8月4日にスタートした植村さんの全国講演ツアー。前半は、福井、金沢、富山、長崎、福岡、熊本、人吉の6県7市を駆け巡りました。9日間で計8回の講演とブックトークの集い! 超過密スケジュールでしたが、どの会場も植村さんの訴えに熱心に耳を傾ける人たちでいっぱいでした。植村さんはいったん札幌に戻り、19、20日に広島、岡山市で行う講演で夏のツアーをしめくくる予定です。
8月12日に熊本県人吉市の人吉東西コミュニケーションセンターで行った講演「言論萎縮をぶっとばせ!! 今、日本民主主義が危ない」の会場アンケートを以下に紹介します。
▽今の日本の民主主義が危ない状況が今日のおはなしでもよく分かりました。全部つながっているのですね。安倍政権により、日本は本当に危ない方向に行っていると思います。私たちの力でこれを是非覆していきたいと思います。(70代女性)
▽大変良い講演でした。李哲の友人として救援運動をしてきましたが、40数年たってもまだ解決していません。一つのデッチ上げが人の一生をかけた闘いになるんです。私も最後まで彼と行動を共にしたいと思っています。(60代男性)
▽直接、ご本人さんから話が聞けて良かった。やっぱり迫力が違います。やさしい笑顔ながら力強さが伝わりました。(80代男性)
▽真実に忠実に向きあうジャーナリストの魂に敬服しました。情熱的で精力的な話に共感を覚えました。事の本質をしっかりと見極めることの大切さを学びました。今後の活動を支援したいと思います。大変良い企画でした。(60代男性)
▽言論弾圧の実態がリアルに伝わってきました。購入した3冊の本をまず読了し行動に移したい。(80代男性)
▽私立灘中に圧力の記事を今朝新聞で読み、今の森友や加計問題と同質のものを感じた。日本会議系でしょうか? 校長はよくぞ同人誌に書かれたと思う。社会で、もっともっと真実とは何か、歴史認識(事実をもとに)、教育の中で明らかにし、論議をどんどんしていくことが必要だと思う。あった事をなかったことにはできない。 (女性)
▽とてもよく分かりました。といっても自分の勉強不足でもっと勉強しなければと思います。マスコミについては植村さんの言われたとおり、本当の声が届いていない、出されていないと思います。少々イライラしているところです。小さな声でも大事にされる、そういう世の中になってほしいと思います。(70代女性)
▽戦争はしてはいけないですね。子ども、女性が最も悲惨な被害を受けます。言論の自由、表現の自由は人としての当然の権利でしょうが、なんでも言いたいことを言っていいのか~と考えさせられます。娘さんは頑張られました。立派でしたね。活字、映像などから、いろいろな情報を受けます。日常、いつも批判的に対応することは難しいです。考えさせられました。ありがとうございました(女性)
▽ジャーナリズムの右傾化には目に余るものがあることに怒りを感じていますが、その本質とねらいが明確に分かりました。こうした傾向に抗して闘うことの必要性を強く感じます。(70代男性)
▽「言論萎縮」を許してはならない!似たようなことがわが町でも起きている。「正義」は必ず勝たねばならない。民主主義は闘わないと勝ち取れないことを学んだ。(60代男性)
▽よくわかりました。ただ高齢者の私には社会にスピードが早すぎます。(80代男性)
▽白いものを白、黒いものを黒といえない世の中になってきているような。戦後、民主主義になったのに最近また右寄りになってきて恐怖心がわいてきている。慰安婦問題に関しても、なぜこんなに「臭いものに蓋」を閉めるように認めないのか? 事実を新しい世代に伝えないのか? 今の政権に不満です。(女性)
▽ジャーナリズムについてよく理解できました。日本の民主主義をいい方向にもっていけるように望みます。(50代男性)
▽毎日、新聞、テレビを見るたびに腹がたつニュースばかりです。正しい者がバカを見る世の中です。自民党政治が続く限り、子どもや孫に申し訳ない気持でいっぱいです。選挙の大事さ、大切さを強く感じるのは私だけでしょうか?言いたいことが言える世の中、正義が通用する世の中を早く作りたい。植村隆さんに感謝します。(70代男性)
▽大変意義のあるお話でした。朝日新聞阪神支局襲撃事件も解決していない現実を思い出しました。(70代男性)
▽植村さんを孤立させてはならない、と弁護士のみなさん、市民有志のみなさんが立ち上がったことに「民主主義は死んでいない」と思う。歴史の事実を書き換えようとする勢力に私たちは負けない。植村さんが負けない人で嬉しいです。(女性)
▽植村先生、生の声が聴けて感謝します。あらためて民主主義を考えさせられました。ありがとうございました。(60代男性)
人吉市では日刊「人吉新聞」ががんばっている。植村講演会は予告記事が掲載された(左)。人口3万3000の同市はいまも昭和の雰囲気を残していて、講演会のあとの交流会場はその名も「昭和」という酒場だった。「打撃の神様」川上哲治さんの出身地でも有名。