札幌訴訟の控訴審判決が近づいています。植村氏の逆転勝利は、あるのか。希望と不安が交錯する日々が続いています。しかし、私たちには、逆転勝利の確実な手がかりがあります。不確かな予断や無責任な予測は厳に戒めるべきですが、判決を目前にして、その手がかりを確認しておきたいと思います。
植村弁護団が控訴審の法廷で明らかにしたことを、裁判所がきちんと理解し認めれば、一審判決は覆らざるを得ないのです。逆に言うと、裁判所がきちんと理解せず、認めなければ、判決は覆りません。
一審判決が櫻井氏に「真実相当性」を認める根拠とした3点セット(ハンギョレ新聞記事、金学順さんの訴状、月刊「宝石」記事)については、誤った引用や重要な見落としがあることが明らかになっています。櫻井氏の取材にはきちんとした裏付けのないこともはっきりしました。櫻井氏が、植村氏や金学順さん、挺対協関係者など重要な当事者に取材申し込みすらしていないことは、一審段階で明らかになっています。それだけではありません。最近の名誉毀損訴訟では、十分な裏付けのない取材には「真実相当性」の高いハードルを課していること、櫻井氏の言説の変転をたどると矛盾やウソが目立つこと、そして新たに掘り起こして提出した証拠によって植村氏の記事の正確さが証明されたこと。
いずれも櫻井氏の「真実相当性」を否定し、これまでの植村弁護団の主張を担保し、逆転勝訴への強力な手がかり、材料となるものです。
ですから、裁判所が予断を持たずに、これらをきちんと検討すれば、櫻井氏の「真実相当性」が否定されることは、難しいことではない、と思えます。
■民事訴訟の逆転率は34%!
一般に控訴審での逆転は容易ではない、という見方はだれしも認めることです。しかし、最高裁のデータによれば、控訴審で原判決が破棄される割合は民事34%、刑事10%となっています(平成30年度司法統計=※注1)。意外にも、民事訴訟のほうがひっくり返ることが多いのです。
じっさいに櫻井氏もかつて控訴審で逆転敗訴を経験しています。「薬害エイズ」の報道をめぐって、安部英医師(当時帝京大副学長)に名誉棄損で訴えられた裁判で、2003年2月26日、東京高裁は地裁判決を取り消し、櫻井氏に400万円の慰謝料支払いを命じているのです。
この訴訟の経過を調べてみたところ、植村バッシングの構図とあまりにもよく似ていることに驚かされました(※注2)。
櫻井氏は1994年から7年間、「薬害エイズ」事件を引き起こした最大の責任者は安部医師だと決めつけ、「医師の心を売り渡した」「命を蔑ろにした」などと人格攻撃を繰り返しました(※注3)。
安部医師は当時、血友病治療の第一人者であり、投与によるエイズ感染を防ぐ新薬の国内での治験を統括する立場にいました。櫻井氏の誹謗中傷の根拠は、「治験を調整した」という安倍医師の発言でした。櫻井氏はこのひとことを曲解し、安部医師は開発が遅れていた製薬メーカーの便宜を図り、製薬業界全体の治験スケジュールを遅らせたため、その間に従来薬を使わざるを得なかった血友病患者に約1500人のエイズ感染者が多発し、死者も出た、と攻撃をつづけました。「挺身隊の名で」と書いた植村氏の記事を捏造だと決めつけ誹謗中傷した論法と同じです。
櫻井氏を名誉毀損で訴えた訴訟は1996年に始まり、2005年に最高裁判決で終結しました。判決は二転三転しました。星取表記ふうになぞると、安部医師 ●→◎→●、櫻井氏 ◎→●→○、となります。◎は完勝、○は勝利、●は完敗です。
■櫻井氏の取材を完全否定した控訴審判決!
この裁判では「真実性」と「真実相当性」の判断が反対方向に揺れ、その結果、判決も激しくぶれたのでした。
ここで注目すべきは、控訴審の判決です。控訴審判決は、櫻井氏の取材経過を13項目にわたって綿密に検証し、結論として「真実性」と「真実相当性」を完全に否定しています。とくに、櫻井氏の取材のきっかけとなった著書(広河隆一氏ほか)や伝聞情報、他の裁判の準備書面、匿名情報提供者などの取材ソースについては、一刀両断で排除する姿勢を示しています。また、重要な取材対象に取材拒否をされたことについては、「十分な取材ができないために、事実関係の究明ができず、取材内容の真実性について幾ばくでも合理的な疑問が残るのであれば、それを前提とする記述にとどめるべきであるから、もとより取材の拒否が相当性判断を緩和させるなどの理由になるものではない」とも述べています。
この控訴審判決は、櫻井氏が上告により最高裁に持ち込まれ、2005年6月に「破棄」判決が出されました。ですから、控訴審の判断を過大に評価することは避けなければなりません。ただ、櫻井氏の取材結果の危うさを見抜いた裁判官がいたことは確かな事実です。櫻井氏の安倍医師バッシングは植村バッシングに酷似しています。ですから、同じような判決が出される可能性は決してないわけではない、と思えてきます。
■裁判官の心証に委ねられる現実?
この訴訟の判決文は、一審、二審、上告審のすべてをインターネットで閲読することができます。
判決文から裁判の経過と争点、真実相当性の成否、櫻井氏の取材への評価などをまとめた一覧対照表は、「植村裁判資料室」に収録してあります(※注4)。その中でも、<BOX4、「真実相当性」についての地裁と高裁の判断>は、必読の書類だと思います。裁判では180度正反対のどんでん返しが容易に起こり得ること、そしてそれは必ずしも明確な証拠によるものではなく、裁判官の裁量あるいは心証によるものである、ということが、重い衝撃とともに、伝わってきます。
※注3 安部医師の側に立って書かれた著作は少ないが、『「薬害エイズ」事件の真実――誤った責任追及の構図』(現代人文社、2008年刊)は、弁護団の弘中惇一郎、喜田村洋一氏ほかの執筆によるもので、とくに「治験調整」を中心に事件の経過を詳述し、安倍医師はむしろエイズ感染被害の拡大を防いだ功労者である、と論じている。同書には元ミドリ十字社員の岡本和夫氏の論稿も付録CDとして収録されている。岡本氏は櫻井氏の取材姿勢とジャーナリストの資質を疑問視し、安倍医師のインタビュー記事には意図的な改ざん、削除と巧妙な誘導があると批判している。
いっぽう、櫻井氏は精力的に出版している。この問題で最初に出した『エイズ犯罪 血友病患者の悲劇』(中央公論新社、1994年刊)は櫻井氏のデビュー作で、翌年の大宅壮一賞を受けた。ほかに、『薬害エイズ 終わらない悲劇』(ダイヤモンド社、99年刊)、『安部先生、患者の命を蔑ろにしましたね』(中央公論新社、同年刊)、『薬害エイズ「無罪判決」、どうしてですか?』(中央公論新社、2001年刊)がある。出世作も含めすべて絶版品切れだが、古書マーケットや図書館では手に入る。
text by H.N
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