判決書の中の「単なる慰安婦」という記述は、「悪意と蔑視のかたまり」だ。「人権の砦」である裁判所が、辛い体験の証言を「単なる」と認めている!
札幌控訴審判決はSNSでも波紋を広げています。
判決書の15ページ16行目に、「単なる慰安婦が名乗り出たにすぎないというのであれば、報道価値が半減する」と書かれています。「挺身隊」という語を用いた植村氏の記事は「強制連行」と結びつけたものだ、との櫻井氏の主張を検討する部分の記述で、直前には「日本の戦争責任に関わる報道として価値が高い反面」とあります。
「単なる慰安婦」とは、なんなのでしょうか。文脈からいって、「強制とは関係がない」ということを「単なる」というのでしょうか。職業や地位、身分を「単なる」と表現すること自体、ふつうの市民感覚ではあり得ません。単なる新聞記者、単なる裁判官、単なる歌手、単なる政治家など聞いたこともありません。「募ると募集はちがう」という答弁が国会でまかり通るほどに日本語は壊されていますが、これはアベ話法に負けず劣らず、酷いのではないか!
ツイッターで声を上げたのは、新聞労連委員長の南彰さんです。南さんは6日の札幌控訴審判決を法廷で傍聴し、報告集会でも支援の挨拶をしていました。
南さんは、判決記述の「単なる慰安婦」は「悪意と蔑視のかたまり」だと次のように批判しています。
▽まさか判決文で…。6日の高裁判決。《#単なる慰安婦が名乗り出たにすぎないというのであれば、報道価値が半減する》(冨田一彦裁判長、目代真理、宮崎純一郎両裁判官)。「人権の砦」である裁判所が、辛い体験の証言を「単なる」と認めているようでは、性被害者が救われるはずがない。
▽悪意のかたまり。蔑視のかたまりだと思います。判決文で勝負している3人の裁判官の合議で堂々と出しているわけですから。
▽植村裁判の一連の判決は、①慰安婦の証言を報じる側には重い責任を負わせ、②その証言報道を「捏造」などと貶める側の誤読・曲解・取材不足は大幅に免責する――という構図だ。このような司法判断を放置していたら、今後の性被害告発や#meetoo!報道にも影響が出てくるのではないだろうか。
以下に、タイムラインの一部をスクリーンショット(画面撮影)で紹介します。
※収録は9日午後3時
※収録は9日午後3時