2020年1月19日日曜日

江川紹子さんの講演


ジャーナリスト江川紹子さんが昨年12月16日、東京訴訟の報告集会で行った講演の記録を掲載します。江川さんからは「当日言い落としたこと」として一文が寄せられたので、併せて掲載します。

控訴審 2つの重要証拠が意味すること

  金学順さんの証言テープと和田春樹氏意見書   


■朝日のシンボルとして憎悪を一身に浴びた植村さん
今回の裁判で植村さんが訴えたとき、西岡さんは「記者なんだから言論で闘え」と言った。私はこの主張は基本的には正しいと思う。ただそれは、両者の関係が対等な論争であればということであり、当時、植村さんは新聞社をやめて一個人だった。対する西岡さん、文藝春秋とは発信力において著しい非対称の状況にあった。ネット上そのほかでもいろいろなバッシングがあった。
当時は朝日を批判するのが一つのブームのようになっていたところがあり、この慰安婦問題だけでなく、原発の問題でも――これは実際に非常によくない記事だったと思うので批判されるのは仕方ないにしても――これを取り消す問題があり、一気に朝日批判に火がついた。メディアはとにかく朝日をたたいておけば安心という空気があった。その時に朝日がつくった「信頼回復と再生のための委員会」の社外委員になってくれと頼まれて私は引き受けたが、あの時、頼みに来た人は泣いていた。つまり誰も助けてくれる人が期待できないという状況で、とにかく朝日は叩いておけばよいという世の中の雰囲気があった。

そういう中であの記事が出た。植村さん個人を対象にしているが、記事の内容を見ると「朝日は」「朝日は」と書いてあり、植村さんは朝日のシンボルのように扱われて、一番たたかれることになってしまった。朝日を嫌っている人、あるいは慰安婦問題について国の責任をないことにしたい人たちからの憎悪を一身に浴びてしまった、という感じがした。
捏造というのは記者にとって死刑判決に近いものだから、何とか判決によって否定してもらいたい、――そしてきょうの意見陳述でわかったが、植村さんはいまも日本の大学には就職できない――そういう状況を変えたいという気持ちは非常に理解できる。裁判で名誉回復を図りたいという気持ちはもっともなことだと思う。
 
■植村さんが直接インタビューできなかったこと自体の意味
きょうの私のメーンテーマは、控訴審で提出された証拠の意味や意義についてだ。
控訴審で提出された証拠を拝見し、私は、その中でも金学順さんの証言のテープ起こしと和田春樹先生の意見書、この2つが非常に説得力があると思った。

テープ起こしは、弁護士さんが金学順さんに聞き取りをしているところに植村さんが立ち会った形になっている。植村さんを目の前にして申し訳ないが、こういう形をとらざるを得なかったのは、植村さんは当時、金学順さん、もしくは挺対協への食い込みがいま一歩足りなかった、ということだ。ほんとうだったら自分でインタビューしたかったが、それができなかったから、次善の策として、そこに立ち会い、その場で自分の耳で聞くという選択をされた。
西岡さんは「義理の母の伝手でネタを仕入れて裁判を有利にしようという、すごい密な関係でやっている」という趣旨のことを言っているが、義理の母の影響力を行使できるなら直接インタビューしているはずだったと思う。こういう形にせざるを得なかったこと自体が、この取材に義母との関係は影響していなかったことを逆に暗に示している。

きょうの神原弁護士の意見陳述にもあったが、テープ起こしに書かれていることは記事にそのまま出ている。私も対照して読んでみて、その通りだと、植村さんの記事は正確に書かれている、と思った。
西岡さんは、キーセンのことがこのテープに出ているはずだ、と裁判で言っているし、自分の本でも「訴状にも載せていることだから、植村記者が同行した高木弁護士らの聞き取りでも、その事実は語られたはずだ」と書いている。キーセンのことが語られたはずなのに出ていないからおかしい、意図的なんだろう、と言っている。でも、その認識が間違っていたことが今回のテープ起こしでわかったということだ。

■捏造という表現にはなじまない西岡さんの主張
よくわからないのは、西岡さんが捏造」という言葉にこだわる点だ。キーセンのことを書かなかったことを捏造だというのが、私にはどうも理解できない。私が裁判の傍聴に行って西岡さんの話を聞きたかったのは、なぜ「捏造」を繰り返したのか、という点だった。
捏造というのは、なかったことをあることにすることで、あったことを書かなかったというのは、捏造という表現にはなじまない。国語辞典を引けば、「事実でないことを事実のようにこしらえること」、これが広辞苑。あるいは、「実際にはありもしない事柄を事実のように作りあげること」、これは大辞林。つまり、サンゴ事件のように、何も書いていなかったサンゴに落書きをした、というのが「捏造」だ。ところが、西岡さんの主張を聞いても、植村さんはなかったことをあったかのように書いたわけではない。
ただ、あえて言えば、本質を歪めるような、これこそが本質だというところを隠してわざと些末なことだけを書いているのであれば、捏造という言葉を使ってもいいのかもしれない。

■慰安婦問題の本質を西岡さんはどう考えているのか?
それでは、慰安婦問題の本質は何なのか。西岡さんはどう考えているのか。西岡さんの本をいくつか読んだが、あまりはっきりわからない。『よくわかる慰安婦問題』という本を読んでもわからない。その本の第1部は「慰安婦問題は何だったのか」というタイトルだが、その問いに答える「こうだった」、というのが私が読んだ限りでははっきり出ていない。問題は、慰安婦問題の本質はなんだったのか、植村さんはどう書いていたのか、ということだろうと思う。
 
これに関しては、和田先生の意見書がとてもわかりやすい。
和田先生の意見書は、慰安婦とは何か、慰安婦問題とは何か、がきちっと定義づけされて書かれている。これは、「アジア女性基金」によってなされた定義で、「いわゆる従軍慰安婦とは、かつての戦争の時代に、一定期間日本軍の慰安所等に集められ、将兵に性的な奉仕を強いられた女性たちのことです」とあり、「この定義で決定的なことは、日本軍の慰安所、日本軍の慰安所等に集められた女性であるという認定である」、そして「軍が戦争遂行のため、軍の将兵の性的欲望を充足させ、一般婦女に対する強姦などの行為を減らす等の目的のために、戦争の現場、軍の駐屯地の内外に設置した設備である」と書かれている。そして、「慰安婦犠牲者はすべて、日本軍との関係で、性的慰安の奉仕を強制され、被害を受け、苦しかったと訴える人々であった。であればこそ、日本国家はこの人々に対し、総理大臣の手紙を送り、次のように、お詫びと反省の気持ちを表明した」と。ここが大事なんだよ、と書かれている。
じっさい、総理の手紙には「いわゆる従軍慰安婦問題は、当時の軍の関与の下に、多数の女性の名誉と尊厳を深く傷つけた問題でございました」と書かれているし、2015年の日韓合意で当時の岸田外相も同じ認識を述べている。つまりこれが、日本の国家としての正式な慰安婦問題に対する認識、あるいは本質、定義であり、そこのところについてどれだけ本質に迫る記事や論文を書いているかが問われるのだと思う。
 
■キーセン問題は本質にかかわる重大事項だろうか?
裁判の一審でキーセン問題について、西岡さんは「本質にかかわる重大事項だ」と言っていたが、果たしてそうなんだろうか。人によってなにが本質かの理解が異なることはあるだろうが、肝心な、慰安婦問題の本質、そこがまず共通の認識としてあったうえで、いろいろな事実についてどこが重要か、ということを論じるべきではないのか。そこのところが、西岡さんの論文や意見、証言に出てきたのだろうかと、私は非常に関心をもった。

和田意見書には、こういう問題も出されている。「日本軍慰安所にはさまざまな方法で女性が集められた」。さまざまな方法、つまり、慰安婦となった経緯はひととおりではなく多様性があった。私がインタビューをした、国際法学者で戦争・戦後責任の研究者であるとともに、サハリン棄民や慰安婦問題に実践的に取り組まれた大沼保昭先生も著書の中で、慰安婦たちの境遇、待遇は多様であり、きっかけも多くの形があった、と述べている。
多様性があったのだから、あまり個々の事情に注目しすぎてことの本質を見失わないようにしなければならない。キーセンの経験者もいる、あるいはキーセンの学校に行った人もいる、そうでない人もいる。しかし、一番大事なことを書いていたのか、どうなのか、が大事じゃないか、と和田意見書は問うていると思う。

■慰安婦と挺身隊の混同には歴史的背景事情がある
そしてもう一つ大事なのは、慰安婦と挺身隊の混同という問題だ。どうしてこういう混同が起きたのか、この意見書は非常に詳しく書いている。この意見書だけではない。秦郁彦先生の「慰安婦と戦場の性」という本がある。秦先生はここにいらっしゃる皆さんとは立場が違うかもしれないが、歴史学者としていろんな事実を調査され、それに基づいて論評している。秦先生も、女子挺身隊と慰安婦の混同については、和田意見書とほぼ同趣旨のことが書かれている。
たとえば韓国の国定教科書でさえも、「女性たちまで挺身隊という名で連行され日本軍の慰安婦として犠牲になった」などと書かれている、混同が起きたことにはそれなりの歴史的背景事情があった、女性たちはパニックになって学校をやめて早く結婚しなければとなった、内地工場向け挺身隊派遣を慰安婦と混同する風聞は当時からかなりひどく流れていた、として、その根拠も書かれている。流言に惑わされた女性や親は学校を中退したり結婚して危険回避をはかったらしい、挺身隊と慰安婦を混同する風説は戦後も継承され、元挺身隊員は慰安婦と間違えられるのを恐れて名乗りたがらぬ傾向が続いた、ということも、1つひとつ根拠を挙げて書かれている。

■西岡さんの真実性が全面的に崩れたんじゃないか
和田先生と秦先生では意見が違うところも多いようだが、立場を超えて歴史学者の認識として、挺身隊と慰安婦との混同があったということは言えると思う。こうしたテープ起こしと意見書によって、西岡さんの言っていることの真実性が、全面的に崩れたんじゃないかと思った。

ただこれで裁判に勝てるかというと、弁護士さんも言うように保証の限りではない。真実性の判断はこれで是正できるだろうし、植村さんが裁判を起こしたかなりの部分は達せられたかもしれないが、判決となると真実相当性の部分で、一審判決のような理屈でいわれるとどうなのか。
たとえば、西岡さんはずっと繰り返し、朝日批判、植村批判をしてきた。にもかかわらず全然反論してこなかった。そういうことだから、西岡さんが自分が書いている主張が真実であると信じるのももっともだという発想で言われると、いくら植村さんの記事が真実であるということを示しても、反論しなかったじゃないかということになりかねない。

ただやっぱり、本来は確認するのは書かれた側ではなく、書く側がしなきゃいけない。私たち書く側はまず事実確認をする、これで本当なのかと裏取りをする。これは、学者でもジャーナリストでも同じだ。それを、植村さんが正さなきゃいけないという発想になると、それは違うんじゃないか。
西岡さんはずっと植村さんに取材をしていない。私たちジャーナリストが取材をせずに相手のことを思い込みで書いて間違っていれば、明らかに損害賠償を命じられる。ところが今回はそれが免責されている。こういうことでは司法のダブルスタンダードということになり、おかしいのではないかと思う。それに、そもそも学者は真実、事実を知ろうとする仕事だと思う。そういう仕事の人がなぜこれを確認しなかったのか。知ろうとしなかったということだと思う。
どうしてかというと、自分の価値観で正しいとか、これこそが正義だ、真実だと思い込んだもの、それが大事で、すべてがそこから出発するので、それに合うものを探すことはしても、自分にとっての正義と矛盾するものは見ようとしない、そもそも本当はどうだったのかを知ろうという態度にはならなかったのだろう。

■「好き・嫌い」がいつの間にか正邪の判断に脳内変換される
ただ、これは合わせ鏡みたいなもので、私たちも自分の身に引きつけて考える必要がある。最近はしばしば強い言葉で相手を非難したり、揶揄的な表現で他者をあざ笑うという風潮があちこちでみられる。それを見ていると、出発点はこいつ嫌いだとか好きだとか、こいつは自分の価値観に合うとか合わないかという感情的なもの、そこから出発して、それが好き・嫌いのレベルで語られているならまだいいが、そうではなく、正しい・間違っている、という正邪の判断に、いつの間にか脳内変換されていく。そして、嫌いなものは間違っていると決めつけ、さらにはその人を全否定する。あるいは、自分にとって好ましいものは、正しいものとして全肯定する方向につながっていく。背景にはそういう風潮があるのではないか。

これはじつはカルト的な発想だ。自分が信じているもの、これだと思うものに合う以外の情報は得ようとしない、知ろうとしなくなる。極端な例はオウムだが、いったん信じると、物理的には外部のいろんな情報に接することができるのに、わざとしなくなる。悪魔の情報、魂が穢れるからといって知ろうとしなくなる。こういう状況は、カルトだけではなくて、私たちの社会にいま非常に蔓延している。これはネトウヨ系だけでなく、逆の立場の人にも見うけられるというのが私の感想だ。
つまり自分が信じているものこそが真実で、対立しているものは捏造だという思考回路みたいなものが、私たちに巣くっているのではないか。それがいちばん問題ではないか。この裁判を通じて私が感じたのはそういうことです。
(2019年12月16日、東京・永田町の参議院議員会館で) photo by J.TAKANAMI


【追記】 江川紹子

一点、当日に言い落としたことがあるので付け加える。
集会のはじめに流された、韓国テレビ局による金学順さんのインタビュー映像を、圧倒される思いで見た。本当に、大変な苦難の人生を送ってこられた。慰安婦体験がなければ、まったく別の人生があっただろう。彼女が勇気ある証言で、歴史の蓋を開けてくれたことに、心から感謝したい。できる限り事実を正確に次の世代にも伝えていくことが、今の私たちの世代の役目であり、ジャーナリズムの役割でもあると、改めて思った。
韓国メディアのNGOの主張の伝え方への疑問
ジャーナリズムは、「主張」の前に「事実」が大事だ。
ただ、歴史認識に関わる問題になると、その点で韓国のメディアには疑問を感じることがある。たとえばアジア女性基金では、国民からの寄付金だけでなく、国庫からの拠出金や「総理の手紙」もあった。この手紙では、慰安婦問題は「当時の軍の関与の下に、多数の女性の名誉と尊厳を深く傷つけた問題」と認め、謝罪している。このことを、韓国メディアはどの程度報じてきたのだろうか。
女性基金に関し、韓国のNGOなどが強く反発をしているのは知っている。ただ、韓国の中でもこれを受け取る意思表示をした方々はいる。その方々へのバッシングとも言うべき非難がなければ、より多くの方が受け取ることができたのではないか。
また、安倍政権下での日韓外相合意に基づくお金についても、当時存命中の方々の多くは受け入れられた。これで十分などとは全く思わないし、安倍首相の口から謝罪の言葉を述べたらよかったのに、と思う。けれども、若い時に辛い体験をされ、その後も心の傷を抱えて生きてこられた方々が、最晩年の平安な日々のために、このお金を役立てようとされたのも、尊重されるべき被害者の意思だろう。なぜ、これが韓国の中では重んじられないのだろうか。
反発している人がいるのも事実だが、それ以上の人が受け入れたのも事実。その人たちの意思が無視されているように見える。それは、メディアの伝え方にも一因があるのではないか。メディアは、NGOなどの主張を伝えることは必要だけれど、その主張の代弁者になるのは違う、と思う。
主張より事実を正確に伝えることの大切さ
植村さんは、韓国でジャーナリズムを教えているということだが、ぜひ「主張より事実」「事実をできる限り正確に伝える」大切さを、若い人たちに伝えて欲しい。
日本でも、「慰安婦問題はなかった」と公言するなど歴史改ざんの動きがある。事実より主張が先行する動きは、強く警戒しなければならない。そんな中、政府も負の歴史を記録し、伝えることに消極的だ。
小渕首相と金大中大統領が発表した日韓共同宣言(1998年)では、「両国国民、特に若い世代が歴史への認識を深めることが重要であることについて見解を共有し、そのために多くの関心と努力が払われる必要がある」と確認された。「総理の手紙」も、「過去の歴史を直視し、正しくこれを後世に伝える」と被害者に約束した。
その約束を忘れてはならないし、事実を正確に伝えようと努力をしたジャーナリストが、事実無根の誹謗中傷にさらされ、仕事を奪われ、家族が危険にさらされるようなことが繰り返されてはならない、と思う。