植村バッシングをいつまでも食い扶持にする週刊新潮
週刊新潮3月2日号記事(写真上)への反論が、北風三太郎さんから寄せられました。記事をなぞって 書き始めたらこんなパロディふうの文章になった、とのことです。以下、その全文を掲載します。 |
まさかと言うべきか、やはりと言うべきか。植村バッシングの元凶の1誌にして未だ無反省の週刊新潮が、植村隆氏(58)が「辺野古座り込み」集会に参加したことを取り上げ、新たな植村氏攻撃に食指を動かしているようだが、その論理以前の内容、メチャクチャです。
その「恥ずかしい週刊誌」が発売されたのは2月23日のこと。「植村隆の新たな食い扶持は辺野古座り込み」と題し、約1300字、植村氏の沖縄講演ツアーを紹介し、誹謗中傷したのである。
慰安婦問題に詳しいジャーナリストが言う。
「この記事は最初に、<ハイライトは2月3日、辺野古のキャンプシュワーブ前での“激励”です。植村さんは、基地を前に、そこに座り込む30人ほどに向かってスピーチをぶちました>と書いていますが、辺野古行きはハイライトではありません。今回の沖縄講演ツアーは那覇の市民集会や沖縄大学での講義が主たる目的でした。辺野古でスピーチはしましたが、いつものやや早口の口調での語りかけだったと聞いています。それが、週刊新潮ではぶったということになるんですねえ(笑)」
週刊新潮はさらに、植村氏の発言を3つ並べて、<などどアジを飛ばした>とも書いている。3つの発言は、
「未だに戦前のような朝鮮人や沖縄人などへの差別があると思う!」
「武力では世界を支配できない時代。信頼関係の構築で解決を図るべきだ!」
「沖縄ヘイトや慰安婦を否定する勢力には絶対に負けない。皆さんと連帯して闘う!」
というもので、「琉球新報」(2月4日付)と「支える会」ブログ(2月7日付)からの引用のようである。しかし、原文の末尾にはどれもビックリマーク!などついていない。こうまでしてでも、植村さんをアジテーターに仕立て上げたいようだが、その魂胆、じつに卑しい。
週刊新潮記事はさらに、こう続く。<自己陶酔してしまったのか、その後の2月10日には、帰宅した札幌で「報告集会」を開催。>
沖縄での大きな反響を報告するために植村さん自身が集会を開いた、と読んだ人は思い込むに違いない。しかし、その集会は同日に札幌地裁で開かれた植村氏の裁判の口頭弁論についての報告集会であり、開催は2カ月以上も前から決まっていた。主催したのは地元の支援団体である。約2時間の集会のうち植村さんの持ち時間は30分ほどだった。このような基本的な事実を調べず、確認もしない。自己陶酔という語句、針小棒大な表現。これぞ週刊新潮のお家芸か、と呆れつつ読み進めると、植村さんの先の発言について、こんどはこんな解説を加えている。
<戦前の朝鮮、沖縄と同じ差別が未だ「ある」とは、「事実」を見るべき記者としての能力の低さを証明しているし、「信頼関係」で国際問題が解決できるとは、いまどき、中学生でも口に出さないお気楽平和主義>
こんなお説教調の悪罵を投げつけられるとは、怒りを通り越して呆れるばかりである。いやはや。差別がまだあることを知らない、あるいは否定する週刊新潮記者の、「事実」を見るべき記者としての能力の低さを自ら証明しているし、植村さんは「信頼関係」の構築で解決を図るべきだ、と言ってるのであって、信頼関係で国際問題が解決できる、とは言っていない。言ってもいないことを、中学生でも口に出さない、という詭弁で操るお気楽軍国主義。いまどきの中学生以下の、無知性、無教養をさらけだしたヘイト記者のヘイト記事と言わざるを得ない。ほんとにレベルが低い。
記事の後半では、地元名護市の「辺野古建設」反対派の面々と、正体不明のジャーナリストの発言を紹介している。面々は、<「基地と慰安婦を繋げられても、唐突としか言いようがありません。いったいどういうこと?」(さる市議)、「何が目的で来たんですかね。自分の主張を述べるため?」(別の市議)と目を白黒>とのこと。機会があれば、目を白黒させて市議と名乗ってた人に、いったいどういうこと、と真意を問うてみたい。ジャーナリストは、<言わば、慰安婦誤報で食っているわけですが、今度はこれに沖縄も加え、嘴を挟んでいずれ「生活の糧」にしていくのでしょう>とのこと。この人こそ、植村バッシングを「生活の糧」にしているのではないか。上から目線で植村さんをどこまで貶めようというのか、会って話を聞いてみたい。
記事の結びは、常連リピーターが登場し、いつもの下劣なオチで締めくくられている。<古巣の先輩にあたる「週刊朝日」元編集長の川村二郎氏が呆れて言う。「もはや植村君は、ジャーナリストではなく、反体制活動家でしょう。これ以上、恥をさらさずに静かにしてもらいたいけれど、イデオロギーの眼鏡しかかけていないから、むりだろうねえ……」 。まともな大人は決して近づいてはいけないのである>
これを読んだ友人知人から、さっそく感想が寄せられた。
「例によって、慰安婦誤報の元凶とか、日本の歪みより己の歪みなど、誹謗中傷を連ねていますね。名誉棄損の裁判で訴えられている当事者が、原告に対して、慰安婦問題で食っているわけですなどとさらに中傷する行為には、抗議する必要があると思います。悪意に満ちた記事だ、と裁判官にも決して良い印象を与えないというのがわずかな救いですね」(植村さんと親しい大学教授)
「読んでいるとなんだか情けなくなる文章ですね。情けなくなるのは、植村さんを貶めようとするだけの気持ちで筆を走らせただけの文章だ、ということだからです」(3年前から植村さんを支援している元新聞記者)
「例によって、植村さんを慰安婦誤報の元凶とレッテル貼りしていますが、慰安婦報道の歴史と経過を学べば、それがとんでもない言いがかりであることは、中学生でもわかることですよ。それなのに植村さんをジャーナリストではなく反体制活動家と決めつける川村二郎氏こそ、慰安婦誤報の元凶、というべきじゃないでしょうか。こういう太鼓持ちは、これ以上恥をさらさず静かにしていてもらいたい(笑)」(週刊朝日の川村編集長時代をよく知る朝日OB)
まともな大人は決して週刊新潮に近づいてはいけないのである。
text by 北風三太郎記事PDF