2016年5月4日水曜日

週刊新潮の下品度

(前回5月1日記、「櫻井コラムの詐術」承前)

週刊新潮(5月5、12日号)の櫻井よしこコラム「朝日慰安婦報道の背景を分析する」の詐術はさらに迷走しながら続く。櫻井氏は、前半の最後にとつぜん持ち出した「強制連行プロパガンダ」の分析をわずか10行ほどでさらりと片づけたあと、急ぎ足で後半に入っていく。「朝日新聞の罪は重く、その中で植村氏も重要な役割を担ったと言うのである。それにしても朝日新聞はなぜ、このような慰安婦報道をしたのか」という疑問を投げ、「そのことを理解する一助となる」もののひとつとして、「長谷川熙著「崩壊 朝日新聞」(ワック)はとりわけ深い示唆を与えてくれる」と書いている。
櫻井コラムの特徴は次から次へと事柄を羅列し、深い吟味を加えずに印象操作の材料にすることである。元ニュースアナ時代に身につけた手口である。さあ、こんどは「崩壊 朝日新聞」を引っ張り出してきた。しかし櫻井流急ぎ足文体につられてはいけない。つられて読んでいると、前段フレーズにある「植村氏も重要な役割を担った」という部分の重大なウソを見落としてしまいかねない。

この「植村氏も重要な役割を担った」という言い回しは桜井側が繰り返し使ってきたキャッチコピーであり、ウソも100回繰り返すと真実になる(ナチス宣伝相ゲッペルスの言)の典型例である。植村さんは、じっさい、重要な役割を担ったのか。答えは、と、とんでもない、である。植村さんが慰安婦関連で署名記事を書いたのはたったの2回きりである。それも、25年前の1991年の8月と12月のことである。8月の記事はたしかに大阪本社版では大きな扱いだったが、東京本社版では小さかった。桜井側はこの記事を「世紀のスクープ記事」と大げさに表現するが(口頭弁論の意見陳述でもそう強調した)、当時は日本でも韓国でも話題にはならなかった。むしろ、植村さんの記事の4日後に、元慰安婦女性の単独インタビューを初めて実名で報じた北海道新聞のほうが有名なのである。植村さんは後にソウル特派員として韓国に滞在し、韓国発の記事を書きつづけたが、その当時も、そしてその後も、慰安婦報道の重要な役割を担ってはいない。もちろん、「吉田清治」証言について書いたことは1度もない。植村さんの記者としてのすぐれた仕事はほかの分野にたくさんあり、編著書もある。早大の博士学位論文のテーマも、慰安婦問題ではない。

櫻井氏が持ち出した長谷川熙著「崩壊 朝日新聞」は、書店で立ち読みしただけであり、大昔の話をよくもまあ、ぐじぐじと蒸し返して、往生際の悪いおっさんだなあ、という読後感しかなかった。朝日の記者の9割は共産党員だ、というようなことも書かれていて、この人、気は確かか、とも思った。アエラでは有名な記者だったというが、へーそうだったの、という感じ。古巣の昔話を蒸し返す人はどこでも嫌われる。だいたい、職業上知り得た事柄とか秘密はみだりに洩らさないのが職業人の倫理、規範であり、とくに個人の秘密を知りえる機会の多い公務員や医師、弁護士などは法できびしく律せられているではないか。新聞記者だから許される、と長谷川氏は思っているのだろうか。それだけで、朝日記者失格であろう(もう辞めてるか)。時流に乗ることを便乗という。出来の悪い新聞記者の得意技である。朝日バッシングに便乗し、朝日つぶしに奔走する花田紀凱氏率いる出版社ワックから朝日崩壊礼賛本を出す。いやはや、みっともない。

櫻井コラムが長谷川著書から引用しているのは、女性差別や人権の問題を書きつづけた朝日の松井やより記者についてである。長谷川氏はシンガポールで中年の華人から思いがけない訴えを聞いた、という。「『シンガポールにいるという日本の朝日新聞の女性記者が、虐殺は日本軍がやったことにしておきなさい、かまわない、と言ったんです』。そして、その女性記者の名前を『マツイ』と述べた」。引用がややこしくなったが、これだけではもちろん真偽のほどはわからない。櫻井氏が松井記者の言動を公にし、問題にするのであれば、引用ですませるのではなく、きちんと取材をするべきであろう。松井記者はもうこの世にいないが、長谷川氏は健在である。取材をせずにアシスタントが集めた資料だけで書くのは、ジャーナリストの作法に反している。そういう人はジャーナリストと自称してほしくない。
櫻井コラムの結語はこうである。「このような朝日の元記者、植村氏との裁判は恐らく長い闘いになるだろう。私はこれを慰安婦問題を生み出した朝日の報道、朝日を生み出した日本の近現代の歪みについて、より深く考える機会にしようと思う」。
「このような」とはどのようなものか。その前節に「条件反射的な人間」「パブロフの犬」が朝日には大勢いた、との長谷川氏の記述を引いているから、植村さんはつまりは(パブロフの)犬だということか。そして、朝日を生み出した日本の近現代の歪み、も酷い。そこまでおっしゃるのなら、言わせてもらおう。あなたは、なんなのか。カルト教祖めいた日本の近現代の魔女、という人がいる。こっちのほうが正鵠を射ている。

次に、週刊新潮の3ページにわたる記事である。正直言って、気が重い。前回書いたように、取り上げるに値しない藻屑のようなものであるから、読み直すことは苦痛を伴う。こんな記事のためにキーボードをたたくことすら躊躇われる。しかし、乗りかけた船である。せめて快適な船旅を楽しむために、逐条解説ふうに問題個所を順に指摘し、ついでに下品度を5段階で評価してみよう。

1 記事の見出し【元朝日「植村隆」記者の被害者意識ギラギラ】⇒ギラギラは、たぎらせる憎悪という表現に使うもの。被害者でもないのに本人はそう意識している、と言わんばかり。加害者意識ドロドロ、見出しセンスはゼロ。下品度満点の5点。
2 記事の副見出し【100人の弁護士を従えて法廷闘争!慰安婦誤報に反省なし!】⇒「を従えて」ではなく「に守られて」である。「誤報」ではない(以前は「捏造」と言っていたが、これはさすがに撤回したのか)。「反省」する必要はない。反省すべきは被告新潮社であろう。これも下品度5点。
3 裁判の焦点について【櫻井さんが『捏造』などど論評したこと】⇒被告側は、論評は表現の自由の範囲にとどまる、と逃げの主張をする。これに対して、植村さん側は、「捏造」と表現したことは事実の摘示であり、被告はそれ(捏造)を証明しなければならない、と主張している。肝心のことを書かない。同じく下品度5点。
4 櫻井氏を取材しないことについて【先生、櫻井さんがぁ、いっぱい、いーっぱい、いじわるしてくるんだよー、と駄々っ子のように、相手の悪口ばかり言っているワケだ】⇒これは下品の極み。下品度は特A級の10点である。幼児語を用い、駄々っ子と決めつける週刊新潮記者、編集者の幼児性こそが問われる。小学校でこうやって、弱い者いじめをしたんだろう。老舗の一流出版社の誇り、矜持はどこに行った。悲しい。
5 支援者について【不幸なことに彼の周囲にはそんな普通の感覚を持った人はいないようだ】⇒普通の感覚を持っているからこそ、私たちは支援している。私たちは不幸ではない。下品度再び5点。
6 「挺身隊」の誤用について【当時、他のメディアがそう書いていたからと言って、自分が誤用しても仕方ないと言わんばかりの態度は潔くない】⇒「仕方ないと言わんばかりの態度」をとったことはない。当時の状況説明として、控えめに語っただけである。下品度まだまだ5点。
7 取材対応について【そもそも植村氏が長い間、メディアの取材から逃げ回っていたことは周知の事実。元朝日新聞ソウル特派員の前川恵司氏は言う】⇒おいおい、なにが周知の事実なのか。逃げ回ったことはない。読売や産経の長時間インタビューにも応じている。暴力的・脅迫的メディアの取材を拒否したことはある。それは身を守るために当然の権利だから。この前川氏は、植村バッシング記事の常連筆者で、先の独立検証委員会のヒアリングに応じているお仲間でもある。前川コメントは後段にもあり、「間違いをおかしたのであれば、反省する。これは子どもでもわかること」だとさ。下品度はふたつ加算して、5+5=10点。
8 元毎日記者のコメント【植村さんは特ダネが取れる、という意識であの記事を書いたのではないでしょうか】⇒その通りである。義母の団体を利するために書いたのではない。記者たる者、特ダネを取れなければただの人である。下品度ゼロとしたいが、「テープを聞いただけで記事を書いてしまった」などと余計な難癖をつけている(つけさせられている)ので、下品度1点をつけておく。
9 京大・中西輝政名誉教授のコメント【植村さんの記事はその(軍関与記事)5カ月前。「吉田証言」に続き、被害者の立場からそれを裏付け、「軍関与」の報道を導いた大きな存在でした】⇒櫻井コラムに出てきた「強制プロパガンダ」と米国紙の報道に、植村記事は関係はないし、きっかけでもない。「吉田証言」も無関係である。それなのに、中西氏は強引に結び付けようとしている。下品度5点。
10 早大・重村智計名誉教授のコメント【言論の世界で生きているのであれば、言論には言論で答えれば良い。公権力で相手の主張を封じ込めようとするのは、ジャーナリストとしての役割をわかっていない】⇒植村さんはいつも言論で答えようとしてきた。ところが、ある勢力が、植村さんを暴力で封じ込めようとした。その事実と現実を、重村氏は知らないはずがない。知らなければコメントする資格はない。植村さんが受けた人権侵害被害、不安、恐怖は、家族も含め甚大である。その苦痛と傷の深さを思いやることのできない人は、想像力を失った悲しい人だと言わざるを得ない。怒りをこめて、下品度10点。
おまけ 記事の結び【さあ、待望のGWが来た。植村氏も忙しいであろうが、講演の合間に冒頭の映画でも見て来てはいかがだろうか。謙虚な気持ちで眺めれば、自らの「闘争」が「英雄譚」として映画になる代物ではないことが、よーくわかるであろうから】⇒下品度5点。これ以上、あんたに説教されたくない! 植村さんはGWが来る前、4月23日に札幌のシアターキノでちゃーんと鑑賞している。週刊新潮記者よ、よーく取材してから記事を書きなさい!

(注)11項目で計66点となった。下品度は超満点というわけ。こちらの筆致も下品になってしまったが、毒を以て毒を制す、ということでお許しいただきたい。


text by 北風三太郎