2018年8月16日木曜日

東京の尋問、近づく

東京訴訟第13回口頭弁論

 傍聴希望の方へ  傍聴券は抽選により交付されます。抽選は午前10時10分に行われます。それまでに地裁構内の玄関前に並んで抽選整理券を受け取ってください。混雑が予想されますので、早めに裁判所にお越しくださいupdate:2018/9/2



9月5日(水)午前10時30分、東京地裁

西岡力氏、元文春記者の尋問に注目を!


東京訴訟では初めての証人尋問が、9月5日午前10時半から夕方まで、東京地裁103号法廷で行われます。
尋問は、最初に元週刊文春記者の竹中明洋氏、次に原告植村隆氏、最後に被告西岡力氏の順で行われ、午後4時半に終わる予定です。

とくに注目すべきは西岡、竹中両氏に対する尋問です。
植村バッシングにもっとも深くかかわっている両氏は、植村氏に対する「名誉毀損」行為をどのように認識しているのか。これは植村裁判の核心です。植村弁護団はその点を徹底的に突くでしょう。
植村バッシングの発端となった記事を書いた竹中氏に対しては、取材経緯と意図、慰安婦問題についての認識などを質すでしょう。竹中氏が書いたのは、2014年2月6日号=「”慰安婦捏造”朝日新聞記者がお嬢様女子大教授に」と、8月14日・21日号=「慰安婦火付け役朝日新聞記者はお嬢様女子大クビで北の大地へ」の2本です。2月6日号は植村バッシングに火をつけ、8月14日・21日号は植村バッシングを北星学園大に飛び火させました。
西岡氏は今回初めて出廷し、証言台に立ちます。103号法廷で植村氏と至近距離で対面するのも初めてです。植村弁護団は、同氏に対しては、植村氏の記事を「捏造」と決めつけた根拠、取材や調査研究の具体的な内容と経緯、慰安婦報道についての見解などを問うでしょう。

いっぽう植村氏は、「捏造」と決めつけられた記事(1991年8、12月)の取材の経緯と、その記事は「捏造」ではないこと、西岡氏による名誉毀損行為で受けた被害は深刻なものであること、などを明らかにするでしょう。
証人尋問は、この日は3人以外にはなく、次回以降については未定です。裁判の論点、争点はほぼ出尽くしています。大詰めを迎えた東京訴訟はいよいよ結審、判決に向かって動き出します。原克也裁判長が明らかにする次回以降の弁論期日設定も今回の大きな注目点です。

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報告集会は同日午後6時から
日本プレスセンター10階ホールで

2018年8月14日火曜日

金さん証言の記念日


8.14(8月14日)は、日本軍「慰安婦」だった金学順さんが1991年、ソウルの記者会見で、自身の被害を実名で証言した日です。韓国では2012年にこの日が「慰安婦メモリアルデー」とされ、毎年記念行事が民間レベルで行われてきました。ことしからは国家記念日に指定されています。
韓国紙「ハンギョレ」新聞は、この「メモリアルデー」の意義を社説で次のように説いています。以下、同紙日本語版より全文引用します。金学順さんの写真(下)も同紙より。

(引用開始)
[社説]金学順ハルモニが証言した日を記憶する理由
「私は日本軍『慰安婦』被害者の金学順(キム・ハクスン)です」
1991年8月14日、故金学順さん(1924~1997)の公開会見は、半世紀近く隠されていた慰安婦問題を韓日社会で公論化する契機となった。1990年に発足した韓国挺身隊問題対策協議会(挺対協)の活動とユン・ジョンオク代表のハンギョレ寄稿文などがあったものの、被害者の把握どころか関連文書すらなかなか見つからなかった当時、彼女の会見は日本の戦争犯罪に対して「私が証拠だ」という最も強力な雄弁に他ならなかった。何よりも、その勇気は「恥ずべき人生」、「純潔を失った女」というレッテルが強要した沈黙に打ちひしがれていたもう一人の金学順を呼び起こした。

238人の他の被害者らの声を引き出しただけでなく、国内を超えて北朝鮮やフィリピン、中国、インドネシア、オランダの被害者にまで届いた。オランダ出身の被害者のヤン・オヘルンさん(※注)は「金学順さんの証言を聞いて、もう自分も家族に慰安婦だったことを打ち明ける日が来た。あのアジアの女性たちと手を取り合って日本政府に謝罪を要求しなければならないと思った」と語った。1992年から始まった水曜集会と国連決議や勧告、アジア連帯会議、2000年に行われた女性国際戦犯法廷(日本軍性奴隷制を裁く2000年女性国際戦犯法廷)および世界各国の議会決議採択まで、彼女の証言は数多くの変化を引き出した。

2012年、第11回「旧日本軍による性奴隷制問題の解決に向けたアジア連帯会議」の決議で、彼女が証言した日は「慰安婦メモリアルデー」になった。これまで民間行事として行われた日が、今年初めて国家記念日に指定され、14日に金学順ハルモニなどが埋葬された忠清南道天安(チョナン)の「望郷の園」で、政府レベルで記念式典が行われる。最近、政府は「日本軍慰安婦問題研究所」も発足させた。これまで当然国が共に進めるべきだったことを、被害者と民間だけに任せてきたわけだから、心苦しい限りだ。

もはや残された被害者は27人。遅れた分、体系的な記録物の発掘・調査と研究を急がなければならない。相変わらず日本は2015年「韓日慰安婦協定」を名分に掲げ、謝罪と賠償を拒否している。歴史の犠牲者にとどまらず、自らの人権回復に向けて名乗り出た被害者の勇気と人権・平和運動家としての活動を今日記憶し、正義と平和の実現を約束する。
(お問い合わせ japan@hani.co.kr )
韓国語原文入力:2018-08-13 19:10
H.J

(引用終わり)

※注 ヤン・オヘルンさんは、Ruff O'Herne,Jan 。日本で出版されている本「オランダ人『慰安婦』ジャンの物語」では、ジャン ラフ=オハーンと訳されています。


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札幌でも「メモリアルデー」
街角リレートークに「支える会」が参加

札幌では8月11日(土)午後1時から大通公園の一角で記念行事が開かれました。「日本軍『慰安婦』問題の解決をめざす北海道」の会が毎年主催している行事で、「慰安婦」問題にかかわりのある団体、グループから約40人が参加し、1人3~5分の訴えを行いました。通行人の妨害や暴言はなく、若者の飛び入りトークやギターの弾き語りに市民も足を止めて聞き入っていました。「支える会」はことし初めて参加して、植村裁判の現状を報告し、支援を呼びかけました。