2020年3月6日金曜日

植村支援の皆さまへ

東京高裁で植村隆さんが敗訴したことについて、支援グループのひとつ「植村さんを支える仲間たち」がメッセージを発しています。「仲間たち」は朝日新聞時代の同期生と同僚記者、社内の友人らが2015年1月に作った組織です。メッセージにこめられた怒りと願いをブログ読者の皆さまと共有したいと思います。以下に、転載します。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

植村支援の皆さま

ご承知のように、東京高裁も敗訴でした。
植村さんの記事のもとになった1991年11月の金学順さんの聞き取りテープを発見して、取材時の金さんは「キーセン」という経歴には一度も触れなかった 金学順さん自身が「私は挺身隊だった」「(日本軍に)引っ張って行かれた」「武力で私を奪われた」と語っていたことが、法廷で確認されました。それなのに、判決は「(このテープが聞き取り調査の際の金学順の証言の全てを記録したものとは認め難い」と一蹴して西岡氏を免責したのです。
植村裁判は政治案件なのか!?
要するに、記事が事実かどうかに関わりなく、朝日新聞の慰安婦報道が間違っていたのだから、記事を「ねつ造」呼ばわりされても仕方がない、という判決なのです。「ただの慰安婦の訴えなら報道価値は低い」(!)とした札幌高裁判決に続いて、「不当判決」としか言いようがありません。
朝日新聞の慰安婦報道に問題点があったこと、とくに吉田証言の訂正があまりにも遅れたことには、記者はみな痛恨の思いと反省の念を抱いているはずです。ただ、だからといって、事実に基づかない「ねつ造」という誹謗中傷の言論に、司法がお墨付きを与えることにはつながらないはずです。
西岡氏はたんに記事を批判したのではなく、植村記者は「韓国人の義母が理事を務める韓国の運動団体の対日訴訟を有利にするために記事を書いた」「その目的のために金学順さんが訴状で述べていたキーセンの経歴を意図的に書かなかった」と決めつけていました。その主張はどちらも事実ではなかったことが判決でも確認されました。
学者であれ、記者であれ、そこまで書く以上はそれを裏付ける資料のチェックや取材(裏トリ)をするのが常識ではないでしょうか。
司法は、「慰安婦報道攻撃」だけには甘い!
西岡氏は、金学順さんへの取材も、取材テープの入手も、同行した通訳への確認も、何もしていなかったのです。それどころか論拠に使った韓国のハンギョレ新聞の記事の内容をすり替えていて、法廷の本人尋問でそれを認めていました。(『慰安婦報道「捏造」の真実』(花伝社)をご参照)
ふつうの名誉棄損訴訟なら、金学順さんのテープを入手して植村さんの取材に対して「キーセンだった」と述べていたことを西岡氏が立証しなければ免責されなかったでしょう(挙証責任は「ねつ造」と書いた側にある)。高裁判決は、慰安婦報道を攻撃する言論に対してだけ「真実相当性(真実でなくても、そう思い込んだことに相当の事情がある)」を例外的に甘くして認めている、と言わざるを得ません。「強制連行」や「慰安婦」の定義から現政権の見解をうのみにして踏襲する判決が続くことに、「司法は独立した判断を下すはず」という私たちの期待が間違っていたのだろうか、とまで危機感を覚えます。
 
問われているのは、「植村記者は事実を伝えようとして金学順さんの記事を書いたのか、読者をだまそうとして事実を偽った=「捏造」したのか」です。それ以上でも、それ以下でもありません。
 
植村さんは「最高裁へ上告する」と決意しています。 皆様のご支援を引き続きお願いします。

2020年3月5日
「植村さんを支える仲間たち」
呼びかけ人 水野孝昭

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
東京高裁前で(3月3日午後2時半ころ) 写真・白谷達也

2020年3月5日木曜日

高裁判決の注目個所

update 2020/3/6 9:30am
東京控訴審判決の注目部分、4項目を抜粋して収録します。書式は変えてあります。 

【判決書28ページ25行目~31ページ7行目】
(1)は、控訴審で最重要証拠として提出した「金学順さんの証言テープ」についての裁判所の判断。
植村氏は、金学順さんがキーセンについてひとことも語っていなかったことを強調し、西岡氏の「捏造決めつけ」根拠が崩れた、と主張した。しかし、裁判所は、「聞き取り調査の際の金学順の証言の全てを記録したものとは認め難い」「キーセン学校に通っていたとかキーセンに身売りされたなどの韓国各紙の報道等もあった」として、植村氏の主張を退けた。植村氏は証言テープの取得経緯や内容構成について、本人尋問によって詳細な説明をしたいと控訴審で求めていたが、裁判所はそれを却下した上で、証言テープが持つ意味をも否定した。
(2)は、ネット上に現在も掲載されている西岡氏の記事についての裁判所の判断。
植村氏は「金学順さんの証言テープ」などを根拠として記事の削除を求めていたが、裁判所は、「(西岡本人のサイトではないから)容易に記事を削除できる立場にあると認めるに足りる証拠もない」などどして、請求を斥けた。 

第3 当裁判所の判断
3 控訴審における控訴人の主張に対する判断

(1) 平成3年11月25日の証言テープについて
控訴人は、令和元年8月22日になって、平成3年11月25日に金学順の証言を直接聴取した際の「証言テープ」(甲196ないし199)が、関係者宅から偶然発見されたところ、上記「証言テープ」には「キーセン学校に通った」 とか「キーセンに身売りされた」 旨の証言はなく「キーセン」という単語さえ出てこなかったから、これを再現した原告記事Bで「キーセンに身売りされた」事実を記載しなかったことは当然であって、「意図的に事実と異なる記事を書いた」とはいえない旨主張する(なお、被控訴人らは、上記「証言テープ」及びこれに基づく主張は、時機に後れた攻撃又は防御の方法と言わざるを得ないから却下すべきである旨主張するが、上記攻撃防御方法の提出が控訴人の故意又は重過失により時機に後れたとか、これにより訴訟の完結を遅延させることになるなどと認めるに足りる証拠はないから、上記主張には理由がない。) 。
しかしながら、上記聞き取り調査に同席した市民団体「日本の戦後責任をハッキリさせる会」(代表である臼杵敬子が通訳として立ち会った。控訴人理由補充書(1))の同証言の記録(「ハッキリ通信」1991年第2号。甲14)においても、金学順は、義父を好きになれず反発して何度か家出した末「結局、私は平壊にあったキーセンを養成する芸能学校に入」ったとの経緯(これは平成3年8月当時の韓国内の新聞報道の内容に整合している。前記認定事実(4)ア)が記載されていることに照らすと、上記「証言テープ」が上記聞き取り調査の際の金学順の証言の全てを記録したものとは認め難い(上記「証言テープ」に録音されていない証言内容があること自体は、控訴人も認めている[甲220]。また、控訴人自身、反論の手記[甲9]、陳述書[甲115]及び原審における原告本人尋問において、金学順は「養父」については「全く語らなかった」とする一方、「キーセン学校」については「あまりキーセンということに重きを置いていなかった」、「キーセン学校に通ったという事実は述べられていたと思うが、キーセン学校に通ったことと慰安婦にされたことを結びつけて考えなかった」ので記載しなかった旨述べており、上記主張とは整合しない。甲9、115)。
加えて、前記のとおり、原告記事B の執筆時点においては、金学順の経歴につき、キーセン学校に通っていたとかキーセンに身売りされたなどの韓国各紙の報道等もあったのであるから、被控訴人西岡が、控訴人がこの経緯を知っていたが、このことを記事にすると権カによる強制連行との前提にとって都合が悪いためにあえてキーセンに関する経緯を記載しなかったと考えることには相応の合理性があるというべきである。控訴人の上記「証言テープ」に基づく主張には理由がない。


(2) インターネット記事による名誉棄損行為(西岡論文B)について
控訴人は、インターネット記事による名誉棄損行為は、名誉段損に該当する言質を日々公開し続けているという意味で、投稿日から削除日までーつの行為が継続しており、全体で一個の継続的不法行為であると解すべきであり、その当然の帰結として、相当性の判断時点は、名誉段損を内容とする記事の公表が終了した時点(削除時点)となる、本件訴訟で提出された全ての資料、とりわけ、控訴審で提出した金学順の「証言テープ」(甲196ないし199)により、①原告記事Bは「事実と異なる記事」ではないこと、②金学順は、名乗り出た当初から、キーセンの検番に売られたという事実を一貫して述べていたわけではないこと、③控訴人に「事実と異なる記事を書く」意図がないことの3つが確実に立証されたから、少なくとも、この点について相当性が認められる余地はなく、いまだ削除されていない西岡論文Bについての削除請求及び損害賠償は認められるべきであるなどと主張する。
しかしながら、本件ウェブサイトへの西岡論文Bの掲載は一回的な行為でーあり、当初の執筆・投稿で終了している上、被控訴人西岡が本件ウェブサイト(被控訴人西岡とは別の主体である「歴史事実委員会」のサイトである。)から容易に記事を削除できる立場にあると認めるに足りる証拠もないから、本件ウェブサイト上から西岡論文Bが削除されていないことをもって、被控訴人西岡が継続的に掲載行為を行っているとは認め難い。また、この点を措いても、上記「証言テープ」に基づく控訴人の主張に理由がないことは前記(1)で述べたとおりであり、控訴人主張に係る上記各事実が確実に立証されたとは認められない。投稿時から現時点までにおける資料等をもとに判断したとしても、西岡論文Bの摘示事実については、真実相当性が認められるというべきである。


【判決書17ページ16行目~21ページ12行目】
判決の根幹となる西岡氏の名誉棄損表現の「真実相当性」についての判断部分。
判決は植村氏の記事について、キーセン身売りの経歴を知っていたとまでは認められない」「あえてこれを記事にしなかったとまで認めることは困難である」として、意図的な虚偽報道=捏造ではない、と明確に判断している(太色字部分)。その上で、一審判決と同じ論法で、当時、キーセン経歴にふれた報道や著作が多数あったことをあげて、西岡氏の「真実相当性」を認めている。
注=頁、行数の表記は一審判決のもの。 

第3 当裁判所の判断
2 原判決の補正

(53)3924行目から4019行目の末尾までを以下のとおり改める。
「ア西岡論文について
上記2(2)で検討したとおり、西岡論文の各記述は、控訴人は金学順が経済的困窮のためキーセンに身売りされたという経歴を有していることを知っていたが、このことを記事にすると権力による強制連行との前提にとって都合が悪いため、あえてこれを記事に記載しなかった(裁判所認定摘示事実1)控訴人が、意図的に事実と異なる記事を書いたのは、権カによる強制連行という前提を維持し、遺族会の幹部である義母の裁判を有利にするためであった(裁判所認定摘示事実2)との各事実を摘示するものと解するのが相当である。
(ア)裁判所認定摘示事実について
前記認定事実(3)のとおり、平成11日付けの原告記事は、控訴人が挺対協の事務所において、金学順の発言が録音されたテープ及び尹や挺対協のスタッフからの聞き取り等の取材結果をもとに執筆した記事であるが、上記録音テープその他控訴人の取材内容を証するに足りる資料は現存せず、上記録音テープ等における、慰安婦になった経緯についての金学順の発言内容ほ必ずしも明らかではない。
もっとも、控訴人は、金学順からの聞き取りを行った尹からの「金学順はだまされて従軍慰安婦にされた」との取材結果(前記認定事実(3)イ)も踏まえ、原告記事Aにおいて「女性の話によると、中国東北部で生まれ、17歳の時、だまされて慰安婦にされた」と記載しているのであるから、金学順は、上記録音テープにおいて「だまされて慰安婦にさせられた」と発言していたものとみるのが自然である。
また、前記認定事実(4)ないし(6)のとおり、金学順が同月14日に開いた共同記者会見に関する韓国内の新聞報道、北海道新聞社による金学順に対する単独インタビューの報道、平成年訴訟の訴状における金学順に関する主張、「月刊宝石」(平成月号)の臼杵敬子の論文等における金学順の経歴に関する内容は、総じて「キーセンの検番」とか「キーセン学校」などの経歴に触れているものの、慰安婦になった直接の経緯については、養父ないし義父等が関与し、営利を目的として人身売買により慰安婦にさせられたことを示唆するものもあるが、養父等から力づくで引き離されたというものもあって必ずしも一致していない。
以上によれば、控訴人が原告記事A執筆当時、「金学が経済的困窮のためキーセンに身売りされた」という経歴を有していることを知っていたとまでは認められないし、原告各記事執筆当時、「権力による強制連行との前提にとって都合が悪い」との理由のみから、あえてこれを記事にしなかったとまで認めることは困難である。
しかし、被控訴人西岡が西岡論文を執筆するに当たって閲読した、ハンギョレ新聞の平成15日付けの記事(甲67) には「生活が苦しくなった母親によって14歳の時に平壌にあったキーセンの検番に売られていった。年間の検番生活を終えた金さんが初めての就職だと思って、検番の義父に連れられて行った所が(中略)日本軍300名余りがいる小部隊の前だった。」との記載があること、平成年訴訟の訴状(乙22 )には「家が貧乏なため、金学順も普通学校を辞め、子守りや手伝いなどをしていた。金泰元という人の養女となり、14歳からキーセン学校に年間通ったが、1939年、17歳(数え)の春、『そこへ行け金儲けができる』と説得され(中略)養父に連れられて中国へ渡った」との記載があること、「月刊宝石」(平成月号)の臼杵論文(乙10)には「14歳のとき、母が再婚したのです。私は新しい父を好きになれず、次第に母にも反発しはじめ、何度か家出もしました。その後平壌にあった妓生専門学校の経営者に40円で売られ、養女として踊り、楽器などを徹底的に仕込まれたのです。ところが、17歳のとき、養父は「稼ぎに行くぞ」と、わたしと同僚の「エミ子」を連れて汽車に乗ったのです。」との記載があることからすれば、被控訴人西岡は、上記各資料等を総合して、金学順が経済的困窮のためにキーセンに身売りされ、養父により人身売買により慰安婦にさせられたものであり、金学順が自らその旨述べていると信じたと認められる。
そして、上記各資料のうち、上記は、金学順の共同記者会見の内容を報じだ韓国紙(民主化運動の中で創刊しリベラルな論調で知られる主要紙)の記事であり、同会見を報じた韓国各紙の報道ともおおむね一致する内容であったこ と、上記は、平成3年訴訟を提起するに当たり訴訟代理人弁護士らが金学順から聞き取った内容をまとめたものであること、上記は、平成年訴訟の支援団体の代表を務めるジャーナリストが金学順と面談した内容を論文にしたものであり、いずれもその性質上、あえて金学順に不利な内容を記載することは考え難いことからすると、被控訴人西岡が上記各資料等を総合して上記のとおり信じたことについては相当の理由があるというべきである。
そして、上記各資料の内容及び発表時期に加え、原告各記事の執筆当時、朝日新聞社は吉田供述を紹介する記事を掲載し続け、これに依拠して従軍慰安婦に関し日本軍等による強制連行があったとの立場を明確にして報道していたこと(認定事実(1)イ及びウ)、国会でも当時、強制連行の有無が大きな争点とされていたこと(同工(ア)及び(イ))、養父等による人身売買ということになれば、日本軍等による強制連行とは全く異なってしまうことを総合すると、被控訴人西岡が、控訴人は、金学順が経済的困窮のためキーセンに身売りされたという経歴を有していることを知っていたが、このことを記事にすると権力による強制連行との前提にとって都合が悪いため、あえてこれを記事にしなかったと考えたことは推論として相応の合理性があり、被控訴人西岡が上記各資料等を総合して上記のとおり信じたことについては相当の理由があるというべきである。
控訴人は、キーセンは芸妓であり、娼妓と違って性売買が予定されていなかったと主張する。しかし、本件検証記事(甲30)においても、「韓国での研究によると、学校を出て資格を得たキーセンと遊郭で働く遊女とは区別されていた。」としつつ、「中には生活に困るなどして売春行為をしたキーセンもおり、日本では戦後、韓国での買春ツアーが「キーセン観光」と呼ばれて批判されたこともあった。」と記載され、本件調査報告書(乙24)において「(原告記事)がキーセン学校のことを書かなかったことにより、事案の全体像を正確に伝えなかった可能性はある。植村による「キーセン」イコール慰安婦ではないとする主張は首肯できるが、それならば、判明した事実とともに、キーセン学校がいかなるものであるか、そこに行く女性の人生がどのようなものであるかを描き、読者の判断に委ねるべきであった」とされていることからも見とれるように、日本の新聞読者においては、「キーセンに身売りされた」との経歴は、(それが正しいかどうかはともかく)、「慰安婦として人身売買された者」とのイメージを抱かせ、このことは、日本軍による強制連行との前提に疑間を抱かせる事実であるから、少なくとも、被控訴人西岡において、上記のとおり信じたこと、には相当の理由があるというべきである。」


【判決書21ページ20行目~22頁5行目】
西岡氏の「捏造決めつけ」の根拠となっている「義母便宜説」についての判断部分。
植村氏の義母が役員を務める団体が日本政府に対して提訴することを、植村氏は知らなかった。だから、「義母の裁判を有利にするために事実と異なる記事を書いた」との事実は「真実であるとまで認めることは困難である」と断定している(太色字部分)。西岡氏の根拠は完全に崩れた。植村氏の記事は捏造ではない。
注=頁、行数の表記は一審判決のもの。 

第3 当裁判所の判断
2 原判決の補正

(56)41頁4行目の「原告の義母」から同6行目の「約4か月前に掲載され」までを以下のとおり改める。
原告記事の執筆時点において、控訴人が、義母の裁判(平成年訴訟)の提訴予定を知っていたことを認めるに足りる証拠はなく、控訴人が「義母の裁判を有利にするために事実と異なる記事を書いた」との事実が真実であるとまで認めることは困難である。
もっとも、控訴人の義母が幹部を務める遺族会の会員らは、平成1029日に日本政府を被告として公式謝罪と賠償を求める訴訟を提起していたこと(乙20)、さらに、平成12日には金学順も原告となって平成年訴訟を提起したこと、平成年訴訟の原告らは日本軍が従軍慰安婦を女子挺身隊の名で強制連行したと明確に主張していたこと、原告記事は平成年訴訟提起の約か月前に掲載され(遺族会の当時の活動状況等や平成年訴訟の内容等に照らすと、提訴までに相当長期間の準備期間を要したものと考えるのはむしろ自然である。)」



判決書を個条書きで書くことが許されるのか!
全32ページ(本文31、別紙1)の高裁判決書は、一審判決書に比べひとまわり小ぶりになっている(一審は63ページで、本文50、別紙13)。しかも、判決の本体をなす「第3 当裁判所の判断」(4~31ページ)の大半は、一審判決の補正(加筆と修正)を箇条書きにしたもので、その項目は73に及ぶ。
とくに加筆の多さが目立つ。
そのほとんどは、西岡氏の主張を合理づけるために一審判決が引用した同氏の著作や朝日新聞社の第三者委員会報告書の部分に、さらに引用を追加するものとなっている。たとえば、西岡氏が初めて植村氏の記事を批判した「文藝春秋」1992年4月号について、一審判決は5行でその内容を紹介しているが、高裁判決書は、「末尾に以下のとおり加える」として、35行も追加している。裁判所が屋上屋を重ねて、西岡氏の植村批判を援護しているのである。
一方、修正は不必要なものが多い。たとえば、「署名記事」を「署名記事(写真なし)」に、「新聞報道」を「新聞報道(いずれも金学順の写真付きで大きく扱われている)」としたり、植村氏の韓国語習得経歴について、「朝日新聞社に籍を置きつつ、ソウルで」を「朝日新聞の語学留学生として延世大学校で」とするなど、本筋からはずれる「修正」が次から次と出てくる。
加筆と修正の72項目は文字通り箇条書きで連続して書かれている。各項目をつなぐ、いわゆる地の文はまったくない。だから、高裁判決を正確に読み解くためには、一審判決書を手元に置き、加筆と修正をそれぞれの該当箇所に置き換えて読まなければならない。法律の門外漢とっては、初めて見る形式の判決書であり、たいへんな苦行を強いられる。それでも、法律のプロたちには通用する文書形式なのだろうか。
高裁判決書の根幹の「判断部分」で、「補正」とは別に、新たに書き下ろされているのは、上掲の「第3 当裁判所の判断 3 控訴審における控訴人の主張に対する判断(1)(2)」だけである。
オリジナルな判決書というよりは、校正指示書か、完成前の推敲版といったほうがいい。
これまでにない後味の悪さ、不快感がこの判決書には残る。判決の内容だけでなく、その書きぶりにもよるところ大である。
text by HN

写真=高裁判決書の一部(4~6ページ)



2020年3月4日水曜日

高裁判決3紙の記事


■朝日新聞 3月4日付

慰安婦報道訴訟、二審も請求棄却 
元朝日記者、上告へ

元慰安婦の証言記事を「捏造(ねつぞう)」とコメントされ名誉を傷つけられたとして、元朝日新聞記者で「週刊金曜日」発行人兼社長の植村隆氏が西岡力・麗沢大客員教授と「週刊文春」発行元の文芸春秋に損害賠償などを求めた訴訟の控訴審判決が3日、東京高裁で言い渡された。白石史子裁判長は原告の控訴を棄却した。原告側は上告する方針。
植村氏は1991年、韓国人元慰安婦金学順(キムハクスン)氏の証言を朝日新聞で記事にした。西岡氏が週刊文春2014年2月6日号で「捏造記事と言っても過言ではありません」とコメントしたことで名誉を傷つけられたなどとして、植村氏が15年に提訴した。
東京地裁は19年の判決で、記事は「金氏が女子挺身(ていしん)隊の名で戦場に連行され、慰安婦にさせられた」という内容だと認定。植村氏が「意図的に事実と異なる記事を書いた」とし、西岡氏の記述には真実性があると判断し、植村氏の請求を棄却した。東京高裁は、地裁判決をほぼ踏襲した。
西岡氏は、金氏がキーセン(妓生)に身売りされた経歴について植村氏は「認識しながら、あえて記事にしなかった」と主張していた。高裁判決は、植村氏が執筆時に「キーセンの経歴を知っていたとまでは認められないし、あえて記事にしなかったと認めるのは困難」と判断したが、西岡氏がそう信じたことには「相当の理由がある」と認め、西岡氏を免責した。
植村氏は「結論ありきの不当判決」と批判。西岡氏は「公正な判断が下された」、文芸春秋は「当然の判決」とコメントした。(編集委員・北野隆一)

■弁護士ドットコム 3月3日配信

慰安婦報道めぐる名誉毀損訴訟
元朝日・植村氏の控訴棄却 「極めて不当」
文藝春秋「当然の判決」

かつて執筆した「慰安婦問題」に関する記事について、「捏造」などと書かれて、名誉を傷つけられたとして、元朝日新聞記者の植村隆さんが、麗澤大学客員教授の西岡力さんと『週刊文春』を発行する文藝春秋を相手取り、損害賠償などをもとめた訴訟の控訴審判決が33日、東京高裁であった。
白石史子裁判長は、請求を棄却した1審判決を支持して、植村さんの控訴を棄却する判決を言い渡した。判決後、植村さん側は判決を不服として、上告する方針を示した。一方、西岡さんは「公正な判断が下された」、文藝春秋は「当然の判決と受け止めている」とコメントした。
植村さんは1審も敗訴した
ことの発端は、植村さんが19918月と12月に執筆した記事までさかのぼる。
当時、朝日新聞記者だった植村さんは、元慰安婦の聞き取り調査をしていた韓国の団体から音声テープの公開を受けて、元慰安婦と名乗り出た女性(金学順さん)の証言にもとづいて記事を書いた。
その記事に対して、西岡さんは201212月ごろから201411月にかけて、「意図的に事実を改ざんした」「悪質な捏造」とする論文を発表して、著書やウェブサイト、雑誌に投稿した。
また、『週刊文春』(201426日号)も、西岡さんの「捏造記事と言っても過言ではありません」というコメントが入った「"慰安婦捏造" 朝日新聞記者がお嬢様女子大教授に」と題する記事を掲載した。
植村さんは20151月、「捏造はしていない」として、西岡さんと文藝春秋を相手取り、計2750万円の損害賠償や、謝罪広告の掲載などをもとめる訴訟を起こした。
しかし、1審・東京地裁は、西岡さんの記事は、植村さんの社会的評価を低下させるとしながらも、真実性・真実相当性があるとして、植村さんの請求を棄却していた。
植村さん「これ以上、捏造記者と言われなくなる」
控訴審の判決後、植村さんは東京・霞が関の司法記者クラブで会見を開いて、「極めて不当な判決だ」と述べた。
さらに「この不当な判決を放置するわけにはいきません。このままではフェイクニュースを流し放題という大変な時代になります。最高裁で逆転判決を目指したいと思います」として、上告する方針を示した。
植村さんの弁護団は、控訴審判決について、真実性・真実相当性について言及した最高裁判決(昭和44625日)と相反する判断があるなどとして、「結論先にありきの、あまりに杜撰な判決だ」と批判した。
一方で、東京高裁が、植村さんが(1)金学順さんがキーセン身売りされたという経歴を知っていたのにあえて記事にしなかった、(2)義母の裁判を有利にするため意図的に事実と異なる記事を書いた−−という点について、「真実であると認めることはできない」と判断したことは評価した。
こちらについては、植村さんも会見で「ずっと『捏造記者』と言われてきたが、これ以上、『捏造記者』『捏造記事を書いた』と言われなくなる。大きな前進だと思います」と語った。
西岡さん「東京地裁に続き、完全勝訴の判決をいただいた」
文藝春秋は、弁護士ドットコムニュースのメール取材に「当然の判決と受け止めています」と回答した。
また、西岡さんは、文藝春秋を通じて「東京地裁に続き、完全勝訴の判決をいただくことができました。公正な判断が下されたと考えます。司法でなく言論の場で議論していくことを強く望みます。関係者のご努力、多くの方々の励ましに心から感謝いたします」とのコメントを発表した。


■ハンギョレ 3月4日付
日本軍「慰安婦」被害者を初めて報道した植村氏
東京高裁での訴訟でも敗訴
「捏造」と攻撃した西岡力氏相手に訴訟 
東京高裁「真実の相当性を認める」とし、請求を棄却 
植村氏「歴史的事実を消そうとする勢力がいる」として上告

故・金学順(キム・ハクスン)さんの日本軍「慰安婦」被害事実を初めて報道した植村隆・元朝日新聞記者(現『週刊金曜日』社長)が、自分の記事を「捏造」だと攻撃した右翼知識人を相手に東京で起こした訴訟で再び敗訴した。
東京高等裁判所は3日、植村氏が西岡力・麗澤大学客員教授と西岡氏の文章を掲載した雑誌の出版社の文藝春秋を相手に損害賠償金2750万円と謝罪広告掲載を求めて起こした訴訟で、棄却の判決を下した。
裁判所は、西岡氏が植村氏の書いた記事を「捏造」だと攻撃したことについて、捏造と信じられる真実の相当性が認められるという原審判決を維持した。
西岡氏は2014年、文藝春秋が発行する週刊誌『週刊文春』に、植村氏が書いた慰安婦被害記事が「捏造」であると攻撃する文章を載せ、その後植村氏は「娘を殺す」と脅迫する手紙が届くなど大きな苦痛を味わった。植村氏は2015年、西岡氏と文藝春秋が自分の名誉を毀損したとし、東京地方裁判所に訴訟を起こしたが、昨年一審で敗訴した。
植村氏は朝日新聞記者時代の1991年、故・金学順さんの証言録音テープをもとに日本軍「慰安婦」被害に対する記事を書いた。20年後、西岡氏など日本の右翼知識人らが植村氏の書いた記事に「女子挺身隊という名で戦場に連行され」という部分を問題視した。挺身隊は軍需工場の勤労動員で日本軍「慰安婦」とは違うのに挺身隊という用語を使ったと攻撃した。だが、日本軍「慰安婦」被害が広く知られる前の1990年代初めには日本のメディアの大半も政治的性向にかかわらず、挺身隊という単語を日本軍「慰安婦」被害にも使用していた。
植村氏は判決後の記者会見で「直ちに上告する」意向を明らかにした。植村氏は西岡氏が2014年に『週刊文春』に書いた文章で、故・金学順さんが親に売られていったと(日本政府に対する訴訟の)訴状に書き、韓国メディアの取材にもそう答えたと書いた点を指摘し、全部事実と異なると述べた。「訴状にもそのような供述はなく、韓国メディアは『ハンギョレ新聞』と指しているがそのような内容はない」とし、「西岡氏の文章には重大な欠点がある」と指摘した。
弁護人は「最高裁も名誉毀損裁判の場合は真実の相当性を厳格に解釈している。高裁は推論として相当な合理性があるとの判決を下したが、これは判例とも食い違う重大な問題だ」と話した。
植村氏は「日本は歴史で直視しなければならない事実がある。これを消し去ろうとする勢力がある」とし、「今回の不当判決を放置することはできない。このままでは皆さんも記者会見の壇上に上がる可能性がある」と述べた。
これに先立ち、先月6日、札幌高等裁判所は植村氏が他の右翼知識人の桜井よしこ氏などを相手に起こした損害賠償訴訟でも、東京高裁と同様の趣旨で原告敗訴の判決を下した。
東京/文・写真 チョ・ギウォン特派員 =原文韓国語
 (お問い合わせ japan@hani.co.kr )

2020年3月3日火曜日

update 2020/3/3 pm9:25
update 2020/3/4 pm10:45


高裁前抗議行動の動画は こちら 
パスワード 20200303)
速報! 東京高裁 西岡力、文春を免責
植村隆氏の控訴を全面的に棄却
またも不当判決
植村裁判 東京訴訟控訴審

判決言い渡しは3月3日午後2時から東京高裁であり、白石史子裁判長は、西岡力氏と文藝春秋を免責した一審判決を支持し、植村隆氏の控訴をすべて棄却した。

101号法廷の弁護団席には、植村氏側は15人が着席、西岡・文春側は喜田村洋一弁護士ひとりで、西岡氏は今回も出席しなかった。傍聴席最前列には、作家の北原みのりさん、ジャーナリストの伊藤詩織さん、安田浩一さんが座った。新聞労連委員長の南彰さんやジャーナリストの江川紹子さん、ピアニストの崔善愛さんの姿もあった。定員95の一般傍聴席には70人が着席した(開廷前の傍聴抽選には47人が並んだが、抽選はなかった)。集まりが少なかったのは、折からの新型肺炎流行の影響だろう。


白石裁判長は主文を読んだだけで退廷した。裁判はわずか10秒ほどで終わった。
札幌高裁に続いて、またも敗訴判決である。法廷内から驚きの声はあがらず、淡々としているように見えた。一審からすべての弁論を傍聴してきた元高校教師の安達洋子さんは「不当判決。安倍最高裁だから」とつぶやいた。写真家のT.Sさんは、「裁判長はコロナから逃げるようにして出て行った」と憤った。

結論ありき、揚げ足取り、粗探しの判決だ(神原)■■ネトウヨを煽ったのは文春、西岡、櫻井氏だ(北原)■■ジャーナリズムの危機だ、上告して闘いたい(植村)




午後2時20分ごろから、裁判所の前の歩道で抗議行動が始まった。「不当判決」の掲示をかざす原告弁護団の永田亮弁護士を囲むようにして、「#捏造ではない」のメッセージボードを掲げた支援者が並ぶ。韓国の支援団体が用意した横断幕も広げられた。
支援者に向かって、神原元・弁護団事務局長、作家の北原みのりさん、植村さんが順に、次のように語りかけた。植村さんは「上告して闘う」と決意を明らかにした。

■神原弁護士 控訴審で私たちは元慰安婦の金学順さんの聞き取りテープを提出した。このテープで金学順さんは「キーセン」とは言っていない。だから、証言していないことは書けない、と主張した。これに対して裁判官は、「提出されたテープが金学順の証言のすべてなのかどうかわからない」「聞き取り調査すべてを記録したとは認め難い」と、勝手に決めつけた。また、西岡氏がウェブサイトに間違った文章をいまだに削除せず掲載していることについては、「西岡が削除権限を持っているかわからない」などと述べた。これは、裁判では議論にもなっていない理由で棄却したことになる。植村裁判を通して、金学順さんの証言に対する攻撃は不当であり、キーセンにいたのだから被害者ではない、といっている。中身への判断がなく、揚げ足取りに終始している。きわめていい加減、結論ありきの、あら探しをした判決と言わざるを得ない。
■北原みのりさん 先月にあった札幌高裁判決の「単なる慰安婦」という表現に傷つき、怒りがわいた。植村さんのことは応援していたが、行動を起こせなかった。嫌韓や慰安婦問題で2014~15年、言論が暴力化し、闘う気力がそがれていた。植村さんに敬意を表したい。いま「慰安婦はなかった」ことにされている世論ができあがっている。ネトウヨ女性に取材したが、みな「慰安婦は噓」といっていた。それをあおったのが文春であり、西岡、櫻井氏らの大きな罪だ。昨年、金福童さんが亡くなり、ほとんどの「慰安婦」被害者が亡くなる中、それでも未来を変えて希望をもとうという動きがでている。だまっているわけにはいかない。日本のひどい状況を変える空気をつくっていきたい。一緒に社会を変える。人権から言論が発展するように、ともに闘いたい。

■植村隆さん 主文を読み上げただけで裁判長は逃げました。金学順さんの話を聞いたテープが見つかったので、それを全部起こして裁判所に提出した。ところが裁判長は「全部録音されているのかわからない」と言って、最大の証拠を正当に評価しなかった。このような判決が認められたら、ジャーナリズムの危機だ。私だけの問題ではない。金学順さんの証言を伝えただけで、 なぜ私がここまで言われるのか。ほかのだれも攻撃されないのに、ずっと攻撃されたのは、慰安婦をなきものにしようという大きな狙いがあるからだ。裁判所も、慰安婦の証言を伝える者には厳しい。なきものにしようという人をほったらかして、罪はないという。2014年の文春の記事で、激しい攻撃が大学や私に及んだ。バッシングについては、被告側の喜田村弁護士も批判していた。私は救済を求めたが、過去に向き合う者には厳しく、否定する者には寛大な判決が下された。しかし最高裁が残っている。上告して闘いたい。




写真 白谷達也

不当判決に抗議する


■弁護団声明

元朝日新聞記者植村隆氏が、元「慰安婦」金学順氏の証言に関する91年の新聞記事を巡って、株式会社文藝春秋と西岡力氏を訴えた訴訟の控訴審で、東京高等裁判所は、本日、植村隆氏の控訴を棄却する判決を下した。西岡氏らの論文や「週刊文春」の記事が名誉毀損に当たることは認めつつ真実性・真実相当性の抗弁を認めた東京地裁判決を、ほとんどまともな検討を経ることなく追認した、極めて不当な判決である。

西岡氏らは、植村記事について「妓生にいたという金学順氏の経歴を書いてないから捏造だ」という趣旨を主張してきた。植村氏は、控訴審において、91年12月の記事の基となった、金学順氏の証言テープを証拠提出した。証言テープの中には妓生についての証言はなかった。証言者が証言していないことを記事に書かないことが「捏造」になるはずがない。ところが、控訴審は、当該証言テープが金学順氏の証言全てを記録したものとは認めがたい等と信じがたい言いがかりをつけてその証拠力を否定した。そのような主張は相手方からもなされておらず、テープの成立過程を立証するために申請した本人尋問も却下されている。高裁の判断は、弁護団から反論の機会を奪った不意打ち認定であり、到底許されない。

判決は、8月の植村記事中「女子挺身隊の名で」という記載は「強制連行を意味する」との前提で、植村氏は意図的に事実と異なる記事を書いたとの一審の認定を維持している。しかし、そもそも、8月の記事には、はっきりと「だまされて慰安婦にされた」と書いてあるではないか。植村氏において強制連行をでっち上げようという悪しき意図があったとすれば、「だまされて慰安婦にされた」等と書くわけがない。本件判決の認定は常識をはるかに逸脱している。

以上からすれば、本件判決は結論先にありきの、あまりに杜撰な判決であると批判せざるを得ない。

他方、高裁判決は、①植村氏が、金氏の、キーセンに身売りされたという経歴を知っていたのにあえてこれを記事にしなかった事実、②植村氏が義母の裁判を有利にするために意図的に事実と異なる記事を書いたとの事実については、いずれも真実と認めることはできないとした。これは控訴審の大きな成果であり、植村氏の名誉が一部であれ回復した。

弁護団は、本件審理の過程で、植村氏の記事が捏造ではないことを完全に立証し、同氏の名誉を回復すると同時に、元「慰安婦」の尊厳回復の運動を力強く支えたと信じる。これら、1審、2審の成果を踏まえ、最高裁で戦い抜く所存である。

以上

2020年3月3日
植村隆弁護団



■控訴人声明

本日、東京高裁で、西岡力氏らを名誉毀損で訴えた植村東京訴訟の控訴審判決が言い渡されました。一審に続いて、私は敗訴しました。極めて不当な判決だと思います。

西岡氏は2014年2月6日号の『週刊文春』の記事で、私が書いた元日本軍「慰安婦」金学順さんの証言記事Aを「捏造」と決めつけるなど、私に対する「捏造」攻撃を繰り返してきました。これがきっかけで、激しい「植村捏造バッシング」が起きました。私は内定していた大学の教授職を失い、「娘を殺す」という脅迫状も送られてきました。

私は2015年1月に西岡氏らを訴えました。自分の名誉、家族の安全、勤務先の学生らの安全、そして、元「慰安婦」の金さんの尊厳を守るための闘いでした。

本日の高裁判決では、西岡氏が、私の記事を「捏造」と主張している三つの点の二つについて、真実とは認めない一方で、信じるには「相当な理由」があるとして、西岡氏を免責しました。西岡氏は私に直接取材をしておりません。しかも、西岡氏は私の記事を捏造記事と断定する際にも、決定的な誤りを犯していました。それが、一審では明らかになりました。

この文春の記事を見てください。「このとき名乗り出た女性は親に身売りされて慰安婦になったと訴状に書き、韓国紙の取材にもそう答えている」とあります。しかし訴状でも、韓国紙の取材にも、金学順さんは、そう答えてなかったのです。「捏造」批判の前提自体が、間違っていたのです。

また西岡氏は、私の記事Bについて、著書『よくわかる慰安婦問題』で、金学順さんがキーセンに売られたことを書かなかったから、「悪質かつ重大な捏造」だと決めつけました。私たちは、この言説を打ち崩す、新たな証拠を発見し、高裁に提出しました。日本政府を相手取った訴訟を準備していた金さんが初めて弁護団の聞き取り調査に応じた1991年11月25日録音のテープです。ここで金さんは「キーセン」について一言も言っていませんでした。私はこのテープに基づき記事Bを書きました。

ところが、高裁判決は、その新証拠を正当に評価しませんでした。そして、西岡氏の決定的な誤りも見過ごしています。結論ありきの判決だと思います。

「植村捏造バッシング」の張本人は、西岡氏です。彼の言説を受けて、大勢の人がバッシングに加わりました。私の勤務していた大学を電話で脅迫した男が逮捕され、罰金刑を受けました。私の娘をツイッターで誹謗中傷した会社員はその責任が問われ、賠償金を支払い続けています。しかし、本日の判決では、その張本人が免罪されたのです。

この問題は植村だけの問題ではありません。あすは記者の皆さんに降りかかるかもしれないのです。この不当判決を放置する訳にはいきません。このままでは、フェイクニュースを流し放題という大変な時代になります。即刻上告し、最高裁で逆転判決を目指したいと思います。

以上

2020年3月3日

植村隆