2018年8月14日火曜日

金さん証言の記念日


8.14(8月14日)は、日本軍「慰安婦」だった金学順さんが1991年、ソウルの記者会見で、自身の被害を実名で証言した日です。韓国では2012年にこの日が「慰安婦メモリアルデー」とされ、毎年記念行事が民間レベルで行われてきました。ことしからは国家記念日に指定されています。
韓国紙「ハンギョレ」新聞は、この「メモリアルデー」の意義を社説で次のように説いています。以下、同紙日本語版より全文引用します。金学順さんの写真(下)も同紙より。

(引用開始)
[社説]金学順ハルモニが証言した日を記憶する理由
「私は日本軍『慰安婦』被害者の金学順(キム・ハクスン)です」
1991年8月14日、故金学順さん(1924~1997)の公開会見は、半世紀近く隠されていた慰安婦問題を韓日社会で公論化する契機となった。1990年に発足した韓国挺身隊問題対策協議会(挺対協)の活動とユン・ジョンオク代表のハンギョレ寄稿文などがあったものの、被害者の把握どころか関連文書すらなかなか見つからなかった当時、彼女の会見は日本の戦争犯罪に対して「私が証拠だ」という最も強力な雄弁に他ならなかった。何よりも、その勇気は「恥ずべき人生」、「純潔を失った女」というレッテルが強要した沈黙に打ちひしがれていたもう一人の金学順を呼び起こした。

238人の他の被害者らの声を引き出しただけでなく、国内を超えて北朝鮮やフィリピン、中国、インドネシア、オランダの被害者にまで届いた。オランダ出身の被害者のヤン・オヘルンさん(※注)は「金学順さんの証言を聞いて、もう自分も家族に慰安婦だったことを打ち明ける日が来た。あのアジアの女性たちと手を取り合って日本政府に謝罪を要求しなければならないと思った」と語った。1992年から始まった水曜集会と国連決議や勧告、アジア連帯会議、2000年に行われた女性国際戦犯法廷(日本軍性奴隷制を裁く2000年女性国際戦犯法廷)および世界各国の議会決議採択まで、彼女の証言は数多くの変化を引き出した。

2012年、第11回「旧日本軍による性奴隷制問題の解決に向けたアジア連帯会議」の決議で、彼女が証言した日は「慰安婦メモリアルデー」になった。これまで民間行事として行われた日が、今年初めて国家記念日に指定され、14日に金学順ハルモニなどが埋葬された忠清南道天安(チョナン)の「望郷の園」で、政府レベルで記念式典が行われる。最近、政府は「日本軍慰安婦問題研究所」も発足させた。これまで当然国が共に進めるべきだったことを、被害者と民間だけに任せてきたわけだから、心苦しい限りだ。

もはや残された被害者は27人。遅れた分、体系的な記録物の発掘・調査と研究を急がなければならない。相変わらず日本は2015年「韓日慰安婦協定」を名分に掲げ、謝罪と賠償を拒否している。歴史の犠牲者にとどまらず、自らの人権回復に向けて名乗り出た被害者の勇気と人権・平和運動家としての活動を今日記憶し、正義と平和の実現を約束する。
(お問い合わせ japan@hani.co.kr )
韓国語原文入力:2018-08-13 19:10
H.J

(引用終わり)

※注 ヤン・オヘルンさんは、Ruff O'Herne,Jan 。日本で出版されている本「オランダ人『慰安婦』ジャンの物語」では、ジャン ラフ=オハーンと訳されています。


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札幌でも「メモリアルデー」
街角リレートークに「支える会」が参加

札幌では8月11日(土)午後1時から大通公園の一角で記念行事が開かれました。「日本軍『慰安婦』問題の解決をめざす北海道」の会が毎年主催している行事で、「慰安婦」問題にかかわりのある団体、グループから約40人が参加し、1人3~5分の訴えを行いました。通行人の妨害や暴言はなく、若者の飛び入りトークやギターの弾き語りに市民も足を止めて聞き入っていました。「支える会」はことし初めて参加して、植村裁判の現状を報告し、支援を呼びかけました。