2019年7月4日木曜日

植村氏意見陳述全文

裏付け取材なしに思い込みだけで私を「捏造」と断じた櫻井氏を許した判決は、あまりにも公正さを欠く

植村隆氏の意見陳述■全文■
植村裁判札幌訴訟の控訴審第2回口頭弁論
2019年7月2日

裁判官が交代されたこの時期に、発言の機会が与えられたことに感謝しております。

昨年11月、札幌地裁判決を聞いた瞬間、司法による救済を確信していた私は愕然としました。第一に「女子挺身隊の名で戦場に連行され」などと表現した私の記事が、他紙でも同じ表現をしている、ごく一般的な記事だったことが、元北海道新聞ソウル特派員の喜多義憲さんの証言などで明らかになっていたからです。そして第二に、櫻井さんが、私が記事を捏造した根拠として、元日本軍慰安婦金学順(キム・ハクスン)さんの訴状に40円で売られたなどと書いてある、と雑誌『WiLL』などの記事で伝えていた問題です。実際の訴状にはその記述は一切なく、事実無根であるなど、取材のずさんさが明らかになっていたからです。

地裁の審理で唯一証人として採用された喜多さんの証人尋問があったのは昨年2月です。喜多さんは、1991年8月、私の記事が出た3日後、金学順さん本人に単独取材し、私と同じように「挺身隊」という言葉を使って、私とほぼ同じ内容の記事を書きました。喜多さんは、櫻井さんが私だけを「捏造」したと決めつけた言説について、「言い掛かり」との認識を示しました。そして、こう証言しました。

「植村さんと僕はほとんど同じ時期に同じような記事を書いておりました。それで、片方は捏造したと言われ、私は捏造記者と非難する人から見れば不問に付されているような、そういう気持ちで、やっぱりそういう状況を見れば、違うよと言うのが人間であり、ジャーナリストであるという思いが強くいたしました」

 記事を書いた当時、喜多さんは私と面識はありませんでした。しかも、喜多さんは私の記事を読んでもいなかったといいます。私はライバル紙の記者から、この記事を捏造であるなどというのは、言い掛かりである、と証言していただいたのです。

昨年3月、櫻井さんの本人尋問がありました。櫻井さんは『WiLL2014年4月号の記事にある「訴状には、十四歳のとき、継父によって四十円で売られた」とか「継父によって・・・慰安婦にさせられた」という部分がないことを認めて、訂正しますと言明しました。実際、『WiLL』には訂正記事が出ました。櫻井さんがこの種の間違いを少なくとも6回、やっていることが分かりました。

しかし、昨年11月の札幌地裁判決は、櫻井さんの間違いを重視せず、喜多さんの証言を全く無視しました。判決では、人身売買であったとする櫻井さんの主張については、真実であるとは認定しませんでした。十分な取材をしてないのに、また根拠である資料を最後までしっかり読めば容易にわかることなのに、これを怠った櫻井さんが、私の記事を「捏造」だと信じたことについて、相当の理由があると判断し、櫻井さんを免責したのです。この理屈でいけば、裏づけ取材をしなくても「捏造」と思い込むだけで、「捏造」と断じることが許され、名誉毀損には問えないことになります。あまりに公正さを欠く判決だと思います。

私は1991年8月11日付の朝日新聞大阪本社版の記事Aで、元日本軍慰安婦であったとして被害を訴える一人の韓国人女性の思いを書きました。匿名の女性の録音テープを聞く取材方法でした。この元慰安婦の女性は私の記事の3日後に、金学順と実名を名乗り、被害体験を記者会見で明らかにしました。この勇気ある証言で、被害者の名乗り出が相次ぎ、慰安婦問題が国際的な戦時性暴力問題として、クローズアップされることになりました。

それから23年経った2014年になって、櫻井さんは突然、私の記事を「捏造」であると、私への個人攻撃を始めました。

「日本を怨み、憎んでいるかのような、日本人によるその捏造記事はどんなものだったのか」。

これは、月刊雑誌『WiLL』2014年4月号の櫻井さんの記事です。櫻井さんは、ここで、私が書いた1991年8月の記事Aを「捏造」と決めつけています。

櫻井さんは、この『WiLL』の記事で、金学順さんが1991年12月に、日本政府を相手に裁判を起こしたことに言及し、こう主張しています。

「訴状には、十四歳のとき、継父によって四十円で売られたこと、三年後、十七歳のとき、再び継父によって北支の鉄壁鎭という所に連れて行かれて慰安婦にさせられた経緯などが書かれている。植村氏は、彼女が継父によって人身売買されたという重要な点を報じなかっただけでなく、慰安婦とは何の関係もない『女子挺身隊』と結びつけて報じた」。 

この櫻井さんの記事などの後に、激しい「植村捏造バッシング」が起きました。転職先の大学専任教授のポストを失い、非常勤講師をしていた北星学園大学は爆破すると脅され、2015年2月2日には、「娘を殺す」という脅迫までされました。「捏造」という言葉が脅迫状や抗議メールの中にも繰り返されていました。私は、櫻井さんらを名誉毀損で2015年2月10日に訴えました。

先月26日、東京地裁で、元東京基督教大学教授の西岡力さんらを訴えた裁判の判決の言い渡しがありました。西岡さんも櫻井さん同様、私が捏造したという証拠を一つも示せず、捏造の根拠とした訴状の引用などを間違えていたにも関わらず、判決は西岡さんが私の記事を「捏造」と信じた真実相当性について、「推論として一定の合理性がある」などとして認め、西岡さんを免責しました。異常な判断だと思います。

私は札幌高裁の審理と判断に希望をつないでいます。証拠と事実に基づいて判断していただけるという裁判に対する信頼を失っていないからです。

札幌高裁には、櫻井よしこさんに関する新証拠を提出しました。『週刊時事』という雑誌の1992年7月18日号です。ここに、櫻井さんは日本軍慰安婦に関する文章を書いていました。前の年の1991年12月、金学順さんら3人の韓国人元慰安婦が日本政府に謝罪と補償を求めて東京地裁に提訴したことについて、取り上げていました。

  「東京地方裁判所には、元従軍慰安婦だったという韓国人女性らが、補償を求めて訴えを起こした。強制的に旧日本軍に徴用されたという彼女らの生々しい訴えは、人間としても同性としても、心からの同情なしには聞けないものだ」。

櫻井さんは金学順さんらについて「強制的に旧日本軍に徴用された」と書いていたのです。徴用とは国家権力による強制的な動員を意味します。まさに、強制連行のことです。櫻井さんは、雑誌が出た1992年当時は、金学順さんら3人の元慰安婦の主張を、「強制的に旧日本軍に徴用された」と認識していたのです。

 櫻井さんは2014年以来、金学順さんについて「人身売買されて慰安婦になった。植村はそれを隠して強制連行と書いた」という趣旨の主張をし、1991年8月の私の記事を「捏造」だと繰り返し断定しましたが、実際は櫻井さん自身が、「強制連行」と同義の表現を使っていたのです。それも私の記事の出た約11カ月後、『週刊時事』に書いていたのです。自分自身が、強制連行と書いていたのに、それを隠して、私を攻撃するとは、ジャーナリストとして、あまりにアンフェアです。それは、公正な言論ではありません。これは新証拠として、札幌高等裁判所に提出すべきだと考えました。一審の裁判長が知らなかった事実なのです。

 櫻井さんには、言論の自由があります。しかし、私の記事を「捏造」と断罪するからには、確かな取材と確かな証拠集めが必要です。今回、元毎日新聞記者の山田寿彦さんの陳述書を提出しました。山田さんは2000年11月の「旧石器発掘ねつ造」スクープの取材班のキャップでした。その陳述書では、はっきりとこう書いています。捏造が「故意」を含むことから、断定して書くには、捏造をした「蓋然性の高い客観的事実」の取材に加え、当事者の認識の確認が不可欠だったと。山田さんらは、石器を埋める自作自演の決定的な瞬間をビデオ撮影で押さえた後、「取材の常道」として、本人の言い分を聞く取材もしています。

櫻井さんは私の記事を「捏造」と断定する直接的な証拠を何一つ示せていないのに、私に一切取材せず、金学順さんら元慰安婦に誰一人会いもせず、韓国挺身隊問題対策協議会にも、私の義母にも取材していません。今回、意見書を提出した憲法学者の志田陽子先生は、「捏造」をしたかどうかの核心部分は本人への直接取材が求められると指摘し、それをしていない櫻井さんは「真実相当性」が証明できていないと断じています。

私は櫻井さんから「標的」にされたのだと思います。当時、「挺身隊」という言葉を使ったのは、私だけではありません。北海道新聞の喜多さんを始め、金学順さんについて報じた読売新聞や東亜日報など日韓の記者達も書いています。金学順さん自身が、挺身隊だと言い、強制的に連行されたことを語っているのです。当時の産経新聞や読売新聞も「強制連行」という表現を使っています。しかし、私だけが「標的」にされ、すさまじいバッシングに巻き込まれました。

私は捏造記者ではありません。

この「植村捏造バッシング」は、私だけをバッシングしているのではありません。歴史に向き合おう、真実を伝えようというジャーナリズムの原点をバッシングしているのではないかと考えています。真実を伝えた記者が、「標的」になるような時代を、一刻も早く終わらせて欲しい。私の被害を司法の場で救済していただきたいと思います。札幌高裁におかれては、これまでの証拠や新しい証拠を検討していただき、歴史の検証に耐えうる公正な判決を出していただきたいと願っております。                                               

以 上