法廷で初めて示された誹謗中傷の全容
■文春側の「積極的な害意」を厳しく追及
植村裁判(東京)の第6回口頭弁論が、8月3日午後3時から東京地裁民事33部で開かれた。96席ある大きな103号法廷の傍聴席はこの日ほぼ満席。傍聴席から見て左側の原告席に、韓国から帰国中の植村隆さんと、弁護団が10余人。対する被告席には、相変わらず喜田村洋一弁護士ら代理人だけが2人。
裁判官が定刻に入廷した。陪席裁判官の交代によって、原克也裁判長の両側は前回からいずれも女性裁判官となっている。
まず、原告側代理人が準備書面と証拠多数を提出した。
提出証拠の主なものは、神戸松蔭女子学院大学と北星学園大学に殺到した、植村さんを非難し大学を脅す匿名のメールやはがきのたぐいだ。段ボール箱2箱にもなったという誹謗中傷の全容が、初めて法廷で白日の下にさらされた。
植村弁護団の永田亮弁護士はこれらの証拠を出した理由として、「原告の植村さんに向けられた苛烈なバッシングの内容を明らかにし、それが週刊文春の記事に起因していること、及び被告文藝春秋にバッシングを発生させようとの積極的な『害意』があったことを主張・立証する」として、準備書面要旨を朗読した。その要点は次の通りだ。
主張・立証■■■バッシングは週刊文春の記事に起因している
1.
植村さんは2014年4月から神戸松蔭女子学院大学で教鞭をとることになっていた。ところが同年1月30日、被告文藝春秋発行の週刊文春に「”慰安婦捏造”朝日新聞記者がお嬢さま女子大教授に」という記事が掲載されると、記事は瞬く間にインターネット上に拡散し、同大学への激しいバッシングが始まった。
2.
1月30日のうちに、ブログに同大学の電話、ファクス番号などが載り、「本日、神戸松蔭女子学院大学の方に電凸(電話での抗議)してみました」というコメントが付された。「週刊文春、読みました。みなさんの声が大きければ、採用取り消し、ということになるかも……楽観的すぎるかな?」などの投稿がなされた。
メール、ファクスは、1月30日から2月5日までに計247件に及んだ。「貴学は朝日新聞記者・植村隆氏を教授として迎へられるといふ週刊誌報道がありましたが、それは事実でせうか。植村氏は……所謂『従軍慰安婦』問題の禍根を捏造した人物の一人です。いはば彼は証明書付き、正真正銘の『国賊』『売国奴』です」といった内容だ。これらのメールやファクスは、週刊文春の記事を引用していることなどの点で共通する。
3.
同大学は、「週刊文春の記事が出てからは抗議の電話、メールなどが毎日数十本来ている。学校前で右翼の行動も危惧される。マイナスイメージが出たら存亡の危機にかかわる」などとして、植村さんに雇用契約の解除を申し出た。植村さんは、同大学も被害者と考え契約解除に応じざるを得なかった。
4.
2014年8月1日、文藝春秋は今度は、植村さんが以前から非常勤講師を続けていた北星学園大学に対し、取材と称して「大学教員としての適性には問題ないとお考えでしょうか」とする文書を送り付け、植村さんとの雇用契約の解除を迫った。同月6日には週刊文春に「慰安婦火付け役朝日新聞記者はお嬢様女子大クビで北の大地へ」と題する記事を掲載し、「韓国人留学生に対し、自らの捏造記事を用いて再び”誤った日本の姿”を刷り込んでいたとしたら、とんでもない売国行為だ」などと書いた。
5.
8月6日当日のうちに、「『韓国人留学生に対し、自らの捏造記事を用いて再び誤った日本の姿を刷り込んでいたとしたら、とんでもない売国行為だ』と文春。つまり貴校にはねつ造を教え込まれ『日本人には何をしても無罪』と思い込んだ韓国人学生がいる可能性があると言う事?」などといった攻撃メールが、同大学に相次いだ。みるみるエスカレートし、「くぎ入りガスボンベ爆弾を仕掛ける」などの脅迫状も届いた。この記事が載る前の7月に北星学園大学に送られた抗議のメールは19件、電話は7件だったが、記事掲載のあった8月には、メールが530件、電話が160件に激増した。
6.
さらに植村さんの高校生の娘さんの写真をブログに掲載し、「晒し支持!断固支持!」「こいつの父親のせいでどれだけの日本人が苦労したことか。親父が超絶反日活動で何も稼いだで贅沢三昧で育ったのだろう。自殺するまで追い込むしかない」などと記すものもあった。
7.
バッシングが少しずつ社会問題化すると、2014年10月23日付け週刊文春は、「朝日新聞よ、被害者ぶるのはお止めなさい~”OB記者脅迫”を錦の御旗にする姑息」と題する記事を載せ、その記事の中で櫻井よしこ氏は「社会の怒りを掻き立て、暴力的言辞を惹起しているものがあるとすれば、それは朝日や植村氏の姿勢ではないでしょうか」と述べ、西岡力氏は「脅迫事件とは別に、記者としての捏造の有無を大学は本来きちんと調査する必要がある」と発言。文藝春秋は、植村さんとその家族の受けた被害を知ってもなお、その被害を嘲笑って、さらなるバッシングを扇動した。
8.
2015年2月には、北星学園大学に「6会場で実施される一般入学試験会場とその周辺において、その場にいる教職員及び受験生、関係者を無差別に殺傷する」「『国賊』植村隆の娘である〇〇(実名)を必ず殺す。期限は設けない。何年かかっても殺す。何処へ逃げても殺す。地の果てまで追い詰めて殺す。絶対にコロス」という殺害予告状まで届いた。
9.
北星学園大学は度重なる脅迫などへの対応の為、警備費用として2年間で5千万円近くの負担を余儀なくされた。同大学は植村さんとの契約更新を躊躇せざるを得ず、植村さんは大学への影響も踏まえて苦渋の決断をし、韓国のカトリック大学の客員教授に就任することになった。
10. 以上の経緯に照らせば、週刊文春の記事により、植村さんへのバッシングが引き起こされ、植村さんの名誉と生活の平穏が害されたことは明らかだ。植村さんがこの裁判を起こさざるを得なかったのは、被告文藝春秋によって引き起こされた激しいバッシング、中傷、脅迫が、植村さんとその職場、そして愛する娘さんにまで及んだからである。
永田弁護士の陳述で改めて聞くバッシングのひどさに、廷内は水を打ったように静まった。果たして裁判官たちの胸には、どの程度届いたか。
裁判の今後の進行予定は、被告側が反論を11月末までに提出することになった。
次回口頭弁論は、12月14日の15時から開くことも決まった。
法廷は15時18分で終了。閉廷直後に、傍聴していた男性1人が立ちあがって声をあげ「週刊文春は正しい」などと二言、三言口走ったが、誰も相手にすることはなかった。
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「ネット中傷訴訟」勝訴に沸いた報告集会
■シンポジウムでは「メディアの萎縮」を論議
100人近い傍聴者のほとんどが、そのまま東京地裁に隣接する弁護士会館へ移動し、この日16時10分から、報告集会が同会館5階会議室で開かれた。
正面の壁には、おなじみの「植村隆裁判報告集会 『私は捏造記者ではありません』」の横断幕。しかし、この日はそれに並んで、「ネット中傷訴訟判決 勝訴」という新しい垂れ幕が掲げられた。この日に判決があったばかりの勝訴の速報である。
実は、植村さんが起こした東京、札幌の名誉棄損訴訟のほかに、植村さんの娘さんが、ツイッターに自身の顔写真や誹謗中傷の投稿をされたとして、投稿主の中年男性に損害賠償を求めた「ネット中傷訴訟」が水面下で進められていた。植村さん側からのいわば「第三の訴訟」と言えるが、匿名の投稿者をIPアドレス、プロバイダーから割り出し追及する上で仮処分などを繰り返す難しい過程を辿り、プライバシーにも配慮して、これまでは公にされてこなかった。
奇しくも、植村さんの名誉棄損裁判の弁論で、娘さんが受けた人身攻撃が法廷に引き出された8月3日に、その娘さんが原告の「第三の訴訟」の判決が、東京地裁の別の部で言い渡されたのだ。
判決は、「投稿は、プライバシー、肖像権を侵害する違法なもの。未成年の高校生に対する人格攻撃であり、悪質だ」として、投稿した男性に原告の請求通りの170万円を支払うように命じた。植村さんの娘さんの全面勝訴である。この日、判決後の記者会見で娘さんの次のようなコメントが読み上げられた。「匿名の不特定多数からのいわれのない誹謗中傷は、まるではかり知れない『闇』のようなものでした」「こうしたことは他の人にも起こりうる出来事。こうした攻撃にさらされることのない社会になってほしい。今回の判決が、そのきっかけになってほしいと思います」
思いがけない娘さんの「第三の訴訟」の勝訴の報告に、弁護士会館で始まったばかりの報告集会の会場は沸いた。
植村弁護団事務局長の神原弁護士が立ち、、「この種事案で認められた慰謝料としては、きわめて高い」と、娘さんが勝ち取った判決の意義の大きさを補足説明した。
続いて、永田亮弁護士が、この日の植村裁判第6回口頭弁論についての報告をした。「植村さんは名誉のみならず、生活の平穏も破壊された。植村さんの損害の中核にバッシングがある。裁判官に損害に向き合ってもらうよう、きょうの書面を出した」と語った。
新崎盛五さん■■■「委縮」しない記者と記事をもっと応援しよう
岩崎貞明さん■■■放送界の現場では「圧迫」を自覚する人が少ない
香山リカさん■■■ヘイトスピーチ支持者は「集団催眠」にかかっている
一連の報告が終わると、報告集会のもう一つの目玉であるシンポジウムに移った。
テーマは「メディアの委縮を打ち破れ」。新聞労連前委員長でマスコミ文化情報労組会議議長の新崎盛吾さん、放送レポート編集長の岩崎貞明さん、放送倫理・番組向上機構(BPO)前委員で精神科医の香山リカさんがパネリストだった。3人は、みな植村裁判支援に中心的に加わってきた人でもある。司会は、やはり東京の支援の中心を務めている朝日OBの佐藤和雄さん。
放送界の現状について、岩崎さんは「現場の委縮は深刻だという声がある。ただ、それを言う記者はまだ自覚的であり、考える時間さえないという人たちもいる」と話した。また、「放送界への政府の圧迫は、振り返れば93年の椿発言問題のころからすでに始まっていたことがわかる」と指摘した。
新崎さんは、新聞界の現状を「委縮している」と断じたうえで、その要因について、①会社の管理強化で行儀がよくなってしまった②ネットで記事が攻撃されやすくなった③現在の政権の問題。特に取材先が委縮して情報を得にくくなっている状況がある、と説明した。
香山さんはまず、「植村裁判を支援する市民の会」の共同代表の一人になった理由に触れ、北海道出身であること、発言すると自身も誹謗に遭ったため他人事ではないと思ったと話した。さらに現在のメディアの委縮をつくっているものとして、3つのレイヤー(層)がある、と指摘。①権力の介入②スポンサー(広告代理店)③ネットの無数の匿名者を挙げた。
こうした委縮状況を打破するためにはどうしたらよいのか。
新崎さんは、例として、朝日新聞社が福島原発の吉田調書記事を取り消したのは行きすぎだとし、調書を取ってきたこと自体は十分評価されるべきだと述べて、新聞労連があえてこのチームに労連特別賞を贈ったことを報告。「応援」の大切さを強調した。
岩崎さんは、「首相との会食などから、メディアは権力の一角のように思われている。これを自ら打破しないと、市民からの信頼回復はおぼつかない。とくに幹部が委縮している」。
香山さんは「1000通も誹謗メールが来ると、『こんなに来てしまって…』と委縮しがちだが、実際には10人くらいが何度もメールしているだけなのかもしれない。実態をよく知って、そういう攻撃に対しては、もっとタフになるべきだ」と話した。また、「ヘイトスピーチなどを支持する人はいわば集団催眠にかかっている。『事実を見ろ』と言ってもなかなか通じないかもしれない。そういう人には別の夢を見せることも大事だ」と、精神科医らしい見方を語った。
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右から=香山さん、岩崎さん、新崎さん、佐藤さん |
集会の最後に植村隆さんがあいさつに立ち、「娘の圧勝でますます元気になった。産経が嘘を書いたのでいま訂正要求も突き付けている。この闘いをがんばり、産経も我々の側に立つようになるといい。ジャーナリズムの再生を目指す」と、決意を語った。
text by K.F.