられ、植村氏側が高裁の判断を求めたのは理解できる。

例えば、判決は「事故を防ぐには原発の運転を停止しておくしかなかった」と断じている。指定弁護士は、防潮堤の設置や施設の浸水防止工事、高台移転などの方策にも触れ、その実現可能性について証人調べも行われた。しかし判決は、詳細に検討することなく退けた。
例えば、判決は「櫻井が植村記事を捏造だと思ったとしてもしょうがなかった」と断じている。植村氏側は、記事執筆の経緯や記事の意味、当時の報道状況などの背景にも触れ、記事の正当性について証人調べも行われた。しかし判決は、詳細に検討することなく退けた。

結果として、社会生活にも重大な影響が及び、きわめてハードルの高い「運転停止」にまで踏み込む義務が元幹部らにあったか否かが、判決を左右することになった。被災者や複数の学者が疑問を呈し、「裁判所が勝手に土俵を変えた」との批判が出たのはもっともだ。
結果として、「捏造」という重大な決めつけに、きわめてハードルの高い「裏付取材」にまで踏み込む義務を櫻井氏が果たしたか否かが、判決を左右することになった。支援者や多数の学者が疑問を呈し、「裁判所が勝手にハードルを下げた」との批判が出たのはもっともだ。

原発の安全性に関する判断にも首をかしげざるを得ない。
慰安婦の人権に関する判断にも首をかしげざるを得ない。

判決は、国の防災機関が02年に公表した「三陸沖から房総沖のどこでも、30年以内に20%程度の確率で巨大地震が起こりうる」との見解(長期評価)の信頼性を否定した。根拠として、一部に異論があったこと、電力会社や政府の規制当局が事故対策にこの見解をとり入れていなかったことなどを挙げた。
判決は、内閣官房長官が93年に発表した「慰安所の設置、管理及び慰安婦の移送については、旧日本軍が直接あるいは間接にこれに関与した」との談話(河野談話)を無視した。根拠は示さずに、「慰安婦ないし従軍慰安婦とは、公娼制度の下で戦地において売春に従事していた女性などの呼称」と述べた。

一体となって原発を推進した国・業界の不作為や怠慢を追認し、それを理由に、専門家らが議論を重ねてまとめた知見を否定したものだ。さらに判決は、当時の法令は原発の「絶対的安全性の確保」までは求めていなかったとも述べた。
一体となって植村批判をした右派論客・メディアの主張を追認し、それを理由に、学者、専門家らが議論してまとめた知見を否定したものだ。さらに判決は、「櫻井が資料に基づいて信じたことについて相当の理由がある」とも述べた

万が一にも事故が起こらぬように対策を講じていたのではなかったのか。巨大隕石の衝突まで想定せよという話ではない。実際、この長期評価をうけて、東電の現場担当者は津波対策を検討して経営陣にも報告し、同じ太平洋岸に原発をもつ日本原電は施設を改修している。こうした事実を、地裁は適切に評価したといえるだろうか。
万が一にも間違いが起こらぬようにと櫻井氏は取材をしていたのではなかったか。当事者のすべてを取材せよという話ではない。実際、櫻井氏は植村氏本人への取材は申し込みすらしていない。間違いを指摘されて訂正記事を2本も連発、尋問でも重要な誤りを多数認めている。こうした事実を、地裁は適切に評価したといえるだろうか。

組織や人が複雑に絡む事故で個人の刑事責任を問うのは容易ではない。有罪立証の壁の厚さは織り込み済みだったが、問題は結論に至る道筋と理屈だ。
主義や主張が複雑に絡む裁判で個人の名誉棄損を問うのは容易ではない。損害賠償の壁の厚さは織り込み済みだったが、問題は結論に至る道筋と理屈だ。

政府や国会の事故調査ではわからなかった多くの事実が、公判を通じて明らかになった。判決には、それらの一つ一つに丁寧に向きあい、事故との関連の有無や程度を人々に届く言葉で説明することが期待されたが、それだけの内容を備えたものになっていない。高裁でのレビューが必要なゆえんである。
植村氏が訴訟を起こすまではわからなかった重要な事実が、裁判を通じて明らかになった。判決には、それらの一つ一つに丁寧に向き合い、櫻井氏の誤りの有無と程度を人々に届く言葉で説明することが期待されたがそれだけの内容を備えたものになっていない。高裁でのレビューが必要なゆえんである。