2019年8月17日土曜日

「不自由展」その後


「従軍慰安婦はデマ」というデマ

あいちトリエンナーレの企画展「表現の不自由展・その後」が中止になって2週間が経過しました。同展を中止に追い込んだ抗議や脅迫の動きと政治家たちの発言によってまたぞろ噴き出した「慰安婦問題はデマ」というデマは、SNSやテレビのワイドショーで広がりつづけています。

デマを流している人たちの中には、「3年に1回」開催のあいちトリエンナーレを「毎年」楽しみにしているという人たち(※1)や、プロパガンダをプロパンダという人たち(※2)のほか、韓国徴用工賠償訴訟を抱える日本の大企業の顧問を務めていた外交評論家()などもいて、慰安婦問題と日韓貿易紛争をネタに、真夏の入道雲か夕立の中、雲霞のごとくに入り乱れて嫌韓を煽る様相となっています。心が寒くなる風景です。
この人たちに共通しているのは、学者や専門家が長年地道に積み上げてきた研究成果を無視し、歴史的にも国際的にも定着した事実を否定し、そして自分たちの意に添わぬ人たちに問答無用の悪罵を投げつける態度です。「少女像は日本人の心を踏みにじる」などと発言した河村たかし名古屋市長などはその典型でしょう。

そのような動きに抗する人たちが声をあげています。「表現の不自由展・その後」の開催を支持し、再開を求める団体や有志グループはこれまでに49本の声明やアピール、署名呼びかけを発表しています(17日現在=)。学者、研究者が呼応する動きと反響も広がっています。
従軍慰安婦研究の第一人者である吉見義明・中央大学名誉教授は、毎日新聞のインタビューで「負の過去は見ない、事実と向き合わないことこそ日本を貶める行為だ」と語っています()。社会学者の牟田和恵・大阪大学教授は、WEBサイトwanで、少女像への攻撃を性暴力被害者への逆切れ攻撃ととらえ、それは性暴力を許容し加害を正当化しようとする日本の「文化」と地続きだ、と指摘しています()。ニュースブログ「サイゾーウーマン」は、「今さら聞けない慰安婦問題の基本を研究者に聞く」シリーズを8月7日に開始しました。その第1回には歴史学者の林博史・関東学院大学教授が登場し、「なぜ何度も謝罪しているのに火種となるのか」という疑問にわかりやすく答えています()。
updated:2019/8/19 am9:30
  
=HARBOR BUSINESS Online 2019.8.12 より
=玖保樹鈴氏のつぶやき 2019.8.12 より
=元外交官の武藤正敏氏。2010~12年韓国大使、13~17年三菱重工業株式会社顧問。著書に「韓国人に生まれなくてよかった」「文在寅という災厄」「真っ赤な韓国」など。外交経済評論家としてテレビ番組に年間約100本出演(昨年)。プロフィルはこちらを参照
=女たちの戦争と平和資料館wam 2019.8.17 のサイトによる
=毎日新聞デジタル版 2019.8.15
 この記事は有料のため、その一部のみ下に引用します。
=女性と女性の活動をつなぐポータルサイト 2019.8.4
=ニュースブログ「サイゾーウーマン」 2019.8.7


「従軍慰安婦はデマ」というデマ
 歴史学者 吉見義明氏に聞く

毎日新聞デジタル版の連載「表現の不自由考」2019.8.15 より

(引用開始)

驚きました。大阪市の松井一郎市長のことです。「慰安婦問題は完全なデマなんだから。軍が関与して強制連行はなかったわけだから。それは一報を報じた朝日新聞自体が誤報と謝罪しているわけだから」(5日、記者団に)と発言しました。名古屋市の河村たかし市長も「強制連行し、アジア各地の女性を連れ去ったというのは事実と違う」(5日、記者会見)と言っている。
事実認識が間違っているし、従軍慰安婦問題とは何か、分かっているとは思えない発言です。

朝日新聞が2014年に「誤報」としたのは、戦時中の労使組織「労務報国会」の職員だった吉田清治氏(00年死去)の「軍隊とともに朝鮮(現韓国)の済州島で慰安婦狩りをした」という証言に基づく報道のみです。
私自身、慰安婦の徴募などへの日本軍の深い関与を史料で裏付けた1992年の「従軍慰安婦資料集」(大月書店)の解説でも、95年の「従軍慰安婦」(岩波新書)でも、最初から吉田証言は採用していません。一部の誤りを取り上げ、慰安婦問題全体をもなかったことにするのは、歴史修正主義者の典型的な言説です。

(中略)
私は強制連行の有無など、女性はどのようにやって来たのかということは副次的な問題で、核心は女性が「性的奴隷」としか呼べない状況に置かれたことだと思います。なぜなら、軍の慰安所規定や元慰安婦の証言などから、慰安婦には少なくとも「四つの自由」がなかったことが明らかだからです。

まず「外出の自由」です。慰安婦は軍の監視下に置かれ、許可がなければ外出できませんでした。逃亡を防ぐため、許可を得て外出できても監視役がついていた。許可がなければ外出すらできないのを「自由があった」とは言いません。
二つ目は「居住の自由」です。女性たちは慰安所の中で生活しなければなりませんでした。
三つ目は「廃業の自由」です。契約年限を終えるか前借金の返済を終えるまで、やめたくてもやめられなかった。さらに軍と業者の廃業許可も必要でした。軍が許可せず、慰安所に留め置かれたケースもあります。
最後は「拒否の自由」。元慰安婦は、兵士との性行為を拒否できませんでした。拒めば兵士や業者に暴力を振るわれることになる。言うまでもなく、性行為の強要は強制性交(強姦)です。

以上はどれも基本的人権に関わる自由ですが、これらが奪われていたのです。奴隷状態と言わざるを得ません。付言すれば、慰安婦には強制的な性病検査がありました。これも女性の人権を侵害するものです。

(中略)
慰安婦問題とは、強制連行があったかどうかとかいう問題ではなく、日本軍が女性の自由を奪い、性行為を強制したという女性の人権問題そのものなのです。だから世界の人たちが厳しい目を向けているんです。
こうしたことを言うと「反日」「日本人をおとしめるな」などという言葉を投げられます。これは逆ではないでしょうか。負の過去は見ない、事実と向き合わないことこそ、日本をおとしめる行為だと確信しています。
事実を見つめ、反省すべきは反省し、近隣諸国と深い信頼関係を築くことこそが、私たちのためになる。だから私は研究を続けているんです。

(引用終わり)

写真=毎日新聞デジタル版