2016年9月24日土曜日

植村隆のソウル通信第5回

韓国語版の手記、発行されました!

みなさまにお知らせです。
私の手記「真実」(岩波書店)の韓国語版が、出版されました。

題名は「私は捏造記者ではない」。
韓国の出版社「プルンヨクサ(青い歴史)」が発行しました。定価は15,000ウオン(日本円で、約1370円)。発行日は10月9日。292ページで、原著よりひと回り大きく、重いです。資料も原著より多く、索引まであります。便利です。


韓国の大手書店である教保文庫は、ネットでも販売しています。こちら
「送料無料・10パーセント引きなど」と、宣伝しています。

刊行を記念して、26日にソウルにある「プルンヨクサ アカデミー」で、記者懇談会という名の会見が行われます。その招待状を添付しました。出版社が作ってくれたものです。「ご招待します」と韓国語で書かれ、本の写真と私のポーズ写真がデザインされています。

ポーズ写真は2015年5月、米プリンストン大学で講演した後、プリンストンの街で撮影したものです。「植村裁判を支える市民の会」が編集した「週刊金曜日」抜き刷り版の表紙にも使われたおなじみの写真です。私の隣には、故アインシュタイン博士のポスターが映っているのですが、韓国語版では、私の部分だけを使っています。
これは、私のお気に入り写真の一つです。植村バッシングへの反転攻勢の意欲が表情にもみなぎっていると思います。

チラシには、こう書いてあります。
「この本は植村へのバッシングの記録であり、それに対する反証などを盛り込んだ闘いの記録である。『慰安婦』報道の後、『捏造記者』という汚名を着せられ、様々な誹謗中傷に苦しんできた著者の淡々とした回想は、『日本軍慰安婦問題に関する韓日政府間の12・28合意』以後も論争が途切れない現状に、たくさんの示唆点を投げかけている」

さて、この「9・26会見」を前に、この出版をめぐる経緯などについて、少し書いておきたいと思います。

翻訳者は「ハンギョレ」東京特派員のキルさん

日本で、この手記「真実」が岩波書店から発行されたのは今年2月26日でした。それから7カ月後に韓国語バージョンが発行されたことになります。

韓国入りしてから、友人に紹介されて、ひげの歴史学者として知られる韓洪九(ハン・ホング)聖公会大学教授に出会いました。私の問題にも関心を持ってくれていたハン先生は、私の手記出版のために、「プルンヨクサ」とつないでくれました。

それとは、別に2つの韓国の出版社も岩波書店に翻訳を申し込んでくれました。結局、計3社の競合となりましたが、私は、プルンヨクサを選びました。それは、プルンヨクサが翻訳者に韓国のリベラルな新聞「ハンギョレ」の吉倫亨(キル・ユンヒョン)東京特派員の名前を挙げていたからです。私が指定したわけではありません、全くの偶然でした。

それを知った時、思わずこころの中で、「ラッキー」とつぶやきました。私にとっては、彼が翻訳してくれるのがベストだと思ったのです。

キル特派員は、植村バッシングが激しいさなかの2014年12月に札幌に取材に来て、私にインタビューしてくれました。それだけでなく、「負けるな北星!の会」のメンバーにも密着し、深い取材をしていました。韓国紙の東京特派員で、最も植村バッシングに詳しい記者だと思います。

彼とは、2013年9月末に初めて東京で会いました。週刊文春が2014年1月末、私を「慰安婦捏造記者」とレッテル貼りし、激しい植村バッシングが起きたのですが、その前からの知り合いなのです。

韓国語版の中に、キル特派員の「訳者のあとがき」があります。その中で、私との出会いのことや、その後の、植村バッシングのことについて、詳しく書いてくれています。

私は、ソウル在住の元慰安婦の女性が証言をし始めたことを1991年8月に書きました。その記事で、慰安婦の意味で女子挺身隊という言葉を使ったことで、「捏造記者」と攻撃されています。
韓国では、私の取材当時、慰安婦のことを挺身隊と呼んでいました。このため、韓国では私が「捏造記者」でないことは、すぐに分かってもらえます。しかし、それだけに、なぜ私がこれほどまでにバッシングされているのか、なかなか、韓国の人びとには理解してもらえない面があります。

キル特派員は、「2014年から15年にかけて、日本軍『慰安婦』問題を取り巻く日本社会の雰囲気がどれほど殺伐としていたか」(キル氏の表現)を丁寧に説明しています。彼の記述が、韓国の読者の理解の助けになりそうです。

■日本社会の理性を失ったバッシング現象

またキル特派員は、2014年12月当時の私について、こう書いています。

1年ぶりに会った植村さんは大きな旅行用のキャリーバッグを転がしながら姿を現した。『旅行にでも行った帰りなのだろうか』と思っていたら、そうではなかった。バッグの中には『私はねつ造記者ではない』ことを証明するための資料がぎっしり詰め込まれていた。彼は会う人ごとにこの資料を配りながら、「私はねつ造記者ではない」と明をけた。い旅行用のキャリーバッグを引きずりながら、身を切るような寒さの中、札幌のススキノをとぼとぼとく彼の後ろ姿がさびしく思え、涙が出そうだった」

そして、こう指摘しています。

「結局、植村バッシングとは慰安婦問題の本質を理解し、正しい解決方法を探すことを諦めた日本社が、慰安婦問題を初めて記事にした人物をスケープゴートにして、理性を失ったバッシングを浴びせた現象と定義するしかない」。

キルさんの文章を読みながら、私のほうこそ涙が出そうでした。

韓国紙の東京特派員は、非常に忙しいポストです。にもかかわらず、私の手記の翻訳を引き受けてくれたキルさんの友情に深く感謝したいと思います。
また、ゲラのチェックなどに当たってくれた教え子の姜明錫(カン・ミョンソク)君ら植村支援チームの皆さん、編集者のチョン・ホヨンさんらのご尽力をありがたく思っています。

キルさんは、最後にこう、結んでいます。
「本書が植村さんの苦しい闘いに少しでも役に立てたらと思う」

関係する皆さんのおかげで、私は、私の問題をすべて韓国語で説明する資料を得たことになります。
ありがとうございました。カムサハムニダ。

これからは、この本を通じて韓国の人びとに私の問題を理解してもらうとともに、慰安婦問題の真の解決のためにはどうすればいいのかを、一緒に考える手がかりにしていきたいと思います。