2020年2月7日金曜日

判決報告集会の記録


控訴審判決報告集会は、同日(2月6日)午後6時半から札幌駅近くのエルプラザで開かれた。大雪の中、会場の3階ホールには約100人が集まった。植村氏と弁護団の報告、ジャーナリスト安田浩一さんと新聞労連委員長・南彰さん、映像作家・西嶋真司さんのトーク、韓国から訪れたウセンモ(植村隆を考える会)の李富栄さんと李京禧さんのあいさつ、ピアニスト崔善愛(チェ・ソンエ)さんのピアノ演奏とトークと、盛りだくさんのプログラムが進行した。集会の最後に、弁護団共同代表の伊藤誠一弁護士と、支える会共同代表の上田文雄さん(前札幌市長)が、上告審でも闘い抜こうと訴え、支援を求めた。以下は、主な発言の要旨(発言順)。


2段目左から小野寺、植村、神原さん
3段目同=安田、南、西嶋さん
4段目同=崔、伊藤、上田さん
5段目=ウセンモのみなさん
▼小野寺信勝・弁護団事務局長 この判決は、「植村さんを勝たせない」と最初から決めて、論理的に無理な理屈を組み立てた判決だ。私たちは数百ページに及ぶ主張をしたが、判決は実質10ページ、重要部分は5ページ程度。櫻井氏は3つの資料を誤読・曲解し自論を立てているが、判決は「資料を総合考慮し」という言葉で片付けた。また強制連行を「居住地から無理やり」という限定的な意味でとらえている。事実をもとに下から積み上げた結論ではない。これまでの最高裁の判断から大きく逸脱している異常な判断だ。
▼植村隆さん こういう(捏造記者と決めつけた)ことは本人に取材して事実確認しなくても免責されるという判断は非常に危険だ。札幌地裁で、私を捏造記者というのは「言いがかりだ」と証言した北海道新聞の喜多義憲記者の証言は、高裁も無視した。検討すれば「植村を勝たせない」という結論が崩れるからだろう。裁判は、独立した、司法の専門家が証拠や事実に基づき合理的な判断を下すものと思っているが、裁判の劣化をしみじみ感じる。しかし提訴したことで誰も捏造記者と言わなくなった。この問題はおかしい、不当だと、一緒に闘ってくれる人がたくさん出来た。正義を実現してくれという市民たち横のつながりが生まれた。新しい闘いが始まります。これからも、どうかお力を寄せて下さい。
▼神原元・東京弁護団事務局長 3月3日の東京高裁判決がどうなろうと、植村裁判は最高裁に持ち込まれる。裁判官は理詰めで判断する人たちだが、その前に直感として「こうじゃないの?」と感じることは、人間だからありうる。その直感は社会の雰囲気とか世論が影響する。世論には右傾化を食い止め、裁判所を動かす力もある。草の根から私たちの意見を広げ、差別主義、歴史修正主義と闘って行きたい。
▼安田浩一さん ひどい判決だ。取材をしなくても手元に資料があれば、それで記事を書いても構わないという。デマをちりばめたネトウヨのまとめサイトだって、記事として肯定できるということだ。この裁判では植村さんの正義と櫻井さんの不正義がぶつかり合っている。不正義を後押しし、扇動しているのはだれか。私は裁判長の背後に、日の丸の旗、日本という政府、国家が浮かび上がるような気がする。
▼南彰さん 櫻井氏は判決を受けて「言論の自由が守られた」とコメントした。はっきりしたことは、どういう表現・言論の自由が争われているのかということだ。歴史的事実と向き合い、普遍的な人権を尊重する表現の自由か、それともそうした事実を抹殺し、捏造記者といった非常に暴力的なレッテルを貼っても免責される表現の自由か。その2つが問われている大きな闘いだ。
▼李富栄(イ・ブヨン)さん 胸が痛む判決だった。軍事独裁政権の韓国で、司法府が人権弾圧機関に成り下がったのを私たちは見てきた。植村さんと一緒に、北東アジアの平和、日韓の善隣友好を実現させるため、皆さんと共に歩みたい。
▼李京禧(イ・ギョンヒ)さん 慰安婦被害者が最も多い韓国慶尚南道で「日本軍慰安婦歴史館」建設に取り組んでいる。また慰安婦記録のユネスコ「世界の記憶」遺産登録運動も進めている。ご支援をお願いしたい。
▼伊藤誠一・弁護団共同代表 司法の場できちんと主張し証拠も出したのだが、司法を変えることができなかった。力を抜いたわけではないが力不足だった。最高裁に向けて決意を新たにする。著名な教育学者、勝田守一氏の言葉、魂、ソウル(soul)は頑固に、マインドは柔軟に、スピリットは活発に、を思い起こしながら役割を果たしたい。
▼上田文雄さん 今朝、訴状を読み返しながら、提訴の日(2015年2月10日)から5年経ったんだ、と思った。残念な判決となったが、(慰安婦の)歴史をなかったことにしたいという思いが一審判決そして今回の判決で先行している。植村さんの正当性をはっきり示した(元道新の)喜多義憲さんの証言については失礼なことに一言もふれずに、ネグレクトした不自然さ、不誠実さには、激しい怒りを皆さんと共有したい。証拠に基づく判断、それが司法の役割だと思う。権力におもねることなく、独立したまっとうな判決をする、証拠に基づいて、いやな事実も恥ずかしい事実もあるものはある、決してなかったことにしない、それを証明し主張を通していくのが裁判所の役割だと思うが、それを怠った裁判所の罪は大きい。ごめんなさいと言わなければならないのは裁判所だ。ここで矛を収めるわけにはいかない。

まとめtext by H.H.
写真 石井一弘

控訴審判決(抄録)


櫻井氏の責任を不問にする理由はほんとうにあるのだろうか? 免責の根拠となる「真実相当性」を札幌高裁はどう判断したのだろうか?  判決文をいくら読んでも、すっきりした答えは得られない。
札幌控訴審の判決文の[事実及び理由]の構成は次のようになっている。p数字は掲載ページ

第1 控訴の趣旨 p1
第2 事案の概要 p2~p9
第3 当裁判所の判断 p9~p19
1 まえがきと補正
2 控訴人植村の主張に対する判断
(1)事実の摘示、(2)真実相当性(p12-18)、(3)意見ないし論評の域、(4)事実の公共性、(5)目的の公益性、(6)その他、(7)まとめ
第4 結論 p19~20

このうち、最も大きな争点となった「真実相当性」についての裁判所の判断部分は、第3の2の(2)。項目としては最も長文ではあるが、控訴審での植村氏の追加主張や新たに提出した証拠への検討は一切加えておらず、一審判決の認定の再検討にとどまっていることがわかる。当該部分を原文のまま以下に収録する。


(2)被控訴人櫻井が摘示された事実又は意見ないし論評の前提とされた事実が真実であると信じたことについて相当の理由がないとの主張について

ア 控訴人植村は,被控訴人櫻井が,「控訴人植村が,金学順氏が継父によって人身売買され慰安婦にさせられた経緯を知りながら,敢えてこれを報じなかった」と信じたこと,「控訴人植村が,敢えて慰安婦とは何の関係もない女子挺身隊とを結び付け,金学順氏が女子挺身隊の名で日本軍によって戦場に強制連行され,日本軍人相手に売春行為を強いられた朝鮮人従 軍慰安婦であると報じた」と信じたこと,「控訴人植村が事実と異なる本件記事Aを敢えて執筆した」と信じたことについて,いずれも相当の理由は認められないと主張する。            

イ 被控訴人櫻井は,本件各論文を執筆するに当たり,資料として,平成3年8月15日付けハンギョレ新聞,平成3年訴訟の訴状及び臼杵論文を参照した(原判決第3の2(1)ケ(ウ))。そして、金学順氏が慰安婦になった経緯について,上記ハンギョレ新聞は,金学順氏の共同記者会見の内容として,「生活が苦しくなった母親によって14歳の時に平壌にあったキーセンの検番に売られていった。3年間の検番生活を終えた金さんが初めての就職だと思って,検番の義父に連れられていった所が(中略)華北のチョルベキジンの日本軍300名余りがいる小部隊の前だった。私を連れて行った義父も当時,日本軍人にカネももらえず武力で私をそのまま奪われたようでした。」と報じており(原判決第3の2(1)ウ(エ)),平成3年訴訟の訴状には,原告の一人である金学順氏について言及した部分として,「そこへ行けば金儲けができると説得され(中略)養父に連れられで中国へ渡った。(中略)「鉄壁鎮」へは夜着いた。小さな部落だった。養父とはそこで別れた。金学順らは中国人の家に将校に案内され,部屋に入れられ鍵を掛けられた。そのとき初めて「しまった」と思った。」との記載があり(同エ(ア)),臼杵論文には,「17歳のとき,養父は稼ぎに行くぞと,私の同僚のエミ子を連れて汽車に乗ったのです。着いたところは満州のどこかの駅でした。サーベルを下げた日本人将校二人と三人の部下が待っていて,・・・(後略)」との記載がある(同カ)。上記ハンギョレ新聞は,金学順氏か慰安婦であったとして名乗り出た直後に自身の体験を率直かつ具体的に述べ,これを報道したもの,平成3年訴訟の訴状は,訴訟代理人弁護士が金学順氏に対し事情聴取をして作成したもの,臼杵論文は,臼杵敬子が金学順氏に面談して作成したものと考えられ,それぞれ一定の信用性があるということができる。これらの記載の内容を総合考慮すると,被控訴人横井が,これらの資料から,金学順氏が女子挺身勤労令の規定する女子挺身隊として日本軍に強制連行されて慰安婦になったのではなく,金学順氏を慰安婦にすることにより,日本軍人から金銭を得ようとした検番の継父にだまされて慰安婦になったと信じたことについて相当な理由が認められる。
 この点について,控訴人植村は,上記の各資料からは,金学順氏が日本軍人により強制的に慰安婦にさせられたと読み取るのが自然であると主張する。しかし,上記の各資料は,金学順氏の述べる出来事が一致しておらず,脚色・誇張が介在していることが疑われるが,検番の義父あるいは養父に連れられ,真の事情を説明されないまま,平壌から中国又は満州の日本軍人あるいは中国人のところに行き,着いたときには,日本軍人の慰安婦にならざるを得ない立場に立たされていたという趣旨ではおおむね共通しており,上記ハンギョレ新聞・臼杵論文からうかがえる日本軍人による強制の要素は,金学順氏を慰安婦にしようとしていた義父あるいは養父から金学順氏を奪ったという点にとどまっている。そうであれば,核となる事実として,日本軍が金学順氏をその居住地から連行して慰安婦にしたという意味で,日本軍が強制的に金学順氏を慰安婦にしたのではなく、金学順氏を慰安婦にすることにより日本軍人から金銭を得ようとした検番の継父にだまされて慰安婦になったと読み取ること,すなわち,いわば日本軍の関与に関わる消極的事実を読み取ることが可能である。被控訴人櫻井が上記の各資料に基づき上記のとおり信じたことについては,相当性が認められるというべきである。

ウ 平成3年当時に「女子挺身隊」又は「挺身隊」の語は,慰安婦の意味で用いられる場合と,女子挺身勤労令の規定する女子挺身隊の意味で用いられる場合があったというべきであり,一義的に慰安婦の意味に用いられていたとは認められない。また,「女子挺身隊」又は「挺身隊」の語について,女子挺身勤労令の規定する女子挺身隊の意味で用いることが特別なことであったとも認められない。
 そして,本件記事Aが日本国内の読者に向けた報道であることに加え,本件記事Aが掲載された朝日新聞は,昭和57年以降,吉田を強制連行の指揮に当たった動員部長と紹介して朝鮮人女性を狩り出し,女子挺身隊の名で戦場に送り出したとの吉田の供述を繰り返し掲載していたし,他の報道機関も朝鮮人女性を女子挺身隊として強制的に徴用していたと報じていた。その一人がやっと具体的に名乗り出たというのであれば(それまでに具体的に確認できた者があったとは認められない[弁論の全趣旨]。),日本の戦争責任に関わる報道として価値が高い反面,単なる慰安婦が名乗り出たにすぎないというのであれば,報道価値が半減する。「体験をひた隠しにしてきた彼女らの重い口が,戦後半世紀近くたって,やつと開き始めた。」との記述等に照らすと,本件記事Aについて,一般読者の普通の注意と読み方を基準として解釈すれば,「女子挺身隊」として強制的に徴用された慰安婦が具体的に名乗り出たと読むことは相当である。
 そうすると,被控訴人櫻井が,本件記事Aにおける「女子挺身隊」の語を女子挺身勤労令の規定する女子挺身隊の意味に解し,女子挺身勤労令の規定する女子挺身隊の名や慰安婦にされたとは述べていなかった金学順氏について,控訴人植村が女子挺身勤労令の規定する女子挺身隊と慰安婦とを関連付けたと信じたことには相当性が認められるというべきである。
この点について,控訴人植村は,韓国では,「女子挺身隊」又は「挺身隊」の語は,慰安婦の意味で用いられることが一般であることや,日本国内でも慰安婦の意味で用いられていたことを理由に,本件記事Aが関係のない女子挺身隊と慰安婦とを結び付けるものではないと主張するが,上記判断を左右しない。

エ 本件記事Aにおける金学順氏の述べた内容は,控訴人植村がテープに録音された金学順氏の話を元に記載されたものである。本件記事Aには,「女性の話によると,中国東北部で生まれ,17歳の時,だまされて慰安婦にされた」との記載があり,この記載からすれば,控訴人植村が聞いた録音テープにおいて,金学順氏がだまされて慰安婦にされた旨を語っていたことが推認される。これに加えて,本件記事Aの数日後に行われた金学順氏の記者会見の内容を報じる平成3年8月15日付けハンギョレ新聞に「検番の義父」に連れられて日本軍の小部隊に行き,慰安婦にさせられた旨の記載があることからすれば,被控訴人櫻井が,金学順氏が検番の継父にだまされて慰安婦にさせられたと信じたこと,さらに,控訴人植村が金学順氏が話した内容と異なる内容(金学順氏が女子挺身隊の名で日本軍に連行されたとの内容)の本件記事Aを執筆したと信じたことについては相当性が認められる。
 控訴人植村は,本件記事Aには「検番の継父」との記載がないことから,被控訴人櫻井が,金学順氏が検番の継父にだまされて慰安婦にさせられたと信じたことには相当性が認められないと主張するが,上記ハンギョレ新聞の報道も併せて読めば,被控訴人櫻井が上記のとおり信じたことの相当性は左右されないというべきである。

オ 控訴人植村は,金学順氏が日本軍人による強制連行の被害を供述していたこと,平成3年当時,金学順氏が白本軍人によって強制連行された旨の報道が多数なされていたこと,被控訴人櫻井自身も平成4年当時,金学順氏が日本軍に強制連行されたとの認識を有し,その旨のコラムを掲載したり,テレビ番組で発言したりしていたとして,これらの事情を前提にすると,被控訴人櫻井は,金学順氏に聴き取りをするなどの取材をするべきであったと主張する。また,控訴人植村の主観的事情,すなわち,事実と異なることを知りながら記事を執筆したという点については,控訴人植村本人に取材すべきであったと主張する。
 しかし,金学順氏は,自ら体験した過去の事実(慰安婦となった経緯)について,櫻井論文執筆時点に比べ,より記憶が鮮明であったというべき過去の時点において,多数の供述を残している。すなわち,金学順氏は,平成3年8月14日の共同記者会見の当初から,検番の継父にだまされて連れて行かれた先で慰安婦にさせられた旨を繰り返し述べており,このことは,同月15日付けのハンギョレ新聞や平成3年訴訟の訴状からも明らかである。これらから,前記イのとおり,日本軍の関与に関わる消極的事実を読み取ることが可能である。これらの資料の閲読に加えて,更に平成3年当時の金学順氏が述べた慰安婦にさせられた経緯について,改めて取材や調査をすべきであったとはいえない。また,控訴人植村の主観的事情(記事執筆時点での認識)について,これまでに判示したところによれば、被控訴人櫻井は,本件記事Aについて,一般読者の普通の注意と読み方を基準として解釈(具体的には,本件記事Aの「女子挺身隊の名で連行された」との部分について,金学順氏が第二次世界大戦下における女子挺身勤労令で規定された「女子挺身隊」として戦場に強制的に動員されたと解釈)した上,多数の公刊物等の資料に基づき,合理的に推論できる事実関係(具体的には,金学順氏が挺対協の聞き取りにおける録音で「検番の継父」にだまされて慰安婦にさせられたと語っており,原告がその録音を聞いて金学順氏が慰安婦にさせられた経緯を知ったこと)に照らして,判断の上,櫻井論文に記載したということができる。前者(記事の趣旨)について,執筆者である控訴人植村本人に確認することを相当性の条件とすることは,記事が客観的な存在になっていることを考慮すると,相当ではない。一般読者の普通の注意と読み方を基準として解釈すれば十分というべきである。後者(記事執筆時点での事実認識)について,本件においては,推論の基礎となる資料が十分あると評価できるから、事実確認のため,控訴人植村本人への取材を経なければ,相当性が認められないとはいぇない。また,実際上,控訴人植村本人に対する取材について,被控訴人櫻井と同様に本件記事Aの問題点を指摘していた西岡に対し,控訴人植村が回答していなかったことからすれば,被控訴人櫻井において,別途取材の申込みをすべきであったとはいえない。
 したがって、この点に関する控訴人植村の主張は認められない。

2020年2月6日木曜日

植村氏の控訴棄却!

update 2020/2/7 10:30am

速報! 札幌高裁 櫻井よしこ氏を再び免責
またも不当判決
植村裁判 札幌訴訟控訴審


控訴審判決言い渡しはきょう(6日)午後2時半から札幌高裁であり、冨田一彦裁判長は植村氏の控訴を棄却した。

判決主文は次の通り。
 1 本件各控訴をいずれも棄却する。
 2 訴訟費用は控訴人植村の負担とする。


不当判決に抗議!(2月6日午後2時50分、札幌高裁前で)
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朝日新聞が報じた記事を以下に引用します。

【朝日新聞デジタル】2020年2月6日21:41
元慰安婦の証言を伝える記事を「捏造」と断定され名誉を傷つけられたとして、元朝日新聞記者で「週刊金曜日」発行人兼社長の植村隆氏がジャーナリストの櫻井よしこ氏や出版3社に損害賠償などを求めた訴訟の控訴審判決が6日、札幌高裁で言い渡された。冨田一彦裁判長は原告側の控訴を棄却した。植村氏は上告する方針。
植村氏は1991年、韓国人元慰安婦の金学順さんの証言を取材し、8月と12月に朝日新聞に記事が掲載された。櫻井氏は2014年に月刊誌「WiLL」4月号で「植村記者が真実を隠して捏造記事を報じた」と指摘。「週刊新潮」「週刊ダイヤモンド」誌への寄稿でも植村氏の記事を「捏造」と断定した。
18年11月の一審・札幌地裁判決は、雑誌や韓国紙の記事をもとに、植村氏の記事が事実と異なると櫻井氏が信じたことに「相当の理由がある」と結論づけ、植村氏の請求を棄却。高裁も地裁の判断を踏襲した。
植村氏は控訴審で「櫻井氏は植村本人に直接取材していない」と指摘。植村氏の記事が「捏造」だと信じたことに「『相当な理由がある』とは認められない」と主張した。だが高裁判決は「推論の基礎となる資料が十分あり、本人への直接の取材が不可欠とはいえない」として退けた。
植村氏は記者会見で「不当判決。絶対に容認できない」と述べ、上告の意向を表明。櫻井氏は「裁判所が事実関係をきちんと見てくださったことを感謝する」とのコメントを発表した。(編集委員・北野隆一)


【朝日新聞 北海道版】2020年2月7日朝刊
■植村氏、上告の意向 慰安婦報道訴訟、二審も敗訴
 元朝日新聞記者の植村隆氏が1991年に書いた元慰安婦の証言を伝える記事を「捏造(ねつぞう)」と断定され名誉を傷つけられたとして、ジャーナリストの櫻井よしこ氏や出版3社に損害賠償や謝罪広告などを求めた訴訟の控訴審で、6日の札幌高裁判決は、植村氏の請求をいずれも棄却した。植村氏は記者会見し、最高裁に上告する意向を示した。
裁判で植村氏側は、櫻井氏が植村氏本人に取材しなかったことを問題視してきた。この点について、高裁判決は「推論の基礎となる資料が十分あり、本人への直接の取材が不可欠とはいえない」として、植村氏側の主張を退けた。
櫻井よしこ氏は「報道の自由、言論の自由が守られたことを喜ばしく思います」などとコメント文を出した。出版3社も報道各社に向けてコメントした。ダイヤモンド社は「当然の判決と捉えている」、週刊新潮編集部は「裁判所の判断は、証拠に基づく当然かつ適切なものと思います」、ワック編集部は「判決を精査できておらず、コメントは控えたい」とした。
判決後、植村氏と弁護団は札幌市内で記者会見した。植村氏は「極めて恐ろしい判決だ。これだと本人に取材しないで捏造だと断定することが自由になる」と、高裁判決を批判した。そのうえで「上告して最高裁に判断を委ねたい。逆転判決をめざしたい」と上告する方針を示した。弁護団は「植村氏の名誉回復のために全力で闘う決意である」などと声明を出した。(伊沢健司)

不当判決に抗議する


弁護団声明■

1 本日、札幌高等裁判所第3民事部(冨田一彦裁判長)は、元朝日新聞記者植村隆氏がジャーナリストの櫻井よしこ氏及び週刊新潮、週刊ダイヤモンド、WiLL発行の出版3社に対して、名誉毀損を理由として慰謝料の支払いなど名誉回復を求めた訴訟で、植村氏の控訴を棄却する不当判決を言い渡した。

2 控訴審の審理において、櫻井氏が記事執筆にあたり、資料を誤読・曲解したり、植村氏に取材の申し込みすら行わないなど、取材の杜撰さなどが一層明らかになった。
しかしながら、本判決は、櫻井氏が誤読・曲解した資料の「総合考慮」により金学順氏は検番の継父にだまされて慰安婦になったと信じたことに相当の理由があるとした。さらに、いわゆる吉田供述を前提に、朝鮮人女性を女子挺身隊として強制的に徴用したと報ずれば、戦争責任に関わる価値が高い反面、単なる慰安婦が名乗り出たにすぎないのであれば、報道価値が半減するとしたうえで、植村氏は女子挺身勤労令の規定による女子挺身隊と慰安婦を関連づけて報じたと信じたことには相当の理由があると判断した。
また、植村氏が事実と異なることを知りながら記事を執筆していないにも関わらず、櫻井氏がそのように信じたことについては、櫻井氏が誤読・曲解した資料の存在を理由に、植村氏本人に取材をする必要性はないとして、この点を免責した。
そもそも判例は真実相当性はこれまで相当に厳格に判断されており、本人への直接 取材などを含め、詳細な取材がなければ認められないとされてきた。本判決は、最高裁が積み上げてきた真実相当性の判断枠組みから大きく逸脱した判断であり、到底許されるものではない。

3 私たち弁護団は、本日の不当判決を受け入れることはできない。植村氏及び弁護団はこの不当判決に上告をし、植村氏の名誉回復のために全力で闘う決意である。

2020年2月6日
植村訴訟札幌弁護団


支える会声明■
「卑劣なバッシング惹起」再び免責に抗議する

一人のジャーナリストを標的とする卑劣なバッシングを惹起した言説を、札幌高裁判決はまたもや免責した。旧日本軍による性暴力被害者の悲痛な訴えを報じた朝日新聞記事を「捏造」と断じた言説に、証拠によらずに「真実相当性と公益性はある」とした一審判決をそのまま踏襲したことに驚きと憤りを禁じ得ない。市民感覚では到底理解できない判断を続ける札幌地裁・高裁に強く抗議する。

記事を執筆した原告の植村隆氏はいわれなく「捏造記者」の汚名を着せられた。得体の知れない無数の人々から「売国奴」「国賊」の罵声を浴び、家族を「殺す」と脅された。植村氏を「捏造記者」と非難し、バッシングの発火点となった被告の櫻井よしこ氏はジャーナリストを自称しながら、「社会の怒りを掻き立て、暴力的言辞を惹起しているものがあるとすれば、それは朝日や植村氏の姿勢ではないでしょうか」(『週刊文春』2014年10月23日号)と信じがたい人権感覚を露呈した。櫻井氏が「捏造」の根拠として示したものは、植村氏本人や元慰安婦に対する丹念な取材によって積み重ねたものではなく、資料のつまみ食いと邪推のつなぎ合わせに過ぎない。しかし、控訴審判決はジャーナリストの基本動作ともいえる当事者への直接取材の必要性すら否定した。「事実を認めて、間違ったことは謝罪して」。植村氏が初報した元慰安婦、金学順氏=故人=がふり絞った魂の叫びと尊厳をも踏みにじったに等しい。

植村裁判には歴史認識の相克というもう一つの争点がある。日本の戦後民主主義は侵略戦争と植民地支配への反省から、専横の限りを尽くした国家の戦争責任と向き合う努力を重ねてきた。戦後ジャーナリズムの主要な流れもまた同様である。国家ぐるみの証拠隠滅によって生じた歴史の空白を、埋もれた資料や当事者の勇気ある証言の発掘によって地道に埋める作業が今も営々と続いている。植村氏の記事もその文脈に位置付けられる。

そうした立ち位置からの真摯な言論・報道を「国家の名誉を貶める」として排撃する歴史修正主義者たちが一部の政治勢力や知識人と呼応している。そのオピニオンリーダーの一人として櫻井氏の影響力は小さくない。櫻井氏らの言説の手法は一見美しい「愛国」の衣をかぶりながら、歪んだナショナリズムを煽動する。煽動に加担する一部メディアとの共同作業によって惹起される暴力や人権侵害に司法が寛容であれば、戦後民主主義が構築してきた自由で公正な言論空間は危殆に瀕する。植村裁判への支援を通して、日本社会に巣くう深刻な病理との闘いをこれからも継続していきたい。

2020年2月6日
植村裁判を支える市民の会

2020年2月2日日曜日

裁判官に最後の訴え

すべて裁判官は、その良心に従ひ独立してその職権を行ひ、この憲法及び法律のみに拘束される(憲法第76条3項)


植村氏は控訴審の口頭弁論で毎回、意見陳述を行いました。その内容は、新たに提出した証拠や意見書の意味を説明し、さらに自身の受けた物心両面での損害の大きさを訴えた上で、櫻井氏の誤った言説と杜撰な取材に「真実相当性」を認めた一審判決を批判するものでした。その陳述は、正面の一段高い席に座って法廷を見下ろしている冨田一彦裁判長ら3人の裁判官に向けられた訴えでした。植村氏は毎回、陳述の締めくくりに同じように、こう言っています。「これまでの証拠や新しい証拠を検討していただき、歴史の検証に耐えうる公正な判決を出していただきたい」。裁判官はこの願いに真摯に答える責務を負っています。「すべて裁判官は、その良心に従ひ独立してその職権を行ひ、この憲法及び法律にのみ拘束される。」(憲法第76条3項)。この条文を心に刻みつつ、判決に向き合おうと思う。

※以下は、3回の意見陳述の中段から結語に至る部分の原文再録です。日付表記は2019年当時。「昨年」とある日付は「2018年」を指します(下線部)。

■第1回口頭弁論                                         
私は、1991年8月の記事で、慰安婦としての被害を訴えた金学順さんの思いを伝えただけです。櫻井さんには、言論の自由があります。しかし、私の記事を「捏造」と断罪するからには、確かな取材と確かな証拠集めが必要です。櫻井さんは、そのいずれも怠っています。朝日新聞や私への取材もありませんでした。そして、事実に基づかない形で、私を誹謗中傷していることが、札幌地裁の審理を通じて明らかになりました。

『WiLL』2014年4月号の記事がその典型です。金さんの訴状に書いていない「継父によって40円で売られた」とか「継父によって・・・慰安婦にさせられた」という話で、あたかも金さんが人身売買で慰安婦にされたかのように書き、私に対し、「継父によって人身売買されたという重要な点を報じなかった」「真実を隠して捏造記事を報じた」として、「捏造」記者のレッテルを貼りました。「捏造」の根拠とした『月刊宝石』や『ハンギョレ新聞』の引用でも都合のいい部分だけを抜き出し、金さんが日本軍に強制連行されたという結論の部分は無視していました。
しかし、櫻井さんは、私の指摘を無視できず、札幌地裁の尋問で訴状の引用の間違いを認めました。そして、『WiLL』と産経新聞で訂正を出すまでに追い込まれました。

北海道新聞のソウル特派員だった喜多義憲さんは1991年、私の記事が出た4日後、私と同じように「挺身隊」という言葉を使って、私とほぼ同じ内容の記事を書きました。喜多さん自身が直接、金学順さんに取材した結果、私と同じような記事を書いた、ということは、私の記事が「捏造」ではない、という何よりの証拠ではないでしょうか。その喜多さんは、昨年2月に札幌地裁で証人として、出廷し、櫻井さんが私だけを「捏造」したと決め付けた言説について、「言い掛かり」との認識を示しました。そして、喜多さんは、こう証言しました。
「植村さんと僕はほとんど同じ時期に同じような記事を書いておりました。それで、片方は捏造したと言われ、私は捏造記者と非難する人から見れば不問に付されているような、そういう気持ちで、やっぱりそういう状況を見れば、違うよと言うのが人間であり、ジャーナリストであるという思いが強くいたしました」

記事を書いた当時、喜多さんは私と面識はありませんでした。しかも、喜多さんは私の記事を読んでもいなかったといいます。私はライバル紙の記者から、「無罪」の判決を受けたのです。ジャーナリズムの世界では、それは大きな「無罪」証明でした。

しかし、昨年11月の札幌地裁判決では、櫻井さんの間違いの訂正や、喜多さんの証言は、全く採用されず、私は敗訴しました。判決は、唯一の証人だった喜多さんの証言を全く無視していたのです。判決では櫻井さんの人身売買説を真実であるとは認定しませんでした。しかし、櫻井さんが、私の記事を「捏造」だと信じたことには、相当の理由があると判断し、櫻井さんを免責したのです。この理屈でいけば、裏づけ取材をしなくても「捏造」と思い込むだけで、「捏造」と断じることが許され、名誉毀損には問えないことになります。あまりに公正さを欠く、歴史に残る不当判決だと思います。
札幌高等裁判所におかれては、これまでの証拠や新しい証拠を検討していただき、歴史の検証に耐えうる公正な判決を出していただきたいと願っております。
(2019年4月25日)
                          
■第2回口頭弁論
私は札幌高裁の審理と判断に希望をつないでいます。証拠と事実に基づいて判断していただけるという裁判に対する信頼を失っていないからです。
札幌高裁には、櫻井よしこさんに関する新証拠を提出しました。『週刊時事』という雑誌の1992年7月18日号です。ここに、櫻井さんは日本軍慰安婦に関する文章を書いていました。前の年の1991年12月、金学順さんら3人の韓国人元慰安婦が日本政府に謝罪と補償を求めて東京地裁に提訴したことについて、取り上げていました。
 「東京地方裁判所には、元従軍慰安婦だったという韓国人女性らが、補償を求めて訴えを起こした。強制的に旧日本軍に徴用されたという彼女らの生々しい訴えは、人間としても同性としても、心からの同情なしには聞けないものだ」。

櫻井さんは金学順さんらについて「強制的に旧日本軍に徴用された」と書いていたのです。徴用とは国家権力による強制的な動員を意味します。まさに、強制連行のことです。櫻井さんは、雑誌が出た1992年当時は、金学順さんら3人の元慰安婦の主張を、「強制的に旧日本軍に徴用された」と認識していたのです。
櫻井さんは2014年以来、金学順さんについて「人身売買されて慰安婦になった。植村はそれを隠して強制連行と書いた」という趣旨の主張をし、1991年8月の私の記事を「捏造」だと繰り返し断定しましたが、実際は櫻井さん自身が、「強制連行」と同義の表現を使っていたのです。それも私の記事の出た約11カ月後、『週刊時事』に書いていたのです。自分自身が、強制連行と書いていたのに、それを隠して、私を攻撃するとは、ジャーナリストとして、あまりにアンフェアです。それは、公正な言論ではありません。これは新証拠として、札幌高等裁判所に提出すべきだと考えました。一審の裁判長が知らなかった事実なのです。

櫻井さんには、言論の自由があります。しかし、私の記事を「捏造」と断罪するからには、確かな取材と確かな証拠集めが必要です。今回、元毎日新聞記者の山田寿彦さんの陳述書を提出しました。山田さんは2000年11月の「旧石器発掘ねつ造」スクープの取材班のキャップでした。その陳述書では、はっきりとこう書いています。捏造が「故意」を含むことから、断定して書くには、捏造をした「蓋然性の高い客観的事実」の取材に加え、当事者の認識の確認が不可欠だったと。山田さんらは、石器を埋める自作自演の決定的な瞬間をビデオ撮影で押さえた後、「取材の常道」として、本人の言い分を聞く取材もしています。

櫻井さんは私の記事を「捏造」と断定する直接的な証拠を何一つ示せていないのに、私に一切取材せず、金学順さんら元慰安婦に誰一人会いもせず、韓国挺身隊問題対策協議会にも、私の義母にも取材していません。今回、意見書を提出した憲法学者の志田陽子先生は、「捏造」をしたかどうかの核心部分は本人への直接取材が求められると指摘し、それをしていない櫻井さんは「真実相当性」が証明できていないと断じています。
私は櫻井さんから「標的」にされたのだと思います。当時、「挺身隊」という言葉を使ったのは、私だけではありません。北海道新聞の喜多さんを始め、金学順さんについて報じた読売新聞や東亜日報など日韓の記者達も書いています。金学順さん自身が、挺身隊だと言い、強制的に連行されたことを語っているのです。当時の産経新聞や読売新聞も「強制連行」という表現を使っています。しかし、私だけが「標的」にされ、すさまじいバッシングに巻き込まれました。
私は捏造記者ではありません。

この「植村捏造バッシング」は、私だけをバッシングしているのではありません。歴史に向き合おう、真実を伝えようというジャーナリズムの原点をバッシングしているのではないかと考えています。真実を伝えた記者が、「標的」になるような時代を、一刻も早く終わらせて欲しい。私の被害を司法の場で救済していただきたいと思います。札幌高裁におかれては、これまでの証拠や新しい証拠を検討していただき、歴史の検証に耐えうる公正な判決を出していただきたいと願っております。
(2019年7月2日)

■第3回口頭弁論
櫻井さんが「植村捏造バッシング」を始めて5年が過ぎました。私は、法廷の中だけでなく、様々な言論活動で、「捏造記者」でないことを訴えてきました。『週刊金曜日』に呼ばれ、発行人になったのも、私が「捏造記者」ではないということが、一部の言論の世界では理解されている証拠だと思います。『週刊金曜日』に通うために首都圏に小さな部屋を構えました。しかし、表札に名前を書くことができません。怖くて、表札に名前を出せないのです。バッシングの激しい時期には、私の自宅の様子や電話番号などがインターネットにさらされました。当時、出張先の神戸の駅で、見知らぬ大きな男からいきなり、「植村隆か。売国奴」と言われて、震え上がったことがあります。いまだに殺害予告の恐怖は続いているのです。

私は、1991年8月の記事で、慰安婦としての被害を訴えた金学順さんの思いを伝えただけです。櫻井さんには、言論の自由があります。しかし、私の記事を「捏造」と断罪するからには、確かな取材と確かな証拠集めが必要です。櫻井さんは、そのいずれも怠っています。朝日新聞や私への取材もありませんでした。そして、事実に基づかない形で、私を誹謗中傷していることが、札幌地裁の審理を通じて明らかになりました。
『WiLL』2014年4月号の記事がその典型です。金さんの訴状に書いていない「継父によって40円で売られた」とか「継父によって・・・慰安婦にさせられた」という話で、あたかも金さんが人身売買で慰安婦にされたかのように書き、私に対し、「継父によって人身売買されたという重要な点を報じなかった」「真実を隠して捏造記事を報じた」として、「捏造」記者のレッテルを貼りました。「捏造」の根拠とした『月刊宝石』や『ハンギョレ新聞』の引用でも都合のいい部分だけを抜き出し、金さんが日本軍に強制連行されたという結論の部分は無視していました。しかし、櫻井さんは、私の指摘を無視できず、札幌地裁の尋問で訴状の引用の間違いを認めました。そして、『WiLL』と産経新聞で訂正を出すまでに追い込まれました。
北海道新聞のソウル特派員だった喜多義憲さんは1991年、私の記事が出た4日後、私と同じように「挺身隊」という言葉を使って、私とほぼ同じ内容の記事を書きました。喜多さん自身が直接、金学順さんに取材した結果、私と同じような記事を書いた、ということは、私の記事が「捏造」ではない、という何よりの証拠ではないでしょうか。その喜多さんは、昨年2月に札幌地裁で証人として、出廷し、櫻井さんが私だけを「捏造」したと決め付けた言説について、「言い掛かり」との認識を示しました。そして、喜多さんは、こう証言しました。
「植村さんと僕はほとんど同じ時期に同じような記事を書いておりました。それで、片方は捏造したと言われ、私は捏造記者と非難する人から見れば不問に付されているような、そういう気持ちで、やっぱりそういう状況を見れば、違うよと言うのが人間であり、ジャーナリストであるという思いが強くいたしました」

記事を書いた当時、喜多さんは私と面識はありませんでした。しかも、喜多さんは私の記事を読んでもいなかったといいます。私はライバル紙の記者から、「無罪」の判決を受けたのです。ジャーナリズムの世界では、それは大きな「無罪」証明でした。

しかし、昨年11月の札幌地裁判決では、櫻井さんの間違いの訂正や、喜多さんの証言は、全く採用されず、私は敗訴しました。判決は、唯一の証人だった喜多さんの証言を全く無視していたのです。判決では櫻井さんの人身売買説を真実であるとは認定しませんでした。しかし、櫻井さんが、私の記事を「捏造」だと信じたことには、相当の理由があると判断し、櫻井さんを免責したのです。この理屈でいけば、裏づけ取材をしなくても「捏造」と思い込むだけで、「捏造」と断じることが許され、名誉毀損には問えないことになります。あまりに公正さを欠く、歴史に残る不当判決だと思います。
札幌高等裁判所におかれては、これまでの証拠や新しい証拠を検討していただき、歴史の検証に耐えうる公正な判決を出していただきたいと願っております。
(2019年10月10日)

2020年1月31日金曜日

櫻井逆転敗訴の過去

 札幌控訴審判決 ぎりぎり直前情報!      

■逆転勝利への確実な手がかり!
札幌訴訟の控訴審判決が近づいています。植村氏の逆転勝利は、あるのか。希望と不安が交錯する日々が続いています。しかし、私たちには、逆転勝利の確実な手がかりがあります。不確かな予断や無責任な予測は厳に戒めるべきですが、判決を目前にして、その手がかりを確認しておきたいと思います。

植村弁護団が控訴審の法廷で明らかにしたことを、裁判所がきちんと理解し認めれば、一審判決は覆らざるを得ないのです。逆に言うと、裁判所がきちんと理解せず、認めなければ、判決は覆りません。
一審判決が櫻井氏に「真実相当性」を認める根拠とした3点セット(ハンギョレ新聞記事、金学順さんの訴状、月刊「宝石」記事)については、誤った引用や重要な見落としがあることが明らかになっています。櫻井氏の取材にはきちんとした裏付けのないこともはっきりしました。櫻井氏が、植村氏や金学順さん、挺対協関係者など重要な当事者に取材申し込みすらしていないことは、一審段階で明らかになっています。それだけではありません。最近の名誉毀損訴訟では、十分な裏付けのない取材には「真実相当性」の高いハードルを課していること、櫻井氏の言説の変転をたどると矛盾やウソが目立つこと、そして新たに掘り起こして提出した証拠によって植村氏の記事の正確さが証明されたこと。
いずれも櫻井氏の「真実相当性」を否定し、これまでの植村弁護団の主張を担保し、逆転勝訴への強力な手がかり、材料となるものです。
ですから、裁判所が予断を持たずに、これらをきちんと検討すれば、櫻井氏の「真実相当性」が否定されることは、難しいことではない、と思えます。

■民事訴訟の逆転率は34%!
一般に控訴審での逆転は容易ではない、という見方はだれしも認めることです。しかし、最高裁のデータによれば、控訴審で原判決が破棄される割合は民事34%、刑事10%となっています(平成30年度司法統計=※注1)。意外にも、民事訴訟のほうがひっくり返ることが多いのです。
じっさいに櫻井氏もかつて控訴審で逆転敗訴を経験しています。「薬害エイズ」の報道をめぐって、安部英医師(当時帝京大副学長)に名誉棄損で訴えられた裁判で、2003年2月26日、東京高裁は地裁判決を取り消し、櫻井氏に400万円の慰謝料支払いを命じているのです。

この訴訟の経過を調べてみたところ、植村バッシングの構図とあまりにもよく似ていることに驚かされました(※注2)。
櫻井氏は1994年から7年間、「薬害エイズ」事件を引き起こした最大の責任者は安部医師だと決めつけ、「医師の心を売り渡した」「命を蔑ろにした」などと人格攻撃を繰り返しました(※注3)。
安部医師は当時、血友病治療の第一人者であり、投与によるエイズ感染を防ぐ新薬の国内での治験を統括する立場にいました。櫻井氏の誹謗中傷の根拠は、「治験を調整した」という安倍医師の発言でした。櫻井氏はこのひとことを曲解し、安部医師は開発が遅れていた製薬メーカーの便宜を図り、製薬業界全体の治験スケジュールを遅らせたため、その間に従来薬を使わざるを得なかった血友病患者に約1500人のエイズ感染者が多発し、死者も出た、と攻撃をつづけました。「挺身隊の名で」と書いた植村氏の記事を捏造だと決めつけ誹謗中傷した論法と同じです。
櫻井氏を名誉毀損で訴えた訴訟は1996年に始まり、2005年に最高裁判決で終結しました。判決は二転三転しました。星取表記ふうになぞると、安部医師 ●→◎→●、櫻井氏  ◎→●→○、となります。◎は完勝、○は勝利、●は完敗です。

■櫻井氏の取材を完全否定した控訴審判決!
この裁判では「真実性」と「真実相当性」の判断が反対方向に揺れ、その結果、判決も激しくぶれたのでした。
ここで注目すべきは、控訴審の判決です。控訴審判決は、櫻井氏の取材経過を13項目にわたって綿密に検証し、結論として「真実性」と「真実相当性」を完全に否定しています。とくに、櫻井氏の取材のきっかけとなった著書(広河隆一氏ほか)や伝聞情報、他の裁判の準備書面、匿名情報提供者などの取材ソースについては、一刀両断で排除する姿勢を示しています。また、重要な取材対象に取材拒否をされたことについては、「十分な取材ができないために、事実関係の究明ができず、取材内容の真実性について幾ばくでも合理的な疑問が残るのであれば、それを前提とする記述にとどめるべきであるから、もとより取材の拒否が相当性判断を緩和させるなどの理由になるものではない」とも述べています。
この控訴審判決は、櫻井氏が上告により最高裁に持ち込まれ、2005年6月に「破棄」判決が出されました。ですから、控訴審の判断を過大に評価することは避けなければなりません。ただ、櫻井氏の取材結果の危うさを見抜いた裁判官がいたことは確かな事実です。櫻井氏の安倍医師バッシングは植村バッシングに酷似しています。ですから、同じような判決が出される可能性は決してないわけではない、と思えてきます。

■裁判官の心証に委ねられる現実?
この訴訟の判決文は、一審、二審、上告審のすべてをインターネットで閲読することができます。
判決文から裁判の経過と争点、真実相当性の成否、櫻井氏の取材への評価などをまとめた一覧対照表は、「植村裁判資料室」に収録してあります(※注4)。その中でも、<BOX4、「真実相当性」についての地裁と高裁の判断>は、必読の書類だと思います。裁判では180度正反対のどんでん返しが容易に起こり得ること、そしてそれは必ずしも明確な証拠によるものではなく、裁判官の裁量あるいは心証によるものである、ということが、重い衝撃とともに、伝わってきます。


※注1 民事訴訟データ→PDF 刑事データ訴訟→PDF
※注2 東京地裁判決→PDF 東京高裁判決→PDF 最高裁判決→PDF
※注3 安部医師の側に立って書かれた著作は少ないが、『「薬害エイズ」事件の真実――誤った責任追及の構図』(現代人文社、2008年刊)は、弁護団の弘中惇一郎、喜田村洋一氏ほかの執筆によるもので、とくに「治験調整」を中心に事件の経過を詳述し、安倍医師はむしろエイズ感染被害の拡大を防いだ功労者である、と論じている。同書には元ミドリ十字社員の岡本和夫氏の論稿も付録CDとして収録されている。岡本氏は櫻井氏の取材姿勢とジャーナリストの資質を疑問視し、安倍医師のインタビュー記事には意図的な改ざん、削除と巧妙な誘導があると批判している。
いっぽう、櫻井氏は精力的に出版している。この問題で最初に出した『エイズ犯罪 血友病患者の悲劇』(中央公論新社、1994年刊)は櫻井氏のデビュー作で、翌年の大宅壮一賞を受けた。ほかに、『薬害エイズ 終わらない悲劇』(ダイヤモンド社、99年刊)、『安部先生、患者の命を蔑ろにしましたね』(中央公論新社、同年刊)、『薬害エイズ「無罪判決」、どうしてですか?』(中央公論新社、2001年刊)がある。出世作も含めすべて絶版品切れだが、古書マーケットや図書館では手に入る。
※注4 植村裁判資料室→こちら


写真上段=櫻井氏の著作、下段=弘中弁護士らの著作




text by H.N 
この記事の文責は個人(H.N)にあります。支える会、弁護団の考えを代表するものではありません


2020年1月19日日曜日

江川紹子さんの講演


ジャーナリスト江川紹子さんが昨年12月16日、東京訴訟の報告集会で行った講演の記録を掲載します。江川さんからは「当日言い落としたこと」として一文が寄せられたので、併せて掲載します。

控訴審 2つの重要証拠が意味すること

  金学順さんの証言テープと和田春樹氏意見書   


■朝日のシンボルとして憎悪を一身に浴びた植村さん
今回の裁判で植村さんが訴えたとき、西岡さんは「記者なんだから言論で闘え」と言った。私はこの主張は基本的には正しいと思う。ただそれは、両者の関係が対等な論争であればということであり、当時、植村さんは新聞社をやめて一個人だった。対する西岡さん、文藝春秋とは発信力において著しい非対称の状況にあった。ネット上そのほかでもいろいろなバッシングがあった。
当時は朝日を批判するのが一つのブームのようになっていたところがあり、この慰安婦問題だけでなく、原発の問題でも――これは実際に非常によくない記事だったと思うので批判されるのは仕方ないにしても――これを取り消す問題があり、一気に朝日批判に火がついた。メディアはとにかく朝日をたたいておけば安心という空気があった。その時に朝日がつくった「信頼回復と再生のための委員会」の社外委員になってくれと頼まれて私は引き受けたが、あの時、頼みに来た人は泣いていた。つまり誰も助けてくれる人が期待できないという状況で、とにかく朝日は叩いておけばよいという世の中の雰囲気があった。

そういう中であの記事が出た。植村さん個人を対象にしているが、記事の内容を見ると「朝日は」「朝日は」と書いてあり、植村さんは朝日のシンボルのように扱われて、一番たたかれることになってしまった。朝日を嫌っている人、あるいは慰安婦問題について国の責任をないことにしたい人たちからの憎悪を一身に浴びてしまった、という感じがした。
捏造というのは記者にとって死刑判決に近いものだから、何とか判決によって否定してもらいたい、――そしてきょうの意見陳述でわかったが、植村さんはいまも日本の大学には就職できない――そういう状況を変えたいという気持ちは非常に理解できる。裁判で名誉回復を図りたいという気持ちはもっともなことだと思う。
 
■植村さんが直接インタビューできなかったこと自体の意味
きょうの私のメーンテーマは、控訴審で提出された証拠の意味や意義についてだ。
控訴審で提出された証拠を拝見し、私は、その中でも金学順さんの証言のテープ起こしと和田春樹先生の意見書、この2つが非常に説得力があると思った。

テープ起こしは、弁護士さんが金学順さんに聞き取りをしているところに植村さんが立ち会った形になっている。植村さんを目の前にして申し訳ないが、こういう形をとらざるを得なかったのは、植村さんは当時、金学順さん、もしくは挺対協への食い込みがいま一歩足りなかった、ということだ。ほんとうだったら自分でインタビューしたかったが、それができなかったから、次善の策として、そこに立ち会い、その場で自分の耳で聞くという選択をされた。
西岡さんは「義理の母の伝手でネタを仕入れて裁判を有利にしようという、すごい密な関係でやっている」という趣旨のことを言っているが、義理の母の影響力を行使できるなら直接インタビューしているはずだったと思う。こういう形にせざるを得なかったこと自体が、この取材に義母との関係は影響していなかったことを逆に暗に示している。

きょうの神原弁護士の意見陳述にもあったが、テープ起こしに書かれていることは記事にそのまま出ている。私も対照して読んでみて、その通りだと、植村さんの記事は正確に書かれている、と思った。
西岡さんは、キーセンのことがこのテープに出ているはずだ、と裁判で言っているし、自分の本でも「訴状にも載せていることだから、植村記者が同行した高木弁護士らの聞き取りでも、その事実は語られたはずだ」と書いている。キーセンのことが語られたはずなのに出ていないからおかしい、意図的なんだろう、と言っている。でも、その認識が間違っていたことが今回のテープ起こしでわかったということだ。

■捏造という表現にはなじまない西岡さんの主張
よくわからないのは、西岡さんが「捏造」という言葉にこだわる点だ。キーセンのことを書かなかったことを捏造だというのが、私にはどうも理解できない。私が裁判の傍聴に行って西岡さんの話を聞きたかったのは、なぜ「捏造」を繰り返したのか、という点だった。
捏造というのは、なかったことをあることにすることで、あったことを書かなかったというのは、捏造という表現にはなじまない。国語辞典を引けば、「事実でないことを事実のようにこしらえること」、これが広辞苑。あるいは、「実際にはありもしない事柄を事実のように作りあげること」、これは大辞林。つまり、サンゴ事件のように、何も書いていなかったサンゴに落書きをした、というのが「捏造」だ。ところが、西岡さんの主張を聞いても、植村さんはなかったことをあったかのように書いたわけではない。
ただ、あえて言えば、本質を歪めるような、これこそが本質だというところを隠してわざと些末なことだけを書いているのであれば、捏造という言葉を使ってもいいのかもしれない。

■慰安婦問題の本質を西岡さんはどう考えているのか?
それでは、慰安婦問題の本質は何なのか。西岡さんはどう考えているのか。西岡さんの本をいくつか読んだが、あまりはっきりわからない。『よくわかる慰安婦問題』という本を読んでもわからない。その本の第1部は「慰安婦問題は何だったのか」というタイトルだが、その問いに答える「こうだった」、というのが私が読んだ限りでははっきり出ていない。問題は、慰安婦問題の本質はなんだったのか、植村さんはどう書いていたのか、ということだろうと思う。
 
これに関しては、和田先生の意見書がとてもわかりやすい。
和田先生の意見書は、慰安婦とは何か、慰安婦問題とは何か、がきちっと定義づけされて書かれている。これは、「アジア女性基金」によってなされた定義で、「いわゆる従軍慰安婦とは、かつての戦争の時代に、一定期間日本軍の慰安所等に集められ、将兵に性的な奉仕を強いられた女性たちのことです」とあり、「この定義で決定的なことは、日本軍の慰安所、日本軍の慰安所等に集められた女性であるという認定である」、そして「軍が戦争遂行のため、軍の将兵の性的欲望を充足させ、一般婦女に対する強姦などの行為を減らす等の目的のために、戦争の現場、軍の駐屯地の内外に設置した設備である」と書かれている。そして、「慰安婦犠牲者はすべて、日本軍との関係で、性的慰安の奉仕を強制され、被害を受け、苦しかったと訴える人々であった。であればこそ、日本国家はこの人々に対し、総理大臣の手紙を送り、次のように、お詫びと反省の気持ちを表明した」と。ここが大事なんだよ、と書かれている。
じっさい、総理の手紙には「いわゆる従軍慰安婦問題は、当時の軍の関与の下に、多数の女性の名誉と尊厳を深く傷つけた問題でございました」と書かれているし、2015年の日韓合意で当時の岸田外相も同じ認識を述べている。つまりこれが、日本の国家としての正式な慰安婦問題に対する認識、あるいは本質、定義であり、そこのところについてどれだけ本質に迫る記事や論文を書いているかが問われるのだと思う。
 
■キーセン問題は本質にかかわる重大事項だろうか?
裁判の一審でキーセン問題について、西岡さんは「本質にかかわる重大事項だ」と言っていたが、果たしてそうなんだろうか。人によってなにが本質かの理解が異なることはあるだろうが、肝心な、慰安婦問題の本質、そこがまず共通の認識としてあったうえで、いろいろな事実についてどこが重要か、ということを論じるべきではないのか。そこのところが、西岡さんの論文や意見、証言に出てきたのだろうかと、私は非常に関心をもった。

和田意見書には、こういう問題も出されている。「日本軍慰安所にはさまざまな方法で女性が集められた」。さまざまな方法、つまり、慰安婦となった経緯はひととおりではなく多様性があった。私がインタビューをした、国際法学者で戦争・戦後責任の研究者であるとともに、サハリン棄民や慰安婦問題に実践的に取り組まれた大沼保昭先生も著書の中で、慰安婦たちの境遇、待遇は多様であり、きっかけも多くの形があった、と述べている。
多様性があったのだから、あまり個々の事情に注目しすぎてことの本質を見失わないようにしなければならない。キーセンの経験者もいる、あるいはキーセンの学校に行った人もいる、そうでない人もいる。しかし、一番大事なことを書いていたのか、どうなのか、が大事じゃないか、と和田意見書は問うていると思う。

■慰安婦と挺身隊の混同には歴史的背景事情がある
そしてもう一つ大事なのは、慰安婦と挺身隊の混同という問題だ。どうしてこういう混同が起きたのか、この意見書は非常に詳しく書いている。この意見書だけではない。秦郁彦先生の「慰安婦と戦場の性」という本がある。秦先生はここにいらっしゃる皆さんとは立場が違うかもしれないが、歴史学者としていろんな事実を調査され、それに基づいて論評している。秦先生も、女子挺身隊と慰安婦の混同については、和田意見書とほぼ同趣旨のことが書かれている。
たとえば韓国の国定教科書でさえも、「女性たちまで挺身隊という名で連行され日本軍の慰安婦として犠牲になった」などと書かれている、混同が起きたことにはそれなりの歴史的背景事情があった、女性たちはパニックになって学校をやめて早く結婚しなければとなった、内地工場向け挺身隊派遣を慰安婦と混同する風聞は当時からかなりひどく流れていた、として、その根拠も書かれている。流言に惑わされた女性や親は学校を中退したり結婚して危険回避をはかったらしい、挺身隊と慰安婦を混同する風説は戦後も継承され、元挺身隊員は慰安婦と間違えられるのを恐れて名乗りたがらぬ傾向が続いた、ということも、1つひとつ根拠を挙げて書かれている。

■西岡さんの真実性が全面的に崩れたんじゃないか
和田先生と秦先生では意見が違うところも多いようだが、立場を超えて歴史学者の認識として、挺身隊と慰安婦との混同があったということは言えると思う。こうしたテープ起こしと意見書によって、西岡さんの言っていることの真実性が、全面的に崩れたんじゃないかと思った。

ただこれで裁判に勝てるかというと、弁護士さんも言うように保証の限りではない。真実性の判断はこれで是正できるだろうし、植村さんが裁判を起こしたかなりの部分は達せられたかもしれないが、判決となると真実相当性の部分で、一審判決のような理屈でいわれるとどうなのか。
たとえば、西岡さんはがずっと繰り返し、朝日批判、植村批判をしてきた。にもかかわらず全然反論してこなかった。そういうことだから、西岡さんが自分が書いている主張が真実であると信じるのももっともだという発想で言われると、いくら植村さんの記事が真実であるということを示しても、反論しなかったじゃないかということになりかねない。

ただやっぱり、本来は確認するのは書かれた側ではなく、書く側がしなきゃいけない。私たち書く側はまず事実確認をする、これで本当なのかと裏取りをする。これは、学者でもジャーナリストでも同じだ。それを、植村さんが正さなきゃいけないという発想になると、それは違うんじゃないか。
西岡さんはずっと植村さんに取材をしていない。私たちジャーナリストが取材をせずに相手のことを思い込みで書いて間違っていれば、明らかに損害賠償を命じられる。ところが今回はそれが免責されている。こういうことでは司法のダブルスタンダードということになり、おかしいのではないかと思う。それに、そもそも学者は真実、事実を知ろうとする仕事だと思う。そういう仕事の人がなぜこれを確認しなかったのか。知ろうとしなかったということだと思う。
どうしてかというと、自分の価値観で正しいとか、これこそが正義だ、真実だと思い込んだもの、それが大事で、すべてがそこから出発するので、それに合うものを探すことはしても、自分にとっての正義と矛盾するものは見ようとしない、そもそも本当はどうだったのかを知ろうという態度にはならなかったのだろう。

■「好き・嫌い」がいつの間にか正邪の判断に脳内変換される
ただ、これは合わせ鏡みたいなもので、私たちも自分の身に引きつけて考える必要がある。最近はしばしば強い言葉で相手を非難したり、揶揄的な表現で他者をあざ笑うという風潮があちこちでみられる。それを見ていると、出発点はこいつ嫌いだとか好きだとか、こいつは自分の価値観に合うとか合わないかという感情的なもの、そこから出発して、それが好き・嫌いのレベルで語られているならまだいいが、そうではなく、正しい・間違っている、という正邪の判断に、いつの間にか脳内変換されていく。そして、嫌いなものは間違っていると決めつけ、さらにはその人を全否定する。あるいは、自分にとって好ましいものは、正しいものとして全肯定する方向につながっていく。背景にはそういう風潮があるのではないか。

これはじつはカルト的な発想だ。自分が信じているもの、これだと思うものに合う以外の情報は得ようとしない、知ろうとしなくなる。極端な例はオウムだが、いったん信じると、物理的には外部のいろんな情報に接することができるのに、わざとしなくなる。悪魔の情報、魂が穢れるからといって知ろうとしなくなる。こういう状況は、カルトだけではなくて、私たちの社会にいま非常に蔓延している。これはネトウヨ系だけでなく、逆の立場の人にも見うけられるというのが私の感想だ。
つまり自分が信じているものこそが真実で、対立しているものは捏造だという思考回路みたいなものが、私たちに巣くっているのではないか。それがいちばん問題ではないか。この裁判を通じて私が感じたのはそういうことです。
(2019年12月16日、東京・永田町の参議院議員会館で) photo by J.TAKANAMI


【追記】 江川紹子

一点、当日に言い落としたことがあるので付け加える。
集会のはじめに流された、韓国テレビ局による金学順さんのインタビュー映像を、圧倒される思いで見た。本当に、大変な苦難の人生を送ってこられた。慰安婦体験がなければ、まったく別の人生があっただろう。彼女が勇気ある証言で、歴史の蓋を開けてくれたことに、心から感謝したい。できる限り事実を正確に次の世代にも伝えていくことが、今の私たちの世代の役目であり、ジャーナリズムの役割でもあると、改めて思った。
韓国メディアのNGOの主張の伝え方への疑問
ジャーナリズムは、「主張」の前に「事実」が大事だ。
ただ、歴史認識に関わる問題になると、その点で韓国のメディアには疑問を感じることがある。たとえばアジア女性基金では、国民からの寄付金だけでなく、国庫からの拠出金や「総理の手紙」もあった。この手紙では、慰安婦問題は「当時の軍の関与の下に、多数の女性の名誉と尊厳を深く傷つけた問題」と認め、謝罪している。このことを、韓国メディアはどの程度報じてきたのだろうか。
女性基金に関し、韓国のNGOなどが強く反発をしているのは知っている。ただ、韓国の中でもこれを受け取る意思表示をした方々はいる。その方々へのバッシングとも言うべき非難がなければ、より多くの方が受け取ることができたのではないか。
また、安倍政権下での日韓外相合意に基づくお金についても、当時存命中の方々の多くは受け入れられた。これで十分などとは全く思わないし、安倍首相の口から謝罪の言葉を述べたらよかったのに、と思う。けれども、若い時に辛い体験をされ、その後も心の傷を抱えて生きてこられた方々が、最晩年の平安な日々のために、このお金を役立てようとされたのも、尊重されるべき被害者の意思だろう。なぜ、これが韓国の中では重んじられないのだろうか。
反発している人がいるのも事実だが、それ以上の人が受け入れたのも事実。その人たちの意思が無視されているように見える。それは、メディアの伝え方にも一因があるのではないか。メディアは、NGOなどの主張を伝えることは必要だけれど、その主張の代弁者になるのは違う、と思う。
主張より事実を正確に伝えることの大切さ
植村さんは、韓国でジャーナリズムを教えているということだが、ぜひ「主張より事実」「事実をできる限り正確に伝える」大切さを、若い人たちに伝えて欲しい。
日本でも、「慰安婦問題はなかった」と公言するなど歴史改ざんの動きがある。事実より主張が先行する動きは、強く警戒しなければならない。そんな中、政府も負の歴史を記録し、伝えることに消極的だ。
小渕首相と金大中大統領が発表した日韓共同宣言(1998年)では、「両国国民、特に若い世代が歴史への認識を深めることが重要であることについて見解を共有し、そのために多くの関心と努力が払われる必要がある」と確認された。「総理の手紙」も、「過去の歴史を直視し、正しくこれを後世に伝える」と被害者に約束した。
その約束を忘れてはならないし、事実を正確に伝えようと努力をしたジャーナリストが、事実無根の誹謗中傷にさらされ、仕事を奪われ、家族が危険にさらされるようなことが繰り返されてはならない、と思う。

2020年1月17日金曜日

植村さん最後の訴え


札幌控訴審の判決が近づいてきました。
植村さんは昨年10月10日、札幌高裁での結審にあたって、法廷で最後の訴えをしました。
その最終意見陳述から、この裁判の核心について述べている部分を以下に掲載します。

■櫻井さんを勝たせた札幌地裁判決は、間違っています。
櫻井さんが捏造の根拠として示した訴状、ハンギョレ新聞、月刊『宝石』の3点では、私の記事を「捏造」とか「捏造の疑い」とは絶対に書けません。
「捏造」は誤報と違い、間違いであると知りながら意図的にでっち上げることです。
「捏造」と断定するためには、私が間違いと知っていたかどうか、植村の認識が問われるのに、この訴状、ハンギョレ新聞、月刊『宝石』の3点セットには、私の認識を示す記述が一切ないからです。

■櫻井さんが、私の記事を「捏造」と断罪するからには、確かな取材と確かな証拠が必要でした。
しかし、櫻井さんは私の記事を「捏造」と断定する直接的な証拠を何一つ示せていません。
そのうえ、私に一切取材せず、金学順さんら元慰安婦に誰一人会いもせず、「韓国挺身隊問題対策協議会」にも、私の義母にも取材していません。
櫻井さんには「真実性」はおろか、「真実相当性がある」と言えるファクトが、ひとつもないのです。しかし、一審では「真実相当性」があるとして、櫻井さんを免責してしまいました。極めて異常な判断でした。

■この判決が高裁でも維持されれば、ファクトに基づいて伝えるジャーナリズムの根幹が崩れてしまいます。
ろくに取材もせずに、事実に反し「捏造」と決め付けることが自由にできるようになります。
第二、第三の「植村捏造バッシング」を生みかねない、悪しき判例になってしまいます。
その先にあるのは「報道の自由」が弾圧されるファシズムの時代ではないでしょうか。

■私は捏造記者ではありません。裁判所は人権を守る司法機関であると信じております。

  

※植村さんの最終意見陳述の全文はこの記事にあります →こちら

2020年1月1日水曜日

新年のスケジュール


2020年 控訴審判決の年

ご支援をひきつづきよろしくおねがいします



1月11日(土)控訴審 勝訴するぞ! 新年会
時間■18時~20時30分(開場17時30分)
会場■自治労会館 3階ホール(札幌市北区北6条西7丁目)
会費■2000円(軽食と飲み物つき)
プログラム■
18:00 開会
18:10~18:50 講演「反差別メディア論」北野隆一さん(朝日新聞編集委員)
19:00~20:30 新年会
申し込み・問い合わせ■: uemurasasaeru@gmail.com、電話090-9755-6292
※当日参加も大歓迎です

1月12日(日)北野隆一氏講演会 「皇室報道の現場から」
時間■13時30分~15時30分(開場13時)
会場■さっぽろ自由学校「遊」(札幌市中央区南1西 5 愛生舘ビル5F)
参加費■800円(定員30人、申込先着順)
内容■天皇の代替わりイベントが延々と続いた2019年。一つ一つの儀式・行事にどんな意味があるのか、 ほとんどの国民の理解が及ばない中で膨大な国費が費やされ、新聞・テレビは多くの紙面と時間を割いた。皇室報道の現場で天皇の代替わりを伝えた担当記者の「視点」はどこにあったのか。皇室報道の舞台裏、やりがい、苦悩などを語ることを通して、受け手の側が皇室報道をど のように読み解くべきかを考える機会にしたい。
講師プロフィル■きたの・りゅういち氏 朝日新聞(東京本社)編集委員。1967年生まれ。北朝鮮拉致問題やハンセン病、水俣病、皇室などを取材。2014年から現職。共著に「祈りの旅 天皇皇后、被災地への想い」「現代世界の陛下たち デモクラシーと王室・皇室」「フェイクと憎悪 歪むメディアと民主主義」「徹底検証 日本の右傾化」「慰安婦報道『捏造』の真実 検証・植村裁判」
共催■植村裁判を支える市民の会(uemurasasaeru@gmail.com 、FAX 011-351-5310)、さっぽろ自由学校「遊」(電話080-1898-7037)
協賛■日本ジャーナリスト会議北海道支部 

2月6日(木)札幌控訴審判決
午後2時30分、判決言い渡し■札幌高裁805号法廷
午後6時30分、報告集会■エルプラザ3階ホール

3月3日(火)東京控訴審判決
午後2時、判決言い渡し■東京高裁101号法廷