2018年2月8日木曜日

東京11回集会報告

東京訴訟第11回口頭弁論後の報告集会は、1月31日午後4時30分から国会議事堂近くの参議院議員会館で開かれた。出席者は約100人。会場の101会議室には補助椅子も用意され、ほぼ満席となった。
はじめに弁護団報告が3人の弁護士によって行われた。穂積剛弁護士はこの日の弁論について、神原元弁護士は今後の日程と展開の見通しを、大賀浩一弁護士は札幌訴訟の経過と証人・本人尋問の予定について、それぞれ報告と解説をした。続いて、福島瑞穂参議院議員があいさつした。
メーンの講演は東京新聞の望月衣塑子記者が「記者への攻撃と報道の自由」と題して60分行った。望月氏は、検察取材のエピソードや最近の官邸取材にかかわる自身へのバッシングなどをリアルに語った。官邸会見の再現場面では女流講釈師ふうの口調になり、官房長官のセリフの声色も飛び出した。
集会の最後に植村氏が、近況とことしの抱負、決意を熱く語った。
大賀浩一、福島瑞穂、望月衣塑子、植村隆各氏の発言要旨は次の通り(発言順)

大賀浩一弁護士(札幌弁護団)
いよいよ天王山の証人・本人尋問へ
▽札幌訴訟は、移送問題でもめ、東京訴訟よりも1年遅れて始まったが、争点整理がハイペースで進んだため、東京訴訟より先に証人・本人尋問が行われることとなった。2月16日には喜多義憲さんという、植村さんの記事の直後に、北海道新聞で金学順さんの単独インタビュー記事を書いた元記者の証人尋問が行われ、3月23日には、植村さんと櫻井さんの本人尋問と、いよいよ天王山を迎える。通常の民事事件ならその場で結審することが多いが、本件ではその後に双方から最終準備書面を出して、2か月くらい後に結審となるだろう。裁判所は法廷が「夏休み」となる期間をはさんで判決文を書き、早ければ9月にも判決が出るのではないか、という見通しを持っている。
▽証人尋問の人選では、かなりの攻防があった。まず、昨年9月8日の弁論期日で、2月16日の尋問期日が事実上決まった。われわれ原告側は、喜多さんのほかに吉方べきさん(ソウル在住の言語学者)と北星学園大の田村信一学長を証人申請し、被告側は西岡力さんと秦郁彦さんを申請してきた。西岡さんの証人申請に当たっては、実に29ページもの陳述書を出してきた。ところが裁判所は、学者の主張は陳述書を読めばわかるから証人尋問の必要はない、という理由で却下し、田村さんの陳述書に対しては、被告側が反対尋問権を放棄するのなら証人尋問の必要はないということで、証人尋問は喜多さん1人だけとなった。被告側の証人申請は2人とも却下、つまり、櫻井さんは自分の書いたものが真実であるか、少なくとも真実と信じたことにつき相当の理由があるということを、自分で証明しなさい、ということだ。
▽これまでのところ、訴訟は順調に進んでいると思うが、かつて櫻井さんが薬害エイズ事件で安部英氏から名誉毀損で訴えられたとき、最終的には「真実相当性」で勝っているから、まだまだ予断は許されないと思う。

■福島瑞穂(社民党参議院議員)
歴史捏造を許さないみなさんとともに
裁判が札幌と東京で行われ、慰安婦バッシングや歴史捏造を許さない、とみなさんが駆けつけていることに敬意を表します。「否定と肯定」は予告編しか見ていないが、歴史にきちんと向き合うということが日本では必要だし、そのようなこと言った人や記者が叩かれる日本をかえていきたい。性暴力を告発した人が叩かれるという構図も同じだ。たたかっている人たちを応援して、真実は何かを共有したい。一緒にがんばりましょう。

■望月衣塑子(東京新聞記者)
植村裁判は、歴史修正主義に立ち向かう動きの象徴
▽きょうは裁判を傍聴した。弁護士の巧みな攻めのやりとりがあって裁判は楽勝かと思ったが、いまの報告で、裁判長は「捏造」を「論評だ」という判決を出したことがあると知った。これはあなどれない、と思った。西岡氏が確信犯的に「捏造」決めつけをしたこともわかった。安倍政権下、歴史修正主義の流れを受けると、西岡氏のような「論評」がまかり通るのかな、とも思う。しかし、植村さんは明るい。私も楽しそうですね、とよく言われる。おたがい、悲痛にやるんじゃないところは共通している。

<望月記者はこの後、首都圏支局と社会部、経済部で取材した事件のエピソードや教訓を語った。主な事件は、日歯連の政治献金事件、検事の暴力団組長との裏取引(さいたま地検熊谷支部)、陸山会事件、武器輸出問題、前川前文科次官へのバッシング報道、準強姦容疑記者をめぐる疑惑、記者クラブ制度の弊害、官房長官会見質問への圧力と脅迫など。最近の安倍政権によるメディア支配の現状については、「メディアの役割は権力を監視することだが、越えてはいけない一線を超えた新聞社があり、権力の道具になっている新聞社もある」と指摘した。詳細は略>

▽慰安婦は戦時性暴力だ、戦争のあるところに慰安婦があった。戦争をしないことが女性の人権を重視することにつながる。歴史をふりかえっても、カントの平和論やパリ不戦条約など、平和を追求するには軍備がないことが必要だといっている。ところがいま、改憲や加憲で交戦権否認や戦力不保持を無力化していこうという動きがある。日本のメディアは再び戦争を許すのだろうか。
▽憲法九条をマッカーサーに提唱したといわれる人物、幣原喜重郎さんの言葉をぜひ伝えたい。「正気の沙汰とは何か。武装宣言が正気の沙汰か。それこそ狂気の沙汰だという結論は考え抜いた結果出ている。世界はいま一人の狂人を必要としている。自ら買って出て狂人とならない限り世界は軍拡競争の蟻地獄から抜け出すことはできまい。これは素晴しい狂人である。世界史の扉を開く狂人である。その歴史的使命を日本が果たすのだ」と。戦争を知らない世代にどうやって伝えていけるか。これをメディアは問いかけ続けなければならない、と思う。
▽北星学園大バッシングを記録した「市民はかく闘った」を読んで、私は元気になった。市民や弁護士が結集して、バッシングと闘った。歴史修正主義の流れをくい止めようという流れが結集した。萎縮することなく、立ち向かっている、という動きを植村裁判は象徴していると思った。


■植村隆 
文春バッシングから4年。ことしは「一陽来復」を合言葉にしたい
▽日本のジャーナリズムについて重い気持ちになっていたが、望月さんの話を聞いて、希望が見えてきた。きょうは若い人も聞きに来ている。望月さんの後にどんどん続けば日本は変わっていく。望月さんを孤立させず、私は望月スピリットを学んで、がんばりたい。
▽4年前の1月30日、私を捏造記者と決めつけた週刊文春2014年2月6日号が出た日だ。「”慰安婦捏造”朝日新聞記者がお嬢様女子大教授に」という見出しでレッテル貼りをされた。バッシングの中心が西岡力さん、それに櫻井よしこさんが便乗して、植村は捏造記者だと言いふらした。当時私は、函館支局長だった。真冬の空の色はどんよりしていた。私の心も暗くどんよりして、これからどうなるのかという心境だった。
▽朝日新聞が検証記事で「植村の記事は捏造ではない」と書いた後、この2人は、「朝日よ、被害者ぶるのはおやめなさい」という対談で「社会の怒りを惹起しているのは朝日や植村氏の姿勢ではないでしょうか」と言い放った。これでますますバッシングが燃えさかり、北星学園あてに「娘を殺す」と手紙が来た。しかし、たくさんの人が応援してくれて、私はこの2人を訴え、裁判が始まった。
▽1990年代後半に始まった慰安婦問題のバックラッシュによって、慰安婦の記述は教科書からほとんど消えた。主導したのは、当時若手議員だった安倍首相らだ。ところが2016年、慰安婦の記述がある教科書を使っている灘中学校に抗議や問い合わせがあった。この教科書には河野談話が載っているが、一部要約だけで、軍や官憲による強制連行を示す資料はないとする政府見解も付け加えられている。その程度の記述なのに、攻撃が加えられる時代になった。同年秋には「朝日赤報隊」を名乗って、「女たちの戦争と平和資料館」に爆破を予告する脅迫状が送られた。歴史に向き合い反省する動きへの攻撃はやまない。記憶へのテロリズムだ、と私は思う。
▽お正月に早稲田界隈を歩いた時、穴八幡神社や隣のお寺の境内の大きな看板に「一陽来復」という文字があった。この言葉を私は、裁判がいよいよヤマ場にさしかかる今年の合言葉にしたい。冬が去り春が来る、そして悪いことが続いた後に物事がよい方向に向かう。力をお貸しください。