2019年11月5日火曜日

重要証拠解説その1

金学順さんの「証言録音テープ」が証拠提出された東京控訴審の第1回口頭弁論(10月29日)では、ほかにも重要な証拠が多数提出された。金学順さんの「遺族会入会願書」と、戦前の韓国社会におけるキーセンに関する文献資料、「挺身隊」という呼称表記に関する証言・意見・記述などである。それらのもつ重要な意味を植村弁護団は「控訴理由補充書(1)」(同日提出)で詳しく説明し、一審判決が認定した事実が「真実とはいえない」ことの「確実な根拠・資料」である、と主張している。
「控訴理由補充書(1)」の記述に沿って、新提出証拠の内容詳細と意味を、3回連載で紹介する。


金学順さんの証言録音テープ(中央上)と遺族会入会願書(下)。
左は植村氏が1991年12月に書いた記事B、右は8月の記事A。


 金学順さんの証言録音テープと遺族会入会願書 

西岡氏の「捏造」説への重要な反証

録音テープに「妓生に身売りされた」との証言はない。
録音テープの内容と記事の内容は詳細に一致している。
遺族会入会願書の日付には重要な意味がある。
これらは、西岡が植村氏や遺族会の取材をきちんとしていれば知り得たことだが、西岡は最低限の取材も尽くさずに、思い込みだけで「捏造」と決めつけたのである。

編注】「録音テープ」「遺族会入会願書」「社内報告文書」について「控訴理由補充書(1)」が述べている部分(7~15ページ)を以下に抄録する。
書面中、控訴人とは植村隆氏をさす。(甲)数字は証拠番号を示す。一部割愛した部分がある。原文の小見出しは省略した。
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■金学順さんの証言録音テープ(甲196~199号証)
本年8月22日、控訴人が1991年に金学順氏の証言を直接聴取した際の「証言テープ」が、関係者宅から偶然発見された。この証言テープは、1991年11月25日、控訴人がソウルにおいて金学順氏に対する弁護団の聞き取りに立ち会った際、金学順氏の証言を録音したテープである。
テープを収録したのは控訴人本人であり、テープに収録された音声は、金学順氏と、聞き手の高木健一弁護士、通訳の臼杵敬子氏の3名のものであった。
記事Bの冒頭には「その証言テープを再現する」とあるが、ここにいう「証言テープ」が、今回発見された「証言テープ」である(なお、厳密にいうと、「証言テープ」の原本をダビングしたものである)。

「証言テープ」には「妓生に身売りされた」という証言がない。「妓生学校に通った」との証言もない。「妓生」という単語すら出てこない。つまり、金学順氏は、控訴人の前で「妓生に身売りされた」とは証言しなかったのである。
記事Bの冒頭には「その証言テープを再現する」とあるから、「証言テープ」にない証言が記載されているわけがない。記事Bに「金学順氏は妓生に身売りされた」との記載がないのは、金学順氏がそのように証言せず、したがって、「証言テープ」中にそのような証言がなかったために過ぎないことが明らかになった。
証言テープは、記事Bに関し、原判決のいう「控訴人が、金学順のキーセンに身売りされたとの経歴を認識しながらあえて記事に記載しなかったという意味において、意図的に事実と異なる記事を書いたとの事実」(裁判所認定摘示事実1)、「控訴人が義母の裁判を有利にするために意図的に事実と異なる記事を書いたとの事実」(裁判所認定摘示事実2)が真実とはいえないことの「確実な資料・根拠」である。

それだけでなく、「証言テープ」の内容は、記事Bの内容と詳細に一致している。
別紙添付「記事・証言テープ対応表」のうち、「植村記事」の縦列は植村12月25日記事を73分割したもので、その横の「証言テープ」の縦列は73分割した植村記事の各記載に対応したテープ中の証言である。「反訳書頁」のうち、①②③は対応するテープのテープ番号であり、横の数字が日本語訳のページ数である。
たとえば、記事Bのうち、「『そこへ行けば金もうけができる』。こんな話を、地区の仕事をしている人に言われました」(⑥)という部分に対応するのは、証言テープ中、以下の部分である。

Q臼杵 どんなことが起こりましたか?
A金学順 はい、私はお金を稼ぐといえば、お金と言えばいつも、人の家の手伝いをして回り、お金をかせいでいたので、お金と言えば。その時は、何と言うか、部落で仕事を引き受けてくる人がそんな話をしたんです。そこに行きさえすれお金も稼げるし、後々立派になれると。良くなると、そう言いながら、そこに行けと言って。
Q臼杵 どこに行けといいましたか?
A金学順 その時は何と言ったか。何と言ったか、それをはっきり覚えていません。いまでは。
Q臼杵 誰がそう言ったんですか?
A金学順 その、仕事をしている人たちです。部落の仕事をする人たちです。
 (以上、テープ①、日本語訳6頁)

Q臼杵 ところで、話をした人は日本人だったと?
A金学順 その人に話をした人が日本人だったのかは知りません。ところで、私に話をしたのは朝鮮人でした。いまで言えば、区長のような人です。部落の仕事をする人。
Q臼杵 日本人が言った?
A金学順 村の里長、面長、そんな人です。
Q高木 口長は日本人? 朝鮮人?
A金学順 朝鮮人。
 (以上、テープ①、日本語訳7頁)

このほか、記事Bを73に分割してそれぞれ証言テープを比較してみたが(別紙添付「記事・証言テープ対応表」参照)、分割された記事Bの記載は全て証言テープ中に根拠のある記載であることが分かる。控訴人は記事Bの冒頭で「証言テープを再現する」と断っているとおり、証言テープ以外の情報源から情報を得ていないのである。 編注=対応表PDF

この点からしても、記事Bに「金学順氏は妓生に身売りされた」との記載がないのは、「証言テープ」中にそのような証言がなかったために過ぎないことが明らかである。したがって、控訴人が悪しき意図をもってあえて事実と異なる記事を書いた事実はないから、記事Bに関し、「控訴人が、金学順のキーセンに身売りされたとの経歴を認識しながらあえて記事に記載しなかったという意味において、意図的に事実と異なる記事を書いたとの事実」(裁判所認定摘示事実1)、「控訴人が義母の裁判を有利にするために意図的に事実と異なる記事を書いたとの事実」(裁判所認定摘示事実2)が真実とはいえないことがより明白となる。
この点からしても、証言テープは、記事Bに関し、裁判所認定摘示事実1及び2が真実とはいえないことの「確実な資料・根拠」である。

■聞き取りに関する社内報告文書(甲200号証)
なお、控訴人の所属していた朝日新聞大阪社会部は、被控訴人西岡による記事「慰安婦問題とは何だったのか」(文芸春秋92年4月号)の批判を受け、1992年3月11日付けで「『文芸春秋』記事について」と題する社内文書を作成しているが、ここには以下の記載がある。
   
「この記事について西岡氏は、二番目の「」、どうやって慰安所に行ったかの部分について、『それまでの韓国の報道と違う。韓国では、キーセンに売られていったと報道されている。植村記者は、それを書いていない』と指摘していますが、金さんは、この聞き取りの時には、この点は話していません(テープもきちんと保存しています。弁護団がつくり、マスコミにも配布した聞き取り要旨にもそうなっています)」

ここで「この聞き取りの時」とあるのは1991年11月25日のソウルにおける聞き取りのことを指しているから、新聞社社内の報告文書では、金学順氏がキーセンについて話していなかったと報告されていることが明らかである。そうだとすると、本件「証言テープ」は当時の新聞社社内の報告文書の記載とも合致している。
なお、ここにいう「マスコミにも配布した聞き取り要旨」とは甲15を指す。ここには「キーセン」の記載はない。このとおり、客観証拠は全て整合しており、要するに、金学順氏はこの日「キーセン」について語らなかったのであり、記事Bに「キーセン」の記載がないのはそれゆえなのである。

■金学順氏の「遺族会入会願書」(甲201号証)
控訴人は、「太平洋戦争犠牲者遺族会」(以下「遺族会」という)より、金学順氏が同会に入会を申し込んだ際の「遺族会入会願書」を入手した。
 「遺族会入会願書」の日付けは1991年11月となっている(日にちの記載はない)。
この日付は、金学順氏が遺族会に入会したのは1991年11月であり、それ以前は遺族会の裁判すなわち「義母の裁判」に関わっていなかったことの証拠である。ところで、記事A(甲1)が公表されたのは1991年8月11日だから、記事Aが発表された段階で、金学順氏は「義母の裁判」に関わっていなかったことが明らかである。
そうだとすると、控訴人が、記事Aで金学順氏の証言を記事にするのにあたり、「控訴人が義母の裁判を有利にするために意図的に事実と異なる記事を書いた」と言えるはずがない。

■認定事実が真実ではないといえる「確実な資料・根拠」
控訴理由書で詳細に述べたとおり、真実相当性の抗弁が成立するためには、摘示事実を真実と信じたことについて「確実な資料・根拠」が必要となる。ところが、本件では、裁判所認定摘示事実1及び2が真実であるという「確実な資料・根拠」が存在しない一方、裁判所認定摘示事実1及び2が真実ではないといえる「確実な資料・根拠」が発見されている。

この点、真実性の判断資料の基準時点は口頭弁論終結時である一方、真実相当性の判断資料の基準時点は表現行為の時点である。しかし、被控訴人西岡は92年当時から本件について取材をしていたというのであるから、92年の段階で控訴人を取材すれば金学順氏の証言テープを聴取することは可能であった(記事Bの冒頭には「証言テープを再現する」との記載があるのだから、被控訴人西岡はその存在には当然気づいていた)。また、その当時に遺族会を取材すれば金学順氏の入会の日付けを知ることは容易であった。被控訴人西岡は、それら最低限度の取材も尽くさず思い込みだけで控訴人の記事を「捏造」と決めつけたのである。

前記のとおり、本件では、裁判所認定摘示事実1及び2が真実であるという「確実な資料・根拠」が存在しないのだから、真実性相当性が認められないことは当然であるが、他方で、裁判所認定摘示事実1及び2が真実ではないといえる「確実な資料・根拠」が発見されたのであるから、控訴人の名誉権の要保護性は極めて高いというべきであり、その比較衡量からいっても相当性の抗弁を認めるべきでない。

【下の写真】金学順さんの証言を録音したカセットテープを当時ダビングしたテープ。ラベルには植村氏の字で「金学順ハルモニ③91.11.25」と書かれている。90分テープが2本あり、③は2本目のオモテ面を表す。



【下の写真】金学順さんの「遺族会入会願書」。最下段の日付欄に「91年11月」とある。中段の所属欄では「挺身隊」にマル囲みがある。漢字で氏名、住所が書かれているほか、「無子息単身」「零細民」「1942…供出…北支(中国)…日本軍野戦部隊…強制慰安婦…従事…事実」という記載もある。

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次回につづく

次回その2
キーセンは売春婦ではなかった! 
妓生に関する戦前の雑誌書籍などの文献資料

次々回その3 
慰安婦を挺身隊と呼んだ時代と社会 
「挺身隊」という呼称表記に関する証言・意見・記述