~メディアと教育への政治介入の果てに
池田恵理子■アクティブ・ミュージアム「女たちの戦争と平和資料館」wam館長
池田恵理子さんのプロフィルは、文末にあります。
私は仲間たちと2005年から、東京の西早稲田で「慰安婦」の証言と資料を集めた小さな資料館・wamを運営してきたが、このところ、「慰安婦」問題の解決が益々難しくなってきた…と感じている。「慰安婦」支援団体では毎月第3水曜日、新宿駅西口でアピール行動を行っているが、ビラを受け取ってくれる人は少なく、関心も薄い。「慰安婦」問題は2015年末の「日韓合意」でもう解決したと思っている人が多く、「あなたたち、朝鮮人?」などと反韓感情をぶつけてくる人もいる。ところが韓国の世論では「日韓合意」への批判は強まるばかりで、問題は一層ねじれてきた。
日本では右派によるバッシングで中学校の歴史教科書から「慰安婦」の記述が消えていき、学校で「慰安婦」問題を教えることが困難になっている。メディアは「慰安婦」問題をタブー視して自粛し、ネットには「慰安婦」否定の出鱈目なフェイク情報が溢れている。右派は、「慰安婦」問題は国内では勝利したので、主戦場は海外に移した…と息巻いているほどだ。
2年前、日本を含むアジア8カ国の民間団体が、「日本軍『慰安婦』の声」をユネスコの世界記憶遺産に登録申請したが、右派と日本政府による猛烈な妨害と圧力で保留になっている。日本での申請の中心にいるwamは、高橋史朗、櫻井よしこらに産経新聞や週刊新潮などで猛烈なバッシングを受け続け、「朝日赤報隊」を名乗る者から2度も爆破予告の脅迫状まで送りつけられた。
このように、今の日本は「記憶の暗殺者」たちによって、非常に危ういところに来てしまったのだ。ジャーナリストの故むのたけじさんは、「今の日本は、戦争に突入する前の日本とあまりに似ている」と言っていた。ファシズム政権は、報道と教育を抑えて国民をマインドコントロールする。ナチスドイツでも大日本帝国でも同様だった。今の日本にも、それが当てはまるように思えてならない。
政治家介入によるNHK番組改ざんーー放送史に残る重大な事件
「慰安婦」報道がめっきり減ってきたのは、1990年代後半からだった。NHKのディレクターだった私は、「慰安婦」番組を95年、96年で7本作ったが、97年以降は1本も企画が通らなくなった。
1991年、韓国の金学順さんが「慰安婦」にされたと名乗り出た後、次々とアジア各国の被害女性が名乗り出てから、世界人権会議(ウイーン会議)、北京の世界女性会議、国連人権委員会などで、日本軍「慰安婦」制度は重大な戦時性暴力であり人権侵害で、戦争犯罪であるとされた。被害女性たちは、日本政府に謝罪と賠償を求めて民事裁判を起こした。しかし、これら10件の裁判では8件で事実認定はされたが、「条約や協定で解決済み」とか、時効、国家無答責などを理由に全て敗訴となった。
敗訴判決に意気消沈する被害女性たちを見て、加害国・日本の女たちは「慰安婦」制度を裁く「女性国際戦犯法廷」を提案した。被害事実を明らかにし、責任者を処罰する民衆法廷である。これは各国の被害女性や支援団体、世界の法律家たちとの共同作業で準備され、2000年12月に東京で開廷した。世界の新聞・テレビ95社約200人が取材に訪れ、昭和天皇を含む責任者有罪の判決を大きく報じたが、国内の報道は極めて消極的だった。NHKの「ETV2001」は、主催団体も各国起訴状や判決も出さず、日本軍兵士の証言はカット、被害女性の証言もわずかで、法廷を批判する右派の歴史家が登場し、コメンテーターの発言は乱暴な編集で支離滅裂…という異様な番組を放送した。主催団体と松井やより代表は、NHKに説明と謝罪を求めて提訴した。
この裁判が東京高裁で審理中の2005年、番組デスクだったNHK職員の内部告発で、放送直前に安倍晋三官房副長官(当時)らの介入で番組が改ざんされたことが暴かれた。高裁判決(07年)は、NHK側が政治家たちの意を忖度して編集したとして、200万円の賠償を命じた。最高裁では原告敗訴になったが、番組への政治介入がここまで仔細に明らかになることは滅多にない。放送史に残る重大な事件となった。
私はこれで合点がいった。1997年からの「慰安婦」報道の空白は、政治家による介入や圧力がNHK上層部にあったからだと推測できたのだ。ところが現在の日本では、露骨な政治介入やメディアへの圧力は、報道全般に見られるようになっている。自主規制や忖度は当たり前…という忌々しい状況である。
「空白の15年」の始まりーー1997年、右派が教科書攻撃開始
「慰安婦」報道が途絶えた1997年とは、どんな年だったのか。河野官房長官の談話(93年)、村山富市首相談話(95年)を経て、中学の歴史教科書の全て(7社)に「慰安婦」が記述された年だった。危機感を募らせた右派の政治家や文化人は、「慰安婦は戦場の売春婦」「強制連行の証拠はない」として法的責任を認めず、「新しい歴史教科書を作る会」「日本の前途と歴史教育を考える若手議員の会」(安倍晋三事務局長)を結成、教科書会社への猛攻撃を始めた。今の閣僚の大半が所属する右翼団体「日本会議」もこの年に結成された。
教科書会社の社員には、自宅や子どもが通う学校の写真を送りつけられて脅された。やがて教科書の「慰安婦」記述は3社に減り、2社になり、12年度版ではゼロになった。公立の資料館や博物館が「慰安婦」や南京大虐殺などを取り上げると右翼から攻撃を受け、展示の撤去や後退が増えていった。メディアへの規制も強まり、「慰安婦」はニュースでは取り上げても、ドキュメンタリーや調査報道は激減した。「慰安婦」報道の「空白の15年」が始まったのだ。
wamは開館当時から右翼の嫌がらせや脅迫を受けてきたが、当初は一部の“跳ね上がり”行為のようだった。ところが、産経新聞などのメディアを通して櫻井よしこらがwamを公然と批判するようになると、ターゲットとして集中的に攻撃を受けるようになった。
明白な歴史的事実すら確認しようとしない政府
では、それほどまでに彼らが「慰安婦」問題を否定したいのは何故なのか。
日本軍は占領したアジア全域に慰安所を設置したが、この報道は禁じられた。敗戦直前には、各部隊に慰安所関連文書の焼却が命じられた。「慰安婦」制度が戦争犯罪として裁かれる恐れがあったことと、日本軍には「恥ずかしい制度」だという意識があったからだろう。
安倍首相を筆頭とする現代の「慰安婦」否定派は、「慰安婦」は民間業者が連れ歩いたのだから、日本政府に法的責任はないと言う。彼らもまた、アジア太平洋戦争はアジア解放の聖戦であり、「皇軍」には相応しくないから否定したいのだと思われる。しかし、日本軍が慰安所を設置・管理していたという証拠や証言は多数、収集されている。私たちは2014年、慰安所への軍の関与や強制連行の証拠となる2000点以上の資料を集め、内閣府に提出した。内閣府からはその2年後、「処分する」と連絡があったので引き取ったが、政府は明白な歴史的事実すら確認しようとしない。
「慰安婦」問題は初期の段階で被害女性に誠実に対応していたら、とっくに解決できた問題である。被害者が日本政府に求めたのは、加害事実の認定、公的な謝罪と賠償、そして次世代への継承だった。しかし日本政府は被害者に向き合うことなく、「慰安婦」問題を抹殺しようとするばかりだったため、この四半世紀の間に膨大な証言や資料が集められた。日本以外の国々ではこれらが常識になっているが、日本人だけが政府の妨害によって正確な情報を知らされないでいる。
去年11月、ソウルでユネスコ関係の会議があった時、元国連人権高等弁務官のナビ・ピレイさんに一人の日本人が質問をした。「いつまで経っても日本政府を変えることができず、絶望的な気持ちになる」。彼女はこう答えた。「諦めてはいけない。国家が自国の加害を認めるまでには時間がかかる。英国がケニアでの人権侵害を認めて謝罪・賠償するまでに60年、オーストラリアがアボリジニに謝罪するには200年かかった」。
今も世界の紛争地で戦時性暴力は多発している。過去の性奴隷制が戦争犯罪として罰せられなければ、戦時性暴力の根絶は不可能だ。「慰安婦」問題の解決には、日本の政治と社会を変えていかなければならないが、この闘いは時間がかかっても続けていくしかない。だから、植村隆さんの裁判は絶対に勝ってほしいし、勝たねばならないのだと思う。
いけだ・えりこ
1950年東京生まれ。早稲田大学政経学部卒業後、1973年よりNHKディレクターとして「おはようジャーナル」「ETV特集」「NHK特集」などで、女性、教育、人権、エイズ、などの番組を制作。「慰安婦」問題については1991年~96年に8本の番組を放送した。2010年に定年退職。現在はアクティブ・ミュージアム「女たちの戦争と平和資料館」(wam)館長。
「慰安婦」関連の市民活動として、1997年に女性映像集団・ビデオ塾を立ち上げ、「慰安婦」被害者や元日本兵の証言記録を撮り始める。「山西省・明らかにする会」の事務局メンバーとなり、中国の性暴力被害者の裁判支援と調査活動に参加。98年からVAWW-NETジャパンの運営委員として2000年の女性国際戦犯法廷の実行委員となる。2003年からアクティブ・ミュージアム「女たちの戦争と平和資料館」(wam)の建設委員長を経て、05年の開館から運営委員長、2010年9月からは現職。
最近の共著に『暴かれた真実 NHK番組改ざん事件』(2010年)、『日本軍「慰安婦」問題 すべての疑問に答えます。』(2013年)、『NHKが危ない!』(2014年)など。
ビデオ作品としては、『アジアの「慰安婦」証言シリーズ』、『沈黙の歴史をやぶって~女性国際戦犯法廷の記録』(2001年)、『大娘たちの戦争は終わらない~中国・山西省・黄土の村の性暴力』(2004年)、『私たちはあきらめない~女性国際戦犯法廷から10年』(2011年)など。