2019年9月5日木曜日

日韓緊急集会の発言

 8.31緊急集会 
韓国は「敵」なのか
―輸出規制を撤回し、対話での解決を―
8月31日に東京で開かれた緊急集会「韓国は『敵』なのか」の記録動画がYouTubeで公開されている。
集会は、日韓対立が進む中、7月26日に出された声明「韓国は『敵』なのか」の呼びかけ人と賛同人らによって開かれた。大学教授、詩人、宗教者、ジャーナリストら14人が発言し、日本政府の対韓国輸出規制の撤回と、対話による冷静な解決を求めた。
「嫌韓」に傾く世論の動向を憂え、メディアの後退姿勢を強く批判する発言も相次いだ。

◇前半 https://www.youtube.com/watch?v=FQdAivP89vo&t=3557s 1時間15分54秒
◇後半 https://www.youtube.com/watch?v=xRLf2YxeaD8 1時間29分01秒

発言者は次の通り(発言順、時間はYouTube上の開始分秒)
◇前半
岡本厚(岩波書店会長) 0150
内田雅敏(弁護士) 0925
和田春樹(東京大名誉教授) 1940
福田恵介(東洋経済新報編集委員) 3645
板垣雄三(東京大名誉教授) 5245
◇後半
キム・ソンジュ(日本キリスト教協議会総幹事) 0104
金子勝(慶応大名誉教授) 1129
香山リカ(精神科医、立教大教授) 2548
羽場久美子(青山学院大教授) 3110
コン・ソンヨク(一橋大准教授) 4110
佐川亜紀(詩人) 5140
山口二郎(法政大教授) 6150
岡田充(共同通信客員論説委員) 6730
田中宏(一橋大名誉教授) 7750

14人の発言の内、最近のメディア状況に言及した部分のみを以下に収録する。順不同、敬称略。※はYouTube上の当該発言開始分秒。

拡大する日韓対立、後退するメディア

■岡本厚■著しく後退してしまったメディア ※前半0745
この声明では、日韓さまざまな論者が、保守的な立場の人も含め、1998年の日韓パートナーシップ宣言まで戻るべき、戻らなきゃならない、と言っている。その通りだと思うが、そこには、日本の植民地支配への反省と謝罪が前提としてあったということを忘れるわけにはいかない。安倍政権はこの時から完全に後退している。現在の問題は、この時の前提が崩れている、あるいは崩れていると韓国から思われていることから始まっている。歴史認識の問題は私たちにとってあまりに当然の問題だが、安倍政権を始め日本社会のかなりの部分、とりわけメディアが、著しく後退してしまった。しかし、この基礎がない限り、私たちは韓国の人たちだけでなく東アジアの人々とも信頼関係を築くことはできず、一歩も前に進むことはできない。

■和田春樹■「文藝春秋」と読売紙面への疑問 ※前半3438
これから先、いったいどうなるのか、ということについて、ひとつどうしても申し上げたいのは「文藝春秋」の9月号だ。「日韓炎上、文在寅政権が敵国になる日」という特集で、輸出規制の先にあるのは日米同盟対統一朝鮮という対立だ、と言っている。つまり中国・統一朝鮮・ロシアの大陸連合に対して海洋国家連合はアメリカ、日本、台湾だという。ずいぶんバカげている。こんな展望は我々の将来を奪うものである。
ところがこれでは極端だと思ったのか、読売新聞は18日付で安倍首相のブレーンである細谷雄一氏が書き、安倍首相の韓国政策を全部支持した上で、地政学的に韓国は重要ではないと言い放った。そして、重要なのはアメリカと中国だ、アメリカとは同盟を固めていき、中国とは安定的な関係を維持する、と述べている。ひょっとしたら安倍首相の考えにちかいのかもしれないがこんな道がプランBだとしても、実現できるはずがない。この道を行けば我々日本国民の未来は全く暗くなり、平和国家も消えてしまう。我々はどうしてもこれに反対していかなければならない。

■田中宏■安倍に質問できないメディア ※後半8219~、8613
「日韓条約ですべて終わっている、完全かつ最終的に解決した、にもかかわらず云々かんぬん」ということは耳にタコができるくらい聞かされているが、それでは1965年の日韓条約が結ばれる頃というのはどういう状況だったのか。じつは天下の「中央公論」に林房雄が「大東亜戦争肯定論」を15回にわたって連載している。始まったのが63年9月、終わったのが65年6月、すなわち日韓条約が結ばれた時だ。その年号で皆さんも思い出されるだろうが、64年は東京オリンピックの年、東海道新幹線が走った、その4月には海外渡航が自由化された。もう日本は高度成長で浮かれている時期だった。その中で、「韓国に渡したものは独立祝い金で、なにかまずいことがあったから償いをするものではない」と外務大臣が豪語した。そしてもうひとつ思い出すのは「パク(朴)にやるならボク(僕)にくれ」だ。こういう雰囲気の中で日韓条約は結ばれたのだ。(中略)
私は、2016年、オバマ大統領が広島に来たとき、非常に印象深くブラウン管で見た。アメリカは原爆の投下は戦争を早く終わらせるために正しい選択だったというのが公式見解だ。しかしその国の大統領が、被爆によって直接被害を受けた方に言葉をかけたり背中をさすったりした場面を覚えている。その横に安倍さんは立っていた、見ていた。オバマさんがそこまでやるんだったら、俺も腹を決めてナヌムの家に行ってハルモニを訪ねなきゃいかん、となぜ思わなかったのか。そして、日本のメディアもなぜその質問ができないのか。ここに大きな根っこがあると私は思う。

■板垣雄三■新元号「令和」に反省姿勢はない ※前半6305~、7220
日本はいま、世界の中で浮き上がったというか、非常に孤立した状態だ。いま日本の政府に助けになっている国といったら、イスラエルくらいしかないのではないか。アメリカも本当に日本の友だちかどうかわからなくなって来始めている。そういう中で日韓が本当に韓国の人たちのウリ(私たち、我々)に日本をいっしょに入れて考えていくという場をどうやって作っていくかが課題であるのに、日本の現状というのは非常に問題が大きいと思う。
広い視野の中での問題としてまず第一に、現在の世界を見渡して第二次世界大戦の後始末というものがついていない、あるいはつけていない国というのは日本だけだ。他の国は正しく処理したか、うまく処理したか、立派にやったか、まずいか、ヘマなことがいっぱい出てきているか、そういうことは別としても、一応処理は終わっている。全然できていないのは日本だ。これは、その後の領土問題一つとってもはっきりしてくると思うが、いちばんはっきりしていることは、日本が侵略戦争をしたこと、あるいは植民地支配でどういうことをやったかということをはっきり反省していない。(中略)
令和という改元とともに話が一層深刻になった。どうも令和には邪気があると思う。あれを提案した人は大学時代の同級生なのであまり言いたくないが、あれを決めていったプロセスにかかわった誰か、政治家やらなんやらの誰かがいろいろ持ち込んだ邪気があるのではないか。令和の令は命令の令だし、冷のつくりだし、ぽたぽた落ちる雫のつくりでもあるし、なにより、なんか寒い、命令されるという、そういう感じ。命令して和にする。漢文では令はせしむ、させると必ず読むとされていた。だから令和というのは和せしむ、和を受け容れさせる、力でこちらの言うことをきかせる、そういう言葉に見える。だから漢字文化圏の東アジアの人たちは、令和という言葉を見て、今の日本はまさしくそうだな、とみているのではないか。日本が本当に反省する姿勢をアジアと世界に証明するには、改元するより仕方がないのでないか。

■岡田充■日本の没落と歩調合わせるヘイト文化 ※後半7505
つい最近の調査では日本の生産性は世界で30位で、去年から5つくらい落ちている。1人当たりのGDPはもはやアジア1位ではなく、シンガポール、香港よりも低い。為替相場のマジックもあるのだろうが、日本が落ちれば落ちるほど、なんとなく、強い日本というものが鎌首をもたげてくる。(先ほど香山さんが言ったように)かつては右翼団体の一部がヘイトスピーチをやっていただけなのが、韓国を敵にすると安倍首相の支持率がどんどん上がる、つまりヘイト文化がこれほど爛熟しているところに我々は立っている。
その責任はどこにあるのか。日本が世界の中でどんどん落ちていく、これこそが強い日本という、あり得ない空想の世界を望んでいくところに原因があるのかもしれない。メディアはかなり大政翼賛化している。安倍首相が旗を振るリーダー、その旗に乗って大衆を踊らせるのがメディア、そして大衆との三者のシンクロ状態が韓国を敵にするような精神風土を作っているのではないか、という気が今強くする。どうか、我々は声を大きくして韓国は敵ではない、ということを今一度、世界に向かって言うべき時だと思う。

■山口二郎■少数派であることにひるまず ※後半6408
今の政府は、安手のナショナリズムを煽るという最も安易な手段で政権を運営している。これに対して私たちはともかくおかしいと言わなきゃいけない。このまま、こういう政権の手法がまかり通ったら、民主主義ではなく多数の専制に陥ってしまう。かなり危ないところに来ていると私も思う。
問題は政治の世界で、そういう政権運営に対して、これは禁じ手だ、そういうことをやったら国が亡ぶぞとはっきり反対する声がいまひとつ弱いという点だ。さきほど東洋経済の方が、石橋湛山の話をされていた。我々80年後の人間は湛山が正しかったということがわかる。しかし湛山が闘った時は湛山は少数派だった。私たちは今のところ少数派だが、少数派であることにひるんではいけない。湛山のように歴史を見通す展望を持って、多数派の陥った虚妄というか、迷妄、妄想を、これはおかしい、またそういうものを利用する政治家にやめろと言わないわけにはいかない。残念ながら一部の野党の政治家は、多数の国民の感情に阿っている、あるいは多数の国民の感情にあえて逆らって国の方向を正すという勇気をあまり発揮できていないのかもしれない。だから、私たちはいま少数派であっても、このナショナリズムを煽るやり方に対しておかしいというほうが正しいことは絶対に歴史で証明されるんだろうと思う。

■内田雅俊■いつのまにか産経路線貫徹 ※前半1620
2000年の鹿島建設花岡和解(注1)、この時には読売、産経も含め各紙いっせいにこれについて賛同した。そして日本政府の姿勢こそ問われるというような論調だった。2009年の西松建設和解(注2)の時には読売まで賛成し、これで日本政府の責任が問われるのだと言っている。ただ産経だけが、被害者に対する賠償は必要だと思うけれど、この民間の和解は国家間の解決の枠組みを壊す危険があるのではないか、ということを藤岡信勝氏のコメントを引用しながら言っている。それでも、被害者に対する賠償は必要だと思うけれど、と付け足している。
2016年の三菱マテリアル和解(注3では、読売はこれは中国政府の形を変えたゆさぶりであると、そして産経は、日本政府は民間の問題としてこれを放置していいのか、こんなことを認めておいたら国家間の枠組みが壊れてしまう、と言っている。もちろんいま私は読売と産経の流れについて言ったのだが、他の新聞はみんな(和解による解決を)支持している。そして2018年の韓国大法院の判決については各紙いっせいに国家間の合意に反する、こういうふうになってきている。そういう意味では、産経の言う「民間の問題として政府はこれを放置していいのか」という路線がいま貫徹している。いま企業のほうは解決しようとしても政府がこういう姿勢を取っているから自発的に解決できない。とくに三菱マテリアルの和解では外務省と経産省が事実上関与している。そして民間のことだから政府は口をはさまないと言ったにもかかわらず、今回の新日鉄住金の韓国人の問題については積極的に口をはさみ、企業の自発性を許さない。こういう態度になっていることに日本社会の変化を感じている。

内田氏注1=鹿島建設花岡和解 戦時中に秋田県の花岡鉱山で強制労働に従事していた中国人労働者と遺族が1995年に鹿島建設(当時、鹿島組)を訴えた。訴えは、重労働や虐待、暴行、拷問などへの謝罪と賠償を求めるもの。97年東京地裁で原告敗訴、99年東京高裁が和解勧告、以後20回の交渉を経て、2000年11月に和解が成立した。鹿島は受難者慰霊の基金創設のために中国赤十字に5億円を信託した。
注2=西松建設和解 戦時中に広島県の水力発電所の工事などに従事した中国人労働者360人が西松建設を訴えた。原告は2007年4月最高裁で敗訴したが、最高裁判決には「被害者の被った精神的肉体的苦痛が極めて大きいこと等を勘案して積極的に和解をするよう」に求めた付言がつけられたため、同年10月に和解交渉が始まった。2009年10月に和解が成立した。西松は謝罪し、補償金を支払い、記念碑設立などを目的とする基金に2億5000万円を寄託した。西松は2010年4月にも、同じような訴訟(新潟県の水力発電所工事に従事、原告183人)で和解し、和解金1億2000万円を支払った。
注3=三菱マテリアル和解 戦時中に劣悪な条件下で労働を強いられた中国人労働者と遺族が中国の裁判所で三菱マテリアル(旧三菱鉱業)を訴えた。三菱は訴訟を起こしたすべての中国人団体に和解案を示し、一部団体を除き、2016年6月に和解書に調印した。生存する3765人に直接謝罪し、「謝罪の証し」として1人当たり10万元(約160万円)、総額64億円が支払われた。